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ふとしたことで、小耳に挟んでしまったので、書かずにはおれますまい。以前、エジ・アブノーマル女性として例に取り上げたA女史。とうとう念願だった転職を果たしたのだとか!ターバーだったか、エジ紅海リゾートで働く知人のつてを頼っていたみたいだったから、いまはそこにいるのだろうか、、、とときどきどうしているのかと気になっていたんだけど。それが。。。彼女はいま、湾岸のある国にいるという。そういえば、今年の2,3月ごろ、必死の形相で、新聞の求人に載っていたホテル求人の面接をやったらめったら受けていた。。。英文科卒でしばらくはホテルで働いていたのだけれど、事務職で外人ゲストと接することがなかったためか英語を使う機会は皆無だったらしい。そのせいか、彼女は言葉を発しようとするとどもりがちになり、おまけに機嫌が悪いのかと思わせるような、おっかなこわい英語を話していた。それなのに、客商売なんて、大丈夫かなとも思っていたが。。。長い間努力してつかんだ転職をした甲斐があって、高給取りになれたことは事実らしい。わたしに彼女の近況を話してくれたひとは、生活はよくなるだろうし、車を買ったりするんじゃない?なんてことも言ってました。ほ~~~~そんなに好転しましたか!あのころは、田舎を脱出して念願のひとりぐらしに、憧れのマスコミ:テレビ局勤めをしていたとはいえ、月150ポンドの給料しかなくて、文句だらけだった(そりゃそうだ、それじゃあいくらカイロでもひとり暮らしはできないもんね。とはいうものの、カイロで、女性の月給2~300ポンドなんてのもよくあるらしいが)しかし、、、転職後1ヶ月以上経た現在もうすでに問題があるらしい。湾岸諸国にあるそのホテルでは、本来のゲスト以外の客というべきか・・・「娼婦」の出入りが激しいらしく、Aさんは気に入らないらしい。こんなはずじゃ!!!!!!!!!!!!と、怒り心頭の境地にあるようで。。。プライド高いAさん、本当はもう辞めたいけれど、交わした契約書のなかに、5ヶ月(だったかな)未満で辞める場合には何千ポンドもの罰金を払わねばならないという規則があるため、やめたくてもやめられないのだそうだ。(どうかこの苦境こそ修行とおもって、しっかりお金を稼いでこれからはひとを当てにすることなくなって、ついでに落ち着いてください)←余計なお世話か?!======番外;本日の音楽やっと、みっけました~~~~わたしがエジプトにいたときに、ラジオからか、どこか外出先で、聞いていて、わくわくしてしまって、目がきらきら輝く音楽を。それはなんと、ヒップホップでした。まさかーーーーなんです、自分的には。だって自分が思っていたヒップホップのイメージってもっとうざいというかつっかかるというか、ひっかかるっていうか、、、エジで聞いていたときにもこれらはヒップホップなんて夢にもおもいませんでしたもの。ってことはエジプトでの洋楽専門だった局のラジオってヒップホップ寄り?!だったのかな???DJはイギリス人がメインだったようだけど。他には、カナダ人もいたみたいだけど。三味線のような楽器が冒頭つかわれている曲名ようやくわかりました。一度聞いたら、ほんと、わすれられません!うれし~~~~~~~。涙ものです。いまさら、そんなの遅いよって言われそうですが。Panjabi MC feat. Jay-ZのBeware of The Boysでした。それにしても、CDの説明書きにあった、「カレー味ラップ」とは、、、いったいなんぞや???気になってしようがないーーーーーーーーーーーーーーー!======================================================nikiさんの書き込み後調べてみました。http://www.blastro.com/player/panjabimcbewareoftheboys.html&artist=Beware+of+The+Boysこちらをコピぺしていただければ、ここでわたすが騒いでいる音楽のビデオクリップが楽しめます。ああ、三味線だなんて、、、恥。だけど、いったいなんの楽器なのでせう?ビデオクリップのほうは、想像していたより、また音楽そのもののインパクトよりは地味なかんじがしました。エジのディスコでも流れていたし。インド映画みたく踊り狂ってもいいんじゃないか?あ~~~~~~~もつれていた糸がするするとほぐれていく気分です。nikiさん感謝!!!んでもって、以前から気になっていたアラブ音楽とラテンアメリカのかかわり。。。それに今度からインドも加わりそうで。。。またまたもつれそう?(笑)
Jul 31, 2004
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ヒエログリフ(正確には古代中期エジプト語、にここでは限定しておきます)とアラビア語は、ともにセム語系に属する言語です。それ故、文法や、単語などに共通点がみられてもとりわけ不思議ではないといえるでしょう。そしてまた、わたしのように、同時に2つの言語を学習すると頭の中で混乱を引き起こす種になりかねません。わたしの場合は、アラビア語の発音とヒエログリフの音訳同士すらごちゃごちゃになってしまう始末でした。。。具体例を挙げるなら、形容詞での双方の共通事項をみてみましょう。形容詞は、日本語や英語などの言語の用法とは異なり、修飾する名詞に後置される点、またともにニスベ形容詞をもつなどの共通点があります。単語の例では、「見る」という意味のヒエログリフの音訳、m33(マアアと読みましょう)はエジプト方言アラビア語と一緒だと聞きました。(が、エクスプレスエジプトアラビア語の付録についていた語彙集にはマアアは載っていませんでした。)カイロ大学の博士課程でエジプト考古学を専攻するエジプト人から聞いたのできっと本当だと思われますが。。。まあ~(ずっこけ・・・)、それは、ともかく。その他、イディオム的な表現では、「夢をみる」というのにも、ヒエロとアラビア語での表現が似ているらしいのです。以上、覚書でした。。。
Jul 29, 2004
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今日はカイロで観光産業の一端を担う(?)男たちについて少々。。。どこでだったか、アジアのリゾート国家だったか、はたまたエジだったか記憶が定かではないのだけれど、大臣だかえらいさんによる、ビーチボーイなどを抱えている国での発言だったと思います。悪いオトコに騙されて被害にあう女性が後を絶たないという話題がもちあがったときのこと、そういうラブアフェアーは観光産業の一端であるというようなことをのたまった方がいたようです。まるでわが国のタレントが吐いた、「不倫は文化」並の発言ですな。カイロの中心、タハリール広場からタハリール通りを通って、タラアトハルブ広場までの道は、カイロの中で、ある意味一番危険な地帯です。女ひとりがうろうろすれば、それはもう、鴨がねぎ背負って歩いているようなもの。観光案内業を表向きとした兄ちゃんたちに声をかけられるのは必至。声のかけ方は、オーソドックスでありがちなものから、WALK LIKE AN EGYPTIAN!などと、バングルスの名曲などを利用したものも。。。わたしもひっかかった経験あり、です。そのときは、旅の途中で、道路を上手く渡れないエジ初級者でした。すると、上のバングルスの文句を言いながら、近づいてくる男がいたのです。たまたま時間があって、おなかがすいていたので、レストランを案内してくれといったら、タハリール通りにあるフティール(エジプト風のピザで、中に具材を包んでオーブンで焼いたもの)屋へ案内してくれたのですが。その手の手法はたぶん、ガイドブックにも載っている。客引きを本業としている彼は、その後、自分が贔屓にしているという特産品の香水瓶屋へ案内する。そして安いからとプレゼントにするからと多数の土産を買い出して、わたしにも買うようにすすめるという心理を突く巧妙なものだ。わたしもレストランに案内してもらった手前、なんだか悪くて(ここですでに罠にかかっていたのですが)一番安い小さいのを2つだけ買うことにしました。その時は香水瓶の値段など知らなかったのですが、後で調べたら、へたすりゃ5倍ほど吹っかけられている計算に。。。これは3年以上前のことなので、最近では客引きなどの手口はより巧妙になっているとおもわれます。そして、タハリール通りでひっかけを生業としている兄ちゃんたちにはどうやら縄張りがあるようで、ある日本人観光客から日本語を有償で習う約束をした一人のエジ男は、彼女に他のひとにひっかからない(!)ようにと助言(?)していたのを覚えている。女ひとり歩いても、女ふたり歩いても、上手に、英語など欧米語を話すエジ男が近づいてくるのがこのタハリールからタラアトハルブ界隈。(男にも近づいてきます。多くはパピルス売り)彼らの、すべてが、、、とは言い切れませんが、観光客をひっかけて、(ときには偽装)結婚してヨーロッパに渡り、その間に語学を磨き、そしてやがてエジに戻ってきては、街角に立つということをしているのかもしれません・・・香港から初めてエジプトに旅に来ていた女性は、エジで流暢に英語を話す人は疑わしい!と言ってました。強ち否定もできません。(ちなみにタハリールのフティール屋は彼らの定番ルートのようで、欧米の旅行客を連れた、エジ男を度々目にしました)
Jul 28, 2004
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カイロでの生活で困ったことのひとつが、日本から送ってもらう荷物の受け取りだった。カイロ着後すぐで、友達に頼みごとをしたついでに(っておいおいだけど・・・)お味噌やら生活用品を、普通航空便で送ってもらうようにもお願いしたときのこと。。。その荷物は、3週間強と、やや時間がかかりながらも(これがカイロじゃなくて地方ならさらに日がかかるのです!)無事、不在だったから引取りに来いというメモをドアの前でみっけた。カイロで借りていたのはアパートで7階にありました。ポストは階下に共同のような、個人のもののようなのがあったけど、自分ち用のはみあたらなかった・・・だから郵便配達人は、ドアに郵便物を挟んでくれるときもあったけれど、7階まで上がってくるのが面倒なのか、階下にある他人のポストの上に挟み込むようにしておいておくこともしばしばだった。で、その荷物です。。。ながーい間待ってました、と気分は浮き浮き、急ぎ足で郵便局へ。すると、「うちの局担当じゃないよ」といわれているのはわかったものの、じゃあ、どこなのよっていう説明が、悲しいかなアラビア語のためいまいちわからなくて苦労いたしました。どうにか家への集配局までたどり着き、無事、荷物をゲットした。それから、、、。な~~~んだ、普通便でも着くんだ、と味をしめて、家からの荷物も、普通航空便で大丈夫だからと頼んでみた。したら、いつまでたっても、来ない、来ない、来ない。前に受け取った郵便局に足を運んで、リストを調べてもらった。ない!!!リストには載ってなかった。それでも、なかなか食い下がらないわたしに、親切な局員さんはわたしの携帯番号を控えて、荷物が着いたらすぐに連絡するからといってくれた。番号を教えるのにはちょっと当惑していたわたし。結果、荷物がまだ着いていないということにあわせて、わたしのエジ滞在が無事であることを祈るよ、みたいなメッセージが送られてきて、先の心配は徒労におわった。そして、行方不明になっていたその荷物、1か月ほどたったころ、日本の実家に送り返されたのだった。中身が検査されており、食料品などは手をつける気になれないほどぐちゃぐちゃにされていた。後になってのこと。郵便配達人にはチップ(っつーかバクシーシ)を払うのが一部の間では常識だということを教えられ、言いようのない衝撃を受けた。ダーリンもこれについては憤慨していたので、カイロのような都市部の「常識」、なのかも、ですが。。。でも、そんな場合でも、EMSで送れば、たいていの場合、大丈夫。(なんかまわしものっぽい発言かもですが、大手の航空貨物より安上がりっしょ!!)カイロでは、アタバにある中央郵便局が一手に引き受けているため、EMSの配達、引き取りに伴う中身チェックも、厳重に行われているようで紛失があったことはこれまでになかった。(ただし、EMS引取りの際、よくわからない課金制度で手数料を支払うケースが多いのですが←だから、か~~~)そしてまた、ひとから聞いた話では、普通便で日本から送られた羊羹などは、着いたは着いたけれど、羊羹は封を開けられており、なんと半分以上食べられた形跡があった、なんてこともあったようです。エジ郵便事情、これまたあなどれません。。。
Jul 24, 2004
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年をとるというのは肉体だけのことを言うのではない、とおもう。中国辺りの思想なら知恵や知識を蓄えていくことを指しそうだけれど・・・も。わたしがいいたいのは、どれだけ、身近に感じていた人の死を見送り、慈しみの思いをもってきたか、そんなつらい時間に比例して、老いることの深さを測れるようなそんな、「スピリチュアル的」な老いのことだ。
Jul 23, 2004
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昨日来た、メール。ダーリンから来たメールに涙してしまった。わたしなら、返しようのないレベルのメール。それに対する彼からの返事。いつも、、、こちらが、想っているか、それとも、それ以上にわたしのことを気遣って返事をしてくれる。わたしたちの小さな夢が、どうか叶いますように・・・と願わずにはいられない。最近よく目にする嫌なニュースは、敢えて、自身のこころの重荷にはしないで、これからの「反面教師」としてみることにしよう。心ある者が、どうか見捨てられませんように。。。とやはり、最後は、祈!!!
Jul 22, 2004
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日本も今年は酷暑ですね。去年の8月末に初めてエジプトの夏を体験したときには、ただ日々を生きているのがやっとでした。。。訪エジ後間もなかったので用事もなにかとあったのですが、昼間外出したものなら、首の後ろが暑くて頭が、もうろうとして(危ない!)・・・よく生き抜いた!といいたいくらいです。(大げさじゃないです、ほんと)もともとエジの子供たちは(幼児も含む)夜中の1時2時まできゃーきゃーとにぎやかに遊んでいるのですが、このときばかりは、昼間寝て、夜に動くのは理に適っているとおもいますた。そして去年、11月ごろまで暑くて(残念ながら気温を把握できてませんでしたが、参考までに、今年の4月ごろにはカイロの気温は摂氏44度を記録しました)、以来、体温を計ると平熱が37度になってしまったのをよく覚えています。そしてその後、エジプトの微妙な冬を体験したせいか、今では平熱もすっかり標準並みにもどりましたが。。。せっかく、エジ夏の猛暑から逃れるべくして帰国したと思えば、待っていたのは、日本の酷暑。ったまりましぇーーーーーーん!!!
Jul 20, 2004
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今年の4月、中エジプトにあるベニハッサン遺跡を訪れました。ベニハッサンは、中王国時代の岩窟墓が多数あることで有名なところです。日本人のクラスメートとダーリンとわたしの3人で訪れました。ふたりからガイドの大役を仰せつかったわたし。ベニハッサンへは通算、3,4回は来たことがあるので準備なしでもどうにか通訳ガイドをこなすことができました(ダーリンもわかるようにと英語で)。戸口が石灰岩質の岩に穿たれ、隣接して造られた墓を順々に移動し、ときどきは、碑文を読んでみたり(入り口に墓主の名前がローマ字で書いてあるので楽勝なんですよ!)、そして、ベニハッサンといえば有名なレスリングの壁画を紹介しながら、他の日常生活を描いた場面を説明するなどして、「それらしく」ガイドしました。見学の途中、現地の学生らしき女の子が、修復のためとみられる白色顔料を刷毛でぺたぺた塗っているのをみたり(=わたしのへなちょこガイドも聞かれてしまった!?)、足場を組んでなにやら作業しているひとたちを横目にしていました。すると、墓の番人であるガラベーヤ姿の男性はずっとわたしたちの後をついてきて、わたしの通訳を聞いているではありませんか。なんとな~く、わたしの説明の内容をチェックされているように思えて、こちらも時折、墓守の顔色をうかがったりもしてました。。。ここで、ダーリンは、間近に古代の遺産を見たせいか、すごく興味をもったみたいで、興奮気味に、あれやこれやと質問してきます。わたしはわたしで、勘違いしたりもして、またまた変なこたえをしてしまったりとか・・・(わたしのガイドに文句あっか?みたいな?!笑)。また、ここで余計なことを言うと、多くのエジプト人って、古代にはものすんごい誇りを持っていて、エジプトを自慢する際の常套句にも必ずといっていいほど「古代エジプト」をもち出してきますが、でも、実際には、その歴史というか自分たちの国の遺産についてちゃんと知っている人は少ないのが現実のようです。お互いファーストインプレッションはいろいろあったでしょうが、ダーリンは、わたしのことを一見さんの観光客と違ってエジプトのことを勉強しているから(わたしに決めた?!)という確信をどうやらしているようです。もちろん、、、わたしはわたしで、、、ありますよん。あ、で、そうそう、その墓守、我々が墓をすべてみおえて去ろうとしたときに、なにやら合図をしたらしく。。。ダーリンは、その墓守にいくばくかのお金を手渡していました。ガイドしたのはわたしなのよーーーーーーーーーーーーーー!!!疲れたのもわたしなのよーーーーーーーーーー!!とおもいはしたものの、墓守のおこずかい稼ぎをうばってしまったようなので、わたしが払うなんて言語道断ですが、ダーリンが気遣って支払ってくれてめでたし・・・めでたし・・・・
Jul 19, 2004
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わたしは、どちらかというとタクの運ちゃんには、割と、よく話しかけられるほうでした。でも、それは、おおきく分けると2つのケースになりそうです。ひとつは、現地在住の日本人、というよりは観光客的なおのぼりさんというみなされ方。なんだかんだ、うるさいほどに喋りかけてくるタクシーの運ちゃんは、もう、内心、この日本人からぼってやろうという気持ちでいっぱいのようです。当然タクシーを降りるときにはてこずりますた。そしてもうひとつのケースは、わたしが車に乗るなり、「中国人か?」と聞いてくるタクの運ちゃん。そういう場合は、こちらも、あちらの勘違い(?)に任せて、中国人を装います。(そうすれば悪くても、適正価格で済むと踏んでいたからです)あるときなどは、運ちゃんが中国の歌(国歌?!)を歌いだし、わたしはそんなうた知らないよ!と困りながらも合いの手を打つなどして時間をすごしたことも・・・そしてまた、ある運ちゃんは、最近はエジプトでも、英語よりも中国語の時代だねーーー、と言ってみたり。なにやら中国経済が一押しという主張でした。そういえば、ナセルシティという空港近辺の町の住宅にも、中国人の物売りセールスが1軒1軒まわるなどして、地道なビジネスもやってたっけ。そして、エジプト人にはメイドインチャイナはとっても不評を買うのですが(日本でみる中国製よりたしかにぐっと品が悪いのです)、スークなどにある露天では中国製の安い品が店をにぎわせています。そうそう、で、そのタクの運ちゃん、わたしを中国人と思い込んでくれた場合には、いつも、お互い気分よく分かれることができたのも、これまた納得いかないけれど、、、。。。なあんて、いうわたしですが。。。。実は、タクシー代を多く払っている現地の人ほどはタク代かけないように努めていました。日本人などの外国人を連れてタクシーに乗ったら、地元の人は、タクの運ちゃんからせびられるのは必至でした。知り合いのガイドさんは、おそらく自分ひとりの場合は、タクシーにのらないでしょうが、ザマリクへの料金をわたしが支払っている値段の倍近くの値段がかかると教えてくれました。はたまたダーリンも、私以上にしっかり支払っているのを目撃しました。意外と、、、セコイのはわたしみたいな留学生だったりして・・・なあんて見方もできますです。
Jul 14, 2004
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去年のいつだったっけ?エッセン教授と1年ぶりの再会をしたのは。。。あ、教授の誕生日後で、勤務先の大学の夏休みが始まってからだったから6月半ばのことだったかな。エッセン教授がまだ日本とプロジェクトをやってるからということで去年の来日が実現した。短期間しか日本にいられなくて忙しかったのに、わたしと会う時間を割いてくださった。烏龍さんからも、聞いて話題にもなっていた。エッセン教授の時間の正確さ。さすが、ドイツ人!どこで待ち合わせしても時間通りにやってくると、烏龍さんとふたりで不思議がっていた。わたしったらつい保険をかけて、本屋での待ち合わせとか、銀行のATMとか屋内での待ち合わせをしたがるのだけれど、時間に正確なら場所や天候は問わないのかしら???!去年はふたりでランチとカフェに行くことになっていた。待ち合わせは川の上の橋のたもとで11時半だったかな。わたしは、5分くらい遅れてついてしまった。したらエッセン教授の姿がない!!!慌てていたら、エッセン教授、自転車で現れた。そして時間にわたしの姿が見えなかったから・・・とちょっとご機嫌ななめ(ってほどでもないけど)でした。一学生のわたしとの極秘密会(!!!)がばれたらやばかった?(笑)なあんて、ばかなことは言わないで、今回も短期間でいらっしゃる教授と本当に時間がとれたら、今回こそは時間通りに行くことにします。(つーか、あたりまえだろうが!ですが)でも、どうやったら時間ぴったりに到着するように計れるのでしょう?・・・・・日曜の午後、長いです(おいおい、つーか、いいことじゃん)。どうやらルビーの新曲が出た模様。早速リンク先に揚げているサイト、メロディーヒッツでみてみました。おお!いやらしさアップです。個人的には好きじゃないのですが、気になる。。。(ちなみに、訳は、あの女、気に入らないわ!っていう非常にこわい!!!理由と、もひとつ、セクシーにしようとしても背伸びしてるってのがときどき見えてしまうから、と、一昔前の日本にもああいう、厚化粧のおばはんで、あんなんいたなーって思うからです←平謝りしとこう。)といって現地の声(ダーリンの意見)を聞こうとメールしたら、無視かよ、おい!でした。絶対クラクラきてんじゃないかと、わたしってば、気が気ではありません(笑)。ただ、ルビー嫌いを自認するわたしですら、彼女の歌の文句というか台詞のなかの、ラ!(NO)という語感がとってもキュートで。。。やられた、という感じです。(なにに???)ただ、問題は、メロディーサイトの映像が小さいこと。大きくするとぼやけてちといただけない。まあ、それ以前に環境ってだいじですよねーーー。日本で、、、しかもPCからの小画面でみていても、覗き見してるだけって感じでたのしくありませんし。音楽って聞く場所やそのときの環境ってとっても大事だったりすると思う派だったりしますです。エジプトでラジオで流れていて、よく聞いていた洋楽も、そのときの気持ちを思い出したり、懐かしくなるから、好きという意味合いがどうやら強いみたいです。音楽は生活の一側面としてわたしの場合、あるみたいで、ときには単なるBGMともなるけれど、そのときの気持ちを思い出させられたり、後々、印象付けられたりするものなんだと思います。ここ最近、といっても去年からのエジプト滞在中、エンリケイグレシアス(超ばか高いコンサート入場料だった!)や、ショーンポール、そして最近のブルーなどがエジプトでコンサートをしているようです。いい感じ♪どうしてリッキーは来ないのでしょう。。。しつこくリッキーが好きなわたしとしてはさびしいです。わたしの中のすきな音楽・ビデオクリップの位置づけとしてはリキマは原点といってもいいくらいなのですが。エンリケがエジに来たとき、ダーリンに、もうリッキーは終わって次はエンリケ、って流行ってこんなもの的に言われたときには超反抗してたわたしです(←やっぱしばか)。そして。。。ダーリンを何度かリキマに仕立てようとしては、ばれて、未遂におわっとりやす。でも一度などは、わたしがシンガポールで買って持っていった、シャツを着ているダーリンをみたダーリン友がリキマみたい!と言ったというのを聞き、目的を少しは果たせたと満足だすた。
Jul 11, 2004
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昨日、中国からの留学生烏龍さんとちょうど、エッセン教授(仮名:ドイツ人エリート教授)の噂話をしていたところでした。というより、韓国を経てどうやら現在中国に潜伏中(っておいおい)だと聞いたところでした。エッセン教授はもちろんTVなどは見ないし、音楽も中国で購入されたというクラッシクのCDを聞かれるそうで、わたしなどのようにエジとはいえ、ポップスなど聴いたりしない。ちょっと崇高な高値の花(?!)的存在。そんなエッセン教授と、カフェでケーキをご一緒しながら、以前、研究室のカップル今後予想などをしたことがあった。こりゃあすごいよ。だってそんな下世話な話題に乗ってくださるとはおもわなかったもの。。。わたしが病院に通っているといったときには時間があったら行きたい(お見舞い)とも言ってくださったこともあったっけ。。。エジプトにいるときにもメールで、ドイツやアメリカにいる先生と交流を保っていました。ただ、結婚したことはまだ言わないで、会ってからということになっています(烏龍さんとの密約)。そのエッセン教授、やはり近々来日されるとメールがありました。昨日噂をしていたところで、すごいタイミングのよさです。きっとまた、いつものカフェで、烏龍さんと3人、よーろぴあんな???楽しいひとときがすごせるのでしょう。たのしみです。
Jul 10, 2004
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エジ留学中、何度も大学のクリニックにお世話になっていたわたし。はじめて、会うドクターは女医さんで、頭にはヘジャーブをつけていた(と思う。簡易なほうだったかも)。なんの症状だったかおぼえてもいないけれど、どうやらあちらさんのわたしへの心象が悪かったらしく、2度目にクリニックを尋ねると、「あんたは悪くなったときしかこやしないねー」と嫌味?を言われた。けれども、辺りを見渡しても世間話にその診療所にきていそうな学生は見当たらなかった。その言葉で、あんたは魔法使いのばばあか!とこちらも内心思っていたけれど、ひるまずに笑顔で応対した。そして、あれや、これやで、その後も診療室に顔を出すうちに、ドクターの態度はだんだん軟化してきた。もちろん、こちらはいつも笑顔+謙虚な態度で挑んではいたけれど。またまたあるときなどは、わたしの顔はよく覚えているけれど、IDはなんだったか覚えてないわ、とやや低姿勢でくることがあった。やったーーー!最初のマイナス(?)イメージを払拭したぞぉ!!とやや大げさだけど勝ち誇った気分になった。エジ女のプライドに打ち勝った気分とでもいうのでしょうか。そして今度は路上での戦いーに挑んだ。(おいおい)エジ女はどんなにでっかくて、体格がよくて恐れるものはなんにも、なそうにみえるひとであっても(注;カイロでは歩道ではなく車道を歩くことが多々あります。危ないのでよい子はまねしないようにね。)、、、彼女らは、車道をあるいているとき、車が近づいてくると、車をよけて歩道側を歩こうとします。そして対抗側にいる者には、がんとして、「安全」側の歩道側のスペースを絶対ゆずりません。あまりに、頑なすぎるその態度に呆れながらも、何度か、チャレンジをしてみました。そう、歩道側とり競争。あまりに体格がいいエジ女にはこっぴどく惨敗するばかりでしたが、それでも、一、二度は相手に道を譲らせることができました!!!(なんて小さな勝利でしょう)カイロ暮らしでは、きっと誰もが、こんなばかなことを思いつくものなのでしょう(?)。あ、そうそう、この日記で書いていることは注記がない限り大抵、カイロでのことです。
Jul 4, 2004
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そう、わたしが初めてエジプトに出かけてのはかれこれ10年以上も前のこと。そのころ、ちょこっとだけアラビア語も習ってました。地元の人たちと、コミュニュケーションをとれるようにと、思って。初めてのエジプト旅行は、友達と2人で1ヶ月間かけて、エジプトの主要な観光地をまわるというものでした。当時市内ならタクシーは1ポンドでまわれました。(ちなみにいまは、3ポンドから)その頃の、男女関係はというと、まだまだ今みたいな自由な恋愛は難しかったようで、婚約後のデートにも兄弟の見張り役などが同伴しているようなものだったようです。(ひょっとして今もあったりするのでしょうか)そして、なかでも、ひときわ目を引いたのが、見るからにおじさん風の男性(あちらの方は日本人と比べるとかなりふけて見えることが多いです)とものすご~く若い女の子というカップル(時々傍らに赤ちゃんつきってこともありました)でした。(ちなみに今は若者同士のカップルが町を楽しげに闊歩する姿がみられます)今でもそうですが、男性は結婚資金がないとお嫁さんをもらうことが殆どの場合不可能です。だから湾岸などの海外諸国に出稼ぎに行っている間に、意中の女の子はすでに誰かの奥さんという泣ける話も多々あったようです。さらに、近年、そういう資金繰りのプレッシャーが大きいのか、結婚したがらない男性も増えていると耳にしました。そして女性が余っているのだとも・・・そこで、無料の情報誌などでは、結婚したがっている女性を紹介しますというような広告もあるそうで、エジプトにも結婚ビジネスがあるのだとか。そして、初エジプトから十数年たっても、私のアラビア語能力というのは一向に向上していないのです。理由は、アラビア語勉強に積極的になれないのです。だって、アラビア語をやるには、目的意識がなさすぎ、だから。っていうか、いいの、諦めてるの!夫と喋っていてなにかの拍子に、彼が日本語を喋ったら変だろうというのを、示すのに、わたしが喋るアラビア語みたいだろうね・・・といわれたときはやっぱショックでした。現地の人たちは彼らにとって外国人であるわたしが、変なアラビア語喋っているなーとおもっていたのでしょうね。わたし自身も外国人が話す「奇妙な」日本語すきですが。。。でも、でも、でも。そんなこと、今まで、誰にも、言われたことがないーーーーーーーーーー!!!って。みんな、分かってくれてるんだろうっておもっていたのに(涙)でも、わたしのアラビア語は、絶対彼の日本語よりはましだと信じてます。(負けず嫌い)(五十歩百歩)
Jul 1, 2004
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