松木幸夫 ギタリスト的思考

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choco.yukio @ Re:曲の性格(11/27) remain-iihamaさん。 素晴らしいコメント…
remain-iihama@ 曲の性格  いつも楽しく読ませていただき  示唆…
choco.yukio @ Re:音楽(とギター)の見え方(10/30) remain-iihamaさん。 > ただ、最近の課…
remain-iihama@ 音楽(とギター)の見え方  私も全く同感です。  自身もかつては…
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choco.yukio @ Re[1]:息が合わないと云うこと(09/15) あやさん。 コメントありがとうございま…

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Dec 21, 2009
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カテゴリ: 音楽
 それは、こんにちはと挨拶をして練習をして帰ってくればそれで結構と云うことではない、と云うことは誰でも知っていることである。

 勿論それは、他にすることがないと云う状況になって初めて実現できる幸せな作業であって、だいたいは演奏する曲を決めること、どの楽譜を使うかと云うこと、調性を決めること、演奏する曲の順番を決めることが、合わせの際の重要な作業になる。

 いや、それ以上に合わせる曲に対するイメージを一緒に演奏する人と共有できるようにすることが、大切なのである。

 何故なら、例えば僕が地の底を見て、相方が天を仰いでいては、ひとつのまとまった曲として演奏することなど叶わないからである。

 そうして合わせている最中、相方が「手の動きがすごいね」と云った。僕が弾いていたのはシューベルトのアヴェマリアである。静かに重音で上り下がりするアルペッジョに乗って美しいメロディが流れる名曲であるが、重音で揺れ動くアルペッジョをギターで演奏するのはなかなか困難であり、僕の左手は指板の上を常に右往左往することになるのである。

 それは、その動きを見る限り、超絶技巧的に見えるかもしれない。だが、その音楽は超絶技巧とは縁も所縁もない静かな曲である。

 そのような性格の曲と、それを演奏するために必要な左手の動きは、全く異質なものであるどころか、その動き次第では演奏自体を壊すのではないだろうか、と僕は思い始めたのである。

 さてどうしようか。

 例えば思いっきり早く手を動かして、動き自体を感じられないようにするか、手の辺りにモザイクや、黒い目隠し状のもので覆って見えないようにするか、その辺が思案のしどころである。





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Last updated  Dec 21, 2009 09:04:12 PM


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