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昭和20年5月、海軍航空廠の計器部で働いていた当時20歳の叔母は、連日続く米軍の激しい銃砲激、艦砲射撃で小録にあった司令壕を出て、各所に散在する壕を転々と逃げ回っていた。そして、最後に、追い詰められた壕内で、手榴弾を用いて自決する事となった。凄惨な地獄絵巻が展開された。負傷した兵隊や、民間人が次々と手榴弾の爆発によって死んだ。壕内は肉片や骨片が飛散し、岩肌全体は血のりで赤黒く汚れた。叔母もうつ伏せになり、胸の下で手榴弾の栓を抜いた。だが、それは不発に終わった。その壕で生き残ったのは十数人中、叔母一人だけであった。二週間ほど前、その叔母から電話が来た。胸が痛んで苦しい、という。私は急いで彼女のアパートに駆けつけ、那覇市立病院へ運んだ。病状から心筋梗塞の恐れがあり、即入院となった。検査の結果、叔母は「蛸壺心筋梗塞」という聞いた事のない心臓病であった。医師の説明によると、普通の心筋梗塞とは違い、冠動脈への血流は正常だが、心臓の半分だけが動き、残りが動かない珍しい病気で、半分が収縮した際の形が蛸壺に似ているので、そういう病名が付いた、という。叔母の心臓の動きをモニターで見せてもらった。その半分が収縮した時の形状は確かに蛸壺に似ている。だが、私にはそれが手榴弾のように見えた。64年経った今、叔母は再び手榴弾の不発によって命が助かったのだ、叔母が退院する日、私はそう思った。
2010年01月27日
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いつの間にか正月も12日となりました。時の流は、過ぎてしまうと早いものですね。過去へ移動する瞬間の連続が時の流れならば、無駄に時を過ごす事が勿体ないように感じられる昨今でございます。 この一瞬、一瞬を大切に有意義に使い、人生哲学を学習していく事、その重大性を痛切に感じます。それもこれも年のせいでしょうか? いや、私はそうは思いたくない。それは、それだけ進化した事を意味するものであり、学習を続けてきた熟年と老年が不老不死の域に達した事を意味するものだと思います。 不老不死・・・、そんな事あり得ないとお思いでしょうか? そう思うということ自体は、人間思考の歪みが生み出した誤った固定観念の奴隷になっているという事を意味します。 人間は絶対に不老不死が可能であり、それは心の持ち方一つにかかっている。その証拠に、植物人間は年を取らないのだ。それは人は年を取ると老化して死んでしまう、という固定観念に支配されていないからです。 純粋無垢の心で大空を仰ぎ、宇宙の奇蹟と無限の厳正さ、完璧さに絶えず感動して喜ぶ事が不老不死の秘訣であります。 では、皆さん、今年もファイト一発、さらにもう一発、一億%頑張っていきましょう!
2010年01月12日
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