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ずーっと昔の話ですが、ある猟師が大きな熊を山奥の川辺で発見した。すかさず彼は狙いを定め、猟銃でズドン、手ごたえは十分であった。ところがその熊は、大岩を抱えて立ったままであった。そこでさらに連射した。しかし、それでも動かない。血に染まりながら、岩を抱えて身動きしない熊に彼は首をかしげながら、恐る恐る近寄ってみた。 すると、何とその熊の足元に2頭の小熊がいた。岩を放せば小熊はぺちゃんこ、母熊は息絶えてもなお、岩を懸命に抱え続けたのであります。茫然と立ちすくむ猟師、それ以来、彼は猟銃を持つことはなかった。 野生の動物達は懸命にわが子を守る。時には敵の餌食となって子供を守る親もいる。しかし、最近の人間の親には悪魔の化身が大勢いるように思えてならない。親が子供を殺す事件が相次いでいるが、それは明るみに出たから知られたようなもので、氷山の一角かもしれません。闇の地獄では、子供虐待が日常茶飯事、人格を破壊された子供達が次々と製造されているのであります。 40年ほど前、アメリカで高層ビルの屋上で、逃げ回る5人の子供を母親が追いかけ、捕まえて次々と下へ投げて殺した。それと全く同じような事件がつい最近、日本でもあった。母親も後を追って飛び降りて死んでいる。全く悲惨ですね・・・。 外国での事件ですが、ある母親は生命保険金ほしさに4,5歳の自分の子供の胸を包丁で刺した。刺された子供は泣きながら、それでも「ママ、ママ・・・」と叫びながら包丁を持つ母親の足元へ這いずっていった。そしてとどめの一刺し・・・。 しかし、世界にはさらに恐ろしい闇の地獄がある。幼児売買である。東洋のカスバ、魔窟暗黒街といえば香港の表玄関、九龍城砦・・・。そこには悪魔のネットワークの中心があり、世界各地に拠点を持っている。最大の組織は三合会、約50団体からなり、8万人余りで構成されており、アジア最大最強のマフィアであります。 ある貧しい国には赤ちゃん農場があり、妊婦が集められて出産する。そして子供はその場で買い上げられて輸出されていく。男の子は奴隷、女の子は売春、そして役に立たない子供は臓器摘出用となる。一人平均5千ドル、その利益の一部を社会福祉事業費に当てる国もあるというから驚きであります。 ちなみに、最も高く売れる子供は金髪の青い目で2万ドル、日本人が現地妻に産ませた子供は1万ドル(110万円)といわれている。ある国では生体腎臓が3万ルピ(24万円)、角膜が8万ルピ(64万円)で、年間、2000件以上が売買されている。 「人間の身体っていうのは全く無駄がないですな。心臓、腎臓、肝臓などの臓器だけではなく、毛髪や皮膚、血液など、高く売れますわ・・・」 これは香港マフィアの幼児仲買人が日本人記者に漏らした言葉であります。組員達には優秀な頭脳が大勢おり、医者、弁護士、政治家、科学者などが協力し合って、魔窟暗黒街を強固な鉄壁の守りにしているのであります。その医療スタッフに勧誘され、拒否して暗殺された医者は少なくないという。豪州のビクター・チャン博士もその一人です。 以上、人間の悪魔の部分がいかに根深く、いかに救いがたき所に来ているかを見ましたが、果たして人類の未来はどうなっていくのか・・・? 余りにも絶望的ですが、最後まで望みを捨ててはならないと思います。 一生補処の菩薩、弥勒菩薩はいま兜卒天(とうそつてん)で修行中であります。57億6千万年後、この地上に生まれ、竜華樹の下で悟りを得て仏となる。その時に人類はみな救われる、ということですが、それを悠長に待っていてはおしまいであります。 救いは、あなたの愛と正義と勇気、そして思いやりから始まるのです。煩悩を捨て、滅私有念有想、心の完成を目指しながら、悪と戦っていきましょう!
2008年01月31日
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昭和20年4月時点において、沖縄守備軍第32軍の編成は以下の通りであった。 第32軍司令部 司令官・牛島満中将 参謀長・長勇中将 高級参謀・八原博通大佐 独立混成第44旅団→旅団長・鈴木繁二少将 第5砲兵司令部 →司令官・和田孝助中将 海軍陸戦隊 →太田実海軍少将 その他 (以上は第32軍司令部直轄軍) 第24師団 →師団長・雨宮撰中将 第62師団 →師団長・藤岡武雄中将 第28師団 → 師団長・納見敏郎中将(宮古、八重山に配備) 陸軍=87,640人、海軍=約10,000人、防衛隊=約20,000人、総計約116,400人が日本軍側の 兵員数であった。それに対して米軍側は、当時の沖縄人口を越える548,000人を送り込んだ のであります。 戦闘の結果は、日本軍側の戦死者は94,136人、米軍は12,520人となった。ここでいう日本軍側の戦死者というのは一般住民の非戦闘員は含まれておりません。それは約150,000人となり、沖縄戦における総戦死者は244,136人となっております。 しかし、沖縄戦においてはこの正規軍の他に、大本営直属の遊撃隊が密かに送られていたのであります。彼らは第32軍とは目的が根底から違っていた。「沖縄は本土決戦の捨石」という観点からすれば、正規軍が壊滅した後の敵に関する情報収集は重要となる。 その情報収集と、正規軍敗退後のゲリラ戦、敵後方撹乱のために彼らは送られたのであります。したがって、玉砕戦法は許されず、したたかに生き残って敵を混乱に陥れ、貴重な情報を大本営へ送るのが彼らの任務であった。 大本営による遊撃隊は第4遊撃隊まで作られている。第1遊撃隊は昭和17年ニューギニアで、第2遊撃隊はフイリッピンで編成されております。小野田少尉が所属していたのがこの第2遊撃隊であります。 第3と第4遊撃隊は沖縄戦のために編成された、ということになります。彼らは陸軍中野学校卒業のエキスパート揃いで、兵員構成は在郷軍人や、鉄血勤皇隊でありました。第3遊撃隊は村上治夫大尉を隊長として、約500名からなり、名護、羽地方面の米軍を混乱させた。 第4遊撃隊は岩波壽大尉が隊長で393人、恩納、金武、宜野座方面へのゲリラ戦を展開させた。彼らは機関銃や小銃、擲弾筒(てきだんとう)の他に爆薬を携帯し、道路や橋など、敵の重要地点を爆破したりもした。 このような残地諜報部隊は、その任務を隠すために「護郷隊」と呼ばれていた。この忍者顔負けの神出鬼没の攻撃に、米軍は神経を苛立たせ、避難収容所の一般住民はさらに不安感を募らせる毎日となった。 この二つの遊撃隊が完全に消滅したのは、戦争終結からかなり経ってからで、第4遊撃隊が10月2日、第3遊撃隊が翌年の昭和21年1月3日であった。 当時4歳だった私は母に手を引かれジャングルの中を歩いていた。母が「戦争が終わった・・・」とつぶやいた時、わけの分からない熱いものが、全身を強くかけめぐったのを、今でもはっきりと憶えている。 ところで、戦争が終わって、子供たち同士、山で椎の実を拾っていたとき、突然、恐い顔の兵隊が現れた。全身血まみれで、腕の傷口が大きくめくれていた。 「ばか者ども、静かにしろ! 敵に気付かれたらどうするか!」 彼はそう怒鳴った後、再びジャングルの奥深くへ消えていった。今、考えると彼はこの遊撃隊の一人であったと思われます。
2008年01月31日
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1941年12月8日、日本は真珠湾を奇襲攻撃した。その時、デスクを叩いて喜んだのがルーズベルト大統領であった。それまで、日本を叩き潰したくてうずうずしていたのでが、攻撃する口実、きっかけがなかったのであります。 さっそく議会において、日本に宣戦布告をするか否かの決議が行われた。当然、全員賛成・・・、と思ったのですが、たった一人、反対者がおりました。その方はジャネット・ランキンという女性議員であった。 彼女は1916年、初の女性国会議員としてモンタナ州の下院議員に当選しております。60年ほど前、92歳でなくなられましたが、生涯を通して反戦、平和運動に全身全霊を打ち込んだ偉大な女性であります。 「戦争は悪であり、それによって何ものも解決されない」 「戦争は常に、それが解決するよりも多くの紛争を作り出す」 毒は毒をもって制し、目には目を、歯には歯を、殴らば殴り返し、ションベンをかける者にはクソを塗りつけよ、・・・というのが戦争の原因であります。つまり、醜い心、残虐な心、怒りの心、などの悪心がある故に殺し合いがあり、テロがあり、戦争が起こる、というわけであります。 聖書には「汝の敵を愛せよ」とあります。これは現段階の人間にはとても出来ないことであります。憎悪と軽蔑の目をむき出しにして、己を叩きのめし、心臓をえぐり出して拷問死させる敵に対し、清らかな愛の目を向けることは、天地がひっくり返っても出来ないことであります。 しかし、イエスはそれをやった。手足を釘付けにされ、十字架に貼り付けにされた彼は、息絶えるまで残虐な敵に哀れみの心を注がれた。 人類は今、大きな壁にぶっつかっている。この世で最大の犯罪「戦争」「テロ」をいかにしてこの地上からなくすか、という難問である。それは、人間完成、正しい心の使い方、愛と思いやりと正義、互い助け合い、にかかっていると思います。
2008年01月30日
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BC5世紀からBC4世紀ごろ、ガンジス川の南にマガダ国がありました。首都はラージャガハと呼ばれ、周囲を山々に囲まれた風光明媚なところであった。その近くにナーランダという都があり、その近郊にマハーサッダという村がありました。 その村に大金持ちのバラモン家がありまして、そこに珠のような男の子が生まれたのであります。名前はピッパリ、彼は大事に育てられ心身ともに健やかにご成長遊ばされた。そしてバラモンの教理を極め、飲み、打つ、買う、などの世俗の快楽に拒絶反応を起こしまして、出家することを本気で考えるようになった。 吃驚したのがご両親であります。出家するということは永遠の童貞を意味する。ということはお世継ぎが止まり、家は断絶、ご先祖様からの遺伝子が途絶えることになる。それは絶対に許されないことであった。ご両親は入れ替わり立ち替わりピッパリを説得した。 「一刻も早く嫁をもらい、童貞を失え。ご先祖様から受け継いだせっかくの名刀を、錆びさせてはならない」 それをピッパリはキッパリと断り続けたのであります。しかし、両親や親族、身内らの執拗な説得に閉口し、一計を案じた。・・・その一計とは、お隣の名工匠・パパラッチに頼んで黄金に輝く美人像をつくらせ、これに似た女性なら結婚し、童貞を失ってもかまわない、という条件を出したのであります。 ・・・なお、パパラッチという名は大いに信用性にかけますので卒論などの資料にはしないで下さい。 ピッパリはこれで安心と思った。・・・ところが、何と、その美人黄金像にそっくりの女性がお隣の国、マッダのカラビカ村におったのであります。その名はバッター・カピラーニー、であった。 彼女も同じく良家のお嬢様で、狂信的なバラモン教であった。そして、彼女も同じく出家を望み、男女の交わりを忌み嫌い、永遠の処女を守り通そうとしていたのであります。 その事で二人は意気投合し、縁談はなんの障害もなく進んで目出度く整い、結納の儀式となって結婚式となったのであります。 ところがこの男と女、仲睦まじき夫婦だったのですが、清い身体のままであった。つまり変なことすることは神なるもの、真理なるものに逆らい、己の魂を汚すものである、と思い込んでいたのであります。 そして、ご両親が亡くなられますと、二人は出家することになった。二人は途中まで同じ道を並んで歩いた。そして、分かれ道に差し掛かったとき、永遠の処女は右へ、永遠の童貞は左へと別れていったのであります。二人一緒では修行の妨げになる、と考えたからです。 ピッパリはナーランダからラージャガハに向かう途中で、ニグローダ樹の下に座っていた釈尊との出会いを果たします。それから釈尊の一番弟子となり、名を「マハーカッサパ」と改めたのでございます。 彼の仏教徒しての働き、功績は次回、気の向いたときに書かせていただきます。 ・・・いずれにせよ、このお二人、変な男と女でございます。いろいろと思うのですが、真理とは何かという事、それは人間をここまで進化させてきた天地大自然の働き、奇跡を無視しては決してみることは出来ない、と思います。 夫婦の営み、それは聖なる行いであり、人類の存続に現段階では不可欠であり、それなくしては、人類は100年前後でこの世から消滅する事になります。つまり、それは聖行であり、性交であったはならない、ということです。 変な話になりましたが、変な誤解はしないで、聖なる解釈をお願い致します。
2008年01月29日
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古代インドの宇宙観によりますと、この世は虚空が無限に、混沌と広がっておるだけでありまして、その中に風輪という巨大な円盤が浮かんでおるそうであります。 その風輪の上に水輪がありまして、その上にさらに金輪が乗っておるのであります。その一角に我々生き物が住んでいる、というわけです。直径は水輪と同じで ”1阿僧祇由旬” だそうです。 一阿僧祇とは10の64乗で、由旬(ゆじゅん)は牛の鳴声が届く距離ということですので、10キロとします。したがって”1阿僧祇由旬”は10×10の64乗キロとなります。これは、今の宇宙の広さよりも大きい、ということになりますね(宇宙の円周は942億光年キロ)。高さは1600万キロとなっております。円周と比較いたしますと、金輪は超薄い、ということですね。この水輪と金輪の間に金輪際という境目があります。 この金輪の上に九つの山と、八つの海があって、その海に四つの島が浮かんでおります。我々の世界は、南にある贍部州(せんぶしゅう)という島でありまして、三角形に近い台形であります。上辺が1万4千キロ、下辺が24・5万キロ、2本の斜辺がそれぞれ1万4千キロとなっている。 ・・・地球と大体同じ大きさですね? この贍部州の下に八熱地獄がおっそろしい層となって続いております。この八熱地獄については日を改めでご紹介いたします。 そして原始仏教は、この古代インドの宇宙観に改良を加えております。それによりますと、我々の世界は須弥山という超高山を中心にして構成され、太陽と月がその周りを回っている。・・・つまり天動説であります。高さは132万キロで、太陽系ほどの広がりを持つ3枚の円盤状に乗っております。 これが千個集まったものを「小千世界」といい、さらにそれらが千個集まったものを「中千世界」、さらにさらにそれが千個集まったのが「三千大世界」となります。 これが「一仏国土」と呼ばれ、一人の仏が治めているのであります。この“一仏国土“ ・・・この世にどれぐらいあると思いますか? ・・・なんと、それがガンジス川の砂の数ほどあるのであります。 仏教の教えというのは難しいですね? もっと簡単に小学生でも読めるようなものであれば、世界は救われ、戦争や爆弾テロ、拉致、誘拐などはなかったかもしれません。しかし、ほんとは簡単なのです。ただ、偉い人たちが難しさの中に人間の優秀性を誇示したいがために、難解な文節と漢字を用いただけなのであります。 この世の一切は空であり、十二因縁によって一切は輪廻転生を繰り返していく・・・、分かりやすく言えば、この世は幻想の世界であって、実体はなく、夢と同じ世界である。それは我々の過去に蓄積された記憶が、ハードデスクによって再生され、編集されているだけのことである、ということであります。 これは、全く馬鹿馬鹿しい話であります。2600年前から子供だましのフィックションがまかり通ってきたということ、無明を浸透させる悪質な少数派が存在することを、我々はしっかりと見抜かねばなりません。 これが古代インドの宇宙です
2008年01月28日
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昔、宗教界では天動説が絶対的な真理であった。地球を中心に天体が動き、全てが天幕に張り付いている、と信じていたのであります。つまり、何が真実か、というよりも、自分が信じているものがたとへ間違いであっても、いかにして真実らしく見えるようにするか、が重要課題であったわけであります。そこから「黒は黒でないから黒である」というようなわけの分からない哲学が生まれたりするのであります。 最初に地動説を唱えたのはコペルニクス(1473~1543)であります。しかし、彼はキリスト狂の、いや、間違い、キリスト教の熱心な信仰者であったために、70歳で死ぬ寸前までこの説を発表しなかったのであります。 しかし、100年後、ガリレオが出てまいりましてその説を支持、地動説を高唱した。怒ったのがキリスト教会であった。しかも望遠鏡で太陽を観測し、太陽に黒点があることを発見して発表したため、神を冒涜した、という理由で逮捕し、宗教裁判にかけたのであります。 そして、地動説の撤回を求められ、彼はそれを認めた。偉大な物理学者といえども、老齢と眼病には勝てなかったのであります。そして、被告席から下りるとき彼はつぶやいた。「Yet it does move.」 彼は有罪となり、死ぬまで軟禁されたのであります。己の絶対性のみを頑固に主張するということ、これは危険すぎますね? やはり我々はいつでも謙虚に、何が真実で何がにせものか、を見極め、清く正しく美しく、愛と思いやりを持って進化していくべきだと思います。天台宗の僧、円通(1758~1834)による須弥山義(天動説を絶対的なものにするためにつくられたもの)
2008年01月27日
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ピカソに言わせますと 「芸術はデタラメと偶然によって生まれる」 ということらしい。彼は 「優れた芸術家は模倣するが、偉大な芸術家は盗む」 とも言っておられる。しかし、自然という偉大な芸術家には当てはまらないですね? 模倣するものも、盗むものも何もないところから、デタラメと偶然を生み出した自然、宇宙、・・・それは無限性の優れた究極の芸術家、という表現が妥当かと思います。 「芸術に進歩はない。単に変貌するだけだ。絵画とは私にとって破壊の集積である」 とも彼は言われた。・・・なるほど、宇宙はエネルギーが、ただ物質に変貌しただけですね? しかし、その結果が変化自在の進歩そのものではないでしょうか? 宇宙は、気の遠くなるような長い破壊の集積によって、知性体という超高度な作品を完成させた。そしてその作品は絵画と違って生きて進化する。 ・・・ピカソ、彼は偉大であるが故に自分の名前を完全に覚えることが出来なかった。彼の完全な名前は以下の通りであります。 「パブロ・ディエゴ・ホセ・フランチスコ・ド・ポール・ジャン・ネボムチェーノ・クリスバン・ クリスピアノ・ド・ラ・ンチシュ・トリニダット・ルイス・イ・ピカソ」 信じられますか? これほんとのことであります。ちなみに日本の最長名前は 「寿限無、寿限無、五劫のすりきれ海砂利水魚の水行末、雲来末、風来末食う寝るところに住むところ、やぶらこうじのぶらこうじ パイポパイポ、パイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピーのポンポコナの長久命の長助」 しかし、これは落語界のフィックションでありまして、実在する人物の世界最長名前は、英国の洗濯屋アァサア.ペツ.ハァといふ男の一人娘の名前 「Anna Bertha Cecilia Diana Emily Fanny GerTrude Hypatia Inez Jane Kate Louisa Mauda Nora Ophelia Quince Rebecca Sarah Teresa Ulysses Venus Winifred Xenophn Zeus」 であります。頭がおかしくなりましたのでこのへんでワインを飲んで寝ることにします。アルチュウではありません。 ・・・ワインといえばドイツのプファルツ地方にあるシュバイヤー・ワイン博物館に1900年前のもの、つまり、西暦108年のものが保存されているそうです。おそらく神秘的な味がするでしょうね?
2008年01月26日
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今日は金曜日、病院へ行く日であります。変形性膝関節症がまだ完全に直っておりません。3年前に重労働の連続で、右膝を徹底的に痛めてしまって、軟骨が無くなり、歩行困難となったのであります。それで、ヒヤルロンサンを注入して軟骨の再生に励んでおるので御座います。 車で10分ほど行きますと、その病院に到着します。受付で診察券を忘れた事に気がつき、どうしましょう・・・! と申しますと、名前と生年月日を用紙に書いてください、という事で受け付けてくれました。受付係が私が書いたメモを見て笑いながら言った。 「あの~~~、年齢間違えていますよー、67歳ではなくて、37歳の間違いじゃーございません・・・? ア、失礼、27歳かしら・・・?」 私は黙って免許証を見せた。何度も私と免許証を交互に確認した受付係は顔面蒼白、断末魔のひきつけを起こして私を見つめ続けた。 「た、たいへん失礼いたしました・・・、すご~~~い、こんな事って現実にあるんですね! あなた様に一目ぼれしました。私の愛に偽りはありません。年齢の差なんってどうでもいいことです。惚れた私を哀れと思って、今宵、爆発して~~~!」 とは言いませんでしたが、私の見えるようで見えない 、”滴る水”にうっとりしたのは、まぎれもない事実であった(・・・???)。 そんなことはどうでもいいことですが、いつもは2時間ほど待たされますが、なぜかすぐに呼び出しがかかった。混雑と混雑の谷間にタイミングよくめぐり合ってお客さんが少なかったため、と推察いたしました。 「・・・いよ~、さわやかさん、どうですか具合わ?」 「良く分かりませんけど、悪くなっていないことだけは確かです・・・」 「それは、奇蹟だ・・・。本来なら今頃、膝が腐って死んでいてもおかしくない。どれ、悪くなるようにしてやるから、その汚い膝を見せろ・・・」 この偉大な医者は凄まじい毒舌家で、患者はもちろん、看護婦や職員たちまでも叱り飛ばすことで有名であります。名前が変わっておりまして、丸勝先生と呼ばれております。 「ん! 残念ながら良くなっている。惜しいことをした・・・」 丸勝先生は笑いながらそう言っていつものヒヤルロンサンの注射を打った。 「あと、どれぐらいで完全に直りますかね、先生?」 「なにを言うとるか! 重症怪我の上に、さらに重症を何回もかぶせた怪我だ、そう簡単に直るか~! これというのもお前が馬鹿だからだ、仕事より、己の命を大切にしろ!」 というお叱りを受けまして帰ってまいりました。しかし、若くて可愛い受付係りに30代に見られましたので、喜びのお叱りであります。
2008年01月25日
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沖縄本島の八重岳では、今、桜が満開であります。桜の種類は寒緋桜であります。ここ沖縄では ”緋寒桜=ひかんざくら” と呼んでおります。なぜ、そう呼ぶのでしょうか、・・・私なりに考えてみました。 今から63年前、ここは激戦地でありました。日本軍の北部守備軍の指令部がありましたので、米軍はここを集中して攻撃したのであります。 当時4歳だった私は母に手を引かれて、この八重岳の近くのジャングルを逃げ回っておりました。行動を共にした避難民は次々と艦砲弾の破片や機銃弾で鮮血を吹き上げ、あるいは肉片の細切れとなって死んでいった。 八才の姉と母、そして、私の三人は奇跡的にも無傷で生き延び続けていた。洞穴に隠れた避難民たちは飢えとマラリヤで大勢が死んだ。 大勢の避難民は凄惨なこの世の地獄を目前にし、この世に神も仏もない、と嘆き悲しみ、絶望の中で悲観して死んでいったのです。 八重岳周辺にはそのように絶望の悲観で死んでいった避難民の怨念が妖しく渦巻いているのです。ですから、ここに咲く桜は、寒緋桜ではなく、悲観桜=緋寒桜となったのです。 でも、皆さん、御安心ください。今日、私はそこを訪れまして、彷徨える怨念をなぐさめ、鎮めてまいりました。緋寒桜は日観桜と改めます。・・・これはここだけの話といたします。大変、失礼いたしました。八重岳の日観桜の一部を御紹介いたします
2008年01月23日
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宇宙の広がりには果てというのがない。たとえあったとしても、われわれの想像と推測では捕らえることは出来ない。我々の銀河系でさえ2千億個の恒星を有し、凸レンズ型の、その果てから果てを秒速30万キロで走る光ですら、10万年がかりでようやくたどり着くという広大さである。 光が一年間走り続ける距離は9兆5千億キロ、これを基にして銀河系の最長直径を計算すると、95京となる。つまり、9千5百兆の十倍ということになる。地球と太陽までの距離が1億5千万キロ、光は8・3分でその距離を飛ぶ。この事から我々の銀河系がいかに広いか想像を絶するものがある。 しかし、その銀河系といえども宇宙全体からすると微細な光点となってしまう。なんという広大さ、無限性であろうか。私は驚嘆のうめき声を上げ、ただぼう然と痺れるだけであります。 宇宙の年齢は120億歳。私はたったの67歳。宇宙とは一体何なのだ。そして、その神秘性と無限性の渦の中でただぼう然と痺れているこの私は、一体何なのだ。 そんな私でも宇宙の寛大な懐の中で生かされ、地球という美しい恵みの惑星で働く自由を与えられている。そう考えた時、人間とは何か、宇宙の奇蹟と生命体の理由の接点は何処にあるのか・・・? 生命の母体ともいえる我々の地球は、宇宙の闇空間に浮かぶ最も美しい惑星である。生命を誕生させ、守り育てて来たその機能、働きはまさに奇蹟であり、人間こそ宇宙の申し子として地上に現れた生命体、そして、宇宙、自然界の最高傑作ともいえる。 我々の肉体は奇蹟の粋を一点に集中して完成されたものであり、その肉体機能の頂点から発芽して成長し、やがて蕾を出し開花したのが知覚であり、それを駆使する心、精神、魂が我々人間の本体ではなかろうか。こういう素晴らしい人間に真の不幸、災いがあるはずがない。あるとすれば、人間完成を待ちわびる宇宙の愛の鞭と試練ではなかろうか。 守られ生かされている喜びと感謝を心に刻み、報恩の心を生かす働きに転じた時、人間はあらゆる災い、苦しみから解放される。そこには自分自身であろうとする自我の汚れと邪悪はなく、清純な自己主張のきらめきが存在する。心の世界と事象物象の世界をいかに美しく正しく彩り描いていくか、人間一人一人の心の持ち方、努力にかかると思う。
2008年01月21日
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最近の子供たちはなっとらん、と大人たちは言いたがる。しかし、おかしなことに、そのような言葉は原始人たちも言っていたことが、壁画の象形文字から知られている。いつの時代においても大人たちは己の狭い視野で勝手に子供たちを "なっとらん" と決めつけてしまうもので、伸びようとする幼い芽を平気で傷つけるのである。 しかし、そういった大人たちの無責任な言葉や、冷たい目を無視するかのように現代っ子は、鋭い頭脳と高度な科学知識、想像力のたくましさで、昔の子供たちとはどこか異質の世界を築き上げしまっている。 子供たちの凶悪犯罪が大きな社会問題となっている昨今であるが、それをもって子供全体をそういう眼で見るということ自体、大人の子供軽視と言わざるを得ないエゴを感じるのである。子供の異常性は大人たちの醜さの投影だと思う。 むしろ、大人たちは子供たちから軽視され、非難されるにふさわしい、ということを知るべきだと思う。 ある市民会館で琉舞のちびっ子大会を見たことがある。大勢の子供たちの伸び伸びとした踊りを見ると、汚染されていない清流の威勢のいい動きを見るようで、このままの清らかさで大人になってほしい、と祈りたくなる。 現代っ子が大人たちに欠けている何かを持っていることは確かであり、大人がそれを何であるかを知るのは不可能かもしれない。
2008年01月20日
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風が吹く日、時々、寂しくなる時がある。きっと、千の風になったりする家内が私をなぐさめているからだと思う。そんな時は、賑やかなスーパーへ行き、店内をぶらぶらする。 腕時計を見ると12時前だった。空腹感を覚える時間帯であります。それで、マックに入ってダブルチーズバーガーとウーロン茶Mサイズを注文し、一人で食べておりますと、向かいのテーブルに座っている、2、3歳位の男の子が私を見つめていた。 何故か、私は子供に注目される。きっと、私の精神年齢が幼児に近いからだと思う。そこで、笑顔を作って、Vサインをすると、その子はキャーキャー笑って喜んだ。母親はすらっとした体格で、理知的にして聡明な容貌の美人であった。 私は下心なんってありませんが、 「何歳ですか」と尋ねた。 「2歳です」 「・・・そうですか、とっても可愛いですね~~~」 今度は、母親のほうが笑顔で喜んだ。子度を褒められますと、母親というのは単純に喜ぶものですね! しばらくしますと、男の子が近づいてきて、音の出るプラスチックの人形を見せた。私が、それを見て喜ぶ、と思っているのだ。 「おじさんにチョーダイ」 と、手を差し出しますと、慌てて母親のところへ戻った。そこで、デジカメを出してパチリ、母子はこちらを強く意識して、ポーズを取った。 周囲の人々が、下心があるのではないのか、というような目付きで注目し始めたので、私は立ち上がり、二人に手を上げながらその場を離れた。子供が名残惜しそうにいつまでも手を振っていた。男の子とその母親です
2008年01月17日
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2億5000万年前、スーパー・プルーンは史上最大の火山噴火を誘発し、地球は焦熱地獄となりました。さらに海底のメタン・ハイドレードが、海水温度の上層で膨大な量のメタンガスを発生させ、酸素と結合して相殺し、極端な酸素不足をもたらしたのでございます。そして、生物の95%が絶滅した。 焦熱地獄が治まった後も、酸素不足は回復せず、その状態が1億年も続きました。わずかに生き残った生物はこの過酷な状況になんとか適応し、存続しようと、のたうちまわったのであります。われわれの祖先、つまり、脊椎動物の祖先でありますキノドン(単弓類)もその生き残り組みに入っておりまして、断末魔の悲鳴を上げながら体を酸素不足に適応できるように進化させていきました。 その酸素不足をいかにして克服するか、それには呼吸効率を良くしなければならない。そこで現れたのが、われわれの次の祖先でありますトリナクソドンであります。彼らは肋骨を胸部だけにし、横隔膜を持つようになった。これによって呼吸をしやすくし、酸素を多く取り入れられるようにしたのであります。 一方、恐竜や鳥類の祖先であります双弓類は特殊な呼吸器官、機能システムを持つようになった。これは酸素を吸って炭酸ガスを出す、という呼吸において、肺の中に絶えず酸素があって、炭酸ガスが絶えず排出される、という仕組みになっております。 したがって、酸素があるときとないとき、炭酸ガスが充満しているときとそうでないとき、に分かれるわれわれの呼吸法の数倍も、酸素取入れ効果が優れているわけであります。 その結果はどうなったか? 酸素濃度が高まるにつれて特殊機能システムを持った恐竜の祖先は巨大化していきます。そして、巨大化しないものは、その分を飛翔エネルギーに振り替えて鳥類へと進化して行ったのであります。 われわれの祖先はネズミのような小動物で、卵を産むことから次第に胎生へと進化していきます。そのほうが酸素を多く母体からもらうことが出来、外敵の被害に遭うのも少なくなるからであります。 最初の胎生動物はエオマイア(黎明期の母)と呼ばれておりまして、その化石が1億2千5百万年前の地層から発見されております。 大量絶滅から一億6000万年後、酸素濃度は回復し、巨大生物の出現となります。30メートルの草食恐竜アパトサウルス、11メートルの肉食恐竜アロサウルス、翼の全長8メートルの翼竜プテラノドン、その他いろいろが続々と現れました。 そして、地上は恐竜の王国時代となり、ネズミのようなわれわれの祖先は彼らの脅威にさらされて逃げ回っていたのであります。 そして、6500万年前、その恐竜たちは巨大隕石の地球直撃によって絶滅いたしました。2億年も繁栄した恐竜・・・、わずか500万年余しか経っていない人類が、果たしてそれ以上に存続し、繁栄し、進化していけるだろうか? あまりにも不安材料が多すぎます。 今までの進化が地球、宇宙のパワーによってなされてきたものであれば、これからの人類の進化は、人類自らの愛と正義と思いやりのパワーで推し進めていかねばなりません。 そうでなければ恐竜が絶滅して人類にその王座を明け渡したように、われわれ人類も天地大自然のパワーに根絶させられて、別の生命体に王座を明け渡さねばならなくなるのです。 いつまでも憎しみあって殺しあったり、戦争したり、個人主義に走っているときではないと思います。世界一列みな兄弟姉妹、肉親であります。寛大な心でお互いを許しあい、心の完成を目指し、真実誠の慈悲と実践の道を歩んでいきましょう!
2008年01月14日
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2003年11月14日、スバル望遠鏡が、地球から最も遠く離れた銀河を発見いたしました。かみのけ座付近にありまして、その距離は129億光年であります。 ・・・ということはビックバンによって誕生した我々の宇宙はかるく、129億歳以上を過ぎている、ということになります。 百数十億年前の宇宙誕生、ビックバン、・・・凄いですね? 一体全体何があったのでしょうか? 全くこの世は、わけの分からないことだらけでございます。 偉い学者たちの話によりますと、計算では宇宙誕生の瞬間のゼロ点には絶対にたどり着けない、と申します。たどり着いて、解明できる限界点は、10の44乗分の一秒後の宇宙だそうです。 その時の温度は一兆℃の一兆倍のそのまた一億倍で、大きさは、10の33乗分の1センチ・・・。 つまり、今の無限に近い広がりを持つ宇宙全体を、電子顕微鏡で見える点よりもさらに小さな点に縮小した宇宙であります。こんなことってありうるのでしょうか? 宇宙はSFよりも奇なりですね? なぜ、計算ではゼロに辿り着けないのでしょうか? ゼロとは一体何でしょうか? それは[なにも無い] ということですね? その何も無いという事が判らないということなのであります。分からないものは分からない、これがこの世の定めであります。 たとえば、意識があって、それが眠気によってぼやけてくる。そして、意識が完全にゼロになった瞬間、そのゼロを意識することは不可能となります。宇宙始源のゼロにたどり着けない、ということはそのようなものでありまして、計算できる次元内からの離脱は、もはや計算自体も消滅して不可能、ということになります。 ところでこの意識、なんなのでしょうか? 不思議でなりません。夢を見ているとき、意識はどうなっているのでしょうか? ・・・6歳前後のころだったと思いますが、縁側で昼寝しておりましたとき、スズメの群れがカヤブキ屋根の天辺でにぎやかにさえずっておりました。 その時の私の意識は現実と夢の境を漂っていた。 その意識が、スズメの感覚、あるいはテレパシイーのようなものと融合していたのであります。 スズメの内面にそのまま触れていて、その温もりや意図的なものが直に察知、了承できる。以心伝心とはこのことであります。地面、ミミズ、餌、・・・そのような意味が何の仲介もなしに伝わってくる。ふと、横向きになって庭を見ますと、数羽のスズメが急降下してミミズをつっ突き、それをくわえて飛び立つ光景を現実の意識が捉えた。 4歳の時の戦場での出来事ですが、いきなり母に激しく押し倒され地面に伏せた。艦砲弾が近くで炸裂し、真っ赤な破片が不気味な音を共鳴させて飛び交った。そのあと、無数の敵機が飛来してロケット弾や機銃弾を打ちまくった。逃げ惑う避難民は次々と倒れ、肉片となって飛び散ったりした。 母の身体の下で伏せている私の意識に、突然、父の気配が侵入した。血まみれの父が苦しんでいて、母や姉、私のことを心配している。その心の痛み、悲しみ、絶望、無念、願望が何の抵抗も無く伝わってくる。 伏せている草原からは、東シナ海を隔てて火炎と煙に包まれ、爆発炎上を繰り返す伊江島が見える。父はそこで軍人として戦っている。私の本能は父の死を感知していた。 茫洋とした状態で、私は声に出して、父を繰り返し呼び続けていた。 その時のことを母は、"父が最後を知らせた" と思い出すたびに言っております。 ・・・その他、退行催眠によって前生に跳んだり、臨死体験上で肉体から遊離して天井から自分の姿を見つめたり、前生のことを覚えている少女が、前生住んでいた家に偶然、遭遇して、その土地の言葉を話し、家族の名前や癖性分、近隣の地形、建造物を言い当てた。と、まあ、このような事柄からも、意識というのはどうやら肉体と全く異質の独立した謎の存在、と言えそうであります。 最近になって、最先端の科学分野からも形而上的な存在が取り沙汰されるようになってきております。ニュートリノに質量があり、極限の素粒子、クオークはどうやら重力子(グラヴィトン)から出来ているのかもしれないという仮説、ブラックマター(暗黒物質)の正体解明、光速の300倍で光信号送信成功、陽電子、陰陽子・陰中性子,陰クオークなどからなる反原子製造など、相対性原理や量子力学の手に負えない新発見と仮説が次々と出てくるのでございます。 宇宙の質量、・・・? つまり、宇宙構成物質はどうなっているのでしょうか? いろいろと安物の百科事典やCDソフトで調べてみますと、物理的に観測可能な物質はたったの6%しかないそうです。 残り94%の内、23%がダークマター(暗黒物質)で、71%がダークエネルギー、となっております。そのダークマターは、もしかするとニュ-トリノではないか? といわれたりしましたが、どうやら違うようです。 クオークや電子、光子、グルオンなどのレプトン、ゲージ粒子などの大きさは、10のマイナス32乗センチ程度(100兆分の32センチ)といわれておりますが、それは大きさというより、情報、事象であり、性質、作用、という表現がぴったりなようです。 つまり、それらは突然現れたり、消滅したりを繰り返しているわけで、実体がつかめないのであります。 厳密に言えば、我々の宇宙は出現と消滅の連続によって揺らいでおりますので、究極の超素粒子は「気」であり、意識作用の根源といえるかもしれません。我々の肉体もしかりでありまして、1日に3千億個の細胞が死滅し、新たに3千億個の細胞が新生してバランスが保たれているのであります。 つまり、霊魂なるもの、意志、気力なるものが物質を作り出している、ということを最先端科学者たちが言いはじめているのであります。・・・あまり難しい事は考えないほうがいいですね・・・。 脳波が異常をきたしそうですので、今日はこれにて失礼いたします。
2008年01月13日
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アイリスの花・・・、いいですね、清楚で気品があって、上品で、私の好きな花のベスト3に入ります。それが風に揺れるさまは、さながら天女の舞を見るような感じがいたします。花言葉は 「あなたを大切にいたします」だそうです。 原産地はヨーロッパ及び地中海沿岸とのことですが、それが、いろいろと品種改良されて世界中に広がったということです。下掲載の写真はジャーマンアイリスと呼ばれるもので、背丈が1mほどあります。それにも種類があって、トール、ボーダー、インターミディエイト、ドワーフ、の4つがあると百貨辞典に載っております。写真は70cm以上ありましたので 最も背が高いという ”トール” だと思います。 アイリス、それはギリシャ語で「虹」という意味があります。ギリシャ神話に ”イリス” という大変美しい少女が登場いたしますが、彼女は最高神ゼウスの正妻、ヘラに仕える女神でありました。 ところがこのゼウス、イリスを見て一目惚れし口説いたのであります。しかし、イリスは断固としてゼウスの求愛を拒否した。自分が仕えるヘラへの忠誠心によるものと推察いたします。 女を動かすのは、利害と快楽と虚栄心である、と唯物論者のデイドロが言っています。また、キェルケゴールに言わせますと、女の幸福とは自分の全てを奪おうとする誘惑者に出会うことにほかならない、ということらしい。 ですから、このイリスという少女は女を超越した立派な人格者であったと思います。ソロモン王の母、パテシバは旦那がいましたが、ダビデ王の誘惑に女の幸福を見出して、夫を裏切っております。 そして、ダビデ王は彼女の旦那を戦場に送って戦死させてしまった。パテシバを動かしたのはまさに利害と快楽と虚栄心であったわけです。ダビデ王はユダヤ民族から救世主=メシヤと呼ばれていますが、ユダヤ民族の流浪の悲惨な遠因は、ここに根源があるかもしれません。ダビデ王の10男であるパテシバの子、ソロモン王の死後、国家は分裂して行ったのです。 という余計な話はこれぐらいにして、イリスは事情をヘラに打ち明けて里帰したいと申し出た。ヘラはイリスの純真な心に感激し、彼女をゼウスの毒牙から守ることにした。どこへ逃げてもゼウスは全能の最高神ですので逃れることは不可能であったからです。 まず、ヘラは虹色の首飾りと優雅な翼をイリスに与え、ネクタールを3回彼女にかけた。ネクタールとは神々が常飲とする生命の酒・不老不死の薬酒であります。それによってイリスは虹の女神となり、ゼウスが手の出せない存在となったのであります。 彼女にかけたネクタールが、滴となって地上に落ちたのがアイリスの花となったそうです。ネクタールの雫が地上の環境とどのような化学変化を起こしてアイリスとなったのか、科学的に解明は不可能ですが、そんなことはこの際どうでもいいことであります。私が育てて、咲かせたアイリスです
2008年01月11日
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ひさし振りに映画を観に行きました。那覇市の新都心にある映画館であります。東京に居た頃は、日曜日には映画鑑賞によく行ったものですが、沖縄に来てから1年余り、まだ、1回も行った事がない。 題名は 「エイリアン対プレディター2」でありました。60歳をはるかに超えておりますので、料金は1000円であります。 「シニア一枚」 と申しますと、売り場のお嬢さんが疑いの眼で私をじっと見つめた。「・・・うそでしょう? どう見ても30代にしか見えませんけど、少しなら見逃しますけど、こんなにはっきりした違いなら、納得できません」 そこで、免許書を見せますと、私とそれを交互に何度も見たあと、首を傾げながら切符を売ってくれた。 そんなに私は若く見えるのでしょうか? 私も首を傾げながら中に入った。 しかし、映画は凄いですね。テレビとでは迫力が違う。それに音響効果、これもまた凄い。ストレス解消には最高であります。エイリアンとプレディターの激闘、凄いですね、私は手に汗を握ってスクリーンに熱中した。脳髄の芯まで痺れに痺れて爆発、おかげですっきりさわやかになって映画館を出ました。 そして、公園のベンチに座り、安い発泡酒を飲みながら、その痺れの余韻に浸っておりますと、横に若い女性が座った。ベンチは外にもあるのに変なおねーさんだ、と思いながら横目でチラッと見ますと、巨大な胸の膨らみが、わたしの視界を究極まで押し広げて占領した。 凄いセクシーな女であります。彼女はそしらぬ顔でアイスクリームを食べている。それに美人であります。マリリンモンローと楊貴妃、小野小町をミックスして10乗したような妖艶の美女でありました。彼女はどういうわけか、私の体に何気ない仕草で擦り寄ってくる。 明らかに私を挑発している。何故か、・・・それは私がハンサムで若いからではないはずだ。もし、そうだとすると、彼女の眼はふし穴だ、ということになる。 釈尊は30歳の時、菩提樹の下で悟りを開かれております。その時、3人の美しい魔女が素っ裸で現れて誘惑した。 マーラ(魔)の3人娘で、欲妃、快楽妃、悦妃、という名前であります。 現代なら公然猥褻罪で逮捕され、即、刑務所行き、となりますね? しかし、釈尊jはその誘惑を払い除けたのであります。勿体ないような気もいたしますが、さすが、仏様であります。それで、私も仏様を見習って、彼女の誘惑を撥ね退けることにしました。 「お嬢さん、お美しいですね、ハートが痺れて一目ぼれいたしました。 ・・・しかしながら、実は、私は何を隠そう、女を不幸にする男なんです。 近寄ってくる女は何故か、気が狂って裸になって踊り出すのです。科学的な原因は分かりませんが、きっと、魔界において、この私を命がけで愛している魔女がいて、私に近づく女は、嫉妬の余りその魔力で狂わすのだと思います。ですから、私はあなたを不幸にしたくはないので、この燃えるあなたへの恋心を殺して、これにて失礼いたします」 私はそう言って立ち上がろうとした。そこへ、ビッコをひいた、痩せて品性に著しく欠ける老人がやって来て二人の間に座った。老人は私と胸の大きな女を交互に見たあと奇妙な声で笑った。 「イーっひっひっひっひっひっひひひひ~~~、この俺様はな~~、こう見えても凄く強いんだ。2階のあの野郎がこの俺様を犯そうとしやがったので、この杖で奴の頭を叩いて殺したんだ。那覇警察署のおまわりは皆、俺の友達だ、何の文句も言わずに1000円くれたのだ、いーっひっひっひっひっひっひ~~~・・・」 女は悲鳴を上げ、巨大な胸を揺すりながら逃げていった。 私も慌ててその反対方向へ逃げたのであります。今日は、ほんとに変な一日でした。 世の中、狂った人が多いですね、・・・この私もきっとそうだと思いますが、何とかならないでしょうか・・・?
2008年01月10日
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紀元前500年ごろ、菩提樹の下で悟りを開いていた仏陀を、マーラ(魔)の3人娘の美女、欲妃、快楽妃、悦妃が半裸体となって誘惑した。 しかし、仏陀は見向きもしなかった。誘惑の根源は対象にあるのではなくて、己自身の渇愛、欲求の内部深くにある、仏陀はそう悟ったのだ。 己自身を無欲にする、澄んだ心にする、存在するものが、もろくて儚い事を相手に当てはめて、哀れみを持って助ける心を持つ、それが、己の誘惑に勝つ手段である。仏陀が誘惑に打ち勝てたのは、己の脆さを知らぬ誘惑者を助けたい、という慈悲であったと思う。 仏陀のその悟りは記録に残っていない。ただ、悪は罰する、成敗する、という後々付け加えられた記録があるだけである。 悪を働くもの、犯罪を犯すもの、その者たちの救いの手段、環境、人々の思いやりと親心が人類の未来を素晴らしくするものと思うのですが、現代人にはまだまだ、そこまでの心の余裕は無いようです。
2008年01月09日
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大牟田市にあるハートランド夢翔塾では、共同生活を通して、少年少女の不登校問題に取り組んでいたとのことです。その活動の素晴らしさに、テレビ番組でも取り上げられております。平成18年にはNPO法人の認証も受けている。少年少女の健全な育成に貢献するこうようなフリースクールは賞賛に値しますね。 ところがであります、この塾の責任者、35歳がなんと、塾の生徒である16歳の少女に 「性交させろ」 と乗用車の中で脅迫し、性交に成功したのであります。もちろん、この男は児童福祉法違反の疑いで逮捕されております。 全くけしからん! 賞賛に値する、と感激した人々は愕然としたはずです。特に、テレビを見て少女を託したご両親の無念さは計り知れないものがあると思います。 仏の仮面をつけた極悪人の卑劣極まりない獣、その餌食にならないように心の眼をしっかりと開いて、その防御策を取って行かねば、今の世の中、子供を守ることは出来ませんね。 ほんとに、こういう人間がいろいろな姿形で存在するという事は残念無念です。
2008年01月08日
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人間が悪い事をし、犯罪を犯し、人様に迷惑、被害を及ぼした時、天罰はあるのか? と訊かれた事がある。 そこで、そんなのありません、と答えました。野生において、肉食獣が弱い動物を殺して食ってしまう。今日のニュースでは、アフリカ西北部の動物飼育所で、飼育係がライオンに餌をあげようとして9頭に襲われ、頭蓋骨と背骨だけを残されて全部食われてしまっている。 子供や、年取って弱ったものといえども容赦はなく、肉を引き裂かれ、骨を砕かれて殺されてしまうのだ。 そして、食ったものは、天罰どころか、栄養を補給出来て元気になり、栄えていく。食われたものは糞となって排泄される。 そこに天罰なんってものはない。あるのは強いもの、知恵のあるもの、優れた技のあるものの繁栄である。 人間界においても、殺人者が天罰を受けずに健康で長生きしている。虐待で子供を殺した親が、爆弾テロリストが、健康で生きているし、刑務所に入ってただ飯を食って税金の無駄遣いをさせているのだ。 ですから、どんなに悪い事をしても、例えば、卑猥な書き込みとか、卑猥な写真掲載のHP,迷惑メールなど、なにをしても天罰なんってものはありませんので、どうぞ安心されて、好き勝手なことして下さい。 ただ知っておいて欲しいのは、天罰はなくても自分の行いに対しての結果は、必ずある、という事です。つまり、生きとし生きるものは、己のまいた種を刈り取らねばならない、という事です。 己の悲運、予期せぬ出来事、これは天罰ではなくて、結果として、己に降りかかった現実なのでございます。 高校2年生の男子が、刃物を持ってある県庁に殴り込みをかけ、知事を殺そうとした。これは、なんと申しましょうか、完全なキチガイですね。理由は、有名になれるから、ということでした。 この子には天罰はない。しかし、行いに対する結果は、必ず降りかかってくるでしょうね。それより、この子の親が、いかなる躾をしたかの結果を受けた、という事になりますか・・・。
2008年01月07日
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朝つとめ前(6時前)に庭に出ますと、東の空に三日月がかかっていた。澄んだ星空に浮かぶ三日月は神秘的ですね。太古の朝の星空に浮かんだ三日月も、今見ているあの三日月も同じ三日月ですが、人の心の目に映る三日月は違うかもしれません。 沖縄には ”おもろそうし”という昔からの歌集がある。尚清王代の1531年から尚豊王代の1623年にかけて首里王府によって編纂された沖縄固有の古い歌謡集ということになります。 沖縄の歴史は神女信仰から始まる。その時代、5,6世紀から一般庶民の中で生まれ、歌い継がれたもので、それを ”おもろ”と呼んだのであります。おもろそうしは、その集録ということになります。 その中に三日月を讃える歌が載っております。おそらく、尚真王時代の11世紀頃の歌だと思いますが、それを御紹介します。えけ 上がる三日月や・・・・・・えけ 神ぎや金真弓 (えけ、かなぎや、かなまゆみ)えけ 上がる赤星や (えけ、あがる、あかぼしや)えけ 神ぎや金細矢 (えけ、かなぎや、かなままき)えけ 上がる群れ星や(えけ、あがる、ぼれぼしや) えけ 神が差し櫛 (えけ、かみが、さしくせ)えけ 上がる虹雲は(えけ、あがる、のちぐもは) えけ 神が愛き々□(えけ、かみが、まなききおび)単純素朴ですが、やはり、昔の人の心に映る三日月は、現代人が見る三日月とではだいぶ変わるようですね。朝の三日月で御座います
2008年01月04日
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お正月ですので、大晦日の日に母を宅老から連れて帰る事にしました。満90歳、数え92歳の母上様はいたって元気であります。私の顔を見ますと大喜びでカチャーシーを踊り出した。私も負けづに踊りますと、看護士や職員、そして、入所者の方々も、声を上げて笑いながら踊り出した。 家に着きますと真っ先に神殿に向かって手を合わせて祈り、座りつとめ、手踊りつとめを始めた。私もその背後で母に合わせてお勤めをいたしました。 夕食は私の手作りで、エビ天麩羅にチャーハン、フカヒレスープを出しますと、母は大喜びであります。お腹いっぱい、と言いながらおかわりをした。 正月元旦は元旦祭を行います。母上様がこちらの布教所長ですので、お社の扉を開き、祝詞をあげねばなりません。ところが母は扉を開く事ができない。高いところですので台を置き、その上に乗って開かねばなりませんので、危険極まりない。 そこで、私が代理に開く事にした。集まった信者さんたちは20名余りでありました。彼らがうやうやしく拝をしている前で扉を開きました。 そして、母が祝詞を上げて、神床にお供え物をし、陽気に座りつとめ、手踊り勤めをして元旦祭を終了いたしました。 寒気が沖縄上空に流れ込んで、寒い正月でした。でも、これが正月ですね。暑い正月なんって聞いた事がありません。 信者の一人が私に言った。 「私は、今年は良い事があって、幸せになれるように祈りました」 私はちょっと考えた後、答えた。 「良い事も、幸せも、それを求め続けている間は絶対にやって来ません。それらを一切求めず、世のため、人のため、そして、親神様に喜んでもらえるためなら、自分は何をすべきかを考え、その為なら自分は不幸でかまいません、という信念と実践がなければなりません。その中に本当の幸せが現れてまいります。自分の幸せは願わず、他の、世界の幸せを祈る事こそ、ほんとの信仰なのです・・・。そして、そこにほんとの幸せが現れます」 信者たちは一斉に襟を正して拍手した。 「われわれは御利益信仰であってはならない。親神様、教祖様に喜んでもらえるには我々はいかにあり、いかなる道を通るべきか、それが我々の信仰である・・・」 再び拍手喝采、博士号を持っている外科医が歓喜して立ち上がり、「そうだ、その通りだ、俺は、漲信布教所の信者である事に誇りを持つ、人類の未来に光が輝いた~~~」 と叫んだ。すると、90歳の母上様が立ち上がり、カチャーシーを踊り出した。全員総立ち、カチャーシーの大乱舞となりました。 皆さん、今年もファイト一発、勢いを持ち、勇んでいきましょう!
2008年01月02日
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