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ローカル紙の監督と女優に対するインタビュー記事です。【インタビュー】幕末の新発田が舞台の映画『十一人の賊軍』の白石監督と出演者の皆さんに見どころを聞きました!!15代将軍・徳川慶喜を擁する旧幕府軍と、薩摩藩や長州藩を中心とする新政府軍で争われた戊辰戦争。今作はその最中に繰り広げられた旧幕府軍側である新発田藩の歴史的な裏切りのエピソードをもとに、新発田藩に捕らえられていた罪人たちが決死隊として、攻め入る官軍から砦を守る集団抗争時代劇です。 ——撮影において心掛けていることは?白石和彌・俳優にとってこの作品が重要な作品だったと思える役をやってもらうことが大切です。今回、新発田藩の城代家老・溝口内匠の娘である溝口加奈役も誰にしようかと考えた時に、新発田出身の木竜さんにお願いするしかないと思いました。新発田出身ということがこの作品に力を与えてくれます。俳優さんには、ひとつひとつの役にメッセージを込めて「出演してください」とお願いしています。——多数の正義がぶつかり合う時代。白石監督にとって今作の正義とは?白石和彌・戊辰戦争という内戦の話とはいえ、「戦争」を描いてます。笠原さんのプロットでは正義の裏は悪ではなく、別の正義である、ということを感じました。人によって正義の定義が違うからこそさまざまな部分で悲劇が生まれてくるということが大きなテーマです。——時代の不条理に自身の人生が左右されながらも「決死隊」として砦を守る罪人たちにフォーカスした今作ですが、制作に込めた思いをお聞かせください。白石和彌・戊辰戦争を描く時に、会津の白虎隊をはじめ、侍最後の時代に誇りをかけて散っていくようなパターンが定型として多いなか、罪人たちが主人公という時点でそこからは外れなければいけない。そこがこの作品の最大の魅力だと思っています。罪人だけでなく侍すらも平気で嘘をついて逃げる。普通のヒーローであれば右から行くようなところを、左に行ったりするような人たちの集まり、そこがおもしろいんです。——新発田藩の裏切りエピソードがもとになっていますが、この物語は実際に子どもの頃に聞いたことはありましたか?木竜麻生・祖父母が話をしているところを聞いたことがありますね。歴史の番組を観ている時におじいちゃんが「昔は“新発田に嫁はやるな”とか言われていたんだぞ」とか言っていましたし。白石監督・まさにそこが大きなポイントなんです。新発田の裏切りと言われていますが、もう一方から見たらそれが新発田という町や民衆を守ったりする評価に繋がるわけですから。——最後に、映画を楽しみにしている皆さんにメッセージをお願いいたします。木竜麻生・ご縁が繋がり白石監督と作品をご一緒できたことはとてもうれしく思います。自分の地元がこれだけ規模の大きい映画の舞台になることは滅多にないので、この映画に参加できたこと、そして地元の人たちにこの映画をすすめられることがとても幸せです。白石監督含め、スタッフとキャストの皆さんが愛情をもって作り上げた作品です。ぜひ新潟の皆さんに足を運んでもらいたいです。白石和彌・戊辰戦争時の新発田の話はある程度史実にもとづいていますが、実際にあったわけではなくフィクションとして映画を組み立てていきました。そのうえで作り上げた大活劇。今の時代になかなかない大作の活劇を、まずはエンタテインメントとして観てもらいたいです。そしてこれは、「戦争」を描いた映画。今の平和の影にも長い歴史のなかでいろんな犠牲になった人がいるということを、映画を楽しみつつ、少しだけ感じてもらえればと思います。*七人の侍風のスチール写真です。ウクライナ戦争では、民主主義や国際法違反がやたら強調されました。そんな中での、イスラエルのガザでの大量虐殺。ユダヤ人1000人に対する、パレスチナ人4万人の殺戮。オバマの時代から、ウクライナに工作してマイダン革命で親ロ政権を倒してクーデターです。2014年からの長い内戦の末のロシア侵攻。内乱とされていたものの本質が、天然ガスのパイプラインが破壊されたりして利権争奪とういうことがはっきりした戦争でした。仕掛け人である国務省のヌーランドは消え、1月にはバイデンも政権を去り、当事者同士が話し合う環境が整いつつあると思いたいです。ウクライナの地にはロシア語を話し、ロシアの血を引く人もいて、共生を望む人もいるのに、なぜか全国民が反ロシアとの扱いです。この辺は、台湾有事も似た構図です。独立派は3割、国民党=親中派は3割、残りはどっちつかずの現状維持なのに、米国に頼る独立派だけが取り上げられています。
2024.11.15
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実在した!?映画「十一人の賊軍」の背景、新発田藩の悲劇【北越戊申戦争】映画はフィクションですが、物語の背景を知っておくことは大切でしょう。新発田藩と戊辰戦争の項目で、ウィキもけっこうなスペースを割いています。新発田藩 - Wikipediaこのブログでは、新発田市のHPを紹介します。歴史と概要 幕末明治維新と新発田城|新潟県新発田市公式ホームページ 慶応3年(1867年)10月、将軍徳川慶喜は大政奉還を行いました。その後の12月2日、藩主は朝廷と幕府から上京を命じられ、名代として江戸詰め家老窪田平兵衛が、一行十余名で京都に赴きました。以後窪田は、激動する政情を新政府側に立って、江戸と国元の新発田への情報を伝える重要な役割を果たしました。明治元年(1868年)1月の鳥羽・伏見の戦いで幕府連合軍は大敗し、やがて戊辰戦争の戦火は、越後へと波及しました。同5月、東北25藩によって奥羽列藩同盟が成立しました。そして、新発田をはじめ越後諸藩にも加盟の勧誘が続きました。新発田藩は、尊王の志を貫くために時間をかせぎますが、同盟側の執拗な要求により、やむなく加盟することになりました。しかし、新発田藩の消極的な態度に疑念を持った同盟側は6月、藩主溝口直正を人質に取り、同盟側に引きつける工作を企てました。しかし、藩主を慕う領民は、これを阻止したのでした。その後、城下が同盟側に包囲されたため、やむを得ず藩兵を出兵させましたが、同7月、新政府軍が新発田藩領大夫浜、松ヶ崎浜に上陸したのを期に新政府軍に合流し、先鋒となって軍を進め、庄内、米沢、会津などの軍と戦いました。 明治4年(1871年)に廃藩置県、明治6年(1873年)に城郭破却令がなされました。これにより、新発田城は、現在現存する本丸の一部を残して破却され、その跡地(本丸及び二の丸の一部)に、明治政府の近代的兵制整備の一環として、歩兵第十六連隊が創設されました。現在は、陸上自衛隊第三十普通科連隊が駐屯しています。新発田藩は、いち早く京都で情報収集を行っていて国もとに書状を送っていて、歴史図書館に古文書が残っています。次のウィキの記述は、興味深いです。勅書に対し請書提出 2月15日、北陸道先鋒総督兼鎮撫使の高倉永祜、同副総督兼鎮撫使の四条隆平から勅書が届く。この勅書は藩から藩へとリレーされてきたもので、新発田は村松藩から受け取り、三日市藩へ渡すものであった。各々の藩の考えを伺いたいという趣旨で、副書に、積雪で遅れるので先に書面で通知した、承知したなら請書(うけしょ)を出すように、とあった。翌16日、勅書を三日市に送り、溝口半兵衛は御用人宮北郷左衛門とともに北陸道を南下した。請書の文言は「恐れながらなお以て忠誠に励み、王事に勤労奉るの外、他念ござなく候」というものであった。四条隆平の『北征記事』によると、3月9日に高岡で請書を渡したようである。越後各藩では一番早く、次いで糸魚川12日、高田14日、長岡、三根山16日だった。新発田は京都にいる窪田平兵衛を通じて鎮撫使の状況を知らされていたので素早い対応ができた。対照的に長岡藩は、河井継之助が不在であり、京都筋の情報も持っていなかったことから、寝耳に水で薩長勢が来ると思い込んで大騒ぎしたという。普代、親藩大名が多い越後の中で、外様大名。となりの大藩会津からは、長きにわたって無理難題。幕末は勤王思想が有力。外様なのに石高は5万から10万石にアップグレード。実力は、歴代藩主を先頭に新田開発に努め、40万石とも。歴代藩主(初代~六代)|新潟県新発田市公式ホームページ歴代藩主(七代~十二代)|新潟県新発田市公式ホームペソレでも長岡落城後の展開だったので映画にはなかったですが、百姓を使った同盟軍のけん制、同盟軍に参加しつつも空砲を官軍に撃って戦うふりなどあの手この手の対応です。それでも、官軍から不信視されて、官軍合流後は先鋒となって戦いの最前線に立たされ多くの戦死者が出ました。それも長岡や会津のように城や城下町が焼かれることなく、藩主も領民も生き残り被害も最小限でした。討ち死、切腹はかっこいいかもしれませんが、領民にとっては迷惑なことです。城下町の安全を守った藩の重臣の役割は、大きかったと思います。状況は違いますが、ウクライナのゼレンスキーやガザのハマスの絶望的な戦い方が、頭の隅をよぎりました。
2024.11.14
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ストーリー:新潟の新発田藩家老・溝口内匠は進退窮まっていた。日本は二つに分裂し、戊辰戦争が勃発。「新しい時代を切り開く」という強い使命感を掲げ進軍を続ける新政府軍「官軍」によって、旧幕府軍は徐々に東国へと追い詰められていた。密かに官軍への寝返りを画策する新発田藩の目の前には、遂に官軍の到着が迫っていた…。そんな折に、旧幕府軍の奥羽越列藩同盟軍が出兵を求め新発田城へ軍を率いて押しかける。城から退かない同盟軍と迫りくる官軍が鉢合わせてしまっては、新発田は戦火を免れない。まさに絶体絶命!一刻の猶予も無い溝口内匠は一計を案じ、官軍の進撃を食い止める起死回生の一手として【砦の護衛作戦】を命じる。集められたのは、殺人、賭博、火附け、密航、姦通…などで収監された、死罪になるべき人道を外れた十一人の罪人たち。圧倒的不利な命懸けの過酷ミッションとは、【官軍が砦へ侵攻するのを防ぐこと】ただそれだけ。死を覚悟していた彼らに見えた「生きる」という一筋の希望。勝てば”無罪放免”という契りを信じ、罪人たちは己のために突き進む。果たして、彼らは未来を掴み取ることができるのか?新発田藩、同盟軍、官軍…。三者の思惑が交錯するなか、「己の誇り」「故郷に残した愛する人を護るため」…それぞれの執念が轟く、十一人の壮絶な戦いがいま始まる!映画『十一人の賊軍』キャスト・登場人物・出演者一覧/あらすじ | ORICON NEWS『十一人の賊軍』(じゅういちにんのぞくぐん)は、2024年11月1日に公開された日本映画[2]。監督は白石和彌、主演は山田孝之と仲野太賀[2]。PG12指定[3]。155分1868年に起こった戊辰戦争のさなかで、新政府軍と対立する奥羽越列藩同盟に渋々加入していた新発田藩の新政府軍への寝返りの史実をもとに、11人の罪人が藩の命令により砦を守る壮絶な戦いに身を投じる姿を描く[2]。2024年10月28日から開催中の第37回東京国際映画祭のオープニング作品として同日にワールドプレミア上映が実施された[1]。脚本家・笠原和夫が1964年に執筆した「十一人の賊軍」のプロット・脚本は賊軍が最後に全員死んでしまう結末が当時の東映京都撮影所所長岡田茂の意にそぐわずに却下され、企画は打ち切りになった[3][14]。激怒した笠原によって350枚もの脚本(ホン読み・検討会議用の第1稿)は破り捨てられてしまい、プロットだけが残されていたという[15]。監督の白石は笠原のインタビュー本『昭和の劇 映画脚本家 笠原和夫』で、そのエピソードを知っており[16]、自身で紀伊宗之に企画を持ちかけ[17]、笠原が描こうとしたドラマこそ今の日本が抱える社会問題とシンクロすると確信した東映が映画化を企画、製作が決まった[17][15]。また、白石は「物語のラストについてはプロットから改変しています。時代が変わるときに、誰が生き残って未来を見ていくのか。この作品のヒロイックさ、物語の強さは笠原さんにしか思い付かなかったものがある。僕らはそれを信じて、今の時代へのメッセージを込めました」と語っている[18]。 撮影は新潟県新発田市(新発田城、市島邸)・南魚沼市(雲洞庵)[20]、宮城県白石市(白石城)[21]、千葉県鋸南町などで行われた[22]。(ウィキ)映画館のない当地では、市民文化会館で上映会が開催されました。笠原和夫原案にひかれたものの、フィクションで、長い上映時間なので、行くつもりはありませんでしたが、最終回がすいていそうだったので観に行ってきました。?と思うところもありましたが、予想外の面白さで長さも感じませんでした。映画はフィクションですが、史実との違いやその評価も気になりました。ダークエンドな終わり方ではありましたが、しょせんハッピーエンドとはいかない物語で、何やら七人の侍を思わせる感じでした。出演:山田孝之/仲野太賀 (W主演です。) 尾上右近/鞘師里保/佐久本宝 千原せいじ/岡山天音/松浦祐也 一ノ瀬颯/小柳亮太/本山力 野村周平/田中俊介/松尾諭/音尾琢真 柴崎楓雅/佐藤五郎/吉沢悠/駿河太郎/松角洋平 浅香航大/佐野和真/安藤ヒロキオ/佐野岳/ナダル 木竜麻生/長井恵里/西田尚美 玉木宏/阿部サダヲ監督:白石和彌原案:笠原和夫脚本:池上純哉配給:東映新潟県内7ヵ所の劇場で11月1日(金)より公開
2024.11.14
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ストーリー:ある8月の真夏日、オクラホマの片田舎。父(サム・シェパード)の突然の失踪をきっかけに、長女バーバラ(ジュリア・ロバーツ)、次女アイヴィー(ジュリアンヌ・ニコルソン)、三女カレン(ジュリエット・ルイス)の三姉妹が、数年ぶりに実家へ集まってくる。母・ヴァイオレット(メリル・ストリープ)は、重い病を患っているが誰よりも気が強く、いつでも真実を言うのが正しいと信じている毒舌家。一方、美人で聡明、母親譲りの気質を持ったバーバラは、夫(ユアン・マクレガー)の浮気と娘(アビゲイル・ブレスリン)の反抗期に悩んでいた。何事にも不器用なアイヴィーは、結婚もせず、地元に残って両親の面倒を見る毎日。婚約者を伴ってきたカレンは、ある不安を抱えていた。それぞれの家庭、夢、恋、そして自分自身、守るべきものがバラバラな家族たちが、激しく本音をぶつけあう中、数々の“隠しごと”が暴かれていく……。(KINENOTE)『8月の家族たち』(はちがつのかぞくたち、August: Osage County)は、2013年のアメリカ合衆国のブラック・コメディ映画。原作はトレイシー・レッツの2007年の同名戯曲(英語版)である。戯曲はピューリッツァー賞を受賞している[4]。120分(ウィキ) ピュリッツアー賞&トニー賞受賞のトレイシー・レッツによる戯曲を「カンパニー・メン」のジョン・ウェルズ監督が映画化。父の失踪を機に数年ぶりに再会した母と三姉妹の本音、秘密が暴かれていく様子が描かれる。出演は「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」のメリル・ストリープ、「エリン・ブロコビッチ」のジュリア・ロバーツ、「ゴーストライター」のユアン・マクレガー、「アダプテーション」のクリス・クーパー、「リトル・ミス・サンシャイン」のアビゲイル・ブレスリン。(KINENOTE)アル中、薬物中毒、不倫、別居、マリファナ、近親○○と、うまく行かない家族関係のオンパレード。ドラマの進行とともに暴露され、修復は難しく最後はみんなバラバラに。コメディーというのはどうかと思います。遺産相続、カネでもめないのが、救いといえば救い。人生は長い。(TSエリオット)最後は、時が癒してくれるということでしょうか。舞台劇の映画化で、メリル・ストリープが怪演です。ジュリア・ロバーツも、かつての美貌はなしです。激しくののしる似たもの親子を、演じていました。
2024.11.05
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【予告】映画『ゴジラ-1.0』《大ヒット上映中》 - YouTubeストーリー:戦後、焦土と化した日本。敷島浩一(神木隆之介)は戦争から生還するも家族を失い、荒廃した町で同じく両親を亡くした大石典子(浜辺美波)と出会う。そんななか、謎の巨大生物が上陸。ゴジラと名付けられたその生物は、戦争で傷ついた日本をさらに破壊し尽くそうとする。残された名もなき人々に、生きて抗う術はあるのか。(KINENOTE)『ゴジラ-1.0』(GODZILLA MINUS ONE[4])は、2023年11月3日に公開された日本の特撮映画。TOHOスタジオとROBOT製作。戦後間もない日本を舞台に描かれる、山崎貴、VFX・脚本・監督による[5]怪獣映画である[4]。略称「マイゴジ」[6]。タイトルに付けられた-1.0には、「戦後、無(ゼロ)になった日本へ追い打ちをかけるように現れたゴジラがこの国を負(マイナス)に叩き落とす」という意味がある[7]。『ゴジラ』シリーズでは37作目であり、国産の実写作品としては通算30作目[5][8]。『シン・ゴジラ』以来7年ぶりとなり、ゴジラ生誕70周年記念作品と位置付けられている[9][10][11][12][注釈 1]。第96回アカデミー賞では邦画・アジア映画史上初の視覚効果賞を受賞した[12]。またそれまでに歴代のアカデミー賞の中で、監督として視覚効果賞を受賞したのは『2001年宇宙の旅』のスタンリー・キューブリックのみであり、山崎監督は55年ぶり、史上2人目の受賞監督となった[13][14][12]。映画史に名を残す錚々たる大作が並ぶ視覚効果賞の歴代受賞作と比較して、製作費が15億円以下とかなりの低予算[注釈 2][注釈 3]であることもアメリカの映画関係者を驚かせた[15]。第1作目の『ゴジラ』にも、反戦・反核というテーマが作品の中心には大きく存在し、本作品もその意志を受け継ぐために、人命を軽視した戦中日本のアンチテーゼとして「生」に執着する物語にすることを強く意識したという[8]。山崎は「昭和にいて説得力がある人」「怪獣が本物に見える芝居ができる人」という2点のポイントでキャスティングを固めていった。後者に関してはゴジラをいくら自分たちがリアルに創造しても、現実感というのはそれに対する役者のリアクションでしか出せないため、最初から演技力が高い俳優でやりたいと考えていた[79][27]。(ウィキ)神木と浜辺、朝ドラコンビですね。今回は大げさなだけで役立たずの首相や政治家が出演することなく、キャスティングも市井の人が中心でよかったと思います。ゴジラ反撃作戦に辞退する人たちもいて、戦闘一色でないところに好感が持てました。突然の出現、予測不能の行動と、何やらゴジラは地震や津波のようです。人知が及ばない巨大な自然の力、そんなことを思わせる存在でした。地上波放送の翌日のは、日テレBSで白黒版を放送です。少しだけ見て、録画です。もうしばらくして、気が向いたら観てみましょう。
2024.11.04
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映画で気になったシーンです。平澤計七(演 カトウシンスケ)、本作では社会主義者と言うだけで捕らわれ「社会主義万歳」と叫び首を切られ殺害されています。亀戸事件ですが、この点は若干史実と異なるようです。平澤 計七(ひらさわ けいしち、1889年7月14日 - 1923年9月3日)は、近代日本の劇作家・労働運動家である。日本のプロレタリア演劇の祖にして、生活協同組合及び労働金庫の設立の提言者でもある。1923年1月、関東地方の非総同盟系の統一組織である「労働組合同盟会」の機関紙『労働週報』の編集常任に選ばれ、同紙を「総聯合」再建のメディアと位置づけ、1面を「自由討論欄」とし、「思想や意見の違いは議論で。一致できるところでの統一行動を」というルールを定着させようとした。それは次第に効果を発揮し、治安維持法の前身である「過激社会運動取締法案」が国会に上程された時には、思想や党派を超えた労働組合の全国規模の共闘組織が生まれ、東京だけでも1万に及ぶデモや集会が組織され、同法案を廃案に追い込んだ。しかし、その直後、関東大震災のさなか(9月3日夜)、平澤は、身柄を拘束された亀戸署で習志野聯隊の兵士たちによって銃剣で刺殺された。いわゆる亀戸事件で、以上のような活動によって、大杉栄たちと同様、当時の日本の支配層あるいは軍部にとって「危険な人物」と思われていた結果といわれている。平澤は刺殺される時、「ここを突け」と額を指さしたが、腹部を刺され、「労働者万歳!」と叫んで死に就いたという。(ウィキ)首ではなく腹、社会主義ではなくて「労働者万歳!」でした。亀戸事件の前振りとして、朝鮮人が暴れていると流言飛語を流す亀戸署の私服刑事が描かれていました。現代なら、SNSでのデマ発信でしょう。今度の総選挙でも、デマ発信のアルバイト募集広告が話題となりました。求人は、あの自民党の関連会社でしょうか?まだ懲りずにやっているのですね。自警団が、朝鮮人か否かを確認するのに「15円50銭」と言わせるシーンとならんで、日本人なら歴代天皇の名前が言えるはずというのがありました。どうかなと思って見ていたら、少し言いよどんで、神武、綏靖、安寧、懿徳、孝昭、孝安・・・と、日本人であることを証明してみせるシーンがあります。でも、自警団はこれは行商人の口上で、朝鮮人に違いないと無理やり断定です。映画の創作でしょうが、天皇制が踏み絵になっていたことが興味深かったです。現代なら、ちゃんと言える人は皆無でしょう。ということは、・・・。
2024.11.03
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NHKのインタビュー記事です。映画「福田村事件」森達也監督インタビュー | NHK 今回、森監督へのインタビューで改めて映画でこだわった点を聞いたところ、返ってきたのは「加害側を描くこと」という答えだった。なぜ普通の人が変わるのかという構造やメカニズム、経過もしっかり描くことにこだわりました。キーワードは「集団と個」です。映画『福田村事件』でいえば、同調できない役をしっかり表現して、その個がどういう行動をするのかとかを描きたかったし、僕の20年のメインテーマです。人を変えてしまう普遍的なもの、メカニズムとは何なのか。森監督は「自衛意識」から来る防衛本能のようなものだと語る。映画の中でも、自警団や村民が家族を守るために排除や虐殺といった思いもよらない行動をとったが、これは誰にでもなり得る姿だという。 また災害直後の混乱で、不安や恐怖が入り交じる中起きるのが、異質なものを排除しようとする動きだ。 また今回、関東大震災を描くうえで重要な視点があった。それはメディア、伝える側の視点である。映画では、若手の女性新聞記者が、朝鮮人が弾圧される様子を記事にしようとするも、会社という組織の論理に阻まれ苦心する姿が描かれている。 福田村事件だけではなく、朝鮮人虐殺を考える上では、メディアがどんな役割を果たしていたかは極めて重要です。だから絶対描きたかった。記者も組織の人だけど、もっと「個」を強く出してほしい。 言い換えれば個が組織に埋没した瞬間です。ジャーナリズムがそれでいいのかっていうのは言いたい部分でした。だから今回も、ピエール瀧さん演じる部長は、かつては反権力として戦っていました。でも売れなかったらしょうがないし、社員たちの給料も払わないといけない。まあ彼に比べて彼女(若手記者)は青臭いけどでも大事なことを言っている。それは部長も分かっているが、だからって現実はそうはいかない。その葛藤みたいなものは描きました。一つだけ。言いたいことは、100年前の事件ですが、昔話ではありませんということ。この事件は今の日本を映していると思ってくれればうれしいです。誰が主人公ということがない群像劇で、有名無名のあるいは不祥事で自粛している俳優が出ていてとても興味深かったです。ピエール瀧など、ほとぼりがさめたらまた出てきてほしいですね。なつかしかったです。参考:関東大震災の『人災』 映画「福田村事件」が掘り起こしたヘイトクライムの実態【かんさい情報ネット ten.特集】映画「福田村事件」 関東大震災後の虐殺事件を描く(沖縄テレビ)2023/9/28
2024.11.02
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映画とは別に、ウィキから福田村事件です。福田村事件(ふくだむらじけん)は、1923年(大正12年)9月6日、関東大震災後の混乱および流言蜚語が生み出した社会不安[注 1]の中で、香川県からの薬の行商団(配置薬販売業者)15名が千葉県東葛飾郡福田村(現在の野田市)三ツ堀で地元の福田村および田中村(現柏市)それぞれの自警団に暴行され、9名が殺害された事件である[2][注 2]。 1923年(大正12年)3月に香川県を出発していた売薬(当時の「征露丸」や頭痛薬、風邪薬など)行商団15人は、関西から各地を巡って群馬を経て8月に千葉に入っていた[3]。9月1日の関東大震災直後、4日には千葉県にも緊急勅令によって戒厳令の一部規定が適用され、同時に官民一体となって朝鮮人などを取り締まるために自警団が組織・強化[4]され、村中を警戒していた。『柏市史』によれば「自警団を組織して警戒していた福田村を、男女15人の集団が通過しようとした。自警団の人々は彼らを止めて種々尋ねるがはっきりせず、警察署に連絡する。「ことあらばと待ち構えていたとしか考えられない」という状況だった[5]。生き残った被害者の証言[3]によると、関東大震災発生から5日後の1923年(大正12年)9月6日の昼ごろ[3]、千葉県東葛飾郡福田村(現在の野田市)三ツ堀の利根川沿いで[3]、「15円50銭」などと言わせ、休憩していた行商団のまわりを興奮状態の自警団200人ぐらいが囲んで「言葉がおかしい」「朝鮮人ではないか」などと次々と言葉を浴びせていた[6]。福田村村長らが「日本人ではないか」と言っても群衆は聞かず、なかなか収まらないので駐在所の巡査が本署に問い合わせに行った。この直後に惨劇が起こり、現場にいた旧福田村住人の証言によれば「もう大混乱で誰が犯行に及んだかは分からない。メチャメチャな状態であった」[3]。生き残った行商団員の手記によれば「棒やとび口を頭へぶち込んだ」「銃声が2発聞こえ」「バンザイの声が上がりました」[7]。駐在の巡査が本署の部長と共に戻って事態を止めた時には、すでに15人中、子ども3人を含めて9名の命が絶たれており、その遺体は利根川に流されてしまい遺骨も残っていない[7]。かけつけた本署(松戸警察署野田分署[1])の警察部長が、鉄の針金[8]や太縄で縛られていた行商団員や川に投げ込まれていた行商団員を「殺すことはならん」「わしが保証するからまかせてくれ」と説得したことで、かろうじて6人の行商団員が生き残った[7]。香川県三豊郡(現三豊市)の薬売り行商人15名。うち犠牲者は、妊婦や2歳、4歳、6歳の幼児をふくむ9名(妊婦の胎児を含め、10名とする場合[7]もある)[9]。被害者一行は被差別部落出身であった[10][11]。事件が生存者や遺族から多くは語られなかったのは差別による二次被害を恐れてとの指摘も存在する[12]。 検挙されたのは、現場の福田村の自警団員4名および隣接する田中村の自警団員4名[7]。この8名が騒擾(そうじょう)殺人罪に問われたが、被告人らは「郷土を朝鮮人から守った俺は憂国の志士であり、国が自警団を作れと命令し、その結果誤って殺したのだ」と主張しており、また、当時の予審判事は、裁判の前から「量刑は考慮する」と新聞に語っていた[7]。他方、彼らが検挙された頃、田中村の会議で4名の被告人に「見舞金」の名目で弁護費用を出すことを決め、村の各戸から均等に徴収している[7]。判決は、田中村の1名のみ「懲役2年、執行猶予3年」の第二審判決を受け入れたが[7]、あとの7名には大審院で懲役3年から10年の実刑判決が出された。しかし、受刑者全員が、確定判決から2年5か月後、昭和天皇即位による恩赦で釈放された[13]。事件について調査を行った石井雍大によれば、出所した中心人物の一人は後に、選挙を経て村長となり、村の合併後は市議会議員を務めたという[14][15]。殺害を主導した自警団員8人はその後の裁判で、懲役2年から10年に処せられたが、その後、昭和天皇の即位による恩赦で釈放された。事件は当時、新聞で報じられたものの、その後、長く忘れられ、1986年、朝日新聞の報道で再び知られることになる。 「福田村事件」を伝え続ける人たち | NHK市川さんは事件は、日本社会にある2つの差別意識が引き起こしたと指摘する。ひとつは民族的な差別意識ですもうひとつは、職業差別です。市川さんによると、2003年に慰霊碑を建立する際、市に協力を要請したが、断られたという。また、完成時の除幕式への出席を求めたが、これも断られたという。追悼式は2003年以降、毎年開催しているが、市の出席はないという。NHKが野田市役所に取材したところ、いずれも事実だと認めた上で、その理由について、「事件はあくまで民間どうしのもので、加害者側がすでに罰せられているほか、協力の要請などが地元の地区からないため、関わらないと判断している」としている。99年前の悲劇 知られざる福田村事件 差別を乗り越えるには | NHK 福田村事件というので福田村だけかと思ったら、田中村の自警団も殺害に加わったと知ってショックでした。加害者の子孫もまだ生きているので、そっとしておきたいという野田市長だが、やはりそれでは済まないと思います。無かったことにはできないのですから、史実を伝承してのちの世の教訓とするのが、本来のあり方でしょう。現在でも民族差別も職業差別も残っているのですから、その必要性はなくなっていないでしょう。参考:「福田村事件」史実と異なる映画に憤慨 誤解を解くために語り続ける「この現場で起きたこと」 #ニュースその後(千葉日報オンライン) - Yahoo!ニュース2市長が弔意100年の節目の昨年、地元自治体との距離も縮まった。野田市の鈴木有市長は6月の市議会一般質問で「被害に遭った人たちに謹んで哀悼の誠をささげたい」と答弁。柏市の太田和美市長も9月の市議会一般質問で「亡くなった方々の命の尊さを思うと誠に心が痛む」と述べた。 30年近く事件の真相究明などに取り組んでいる市川さんは「公の責任者が(公式の場で)弔意を示したのは初めて。市民運動などの活動が社会的な関心を高め、それが後押しした」と感慨深く語る。
2024.11.01
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ストーリー:民主主義や自由主義を求める大正デモクラシーの喧騒の裏で、報道はこぞって政府の失政を隠すように社会主義者や朝鮮人を槍玉にあげ世論を煽り、市民の不安と恐怖は徐々に高まっていた。日本統治下の京城で教師をしていた澤田智一(井浦新)は朝鮮で日本軍による虐殺事件を目撃し、妻の静子(田中麗奈)を連れて故郷の千葉県東葛飾郡福田村に帰ってくる。一方その頃沼部新助(永山瑛太)率いる香川を拠点にした薬売りの行商団は、関東地方に向け出発。9月1日、関東大地震が発生。激しい揺れが関東地方を襲い、木々は倒れ、家は倒壊。さらに大規模火災が発生し、多くの命が失われた。いつしか流言飛語が飛び交うようになり、瞬く間に関東近縁の町や村に伝わっていき、不安と恐怖が錯綜。2日には東京府下に戒厳令が施行され、3日には神奈川に、4日には福田村がある千葉にも拡大。福田村にも、朝鮮人が集団で襲ってくる、朝鮮人が略奪や放火をした、といった情報が避難民からもたらされ、人々は不安感から浮足立つように。情報の真偽を確かめようと躍起になる地元の新聞社だったが、実体を掴もうにも掴み所がない。一方亀戸署では、震災後の混乱に乗じて、社会主義者を密かに弾圧。人々の間で不安や恐怖心が膨れ上がっていく中、地震発生から5日後の9月6日、福田村で大事件が起きる。(KINENOTE)『福田村事件』(ふくだむらじけん)は、2023年公開の日本映画。監督は森達也。関東大震災の混乱の中で発生した福田村事件を元にした劇映画。PG-12指定作品。137分製作資金はクラウドファンディングで集められ、2257人より3500万円以上を集めた[33]。そのリターンとして380人ほどの支援者の名前がクレジットタイトルに掲載されている[34]。本事件が発生した千葉県野田市で活動している市民団体「福田村事件追悼慰霊碑保存会」は本作品の公開により、「関心が高まった」と歓迎する一方、史実と異なる脚色[注 1]により、「犠牲者や被害者の名誉を傷つけ、差別が広まってしまう描き方だ」として、批判している[38]。 福田村事件追悼慰霊碑保存会代表の市川正廣は行商人らしくない服装や効果のない薬を売りつける場面、自ら被差別部落出身であることを語る場面などの部分がフィクションであると批判し、実際は薬の販売の際に香川県庁から交付された証明書を所持していたほか、被差別部落に対する差別が現代よりも厳しかったことを指摘している。これに対して、本作は事件を題材にしたフィクションであり、監督の森達也は、史実も見方によって変わるもので、本作は事実を再現することに価値を持たせていない[39]、としている。(ウィキ)オウム真理教のドキュメンタリー映画などで有名な森達也監督の初の長編劇映画です。最後の惨殺シーンは40分ほどですが、そこにいたるまでの1時間半は少し長いです。戦前の日本の農村の一般的な様子を描いたということなのでしょうが、出征兵士の銃後の家族の不倫や静子(田中麗奈)の愛欲シーンが必要だったのかは?と思いました。富山の薬売りならぬ讃岐の薬売りは知りませんでしたが、映画で描かれた集団は奇異な人たちに見えました。継続的な置き薬と違って、香具師のように口上で売るちょっと怪しい集団だったのでしょうか。 お金が集まらない題材、右翼の攻撃が予想され一般公開に支障をきたすリスクを乗り越えて、関東大震災100年にあわせて製作公開できたことの意義は大きいと思います。
2024.10.29
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ストーリー:湾岸署を襲った最悪の猟奇的連続殺人事件から7年。お台場は外国からの要人が降り立つ空港が近く、高速道路や変電所などのライフラインもあるため、テロリストの格好の標的となっていた。その対策として、湾岸署は高度なセキュリティシステムが導入された新湾岸署への引越しを決定。その業務を一任されたのは、強行犯係係長に昇進した青島俊作(織田裕二)であった。新湾岸署の開署式まであと3日と迫る中、青島は部下の篠原夏美(内田有紀)や和久伸次郎(伊藤淳史)らとともに大張り切りで引越し作業に取り組んでいた。だが、その引越しの真っ最中に、湾岸署内で次々と事件が発生。金庫破りやバスジャック、さらには、青島や恩田すみれ(深津絵里)らの拳銃が3丁盗まれ、連続殺人事件へと発展していく。湾岸署には特別捜査本部が設置され、管理補佐官の鳥飼誠一(小栗旬)とともに青島は捜査を開始。しかし、必死の捜査もむなしく遂には湾岸署が占拠されてしまう。開署式を翌日に控え、青島ら湾岸署員は被疑者を確保することができるのか……。(KINENOTE)『踊る大捜査線 THE MOVIE 3 ヤツらを解放せよ!』は、2010年7月3日に公開された日本映画である。キャッチコピーは、「He's back.」、「さらば、湾岸署。」、「最悪が占拠する」、「湾岸署、封鎖されちゃいました。」、「SET THE GUYS LOOSE」。 撮影は2010年1月6日から3月15日まで行われた。141分(ウィキ)沢山の話を詰め込み過ぎて、真犯人にたどり着くまでとても長かったです。途中で寝てしまいました。ゲームやITによるセキュリティーなど当時の流行を盛り込んだようですが、今ではとても陳腐に見えてしまいます。最後の電源を落としたらには、笑ってしまいました。拳銃が盗まれるのは黒沢映画のパクリ?署内にはなぜか「生きる」のポスターが掲示です。ビル爆破のあと犯人を担ぎ上げて脱出するシーンは、人形にしか見えずしらけてしまいました。カルトが犯罪を拡散するというテーマに絞って、もう少し短くスリリングに描いてほしかったです。ファンにはたまらないのかもしれませんが、シリーズ物は回を追うごとにつまらなくなるを証明するような作品でした。
2024.10.17
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ストーリー:2003年、お台場。かつては空き地だらけだったこの街も、一大観光名所に姿を変えた。湾岸署でも観光案内、迷子、交通整理などに忙殺される毎日が続く。そんな折、管内で猟奇的な殺人事件が発生した。事件の報に色めく青島俊作(織田裕二)ら湾岸署員。程なく、本庁から室井慎次(柳葉敏郎)らが到着。初の女性キャリア、沖田仁美(真矢みき)を本部長に据え、特別捜査本部が設置された。しかし、青島らの決死の捜査を嘲笑するかのように、第2の殺人事件が…。交錯する様々な事象、動機の見えない殺人、警察内部にうごめく不穏な動き、そして、捜査員の目を撹乱する“増殖”する街・お台場。地図にはない道路やトンネルが存在する、大都会の迷宮・お台場で、青島ら捜査員は被疑者を確保できるのか!?“踊るプロジェクト”映画最新作 公開記念! あの伝説の映画『踊る大捜査線』初の一挙放送が決定! さらに映画「容疑者 室井慎次」、一世風靡した連ドラ、SPドラマも放送! - フジテレビ (fujitv.co.jp)踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』は、2003年7月19日に公開された日本映画(実写)である。キャッチコピーは、「DANCE AGAIN.」 「He’s back(彼が戻ってきた)」 「現場に正義を。」(青島) 「所轄に愛を。」(すみれ・和久) 「捜査に信念を。」(雪乃・真下) 「接待にモナカを。」(室井・スリーアミーゴス)。138分(ウィキ)7回目のテレビ放送で、今回は3時間枠。今回の主役は、本部長役の真矢みきです。憎まれ役でイメージダウンと思いますが、人気シリーズでヒット間違いなしの作品でしたから、役柄同様功名心もあったかもしれません。好演していたと思います。小西真奈美とは対照的?公開から20年、当地の県警本部長もこわそうなお顔の女性です。新潟県警に初の女性本部長、滝沢氏が着任「議論しながら仕事したい」 [新潟県]:朝日新聞デジタル (asahi.com)*1992年東京大学法学部卒業後、警察庁入庁。キャリアですね。今年は鹿児島、京都と世間を騒がせるドラマを上回る警察本部長が続いています。サブタイトルのレインボーブリッジに関してです。(ウィキ)· 本編でレインボーブリッジを封鎖するシーンは、実際のレインボーブリッジを貸し切っての撮影が不可能であったため、当時工事中で供用前だった京都府の京滋バイパス久御山ジャンクションで2003年3月13日から15日にかけて行われた。撮影許可を得るため、日本道路公団(当時)に話を持ちかけたところ、関西支社の担当責任者の一人が『踊る大捜査線』の大ファンであったこともあり、撮影場所の工事を前倒しで行うなどの対応がとられ、異例の「供用前の自動車専用道路」を借り切ってのロケが可能となった[3]。本編には、久御山ジャンクション付近にあるジャスコ久御山ショッピングセンター(現:イオンモール久御山)の看板が小さく写っている。また本作は同店内のシネマコンプレックス(イオンシネマ)でも上映され、公開当日に同館で行われた舞台挨拶ではサプライズで登壇した織田裕二からロケ地が発表された。· 本編には山の影がうっすらと映っているなど実際のレインボーブリッジではあり得ないシーンがあるが、本広克行監督によれば「どのくらいの人が気づくかなと思い、フィクションであることを示すために意図的に残してある」とのことで、撮影に全面協力してくれた日本道路公団への感謝の意味もあったなどとしている。· 本編ではレインボーブリッジの封鎖に各方面への手続きが必要で完全封鎖に苦慮するというシーンがあるが、実際には一般道を封鎖するのと同様に警察の権限で簡単に封鎖が出来る。脚本家の君塚良一も取材の過程でそのことを知ったが、あえて無視したという[4]。現実では上映年の2003年の台風発生時にレインボーブリッジは全面通行止め(事実上の封鎖)になった。この日たまたまラジオのゲスト出演があった織田は「レインボーブリッジ、(本当に)封鎖しちゃいましたね」と一言漏らした。これ以外も、災害や事故等の理由で橋上通行止めの措置が取られるケースは珍しくない。レインボーブリッジを封鎖できます、ですね。参考:映画は、9月28日(土)21時から映画『踊る大捜査線 THE MOVIE』(1998年公開)、10月5日(土)21時から映画『踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』(2003年公開)、10月12日(土)20時から映画『踊る大捜査線 THE MOVIE 3 ヤツらを解放せよ!』(2010年公開)、11月16日(土) 21時から映画『踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望』(2012年)と、映画『踊る大捜査線』全4作品を初の一挙放送。更に、9月30日(月)21時から映画『容疑者 室井慎次』(2005年公開)も放送する。いずれも最新リマスター版(4Kリストア版)での地上波初放送となる。
2024.10.13
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ストーリー:1991年。東西冷戦の終結と共に、CIAの作戦担当官として数々の伝説を築き上げてきたネイサン・ミュアー(ロバート・レッドフォード)も、引退の日を迎えようとしていた。そんな時に飛び込んできたのが、彼が育て上げたエージェント、トム・ビショップ(ブラッド・ピット)の危機を報じるニュース。中国で逮捕されたビジョップだが、米中関係融和の潮流から、上層部は見殺しにするつもり。1975年にユエ陥落後のベトナムで出会って以来、直接の交流は途絶えた今も師弟関係で結ばれている2人。またミュアーは、自分の職業倫理のせいで、ビショップが戦火のレバノンで心を通わせたNGO職員のエリザベス(キャサリン・マコーマック)との苦い恋を締めくくる結果になったことを気にしてもいた。そんなミュアーに残された時間は、在職中である1日だけ。そして彼はCIA上層部と渡り合う一世一代のオペレーションに取り掛かり、見事処刑寸前でビショップを救うのだった。(KINENOTE)『スパイ・ゲーム』(Spy Game)は、2001年のアメリカ合衆国のスパイ映画。ブラッド・ピットとロバート・レッドフォードの新旧、二枚目スターの共演で話題になった。126分(ウィキ)監督は、トニー・スコット。2大スターを共演させて、スリリングでスタイリッシュな映像を見せてくれます。1991年CIA本部・中国→1975年のベトナム→1976年ベルリン→1985年ベイルート→1991年CIA本部・中国と、回想シーンでドラマが進行します。CIAによる要人暗殺や謀略のオンパレードですが、告発ではなくスリリングなスパイアクションとして描かれています。CIAはまぎれもない殺人者集団で、見方によっては悪の組織です。情報提供者や協力者は、あくまでも手駒で、容赦なく切り捨てられます。
2024.10.11
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ストーリー:“地下鉄不審車両暴走事件”から2ヶ月後の2005年2月、新宿で起きた殺人事件の捜査本部長を務めていた警視庁管理官・室井慎次が、“特別公務員暴行陵虐罪の共謀共同正犯”の容疑で逮捕された。被疑者として取り調べを受けていた警官・神村が逃走途中に車で撥ねられ死亡したことから、捜査の過程で過剰な暴力行為があったとして、神村の母親が刑事告訴したのだ。だがその陰には、警察の不正を暴こうと意気込むやり手の弁護士・灰島の姿があった。大学時代の恋人自殺という室井の辛い過去を抉り出し、追及の手を緩めない灰島に対し、新城の根回しで一旦は釈放された室井は、停職処分になりながらも、沖田警部捜査一課管理官が手配した若き弁護士・小原久美子や、室井の事件解決への真摯な姿勢に賛同した新宿北署の工藤を始めとした刑事たちの力を借りて、真犯人の捜査に乗り出す。だが、灰島の邪魔立てや警視庁と警察庁の権力闘争の中、捜査は思うように進まない。やがて、捜査線上にひとりの女が浮かび上がった。桜井杏子。彼女こそ、三角関係のもつれから黒木殺害を石本というチンピラに依頼した事件の真犯人で、神村は彼女を庇おうとして黙秘を続けていたことが杏子自身の供述などにより判明した。かくして、事件は解決。灰島も告訴を取り下げ、辞職を覚悟した室井にも新城の独断で広島県警への異動が命じられるのであった。(KINENOTE)『容疑者 室井慎次』(英題: The Suspect)は、『踊る大捜査線』のスピンオフ映画。2005年8月27日に『THE ODORU LEGEND CONTINUES』として公開された。キャッチコピーは、「He's black?(彼は、クロか、シロか?)」、「青島よ、約束は果たせそうにない…」、「正義に裏切られた男。/敵は犯人だけではない。」TVシリーズからほぼ全作の脚本を担当した君塚良一が初めて監督も兼任した。117分(ウィキ)テレビ放送は、今回で4回目です。ずっと押し黙ったままの室井、最後はその分スカッとさせてくれるのかと思ったら、首がつながって広島に左遷でした。踊る大捜査線のようなコメディーではありません。警察庁と警視庁の人事抗争もピンとこず、途中で手打ちです。参考: 劇中で描かれている「警察庁次長(警視監)対警視庁副総監(警視監)による次期警察庁長官の出世争い」は、現実世界の警察人事ではまず起こりえないものである。警察官僚の中の通常の序列[注 1]は、警察庁長官が1位、警視総監が2位、警察庁次長が3位であり、警視庁副総監は10位にあたる。序列2位の警視総監は警察官僚におけるあがりポストの1つとして扱われていることから、序列1位の警察庁長官の最有力候補は序列3位の警察庁次長である。しかし、序列10位の警視庁副総監と序列1位の警察庁長官の間にはあがりポストである警視総監を除けば7人もいるため、警視庁副総監が次のポストとして警察庁長官になることは通常の人事では起らない。また新宿北署が舞台ですが、新宿の様子も違和感ありです。強行係の姿も漫画チックで、本テーマには合わないと思いました。青島は出てこず、室井だけでは魅力に欠ける作品でした。参考: 劇中、雨の新宿の道路を封鎖するシーンがあるが、現地で撮影の許可が降りるはずもないため、福島県いわき市勿来町の工業団地に精巧な巨大セットを建設して撮影した。歌舞伎町のシーンも、いわき市平市街地の歓楽街が使用されている[要出典](このため新宿三丁目付近で室井が暴行を受けるシーンにおいて、実際の新宿にはない総合スーパー型店舗のイトーヨーカ堂が映っている)。(ウィキ)
2024.10.08
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ストーリー:お腹に熊のぬいぐるみを詰められ川に委棄された男の殺人事件と、刑事課のデスクから領収書や小銭入れなどが盗まれる窃盗事件の捜査で慌ただしい湾岸署に、その日、警察庁参事官の室井を筆頭とした本庁の面々が物々しい装備でやって来る。彼らは湾岸署に特別捜査本部を設置。実は、湾岸署管轄内に住む警視庁の吉田副総監が身代金目的の誘拐にあっていたのだ。本庁の連中は秘密裡に捜査を進めるばかりで、一切湾岸署には協力を求めようとはしない。そんな彼らのやり方に腹を立てながらも、青島たち湾岸署の刑事は殺人事件の捜査に躍起になっていた。真下刑事と捜査講習を終えたばかりの桂木刑事によって、被害者がインターネットで仮想殺人のホームページに頻繁にアクセスしていたことを知った青島は、そのホームページの開発者・テディとの接触を図る。同じ頃、室井たちは誘拐犯との身代金の受け渡しを実行に移そうとしていた。ところが、指定された遊園地に刑事たちを配備していたことが犯人グループに知られてしまい、計画は失敗。指揮を執っていた室井は、辛い立場に追い込まれる。一方、青島たちも実はテディと名乗る人物が女であることを突き止めながら、彼女を取り逃がしてしまうのであった。湾岸署内に重い空気が垂れ込める。そんな中、吉田副総監と懇意であった和久は、独自の聞き込みを開始していた。誘拐犯グループから、副総監殺害を予告する電話が入った。室井たち本庁捜査陣は、仕方なく公開捜査に切り替え、青島たち湾岸署の刑事たちにも検問などの出動命令を下す。その時、湾岸署に拳銃を持ったテディこと殺人マニアの日向真奈美が姿を現した。不適な笑みを浮かべる彼女は、殺人を犯した自分を早く逮捕し、死刑台へ連れて行けと言う。ひとりの警官の活躍で彼女を逮捕することに成功する青島。だが、その警官は制服を巧みに使用して、所内で領収書以外の小銭入れなどの窃盗を働いていた犯人でもあったのだ。こうして湾岸署の事件は一件落着する。しかし、誘拐犯の方は未だなんの手がかりも得られていない。その時、青島は日向に事件を解くヒントを貰うことを思いつく。犯罪に詳しい彼女なら、犯人像のヒントをくれるはずだ。果たして青島の予想通り、日向は脅迫電話の録音テープから犯人グループは実は計画性のない幼稚な者たちの仕業であると教えてくれた。同じ頃、副総監の家の周りの聞き込みをしていた和久が、怪しい少年の存在に目を光らせていた。ところが、その少年の後をつけた和久は少年とその仲間に襲われ、ゴミ焼却場に拉致されてしまう。日向のヒントを頼りに、殺人マニアのチャット仲間から未成年者を探っていた青島たちは、やがてその中に坂下始という少年の名前を見つける。そして、その少年の住む団地のゴミ焼却場で和久を助けると、恩田と共に少年の家に乗り込んだ。果たして、そこにはゲーム感覚で誘拐を企てた少年たちが集まっていた。彼らを逮捕しようとする青島。ところが、少年を溺愛する母親が青島を包丁で刺してしまった。後から駆けつけた室井と恩田は、青島を病院に運ぼうと必死に車を走らせる。恩田の膝の上で虫の息の青島。やがて、静かになった青島は…、ふたりの心配をよそにそれまでの寝不足から深い眠りについていたのであった。こうして、副総監誘拐事件は解決。領収書窃盗の犯人も、実は経費削減を訴える神田署長の仕業であることが判明して、湾岸署には平和が戻る。一方その頃、怪我で入院していた青島は、一日も早く現場へ復帰すべくリハビリに余念がなかった。(KINENOTE)『踊る大捜査線 THE MOVIE』は1998年の日本映画(実写)。フジテレビの連続テレビドラマ『踊る大捜査線』の劇場版。副題は、『湾岸署史上最悪の3日間!』。(ウィキ)今回で12回目のテレビ放送です。119分の作品をたくさんのCMを入れて2時間半枠でした。ビデオ録画して、CMカット早送りですね。「事件は会議室で起きてるんじゃない!現場で起きてるんだ!」の青島刑事のセリフが有名ですが、今回は、新城賢太郎(警視庁刑事部捜査第一課管理官・警視) - 筧利夫の、事件解決後の「兵隊は犠牲になってもいいのか」というセリフが印象的でした。上層部からすれば、所轄の警官は単なる駒なのですね。1時間26分50秒あたりからです。 *フルのビデオですが、やはり違法動画?アップしたのはベトナム人らしき名前の方で視聴回数は2000ほどでした。小泉今日子の怪演も楽しめました。労災を心配するいかりや長介もよかったです。
2024.10.04
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三谷幸喜×中井貴一!映画『記憶にございません!』予告編 (youtube.com)ストーリー:病院のベッドで目が覚めた黒田啓介(中井貴一)。自分が誰だか、ここがどこだか分からない。こっそり病院を抜け出し、テレビのニュースを見る。演説中に投石を受け、病院に運ばれている首相、それが自分だった。しかも石を投げつけられるほど、すさまじく国民に嫌われているようだ。部下らしき男が迎えにきて、官邸に連れて行かれる。「あなたは、第百二十七代内閣総理大臣。国民からは、史上最悪のダメ総理と呼ばれています。総理の記憶喪失は、トップシークレット、我々だけの秘密です」真実を知るのは、井坂(ディーン・フジオカ)ら秘書官3名のみ。進めようとしていた政策はもちろん、大臣の顔と名前、国会議事堂の本会議場の場所、自分の息子の名前すら思い出すことのできない総理。そんななか、記憶にない件でタブロイド紙のフリーライター・古郡(佐藤浩市)にゆすられ、記憶にない愛人にホテルで迫られる。妻・聡子(石田ゆり子)も不倫をしているようだし、息子の篤彦(濱田龍臣)は非行に走っている気配。そしてよりによってこの時期に、アメリカ大統領スーザン・セントジェームス・ナリカワ(木村佳乃)が来日。他国首脳や政界のライバル、官邸スタッフ、マスコミ、家族、国民を巻き込みながら、黒田は捨て身で自らの夢と理想を取り戻そうとするのだが……。『記憶にございません!』(Hit me Anyone One More Time)は、2019年9月13日に公開された日本映画。監督・脚本は三谷幸喜、主演は中井貴一。フジテレビ開局60周年記念作品。(ウィキ)2021年1月のテレビ放送に続く2回目の放送です。視聴率は、12.1 → 8.1%3年半以上もたっているので、忘れていたシーンも多く新たな気分で楽しめました。観る前に、BSフジで総裁候補9名の討論会を少し見ましたが、この中井貴一演じる首相よりもましな人物がいるかは?です。靖国参拝で物議をかもしている高市は、司会者に当選したらさっそく10月の例大祭に行くのかとたずねられて、いつ行くと明言するのは、御霊に対して失礼とのわけのわからない返答です。もしかしたら、アベみたいに年末にこそこそ出かけるつもりなのかと思ってしまいました。アベは米国から歴史修正主義者と指摘されて、自重しましたね。中国や韓国よりも、ご主人様からにらまれるほうが痛手です。面白かったのは、外務大臣の上川です。自分は靖国には行かず千鳥ヶ淵にお参りするが、気持ちは靖国の御霊にお参りする気分と答えていました。何とも珍妙な答えで、笑ってしまいました。コアな右翼にアピールしたいのでしょう。愛方は最後まで見ていたようですが、私はあほらしくて記憶にございません!を観ました。景気回復や増税ゼロ、教育費無償・・・を叫ぶ候補たちですが、今まで政権中枢にいた人たちです。なぜやらなかったのか、あるいはできなかったのかとたずねてもらいたいものですが、フジテレビの司会者では無理なようです。たぶん選挙が終われば、記憶にございません!を連発する連中でしょう。まずは、統一教会問題、裏金問題でしょう。
2024.09.27
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Coogan's Bluff Official Trailer #1 - Clint Eastwood Movie (1968) HD - YouTubeストーリー:アリゾナ州の保安官補クーガン(クリント・イーストウッド)は現代に生き残った原始人のような男。本能的に狩りが巧みで、彼の追跡にあっては、いかなる凶悪犯も、とても逃げきれるものではない。そのうえ、他人との協力をこばむ一匹狼だったので、上官のうけはよくない。ある日のこと、彼はニューヨークで逮捕された凶悪犯をアリゾナまで護送してくる仕事を、任されたのである。1人ニューヨークに乗り込んだが、なにせ田舎者なので勝手が分からない。ルールを無視して凶悪犯リンガーマンを引きとった。この頃知り合ったのが、ニューヨーク警察の女性犯罪者の保護係ジュリー(スーザン・クラーク)である。彼女はクーガンの野性的魅力に強くひかれるようになった。一方リンガーマンを連行して空港まできたクーガンは、待ち伏せしていた悪党一味の罠にかかり、リンガーマンを逃がしてしまった。苦しい立場に追い込まれたクーガン。彼は警察官を解雇され、一市民としてリンガーマンを追うことになった。ジュリーの協力を得て、リンガーマンの情婦リニーを追いつめ、ついにリンガーマンの居場所をつきつめた。オートバイで逃げるリンガーマン。さらにスピードを上げて追うクーガン。馬をオートバイに乗り替えたようなクーガンの追跡には、かなわない。彼は見事、市民として、凶悪犯を逮捕したのである。(KINENOTE)『マンハッタン無宿』(Coogan's Bluff)は、1968年制作のアメリカ合衆国のアクション映画。『ダーティハリー』のドン・シーゲルとクリント・イーストウッドが初めてコンビを組んだ作品。本作の設定はのちにテレビドラマ『警部マクロード』に転用された(同じハーマン・ミラーが脚本を担当)[3]。93分 (ウィキ)原題がクーガンのブラフ(はったり)なのに、邦題はマンハッタン無宿。拳銃無宿から?それとも犯人のことでしょうか、今では意味不明の邦題です。参考:無宿(むしゅく)は、江戸時代において、現代の戸籍台帳と呼べる宗門人別改帳から名前を外された者のことである。なお現在の住所不定と同様に、必ずしもホームレス状態にあるわけではない。無宿には、江戸時代は連座の制度があったために累がおよぶことを恐れた親族から不行跡を理由に勘当された町人や、軽罪を犯して追放刑を受けた者もいたが、多くは天明の大飢饉や商業資本主義の発達による農業の破綻により、農村で生活を営むことが不可能になった元百姓だった。村や町から出て一定期間を経ると、現在の住民票における職権消除のように、人別帳から名前が除外されるため、無宿は「帳外」(ちょうはずれ)とも呼ばれた。パンナムビルが出てきて、屋上がヘリコプター便のヘリポートです。アリゾナまでは、ずいぶんかかりそうです。NYからアリゾナ州のお隣のニューメキシコ州アルバカーキ―に行ったことがありますが、アトランタとダラスで乗り換え、この間時計を2度調整しての一日がかりの旅でした。LSDとサイケデリック、巨大なクラブと喫煙そしてパンナムビル、60年代のニューヨークを見せてもらいました。エアポートでの、スーザン・クラークとの別れのシーンです。パンナムは、愛方の希望でハワイへのハネムーンで乗りました。
2024.09.23
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Immortal Movie Trailer 『 恐怖のメロディ(Play Misty for Me) 』 1971. Clint Eastwood - YouTubeストーリー:ディスク・ジョッキーとして、モントレイ半島では最高に人気のあるデイブ・ガーランド(クリント・イーストウッド)はKRMLラジオのスターだった。レコードの合い間に詩を読んだり、ちょっとした哲学を聞かせながら、電話によるリクエストを受けていく。彼にはチャーミングな恋人トビー(ドナ・ミルズ)がいたが、彼女はある日、突然、デイブの前から姿を消した。不気味な事件はちょうどその頃から始まろうとしていたのだ。デイブの放送が始まると、決まった時間に若い女の声で“ミスティ”という曲をかけてと判で押したようにリクエストするのだ。その夜、デイブが、事務所がわりに使っているバーに顔を出すと女のひとり客がいた。スマートな美人で、デイブのファイトをかきたてるに充分だった。デイブがバーテンのマーフィー(ドン・シーゲル)とゲームを始めると予想通り、女は身を乗り出してきた。あとはお定まりのコースだ。デイブは娘のアパートにもぐり込んだ。娘の名はイブリン・ドレイバー(ジェシカ・ウォルター)といい、毎晩“ミスティ”をリクエストするのは彼女だった。その晩以来、イブリンは勝手に彼の部屋に押しかけるようになった。その日はちょうど、サン・フランシスコ放送会社の女社長マッジ(アイリーン・ハーヴェイ)から持ち込まれた新しい仕事について、相棒のアル・モンテ(ジェームズ・マッキーチン)と打ち合わせの最中だったのだ。アルは気をきかせて帰っていった。数日後、デイブは、町に戻ってきたトビーと再会し、2人はお互いの愛を確認した。だがイブリンは激しくデイブに迫り、マーフィーやアルの防波堤では防ぎきれなくなったため、覚悟を決めたデイブは彼女に別れ話を持ちかけたが、彼女の異常さは頂点に達し、話し合いどころではなかった。デイブがトビーと海岸で遊んだ日の夜、デイブのアパートにイブリンが飛び込んできた。そして浴室で自ら手首を切ってしまった。仕方なく一番彼女を泊めることにしたが、翌朝、すでにイブリンの姿はなかった。デイブがトビーに今までのことをすべて打ち明けて帰宅すると、掃除夫のバーディが瀕死の重傷を負い、倒れていた。その傍らには放心状態のイブリンが立っていた。彼女は病院へ送られることになった。それからしばらく平穏な日が続き、デイブとトビーはジャズ祭に行った。その帰り、トビーは今一緒に住んでいるマドリンがもうすぐ引っ越し、替わりにアナベルという娘が来ることになったと告げた。ある夜、本番中のデイブにイブリンから電話がかかってきた。病気が治ったのでハワイに行くことに決まったから、その前に“ミスティ”をかけてくれというのだ。デイブは承知した。次の日KRMLに出た彼は、昨夜イブリンが口ずさんだ詩を思い出した。それは、エドガー・アラン・ポーの“アナベル・リー”だった。彼は不安になった。そういえば、トビーの新しい同居人はアナベルといっていたではないか。デイブはとっさにトビーの電話番号を廻したが、受話器から流れる声は間違いなくイブリンの声だ。デイブは放送局を飛びだした。トビーの家に駆け込んだデイブが最初に目撃したものは、トビーの保護を依頼していたマッカラム刑事(ジョン・ラーチ)の死体だった。胸にナイフがつきささり、無残という他はなかった。別の部屋からトビーの恐怖に満ちた悲鳴が聞こえた。彼はまっくら闇の中へつっ込んでいった。そこにはロープで縛られたトビーがいるだけだった。その瞬間、デイブの背後から、ナイフを手にしたイブリンが躍りかかった。彼は必死でかわした。女の力とは思えないすさまじいイブリンの攻撃だったが、乱闘の末彼女はベランダから海へ落ちた。(KINENOTE)『恐怖のメロディ』(Play Misty for Me「『ミスティ』をかけて」)は、1971年のアメリカ合衆国のサイコスリラー映画。クリント・イーストウッドの監督によるサスペンス映画である。 主人公に異常なまでに執着するストーカーの恐怖を描くスリラー。本作が公開された1970年代当時は、まだストーカー行為という概念自体が浸透していなかったため、このタイプのスリラー映画としては非常に先進的な映画である。 1970年9月に開かれた「モントレー・ジャズ・フェスティバル」の演奏の映像がそのまま使われている。キャノンボール・アダレイ・クインテットにはジョー・ザヴィヌルが参加している。108分(ウィキ)今や大監督のクリント・イーストウッドの第一回監督作品ですが、公開当時はあまり注目されず興味を引きませんでした。ストーカー役のイブリン・ドレイバー(ジェシカ・ウォルター)がだんだん凶暴になって行く演技が不気味でした。彼女はその後テレビ映画で活躍したようで、2021年に80歳で亡くなっています。カーメルが舞台で、海岸線や森などの景色が美しかったです。デイブとトビーが関係を深めていく場面で使われるのは、ロバータ・フラックが1969年に発表した「愛は面影の中に(The First Time Ever I Saw Your Face)」。運転中のカーラジオでこの曲を聴いたイーストウッドは直接フラックに電話して使用許可を求めた[3]。フラックのバージョンは公開翌年の1972年に全米1位を獲得し、第15回グラミー賞の最優秀レコード賞と最優秀楽曲賞を受賞した。(ウィキ)
2024.09.14
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ストーリー:ロサンゼルス在郷軍人病院の1室で、今年121 歳という老人ジャック・クラブ(ダスティン・ホフマン)は、歴史学者のインタビューに答えて、追憶の糸をたどりつつ、驚くべき事実を語り始めた。--1859年、南北戦争直前、当時10歳の少年だったジャックはシャイアン・インディアンに両親を殺され、姉のキャロライン(キャロル・アンドロスキー)と孤児になったところを、シャイアン族のひとり、“見える影”(ルーベン・モレノ)に見つけ出され、集落へ連行された。老酋長“オールド・ロッジ・スキンズ”(チーフ・ダン・ジョージ)は2人を快く迎え入れたが、男まさりのキャロラインは夜、馬を盗んで脱走し、ジャックは1人集落にとり残された。ジャックは小柄だが勇敢だった。14歳のとき、クロー・インディアンと戦い、仲間である“若い熊”(カル・ベリーニ)の危ないところを救った。そこで老酋長は彼に“小さな巨人(リトル・ビッグ・マン)”という名誉ある名を与えた。身体は小柄でも、肝が大きいという意味である。16歳を迎えたジャックは、初めて騎兵隊と戦闘を交え、兵士のひとりに殺されかけて、思わず「ジョージ・ワシントン!」と初代大統領の名を叫んだ。あっけにとられたその兵士に、ジャックは白い肌を見せた。こうしてジャックは白人社会に戻ることとなり、ペンドレーク牧師に引きとられた。夫人(フェイ・ダナウェイ)は若くて、聖女のように美しかったがその実、ジャックに淫らな妄想を抱いていた。9年後、25歳になったジャックは、イカサマ商人メリウェザー(マーティン・バルサム)と組んで西部を行商して歩いていた。ある夜、2人は暴漢一味に襲われたが、その首領が15年前に生き別れたままの姉キャロラインと知ってびっくり。キャロラインは、いまや名うての拳銃使いになっていた。ジャックは彼女から早撃ちの極意を授かり、相当な腕前となっていった。しかし、拳銃稼業の非情さを知り、ジャックは商人に戻った。やがてジャックは念願の店をもち、キング・サイズのスウェーデン娘オルガ(ケリー・ジーン・ピータース)を娶ってささやかな幸福をつかんだつもりだったが、相棒に騙されて破産という不運に見舞われた。そんなジャックに、人生の再出発として西部行きを勧めたのは、第7騎兵隊の司令官カスター将軍(リチャード・マリガン)だった。インディアンは平定されて危険はないという将軍の言葉に従って、夫婦は西部に向かったが、途中インディアンに襲われ、オルガはさらわれてしまった。ジャックは足を棒にして愛妻を探しまわったが、行方はさっぱりつかめなかった。ジャックはカスター将軍に頼んで、騎兵隊のスカウトになった。そんなある日、第7騎兵隊がインディアン集落を襲った時のこと、ジャックに襲いかかろうとしたインディアンを軍曹が射殺した。そのインディアンはかつてジャック姉弟を助けてくれた“見える影”だった!ジャックは戦闘に参加できず、隠れていると、草むらの中から女のうめき声がする。“見える影”の娘“日の光”(エイミー・エクルズ)が出産寸前なのだ。ジャックは、“日の光”につき添い、集落へ連れ帰って彼女を妻に迎えた。だが祖父代わりの老酋長は白人との戦いがもとで失明し、“孫”の顔を見ることができなかった。それから1年、シャイアン族は政府の指定したワシタ地区に移らなければならなくなった。そこで、ジャックは忘れもしなかった愛妻オルガに再会した。しかし、彼女は“若い熊”の妻になって亭主を尻に敷いていた。第7騎兵隊がインディアン地区を襲ってきたのは、ジャックの息子“暁の星”が生まれた朝のことであった。ジャックの目の前で、“日の光”が、生まれたばかりの“暁の星”が、無抵抗の女どもが、白い大地を鮮血に染めて死んでいった。死を覚悟していた老酋長をつれて辛くも逃げのびたジャックは、愛するもの、親しいものの命をすべて奪ったカスター将軍に復讐を誓うのだった。それ以来、人が変わったように酒びたりの毎日を過ごしていたジャックだったが、投身自殺を決意して高い崖の上に立ったちょうどその時、リトル・ビッグ・ホーンに向かうカスター将軍と第7騎兵隊の姿が目に入った。彼は再びスカウトに志願した。カスターは「戦略上裏目を見とおすバロメーターだ」と言って、部下の反対を押しきり、自分を憎んでいるジャックを敢えて雇った。その頃のカスターはインディアン撲滅に偏執狂的な執念を燃やしていた。しかしカスター将軍と第7騎兵隊は、インディアンの罠にかかり、まんまと両部族の間におびき寄せられてしまう。将軍の馬が撃たれ、兵士もつぎつぎと死んでいく。カスターは気が狂ったように叫び、矢がささって苦しむジャックに拳銃を突きつけた--。ジャックが我に返ると、そこはテントの中だった。重傷のジャックを助けたのは、以前命を救ってやった“若い熊”だった。「われわれは今日勝った。だが明日は勝てぬ。」そうつぶやく老酋長は、死期が近づいたことを悟っていた。山頂にはすでに棺台が用意されていた。老酋長はジャックを伴って頂上に立ち、シャイアン族の闘いの鬨の声を上げ、神に感謝し、死を願い、静かに横たわった。だが、折りから雨に正気を戻した老酋長は、ジャックともども再び静かに山をおりていくのだった。「これがインディアンと生きた男の話だ。」老人は話し終えると頭をたれた。(KINENOTE)『小さな巨人』(原題: Little Big Man)は、1970年製作のアメリカ映画。同時代の『ソルジャー・ブルー』とともに、西部劇の転換点に位置する作品として映画史に残る作品である[要出典]。 トーマス・バーガー(英語版)原作。121歳の老人のホラ話のような人生の中に、ネイティブアメリカンや当時のベトナム戦争の問題[要出典]をエンターテイメントに包んで表現している。(ウィキ)NHKBSシネマは、毎週金曜日に西部劇を放送していますが、先週はアメリカンニューシネマでリヴィジョン・ウェスタンの小さな巨人でした。高校生の頃見たので、50年ぶりの再見です。当時は、ベトナム戦争を連想させる作品でした。ソンミ村虐殺事件が有名です。今回も、カスター将軍の「女を生かしておくと子どもを産むから、殺せ」というセリフが出てきます。まさに今進行しているイスラエルのガザでの大虐殺を連想させます。ハマスせん滅のためとは言っていますが、学校や病院、難民キャンプを無差別に攻撃しているのは、まさに成長すればハマスとなる子供たちやその母親を殺すためでしょう。やっぱり老酋長役のチーフ・ダン・ジョージがいいですね。米国は移民の国というよりは、白人の侵略で作られた国というのが、正しいですね。インディアンの中のLGBT(トランスジェンダー?)が描かれていて、当時として進んでいたようです。参考:町山智浩の映画塾!「小さな巨人」<予習編> 【WOWOW】#127 (youtube.com)町山智浩の映画塾!「小さな巨人」<復習編> 【WOWOW】#127 (youtube.com)PS:『ソルジャー・ブルー』(Soldier Blue)は、1970年のアメリカ合衆国の映画。『野のユリ』で知られるラルフ・ネルソン監督で、同年12月に公開された『小さな巨人』とともに、西部劇の転換点に位置する作品である。米国史の暗部である1864年のサンドクリークの虐殺を提示することで、1960年代のベトナム戦争でのソンミ村事件へのアンチテーゼを掲げた映画だとも云われている。(ウィキ)
2024.09.10
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ストーリー:FBIのジョン・エドガー・フーバー長官(レオナルド・ディカプリオ)は、人生の終盤に差し掛かり、部下に命じて回顧録を書き取らせる。記憶はFBI誕生以前へと遡り、彼の表の経歴が語られるとともに、その裏側の野望、企み、葛藤、苦悩が次第に明らかにされていく……。20世紀の半分を占めるおよそ50年もの間、アメリカで大統領さえも及ばない強大な権力を手にしていた男。そのたった一人の人間が、アメリカのあらゆる秘密を掌握し、国さえも動かしていたという事実。50年間に入れ替わった大統領は8人にのぼり、その誰もが彼を恐れた。それが、ジョン・エドガー・フーバーFBI初代長官である。20代でFBI前身組織の長となり、以後、文字通り死ぬまで長官であり続けた。今日では当たり前とされる科学捜査の基礎を確立し、犯罪者の指紋管理システムを作ったのも彼なら、FBIを子どもたちの憧れの的にまで押し上げたのも彼だった。紛れもない英雄であるにもかかわらず、彼には常に黒い疑惑やスキャンダラスな噂がつきまとった。やがて、国家を守るという絶対的な信念は、そのためになら法を曲げてかまわないというほど強く狂信的なものとなる。それゆえ彼は正義にもなり、悪にもなった。国を守るという大義名分のもと、大統領を始めとする要人たちの秘密を調べ上げ、その極秘ファイルをもとに彼が行った“正義”とは一体何だったのか?映画やコミックを使ってFBIの素晴らしき喧伝させる裏側で、彼は何を画策していたのか……?あきなく高みを目指した男の深い心の奥底が描かれる……。(KINENOTE)『J・エドガー』(J. Edgar)は、2011年の伝記映画。クリント・イーストウッド監督、ダスティン・ランス・ブラック脚本で、レオナルド・ディカプリオがジョン・エドガー・フーヴァーを演じた。FBI長官のエドガー・フーヴァーの生涯に基づき、彼のキャリアに焦点を合わせ、さらにクローゼット・ホモセクシュアルであったと言われる彼の私生活にも触れられている[3]。138分(ウィキ)リンドバーグ、キング牧師、ケネディー兄弟、ニクソンと、それ以外にも初めて耳にする人物が描かれていて、さながら米国現代史でした。若い時から老境までを演じるディカプリオが光っていました。ゲイとは知りませんでしたが、パートナーを取り立てて副長官というのはまずいでしょう。母親役は、ジュディ・デンチでした。治安維持がすべてで、それが正しいと確信しているところがこわいです。歴代大統領を脅して終身長官。FBIはまさに彼の帝国でした。今は、最長任期は10年だそうですが、それでも長いように思います。
2024.09.04
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ストーリー:現役の看護師でありながら、病院内で適切な処理を受けることが出来ずに急死した母・浪子(夏川結衣)の葬式を終えた新米医師の息子・弘平(成宮寛貴)は、整理していた母の遺品から一冊の古い日記帳を見つける。そこには生前看護師を天職と語っていたとは思えない泣き言が綴られていた……。1989年。浪子が勤めるさざなみ市民病院は、大学病院に依存し、外科手術ひとつまともにできない地方病院だった。そこに、ピッツバーグ大学で肝臓移植も手掛けた当麻鉄彦(堤真一)が、第二外科医長として赴任する。着任早々の緊急オペにも、正確かつ鮮やかな手際で淡々と対応する当麻。患者のことだけを考えて行動する当麻の姿勢は、第一外科医長・野本(生瀬勝久)らの反発を招く一方、慣例でがんじがらめになった病院に風穴を開けていく。特に、オペ担当のナースとして当麻と身近に接していた浪子は、彼の情熱に打たれ、仕事に対するやる気とプライドを取り戻していった。院長・島田(平田満)の仲介で当麻は、市長・大川(柄本明)の娘・翔子(中越典子)と見合いをするが、彼の頭にはただ医療のことしかない。ある日、第一外科で、一年前のオペが原因で患者が亡くなる事態が発生。デタラメなオペをしながらそれを隠蔽、責任を回避する野本と対立して病院を去る青木(吉沢悠)に、当麻はピッツバーグへの紹介状を渡す。そんな中、大川が末期の肝硬変で病院に搬送される。意識が混濁した大川を助ける方法は唯一、生体肝移植のみ。だが、成人から成人への生体肝移植は世界でもまだ前例のない困難を極めるものだった。当麻が、翔子ら家族に対して移植のリスクを説明する中、浪子の隣家に暮らす小学校教師・静(余貴美子)の息子・誠が交通事故で搬送されてくる。数日後、脳死と診断された誠の臓器提供を涙ながらに訴える静。彼女の想いに打たれた当麻は、日本ではまだ認められていない脳死肝移植を大川に施すことを決断する……。(KINENOTE)ベストセラーの映画化で、2010年の作品です。126分。栄達よりも患者第一の医師の物語で、悪徳医師が最後に報いを受けるというすっきりした終わり方でした。映画なので、テレビに比べて手術の様子が生々しくてちょっと苦手な部類のテーマです。生瀬や柄本の漫画的な演技が気になりました。朝ドラの(中野)大賀も出ています。告訴とありましたが、ストーリー展開からそれはないでしょう。では告発は、失敗すればそれもありですが、脳死の条件をクリアしているので可能性は低いでしょう。
2024.08.31
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映画の予告編をチェックしていたら、YouTubeがこのフジテレビの特集番組をお勧めです。映画を観たので、ユダヤ人たちのその後や日本での生活を興味深く見せてもらいました。レポーターは、木元教子です。生前の杉原も映っています。杉原千畝 命を分けた一枚のビザ Chiune Sugihara Doc. 1 (youtube.com)続きです。杉原千畝 命を分けた一枚のビザ Chiune Sugihara Doc. 2 (youtube.com)杉原千畝 命を分けた一枚のビザ Chiune Sugihara Doc. 3 (youtube.com)杉原千畝 命を分けた一枚のビザ Chiune Sugihara Doc. 4 (youtube.com)杉原千畝 命を分けた一枚のビザ Chiune Sugihara Doc. 5 最終回 鵠沼海岸 (youtube.com) 河豚計画の話が興味深かったです。河豚計画(ふぐけいかく)とは、1930年代に日本で進められた、ユダヤ難民の移住計画である。1934年に鮎川義介が提唱した計画に始まるとされ、1938年の五相会議で政府の方針として定まった。実務面では、陸軍大佐安江仙弘、海軍大佐犬塚惟重らが主導した。ヨーロッパでの迫害から逃れたユダヤ人を満洲国に招き入れ、自治区を建設する計画であったが、ユダヤ人迫害を推進するドイツのナチ党との友好を深めるにつれて形骸化し、日独伊三国軍事同盟の締結や日独ともに対外戦争を開始したことによって実現性が無くなり頓挫した。 「河豚計画」の名は、1938年7月に行われた犬塚の演説に由来する。ユダヤ人の経済力や政治力を評価した犬塚は、「ユダヤ人の受け入れは日本にとって非常に有益だが、一歩間違えば破滅の引き金ともなりうる」と考えた。犬塚はこの二面性を、美味だが猛毒を持つ河豚に擬えて、「これは河豚を料理するようなものだ」と語った。のちに、日本通として知られるアメリカ人ラビのマーヴィン・トケイヤーが同計画に関する研究書を執筆した際に、この喩えを借りて『河豚計画(The Fugu Plan)』と題したことから、「河豚計画」と通称する。ただし同書によれば、この語は当時も非公式に使われていたという。 1942年3月11日、日本政府はユダヤ保護方針を転換し「元来猶太人は悪い奴故今後之を厳重に取締らんとする趣旨」[4]の「時局に伴ふ猶太人対策」を決定した。そこには「日満支其の他我が占領地に対する猶太人の渡来は特殊の事由あるものを除き一切之を禁止す」[5]とあった。しかし日本政府は1942年3月30日には「ドイツが海外在住ユダヤ人からドイツ国籍を剥奪したが、日本が特に(ドイツとの)関係を考慮する必要はない」とし、慎重に対応すべきとの認識を表明。さらに日本政府は「ユダヤ人を追放することは国是たる八紘一宇の精神に反するばかりか米英の逆宣伝に使われる恐れもある」とし、独伊の排ユダヤ政策と一線を画す考えを示した[6]。 その上で「ユダヤ人は外国籍保有者と同様に扱い、ドイツ国籍を持つユダヤ人は白系ロシア人と同様に無国籍者として取り扱う」とし、ユダヤ人に寛容な保護の継続を指示していた[6]。(ウィキ)番組では、河豚計画にふれ当時の新聞の論調がこれに影響され、ユダヤ人を迎える土壌を作ったと説明していました。ナチからの占領地上海でのユダヤ人虐殺要請をことわった話(ウィキ)も興味深いです。余談ながら、ガザでの大虐殺を非難されて、イスラエル人旅行者は今どこの国でも白い目で見られるそうです。ただ、日本だけはそうしたことがないので気が休まると報じられていました。カネに弱いのは、昔も今も同じ?それともどんな旅行者にもおもてなしは、日本の美徳と言うべきでしょうか。
2024.08.25
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映画「杉原千畝 スギハラチウネ予告(発売前) - YouTubeストーリー:1934年。語学力と情報網を武器に外交官・杉原千畝(唐沢寿明)はソ連北満州鉄道譲渡の交渉を成立させる。その一方で仲間を失い、千畝自身彼を警戒するソ連から『ペルソナ・ノン・グラータ(歓迎されざる人物)』に指定され入国拒否されてしまう。千畝は在モスクワ大使館への赴任を希望していたものの叶わず、外務省よりリトアニア・カウナスにある日本領事館での勤務を命じられる。1939年、千畝は新たな相棒ペシュとリトアニアで諜報活動を開始。情報を収集し激動のヨーロッパ情勢を分析、日本に発信していく。やがてナチスドイツがポーランドに侵攻し第二次世界大戦が勃発。ナチスの迫害から逃れようと通過ビザを求めるユダヤ難民がカウナスの日本領事館へ大挙する。その数は日に日に増していき、彼らの置かれた状況を知る千畝は日本政府からの了承がないまま難民たちに通過ビザを発給するが……。『杉原千畝 スギハラチウネ』は、2015年制作の日本映画。第二次世界大戦中、ナチスによる迫害から逃れるユダヤ人のために独断で日本通過のビザを発行して、6,000人あまりのユダヤ人を救った外交官・杉原千畝の生涯を描いた作品。ポーランドで9月13日から11月上旬まで約2か月にわたりロケが行なわれた。本作では杉原千畝が外交官としてだけでなく、堪能な語学力を使い、赴任した各国で類いまれな情報収集能力を発揮し、貴重な情報を集めて日本に送り続けた「インテリジェンス・オフィサー(諜報外交官)」であった一面も合わせて描いている[2][リンク切れ]。139分(ウィキ)*2139枚のビザを発行映画は、あまりヒットしなかったようでしたがなかなかの大作で、興味深く見ました。早稲田大学の学費が払えなくて、官立のハルピン学院に入学して語学を学び、何度かそのハルピン学院のモットー:自治三訣の「人のお世話にならぬよう、人のお世話をするよう、そして報いを求めぬよう」が語られます。映画に出てくるウラジオストク領事代理の根井も同窓生です。根井 三郎(ねい さぶろう、1902年〈明治35年〉3月18日 - 1992年〈平成4年〉3月31日)は、日本の外交官、法務官僚。杉原千畝が発行した通称「命のビザ」を利用してウラジオストクへ逃れてきたユダヤ難民に対して、在ウラジオストク総領事代理として外務省の訓令に抗議し日本行の船に乗船許可を与えた人物として知られる[1][2]。2017年以降に、彼自身も命のビザ(根井ビザ)を発行していたことも判明した[3]。ウラジオストクの乗船シーンで濱田岳演じるJTBのパーサーが出てきますが、これは映画出資企業への配慮でしょう。ヒットラーと親しかったドイツ大使の大島を演じるのは小日向さんでした。戦後A級戦犯で終身刑とクレジットした方が、親切かと思いました。軍人が外交の重要ポストしめるようでは、危ういですね。そういえば、アベは在任中お友達に大使のポストをプレゼントしていました。アベノミクスのブレーンは、おいしいポストと言われているスイス大使でしたね。この国での実務ポストはジュネーブの国連大使で、こちらは伊原君がやっていました。彼はその後フランス大使をやって、今は宮内庁です。
2024.08.25
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ストーリー:第二次世界大戦が本格化する1940年、フランス北端の海の町ダンケルク。フランス軍はイギリス軍とともにドイツ軍に圧倒され、英仏連合軍40万の兵士は、ドーバー海峡を望むこの地に追い詰められる。背後は海。陸海空からの敵襲。そんな逃げ場のない状況下でも、トミー(フィオン・ホワイトヘッド)やアレックス(ハリー・スタイルズ)ら若き兵士たちは生き抜くことを諦めなかった。一方、母国イギリスでは、海を隔てた対岸の仲間たちを助けようと軍艦だけでなく民間船までもが動員され“史上最大の救出作戦”が動き出そうとしていた。ドーバー海峡にいる全船舶が一斉にダンケルクへと向かう。民間船の船長ミスター・ドーソン(マーク・ライランス)も、息子らとともに危険を顧みずダンケルクを目指していた。英空軍パイロット・ファリア(トム・ハーディ)も、数において形勢不利ながらも出撃。タイムリミットが迫るなか、若者たちは生きて帰ることができるのか……。(KINENOTE)『ダンケルク』(Dunkirk)は、2017年の戦争映画。監督・脚本・製作はクリストファー・ノーラン[6][注 2]。第二次世界大戦のダンケルク大撤退が描かれており、イギリス、オランダ、フランス、アメリカ合衆国の4カ国合作映画である[1]。第90回アカデミー賞では作品賞、監督賞、美術賞、撮影賞、編集賞、音響編集賞、録音賞、作曲賞の8部門にノミネートされ、編集賞、録音賞、音響編集賞を受賞した。 ストーリーは、トミーらが敵から逃げ救援を待つ「陸」の1週間、ドーソンらが民間船として救援に向かう「海」の1日、そして海岸で救助を待っている帰国を決めたイギリス軍の兵に襲い来るドイツ軍の戦闘機を迎撃するファリアら「空」の1時間の三幕をそれぞれ時間を並行させながら進行していく。「陸」の1週間の最後の1日からは「海」と、そしてその2つの最後の1時間は「空」とクロスしていく。(ウィキ)ダンケルク海岸に取り残されたイギリス兵とフランス兵の様子。兵士を救うためにダンケルクを目指す小舟の船長たちの様子。退却支援のために飛び立った三機のスピットファイアのパイロットたちの様子。が、クロスして描かれ最初は戸惑いましたが、収斂して行くラストが盛り上がります。連合国と言えども自国民優先なのですね。ドイツ人もフランス市民も描かれず、ドラマに厚みにかけるきらいがありますが、その分シンプルで緊張感がありました。ドキュメンタリー風でもあります。こちらは、JPベルモンド主演のフランス映画です。参考:
2024.08.20
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ストーリー:まだ小さな少女、ガブリエル・シャネル(オドレイ・トトゥ)は、フランスの田舎にある孤児院に姉と一緒に入れられ、毎週日曜、決して来ることのない父親の迎えをひたすら待ち続けた。その後、彼女はナイトクラブの歌手となり、酔った兵士相手にか細い声で歌い、その一方で、慎ましいお針子として田舎の仕立屋の奥でスカートのすそを縫う日々を送っていた。ある日、将校のエティエンヌ・バルザン(ブノワ・ポールブールド)と出会ったガブリエルは、彼の愛人となるが、その生活は退廃的で退屈なだけであった。そんな中、彼女は突然恋に落ちる。相手はイギリス人実業家のボーイ・カペル(アレッサンドロ・ニボラ)。その想いに報いてくれた彼だったが、結婚は叶わず、ガブリエルは自分が生涯、誰の妻にもならないことを悟るのであった。自分が生きる時代のしきたりを息苦しく感じていた彼女は、男性たちの服を身にまとってみせる。ガブリエルは、ファッションを通して女性を解放、世界中を魅了し、やがて伝説のファッション・デザイナー、ココ・シャネルとなるのであった。『ココ・アヴァン・シャネル』(Coco avant Chanel)は、2009年のフランス映画。エドモンド・シャルル=ルー(フランス語版、英語版)の同名小説を原作としたココ・シャネルの伝記映画。(ウィキ)オリンピックにちなんでNHKBSでサムライなどのフランス映画が放送されました。これもその1本で、若き日のココ・シャネルの伝記映画です。観察眼と自己主張が成功の原動力と思わせる作品でした。ブルターニュのドービルで、初めて海を見たというシーンが印象的でした。
2024.08.18
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ストーリー:46歳の坂町晴彦(中井貴一)は元高校球児だが白球を追った日々は遠い昔、もはや仕事に張りはなく、離婚した妻が亡くなって以来、一人娘の沙奈美(門脇麦)とも絶縁状態が続いている。そんなある日、坂町を元チームメイトだった松川典夫の娘・美枝(波瑠)が訪ねてくる。坂町は彼女から、長年音信不通だった松川が昨年の震災で死亡したことを知らされる。美枝は別居していた父親の遺品の中に、坂町や元エースの高橋直之(柳葉敏郎)らチームメイト全員に宛てた27年分の年賀状の束を見つけ、なぜ毎年投函せずにいたのか知りたいと思い、そこに書かれた住所を訪ねてきたのだという。元高校球児が再び甲子園を目指す“マスターズ甲子園”のスタッフとして働く美枝は、坂町に大会への参加を勧めるが、いわゆるサビついたオヤジとなっている坂町は「今さら」と断るのだった。だが、美枝にだけは話したくない本当の理由が別にあった。坂町たちが甲子園に行けなかった原因は美枝の父にあったのだ。28年前のある事件によって夢を断たれた坂町は、自らの思いにフタをしたつもりでいた。それは高橋も同じで、甲子園に出てさえいればプロになっていたかも知れないと、リストラで就職活動中の自分の冴えない現状をあの夏のせいにしていた。そんな中、父親の思い出を追い求める美枝と接するうち、坂町は沙奈美と正面から向き合うことをせず、ずっと逃げてきたことに気付く。現実と折り合いをつけ、思い出を上手に諦めることで自分自身を騙し続けてきた日々……。“あの夏”に決着をつけなければ前へは進めない、と坂町はマスターズ甲子園への参加を決意、再び人生のグラウンドへ走り出す。そして坂町は、事件のことを知りながらずっと姿を消していた元マネージャー・立原裕子(和久井映見)に一通の手紙を送る。やがて野球部OBたちの前に現れた裕子の口から、彼らが全く知らなかった真実が語られる……。(KINENOTE)『アゲイン 28年目の甲子園』は、2015年1月17日[3]に全国東映系で公開された日本映画[4]。主演は中井貴一。監督・脚本は大森寿美男。なお、映像に表示されるタイトルは原作と同じ『アゲイン』である。2013年11月23日よりクランクインし、12月21日・22日には、実際に甲子園球場を使用して野球シーンの撮影を行った[5]。120分(ウィキ)甲子園ものであまり興味がわきませんでしたが、重松清の原作ということで観てみました。時おり過去のシーンがフラッシュバックされます。娘との不仲、和解?は余計なように思います。マネージャーの語った真相が、もう少し説得力があればよかったのでしょうが、純愛なのか遊びなのかもやもやが残りました。余談ながら、今日の甲子園大会第一試合は、新潟産大付属高と埼玉の花咲徳栄の対戦でした。原発のまち柏崎からの初の甲子園出場。ここは慶応高校同様、坊主刈りではありません。相手は、7年前に優勝経験のある部員が100人以上もいる常連校。裏日本の田舎のチームとなめてかかったのか、結果は2対1で敗戦でした。弱小チームがセミプロの強豪校を破るのは気持ちがいいものです。次の相手は、京都国際。
2024.08.12
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映画『インサイド・ヘッド』最新予告編 (youtube.com)ストーリー:明るく幸せに育った11歳の少女ライリーは、父親の仕事の都合で今まで住んでいた田舎に別れを告げ、大都会サンフランシスコに引っ越してくる。ライリーが新しい生活に慣れようとしていく中、彼女の頭の中にある5つの感情──ジョイ〈喜び(ヨロコビ)〉、アンガー<怒り(イカリ)>、ディスガスト<嫌悪(ムカムカ)>、フィアー<恐れ(ビビリ)>、そしてサッドネス<悲しみ(カナシミ)>、それぞれがライリーの幸せを守ろうとぶつかり合う。やがて彼らの行動はライリー自身の感情となり、予想のつかない大事件を巻き起こしていく……。(KINENOTE)『インサイド・ヘッド』(原題:Inside Out)は、2015年公開のアメリカ合衆国のコンピュータアニメーション3D映画。アメリカ合衆国では2015年6月19日、日本では2015年7月18日に公開された。 人間の少女の頭の中を舞台に、そこに住む「喜び」「悲しみ」「怒り」「嫌悪」「恐れ」の5つの「感情」を題材としており、擬人化されたそれらのキャラクターを主人公に据え、彼らが少女を幸せにすべく奮闘する様子が描かれている。 ちなみに、原題の"Inside Out"は「裏返し」という意味である。94分(ウィキ)予想以上に面白かったです。感情キャラの動きと少女のリアルが連動するところがうまくできています。第2作では、もっとたくさんの感動キャラが登場して、青年の感情を表現するそうです。老人バージョンも面白そうですが、ヒットは望めそうにもないですね。
2024.08.09
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ストーリー:お魚が大好きな小学生“ミー坊”は、寝ても覚めても頭にあるのはお魚のことばかり。お魚を毎日見つめ、毎日描き、毎日食べて。他の子どもと少し違うことを心配する父・ジロウ(三宅弘城)とは対照的に、母・ミチコ(井川遥)はミー坊を信じて応援し、背中を押し続けるのだった。高校生になり、相変わらずお魚に夢中のミー坊(のん)は、町の不良ともなぜか仲良し。まるで何かの主人公のようにいつの間にか中心にいる。やがて1人暮らしを始めたミー坊は、思いがけない出会いや再会の中で、たくさんの人に愛されながら、ミー坊だけが進むことのできるただ一つの道にまっすぐに飛び込んで行く……。(KINENOTE)『さかなのこ』は、2022年9月1日に公開された日本映画[1]。監督・脚本は沖田修一、主演はのん[2]。さかなクンの半生を描いた初の自叙伝『さかなクンの一魚一会 〜まいにち夢中な人生!〜』を原作とし、ミー坊がさかなクンに成長するまでの過程を描く。さかなクンとは性別が異なるのんを起用した理由について、監督の沖田は「性別は特に重要ではない」とし、「中性的な魅力もある、のんさんならこの役にも違和感なく、不思議とすんなり入っていける気がした」と語っている[3][4]。139分(ウィキ)BSでなくEテレで放送されました。魚好きの少年が、さかなクンになるまでの物語です。さかなクンの中性的、子ども的なところを、のんがよく演じていて、あまちゃんもダブります。一家が魚嫌いというのは驚きですが、魚好きの子どもを見守るのがいいです。父親は囲碁棋士ですが、そのあたりはスルーです。さかなクン本人も変なおじさんの役でかなり出演していましたが、いらなかったです。この分がなければ、もっとすっきりするのでは?139分は長いです。参考:さかなクン(1975年8月6日[1][2][3] - )は、日本の魚類学者、タレント、イラストレーター、東京海洋大学客員教授。同名誉博士。東京都葛飾区生まれ[4]、神奈川県綾瀬市育ち、千葉県館山市在住[5]。本名は宮澤 正之(みやざわ まさゆき)[1][2][6][7][8]。父は囲碁棋士の宮沢吾朗九段[9]。アナン・インターナショナル所属[10]。綾瀬市立北の台小学校[13]、綾瀬市立北の台中学校[14]、神奈川県立綾瀬西高等学校を卒業した。東京水産大学(現在の東京海洋大学)入学を目指したが入試で不合格となり、日本動物植物専門学院(現在は廃校)に進学。当初は水産科を志望していたが、既に廃止されていたためにアニマルケアー科に入った。(ウィキ)
2024.08.07
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ストーリー:1980年代初頭、中国湖南省の山間地帯。郵便配達を長年勤め上げた男は、後継ぎとなる息子に引き継ぐため、初めて一緒に、最後の仕事となる“旅”に出る。重い郵便袋を背に山道を辿り、幾つもの村を尋ねる2人。父は手紙を運ぶ責任の重さと仕事の誇りを静かに息子に伝える。息子は寡黙で留守がちな父に対して心の隔たりを感じていたが、人々の信頼を集める父の姿に接し、徐々に尊敬の念と仕事への責任感を深めていく。(KINENOTE)『山の郵便配達』は、1999年製作の中国映画。監督は霍建起(フォ・ジェンチイ)。彭見明(ポン・ジェンミン)による同名の短編小説(日本語版 大木康訳、集英社刊/原題『那山那人那狗』)を原作とする。93分(ウィキ)山の郵便配達の仕事の引継ぎの父と息子のロードムービーです。美しい景色と争いや悪人が出てこない、きれいなストーリーです。山岳民族出身のお母さんが、きれいでした。二泊三日の旅でお父さんと呼べるまでに接近というのはやや出来過ぎですが、ノスタルジックで印象的な作品です。この後改革開放で開発の波に襲われると思うと切ないです。お父さんの旅の相棒の犬の名前は、「次男坊」。見終わって、まだひとりっ子政策の時代だったことを思い出しました。劇中に出てくるのは、山の民トン族、漢民族と対等に描いているものの経済的な格差が描かれています。貧しくとも希望があることが大切と説く父親のまなざしが、刺さります。日本は豊かだが希望のない国でしたが、昨今はその豊かさもあやういです。
2024.08.05
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兄妹弟の三人はシングルマザーの家庭に育ち、夏季休暇を疎遠な祖父母宅のある田舎のプロヴァンス地方で過ごすことになる。祖母がパリの自宅に三人を迎えに来ている場面から始まる。求職中の母親はカナダのモントリオールでインターンシップを受けることとなり、長男アドリアン、長女レア、聴覚障害のある次男テオは、会ったことのない祖父ポールのもとプロヴァンスで7月から8月の二ヶ月の休暇を過ごしにやって来る。三人の母親であるエミリーは実家から家出し17年間疎遠。祖母のアイリーンはポールに告げずに、孫を受け入れる算段をつけていた。ポールは皮肉ばかりで早くも障壁が生じる。(ウィキ)『プロヴァンスの休日』(原題・仏語: Avis de mistral)は、2014年のフランスの映画。 日本の映画館では、しばらく未公開であったが新宿シネマカリテの特集企画「カリコレ2016/カリテ・ファンタスティック!シネマコレクション2016」(2016年7月16日 - 8月19日)で劇場公開となった。撮影地はプロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏のアルピーユ山麓であるレパルドノヴ市およびブーシュデュローヌ県。テオ役のルーカス・ペリシエは本物の聴覚障害者。105分(ウィキ)オリンピックにちなんでNHKBSシネマは、サムライやシャネルなどフランス映画特集。ひと夏のプロヴァンスを舞台にしたこの小品は、いなかの素敵な暮らしぶりをバックに祖父母と孫のドタバタ劇。ウッドストックとバイクで世界放浪世代の老夫婦がいいです。バックには、サウンドオブサイレンスなどの60年代の音楽が使われています。孫のSNS発信で、昔の仲間に所在が知られてパーティーです。青春時代がよみがえります。今夜は、高校の同級会。どんな仲間が集まのかは、行ってみてのお楽しみです。暑いので飲みすぎ注意です。
2024.08.04
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昨年8月に観てブログアップしていますが、パリオリンピックを前にしてNHKが放送したので再度見ました。ストーリー:貧しい家庭に生まれながらも中学時代から陸上選手として類いまれな才能を発揮していたジェシー・オーエンス(ステファン・ジェイムス)は、家族の期待を一身に背負ってオハイオ州立大学に進学。そこでコーチのラリー・スナイダー(ジェイソン・サダイキス)と出会い、オリンピックを目指し、日々練習に励んでいた。だが、当時のアメリカ国内ではナチスに反対してオリンピックのボイコットを訴える世論が高まり、さらに、ナチスの人種差別政策は黒人であるオーエンスにとって容認しがたいものであった……。(KINENOTE)映画「民族の祭典」 "Olympia" 開会式 - YouTube*8分の映像です。 全編を観てみたいです。家族で初めて大学に進学する息子に、自分で仕立てたジャケットを贈る母のエピソードは泣けます。親はありがたい存在ですが、若いジェームスはまだわかりません。自分で稼いで進学するです。幅跳び3位入賞の田島直人選手を中国人間違えるエピソードが気になりました。山口高校(山口大学の前身)を経て京都帝国大学経済学部(現京都大学)を卒業する。1932年、ロサンゼルスオリンピックに出場し、走幅跳で6位入賞。1936年、ベルリンオリンピックで2度目のオリンピック出場。三段跳で16m00の世界新記録で金メダルを獲得。織田幹雄・南部忠平に続く日本人選手による3大会連続での金メダル獲得であり、リーフェンシュタールの「民族の祭典」にも収録されている。走幅跳でも銅メダルを獲得した。本人は「走幅跳が専門で三段跳は余技」と発言していたとされ、三段跳の金メダルよりも走幅跳の銅メダルの方が嬉しかったと口にしたこともあったという[2]。同大会で田島に次ぐ2位となった原田正夫は同じ京都帝大出身で、田島は後年原田と顔を合わせた際に「幅(走幅跳)はともかく、三段で(原田に)勝とうとは考えもしなかったよ」と述べたという証言が残されている[2]。ベルリンオリンピック後の1936年、土倉麻(1932年ロサンゼルスオリンピック女子100m・4×100mリレー代表の陸上選手)と結婚。日本初のオリンピック代表選手同士の結婚として話題になった[3]。(ウィキ)田島は、前のLA大会にも出た有力選手です。たとえ知らなくとも、表示やユニフォームを見れば日本人とわかるはずです。中国選手と間違えるなんて、・・・。このエピソードを取り上げた意図は何でしょう。一般常識や知識がない陸上バカ?それともロング以外は眼中にないという傲慢さの例、・・・。まさか、黒人選手なんてこの程度と言いたかった?ちょっと気になるシーンでした。
2024.07.25
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映画CM「スリー・リバーズ」日本版予告編 Striking Distance 1993 japanese trailer - YouTubeストーリー:ピッツバーグ市警察殺人課の刑事トム・ハーディ(ブルース・ウィリス)は五代続いた警察官一家の出身。父ヴィンス(ジョン・マホーニー)は殺人課主任で、叔父ニック(デニス・ファリーナ)とその息子ダニー(トム・サイズモア)とジミー(ロバート・パストレリ)も警官である。1991年若い女性を狙った猟奇連続殺人事件が起き、その捜査の途中でヴィンスは何者かに銃撃され命を落とした。数日後犯人が逮捕された。それと同時にジミーが過剰捜査の暴力行為で告発され、一部始終を目撃したトムの証言によって有罪となる。ジミーは河に身を投げ、ダニーはトムを激しく責めたてた。2年後、トムは河川レスキュー隊に配属されていた。一方ニックは殺人課主任に、ダニーは弟の自殺以来行方不明となっていた。ある日トムはパトロール中に、川面に浮かぶ若い女の惨殺死体を発見した。しかもそれはトムの元恋人だった。そんな時、ダニーが街に2年振りに姿を現わした。トムの前に新しい相棒ジョー・クリストマン(サラ・ジェシカ・パーカー)がやって来た。セクシーなブロンド美女だが有能な救助隊員だ。ある夜トムのハウスボートに女の悲痛なうめき声の電話がかかり、銃声が轟いた。過去の事件との関連性を感じたトムは密かに父の事件の洗い直しを始めるが、ニックに事件は解決済みと言い放たれる。河でまた女の死体があがった。犠牲者はトムのガールフレンドのデビーだ。現場にニックとダニーが姿を現わし、叔父とトムは捜査方法をめぐって完全に決裂した。警察関係のパーティに出席したトムとジョーは、帰りに寄ったトムのハウスボートでいつしか愛し合っていた。ジョーは何者かに誘拐され、トムは犯人を追う。実は犯人は死んだはずのトムのいとこジミーで、父ヴィンスを誤って殺したのがニックだということもわかる。トムはジミーを追いつめ殺害、ジョーは救われるのだった。(KINENOTE)『スリー・リバーズ』は、1993年に公開されたアメリカ合衆国の映画。原題のStriking Distanceは、「すぐそば」「手の届く所」の意。邦題の「スリー・リバーズ」は、アレゲニー川とモノンガヒラ川が合流してできるオハイオ川を指す。この合流地点一帯がピッツバーグのダウンタウンを形成しており、この映画の舞台となっている。102分(ウィキ)スリーパーズと思って録画(BS12チャンネル)したら、まったく違う作品でした。トホホです。ブルース・ウィルスが元気な頃のはぐれ者刑事のお話です。5代続く警察一家、でもイタリア系なので署長になれないなんて言うセリフも出てきます。死んだはずの警官が犯人という、ご都合主義的なミステリーでしたが、カーチェイスやボートでの追跡と見せ場はそれなりにあり楽しめた作品でした。米国の川は大きいですね。
2024.07.24
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ストーリー:9.11同時多発テロで父を亡くした少年オスカー(トーマス・ホーン)は、父の突然の死を受け入れられずに日々を過ごしていた。そんなある日、彼は父の部屋のクローゼットで、封筒の中に1本の“鍵”を見つける。この鍵は父が残したメッセージかも知れない。オスカーはその鍵の謎を探しに、ニューヨークの街へと飛び出した……。(KINENOTE)『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』は、スティーヴン・ダルドリー監督、エリック・ロス脚本の2011年のアメリカのドラマ映画。ジョナサン・サフラン・フォアによる同名小説を原作とする。(ウィキ)9.11にインスパイア―された作品なのでしょうが、大惨事を利用した点に違和感を覚えました。他の父親の不慮の死でも成り立つストーリーです。言葉を発することができない祖父役のマックス・フォン・シドーがいいですね。セントラルパークはじめ、NYの景色も見所です。マンハッタンのオフィス風景も田の字型の日本とはだいぶ違います。「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」最後に、このタイトルの意味が母の愛ということが明らかになります。
2024.07.20
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ストーリー:ジャックと別れたアニー(サンドラ・ブロック)は、新しい恋人アレックス(ジェイソン・パトリック)に今夢中。SWAT隊員の彼は、任務中に足にケガを負い、1週間の休暇をとって彼女と共にカリブ海1週間の豪華クルージングの旅に出ることになった。彼らが乗り込んだ豪華客船シーボーン・レジェンド号では、全米の宝石商が3億ドルを越えるダイヤを持ち寄り、ジュエリー・コンベンションも行われることになっている。航海初日の夜、乗客の一人、ガイガー(ウィレム・デフォー)は航海士に化けてエンジンを破壊し、続いて迷ったふりをして操縦室に入り、小型受信機を気づかれないように仕掛けると、船の自動操縦プログラムを自分のコンピュータに移した。彼はこのプログラムの設計者だったが健康を害してクビになって以来、精神に異常をきたしていた。船長を殺したガイガーは、船内の至る所に小型手榴弾の時限爆弾をセットし、次々に船内で爆発が起こす。自在に火事を起こすことができるという彼は、一等航海士ジュリアーノ(テムエラ・モリソン)や二等航海士マーセド(ブライアン・マッカーティ)らに15分間船を停止させる間に、乗客は全員下船させろと命じる。乗客たちは先を争って急ぐが、最後のボートが海面に着かないうちに船が動きだし、アレックスとアニーたちは必死で彼らを救出した。一方、ガイガーは金庫室から宝石を袋に詰めていた。船がこのまま進めば、セント・マーティン島の絶壁に激突することは必至だが、船はガイガーがリモート・コントロールしていて手が出ない。船の速度を落とすため、沈没の危険もある苦肉の策として貨物室に海水を入れることになった。だが、その時、少女ドリュー(クリスティーン・ファーキンス)が貨物室にいることを知ったアレックスは現場に飛び込んで彼女を救い、同じく船内に缶詰になっていた人々を救出したアニーと合流する。ガイガーは島に停泊中の重油タンカーと衝突させるべく、船の進路を変えた。アレックスは海中に潜ってスクリューを止める決死の作戦に出るが、またしてもガイガーが妨害し、アニーを人質にボートで逃走した。刻一刻、タンカーが近づき、このままでは衝突は避けられない。アレックスは水中に潜ってバラストの向きを変えることに成功し、タンカーとは接触しただけで済んだ。だが、船はまだ止まらず島に文字通り上陸し、町並みを破壊してやっと止まった。アレックスはモーリス(グレン・プラマー)のボートを借りてガイガーを追跡し、水上飛行機に乗り移ろうとする彼からアニーを救い出した。逃げるガイガーを乗せた飛行機はタンカーの上に不時着し、やがて大爆発が起こった。アレックスはアニーにプロポーズし、指輪を渡した。(KINENOTE)『スピード2』( Speed 2: Cruise Control)は、1997年のアメリカ映画。『スピード』の続編で、豪華客船を舞台としたアクション映画。前作に引き続きヤン・デ・ボンが監督を務める。前作で主演したキアヌ・リーブスが降板したため、ヒロイン役だったサンドラ・ブロックを主役に据えたストーリーとなった。本国アメリカではラジー賞最低続編賞を受賞した。126分(ウィキ) 大ヒットを記録したノンストップ・アクション「スピード」(94)の続編。前作の4倍強の製作費1億4千万ドルを投じ、バス一台だった前作から一転、シージャックされた豪華客船を主な舞台に、陸・海・空の見せ場を満載した巨大スケールのエンターテインメントとなった。(KINENOTE)バスから豪華客船にスケールアップです。前作に比べると意外性が少ないストーリーで評判はさんざだったようですが、それなりに面白かったです。テレビの2時間枠でややカットされていましたが、ほとんど気にならずです。
2024.07.18
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東京は猛暑のようですが、こちらは雨続きで気温も26~8度と涼しいです。銀行と買い物に行って、時おり激しく降るので今日はジム通いもお休みです。3~4時間穴が開いたので、観てみました。この映画でデビューして新人賞を取った田中麗奈は、当たり前ですが若いですね。演技はかたくぎこちないですが、そこがまたいいです。製作者には、周防正行監督の名前がありました。前回観た時よりも、ずっと面白くよい映画と感じたのは、それだけ齢を取ったということでしょう。合宿で眠れなくて、花火をやるシーンがよかったです。2度勤務した瀬戸の夕日もいいですね。とてもきれいです。ストーリー:1998年、今は廃墟と化した瀬戸内海を臨む浜辺の艇庫。10年前まで、伊予東高校ボート部の部室として使われていたそこに、5人の少女たちの写真が飾られていた──。1976年、春。東校に入学した篠村悦子こと悦ネエは、以前から憧れていたボート部に入部を希望するが、東校には女子ボート部がなかった。そこで強情な性格の彼女は、ないのなら作ればいいと先生に直訴。自ら女子ボート部を創設してしまう。ナックル・フォアという5人競技が女子の主流であると聞いた悦ネエは、新人戦のある10月までという条件でヒメ、リー、ダッコ、イモッチの4人のメンバーを集める。ところが、誰ひとりとしてボートの経験者のいない彼女たちは、ボートを海へ運ぶことすら一苦労。悦ネエの幼い頃からの天敵で男子ボート部の関野ことブーにバカにされながら、練習を開始するのであった。暫くすると、現役を引退した3年生の安田がコーチについてくれた。そのお陰で、彼女たちのオールさばきも漸く様になっていく。夏合宿を経て、いよいよ新人戦。だが、東校女子ボート部の実力は勝利にはほど遠かった。約束の期間を終えた悦ネエは、ボート部に付き合ってくれたヒメたちに感謝の言葉を述べる。ところが、試合の敗北に苦渋を味わったヒメたちの気持ちは固まっていた…。シーズンも終わり陸トレに励む悦ネエたちに、顧問教官がコーチ・入江晶子を紹介した。元日本選手権メンバーであった晶子は、しかしその輝かしい経歴とは裏腹に全くやる気がない。悦ネエたちにトレーニング・メニューを渡すと、毎日ぼんやりしているばかりだ。ある日、貧血で倒れた悦ネエを心配したブーが、途中まで自転車に乗せて送ってくれた。ブーの意外な優しさに心揺れる悦ネエ。だが翌日、借りた手袋を返そうと思った彼女は、ブーが新体操部の桃子と一緒にいるところを目撃して憤慨する。春休み、再びボートのシーズンがやってきた。新入部員もひとりだけであったが入部し、今や東校女子ボート部は自分たちだけでボートを海に出せるくらい逞しく成長していた。ところが好調に見えたのも束の間、悦ネエが腰を痛めて医者から安静を言い渡されてしまう。練習に参加出来なくなる悦ネエ。また、彼女を欠いたボート部も相変わらず試合ではドベばかりだ。そんなある日、温泉療養に出かけた悦ネエは、そこで晶子に会う。やる気のない晶子に、自分にはボートしかないと訴える悦ネエ。やがて彼女はボート部の練習に戻り、晶子も夏休みの合宿で本格的な特訓をしてくれるようになる。そして、二度目の新人戦。東校女子ボート部は、順調に決勝戦まで勝ち進んでいた。もうドベではないという気持ちが、彼女たちの士気を奮い立たせる。「ひがしこー、がんばっていきまっしょい!」ブーや晶子たちも懸命に応援してくれている。だが、彼女たちはわずかの差で負けてしまうのであった。こうして二度目のシーズンが終わった。艇庫の掃除を終えた悦ネエは、来年最後となるシーズンへ向けて自分にエールを送る。(KINENOTE)『がんばっていきまっしょい』は、敷村良子による私小説、およびそれを原作とした映画・テレビドラマのタイトル。愛媛県松山市の高校を舞台に、ボート部の活動に打ち込む5人の女子高校生たちの姿を描いた物語。 フジテレビ、ポニーキャニオン、アルタミラピクチャーズ製作で1998年に公開された。小規模公開ながら、地道な宣伝で評判を呼び、異例のロングラン上映を記録した。この映画でデビューした田中麗奈は、映画女優として活躍を始めた。また、本作のプロデューサーチームにより後に『ウォーターボーイズ』『スウィングガールズ』のヒット作が生まれた。撮影は、愛媛県でのオールロケで行われた。その際のロケ地選定やエキストラの手配など、フィルムコミッションと同様の活動を、原作者の敷村や地元の県立高校教諭のボート指導者が行っている。舞台は1970年代で、学校名は「伊予東高校」という架空のものが使われている。(ウィキ)青春、がんばってゆきましょい!ですね。
2024.07.13
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映画『引っ越し大名!』予告90秒 8月30日(金)荷造り開始! - YouTubeストーリー:姫路藩書庫番の片桐春之介(星野源)は、人と話すのが苦手で、いつも書庫にこもり本ばかり読んでいた。ある時、藩主の松平直矩(及川光博)が、幕府に姫路から豊後(大分県)の日田への国替え(引っ越し)を言い渡される。度重なる国替えで藩の財政事情は苦しい上に、減封も決定。全ての藩士とその家族全員で移動するという、参勤交代をはるかに上回る莫大な金額が必要な一大事業の成否は引っ越し奉行の手腕にかかっているが、前任者はその激務が原因で亡くなっていた。この重大な役目の白羽の矢が立ったのは、春之介だった。いつも本ばかり読んでいるから引っ越しの知識があるだろうと無理難題とも言える大役に怖気づくが、幼馴染で武芸の達人・鷹村源右衛門(高橋一生)の説得もあり、嫌々引き受ける。引っ越しの経験がなくどこから手を付けたらいいかわからない春之介は、助けを求めて前任の引っ越し奉行の娘・於蘭(高畑充希)のもとへ。於蘭は父の死の原因を作った藩を恨んでいたが、優しくて頼りない春之介が放っておけず、手を貸すことに。こうして、源右衛門たち仲間の協力や於蘭の厳しい引っ越し指南を得ながら、一生一大の大仕事の準備が始まる。『引っ越し大名!』(ひっこしだいみょう!)は、2019年公開の日本映画。生涯に7回もの国替えをさせられ、“引っ越し大名”とあだ名された実在の大名・松平直矩をモチーフにした土橋章宏原作の小説『引っ越し大名三千里』の映画化で、土橋が脚本も担当した[4]。監督は犬童一心、主演は星野源[2]。松平直矩は越前国大野藩主の松平直基の子として生まれ、父が姫路への国替えの途上で死去したため、幼少の身で姫路藩主となるが、翌年越後国村上藩に国替えとなる。成人後に再び姫路藩主となるが、その後、豊後国日田藩、出羽国山形藩、陸奥国白河藩と、幕府から何度も国替えを命じられた。(ウィキ)国替えとともに15万石が7万石ですから、けっこうシビアな内容ですが、コメディー仕立ての軽い映画に仕上がっていました。引っ越し費用の借金と藩士のリストラは、現代の大企業を想像させます。リストラされた藩士は農民となって水田開発ですが、実話なのでしょうか。40人ほどは加増された藩には戻らず、そのまま農民を続けたとあります。その村は?子孫は?と気になります。新発田藩主の溝口家も国替え組です。もとは四国の香川ですが、その後加賀大聖寺へ、そこから1958年秀吉によって当地に移封です。武士だけでなく寺や町民も引っ越しです。この移封に際して秀吉は、家臣は上級者から最下級の者まで全部引きつれて越後に移ること、さらには、検地帳面に登録した百姓は一切連れて行ってはいけないことを命じています。(朱印状2)これは、大名知行制の基礎となっている田畑の荒廃を恐れたことがあるでしょうが、一方では、武士身分と百姓身分を検地帳面への登録状況によって区分し、近世社会成立上の重要な意義を担うものになりました。歴史と概要 溝口家の入封と新発田城の築城1|新潟県新発田市公式ホームページ (shibata.lg.jp) 映画とはちがって、こちらは築城工事もあって大変だったと思います。仕上がりまで約50年です。この後の国替えはなく、江戸時代を通じで治水、新田開発に努め石高は外様大名にもかかわらず10万石に倍増です。でも、実高は30~40万石だったと言われています。小説や映画テレビで取り上げられるような人物は堀部安兵衛くらいで、目立った人はいませんが、お家騒動もなく領民は平和で安定した暮らしを営んでいたのではと思っています。ただ、お隣りの大藩会津からは、いじわるされたようです。*武士の生活や経済を支える町民エリアは意外と小さいです。まわりは田んぼですね。戊辰戦争でも太平洋戦争でも町は焼かれず、今日にいたっています。
2024.07.07
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ストーリー:1944年3月、大陸侵攻を間近に控えたある日、アメリカ軍のジョン・ライスマン少佐(リー・マーヴィン)は「特赦作戦」と呼ばれる奇妙な作戦命令を受けた。特赦作戦というのは、死刑あるいは長期の刑を宣告され服役中の元兵隊12人を選び出し、徹底的に鍛え、ヨーロッパ大陸侵攻直前にノルマンディーの敵前線背後に送りこんで攻撃するというものである。間もなくライスマンは選ばれた12人の極悪人と向かいあったのだが、どれも一筋縄ではいきそうもなく困難が予想された。6月に入り大陸侵攻の矢はまさに放たれようとしたいた。ライスマンのキャンプでは、彼やボウレン軍曹の容赦ない訓練が実を結び、12人の男たちは1団となって考えたり行動するようになっていた。軍首脳部の間には、この「特赦作戦」に対する強い不信と反対があったが、ワーデン将軍(アーネスト・ボーグナイン)は、反対意見をおさえ、その作戦を実行に移した。12人が攻撃する特定目標は、広大な林に囲まれた豪壮なフランス人の館であった。その館には週末になるとドイツ軍上級将校たちが、夫人や愛人をともなって集まったから、彼らを壊滅させれば、ノルマンディーの壁は容易に破れるのだった。闇にまぎれてドーバー海峡を越えたライスマン、ボウレン以下14人は、パラシュートで目ざす館へ降り立った。「特赦作戦」による奇襲は明らかに成功であった。これによってドイツ軍の指揮は乱れ、統一を失い、かくて連合軍はノルマンディーに上陸したのだった。そしてワーデン将軍は、「汚れた12人」と呼ばれる元軍人たちの功績を認め、彼らを以前の階級において任務に戻ることを進言したのだった。『特攻大作戦』(The Dirty Dozen)は、1967年に公開されたイギリス・アメリカの戦争映画。監督はロバート・アルドリッチ。リー・マーヴィン、ロバート・ライアン、ジョージ・ケネディ、チャールズ・ブロンソン、アーネスト・ボーグナイン、リチャード・ジャッケル主演。1965年に発表されたE・M・ナサンソン(英語版)の小説『12人の囚人兵』(原題:The Dirty Dozen)を原作としている。 150分(ウィキ)題名は知っていましたが、観たのは初めてです。先ごろ亡くなったドナルド・サザーランドも将軍のマネをする囚人兵役で出ていました。いわゆる性格俳優、癖のある役者がたくさん出ていて、なつかしく楽しめました。本作が確立した、「特赦をちらつかされた犯罪者などから成る寄せ集めの部隊が特殊作戦に従事する」というプロットは、後の映画などに大きな影響を与えた[7]。(ウィキ)こういうプロットは、あくまで映画だけにとどめてほしいものです。参考:ロバート・アルドリッチ(Robert Aldrich、1918年8月9日 - 1983年12月5日)は、アメリカ合衆国の映画監督、映画プロデューサーである。日本語では「ロバート・オルドリッチ」とも表記される[4]。1918年8月9日、ロードアイランド州クランストンに生まれる[5]。ネルソン・オルドリッチを祖父[6]、ネルソン・ロックフェラーを従兄に持つ[7]。ヴァージニア大学で経済学を専攻していたが中退し、1941年にRKOに入社した[8]。ジャン・ルノワール、チャールズ・チャップリン、エイブラハム・ポロンスキー、ジョゼフ・ロージー、ウィリアム・A・ウェルマンなどの助監督を務めた[9]。1953年、エドワード・G・ロビンソン主演の『ビッグ・リーガー』で映画監督デビューを果たす[5]。1954年に『World for Ransom』と『アパッチ』と『ベラクルス』、1955年に『キッスで殺せ!』と『悪徳』を監督した[5]。その後、ベティ・デイヴィスとジョーン・クロフォード主演の『何がジェーンに起ったか?』、デイヴィスとオリヴィア・デ・ハヴィランド主演の『ふるえて眠れ』、リー・マーヴィン主演の『特攻大作戦』、バート・レイノルズ主演の『ロンゲスト・ヤード』などを監督した[5]。1975年から1979年までのあいだ、全米監督協会の会長を務めた[10]。1983年12月5日、カリフォルニア州ロサンゼルスで腎不全により死去[5]。65歳没[11]。1981年の『カリフォルニア・ドールズ』が遺作となった[12]。(ウィキ)
2024.07.02
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ストーリー:81000トンの豪華客船ポセイドン号が、ギリシャに向かうためにニューヨーク港をでたのは12月末だった。船長(レスリー・ニールセン)は最初から船の重心が高いことに気づいていた。バラスト(底荷)をしていないので、船体の上部が重く、大波を喰うと転覆する恐れもあり、スピードを出すことも危険だったが、船主の代表はそれを認めなかった。ポセイドン号が地中海に入ったとき、地震観測所から、クレタ島南西130マイル沖合いで海底地震があったという電報が入った。それから間もなく大津波がおしよせポセイドン号は一瞬にして転覆した。船体の上部が海底に没し、船底が海面に現われたのである。折から新年を祝うパーティが大食堂で催されており、集まった船客たちのほとんどが生命を失うという大惨事だった。乗客の1人であるフランク・スコット牧師(ジーン・ハックマン)は、大混乱が鎮まると奇跡的に助かった人々と共に脱出を試みた。ニューヨークの刑事であるマイク・ロゴ(アーネスト・ボーグ・ナイン)その妻でもと売春婦だったリンダ(ステラ・スティーヴンス)、雑貨商のジェームズ・マーティン(レッド・バトンズ)、中年夫婦マニー・ローゼン(ジャック・アルバートソン)とベル(シェリー・ウィンタース)、歌手のノニー・バリー(キャロル・リンレイ)、17歳のスーザン・シェルビー(パメラ・スー・マーティン)と10歳になるその弟のロビン(エリック・シーア)そして船のボーイ、エーカーズ(ロディ・マクドウォール)の9人がスコットに従うことになり、あとの生存者は、救急隊がくるまでじっとしていた方がいいという事務長の意見をとった。スコット牧師は、かすかながら船内にともる電気があるうちに、船の竜骨、つまり海面に1番近い所にたどりつき、そこで待機していれば助かるかもしれないと判断したのだ。上部に進むためには大クリスマス・ツリーを逆によじ登っていかなければならない。10人が登り終わったとき、スコット牧師の意見が正しかったことが証明された。キッチンボイラーが爆発して、残った人々を流してしまったのだ。一行はスコット牧師の指示に従い、ブロードウェイと呼ばれる通路を通り、エンジンルームにたどりついた。その間、船内の爆発はたびたび起こり、船体は往々に沈下して、海水が下から次第にせり上がり、皆をあせらせた。最初の不幸は、ギャレーから次のエンジンルームに向かうときに興った。35フィート先にあるエンジンルームに着くためには水中を通らなければならない。ロープをはるために、スコット牧師が飛び込んだ。だが途中、倒れてきた鉄板の下敷きになって身動きができなくなってしまった。娘の頃、水泳選手であったベルは、異変を感じ水中に飛び込んだ。無事彼を救ったベルは、目的地に泳ぎついたものの、心臓発作に襲われ、息を引き取った。やがて他の生存者たちもベルを見習い、水を潜ってエンジンルームにたどりついたが、彼女の死は一同を悲しみに包んだ。やがて一行は最後の困難にさしかかった。いよいよプロペラ・シャフトにアタックする段階に入ったのである。この時、船体が再び傾いたと思う間もなく遠くに爆発音が起こり、更に船体は船尾に傾いた。このため、ロゴ刑事の妻リンダが振り落とされ、水中に沈んだ。惨事は更に続いた。出口のそばにあるスチーム・パイプが破れ、噴き出し始めたのだ。このままでは進路がはばまれれば、今までの苦労は水の泡になってしまう。スコットは決意したようにパイプに飛びつきハッチをしめた。だがさすがの彼も熱いスチームには耐えきれず水中に落下した。スコット牧師に変わってロゴが指導する一行はやっとの思い出船底にたどりついた。皆は鉄棒を振って船底を無我夢中で叩きだした。すると、遠くからかすかに反応が聞こえてくる。外には救助隊が救助にきていたのだ。船底の扉が焼ききられ、太陽がさし込んだ。助かった6人を乗せたヘリコプターが大空へと舞い上がっていった。(KINENOTE)『ポセイドン・アドベンチャー』(原題:The Poseidon Adventure)は、1972年のアメリカ合衆国のパニック映画。1969年に出版されたポール・ギャリコの同名小説をもとに、ロナルド・ニームが監督、アーウィン・アレンが製作した本作には、5人のオスカー受賞者(ジーン・ハックマン、アーネスト・ボーグナイン、ジャック・アルバートソン、シェリー・ウィンタース、レッド・バトンズ)を含むアンサンブルキャストが出演している。架空の豪華客船「ポセイドン号」(英語版)は、スクラップになる前にニューヨークからアテネに向けて最後の航海に出発する。大晦日の夜、ポセイドン号は津波によって転覆し、乗客や乗組員が船内に閉じ込められてしまう。様々な困難を迎える中、牧師が生存者のグループを安全に導こうとする姿が描かれる。 製作費1200万ドルは船のセット、転覆場面の撮影、1135万リットルの水に大半が消費されたという。まだコンピューターグラフィックの無い時代で全て実写であった[13]。撮影には実在する豪華客船のクイーン・メリー号が使用された。同年公開の『ゴッドファーザー』とほとんど同じ興行収入を記録する大ヒット作品となった。その結果、経営難にあった20世紀フォックスを立て直す存在となった。またこの作品で当時パニック映画(ディザスター・フィルム)と呼ばれるジャンルが確立して、アーウィン・アレンを中心とするスタッフが、この時の特撮技術を活かし、2年後に『タワーリング・インフェルノ』を製作した。(ウィキ)最近ピースボート乗船のブログを読んでいることもあって、久しぶりに観てみました。実写で過剰にならず迫力がある映像です。5人のオスカー受賞者の共演で、人物描写もいいです。117分という長さもだれなくていいです。この前のコロナ騒ぎもできれば映画にしてほしいです。音楽は、ジョン・ウィリアムズです。「ポセイドン・アドベンチャー The Poseidon Adventure」サントラ original sound track - YouTube
2024.05.31
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ストーリー:読書が大好きで元気いっぱいな中学生の女の子・月島雫。彼女は図書貸出カードでよく見かける、ある名前が頭から離れなかった。天沢聖司――全部私よりも先に読んでる――どんなひとなんだろう。あるきっかけで“最悪の出会い”を果たした二人だが、聖司に大きな夢があることを知り、次第に惹かれていく雫。聖司に背中を押され、雫も自分の夢を胸に抱くようになったが、ある日聖司から夢を叶えるためイタリアに渡ると打ち明けられる。離れ離れになってもそれぞれの夢を追いかけ、また必ず会おうと誓い合う二人。それから10年の時が流れた、1998年。雫は、児童書の編集者として出版社で働きながら夢を追い続けていたが、思うようにいかずもがいていた。もう駄目なのかも知れない――そんな気持ちが大きくなる度に、遠く離れたイタリアで奮闘する聖司を想い、自分を奮い立たせていた。一方の聖司も順風満帆ではなかった。戸惑い、もどかしい日々を送っていたが、聖司にとっての支えも同じく雫であった。ある日、雫は仕事で大きなミスをしてしまい、仕事か夢のどちらを取るか選択を迫られる。答えを見つけに向かった先は……。(KINENOTE)『耳をすませば』(Whisper of the Heart)は、柊あおいの漫画作品。『りぼん』(集英社)の1989年8月号 - 11月号にて連載された。略称は「耳すま」[1]。1995年にアニメーション映画化(#アニメ映画参照)、2022年に実写映画化された[2](#実写映画参照)。 2022年10月14日に公開[32][2]。監督は平川雄一朗、主演は清野菜名と松坂桃李[33]。アニメ映画を再現した「あの頃」とオリジナルストーリーの「10年後」の二重構成で描かれる[33]。当初は2020年9月18日に公開予定だったが、新型コロナウイルスの感染拡大によって海外への渡航および撮影が困難となったため、公開延期が同年4月21日に発表された[34]。撮影は神戸市で行われたほか[35]、作中で描かれるイタリアのシーンは和歌山県のポルトヨーロッパで撮影された[36]。(ウィキ) 柊あおいが『りぼん』(集英社)で連載し、スタジオジブリがアニメ映画化した青春恋愛漫画『耳をすませば』を実写映画化。読書が大好きな女の子・月島雫が、夢に向かって生きる男の子・天沢聖司に想いを寄せる中学生時代の物語に、完全オリジナルの10年後の物語を加えて描く。大人になって児童書の編集者となった月島雫を清野菜名が、チェロ奏者として活動する天沢聖司を松坂桃李がW主演で演じる。中学生時代の二人には安原琉那、中川翼。監督は平川雄一朗、主題歌は杏がカバーする名曲「翼をください」。雫が働く出版社の部長に音尾琢真、先輩役に松本まりか、後輩役に中田圭祐、雫が担当する作家・園村役に田中圭。また、雫の両親を小林隆、森口瑤子、さらに聖司の祖父であり地球屋の店主でもあるおじいさんを近藤正臣が演じている。(KINENOTE)ジブリのアニメと異なるオリジナルストーリーで、ジブリ派と本作派で好き嫌い、評価がわかれるみたいです。今では考えられない遠距離純愛物語は一種のファンタジーと理解すれば、十分受け入れられ昭和の老人の胸に響きました。今ならテレビ電話、LINEなどで、遠距離恋愛は死語でしょう。和歌山で撮影とありますが、イタリアの風景はどうしたのでしょう。
2024.05.20
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ストーリー:自分の人生をお伽話のように人々に語り続ける有名な男、エドワード・ブルーム(アルバート・フィニー)。未来を予見する魔女(ヘレナ・ボナム=カーター)のこと、若き日の自分(ユアン・マクレガー)が一緒に旅した巨人カール(マシュー・マグローリー)のこと、人を襲う森とその先にある美しい町のこと。そんな彼の話には誰もが楽しい気分になった。しかしジャーナリストとして活躍する息子のウィル(ビリー・クラダップ)は、自分の結婚式の祝宴でエドワードが巨大魚の話をして注目をさらってから、父親に憤りを抱いている。しかしある日、母親のサンドラ(ジェシカ・ラング)から、患っていた父の容態が悪化したとの報告。ウィルは出産間近の妻、ジョセフィーン(マリオン・コティヤール)と共に実家へと向かった。エドワードは一日のほとんどをベッドで過ごしつつも、相変わらず思い出話を語っている。ジョセフィーンはサンドラとの恋愛話を聞かされ、そのロマンティックな内容に心を打たれた。だがウィルはそれが事実ではなく作り話であることに苛立つ。しかしそんな時、ウィルは、エドワードの話の中に出てきた彼の戦死を告げる電報をサンドラが見つけたことで、お伽話の中に真実が隠されていたことに気づき衝撃を受ける。間もなくエドワードの様態は急変。人生の最期を迎えようとする父に、枕元でウィルは父の物語を豊かに創作して語って聞かせる。そしてエドワードの葬式には、彼の物語に出てきた人々がたくさん集まってくるのだった。(KINENOTE)『ビッグ・フィッシュ』(原題: Big Fish)はティム・バートン監督による2003年作のファンタジー映画。ダニエル・ウォレス(Daniel Wallace)のベストセラー『ビッグフィッシュ - 父と息子のものがたり』を原作にジョン・オーガストが脚色した。劇場公開翌年の2004年に第76回アカデミー賞作曲賞にノミネートされた。2013年にミュージカル作品が初演(後述)。 前年に父を亡くし、子供を授かったティム・バートンの自身の物語とも取れる作品。次作の『チャーリーとチョコレート工場』と同様に、父と子の和解というテーマが根底にあり、この作品で新境地を開いた。125分(ウィキ)前半のホラ話は少ししつこいですが、ファンタジックな映像で楽しめる映画です。自分が当事者なら、やはりこうしたほら吹き親父は耐えられないです。戦争は朝鮮戦争でしょうか。古き良き時代の物語でもあります。お酒を飲むと昔話をしていた父を思い出しました。自慢話は少なく、失敗談の方が多かったように思います。高校入試の口頭試問で、1ドル360円が答えられなかった話は、彼の「十八番」でした。
2024.05.18
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荒木飛呂彦・原作×高橋一生・主演の人気ドラマシリーズの劇場版第1弾!漫画家の岸辺露伴が、編集者の泉京香とともに美の殿堂ルーヴル美術館を舞台に「黒い絵」の謎に迫る! 特殊な能力を持つ漫画家の岸辺露伴は、青年時代に淡い思いを抱いた女性からこの世で「最も黒い絵」の 話を聞く。それは、最も黒く、そしてこの世で最も邪悪な絵だった。時は経ち、新作執筆の過程で、その絵がルーヴル美術館に所蔵されていることを知った露伴は、取材とかつての慕情のためにフランスを訪れる。しかし、不思議なことに美術館の職員すら「黒い絵」の存在を知らなかったが、データベースでヒットした保管場所は、今はもう使われていないはずの地下にある「Z-13 倉庫」だった。 そこで露伴は「黒い絵」が引き起こす恐ろしい出来事に対峙することとなる...<キャスト&スタッフ> 出演 高橋一生 飯豊まりえ / 長尾謙杜 安藤政信 美波 / 木村文乃原作 荒木飛呂彦「岸辺露伴 ルーヴルへ行く」 監督 渡辺一貴 脚本 小林靖子 音楽 菊地成孔/新音楽制作工房 人物デザイン監修・衣裳デザイン 柘植伊佐夫 製作:『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』 製作委員会 制作プロダクション:アスミック・エース、NHKエンタープライズ、P.I.C.S.映画「岸辺露伴 ルーヴルへ行く」 - NHK『岸辺露伴 ルーヴルへ行く』(きしべろはん ルーヴルへいく)は2023年5月26日公開の日本の映画。荒木飛呂彦による漫画シリーズ『ジョジョの奇妙な冒険』のスピンオフ作品『岸辺露伴は動かない』の一編であり、ルーヴル美術館が主催するバンド・デシネプロジェクトのために書き下ろされた同名の漫画作品が原作となっている。監督の渡辺一貴、脚本の小林靖子を始め、NHK総合で放送されたテレビドラマ『岸辺露伴は動かない』のキャスト・スタッフが続投する形で制作された。本作の主人公である漫画家・岸辺露伴が、ルーヴル美術館に存在するといわれる「この世で最も黒い絵」が引き起こす怪異に巻き込まれる物語が描かれる。企画は2020年、ドラマシリーズの放送前に始動し、2022年9月から2023年3月にかけて撮影が行われた。パリ市街やルーヴル美術館でのロケも行われ、日本映画がルーヴル美術館で撮影されるのは『万能鑑定士Q モナ・リザの瞳』以来2作目となった。興行収入は12.5億円を記録し、NHKが製作したドラマの映画化作品としては初めて10億円を突破した。(ウィキ)このテレビドラマはなじめそうもないので敬遠していましたが、劇場版ということで観てみました。相手を本にして生い立ちや秘密を読み、指示を書き込むこともできる特殊能力「ヘブンズ・ドアー」というのが出てきましたが?です。どこか前時代的なにおいがすると思ったら、元ネタとされる本があるのですね。【岸辺露伴 ルーヴルへ行く】元ネタと噂される小説は?「昭和の文豪」が残した短編と3つの共通点 (msn.com)テレビと違って映画はお金を払って観るメディアですよね。〔中略〕ドラマとは違う面白さを感じるものでなければならない。そう考えた時に、『ルーヴルへ行く』は、露伴が海外に赴く話なのでスケールも大きく、なおかつ露伴の過去や、露伴のルーツに迫っていくという、ドラマの中では描かれていない切り口があったので— アスミック・エースのプロデューサー井出陽子ルーブル美術館でのロケ作品ですが、それだけでスケールが大きいというのはどうでしょう。民放が自社ドラマを劇場版にして金もうけというのはわかりますが、放送文化向上が目的のNHKが劇場版だなんておかしくありませんか。公共放送って何?と思った作品でもあります。それにしても、ロケ地の横浜グランドホテルは絵になりますね。ずっと残しておいてほしいクラッシックホテルです。
2024.05.10
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ストーリー:ロシアの過激な国粋主義者が軍の反乱派勢力と結託し、シベリアの核ミサイル基地を占拠した。アメリカと日本が核攻撃の危機にさらされ、米海軍の原潜アラバマに出撃命令が下った。歴戦の叩き上げのフランク・ラムジー艦長(ジーン・ハックマン)と、ハーバード大卒のエリートであるロン・ハンター副官(デンゼル・ワシントン)は、核に対する思想で真っ向から対立する。目的海域に達し、敵潜水艦の影を捉えたアラバマは臨戦体制に突入。ペンタゴン(米国防総省)からの通信が入ったその時、敵の魚雷攻撃が艦をかすめて爆発した。通信は途中で途切れ、ミサイルの発射か中止か、はっきりしない。即時攻撃を主張するラムジーに対し、ハンターは命令の再確認を強く求める。艦内に異常な緊張が漲り、艦長への忠誠心か副官のモラルに与するか、乗組員たちも激しく揺れる。ハンターはラムジーの命令を服務違反として指揮権を剥奪、彼とその一派の将校たちを監禁した。再度、敵艦と交戦したアラバマは損傷し、甚大な被害が出る。ハンターは通信の回復を急がせるが、その隙にラムジー艦長は連絡将校ジマー(マット・クレイヴン)、ハンターの長年の親友で武器将校のウェップス(ヴィゴ・モーテンセン)らと実力で指揮権を奪回すると、ハンターや艇長のコッブ(ジェームズ・ギャンドルフィーニ)らを逆に監禁した。だが、ハンターも脱出し、発射を寸前で回避しようとする。ラムジーの銃口がハンターに向けられた時、通信が回復。ラムジーは再確認のため、3分間の猶予を与えたが、命令はミサイル発射の中止だった。かくして核戦争の危機は回避された。(Kinenote)ケイン号の叛乱を見た後なので、両作品の比較も楽しめました。艦長vs士官に対して、こちらは士官の一部に艦長に従うものも登場です。裁判劇はなく、海軍の裁定委員会で内密で穏便な措置でひねりもなしです。艦長が精神障がいというわけではなくて、判断の違いということも起因しているのでしょう。裁く方も裁かれる方も顔見知りというのは、甘くなりがちです。作品の最後に現在は核の発射権限は艦長にはなく大統領にあるというテロップが流れます。当時はこれでひと安心だったのでしょうが、トランプが登場して?です。この作品を見て、米国は改めて先制核攻撃を行う国だと思い知らされました。国を救うという大義が突出すると、一気に核戦争でしょう。さいわいこの作品では、副官の自制=確認が先制核攻撃を中止させました。キューバ危機の経験(ソ連軍人の自制が救ったという見方もあります。)が、すでに忘れ去られていないことを願います。
2024.05.06
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ストーリー:1943年、プリンストン大学を卒業したウィリー・キース(ロバート・フランシス)は、ナイトクラブの歌手をしている恋人メイ・ウィン(メイ・ウィン)に別れを告げ、海軍少尉候補生として駆逐艦ケイン号に乗りこんだ。ケイン号では艦を切り回しているのは艦長デヴリースではなく、むしろ副官のマリク大尉(ヴァン・ジョンソン)であったが、間もなく艦長更迭が行われ、新艦長のクィーグ中佐(ハンフリー・ボガート)が着任した。ウィリーはクィーグのデヴリースとは正反対なキビキビした態度に感心した。魚雷の曳航演習中、クィーグが1人の水兵を叱責することに夢中になって指揮を忘れたため魚雷の曳航綱が切れてしまうという事件が起きた。この事故の説明のため、ケイン号はサンフランシスコに入港し、ウィリーはメイとともに休暇を過ごした。休暇が終わって艦に帰った乗組員たちは艦長が事件の責任を部下一同になすりつけたことを知った。クィーグへの信頼は一挙に失われた。ケイン号は直ちに機動部隊に加ってクェゼリン群島に向かったが、この上陸作戦でクィーグは満足に任務が遂行できず、大変な臆病者であることを暴露してしまった。インテリのキーファー大尉(フレッド・マクマレイ)は彼を偏執狂だといった。事実、クィーグは冷蔵庫の苺が紛失したといって乗り組員の身体検査をする有様だった。そんな矢先、艦は猛烈な颱風に遭遇し、艦長に指揮を委せていたら沈没も免れぬと思ったマリクは決然クィーグに反抗して艦の指揮をとり、皆の応援を得て艦を救った。艦はサンフランシスコに帰港し、マリクとウィリーは反逆罪で軍法会議に附されることになった。体勢は明らかにマリクたちに不利だったが、弁護人バーニー・グリーンウォルド中尉(ホセ・フェラー)は巧妙な質問でクィーグが偏執狂であることを証明し、2人は無罪の判決を受けた。ウィリーはメイと結婚し、颯爽と新しい艦に乗りこんだ。その艦長はケイン号の前艦長デヴリースであった。(KINENOTE)『ケイン号の叛乱』(The Caine Mutiny)は、1954年制作のアメリカ映画。ピューリッツァー賞を受賞したハーマン・ウォークの同名の世界的ベストセラー小説(1951年発表[4][8])を「ハリウッド・テン」の一人だった監督エドワード・ドミトリク、製作スタンリー・クレイマー、出演ハンフリー・ボガート、ホセ・フェラーなど当時のハリウッドの超一流スタッフ・キャストが総結集、映画史上に残る名作ドラマに作り上げた。主演のロバート・フランシスはその後を嘱望されるも公開翌年に自ら操縦する飛行機の墜落事故にて25歳の若さで亡くなった。何度観ても面白い作品です。最後のひねりのシーンは、忘れていました。会社でもハンフリー・ボガードのようなおかしな上司はいましたが、軍隊と違って生死にかかわるということはありませんでした。部下がちゃんと支えればこんな反乱騒ぎにはならなかったとの指摘はごもっともですが、当事者としてはやってられないということでしょう。組織ではわりとある話です。無罪に喜ぶケイン号の士官たちに対し、自分を含めてエリートが大学に通っている間、過酷な対日戦でアメリカを守った職業軍人のクイーグの名誉を貶める結果になったと語る弁護士のグリーンウォルドの反省が、この作品を深みのあるものにしています。クイーグのパラノイア=偏執症は軍務によって肥大化したように見えました。ある意味で軍隊批判の作品とも言えるわけですが、米国海軍が協力しているところがすごいと思いました。台風のシーンの特撮もなかなかの出来でした。Caine Mutiny - Greenwald confronts Keefer - YouTube - YouTube
2024.04.28
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ストーリー:九州の静かな町で暮らす 17 歳の少女・鈴芽(すずめ)は、「扉を探してるんだ」という旅の青年・草太に出会う。彼の後を追って迷い込んだ山中の廃墟で見つけたのは、ぽつんとたたずむ古ぼけた扉。なにかに引き寄せられるように、すずめは扉に手を伸ばすが……。扉の向こう側からは災いが訪れてしまうため、草太は扉を閉めて鍵をかける“閉じ師”として旅を続けているという。すると、二人の前に突如、謎の猫・ダイジンが現れる。「すずめ すき」「おまえは じゃま」。ダイジンがしゃべり出した次の瞬間、草太はなんと、椅子に姿を変えられてしまう! それはすずめが幼い頃に使っていた、脚が 1 本欠けた小さな椅子。逃げるダイジンを捕まえようと 3 本脚の椅子の姿で走り出した草太を、すずめは慌てて追いかける。やがて、日本各地で次々に開き始める扉。不思議な扉と小さな猫に導かれ、九州、四国、関西、そして東京と、日本列島を巻き込んでいくすずめの”戸締まりの旅”。旅先での出会いに助けられながら辿りついたその場所ですずめを待っていたのは、忘れられてしまったある真実だった。(KINENOTE)『すずめの戸締まり』は2022年(令和4年)に公開された日本のアニメーション映画。脚本・監督は新海誠。日本各地の廃墟に点在する災いの出口・“扉”を閉じていく少女の解放と成長を描くロードムービー。(ウィキ)なまずならぬ廃墟の扉から巨大なミミズがはい出て地震を引き起こすという地震をテーマにしたファンタジー。震災孤児のすずめの自分勝手な行動にまわりが振り回される様子に、私はイライラです。要石の猫=ダイジンの意図がつかめない行動にもイライラ。年寄りにはなかなか理解しがたいストーリーです。孤児となった昔の自分に会いに行き励ますというタイムスリップものでもあります。廃墟の扉はドラえもんのどこでもドア?と突っ込みたくなるような作品でした。見終わった後、消化不良のストーリーでう~んとなる作品でした。要石やすずめの苗字が岩戸、扉を閉める時に祝詞or呪文を唱えるなど、神話の世界を関連付けたのかもしれませんが意味不明でした。閉じ師も「とじし」と聞いて、?と思いました。廃墟さえも美しいきれいな風景の描写は、いつも通りの素晴らしさですが、日本の現実を見ると「こころの風景」ですね。
2024.04.27
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ストーリー:橘孝平(中村雅俊)とちひろ(原田美枝子)は、孝平の定年退職を期に、離婚を決めた。大手建設会社の重役にまで上り詰めた孝平。これからは恋人の夏美(原沙知絵)が経営する建設事務所で、今まで培った経験を存分に生かすつもりだ。ちひろは、父親に言われた相手と結婚し30年、家族に尽くしてきた専業主婦。孝平の退職日、手料理を食卓に並べ、帰りを待っていた。まもなく、身ごもった娘のマキ(星野真里)が同棲中の八木沼(内田朝陽)を連れ、父親の退職祝いにかけつけた。しかし、孝平は今日も家に帰ってこない。口げんかの絶えない魚屋夫婦、正彦(イッセー尾形)と光江(綾戸智恵)。正彦に糖尿が見つかってからは、定期的に病院に通っている。担当医の静夫(井上順)の指示に従い、光江は夫の食事に気を遣い、毎晩のウォーキングを欠かさない。そんなある日、正彦は楽器店のショーウィンドウにギターの名器マーチンが飾られているのを発見。かつて光江は集団就職で上京、職場の先輩と追っかけをしていたコピーバンドのヴォーカル・正彦に口説かれ、一緒になったのだ。憧れの名器に見惚れる正彦。医者の静夫は、5年前愛妻を亡くし、今は高校受験を控える娘・理花(金澤美穂)と2人暮らし。かつて大腸菌の研究に没頭するも、アメリカの研究チームに先を越され出世コースからは脱落。冴えない人生を送っている。しかし近頃は、海外医療小説の監修依頼をしてきた翻訳家・麗子(戸田恵子)と会えるのを楽しみにしている。一方の麗子も、細菌の話になると、人がかわったように熱弁を振るう静夫の姿に年甲斐もなくトキメくのだった。夫が出て行った家で、時間を持て余しているちひろは一念発起、家政婦の仕事に挑戦することに。勤め先は、翻訳家・麗子の家。高級マンションに一人暮らし、誰に頼ることなく自立している麗子。ある日、麗子はちひろを誘い、パーティーへ繰り出す。華やかなドレスを纏いすっかり変身したちひろ。パーティーの主催はミステリー作家の麻生圭一郎(石黒賢)。麻生は美しく磨かれたちひろに惹かれ、食事に誘う。異性から誘われた経験のないちひろはただ戸惑うばかり。「あなたは今まで恋をしてこなかった」という麻生の言葉にちひろは少なからず動揺を覚えるのだった。孝平は、転職の挨拶も兼ね、なじみの施工業者に受注の依頼をするが、あっさりと断られてしまう。「うちが付き合ってきたのは、あなたじゃなくて京亜建設だ」。自分の力で築きあげてきたと思っていた人脈、キャリア。それがすべて会社の名の下にあったというのか?自らの愚かさに落胆する孝平。そんな時、娘・マキの子供が生まれ、久しぶりに前妻・ちひろと再会する。そこには、孝平が今まで見たことのないよく喋り、よく笑い、美しく輝くちひろがいた。病院からの帰り道、空腹の孝平を見かねたちひろは、孝平のために夕食を作る。どことなく気落ちしているようにみえる孝平にちひろは励ましの言葉をかけるのだった。孝平に上着を着せ、鞄を持ち、玄関先から見送る自分。ちひろは30年間繰り返してきたこの習慣にどこか懐かしさを感じていた。麗子は、監修のお礼にと思い切って静夫と娘の理花を自宅に招待。しかし、タバコを吸い、酒を飲み、華やかに生きる麗子と亡くなった母親との違いに戸惑い、父親には不釣合いな相手だと感じた理花は、悪態をつき、部屋から飛び出してしまう。静夫は理花を追いかけ叱りながらも、為すすべもない。当直のため、病院へ戻らなければならないと力なく詫びる静夫に、麗子は笑顔でさよならを告げる。「やっぱり恋なんてしなければよかった…」。自己嫌悪に陥る麗子。翌朝、静夫が1通の手紙を持って、麗子の部屋にやってくる。それは、英語がわからないから麗子に訳してもらいたいという理花が書いた英文のラブレターだった。毎日の運動と食事メニュー改善の甲斐があり、正彦の糖尿は少しずつ回復。静夫からの診断結果を聞き喜ぶ2人。しかし、思いがけず光江が診察室のドアに頭をぶつけたことを不審に思った静夫は光江を診察、脳腫瘍が発覚する。突如、癌の摘出手術を宣告され、憤る正彦。「俺より先に逝ったりしたら許さない」という正彦を残し手術室に入る光江。家に戻った正彦は、ふと「押入れの戸の調子が悪いから直しておいてほしい」という光江の言葉を思い出す。見慣れない何かが押入れの中に入っている事に気づく。それはあの名器マーチン。光江が正彦の誕生日プレゼントに準備しておいたのだ。光江への想いが溢れ、ギターをかかえ泣きじゃくる正彦。その頃、同じ病院の産婦人科にマキをたずねていた孝平のもとに、かつて新婚旅行で訪れた四国の写真館でちひろが30年後の孝平に宛てて書いたという手紙をもった若者・北島(石田卓也)が現れる。そこには、ちひろの孝平への語りつくせない想いが語られていた。自分にとってかけがえのない、大切な存在にようやく気づいた孝平は、ある決意を胸に夜の街を疾走するのだった。(KINENOTE)『60歳のラブレター』は、住友信託銀行(現・三井住友信託銀行)主催で2000年より毎年行われている、長年連れ添った夫婦が口に出しては言えない互いへの感謝の言葉を1枚のハガキにつづる応募企画。2010年より、夫婦間に限定せず家族へ宛てた作品も可となった。応募作品は書籍化され、映画・舞台での脚色作品も誕生した。 2009年公開の日本映画。キャッチコピーは「語り尽くせないほどの「ありがとう」」。129分(ウィキ)脚本が、売れっ子の古沢良太なので観てみました。3つの話はいずれもハッピーエンドで頼が戻るという展開です。オムニバス形式ではなくて、3つのカップルの話が病院を接点にして同時並行するという展開です。婚期を逃した翻訳家の戸田恵子のシーンが一番よかったです。私は、上手くいっても行かなくても、一回は結婚してみたらと思っています。中村雅俊は60歳になっても走っていましたが、別れた妻の原田美枝子は頼を戻さなくてもと思ったものです。最後のショットは、ひいてしまいました。60歳で枯れるのか、また浮気の虫が騒ぎ出すのか、判断がわかれるところです。ラストに流れる澄んだ歌声に癒されます。先日部屋の整理をしていたら、愛方の手紙やプレゼントに添えられたひと言などが出てきました。まだ、彼女が若くて純情だった?頃のものです。今度は60歳の手紙と思ったら、すでに数年前に過ぎていました。まあ、女性の年齢は男性のそれの10歳マイナスですから、期待しましょう。
2024.04.20
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映画『居眠り磐音』5月17日(金)公開(主題歌入り予告) (youtube.com)ストーリー:人情に厚く、春風のように穏やかで、礼節を重んじる好青年の坂崎磐音(松坂桃李)は剣の達人ではあるが、日向ぼっこで居眠りする老猫のような剣術で、眠っているのか起きているのかわからないことから“居眠り剣法”と呼ばれていた。磐音と幼馴染の小林琴平(柄本佑)、河井慎之輔(杉野遥亮)は江戸勤番を終え、三年振りに故郷である九州・豊後関前藩に戻る。琴平の妹・舞は慎之輔に嫁ぎ、磐音も琴平と舞の妹・奈緒(芳根京子)と祝言を控えていた。ところが、磐音と奈緒の祝言の運びになったとき、舞が不貞を犯したという噂を聞いた慎之輔が、舞を斬ってしまう。それに激昂した琴平は噂を慎之輔に吹き込んだ人物と慎之輔を斬る。琴平は罰せられることとなり、磐音が琴平を討ち取るよう命じられる。琴平を討ち取った磐音は、実の兄を殺した以上、奈緒とは一緒になれないと、彼女を残して脱藩する。すべてを失い、浪人の身となった磐音は江戸の長屋で暮らすようになるが、収入源がなく家賃の支払いも滞ってしまう。見かねた大家・金兵衛(中村梅雀)の紹介で、昼は鰻屋の鰻割き、夜は両替商・今津屋の用心棒として働き始める。穏やかで優しいが剣の腕は立つ磐音は、次第に周囲の人々から頼られる存在になり、今津屋の女中で金兵衛の娘・おこん(木村文乃)からも好意を持たれるようになる。そんな折、今津屋は幕府が流通させた新貨幣をめぐる陰謀に巻き込まれ、磐音は用心棒として悪に立ち向かう……。(KINENOTE)『居眠り磐音』(いねむりいわね)は、佐伯泰英による日本の時代小説シリーズ。全51巻およびサイドストーリーの「新 居眠り磐音」シリーズ既刊5巻。 『居眠り磐音』のタイトルで映画化され[5]、2019年5月17日公開。主演は松坂桃李。監督は本木克英、脚本は藤本有紀[6]。佐伯泰英作品の初めての映画化。松坂は時代劇初主演。121分(ウィキ)前半の脱藩するまでの過程が、よく描かれていて興味深かったです。早とちり、ボタンの掛け違え、若さゆえの悲劇ですね。殺陣のシーンもよかったですが、ラストの奈緒(芳根京子)花魁道中のシーンは余計でしたし、ストーリー的にもちょっと無理がありました。MISAの主題歌は、TBSのドラマJINを思い出します。
2024.04.17
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映画『エアフォース・ワン』(1997)予告編 (youtube.com)ストーリー:ロシア政局の混乱の隙を突きカザフスタンに非合法なテロリスト政権を誕生させた超国家主義者ラデク(ユルケン・プロホノフ)は残忍な独裁者と化し、恐怖政治を断行。新生ロシアのイワン・ペトロフ大統領の協力要請の下、正義感に溢れる合衆国大統領ジェームズ・マーシャル(ハリソン・フォード)は特殊部隊を派遣し、ラテク逮捕を成功に導いていた。ロシアで開かれた祝賀レセプションで力強いスピーチを行った彼は、大統領専用機<エアフォース・ワン>に乗り込んで帰国の途に就く。今回のロシア訪問には、ファースト・レディのグレース(ウェンディ・クルーソン)と12歳の娘アリス(リーセル・マシューズ)が同行しており、カルドウェル軍事顧問(ウィリアム・H・メイシー)ら馴染みのスタッフに加えて、6人のロシアのテレビ・クルーも搭乗した。機か離陸すると、クルーたちは逮捕されたラテクの救出を企む狂信的なテロリストの正体を現した。ヴァレリー・コルシュノフ(ゲイリー・オールドマン)をリーダーとするテロリストたちは、機内に装備された武器を手に<エアフォース・ワン>を占拠。シークレット・サービスたちは大統領をパラシュート付きカプセルで脱出させようとするが、大切な家族とスタッフを危険にさらすことはできず、彼は脱出したと見せかけて密かに機内に潜伏した。大統領本人を除く全員を人質にしたコルシュノフは、ホワイトハウスにラテクの釈放を要求。実現するまで、30分ごとに1人ずつ処刑すると通達してきた。機の進路をカザフスタンに変更させたコルシュノフは、脅迫どおりドハーティ国家安全保障会会議顧問(トム・エヴェレット)を、続いてミッチェル副報道官を射殺した。主が不在のホワイトハウス司令室では、副大統領キャサリン・ベネット(グレン・クローズ)の指揮の下、ディーン国防長官(ディーン・ストックウェル)ら政府首脳による緊急会議が開かれた。ラデクがカザフスタンに戻ればペトロフ政権は崩壊し、そして恐るべき核テロリスト国家の照準は米国に向けられることは明らかだった。ベネットは、首脳陣の政治的思惑か渦巻く中、必死に解決策を模索する。その頃、ヴェトナム戦争で優れた兵士だったマーシャル大統領は反撃を開始し、2人のテロリストを倒し、燃料の一部を投棄した。燃料補給のために機体が高度を下げれば、人質をパラシュートで脱出させる作戦たった。マーシャルは何とかホワイトハウスとの電話連絡に成功、彼の生命を確認したホワイトハウスはにわかに活気つく。たが、コルシュノフはマーシャルの存在に気づいてしまい、アリスの頭に銃口を突きつけ、マーシャルを燻り出した。しかし、国家の正義と家族への愛をバネに、彼は不屈の闘志でテロリストに立ち向かう。機は一度はカザフタンに着陸するかに見えたが、マーシャルとベネットが派遣した特殊部隊の連携で緊急離陸。「俺の飛行機から出ていけ!」とコルシュコフを粉砕したマーシャルは、失速寸前の機から救出機に飛び移り、脱出に成功した。(KINENOTE)『エアフォース・ワン』(Air Force One)は、1997年に公開されたアメリカの映画である。ハリソン・フォードが大統領を演ずる。アカデミー賞の編集賞、音響賞にノミネートされた。テロリストにハイジャックされたアメリカ合衆国大統領専用機「エアフォースワン」(VC-25)を取り戻すため、大統領が脱出ポッドで脱出したようにみせかけて機内に潜伏し、テロリストたちと攻防を繰り広げるアクション映画。(ウィキ)何ともご都合主義な展開で、米国、いやスーパーマンの大統領本位の筋書きで、それを我慢できれば楽しめる映画です。物語の展開も早く、124分という長さも気になりません。1997年の作品ですが、ソ連崩壊によって冷戦が終わり、まだ9・11の前という、比較的穏やかな時代なので、こんな作品も生まれたのでしょう。この頃は、ロシアも「同盟国」、というより米国のいうことを聞く国でした。「経済制裁や外交という言葉の裏で虐殺が続いてきた」という米国大統領の演説に、ウクライナ戦争中の現在、ドキッとします。この映画は不正義には断固武力で対処するとの姿勢ですが、そううまく行かないところが現実です。ストーリーで引っ掛かるのは、テロリストの手引きをするシークレットサービスのリーダーの動機です。最後はテロリストと連携するわけでもなくて、墜落する機内に取り残されてしまうのですが、物語が破綻しています。まあ、それを気づかせない展開で、事実いっしょに見ていた愛方はまったく気にしていないようでした。25年間堅持してきた「テロリストとは交渉しない」という原則を、家族のために反故にする大統領もどうかと思います。ホワイトハウスの対応も、閣僚の多数決で大統領を罷免してことにあたるというのが、この場合の正解でしょう。それにしても、独裁者を拉致して収監する冒頭のシーンを見て、もし可能ならまずやってほしいのは誰?と考えてしまいした。北朝鮮やミャンマーの独裁者?やっぱりガザで大量虐殺を行っているイスラエルのネタニヤフあたりでしょうか。半年で3万人も殺害です。その前に正義を振りかざすなら、米国は国際司法裁判所に参加してほしいです。
2024.04.13
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ストーリー:2054年のワシントンD.C.。殺人予知システムのおかげで、殺人事件の存在しない社会。ところが犯罪予防局の犯罪取締チームの主任、ジョン・アンダートン(トム・クルーズ)が、システムにより殺人事件の第一容疑者に挙げられてしまう。彼は自分が事件を起こすことになる36時間後までに、真実を暴かねばならなくなった。ライバルのダニー・ウィットワー(コリン・ファレル)率いる元部下たちの執拗な追跡をかわしながら、都市の探知網をかいくぐって逃げるアンダートン。そして彼は、殺人予知システムを考案したアイリス・ハイネマン博士(ロイス・スミス)から、冤罪のケースがあり得ることを知る。プリコグと呼ばれる予知能力者3人のビジョンが一致しない時、少数報告(マイノリティ・リポート)の方は棄却されてしまうのだ。アンダートンはプリコグの女性アガサ(サマンサ・モートン)を連れ出し、彼女のオリジナル・リポートをダウンロードしようとする。やがて真の犯人が、アンダートンの父親的存在である局長ラマー・バージェス(マックス・フォン・シドー)だと判明。彼は自殺し、犯罪予防システムは廃止。アンダートンは、別居していた妻ララ(キャサリン・モリス)とヨリを戻し、妊娠した彼女と新しい生活を始めるのだった。(KINENOTE)『マイノリティ・リポート』(Minority Report)は、2002年に公開されたアメリカのSF映画。ドリームワークスによって製作され、20世紀フォックス映画によって配給された。フィリップ・K・ディックの短編小説『マイノリティ・リポート』(旧題:『少数報告』)を原作としてスティーヴン・スピルバーグが監督を務め、トム・クルーズが主演した。145分本作は銀残しという手法を用いて現像処理され、コントラストが強く、彩度の低い映像となっている。監督のスピルバーグは「汚い映像にすることでリアリティを出したい」と意図してこれを用いている。場面によってはモノクロの映像のように見える特殊な表現であるため、当初トム・クルーズは反対の異を唱えていた。 本作は「ジョン・アシュクロフト司法長官により、9.11以降アメリカ政府が国民の情報を管理しようとしていること」に対しての政治的問いかけを含んでおり、政府が未来を予測できるようになればどうなるかを描いている[5]。2度目の鑑賞ですが、前回より楽しめました。近未来社会でも、支配力や権力欲は変らないものですね。殺傷兵器である銃が廃絶されたらと思います。参考:
2024.04.10
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ストーリー:1957年、ネバダ州。ソ連軍の女諜報部員スパルコ(ケイト・ブランシェット)に拉致されて、米軍基地の襲撃にひと役かわされたインディ・ジョーンズ(ハリソン・フォード)と相棒マック(レイ・ウィンストン)は、なんとか逃走することに成功する。スパルコが狙っているのは、宇宙の神秘の力を解き明かす秘宝として言い伝えられているクリスタル・スカルだった。考古学者として大学に戻るインディだが、FBIからソ連のスパイの容疑をかけられて職を解かれてしまう。やむなくイギリスへ向かおうとした彼が知り合ったのは、反抗的な若者のマット(シャイア・ラブーフ)だった。彼は、母とインディの友人であるオクスリー教授(ジョン・ハート)を救うため、インディを探していたのだ。インディとマットは南米でクリスタル・スカルを発見するが、スパルコ側に寝返ったマックによって捕えられ、アマゾンの奥地へと移送される。そこでインディが対面したのは、結婚式を迎える寸前で破局した元・恋人のマリオン(カレン・アレン)であり、マットが自分の息子であることを知り衝撃を受ける。錯乱したオクスリー教授とインディたちは、クリスタル・スカルを守るためにスパルコと攻防戦を繰り広げながら、伝説の黄金都市を探し続ける。ようやくそれを発見したとき、またしてもマックの裏切りによってスパルコも追いかけてきた。王国には、失われた歴史上の遺跡の数々が眠っていた。そして、13体のクリスタルたち。彼らは次元を超越した生命体だった。その最後のひとつにクリスタル・スカルが接続されたとき、宇宙と宇宙の裂け目が開き、そこにスパルコは吸収されていった。やがて、遺跡は跡形もなく消えた。インディとマリオンは、正式な結婚式を挙げる。それを見守るマット。こうして、インディJr3世はマットへと継承された。(KINENOTE)『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』(Indiana Jones and the Kingdom of the Crystal Skull)は、2008年のアメリカ合衆国の映画。製作総指揮のジョージ・ルーカスによる原案を基に、スティーヴン・スピルバーグが監督を務めた。出演はハリソン・フォードなど。冷戦時代である1957年[注釈 1]を舞台に、考古学者のインディアナ・ジョーンズがクリスタル・スカルを巡りソビエト連邦と争奪戦を繰り広げるアクション・アドベンチャー作品で「インディ・ジョーンズ」シリーズの第4作である。前作『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』から19年ぶりに公開された作品で、それまでのシリーズから主要なスタッフが続投し製作。評価は否定的な声も挙がるなどまちまちであったが、最終興行収入は全世界で7億8千万ドルとシリーズ最高の興行収入を記録した[2]。 2000年、フォード、ルーカス、スピルバーグ、製作のフランク・マーシャル、その妻のキャスリーン・ケネディは、アメリカン・フィルム・インスティテュートのイベントで再会。「再びインディ・ジョーンズの映画を作る経験を楽しみたい」と新作を作ることを決めた。また、スピルバーグはこの頃『A.I.』や『マイノリティ・リポート』、『ミュンヘン』など比較的暗い作風の映画を監督することが決まっており、息抜きの意味もこめて明るい作風であるこのシリーズの再開に賛成したという[20]。(ウィキ)前作から19年ぶりの制作で、時代設定も戦後で悪役はナチスからソ連です。赤狩りの影響も少しだけ描かれています。いろいろな作品のオーマージュが描かれていて、あそび心を感じさせます。ただ4作目ともなると、もうこの手の冒険活劇はこれでいいかなと思ってしまいました。生き生きと活力にあふれた主人公も、初老の老人です。それにしても、なぜケイト・ブランシェットがこんな映画に出ているのでしょう。
2024.04.07
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ストーリー:1912年、アメリカのユタ州。中世史教授を父に持つ13歳の少年インディ・ジョーンズ(リヴァー・フェニックス)は、砂漠の岩山の下の洞窟で、3人の悪党が宝の十字架を盗もうとしているのを目撃し、それを奪い逃亡するが、結局悪党一味に丸め込まれてしまい、彼の知恵と勇気をほめる悪党の1人からカウボーイ・ハットを受け取るのだった……。それから26年後の38年、ニューヨーク大学の考古学教授で冒険好きのインディ(ハリソン・フォード)はある日、富豪ウォルター・ドノヴァン(ジュリアン・グローヴァー)のペントハウスに連れてゆかれ、責任者の失踪によって頓挫している、磔にされたキリストの血を受けた聖杯の発見を依頼される。はじめ渋るインディは、行方不明になったのが父ヘンリー(ショーン・コネリー)であることを知り、それを引き受けた。ところが友人で父の旧友の考古学博物館長マーカス・ブロディ(デンホルム・エリオット)と共に父の家に向かったインディは、家が何者かによって荒らされている事に、その理由は父から送られてきた聖杯探索の調査記録であることを直感する。インディとマーカスは、ヴェニスで父の同僚シュナイダー博士(アリソン・ドゥーディ)と合流し、古い教会を改装した図書館を訪問、父の聖杯日誌のおかげで地下墓地を発見し、聖杯のありかの手がかりをつかんだ。そしてインディは、悪者の手から聖杯を守るべく活動してきた<十字剣兄弟団>のカジムから、父がオーストリアとドイツの国境にあるブルンワルト城に閉じこめられていることを聞いた。シュナイダーと共に城に向かったインディは、ナチも聖杯を探していることを知り、幽閉されていた父との再会もつかの間、シュナイダーの裏切りによってインディ親子は残忍なフォーゲル大佐(マイケル・バーン)の捕虜にされ、聖杯日誌も奪われてしまう。何とか城から脱出したインディとヘンリーは、さまざまなトラブルの末、最後にはフォーゲル大佐との一騎打ちとなり、命からがら勝利を収めるが、聖杯が隠されている<太陽の神殿>に向かい、ウォルターやシュナイダーを始めとするナチの探検隊に捕まってしまう。インディは、ウォルターによって腹部を撃たれたヘンリーを助けるために、3つの難関を乗り越え、聖杯を手にするが、その瞬間神殿が崩れ始め、聖杯獲得に色気をみせたシュナイダーは、聖杯と共に神殿の底に沈んでいった。結局聖杯を手にすることはできなかったが、インディとヘンリーは改めて親子の愛情を確認しあうのだった。(KINENOTE)『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』(Indiana Jones and the Last Crusade)は、1989年に公開されたアメリカ合衆国の映画。製作総指揮のジョージ・ルーカスによる原案を基に、スティーヴン・スピルバーグが監督を務めた。出演はハリソン・フォード、ショーン・コネリー、アリソン・ドゥーディ、ジュリアン・グローヴァー、リヴァー・フェニックスなど。考古学者のインディアナ・ジョーンズが父親と共に、ナチス・ドイツ軍との争奪戦を繰り広げながら聖杯を探すアクション・アドベンチャー作品であると共に、少年時代のインディアナも登場しそのルーツが明かされる。「インディ・ジョーンズ」シリーズの第3作である。127分映画のオープニングをどうするか悩んだ際、ルーカスはインディの少年時代をプロローグとして描くというアイデアを思いつく。ボアムも、インディのキャラクターを深く掘り、観客に現在のインディ・ジョーンズ像がどのように誕生したかを見せたいと考えていたことからこれに賛成した。スピルバーグは当初「子供が登場する映画を作りたくない」とこれに反対したが、最後はルーカスの説得により同意した[16]。本作は、比較的ロケ撮影が多い。 主要撮影は、1988年5月16日にスペインのタベルナス砂漠(英語版)で始まった[13]。ベニスでの撮影は1日で済ましており、午前中に観光客を制限し行われた。撮影監督のダグラス・スローカムによると、撮影する建物に設置されたテレビ放送を受信するアンテナが見えないようカメラを配置することに苦労したという[13]。図書館の外観には、サン=バルナバ教会(英語版)が使われた。ブルンヴァルト城の外観は、西ドイツ(当時)のビュレスハイム城(ドイツ語版)で撮影された。なお、映画では城の一部をマットペイントで拡張している。城の内部は、イギリスのエルストリー・スタジオ(英語版)で行われた。聖杯のある神殿は、ヨルダンのペトラ遺跡にあるエル・カズネを使用し撮影された。3日をかけて行った撮影はヨルダン政府が全面協力しており、フセイン国王とヌール王妃が子どもを連れて毎日見学に訪れたという。スピルバーグは後に「ヨルダンでの協力は素晴らしかった」「彼らは私たちに国を開放し、私たちをとても歓迎してくれました」と振り返っている[25]。ロケ撮影が行われたペトラは、公開後に世界的に著名な観光名所となり、公開前は年間数千人だった観光客が、公開後は年間約100万人にのぼるにまで成長した[35]。少年時代のインディの場面は、メサ・ヴェルデ国立公園で撮影する予定だったが、居住する先住民が宗教的な理由から反対を受け、最終的にユタ州のアーチーズ国立公園で撮影された。また、撮影には登場しないフォードも立ち会いフェニックスの役作りを助けており、フェニックスは「映画の冒頭、ほんの10分の場面だが、撮影はとても楽しかった」と語っている[25]。プロローグでの蒸気船の戦いは、エルストリー・スタジオに構築された(18x12メートル)のセットで3日をかけて撮影され、それぞれ300インペリアルガロン(1363リットル)の水を使用した[25]。インディ親子によるバイクのチェイスシーンは、スピルバーグが撮影フィルムを編集中に「思ったほどアクションが少ない」と感じたことから、急遽追加撮影されたものである。撮影は、タマルパイス山とルーカスフィルム本社の敷地内にあるスカイウォーカーランチで行われた[26]。(ウィキ)前作に比べると暗さがなくて、生き生きとした冒険活劇でした。冒頭の少年時代の鉄道でのチェイスシーンが一番よかったです。ショーン・コネリーは期待したほどではなくて、それなりにでした。ペトラに100万人というのはすごいですが、映画に影響されて訪問というのはありますね。私の場合は、「旅情」を見てベネチア、「チップス先生さようなら」でポンペイ、・・・です。
2024.04.06
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ストーリー:春三月。残雪の越後を旅する車寅次郎は、集団就職のために別れを惜しむ少年とその家族を見て故郷を想い出してしまった。一方、柴又には、寅の生みの親菊が三十年振りで「とら屋」を訪れた。しばらくして菊は帰ったが、そこに寅が帰って来た。そして、さくらと一緒に菊を訪ね、再会した嬉びも束の間、寅の結婚話が元で喧嘩になってしまった。菊は、そんな寅に終始気を使うさくらに感謝しつつ京都へ帰った。寅もこのことが原因でまた柴又を去った。その旅で、寅は、津軽から紡績工場へ出かせぎに来ている、頭は弱いが純真で可愛い少女花子と知りあった。彼女は工場になじめず、故郷に帰りたいと寅に相談した。寅はなけなしの金をはたき、柴又を訪ねるよう住所を教えた。数日後、柴又に戻った寅は、津軽に帰らずおいちゃんの店で働いている花子を見てびっくりした。ある日、突然花子が寅さんのお嫁になりたいと言う。その気になった寅は、早速さくらに相談した。さくらは、おにいちゃんが幸せになれるならと賛成したが、おいちゃん、おばちゃんは、生れてくる子供のことを考えて猛反対である。そんな時、花子の身許引受人と名乗る福田先生が、突然紡績工場から行方不明になった花子を引き取りに来た。寅の不在中、花子は福田先生と共に津軽へ帰っていった。それから数日後、失意の寅は置手紙を残して柴又から消えた。さくらは、直感で津軽にとんだ。さくらの勘は当り、バスの中で偶然に寅と出会った。二人の目には涙が浮んでいた。窓の外には、まだうっすらと雪を残す津軽山脈の向こうに真赤な夕陽が沈もうとしていた。(KINENOTE)『男はつらいよ 奮闘篇』は、1971年4月28日に公開された日本映画。『男はつらいよ』シリーズの7作目。同時上映は『花も実もある為五郎』。本作で初めて脚本に参加した朝間義隆は、以降第48作までの全作品の脚本を共同執筆することになる。92分(ウィキ)おいちゃん役は森川信で、なつかしかったです。実母役のミヤコ蝶々も芸達者でした。今回のマドンナは知的障害のある少女役の榊原るみでした。少し足りないところと津軽弁で熱演していました。久しぶりに津軽弁を聞きましたが、お手上げです。学生の頃、京都から実家に帰る途中の急行「日本海」で秋田弁なら何とかわかりまでしたが、津軽弁のほうは理解不能でした。冒頭の集団就職シーンは、新潟の越後広瀬駅(只見線)でのロケでした。1971年の大阪万博後の作品ですがまだ貧しい所もありました。その頃私のクラスで、中卒で就職したのはひとりだったと思います。高校以外では、職業訓練校(今は短大ですが)という進路選択もありました。就職先は市内の企業?もちろん集団就職とは無縁でした。参考:寅さん語録 「灯台の根元は暗いよ」「緑(みどり)は異なるもの、味なもの」。榊原 るみ(さかきばら るみ、1951年3月5日 - )は、日本の女優。東京都渋谷区広尾出身。東映マネージメント所属(業務提携)。幼児のころから雑誌モデル・女優業を行っており、舞台、テレビなどで幅広く活躍した。1970年代前半の映画『男はつらいよ 奮闘篇』、テレビドラマ『帰ってきたウルトラマン』のヒロイン役や『気になる嫁さん』などへの出演で人気を博す。父は芝浦工業大学名誉教授の榊原秋策。娘の松下恵も女優として活動している。生まれてから1999年に19年間連れ添った前夫と離婚するまで、広尾の実家住まいだった。映画監督のすずきじゅんいちと1年半にわたる同棲生活を送った末、2001年1月16日に入籍再婚する。すずきが監督した映画『ひとりね』では、過去の清純派のイメージを覆す、過激なシーンにも挑戦した。夫のすずきと共にロサンゼルスに移住し、夫の仕事である映画プロデュースを手伝っていた。2010年9月29日、ラスベガス近くで夫妻の乗った自動車が自損事故を起こし、助手席に乗っていた彼女も指の複雑骨折など重傷を負った。運転していたすずきは、脊髄の一部などを骨折。意識不明のままヘリコプターで病院に搬送されたが、命に別条はなく、榊原も1日で退院した。上記の事故がきっかけで[1]11年間のアメリカ生活に終止符を打ち、帰国。現在は仕事に復帰している。(ウィキ)
2024.04.05
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