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みなさんご無沙汰しております やはりワタシの旅日記、続きませんでしたね 前回の続きは、とりあえず無事ペルーからアメリカアトランタに着いたのですが、ペルーからの飛行機が遅れたせいで、またまた空港を走るハメになり、頑張ったもののシアトルへ向かうアメリカ国内線には間に合わず、しかもその次の飛行機はいっぱいで乗れず、その次も乗れず、その次も乗れずを繰り返しやっとの思いで旦那の実家に着きました。 その後は義理ファミリーや親戚、友達と楽しく過ごし、沢山の思い出と共に無事日本に帰って来ました。 今回のこの旅は一体何だったのだろう、と疑問を多く残す旅ではありましたが、 それでも貴重な体験が出来て良かったと思っています。 そして、みなさんに報告があります。 ワタシ、6月にママになります 今つわりで大変な時期です。 これからはプライベートな写真なんかも載せていきたいと思っているので、会員制の違うサイトにブログを作る事にしました。 なので、この楽天日記は今日が最後です。 新しいサイトのブログ公開は、お互いのプライベートを知っているか、プライベートな写真を公開している人のみにする予定です。 散々さサボるだけサボって突然こんな報告でごめんなさい。 こんなにも怠け者の私のサイトをちょこちょこ覗きに来てくれていた方々、本当にどうもありがとうございました。 このサイトは思い出にこのまま残しておこうと思います。 辛い時に知らない誰かが優しい言葉を残してくれたり、分からない事を教えてもらったり、沢山の情報を仕入れる事が出来たり、 まだ会った事はないけど、本当の友達みたいに話す事が出来るようになった人もいます。 楽天をやってみて良かった。 またみなさんとどこかでお目にかかれるといいな。 それではみなさん、どうか体に気をつけて、良いお年をお過ごし下さい。 お元気で、みぃより。
2007年12月20日
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前回の日記からだいぶ期間が空いたけど、今日はペルー最終日です。 ペルーの次はアメリカで、飛行機の出発は今夜11時です。 滞在しているリマから空港まではそんなに遠くないので、ホテルのチェックアウトは夜の8時にしてもらい、旅立ちの時間までホテルで休めるようにしておきました。 今朝はのんびり起きてホテルのビュッフェスタイルの朝食を食べ、その後はリマ周辺を観光する事に。 タクシーでセントラルリマまで行ったのですが、 う~ん、これといって見所はない。スペイン人に侵略された土地柄、建物はほとんどがヨーロッパ調でした。 有名な教会でもあれば入りたかったのだけど、歩けど歩けど見当たらない。 それらしきものが見つかったのだけど、どこから入るのかもよく分からなかったので外から眺めて終わり。建物が水色と白でかわいかったです。 裏道に入ると、地元の人しか行かないような文房具通り?のような商店街がありました。人が沢山歩いていてお店もかなりの件数が並んでいるのだけど、ズラズラ並んだお店には、なぜか文房具しか売っていない。えんぴつやノート、電卓やファックスなどの周辺機器、そんなものしか置いてありません。かなり賑わっていたけどあそこは一体何だったのだろう・・・。 メインストリートを歩いていると、照明器具の売っているお店が目に留まりました。 うちの玄関の照明のデコレーションによさそうなお洒落なブラケット(と言うのかな?)があり、値段を聞くと10ドル程度だったので即買い。 しばらく歩くとまた照明屋さんで今度は小さな小さなシャンデリアを見つけました。 実家の廊下に合うかな、と思いお店のおばさんに値段を聞くと、30ソルだと言う。だけどそのときはソルの持ち合わせが足りなかったので諦める事に。 道を歩きながら、そうだ!ここはペルー!!値段なんてあってないようなもの、交渉次第で何とかなるかも?! と思いまた引き返し、 持っていた13ソルをちらつかせ半ば強引にこれで売ってくれと交渉したら、アッサリOK あ~、最初に行ったお店でも値下げ交渉をすべきだった、としばらく後悔しちゃいました。 そろそろおなかが空いてきたのでレストランへ。下手に頼んでも、何が出てくるかわからないので、結局いつもと同じメニューになっちゃう。 お昼も食べたし家族のお土産も買った事だし、ここだ!というような場所をまだ見てないのでいざ探しに行く事に。 沢山歩いたのだけど、観光地らしき場所がない。排気ガスも酷いなんてもんじゃない。ブラジルより凄いんじゃないかな。 ティッシュを口と鼻にあてていないと気持ち悪くて歩けない程でした。 結局場所もわからない、通行人に聞いても言葉がわからない、もう沢山歩いたし、ホテルの近くまで戻る事に。 ホテルの周辺を歩いていると、軽井沢をう~んと小さくしたようなお洒落なアンティークショップ街みたいなのを見つけました。狭い道に、かわいい小物を扱うお店が並んでいます。 欲しいものがいくつかあったのだけど、店内のランプはついているのに入り口は閉まっている。人がいる雰囲気もないので諦めました。 のんびり散歩をしたり、海を見に行ったりで、そろそろ帰りの時間になりました。 近くのレストランで夕食を済ませ、またアメリカへの長旅が始まるのでホテルでシャワーを浴び、 昨日のタクシーのおっちゃんが迎えに来てくれ空港に向かいました。 長いようで短かった、ペルー。ペルーの旅も、これで終わり。 今度はようやくアメリカです。 またまたそこでアクシデントが起こるとは思いもよらず、ここでの思い出を胸にペルーからアメリカへと旅立った私達でした・・・。
2007年09月16日
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ペルーの旅もそろそろ終わりです。次はペルーからアメリカに行く予定になっているので、このオアシスから空港のある首都リマまで戻らなければなりません。 オアシスからタクシーをつかまえバスターミナルへと向かいました。 オアシスからリマまではバスで5,6時間。大きなバスターミナルだったので、快適なバスに乗れるのかと思っていました。 チケットを買って、うまい具合にバスが来ました。大きなバス。 ところがバスに乗ってみると、長距離用のローカルバス(?)みたいで、一応テレビなんかはついてるものの、シートも汚いしドリンクホルダーも壊れている・・・。なんとなく乗っている人達の雰囲気も怖い。 窓も壊れていてしっかりと閉まらないので、バスが走り出すと隙間風がピューピュー吹き込んできて寒い。 ま、仕方ない。 数箇所のバスターミナルで止まるのですが、物売りも交互に乗ってきてバスの中でお菓子なんかを売りに来ます。 私はひじょ~~~にトイレが近いので、この日は朝から一切水を飲んでいないのですが、走っているうちにトイレに行きたくなったらどうしよう、と思い始めると、余計にどんどん行きたくなる。 仕方がないので次のバスターミナルでダダダーと速攻でバスから降り、ダッシュでトイレに駆け込んだ。 私は間一髪でバスに間に合った、と思ったのですが、実はバスはもう動き出していて、旦那はバスの中でパニックを起こしていたらしい。 慌てた旦那は下手なスペイン語でちょっと待って下さい!!と叫んだらしいのですが、誰も旦那を相手にもせずバスは出発してしまったのだとか。 ところが、バスに乗せてくれ~、と外から窓を叩いた人がいたので運転手さんがバスを止めてその人を乗せている間に私もバスに飛び込んで来たらしい。 一応、間一髪? でも置いて行かれたら一体どうなっていたのだろう・・・。 いくつかのバスターミナルを越えた後、またまたトイレに行きたくなってしまった私。旦那は半分怒り状態。 前回はものすごく焦ったので、今回はちゃんと運転手さんにトイレに行きたいと伝えたら、ここでは5分間停車しているからそれまでなら大丈夫、みたいな事を言われました。 無事にバスにも間に合い、ホッ一息。 それでもリマまでの道のりはまだまだ長い。時々海なんかも見えたりしましたが、景色はずっとこんな感じだし、シートは硬いし、退屈で退屈で時計ばかり気にしていました。 そしてや~~っとの思いでリマに到着。リマは太陽は出ているのだけど、一年中ほとんどが雲で覆われている都市なのだそうです。 バスターミナルでタクシーをつかまえ、運転手のおっちゃんにどこか良いホテルを探してもらいます。 もうこの日がペルー最後の滞在。 お手頃な場所だとまたどんな場所に連れていかれるか分からないので、高級なホテル、美しいホテル、などと説明し、おっちゃんの勧めるホテルに着きました。 ・・・。 う~ん、これってただのビジネスホテル? 見た感じフツーっぽかったので、このホテルはお断り。 次に、ここは高いよ、とおっちゃんの言うホテルへ送ってもらいました。 このホテルは高級住宅街にありベルボーイもいて、なかなか良さそう。 タクシーのおっちゃんがとりあえず中を見に行こう、と言うので見に行きました。 確かに日本のちょっと良いホテルのように、ちょっと広めな部屋に大きなベッドがおいてあり、大理石のジャグジーなんかもついている。ここはペルーでは高級ホテルだそうです。 しかし、それにしても現地の物価から考えると値段と部屋が伴わないと思ったので、一旦ホテルの外に出てでどうしようかと話していると、ベルボーイが来て半額でどうだ?と聞いてきた。 さすがペルー、こんな場所まで交渉次第で値段が決まるとは 半額ならそりゃもちろん泊まりますよ。 タクシーのおっちゃんに明日の予定を聞かれ、明日はもう空港に行くと言うと、じゃぁ空港まで送らせて欲しいと言う。なので明日ホテルをチェックアウトする時間を決め、おっちゃんと別れた。 オアシスでの恐ろしいホテルのけがれをまだ落とせていなかったので、とにかく体中を磨きました。なんか水が真っ黒だった気がする 綺麗になった後は、ホテルの近くの海の見えるモールに行きました。 高級住宅街にあるモールなので、値段はメチャクチャ高い。日本のモールと同じかもっと高いです。 とりあえずここで食事をし、一通り見て回りました。そして地元の人が行くようなこちらも高級なスーパーに行ったり、素敵なオウチを見ながら散歩などしてこの日は終わり。 明日はリマ市内を観光です。
2007年09月03日
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またまた一気に日記をアップしたので、前回のを先に読んでね☆ さぁ、このオンボロの車に乗って、砂漠の中の一本道を、えらい勢いで走っていきます。 しかしメーターまで壊れているので、何キロで走っているのか分からない・・・。 途中小さい町で止まり、カップルが降りてゆき、ヘルメットをかぶった作業員2人と、ビジネススーツを来た好青年(?)が車に乗ってきました。 作業員はともかく、こんな小奇麗なまともな人も、こういう交通手段を使うのね、とこのスーツの青年は私をかなり安心させました。 運転手のおっちゃんは、えらいスピードで(とは言え何キロ出てるか分かんないけど)何台もの車をごぼう抜きで追い越していく。時々対向車線から車が来るのでマジ怖ぇ 隣の彼はクリスチャンなんだか、胸の前で十字架をきってアーメンなんてやってるし、 余計怖くなるからやめてくれよ!!! どうやらこの彼は、私達が行くオアシスの近くのイカという場所の、旅行会社で働いているらしい。 ツアーを僕から組みませんか?と誘われているようなんだけど、何を言っているのかさっぱり分からない。助けを求めようにも旦那は隣でクークー寝ちゃってるし どうにかこうにか話を続け、一応義理で連絡先を教えてもらい、彼はイカで降りて行きました。 今回のペルーの大地震では沢山の方々が亡くなられ、大変お悔やみを申し上げます。一番被害がひどかったのがこのイカらしく、この時隣に座ったこの男性は、助かったのかなと未だに気になります。どうか無事でいてくれますように。 そしてイカの側の砂漠地帯にあるオアシスに行きます。 私たちが到着した時はもう真っ暗だったので全然分からなかったのですが、このようになっています。参考:http://futuresheet.com/2007/05/16/peruvian-oasis-town-under-threat-from-global-warming/このサイトによると、砂漠の水は5メートルも低くなっちゃったんだって!危機です。 運転手のおっちゃん、ホテルの目の前で車を下ろしてくれ、チェックインもしてくれました。 ナスカでのあの兄ちゃんに前金で全て払ってあったのですが、ホテルにもちゃんとお金は払ってありました(ホッ) 小さな中庭があり、そこにはレストランバーがあり音楽ガンガンで賑わっていました。 なんだかアパートみたいな造りのホテルだなぁと思いながら、ボロボロのカギでドアを開けると、 えっ?! コンクリートで出来た部屋の壁は、薄気味悪い黄緑色で塗られ、なぜか高~い手の届かない場所に小さな窓があり、 安そうなベッドに敷かれたシーツには100円玉くらいの血がついている。 トイレにもトイレットペーパーどころかペーパーホルダーさえついてないし、シャワーもコンクリートにシャワーヘッドがついてるだけで照明もない。 刑務所みたい・・・。 アメリカ人が経営しているハズなのに、英語での案内なんてひとつもないし、英語の話せる従業員もいない。 アメリカ、英語、をにおわすものなんて何ひとつない。 ペルーではこういう宿泊施設は10ドル以下なのに、バス代とホテル代という事で2人で合計60ドルもあの兄ちゃんに払っていた。 やられた。 こんな場所に泊まるのかと思うともうガックリした。普段弱音を吐かない旦那もさすがにこの時だけは"もう帰りたい・・・"とまで言った。 それほどひどかった。 もう外は真っ暗だし、言葉が通じない中でのホテルチェンジの交渉もする気力がなかった。 それに地元の人の言うナイスホテル♪ の感覚も信用ならないし。 しかたないので、よく見るとヒッピーの溜まり場じゃん、状態のレストランバーで夕飯を食べ、 これは悪夢だと自分に言い聞かせ、 翌日起きたらすぐにここを逃げ出せるよう上着も脱がず、靴下も履いたまま、血をよけて眠りにつきました。 そして翌朝は、目覚めと同時に荷物をつかみ、ここを後にしたのは言うまでもありません・・・。 今になってみると、せめて写真の一枚でも撮っておけば面白かったかな、とは思うのですが、その時はもう恐ろしい!の一言で、とてもとても写真を撮る気にはなれませんでした。 逃げ帰るようにそのホテルを後にし、もう一早くこの町から出たかったのですが、 せめてオアシスだけは見ておきたかったので、恨めしいホテルからすぐのオアシスを見に行きました。 朝靄がかかっています。 実際の水は綺麗ではないのですけど、水面に映った木々が美しかったです。 こうしてこの日私たちは、せっかくのオアシスを逃げるように立ち去ったのでした・・・。
2007年08月22日
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ナスカという町は、ナスカの地上絵が有名というだけで本当に小さな町です。ほかは特に見所もありません。 もう目的の地上絵も見てしまった事だし、ここに泊まっても何もやる事がなさそう。 私達をガイドしてくれた兄ちゃんに何か良い場所があるか聞くと、ナスカからバスで5時間くらい行くと砂漠のオアシスがあると言う。 この兄ちゃん、いくつかの日本語の単語を知っていて、日本のどこだったかに日本人の友達もいると言う。 この手の話はよくある事で、日本人に日本語や日本人の友達がいると話しかけ、安心させようとするのが目的。 まぁ私は旦那をみているので、日本語が話せるからって何?!って感じで冷めていたのだけど、 俺の兄の奥さんがアメリカ人で、そこのオアシスでホテルを経営している、の、このアメリカ人、という言葉にはコロっと騙されてしまったのですねぇ。何しろ言葉が通じなくて大変な思いをしていたし、なんとなくこのアメリカ人という言葉に夫婦揃って安心してしまったのです。 せっかく日本人で騙されなかったのにアメリカ人で騙されてたら意味ないじゃん! よし、じゃぁそこのアメリカ人の経営するホテルに泊まり、オアシスを見て、そこから最終目的地のリマまで行こう、アメリカ人がいるならなんとかなる♪なんて簡単に決めてしまいました。 こうして行きのバスやホテルは全てこの兄ちゃんが手配をしてくれる事になったのです。 出発は夕方なので、それまで食事をしたり、ホテル周辺を散策していました。 ホテルに戻ると、なんと門が閉められていて中に入れない。ドアベルも鳴っていないようだ。 旦那と2人で外でたたずんでいると、地元の小学生くらいのかわいい男の子2人が話し掛けてきた。 何を言ってるのかサッパリ分からないんだけど、どうやらこのホテルは2時から4時まで休みだよ、みたいな事を言ってる感じ。あり得ないけど仕方ない。 その男の子2人も私達の元を去る様子もないので、日本からのケータイを見せたり、なんとか会話をして楽しんだ。 そうしているうちに表を歩いていたホテルの従業員が私たちが締め出されているのを見つけ、裏口からホテルに入り込み門を開けてくれた。 ホテルのロビーに入ると他の従業員達が集まってきて、私たちに謝っている様子。でも私達も、中に入れてくれてありがとう。グラシアス 夕方兄ちゃんが迎えに来てくれ私達をバス停まで連れて行ってくれます。バス停に着くと兄ちゃんは、ピィピィ~っと犬でも呼ぶかのようにしきりに口笛を吹いています すると目の前に、 ガラン、ガラン、ズドドドド~ という凄い音をたてた、 物凄いボロい車=3=3 が私達に横付けして来た。 兄ちゃんは快適なバスでオアシスまで行くと言ったハズだけど?!こんな車で5時間も移動すんのか?! 車に乗らされると、ドアのハンドルはぶっ壊れ、フロントガラスもひびだらけ。 後ろに人がいる!っとビクっとしたら、カップルが乗っていました。 ブオン!と音を立てて、さぁ出発です。 つづく。
2007年08月22日
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一気に日記を更新してしまったので、見落としちゃった方は前回の日記を先に読んできてね 辺りがまだ真っ暗なナスカに着くと、 すぐに、ちょっと怖めの客引きのおっちゃんが声をかけてきて、かなり強引に車に乗せられました。 とりあえずホテルを案内してくれと頼むと、なんだか薄暗い怪しいホテルに連れて行かれました。でも怪しいというのは日本人的感覚で、海外のホテルで安い宿というのはこういうもんかもしれませんね。 ペルーでは、連れて行かれたホテルがもし気に入らなければ、すぐに違うホテルへ連れて行ってくれます。なのでもっと綺麗なホテルにして欲しいと頼んだら、プールのある南国風のお洒落なホテルに案内してくれた。 ホテルに着くと、私達の部屋まで一緒に来て今後の予定を聞いてくる。私達にツアーを紹介しようとしているのです。でもこのおっちゃん何だかちょっと怖いし、16時間のバスの旅を終えたばかりで私達もかなり疲れている。まだこの地に着いたばかりで分からないと言うと、じゃぁ11時にまたここに来ると言うのでとりあえずそれでOKして帰ってもらった。 シャワーを浴びたりゆっくりしていたら朝食の時間になったので、レストランに行き、片言の英語を喋れる従業員に、どこか良いツアーはないかと聞いてみた。 そしたらその数分後には、ナスカを案内してくれるという兄ちゃんが現れた 早ッ!! 相手も客を取るのに必死なのでしょうね。 この兄ちゃん、さっきのおっちゃんよりはマシなので、この兄ちゃんにツアーを頼む事にし、おっちゃんが来る11時までにはホテルを後にしました。おっちゃんには申し訳ないので一応おっちゃん宛てに一言メモを残すようこの兄ちゃんに頼んでおいたけど、 そんな事してくれたのかは謎ですね・・・。この人たちはお客がとれれば十分なんだから。 この兄ちゃんに、ナスカの地上絵のセスナの予約と、砂漠の墓場ツアーというのを頼みました。 セスナの小さな飛行場に行き、ビデオを見せられ、1時間程待たされ、ようやく私達がセスナに乗る番になりました。カナリ揺れると聞いていたので、酔い止めを飲んで準備オッケー! セスナの高度がどんどん上がっていきます。そしていよいよナスカの地上絵が現れます。 地上絵は年々薄くなってきているらしく、よ~く見ないと見づらい絵もあります。でもさすがパイロット!と思ったのは、機体を傾けて羽の真下に絵が来るようにしてくれるのです。なので絵を見失う事はありませんでした。 そして『これはハチドリ!』 『次はサル!』 『コンドル!』 『イヌ!』など次々と現れる絵をエンジンの音に負けないよう私達に叫んで教えてくれます。 これはコンドルです。 こちらはハチドリ。 トラックがこんなに小さく見えます。この他にも、宇宙飛行士、クモ、犬、滑走路、ひたすらまっすぐな線、ととにかく砂漠の上は落書き(?)だらけでした。 一体何のために描かれたものなのでしょうか。 ナスカの地上絵のあとは、砂漠の墓場ツアーです。 ツアーにはこの兄ちゃんが連れて行ってくれるのかと思ったら、違う人が来てその人の車に私達は乗せられました。 何もない道をひたすら走り、こんどは延々と砂漠を走り出しました。 私達は一体どこに連れて行かれるんだろう・・・?もしこの炎天下の砂漠の中このジジィに車を降ろされたら、旦那と逆襲して車を奪って逃げよう、とまで考えた程でした。 いつ来るか!と待ち受けていると、ポツリとゲートが見えました。 どうやらここが墓場の入り口のよう。 更に走ると小さな小屋みたいなのが見えて来ました。 このジジィは悪者ではなかった様子。ちゃんと目的を果たしてくれました。 小屋の中にはミイラがいくつもありました。頭の長~~いミイラもありました。長い頭は良い事とされていたそうで、小さい頃から頭に布を巻かれ頭蓋骨を伸ばされたそうです。 一通りミイラをみて外に出ると、今度は砂漠が1メートル程掘ってあり、そこにもいくつものミイラが座っていました。赤ちゃんのミイラもあります。 全てのミイラは北を向き、ひざを抱えるようにして座っています。今はほとんどが盗まれてしまったそうですが、高価な装飾品をまとっていたそうです。その時代の人達は生まれ変わりを信じたそうで、丁寧に葬られたようです。 砂漠を歩いていると、髪の毛の束が砂と混じっていたりします。皮膚などとは違い、髪の毛はいつまでも残ります。 この地の多くの人は、水がないせいで亡くなったそうです。私はとても喉が渇いていたし、バッグにお水も持っていましたが、その説明を聞いたらここではお水が飲めなくなりました。旦那も同じ気持ちでした。 ツアーの人が、写真を撮っていいですよ、と言ってくれたのですが、ミイラの写真を撮る気にはなれなかったので、ここの砂漠の写真はありません。 このツアーの後は博物館を訪れる事になっていたのですが、疲れが溜まっていて車の中で寝てしまい、博物館は取りやめる事にしました。 そしてまたホテルに戻って仮眠を取る事に。 しばらくすると兄ちゃんがホテルに来て、今後の予定を立てる事にしました。 兄ちゃんは魅力的なツアーの話をしてくれたのだけど、、、 さて今後の私達は一体どうなるのでしょうか?!
2007年08月19日
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2泊した美しい町クスコから、次なる旅への出発です。 少し早めにホテルをチェックアウトし、バスターミナルに向かいました。 バスターミナルは小さい町の中にあり、出発時間まで余裕があったので町を歩いてお昼を食べる事にしました。 いくつかレストランを覗いてみて、ここでいいかな~と思うお店に入りました。でも小さな町のレストランなので英語のメニューなんてなく、日本でメモってきた食べ物の名前を頼りに注文してみました。 私はシーフードサラダをオーダーしたつもりが、出てきたものは小さなカップスープ 旦那は肉野菜炒めをオーダーしたつもりが、魚のから揚げのようなもの でした。 しかも私のスープは、これまさか、前菜でしょ?!と願っていたのですけど、食べ終わりもしないのにサッサと片付けられ、密かに願っていたメインディッシュもなく私のランチは終了しました。 しかたないので、ザツに盛られた魚のから揚げ(?)を2人で食べたのですが、なんとも味気なく飽きてしまい・・・。なんだかよく分からない気分のまま私達はレストランを後にしました。 予定通り大幅にバスの出発時間も遅れ、いよいよナスカに向けて出発です。 2階建ての大型バスで、なかなか快適です。 景色は感動ものでした。 悠々たるアンデス山脈をどんどんと登って行きます。 バスガイド、とは言ってもガイドも何もないのですが、時々みんなの様子をチェックしに来たり、食事を運んで来る乗務員がいます。食事は、ほんとうにただハラを膨らます、だけのような質素なもので、ちょっとガッカリ。 夜も更けると車内のテレビも照明も消され、外に街灯などもないので外も車内も真っ暗暗!! 一体どんな場所を走っているのだろう・・・。 明るいうちは景色も楽しみ、快適なバスだったせいか割とゆっくり眠る事もでき、16時間のバスの旅はそれ程苦痛ではありませんでした。 そして明け方5時ごろ、やっとこナスカの町に着きました。辺りはまだ真っ暗です。バスガイドどころか誰もここがナスカだとは教えてくれないので、自分から誰かに確認をしなければなりません。 ここで降りる人は私達だけで、真っ暗のバスターミナルの中少々寂しい思いでした。 つづく。
2007年08月19日
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やばいやばい、夏休みを謳歌している間に旅行日記をサボってしまったワ。この旅はかなり強烈だったので、自分のためにも後々残しておきたいのだ。 それでは前回の続きです。 マチュピチュを無事訪れる事が出来たので、次なる目的地は聖なるチチカカ湖でした。 マチュピチュから戻った後、翌日のチチカカ湖行きのバスチケットを旅行会社に取りに行く予定でした。 しかし、どうやらストライキが起きていてチチカカ方面行きの全ての交通手段がストップされているらしいとの事。 私たちはクスコから6時間かけてバスでチチカカ湖まで行く予定だったのですが、 道もふさがれてしまい、鉄道もストップし、チチカカ湖に行く手段が全くなくなってしまいました。 チチカカ湖からは、次なる目的地リマまで飛行機の予約もしてあったので、チチカカ湖に行けないならその飛行機もキャンセルしなくてはならないというにになる。 しかも、バスの方は申し込んだ分全額が戻るそうなのですが、ストライキは天災ではないので飛行機の場合は予約したエアチケット代は戻らないし、その上キャンセル料までかかると言われた。 マジっすか?! ただでさえ金がないうえに、自分達のせいでもないキャンセルに対してまでお金がかかるなんて!!! ところが! これまで散々な目に遭っている私達に旅行会社の人が同情してくれ、キャンセル料を旅行会社が負担しエアチケット代も返金してくれたのです! これは本当に有難かった。感謝、感謝の気持ちでいっぱいだった。 現地の物価からするとかなりの金額だったので、これでもうお金の心配をする必要がなくなった だけどこれからの予定をまた一から考え直さなくてはならない。 いろいろ考え、私達はクスコからナスカまでバスで16時間の旅をする事にしました。 そのバスは自分達で手配をしなければならないので大変でした。自分達でバスのチケットが売っている場所まで行かなければなりません。旅行者が多いせいか、ペルーには長旅用の大型バスを所有しているバス会社がいくつもあるので、まずはどのバス会社のバスがいいかを探さなければなりませんでした。 町の外れに大きな建物があり、そこにそれぞれのバス会社がカウンターを設けています。私たちのバスの旅は時間がとても長いので、多少値段が高くても快適そうなバスを選びました。イスは大きく倒れるし、食事もつくし、GPSやワイヤレスインターネットも繋がっているバスです。 これで明日の予定はバッチリ。 長い一日でした。 体も高地に慣れたようなので、今晩は食事の時に旦那とクスケーニャ(クスコの女)というビールを飲みました。 2泊した美しい町クスコも明日でお別れです。そして16時間の旅を経て、次はナスカの地上絵を見に行きます!!
2007年08月13日
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今日は待ちに待った、マチュピチュ遺跡に行く日です。 マチュピチュに行くにはまずクスコの駅から列車に乗ってアグアス・カリエンテスという町まで行き、そこからバスに乗り換えてマチュピチュまで行きます。 出発は6時ですがまだ辺りはまだ暗いです。飛行機のように、それぞれの車両に乗務員がいます。 列車は景色の良い山や渓谷を超えて行きますが、何しろスピードがおっそ~い!!!のとスイッチバックを繰り返しながら登って行くので 3時間ちょっとかかります。途中、外の子供が走って列車を追い越して行きました・・・ 時々、ポケットに両手を突っ込んで線路沿いに突っ立ったまま列車を見ている人を見かけます。なぜだかそれも絵になる風景です。 車内は暖房がないのでとにかく寒い乗務員が軽い朝食と飲み物を運んで来てくれます。 景色はほんとうに美しい。 時々小さな村々を通り過ぎますが、背中に大きな荷物をしょって、のんびり歩いている人をよく見かけました。 3時間ちょっとの列車の旅の後、ようやくアグアスカリエンテスに着きます。そこでマチュピチュ遺跡の入場券を買い、バスに乗ります。バスで、まともに舗装もされていない細くて急な山道を30分程走り、いよいよマチュピチュに到着です。遺跡に入るまでその全貌は見えないので、心臓がドキドキしました。 少し遠回りをすると、マチュピチュの全貌が一気に姿を表すポイントがあるようなので、そちらを選びました。ちょっと丘を登る感じなのですが、ハァハァと息が切れます。 もうちょっと、もうちょっと。 そして、、、 私はまだまだ、まだまだ、と見ないように下を向いて歩いていたので、ポイントに着いてパッと顔を上げた時には、そこには美しいマチュピチュの姿が顔を表していました。すごい。。。 でも想像していたよりは少し小さく見えました。でも実際遺跡の中に入ってみると、広い広い。 作りは全て石で積み重ねられており、神殿だったと言われている場所や、牢獄のような部屋、位の高い人の住居、庶民の住居など、いくつもの区域で分かれています。でもインカ帝国は文字文化を持たなかったらしいので、ここは○○した場所らしい、とか○○であったと言われている、など、不確かな部分がほとんどだそうです。マチュピチュが発見された当時、発見された骸骨のほとんどは女性と子供のものだったようです。 とにかく不思議で不思議で、 考え込んで楽しめなくなってきたので、とりあえず見る事だけに専念するようにしました。 王様気取りでポーズを決めてる旦那 見ごたえはすごくあるのですが、とにかく広いのと、坂道で階段が多いので疲れてしまいました。 もっともっと見たいポイントがあったのですが、疲れが限界にきていたのでそろそろ遺跡を後にします。 本来の予定なら、マチュピチュを2日に渡りじっくり堪能したかったのに、ブラジルでの飛行機のせいでマチュピチュ見学は今日で終わり。でもここに来た、という事実は変わりはないのでそれを思い出にとっておこう。 <今回の旅の最後はアメリカへ行くのですが、マチュピチュで撮った写真やビデオを旦那の家族に見せました。旦那のおじいちゃんは石職人だったのですが、クスコやマチピチュの"この石の加工の正確さや積み重ね方は神業だ"、と非常に驚いていました。現代の石職人がここまで驚いてしまう程、インカ帝国の、石を使った建造物の技術はすごかったという事ですね> 帰りはまたバスに乗りアグアス・カリエンテスに戻ります。バスを追ってひたすら手を振るグッバイボーイにも会えました・笑アグアス・カリエンテスから列車でクスコに戻るのですが、列車の出発までにはまだ時間があるので、ここでお土産を見たりお昼を食べました。民芸屋さん並ぶ、密集した小さな街です。 アグアス・カリエンテスとは<熱い水>という意味で、この町には温泉が沸き出ています。本当はこの町に一泊し温泉に行く予定だったのに、トホホ この町でゆっくりしたあと、列車の時刻になりました。また3時間ちょっとかけてクスコに戻ります。 途中の駅で、列車の窓越しにおばあちゃんがとうもろこしを売りに来ました。食べたかったのだけど、小銭がなく、おばあちゃんもそんな大金のおつりは持っていませんでした。しかたなく諦めたのですが、1ドル札でも買えるのかな?と思いまたおばあちゃんが来るのを窓越しに待ちました。遠くの方におばあちゃんが見えます。おばあちゃんがこっちを見たので1ドル札を見せると、大きな笑顔で走って来てくれました。1ドル札は地元のお金に換金しずらいので受け取ってくれる人が少なかったのですが、おばあちゃんはどうやら受け取ってくれるみたい!おばあちゃんは嬉しそうにとうもろこしにお塩をザーっとかけ、横にチーズを乗せて窓の向こうから背伸びして私に手渡してくれます。 まだ暖かい。。。(^-^*)・:*。・:*:・°'☆♪ っつか、デカいッ!! おばあちゃん、素敵な笑顔をありがとぉぉぉ!!! 列車の中では、伝統的なダンスの披露や、アルパカで出来た製品のファッションショーがありました。夜はクスコにさしかかった所で車内の照明を消し、コンドルは飛んでゆくの音楽と共にクスコの美しい夜景を見せてくれる、なんていうイキな演出もあります。 こうしてこの日のマチュピチュへの旅が終わりました。 明日はチチカカ湖への、6時間のバスの旅、 のハズがまたもや、、、?!
2007年08月04日
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深夜、ペルーの首都、リマの空港に着きました。この空港は新しいのかとても綺麗です。 やっと、やっと、やっとの思いでここまで来ました。 しばらくここで待機し、早朝の飛行機に乗りクスコまで飛びました。 空港を出ると、噂に聞いていたタクシーの呼び込みが沢山います。おじさんに何やら話しかけられて、ノー、グラシアス!!(ノーサンキュウ)と言い続けていたら、 そのおじさんは私達が予約したホテルの送迎の人でした これは空港を出てすぐ。一目見て美しいと思いました。 私達が泊まった、小さなかわいいホテルです。 2階の部屋でした。 部屋に暖房がないのですごく寒かった ホテルの前の道。 アンデス山脈に囲まれた、非常に美しい街。 クスコは標高が3360Mもあるので気を付けなければなりません。無理をすると高山病にやられてしまいます。ここを訪れる3分の2の人が高山病にかかると言われているので、私達も慎重です。クスコの空港に着く前に、頭痛薬を飲んでおきました。飴を舐めると良いとも聞いていたので、最初はひたすら飴を舐めていました。 坂道や階段の多い街なので、ゆっくりゆっくり歩きます。深く息を吸い込み、深呼吸もいっぱいします。聞いていた通り、息がすぐに切れます。 落ち着いた雰囲気の裏通りです。 クスコはインカ帝国時代の首都であったそうです。その後スペイン人によって多くの建物を破壊されてしまったようなので、クスコの建物はヨーロッパ風でした。 でもこの石の積み重ねでも明らかなのですが、インカ時代に積まれていた石はとてもキッチリ並べられていて強度もとても高いのですが、スペイン人のはバラバラです。 インカ時代の土台にスペイン人が建物を建てたらしいのですが、建物は崩れても土台だけはしっかりと残るそうです。それほどインカ時代の石作りの技術は高かったと言われています。 街を散策しながらアルマス広場まで歩いてみました。 お気づきかもしれませんが、同じ南半球の冬でもブラジルは暑く、ペルーは凍えるほど寒いです。でもお昼頃になると暑くなります。日差しはめちゃくちゃ強いです。 街自体がとても綺麗になっていて、広場のいたるところに観光ポリス(?)が監視しています。地元の物売りが観光客に近寄ると、ピピピッ!と笛を鳴らし、追い払ってくれます。でもこうやって物を売ってお金を稼いでいる人にはちょっと気の毒かも。 物売りは小さな子供から大人まで沢山いました。物売りからいくつか物を買った私達ですが、そのなかのうちの何人かは観光ポリスに追い払われていってしまいました。 食べ物はと~っても美味しかったです。肉料理や野菜、セビッチェというシーフードサラダ。色んなタイプのスープもあるのですがどれもめっちゃウマイ!旦那は主にビーフ、私はスープばかり頼んでいました。 クスコのニシカワトラベルという日本人経営の旅行会社でマチュピチュ行きの手配をを頼んであったのでチケットを取りに行き、 明日は待望のマチュピチュを訪れます。
2007年07月30日
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今日もまた早めに空港に行き、今日こそは飛行機に乗せてもらいたいという願いを込めながらチケットカウンターに並びました。 昨日と同じ受付の人が、またもや私達を扱うことに・笑 今度こそ、私達の名前が載っていますように。。。。今度こそ、無事にペルーへ行けますように。。。 ・・・・・。 隣のカウンターを見ると、次から次へと人が先に進んで行きます。かなり後ろの方に並んでいた人も、受付を終え私達の横を通り過ぎて行く・・・。 また私達だけ待たされる・・・。 ブラジルではスペイン語も通じるようなので、旦那がカタコトのスペイン語で"また私達の名前がないのか"と聞くと、 "いや、いや、そうじゃない。大丈夫。" と言う。 大丈夫なら何でこんなに時間を食っているんだろう・・・。 またまたのただならぬ雰囲気に、AとCがカウンターまで来た。 AとC、受付の人の3人で何やらずっと揉めている。何が起きているのか聞きたいのだけど、 2人とも通訳をしてくれない。 2人とも怒っている。 どうしたんだろう、どうしたんだろう・・・。 AもCも、何度もため息をついていました。 やっと話が終わり、2人が状況を話してくれたのだけど、今日の私達のフライトに遅れが出ていてあと数時間ここで待機という事になるだろう。そして、私達はその次のフライトにも間に合わないので、そのフライトはキャンセルしなくてはならないだろう。 あ”あ”あ”~ ウソだろう?! 私達は、ペルーの首都リマ空港に到着したら、そのまま飛行機を乗り換えクスコという都市に飛ぶ事になっている。 今日ここでまたこの飛行機に乗れなければ、昨日と同じようにまた明日の飛行機もキャンセルしなければならないという事だ。 何で何で何でぇぇぇぇ~!!ちょっとこの事態は異常すぎないかい!?もう涙がチョチョ切れそうでした。 AとCは私達の今後の予定を知っているので、受付の人に相当粘ってくれていたっぽいです。 2人がリマ、とかクスコとか、この単語を何度も何度も使っているのを耳にしました。 3人とも相当話しこみ、長い間パソコンと睨み合っていました。 そして、ヨシ!みたいな勢いで、今すぐこの飛行機に乗って下さい。この飛行機ならまだ空きがあります。そしてこの飛行機で一旦サンパウロへ飛び、そこからリマへ行く飛行機に乗り換えて下さい。この方法ならほぼ予定していた時間と同じくらいにリマに着く事が出来るでしょう。今すぐチケットを手配します。 ィヤッタァ、ついに・・・ 私達のために頑張ってくれたAとCにはもう感謝しきれません。 もう全然時間がなかったので、また私達は空港を走りました。なんでこんなハメに・・・。 そしてロクに別れを惜しむ余裕のないまま、十分なお礼も言えないまま、 私達は搭乗口へと走ったのでした。 ・・・・・。 そして、ここだと教えられた搭乗口は間違っていました。そして更に遠くの搭乗口まで走りました。 時間に間に合わない!!! 指定された搭乗口につくと、このチケットはここではないから青いゲートに行けと言われ、 また走った。 青いゲートに行くと、またここではないと言われた。 私達はポルトガル語は全くわかんない、まともに英語を喋れる人もいない。 搭乗口から搭乗口まで、 走って、走って、走った挙句に、 正しい搭乗口は最初に教えられた場所であっていた 最初に青いゲートに行けと行った女の人は、私はそんな事言っていない、みたいな事を言い、しらばっくれてたのが超ハラ立たしかった こうしてやっとの思いでヘトヘトになりながら、サンパウロへと向かい、サンパウロでも飛行機が遅れ、ゲート場所も変更になり長い距離を歩かされ、 やっとの思いでペルーに辿り着く事が出来たのでした・・・。 疲れた・・・。
2007年07月25日
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約一週間のブラジルの旅もそろそろ終盤です。次の目的地はペルー。フライトは夜だったので、昼間は近くの街に繰り出しました。大きなビルが立ち並んで、大都会と言う感じです。とにかく広い、デカイ、Busy,busy,busy... ただ、相変わらずゴミはすごい・・・。 至る場所から海や湾が見えます。ゴミや排気ガスがなければ、とっても美しい国だと思います。不思議なのですが、私も旦那も、異国へ来た、という実感が最後までありませんでした。何故だろう・・・? ブラジルでの路上駐車は、停まっている車を手で押し、駐車スペースを作ります。友達のコンドの駐車場も同じです。夜に停めておいた車が朝は違う場所に停まっています。ゲートを管理する警備員が他の車の為に手押しで車を動かすので、サイドブレーキはひかないようにと言われるのです。 商店街をのんびり見て歩いたり、モールに行ったりしました。物価は高いです。一本奥に入った街の裏通りでは、フリマみたいなお店がズラ~っと並んでいました。良い天気だったのですが逆行で見づらくなってしまいました。お昼はがおさんでおなじみのキロ飯屋に行きました。自分の好きな食べ物を好きなだけお皿にとり、量りで重さを量り、その分の金額を払います。 後は早めに帰宅し、荷物をまとめ空港に行く準備です。実は前夜リコンファームをしたのですが、私達の名前が見当たらないという事で、早めに空港に行く事にしたのです。ちょっぴり嫌な予感・・・。 リオデジャネイロ空港のアナウンスの声はとってもセクシーで、つい聞き入ってしまいます。低くてちょっとしゃがれていて、とってもゆっくりのアナウンスの声。男の人の声かと思ったら、もう70歳を過ぎたおばあちゃんの声だった!あの声、もう一度聞きたいな。 ブラジルからペルーへは、Golという航空会社の飛行機を利用します。AとCが待っていてくれる中、Golのチェックインカウンターに並びます。いよいよ私達の番になりました。受付の人がパソコンをいじっていますが、その場で待たされたまま、長い時間が経ちました。 嫌な予感・・・。 担当の人が、近くにいた人を呼び、 今度はその人がパソコンをカチカチ・・・。2人で色々話しているんだけど、私達には何が起きているのか全く分からず。様子に気づいたCがカウンターにやって来て話を聞いている。 嫌な予感、嫌な予感。。。 Cが疲れたように通訳をしてくれた。"どうやらあなたたちの名前がフライトリストに載っていないようなのよ・・・。"Σ(゜▼゜;lll) Σ(゜▼゜;lll) Σ(゜▼゜;lll) Σ(゜▼゜;lll) なんだって?????!!!!! チケットはとても複雑なもので、○○航空会社が、提携している××航空にチケットの予約を任せ、××航空がGol航空のチケットを取った、とかそんな感じ。 Golの人にまずは○○航空のチケットカウンターへ行けと言われ、行ってみるがそこは夜9時からしか開かないらしく、受付には誰もいない。私達のフライト予定は夜8時。裏口のドアを叩いても誰も出て来ない。 仕方ないので○○航空と提携している××航空のチケットカウンターに行ってみたが、"これはうちの責任じゃない、Golのカウンターへ行け。"と言われ、今度はまたGolのカウンターへ。Golには、とにかく○○と話さない事にはうちでは何も出来ない、と言われ、お互いの航空会社がお互いに罪をなすりつけ合っている・・・。 私達は一体どうすれば良いのだろう。 時間もどんどん迫っている。 時間がどんどん押して来ていて、最後は私達はカウンターからカウンターへと空港内を走り回るハメになった。というか、私と旦那はただただAとCの後ろをついて走って行くだけ。AとCがいなければ、本当に何も出来なかったと思う。 もう手当たり次第色んな会社のカウンターに行ったり、Aが電話をしまくってくれたんだけど、どこの会社にもうちでは何も出来ない。と言われ、もうなす術がない。 ペルーでは、ブラジルからの到着時間に合わせてお迎えが来るように手配もしてしまっている。そしてそこの都市から次の都市への飛行機の手配も済んでいる。この飛行機に乗らなければ、全ての計画が台無しに・・・。 Golに事情を説明し、なんとか飛行機に乗せてくれないかと頼み込んだが、もう飛行機は座席が一杯で、ビジネスもファーストクラスも無理だという。 こうしている間に、私達が乗るはずだった飛行機の搭乗時間も過ぎ、、、 飛行機は飛んで行ってしまいました・・・ 事情を察してくれた親切なGolの受付の人が、"とりあえず明日のチケットならどうにか確保する事が出来る。これは○○航空のミスなので、支払いもそちらに回しておくからね"と翌日のチケットを押さえてくれ、1日遅れの飛行機に明日乗る事になりました・・・。お兄さん、ありがとう・・・。 私はもう、知に底がつく程ガッカリ。旅行前は、旦那と何度も何度も話し合い予定を考え、現地の旅行会社とも何度も何度もメールのやり取りをした。のんびり気ままな旅がしたかったので、時間にも大きなゆとりを作った。ペルーという国は交通機関が発達していないので、たったの1日の計画の狂いが後の予定にまで悪影響を及ぼしてしまうんです。あぁ、一体何て事だッ!!! AとCの助けをなしには何も出来なかったので、2人にも非常に迷惑をかけました。こうなったのも、きちんとチケットの確認をしなかった旅行会社のミスでもあるので、この責任はきっちりと取ってもらうゾッッッ!!! お世話になったA,Cのコンドにまた戻り、私達は事後の手配に追われました。ペルー旅行の貴重な1日を削らなければならないので、本当に残念です。 こうしたヤキモキした一夜が明け、夜また空港へと行かなければなりません。 今度こそペルーへ行ってやるゾ!!! また今日も早めに家を出て空港に行きました。今度こそ、今度こそ!!!! ところがそこにはまた難関が待っていたのでした・・・。
2007年07月24日
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今日はA,Cのご両親が住むArraial do Cabo(アハヤオ デ カボ)という、 海沿いの小さな街に行きました。この街の、AとCのご両親の家に 2泊3日でお世話になります。 2人の家から、寄り道しながら車で3時間くらいの場所でした。 途中に塩畑がありました。見た目は田んぼの景色を見ているような感じなのですが、 ところどころに、このように白い山が出来ています。この白い山は塩です。これってすごい量だよなぁ。。。 Arraial do Caboの入り口です。 この街は、ポルトガル人が初めてブラジルに到着した場所のようです。 家からダウンタウンへも、ビーチへも、徒歩で行けるし、 街を歩いて一回りする事もできます。 家を出てそのまままっすぐ行けば商店街で、そこを過ぎると街の中心部にぶつかるのですが、 賑やかなんだけどのんびりしてて、夜1人で歩いてもぜ~んぜん大丈夫です。 Aのご両親はビーチ沿いでレストランを経営なさっているのですが、そこへももちろん歩きで行けます。 冬の割にはビーチに結構人がいましたが、巨大なホテルが立ち並んでいるのではなく、 ホテルの小型版のようなPousadaという、小さくてかわいいホテルやレストランが並んでいました。 砂は真っ白で歩くとキュッキュと鳴ります。 かわいい街なので写真を撮らなきゃ!と思っていたのに、忘れました 夜はCのご両親や友達とシュハスコ(ブラジル風BBQ)を楽しみました。キッチンに暖炉のようなものがついていて、そこでお肉が焼けるようになっています。 焼きあがったお肉をAが切ってくれているところです。 翌日は、Aのご両親のレストランに食べに行ったり、Arraial do Caboから少し離れた街やリゾート地になっている場所などをのんびり見て回りました。 Cとお父さん。とっても仲良し。 夜はAのご両親の経営するレストランへ。昼間の写真ですがこんな感じで広いお店です。Cの家でもそうでしたが、家族総出で私達の事を歓迎してくれました。とても暖かいファミリーです。 翌日は、Cの友達が観光舟を持っているので、それに乗って色んな島を観光です。 ブラジルには小さな島がた~っくさんあるのですが、今日は無人島や綺麗なビーチなどを訪れます。 天気も良くて気分は最高~!! これたまたま友達が撮ってくれたんだけど、これなかなかのナイスショットですよね Aが糸を垂らしたら間もなく魚が釣れました。大きな魚でした。魚を持っているのはこの船のキャプテンです。 人のいない綺麗な島に着きました。この島は自然を保つ為に常にマリーンズに監視されていて、 散策場所が限られていたり、船から海にダイブしてはいけないなどの禁止事項がいくつかありました。 泳ぐにはちょっと冷たかったのですが、小さな魚達と遊びました。 ここでAがこんなものを見つけました。sand dollarといわれるウニの一種らしいです。美しい・・・。 真ん中はこうなっています。 裏はこのように花模様になっています。不思議・・・。 キャプテンに持って帰ってもいいか聞いたらOKだったので、大事に包んで日本まで持って帰って来ました。私の宝物です。 次はまた船に乗り込み、今度はムール貝の養殖場です。海に浮くレストランで、獲れたてのムール貝を食べました。まいう~ うまく写真が撮れなかったのですが、大~っきな岩が猿の顔のようになっていて、遥か彼方のアトランティックオーシャンを外敵から見守っている、と言われる岩がありました。 こちらはまた別の島のビーチです。少し日が落ちてきていたので人は少なくなっていましたが、子供達がはしゃいでいたり、何かの学校があったりで活気がありました。物売りがアクセサリーを売りに来て、Cのお母さんが貝で出来た綺麗なピアスを私に買ってくれました。 これで船での島巡りのツアーが終わりました。 Aのご両親のレストランに釣った魚を持って行ったら、その場でお刺身にしてくれました。プルプルでうまかった お腹いっぱいになった後はAの叔父さんのバギーを借りて、砂浜を走りまくりました。 夜は街を散歩したり、ご飯を食べに行ったりして、その後私は疲れてグーグー寝てしまいました。旦那なんかは夜のビーチを見に行ったんだって~、いいな~。 この街は本当に良かった。こじんまりしているけど活気もあって。Cのお父さんはもうかなり年なんだけど、お父さんが元気なうちにまた来たいな。。。 とても優しかったA,Cのご家族とお別れして、翌日は街に戻ります。あっと言う間の2泊3日でした。
2007年07月21日
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今日は2日分まとめ日記です。 街中をフラフラ見て歩いたり、ビーチを見に行きました。 それとつい最近"新・世界七不思議"に選ばれたばかりの キリスト像も見に行きました。 このように、小高い丘の上に立っています。 この写真だとあまり大きく見えませんが、実物は結構デカイです。 景色がとっても綺麗です。 キリスト様の後姿も撮らせて頂きました。 この像の足の下は、礼拝堂みたいになっていました。 リオの色んな場所からこのキリスト像を見る事ができ、この像はリオを見守っているんだな、と思いました。 帰りは有名なコパカバーナビーチや、レブロンビーチ沿いをドライブしました。 白い砂で、水もとても綺麗に見えましたが、実際リオのビーチで泳ぐ人は少ないらしいです。 参考にさせていただいているガオさんのお話によると、 汚水がそのまま海に流れ出ていている事や、海流がきついなどが理由だそうです。 友達の家からリオのダウンタウンに行くには、長~い橋を渡ります。 その橋を渡っている時友達に、"街に出る時はカメラを隠した方がいい" と言われ、その言葉にもうビビって街中の写真はありません いくつかの市街地を歩いたのですが、 とにかく道が汚い。 ゴミだらけ。 街角でビラ配りしている人が結構いたのですが、通りすがる人がそのビラを受け取った直後そのままポイっと捨てるので、 道端に紙が散らばっています。 暑い国ならではなのかもしれませんが、時々生ゴミの臭いがしてきます。 私は思わず鼻と口に手をあてたのですが、旦那も友達も全く気にしてない様子。 旦那に臭くないの?って聞いても、別に何も臭わない、と言う。 壁は落書きだらけだし、排気ガスで車の窓ガラスがすぐに汚れます。 そうそう、何が一番恐ろしかったって、人々の車の運転の仕方!! 車線なんて、あってないようなもの、すごいスピードで走っているのに前の車にピッタリくっついて走る、ちょっとの事でクラクションをビービー鳴らす、今まで3車線だと思っていたら突然2車線になっていてそこで車が車線争いをする、2車線の道路のハズが何故か車3台が横に並んで走っている、 それなのにリオ滞在中、事故を起こしている車を見なかった。 みんな相当運転がうまいのかも。 すごい。 排気ガスも半端じゃなかった。少し街を歩けばすぐに髪や服が排気ガス臭くなるし、 目の前の車がもくもくと黒い煙を吐き出しているのに、私の友達は気持ち良さそうに窓を開けて運転するので、 乗り物に弱い私はこれ一発で車酔い。 数時間のドライブの後、鼻の中が排気ガス臭くて気持ち悪いので鼻かんだら、 ティッシュが黒くなりました 街角でジュースやキャンディなんかを売っています。果たして買う人がいるのだろうか・・・。 夜はみんなでイタリアンを食べに行きました。 このお店は、店員が色んな種類の食べ物をトレーに乗せて、かわるがわる私達のテーブルまで持って来てくれるんです。 そして、もし自分が食べたければお皿に乗せてもらい、いらなければ店員が去り、 また違う料理を持って来てくれます。 どこのレストランでもそうだったのですが、飲み物を頼むと ボトルと氷・ライムの入ったグラスを持って来てくれ、目の前でグラスに注いでくれます。 テーブルが汚れていると、その度にサササっと拭いてくれます。 とても親切。 帰りにAのお兄さんのオウチに寄りました。日本語少し、英語ペラペラのお兄さんは、とっても素敵なオウチに住んでいました。 でも全ての窓に鉄格子がしてあるのがちょっと恐怖。 ドクターの奥様と元気のいい2人のお子さんと楽しい時を過ごしました。 明日はAとCのご両親の住む小さな街へと数時間のドライブです。
2007年07月19日
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成田からアトランタを経由して、長い長いフライト後ようやくブラジル・リオデジャネイロに着きました。 空港では友達CとCのお姉さん、お姉さんちで飼っているワンちゃんがお出迎えしてくれました。 空港で私を見つけた時のCの顔を見て、私はそれだけでもうブラジルに来た甲斐があった、と思いました。 きっと私もそうだったでしょうが顔を真っ赤にし、みぃぃぃぃぃぃ~!!!!!!!と叫んで大きなハグとキスをしてくれました。 ブラジルは今冬なのですが、余裕で25度は超えています、蒸し暑い。 空港から20分くらい離れた場所にCは住んでいます。 まだ日本に住んでいる頃に、20階建てくらいのコンドミニアムの、この13階に部屋を買ったそうです。 Cの旦那さんAは今日はお仕事。数日前からサンパウロへ出張に行っていて、 今夜帰って来る予定だそうです。 Cの家に着いて少しゆっくりしてから、ドライブに連れて行ってくれました。 面白い形をした美術館です。モデルが撮影を行っていました。 海が見える場所がいくつもあります。 時間が遅かったのでサーファー達はあまりいませんでしたが、サーフィンで人気の場所だそうです。 有名なファベーラ。貧しい人達が違法で丘の上に家を建ててしまうそうです。 でも夜は夜景が綺麗です。 夜はCの運転で国内線の空港にAをお迎えに行き、 これで無事夫婦4人での再会を果たしました。あぁ、本当に遠くまで来た甲斐があった 明日は、世界の七不思議の一つを勝ち取った、コルコバードの丘の、キリスト像を見に行きます。
2007年07月18日
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勢いに乗っているうちにまた日記を書いてしまいたいと思います。 アトランタ空港に着いてから、余分な荷物を旦那の実家に送るために空港内の郵便局に向かいました。そして早速旦那がデビットカードを使ってみる、 が、 使えない。 おかしい・・・。 一応念の為にと日本から円を少しだけ持って来ていたので、円で支払いを済ませました。 そしてATMに行き現金を引き出そうと試してみるが、 暗証番号が合っていないというメッセージが出てお金が下ろせない。 もしかして暗証番号が間違っているのかも、と他の番号を押してみてもダメ・・・。 3回間違うとロックされてしまうので、銀行に電話してロックを解除してもらおうと、公衆電話を探しました。 ところがいくつもある公衆電話はほとんどが壊れていて、 ATMからだいぶ離れた場所にある公衆電話をやっとの思いで見つける事が出来ました。 銀行でロックを解除してもらい、口座も普通に動いているというのでまたATMに戻り、暗証番号を入れてみる。 でもまた番号が合わずにロックがかかり、 また銀行にロック解除をしてもらう為、遥か遠くの壊れていない公衆電話を探し、歩き回る。 数少ない壊れていない電話は人がもう使っていて、 かなり遠くまで歩かないと、使える公衆電話が見つからない。 なんていい加減な国なんだろう!!! 色んな国からケータイを持たずに人が沢山訪れるというのに、何十台も何十台も公衆電話が並んでいるというのに、 壊れていない電話の方がわずかだなんて!!!! 銀行だって、昨日まで問題ないって言ってたくせに、お金が下ろせないってどういう事?! アメリカに着いて最初の感想は、 もう絶対こんな国には住みたくない。 でした。 こんな事を続けているうちにどんどん搭乗時間が迫り、焦る。 私は"一番肝心な暗証番号を忘れるなんて!!"と怒りカンカンで旦那を責め、 旦那は変えたハズもない暗証番号を必死になって思い出そうとしている。 銀行は、暗証番号を教える事は出来ないから、窓口で暗証番号の手続きをするしかないと言う。 でも窓口は旦那の地元にしかなく、今私達がいるのはアトランタ。 窓口に出向く事が出来ないのなら、とにかくひたすら色んな番号を試し、 ロックがかかったらまた電話でロックを解除するという行為の繰り返ししかないと言う。 あぁ、もう次のフライトまで時間がない。 私は念の為にクレジットカードを持って行きましたが、無駄遣いを防ぐために、利用額を最低限に設定してあるし、 出発前にビデオカメラや諸々をカードで買ったので、カードの利用限度額が迫っている。 なので私のカードもあまりアテに出来ない。 一体何て事なの・・・。 仕方ないので日本から持ってきたわずかな円だけをドルに変えて出発しました。 こんな額で一体どうやって旅をするのか・・・。 こうしてお金の不安をかかえたまま、夫婦険悪のまま、ブラジルへと旅立って行ったのでした。 旦那の実家に着いてから分かった事なのですが、8月にカードの期限が切れるので、銀行が少し前に新しいカードを実家に送っていたそうです。新しいカードには新たな暗証番号がついてくるので、だから旦那の今までの暗証番号が合わなかったらしいのです。旦那は事前にちゃんと、8月で期限が切れるが今のカードはまだ使えるかを確認をし、銀行側に全く問題なく使えると言われ、いざ現地に着いて試してみると全く使えず、大変な思いをさせられました。最初から知らせてくれていればこんな思いをしなくて済んだのに!!!私も旦那が暗証番号を忘れたのだと思い、旦那をかなり責めてしまいました。ごめんよ、旦那。。。
2007年07月18日
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今回は旅に向けての出発編です。 ブラジルは友人の家に、 ペルーは必須の場所の予約は事前に抑えておきましたが、あとは行き当たりバッタリの旅、 アメリカは旦那の実家に滞在する事になっています。 沢山歩く旅になるだろうと思ったので、荷物は必要最低限にし、バックパックにまとめました。 日本円はかなり率が悪いのと、あまり現金を持ち歩きたくなかったので、それぞれの現地ではアメリカの口座のデビッドカードを使う事にしました。 このアメリカの銀行のアカウントはしばらく使っていなかったので、事前に銀行に電話して、ちゃんと使えるかを確認。問題なく使えるという事だったので、 お金の準備もバッチシ 3匹の猫ちゃん達も親が面倒を見てくれる事になり、実家に連れて行きました。 これで旅の準備オッケ~ こうして3週間3カ国、バックパッカーの旅の始まりです。 何しろ今回の旅は日本の裏側なので、飛行機の乗り換えがすごい。 今回の旅で、飛行機に乗った回数なんと9回何しろブラジルまでは直行便が出ていないもんで私達の日程は以下のようでした。 6月26日 成田→アメリカ・アトランタ(飛行機15時間)27日 アトランタ→ブラジル・リオデジャネイロ(飛行機8時間)7月3日 リオデジャネイロ→サンパウロ(飛行機2時間) サンパウロ→ペルー・リマ(飛行機8時間) リマ→クスコ(飛行機1時間)4日 クスコ→マチュピチュ間往復(列車で片道3時間半) 5日 クスコ→ナスカ(バス15時間)7日 ナスカ→イカのオアシス(車で4時間)8日 オアシス→リマ(バスで6時間)9日 リマ→アトランタ(飛行機で8時間)10日 アトランタ→シアトル(飛行機で5時間)15日 シアトル→アトランタ(飛行機で5時間)16日 アトランタ→成田(飛行機で15時間) とまぁ、旅の中でこれだけの移動時間がありました。空路は退屈でしたが陸路の移動は素晴らしい景色を楽しみました。 アトランタはブラジルへの経由なのですが、帰りにアトランタでストップオーバー(経由便から一旦降りて違う都市を訪れる事)をして、旦那の実家のあるシアトルに飛びます。 アトランタ空港は、どの国よりも一番広い空港で一番混んでいるらしいです。 そして私達は、この広い空港を歩き回る事になるのでした・・・。
2007年07月18日
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ただいま~!!3週間3カ国の旅から、無事に帰って来ました。 もうほんと、色々な出来事がありました。大変な思いを沢山しました。 無事日本に着いてほっとした後の感想は、 しばらく旅はもういいや・・・ でした・笑 それ程今回の旅はアクシデントだらけだったのです。 でもブラジルの友達とも再会できたし、世界でもトップを誇る世界遺産のマチュピチュも見る事が出来たし、旦那の両親とも数年ぶりに会えたし、 楽しい思い出も沢山出来ました。 1日、1日の旅の記録を残しておきたいので、出来るだけ毎日の出来事を写真付きでアップしようと思っています。(レイジーな私なだけに果たして一体何日かかるのだろうか・・・) 次の日記は出発編!!です。 お楽しみに♪
2007年07月18日
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この前旦那がこのSecond Lifeというので遊んでいたのですが、 こ、こ、これはすごい!!!!! サイトの概要を読めば分かりますが、限りない空間に自分達の想像で何でも作る事が出来る、いわばネバーランド? まだ世界各国とまではいってないようなのですが、日本からアメリカにテレポートできたり、空を飛べたり、空想の世界の者がいたり、 現実の世界と同じようにバーでお酒を飲んでいたりダンスを踊っている人がいたり。 実際にこの世界で友達を作ったり、会社を興せたり。 どこからが現実でどこからが非現実なのか分からなくなりそうです。いや、これは非現実なんかではなく、これも現実なんだと思います。 なんか数年のうちにはこのSecond Lifeが世界中で大騒ぎになる予感がします。 新世界かも。 気になる人はちょっとやってみて下さい。 私も誰もが羨む美女になって、お洒落な家を建てここに住もうかしら?・笑 そして新しい何かを造りだしてぼろ儲け? でも中毒になるのがなんとなく見えるので、気をつけたい部分もありますが・・・。
2007年06月11日
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6月の後半に、旦那の里帰りでアメリカへ行く事になっていたのですが、 その時に、 念願のブラジルにも行く事になりましたーーー しかもブラジルの帰りにペルーにも!!! ブラジルには日本でとっても仲の良かった友達に会いに、ペルーへは世界遺産のマチュピチュ 世界七不思議のナスカの地上絵、 その他、町自体が遺産になっているいくつかの都市を訪れる予定でいます。 楽しみ~!!!!! ただ、全部で3週間程という、ちょっとタイトなスケジュールなうえ、 しかもペルーでは、フライトが遅れたり突然キャンセルになったりするのが普通にあるんだそう・・・。 もしものためにも、きちんと旅行会社でツアーを組もうとしたところ、 『コストを抑えてもこれだけになります』 と送られてきた明細を見て、目ン玉飛び出そうに・・・ た、高い!! なので、ツアーは諦める事に。。。(というか金銭的に全然無理!!) 現地に着いてから全て自分達で手配する事にしました。 フライトをドタキャンされる事も考え、ホテルの手配もしていません。 その日暮らしの 南米、放浪の旅 をしてきます 私の職場は人手があまりに余っていて、 簡単に休みが取れました 旦那の職場は人手が全然いないので、 『学校を閉校しなきゃだ』 と半分脅されやっと休みが取れました こんな長く休みが取れるなんて事は滅多にないと思うので、思う存分楽しんで来たいと思います
2007年06月04日
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先日知り合いが、東京ディズニーシーの安いチケットが数枚手に入るという事で、 旦那と友人数人を誘って行って来ました。 私はディズニー情報に詳しくないので知らなかったのですが、最近新しくアトラクションが出来たとの事。 なにやら一気に急下降するフリーフォールらしきものだとか? 開園と同時に入場してあれよあれよという間にそのタワーオブテラーという場所に連れて行かれ、 何が何だか分からないまま乗ってしまいました 周りの人達は『ちゃんと捕まってろよーーー!!!』だの、『キャー!!!怖ーーーい!!!』だのすでにもうパニックを起こしていて、 私もこれから何が起きようとしているんだか全く検討もつかず、 何?何?という感じでハラハラドキドキしていました。 効果音や、ストーリーの中のおじさんの声などで余計に緊張を高ぶらされ、もう恐怖の限界!というところで、 ヒュゥゥゥゥーーーーーン という感じに一気に落ち、 そしてまたゴォォォォーーと上に上昇し、 扉が開き何かの部屋が見え、 一瞬落ち着いたかと思ったら またヒューーーンと落ち、 また上昇し扉が開きまた下降し、を繰り返します。 途中でもう、今上に上がってるとこなんだか下に落ちてるとこなんだか体感が現状についていけなくなり、 錯覚を起こします。 その間にもまだ何かが見えたり、 ストーリーも続いています。 そしてストーリーの展開どおり恐怖をたっぷり味わった後、 静かに終末を迎えます。 客にパニックを起こさせるような演出といい、何度も上下降を繰り返す事といい、 とてもよくできたアトラクションだと思いました。 自分の中ではどんな乗り物か全く想像もついていなかったので、余計に恐怖とスリルを味わえたのかもしれません。 この日は割りと混んでいた方だとは思いますが、ファストパスをうまく利用したので十分楽しむ事が出来ました。 ディズニーってすごいですよね。私はキャラクターものには全く興味のない大人ですが、 ミッキーの姿が見えると全身で喜んでしまいますし、 ディズニーマニアを冷めた目で見ていた旦那も、ミッキーを見てスマイルしてました 若い女の子がドナルドめがけてダダダーっと走りながら勢い良くガバッと抱きついたのですが、 ドナルドも両手を広げそれを受け止め、 お互いヒシっと抱き合っていたのが印象的でした・笑 私もキャラクターに抱きしめられてみたい・・・ 家に帰って来て数日経っても、まだディズニーの余韻に浸る事が出来ています ところで初めてランドの方に行った時にも思った事なのですが、全体の敷地って意外と広くはないんですよね。 地図上では目的地が遠いように描いてあっても、その場にすぐ到着してしまったり、 自分は正面の入り口からは遠い場所にいると思っても、正面付近のホテルはやけに近く見えていたり。 遠近感をうまく利用しているのかな?という感じです。 あと気づいてしまったのが、ホテルミラコスタの壁は、『ペイント』であるという事 出窓のようになっていたり、窓の扉が開いているようになっていたりするのは、 『絵』だったんですね~。 もちろん本物の窓もありますが、 驚きました。
2007年05月20日
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もう何年も前の話になるのですが、とあるテレビ番組の収録を見に行きました。 集合場所はテレビ局の裏口で、観覧者全員が揃うまで裏口に並んで待ちました。 列は2列ありうち1列は事務所に所属している人用の列で、若い人、歳いった人、色々いました。 その番組は観覧者からの質問コーナーもあるのですが、スタッフの人に質問用紙を渡され今回のゲストに対する質問を記入するように言われました。 ゲストはスポーツ選手で、私は全く興味ナシ。 でもとりあえずもし自分が質問者に選ばれてしまったら困るので、無難な質問を記入しました。 観覧者全員が揃い、途中トイレにも寄らされたりでいよいよスタジオへ。 よく話には聞いていましたが、テレビで見るより狭い部屋でした。 私の席は最前列、ラッキーテレビにもしっかり映るので、スタッフの人から足を揃えて斜めにするように言われました。 番組の収録が始まる前に、お笑いタレントの前説があるのですが、 これがまた全然面白くない。 学生の頃から、授業の時《ゲ!分かんない!指されたらどうしよう・・・》って思う時に限って先生に指されたりしていた私なのですが、 このお笑いが下らない質問をしてきた時も、私に話がふられ、しかもその時私は黒い服に網タイツ、黒いブーツだったので、『Xの大ファンが来てくれています!』だとかからかわれたりしました。 退屈なコントも終わりいよいよ収録に。 司会者や他のメンバーが登場し、今回のゲストが呼ばれました。 観覧者の質問コーナーになり、また自分が指されたら嫌だなと思っていたのですが、 どうやら質問する役目は別の列に並んでいた事務所所属の人達だったらしく、私達が質問を記入したのはただ現場を楽しんでもらうためのサービスだったのかなって感じでした。 ゲストのバッグの中身をチェックするコーナーでは、司会が手帳を見つけ出し広げて見ていました。 その中に、誰かとのデートの約束が書いてあり、ゲストがその時噂されていた俳優の名前を司会者が、 『これは○○とデートって事ですか?!』と聞き、 ゲストが半分本気で動揺していました。 その部分はアドリブだった感じでしたが、他はぜ~んぶ原稿が作られていたようで、 私には全てがわざとらしく、棒読みに思えました。 でもテレビで放送されたのを見た時は、さもある程度の流れで司会者が番組を進行しているかのように映っていて、 テレビってすごいな~って思いました。 もちろん俳優とのデートの部分はカットされていましたが(笑) 収録が終わった後は、もう本当にサッサと帰ってくれって感じで、 『出口はこちらになりま~す。トイレのご案内も出来ませ~ん。』 と、 事務的に機械的にさっさとテレビ局から全員出されました。 事務所所属の人達が、もっとヒドイ扱いを受ける局もあるし、もっとマシな局もある。でもこの局はまだマシな方だ、と言っていました。 ゲストも大物ではなかったし、(まぁだから簡単に観覧が当たったのだろうけど) 収録も淡々と進んでいっただけだったし、2時間程ずっと同じ格好で姿勢良く座っていないとなので、 疲れました。 こんな思いまでして見てみたいと思う芸能人もいないし、この一回限りで十分かな。 まぁテレビの裏側ってこんなもんか、と一応思い出にはなりました。 笑っていいともなんかの観覧は楽しそうだけど、実際はどうなんでしょうかね?
2007年04月29日
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今月18日は私の誕生日でした。 昨日(土曜日)友人達が集まって、私の誕生日パーティを開いてくれました。 今まで友達の誕生日パーティは企画していたけれど、自分のお祝いはなんか照れくさいし避けていました。 でも昨日はもう友達が全て予定を立ててくれていて、お料理もケーキも手分けしてぜ~んぶ手作りしてくれていました。 すごいでしょ~?! ピザも生地から全部手作り!!!本格的なピザ屋さんのように美味しかったです。 もちろん私の好みもそうだけど、その中でも全員が楽しめるような料理を作ってくれていて、 写真を見て改めて、いかに手間暇かけて作ってくれたかを実感しました。 ほんとうに嬉しかったです。 こんなふうに祝ってもらっちゃって、更にプレゼントまで頂いて、 友達なのになんだかとっても照れくさかったです 私、とっても気が強いし、強情だし、たまに仕切るし、 それでもこうやって長い間一緒にいてくれる友達にとても感謝しています。 友達って、いいですね。
2007年04月22日
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先週末、友人達と集まって花見に行ってきました。 家の近所の桜はもう散ってしまっていたのだけれど、先週行ったのは標高の高い場所なので、 ちょうど満開に咲いていました~ 近くの山が見渡せて、とっても景色の良い公園でした。 この公園までは、みんなでゴトンゴトンと電車に揺られながら行ったのですが、 その途中の景色が綺麗だった~。 電車が湖の上の橋を通ったり、渓谷を渡り、 田舎ののんびりとした風景もあり、 あ~やっぱり日本ていいな~って思いました 色々と忙しくて今年は花見は無理かなぁ、なんて思っていたのですが、 念願叶って遅めの花見に間に合いました♪ この前旦那が何かで読んだらしいけど、桜の寿命を長くする薬(?)みたいなのが開発されていたんだけど、人々の反対によって使われていないんだって。 やっぱり短い寿命だからこそ堪能出来るわけで、それが桜なのではないでしょうか。
2007年04月18日
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この前、ベビーカーに赤ちゃんを乗せた若い夫婦が店に来た。 まだとても若い感じで今時の夫婦。 店に入って来た時から何か嫌な感じだったのだけど、まさにその予感は的中。 彼らの事がな~んか嫌だったので私は彼らの接客をしなかったのですが、他の従業員が彼らの近くを通るたびに、 彼らは雑用を押し付けてくる。(あれをしてもらえますかこれをしてもらえますか、これをちょっとどかして下さい、あれ動かして下さい、など) そして!!! 持っていた水筒に熱いお湯を入れてくれ、だの、 終いにゃ哺乳瓶を洗ってくれ、などと言い出した!!! この客は一体何なんだ?! 頼まれた人は嫌々ながらも一応テキトーに洗ってあげてたけど、 自分の子供の面倒くらい自分で見ろっ!! って言いたくなった。 小さい子供がいるからって、人に何かをしてもらうのが当たり前だと思っている人はほんとムカつく。 子供がいるんだから人にどいてもらって当然!譲られて当然!しかもこっちは客だし! みたいな、あの横柄な態度がすごく嫌。 うちの店は一応子供用も準備してあるのだけれど、どう見ても子供が楽しめるような店じゃない。 そんな店に自分の好きで入って来ておいて、子供にそぐわないからって文句を言うな! 店の雰囲気を読めよ! それに、私は子供の扱いってよくわからないので、子供が私にふざけて何かをしかけてきても返し方が分からない。 だから一応愛想でニコッと笑うくらいでその場を去るんだけど、親にとって私の態度が気に入らないのはすぐ分かる。 ってか、 なんでアタシが相手してやんなきゃいけないワケ?! 見ず知らずのオマエの子供なんてちっともかわいくないんだよ!!! 今日の子連れ若夫婦も、なんだかすんごい態度Lだった。 前のスーパーでクソ生意気な女がよく言っていた言葉、 『みんなは子供がいないから分かんないんだよ』 っつか、子供を生む選択をしたのはアナタ、まだ子供を作らない選択をしているのはワタシ。 お互い自分が好きで選択している事なので、 子供いない組がいる組を理解しなくちゃいけない なんて決まりはないわけよ。 子供がいないから、、、なんて事を言われる筋合いもないし、他人に必要以上の理解を求めないで欲しい。 これってさ、よくテレビでやってるデブが泣きながら『私はとても大変なの。』と言って自分では何もせずに周りに世話させてるのと同じだよね。 病気ならともかく自分で食べ過ぎて太っておきながら、自分は自由に動けないから、と周りが自分に気遣うのが当たり前だと思っている。 自分が悪いんだから自分で責任取りなさいよ、って言いたい。 あ~、非常識な哺乳瓶の馬鹿夫婦にムカついて、今日は毒吐いてしまったワ。 いくら客だからって、何でも許されるわけじゃないんだよ。他人はアナタの子供の面倒なんて見たくありませんから!! は~、スッキリした。
2007年04月09日
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この前、<グリーンカード(アメリカの永住権)の放棄>という手続きの為、アメリカ大使館に行って来ました。 このGC(グリーンカード)破棄の手続きはというと、 本来、GC保持者はアメリカ国外に半年以上住んではいけない事になっているらしく、 『アメリカを半年以上離れるのならGCは返還して下さい、さもなければもうアメリカには入れてあげませんよ。』 みたいな感じ。 私はGCを持っているのにもう3年もアメリカに住んでいない。 運が悪ければアメリカに行った時、このように空港で入国拒否に遭う可能性があるのだ。 私は数ヶ月先ですがアメリカに2週間程行く用事があります。 入国出来るかを心配しながらアメリカに行くのも嫌だったので、 今回この手続きをしてみようと思ったのです。 大使館のサイトを読むと、GC放棄の手続きは予約や面接などの必要がなく、 必要事項をフォームに記入しパスポートとGCを持って行けばいい、と書いてあったので、 GCを返還してすぐに終わるのだと思っていました。 ところが大使館に着いてみると・・・ 外にはズラ~りと長い列が・・・。 まさか自分もここに並ぶのかと不安に思い警備員に聞いてみると、 『今日は窓口に欠員が出ているので時間がかかるんですよぉ。』 時季が時季で寒くなかったから良かったものの、 赤ちゃんのレジストリーに来ていた人もいたので、 赤ちゃんやそのお母さんたちはかわいそうでした。 っていうか、このズラ~リと並んでいるのは、大使館に入るための厳重なチェックを受ける為の列で、 空港にあるようなX-線の手荷物検査や金属探知機を通り、携帯電話は一時預かりされてしまいます。 5年前アメリカに渡った時は、運良く私はビザの面接などが免除されたため、 今まで大使館を訪れた事がなかったの。 しかもあ~いう列に並ぶのは日本のビザが欲しい外国人だけだとばかり思っていたので、待っている時間が超苦痛だった 子供が出来たらまたここに来て手続きをしなくてはいけないと思うと、今から気が重いワ・・・。 やっと建物の中に入れたのだけど、ここにも人がいっぱい。 しばらく旦那と大人しく待ってたんだけど、私達と同じ手続きで来ていた人がキレだして、 窓口まで文句を言いに行った。 やはり彼らも、こちらはただのGC返還。他の人達のように、これからビザを取る為の長い手続きを取るのとはワケが違う。 なので旦那もその人の次に窓口まで行き説明を求めると、スンナリ手続きが進んだ そして、『この手続きを行った事により、これからはアメリカの住人ではなくただのツアーリストとなります。もしまたアメリカに住む事になる時は、GCを取った時と同じ手続きをまたする事になりますがよいですね?』 と聞かれ、Yesと答え手続き終了。 早っっ! あのまま何も言わずに待っていたら、 一体何時間かかっていたのだろうか・・・(恐) 去年旦那についてアメリカに行かなかったのはこの手続きの事を知らなかったからなんだけど、 でも今回このGC放棄の手続きをしたため、晴れて問題なくアメリカに行ける事になりました つってもせっかく海外に行く時間とお金があるんなら、本当はアメリカじゃなく他の国に行きたいんだけどさっ。まぁこれは旦那がアメリカ人だから仕方ないけどさっ。 旦那がガイジンってお金がかかるかも私の場合もそうだったしね←私の場合は年に2回くらい日本に里帰りしてたし
2007年04月01日
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今の職場で働き始めてから5ヶ月目。 オープン時からいるので仕事もやりやすく、おかげさまで毎日楽しく働いています。 変わっている人や浮いてる人もいたのですが、 この人、変だな・・・ と思う所は皆一緒で、 そういうおかしい人達は、だんだんみんなに相手にされなくなったり、居づらくなったりで辞めてしまって、 今では気の置ける者同士でのんびり働いているという感じです。 ところが人の多い職場、やはり一筋縄ではいかないというか、 次々に色々起こっていくもんですね やはりそれは男女間の、 色恋物語 バイト同士が付き合ったりするのは別にいいとして、 どこでどう血迷ったのか、嫌われ役だった店長とバイトが付き合いだしたり、(歳の差14歳) 結婚していて子供もいて、旦那との夫婦関係もとても良いと言っていた35歳の人が、 副店長といい感じになってしまったり・・・。 この35歳、小奇麗で真面目で仕事熱心で、とてもとても不倫をするタイプには見えなかった。 そういう人こそ、ハマってしまうものなのか・・・。 副店長は彼女より5歳下の30歳独身で、副店長が、この女性の事をかわいいかわいいと言った事がキッカケ。 まずはメールから始まり、短い期間でと~~っても簡単に副店長に、 落ちてしまった・・・ 本当にフツーの人なのに、 仕事中にコソコソ副店と話したり、制服の下のブラジャーが透けて見えるようにしてきたり、 子供までいるのに正直気持ち悪いって思っちゃった、オエ~ 私も副店長本人から彼女がいるって聞いていて、前にこの35歳にそう言った事があったのだけど、 それはただの飲み屋の女で、今は誰もいないんだって。 って丸っきり副店の言う事を信じきっちゃっている。 どうやったらそこまで馬鹿になれるのか、私には到底理解出来ない。 彼女はもう結婚10年目で、私はその半分。 その差がどれ程のものなのかはよく分からないけれど、10年の家族の絆を、こうも簡単に壊していけるものなのかな。 本当に簡単に。 私も一時期漠然と、 色んな人と出会いたい、もっといろんな男と付き会ってみたい、 なんて思った事もあったけど、 本当にそれは一時の気の迷いで、旦那のいない生活なんて考える事は出来ない。 男性陣から時々、"人生やり直してみたいと思わない?"(旦那との結婚を白紙に戻なさい?みないな意味で) とからかい半分で聞かれた事もあったけど、その度に私は、 "アタシ男にあんま興味がないんだよね" とそのままの事を言い、 カッコイイ客が来ても他の人のように鏡を見に行ったり、髪型を直すような事もない。 ハッキリ言って興味がない。 最近はアメリカに渡る前の体型にも戻り、新しい職場でお洒落さん達も沢山来るし、刺激もあり、 私も化粧や身だしなみもバッチリ決めている。 でもそれは、異性の目を気にしているからではなく、 自分自身が綺麗でいるため。 私の見た目のせいもあるのか、旦那がガイジンというのせいもあったのか、 最初はさも遊んでいるかのような言われ方をしてたけど、 今では "みぃさんは男に興味がない"、 ってみんな疑問を残しつつもそう思ってくれています(笑) 周りの友達も私と同じで、 不倫なんて絶対出来ないと言う人ばかりだし、 因果応報 という言葉もあるし、 どうして最近まで"旦那と上手くいっている"と言っていた人が、こうも簡単に不倫に走ってしまえるものなのか・・・。 ほんとうに、毎日少しずつ進展していくので、不倫の実況中継って感じです。 恋をするのはいい事だと思います。もし私も結婚していなければ、自由な恋愛を楽しんでいたと思います。 ただし、子供のいる人がブラジャーを見せるのは辞めてくれ!大人なら大人なりの行動ってもんがあるでしょう?! 副店に彼女がいる事を丸っきり信じていない35歳、主婦。今は自分だけを見ていてくれてると信じきってる35歳 主婦。 不倫出来ちゃう人って、騙されていて馬鹿だなと思うけど、ある意味自分にと~っても自信があるのかも。だって、誰もが騙されてるよって彼女に言うのに、本人はそうは思わないんだもの。今は私だけを見てくれているっ て本気で思えちゃうんだもの。 理性ある人なら、気づくでしょう普通。 でもまぁ本人は十分楽しんでいる事だし、私が口出す事ではないのでお好きにどうぞって感じだけど。 でも、健全な恋愛ではないし、職場での不倫、しかも発情してるのを目の当たりにする事もあるので、そういう人達と一緒に働く者としても、 あまり気分のいいもんじゃぁないよね。。。
2007年03月04日
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今日は暇なので日記を書いてみようかと思います。 私の母親は健康オタクで、 米や食材はほとんど無農薬・低農薬、そしてお鍋なんかもホーローや鉄鍋なんかを使います。 お味噌汁なんかも顆粒のダシは使わずに、鰹節や昆布などでダシをとります。 そうやって子供の頃からお味噌汁にはダシをとるのが当たり前で育ったので、 友達の家ではサラサラ~の顆粒のお味噌汁を作る、というのを知った時は、 "え?!このサラサラがダシなの?!" っと恐怖を覚えた事がありました。 うちにはそういった物が一切なかったので。 でも大人になり自分でお味噌汁を作るようになり、興味本位で顆粒ダシを使ってみるとこれがまた便利で、 今では時々使っちゃったりしているのですが(一応無添加を選んでいますが、気休めかもですね) ただあまりそういうダシや固形スープの素を使った日が続くと、体がおかしくなってきます。 表現が難しいのですが、何を食べても身にならない感じがすると言うか、 体が"もう勘弁!!"って訴えているような感じになるのです。 海外旅行だと異国が楽しくてそんな事は忘れてしまうのですが、国内旅行で毎回外食続きだと、結構キツイものがあるんですよ ちゃんと自分で砥いだお米のおにぎりか果物が食べたくなります。 でもその割には外食大好き人間で、しょっちゅう外に食べに行ってしまうんですけどね・・・ (健康食も台無しだヨ!!!) 時々実家に帰ってご飯を食べたり、母を家に招いて料理を作ったりするのですが、 年を取って更にこだわりの強くなった母は、 "コレコレは本当は人間の体に良くないのよ""アレアレは○○に悪影響なのよ" と母の中の知識を散々私に託して(?)帰って行きます 気にはしないようにしていても、一度聞いてしまうとやはり気になってしまい、 結局食器にこだわったり、食材も気にしたりしてしまいます。 家で作る料理も素からほとんど手作りします。 母が言うに、"作り方が分からない時は、原材料名を見ればすぐ分かる"だそう。 ちゃんと材料が載っているし、手作りにナントカ酸、カントカ剤など必要ないし、 難しそうな物でも意外と簡単に作れちゃったりするのです。 そしてこの手で最近作ったのが、 サルサソース うちには旦那の大好きなハラペーニョがあるので、それにトマトとピーマンなどを煮詰め とっても簡単に作れました そして、おいっし~い!!! メキシコ料理好きの旦那も、本物のサルサソースと良く似てすごく美味しいと褒めくれました あとは色んな野菜一つ一つに味付けしてビビンバも作ったし、(さすがにコチュジャンは買ったけど) タコライス(沖縄で流行りのタコス風ご飯)も作ったし、 ニョッキなんかも買わずにオイモから作ります。 私ももういい年なのでそろそろ子供の事とかも考えなくちゃだし、大好きな外食もなるべく控えて おうちで手作り料理が理想だなぁ。。。 仲良しだった外国人の友達はとっても料理が上手だったのだけど、 彼女も調味料を一切使わない人なのです。 基本は塩とニンニクのみ!!! それであれ程の料理を毎日毎日作ってしまうのだからすごい。 私の今の目標は、彼女のようになる事!!!(笑) 素材を生かした料理、私も頑張りまーす!!!
2007年02月09日
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だいぶ遅くなりましたが、明けましておめでとうございます 年末年始は3匹の猫ちゃん達を連れて、実家で過ごしていました。 私の親と旦那、妹夫婦、甥っ子姪っ子達も来て、賑やかなお正月を迎えました。 若い頃は友達なんかと集まって、夜中の12時に初詣に行き、海へ行って初日の出を見るのが恒例でした。 でも今は、2年間親元を離れ海外で生活していた事で、親の有り難さが身に染みてよく分かり、 こういう時は親と一緒に過ごしたいという気持ちが強くなりました。 私は元旦が休みだっただけで2日から出勤したのですが、その間母親がしてくれた上げ膳据え膳がと~っても有り難いものでした。 私生活の方も、何の不自由もなく大した不満もなく、仕事も楽しい毎日を送っています。 最近ほんとパソコンをいじらなくなりました(^^ゞ日記も全然更新していないのに、それでも楽しみにしていてくれてる方がいて驚きです、ありがとうございます。 こんな怠け者な私ですが、マイペースに日記も更新して行きたいと思っています。 一ヶ月に一回更新できればいい方かしら? それでは、今年もどうぞよろしくお願いいたします。 みなさんの一年が幸せでありますように
2007年01月05日
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お元気ですか? 私は相変わらず忙しい毎日を送っています。 仕事の方も順調で、みんなととても楽しくやっています。 この前は職場のお酒の強い人と飲み比べに飲みに行き←馬鹿(笑)、今度は酒好きな職場の全員で飲みに行く事になっています。 楽しみ~。 ここんとこ(っていつもか)、 何日も立て続けに飲む予定が入ってて、その事をアメリカ人に言ったら、 『Alcoholic』 と言われました そういえばこの前、中学生の時一緒に悪事を働いていた男友達にバッタリ会いました。 彼はまだ当時のみんなと付き合いがあり、 今度みんなで集まるというのでその会に誘われ、 久しぶりに悪仲間達と会ってきました。 十何年ぶりのヤツとかいたのに、こうやってみんな嬉しそうに私の参加を受け入れてくれて、 やっぱり学生時代の友達っていいなぁ~って思いました。 そしてもちろんその中には私の元カレの姿も。 その彼とは、初めてまともに長く付き合った相手でした。 カレも私との再会をとても喜んでくれたけど、 でも私にとっては唯一初めて裏切りというのを知った相手なだけに、 まぁ久しぶりで懐かしいとは思ったけど、 私にとってはもうただの『人』 他の友達に会えた事の方がよほど嬉しかった。 裏切りといっても、まだ10代の私達だったので、 ちっとも大した事じゃないんだけど、 でも当時は若いなりに恋愛に一生懸命だったので、ちょっとの事でも動揺してたのよね、ハハ。 もう子供が小学生、とか、自分で事業を始めてたりとか、若いオンナ好きでやけにノリが若くなってたヤツ、 あんだけ暴れていたのに今じゃ立派なお父さん、とか、恐ろしい程いい加減でタラシだったヤツが、今じゃマイホームまで建てて家庭をしっかり守っていたり、 みんな大人になったなぁ~って、驚く事ばかりでした。 まだ1人モンで気楽にやってる人達もいたけど、 すでに離婚までしている人も複数いたのには驚きでした。 うちは来年で結婚5年になるけど、倦怠期を過ぎた後はかなり仲良くやっています。 そしたらみんなの言う事は『一人くらい幸せにやってるヤツがいて良かった』 1人くらい って、一体みんなどういう生活を送ってるんだよ~!! さんざん男で苦労してきた私はもう、絶対にストレスの溜まる生活なんて送りたくなくて、 自分で努力もして楽しい人生を送っている。 夫婦2人の生活も十分楽しいし、良い友達に囲まれて更に楽しいし、 仕事も楽しいし、 職場の人達とも仲良く楽しくやっている。 私にだって、そりゃ色々嫌な事だって起こるけど、でもそれを、自分なりに考えを変え、 旦那にアドバイスをもらったり、 時には自分の欠点を見つめなおしたり、 毎日楽しく過ごせるのも、私がそうなるよう勤めているからだとハッキリ思う。 勿論私だって愚痴はこぼすけど、 それでも今ある事に感謝して、自分を作らず自分に素直でいれば、 そんなにみっともない思いもせず、 自分を作らないからこそ失敗した時も素直に謝る事が出来たりもする。 自分を無理に作ったり、理想ばかり追い求めたり、 どうでもいいような事を大袈裟にして、必要以上に他人に同情を求めて困らせたり、 そんな事ばかりしていたら、いつまでたっても自分に満足がいかないと思う。 今の私の生活は、私の考え、反省、感謝、努力の賜物なのよ! あとは理解の大きい旦那のおかげ。結婚してるのにこんなに自由に出来る人っていないよね、ってよく言われる。 まぁ私も旦那を信用して外に出すし、旦那も同じく私にそうしてくれる。 あともう一つ言われたのが、『今幸せな結婚生活、10年後に同じセリフを聞きたいもんだね』 それは私もわからないな。 だって、ほんとうに10年後も『私今でも幸せよ』って言えればそりゃもちろんいい事だけど、 10年も先なんて何が起きるか分からないしね。 多くの人になんておこがましいけど、せめて自分の周りにいる人には幸せを掴んで欲しい。楽しい人生を送ってもらいたい。 それには、人と比べたり、嫉妬したり、人の欠点ばかりを見つけてちゃあいけないんだよね。 自分の考えを少し違う視野で見てみるだけで、物事って大きく変わると思います。 でも人それぞれ生き方があって、私は色んな経験からこう思うようになったけど、 いつまでもグチグチ愚痴を言ってるのが好きな人もいるから人って面白いのかも。 相変わらずみんな男気が強く、立派に過ごしてるのが伺えて良かった。 また機会があったらみんなで会いたいな。
2006年11月21日
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わぁ~、パソコン自体に触るのが、久ぁぁぁぁ~しぶりです。 ずっと忙しい毎日を過ごしていました。 今月の初めは、江ノ島鎌倉まで2泊3日で のんびりと電車旅行に行きました。 4人で何の予定も立てず、時計も気にせず、 行きたい場所にフラ~り立ち寄り、 鎌倉の大仏や江ノ島を訪れて来ました。 久しぶりにバスにも乗りました。 とぉ~ってものんびり、ゆっくりを楽しんで来ました。 そして少し前から、隣町に新しくオープンしたモールで、オープニングスタッフとして仕事を始めました。 出来たばかりの巨大モールという事で、 まだまだ忙しい盛りです。 初めがみんな同じスタートなので、 従業員同士仲良く楽しくやっています。 週末は、一番仲良くしていた友達夫婦が国に帰る事が決まっていたので、 思い出を沢山作るため出来るだけ一緒に過ごしていました。 そしておとといが涙、涙のお別れでした。 外国人の友達は、これがあるから超ツライ。 しかもこの夫婦とは、私達夫婦が日本に来てからずっと一緒で、 妻同士、夫同士もほ~んと仲が良かったのです。 夫婦同士でこ~んなにも仲良くなれるなんて、珍しいんじゃないかと思いました。 だから余計に別れが辛かった。 地球の裏側にあると言われるブラジル、 いつかまた会えると信じて・・・。 タイトルのミラクルフルーツ、これ、聞いた事ありますか? 私はテレビでこの実の事を見たんだけど、この実を食べると すっぱい果物がとぉ~っても甘くなるんです。 この前みんなでダーツバーに行った時、この実がメニューに載っていて 迷わず試してみたくなりました・笑 このミラクルフルーツという赤い実と、スライスレモン、スライスライムがお皿に乗って出てきます。 この実を食べてからレモンをかじると、 甘~いッッッ!!!!! まるでレモンに砂糖がふってあるかのように 甘くなるんです。 レモンなんてそのままじゃすっぱくて、普通の顔して食べられませんよね?! それがこのミラクルフルーツの実を食べてからだと全然余裕。甘~いオレンジとかみかんとか、それらを食べるかのように普通に美味しく食べられます。 私はその時ライムの入ったコロナビールを飲んでいたのだけど、 ビールまでも甘い!!! 旦那はスミノフを飲んでいたのだけど、激甘!!! 友達のグレープフルーツジュースも激甘!!! 友達は甘すぎて飲み物が飲めなくなってしまいました。 不思議~、面白~い!!! このミラクルフルーツは、 アフリカではすっぱい果物を食べる時などに、昔から使われていたようです。 そして日本人が研究でこの実の働きを明らかにし、 市場に出回るようになったとか。 みんな興味津々で挑戦して驚きを楽しんだのですが、 ビールや、酸味のある物全てに反応してしまうので結局自分達の飲み物がしばらく飲めなくなってしまいました。 そしてみんな、これを勧めた私にブーイング・笑 ネットで調べてみたら、1粒300円程度で簡単に手に入るようです。 気になる方、一度お試しあれ~☆
2006年10月27日
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<<結果が出たので下に追記しました>> 今朝は参った。今までで一番ひどい発作で目が覚めました。 中途半端な睡眠+不快な目覚めで、今日は何もする気が起きない。(っていつもだけど) この前買った空気清浄機、清浄機を使うと部屋が乾燥するとも聞いていたので、 加湿器付きの空気清浄機。 でもこれを使っても、 部屋の空気が綺麗になった気がしないのはナゼ? アメリカにいた時に使っていたエアクリーナーは、 小さいのをキッチンで、大きいのをベッドルームでと使っていた。 小さい方のエアクリーナーは、大きさがほんの2~30センチくらいで本体からニョキっとプラグが出ていて、 コードとかはなくそのままコンセントにつなげるタイプ。 壁と一体になるので場所を取らない。 大きい方だって形も機能も本当にシンプルで、値段だって両方ともとてもお手頃だった。 これらのエアクリーナーをつけると、 うわ~、空気がキレイ! って体感できる程の効果があった。部屋中の空気が新鮮で、嬉しくて何度も何度も深呼吸をした。 でもこの前買ったこの清浄機は、しばらく寝室でつけっぱなしにして部屋を離れ、 どうだ! とばかりに部屋に入って呼吸をしても、 ちぃ~っとも新鮮な空気じゃない。 どーゆぅ事?! ネットで空気清浄機について色々調べてみると、 大手メーカーの清浄機は集塵機なだけであって、空気を清浄する機能なんてついてない と言う人を見つけた。 その人が言う事が本当かは分からないけど、明らかに前のエアクリーナーのように空気が清浄されてると思えないので、 もしかしたら一理あるのかも? 物はまったく違うけど、サプリメントのネイチャーメイドってあるでしょ?それも日本で売っている方は成分なんかもかなり削られているんだって。 日本の製品てすごく良いとは思うけど、たまに余分な機能がつきすぎて 本来の性能を失っている事もある気がする。 あとは誇大広告。 海外からの輸入製品で、箱にはマイナスイオンなんて一切英語で書かれていないのに、 マイナスイオン放出 と書いてあった商品も見た事があった。 この空気清浄機、せっかく買ったものだから満足して使いたいのに、一体どういう事よ、と思いメーカーのお客様センターみたいなところに問い合わせをしてみた。 このウソツキ!!!!!(すみません、電話を切ったばっかで興奮中) 空気清浄機と書いてあるから買ったのに、 要するにフィルターでホコリを取り、部屋の空気を循環しているだけだと言われた。 ネットで見つけた人が言っていたのは本当だったんだ。 しかも私が買ったのはプラズマ機能が搭載されていない型だし、お宅が4万、5万の金をケチるからだと言わんばかりに、その製品じゃ空気がきれいにならないのは当たり前だと言うではないか!!!! ムッカー 何なん、ちっとも空気清浄機じゃないじゃん。 あまりにも宣伝している事と機能が全然違うと思ったので、じゃぁ返品しますと言ったら、 そりゃぁ買った所のお店と話合って下さいよ とすっごく人を馬鹿にしたような言い方で言われた。 本当にあたまにきたので じゃぁそうします、 とそのまま電話を切り、 そのクソジジィの名前を聞くのを忘れたのでもう一度電話をかけ、 さっき私と話した人の名前を教えて下さい、消費者センターに連絡させてもらいますので。 とわざとそう言った。 なんてヒドい扱いなんだろう。 信じらんない!!!!! そして消費者センターに電話をすると、 空気清浄機とうたっていいかの規則がある という事だったので、この製品が空気清浄機と呼べるかどうか 今センターの人が調べてくれています。 でも結果はなんとなく分かっているんですよね。 きっとこれ、空気清浄機だと言われると思います。 法律をすり抜けて消費者をごまかして、 そうやって世の中が成り立つのだと思います。 ましてや大手のメーカーになんかに対抗できるわけない。 敏感な私は、部屋の空気なんかちっともきれいになっていないのがわかったけど、 ほとんどの人はそれに気づかず過ごしているんだろうなぁ・・・。 もちろん私は返品しますよ、こんなもの。 消費者センターから電話が来て、丁寧に説明してくれた。 日本電気協会?だったか何かで調べたところ、 やはりこの製品は、協会が定める一般家庭における空気清浄機の基準に当てはまっているそうです。 いくらあのクソジジィが 清浄機じゃなくてただの循環器とお考え下さい~ と馬鹿みたいに言おうが、 あの製品は空気清浄機として認められている製品だという事。 なんつー事だ・呆 まぁね、やっぱりね、そうだと思ったよ。 ネットで見つけた人の言う、 "大手メーカーのものは殆ど「集塵機」です本来の「空気清浄機能」は有りません。" は本当だったのかも。 いまあるやつをとっとと返品して、 トヨタ自動車の高級車に搭載されている、また、JR北海道・JR九州・国立東京病院・大阪大学医学部付属病院・東京医科歯科大学病院等々でたくさん使用されてる とその人がやっと見つけた空気清浄機を製造している会社に一般家庭用が売っているか問い合わせてみようと思います。 長々と読んでいただきありがとうございました。 (読んでいてくれてるか分からないけど、Minamiちゃんの影響を受けて私も頑張ってみたよ~!!)
2006年10月06日
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今日昼間、出先から帰ると旦那が昼休みで家にいた。 午後は3時から仕事と言うので、トーストと目玉焼きを作って軽くランチを食べる事に。 先日旦那に空気清浄機を買ってもらったのだけど、それは寝室に置いてある。 ランチを食べている時旦那が、"ベッドルームから清浄機を持ってきてダイニングに置けばここの空気も綺麗になるね。" 私;"えぇ~、別にいいよ、ご飯食べる時しかここにいないし" 旦那;"・・・・・。" 旦那;"みぃちょっと疲れてるようだね、ベッドに行けば?" 私;"そう?別に疲れてないけど?" 旦那;"・・・・・。" 旦那;"みぃちょっと顔色が良くないよ、ベッドで休んだ方が良さそうだよ" 私;"そう?ありがとう、でも大丈夫だよ" 旦那;"Huh....." とまぁこんな感じで何故か旦那は私を寝室に行かせたがる。 食事を終えた後、とりあえず2階に行く用があったので寝室に行ってみると、 ベッドの上に、 ラッピングされた 大きな箱が置いてあった。 何これーーー?! もしかしてもしかして、ブーツ?! 包装をビリビリやぶいて箱を開けると、 間違いなく見覚えのある私がずっと欲いと思っていたウェスタンブーツが入っていた!!! ビックリーーー!!!!! 実はこのブーツ、ずっとずっと欲しかったんだけど、 値段が今の私にはふさわしくなくて諦めていたの。 ちょっと前に旦那がブーツを買いたいと言うのでじゃぁ私もひとつ、と2人で靴屋に見に行った時、 旦那はその時に気に自分が入ったブーツを見つける事が出来なかったのだけど これいいね、と旦那がゆびを指したこの女性用のウェスタンブーツがすっごくお洒落で、 しかも私のこだわりの要素が全~部揃ったブーツで、 一目で気に入ってしまったの。 ちょうどそのお店は改装前の一掃セール中だったのだけど、 でもそのブーツだけはセール対象外になっていてた 旦那は"そんなに気に入ったなら買えばいい" と言ってくれたんだけど、 もしかして数日後にはセールになるかもしれないし、 と自分に言い聞かせその時は諦めた。 そして数日後にまたその靴屋に行ったのだけど、 このブーツはセールにはならない とお店の人に言われてしまいもう買えないと思った それなのに! 旦那は普段は小銭くらいしか持ち歩かないし、 滅多に銀行へお金もおろしに行かない。 現実に戻った私は お金はどうしたの?と聞いてみた。 旦那の交通費はガソリンをいれる度にオーナーにレシートを見せその都度現金でもらっているんだけど、 そのお金を貯めていたんだって。 私が"これ欲しい!"と言う事は珍しいので、 買ってあげようと思ってくれたんだって。 ありがとうぅぅぅぅ 週末は3連休でどこか小旅行にでも行こうと考えているので、その時にこのブーツ、早速履いて行こぅっと♪ 久しぶりの、旦那からのサプライズ、嬉しかったなぁ
2006年10月05日
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旦那の友達がバンドを組んで、ライブをするというのでこの前みんなで見に行く事になりました。 随分小洒落たライブハウスで、しかも始まりは何故か午後の2時。 コピーしていたグループの名前は忘れちゃったんだけど、確かイギリスのバンドとあとはビートルズ。 ノリにノリたい曲もあったんだけどとにかくこの小洒落たライブハウス、 ノって騒いでという雰囲気じゃない。 フロアにはテーブルに真っ白なテーブルクロス、ステージにも豪華なカーテンからキラビヤカなオブジェが吊らさがっている。 入り口には、黒人数人が集まってゴスペルでも歌っているような写真がいくつも貼られていた。 ノリノリに歌い、ギャンギャンギャンギャンギャンーーー!!!と軽やかにギターを弾くステージの上の人達とは裏腹に、 小奇麗なテーブルにきちんと座り、 ビール片手に静か~~にロックを聴いてる私達・・・。 なんかちょっと恥ずかしい。 でもお洒落な場所だったし、友達は歌がとっても上手で他の人達の伴奏も聞き入れるくらい良かったので、 音楽を楽しむ事は出来ました。 ライブが終わったあとの打ち上げは、 カウンターのお寿司やさんに行く事に。 寿司が苦手だと言う外国人が多くいたのに、何で寿司やだったんだろう? 打ち上げに集まったのは30人くらいだったかな? そこで飲んで食ってして、 でも昼間から出ていたのでみんなまだまだ元気があり、、次はカラオケに行く事になりました。 そこでも飲んで食って、歌い、 それでも時間は夜の9時。 まだまだ時間は早い! 次は居酒屋に行こう! という事になった、 のはいいんだけど、 ライブハウスで飲み、すし屋で飲み食い、 カラオケで飲み食い歌い・・・。 何しろみんな昼間から飛ばしていたので、 金がない。 みんな所持金が尽きてきて、 "○○~、How much do you have?""俺3千円""私2千円" "I have ~~yen""私~~""$#☆%?※" "0" みんなのお金合わせても居酒屋は間に合わないだろう。 という事で ゾロゾロとコンビニのATMまで行くと、 この時間のお取引はありません。 夜の10時近く、しかも週末とあって早くに取引が終了してしまったようだ。 何しろ田舎者、み~んな同じ銀行のカードを持っているので、 誰~もお金が引き出せない・・・。 すると1人の友達がシロガネーゼ(っつか男だけど)に、"悪いんだけどお金貸してくれる?" そうするとこのシロガネーゼのアメリカ人、"OK" と軽く言いポケットの中から万札の束を出し、 一万円を友達に手渡した。 す、すごい この彼は白金のマンション、しかもペントハウスに住んでいて、(ペントハウスは最上階の一番高級な部屋) 男の1人暮らしなのでお手伝いさんまでいるんだそう! 旦那や友達は都内に行くついでに彼のマンションに泊まって帰ってくる。 私も何度か泊まりに行くチャンスはあったんだけど、なんかちょっとね。 私もそんなふうに高級マンションに住んで、夜の夜景を見ながらワイン片手にペルシャ猫でも撫でたいよ・笑(古すぎ?!) これだけ飲み歩いてもまだ元気だった残り10人程度で、友達のアパートに行き、 倒れました。 こうやって気の合う友達が集まり、週末になりゃぁ力尽きるまで飲んでいるけど、 そろそろこういう生活も幕を閉じます。友達の、次々に国への帰国が決まっているからです。 日本人の友達とも若い頃からこうやって飲んできていたけど、ほとんどが結婚して落ち着いてしまっている。 ほんと、楽しかったなぁ。 私もそろそろ潮時かしらねぇ・・・。
2006年10月02日
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金木犀が咲く時期になりましたね。 私はこの金木犀の香りが大~好き!!! ちょうど道向こうに金木犀が植えてあり、私の家までフワ~っと香りが届きます 朝からそんなにおいをかげた日は、嬉しくて嬉しくて、ウキウキします。 今日は日曜日。 もう灼熱のような暑さもなく、やわらかい暖かさと青空が広がっています。 昨夜はお互い別々で飲んでいたので、今日は一緒にランチでも行こう、 と旦那とランチに行く事になりました。 天気も良いので、エクササイズも含め自転車で 自転車をこいでいると、金木犀の香がどこからも漂ってきます。 街全体が、金木犀の香り。 いいにおい~。 旦那が初めて日本に来た時、フルーティなにおいがすると言っていた。 旦那の妹が来た時も、同じ事を言っていた。 もしかしたら2人とも、9月のこの頃に来たのかな。 そうだ、確か妹が来たのは9月だった! あ、そういえば私の父親が庭の金木犀の花のにおいを旦那にかがせていた事があった。 やっぱり2人とも一度はこの時期に日本に来ていたんだ。 よくアメリカはファブリーズのにおいがするとか、インドは香辛料のにおいがするとか聞くけど、 この時期日本に来る人には、日本は花のにおいがするって思ってもらえるかな、エヘヘ。 今日自転車に乗っていて、 金木犀を植えてる家や公共の建物の周りに金木犀が植えてある場所が 多い事に気がつきました。 だからいろんな場所でいい香りがしてるのね。 いいにおいだと思うのは、やっぱりみんな一緒なのですね。 いつか私も広~い庭の家に住んだら、金木犀を植えたいな。 フリーページのところに、自己紹介バトンを追加しました。 自信持って言えるような経歴もないんですけど、お暇な方は覗いていって下さいな☆
2006年09月24日
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先週の明け方、突然息が苦しくなり目が覚めました。 肺、肺、肺が苦しい~!!! ど、ど、どうしよう。救急車でも呼ぼうか。 い、いや、でも苦しくて眠りにつけないだけで、他はいたって普通だし。 ネットでも開いて意識をそらせばいつの間にか消えるカナ。 そう思いパソコンをつけ、 しばらくしたらちゃんと眠くなって来たので寝室に戻った。 そしてそのすぐ数日後、また明け方に同じ症状が出たので、さすがにその日は旦那に呼吸器系の病院に連れて行ってもらいました。 先生に症状を説明して、肺活量を調べると、 私は気管支喘息 になってしまった事が分かりました(ガ~ン) 原因は色々あるようだけど、アレルギーが一番有力視されているという事なので、 ハウスダストネコ(ナントカ)ダニ この3つのアレルギー反応のテストをしました。 うちはネコちゃんを3つも飼っているのに、ネコアレルギーだったらど~しよ~ そんな悶々とした日々を送る事1週間。 今日やっとアレルギーテストの結果が出ました。 結果はハウスダストとダニがレベル3。ネコアレルギーは0でした あ~良かった。 でも毎日掃除機なんてかけないし、なんてノンキな事は言ってられなくなりました。 ずっと前からホコリに弱い事は自分でも分かっていたので、これを期にエアクリーナーも欲しい。 あれって使うと本当に部屋の空気が新鮮になるんですよね!! アメリカではずっと使っていたんだけど、こっちの電気屋さんのは値段が高いので買えずにいました。 よし!この際旦那に頑張って買ってもらおう!!(ってオマィも早く仕事探せ) 先週の発作以降、毎晩夜になると呼吸が苦しくなり始めるので いくつかの飲み薬、貼り薬と、ステロイドを処方されていました。 ステロイドって怖いと聞くので、本当は朝、晩、と1日2回飲まなくてはいけないところ、 夜の発作が始まるギリギリまで待って半分に割って飲んでいました。 そして昼の間は発作は起きないので、朝の分のステロイドはパス。 それでも喘息のコントロールがよく出来ているという事で、今週からステロイドは飲まなくていい事になりました。 その代わり、よく喘息の人が持っているシュっと吸い込むタイプの、吸入ステロイドというのを使う事になりました。 吸入なら経口より何倍も薄いから、ほとんど服作用がないんだそう。 経口だろうが吸入だろうが素人にとってステロイドと聞くと怖い感じがするけど、 発作が起きると苦しくてツライので仕方ない、使うしかない。 このスプレー、、、私も喘息の仲間入りをしてしまったんだなぁ・・・って感じさせられます、ハァ。 今まで病気とは全く無縁だったので、自分の体に問題があるって思うだけでストレスが溜まります。 健康が何より、だよねぇ。 ちゃんと治るといいケドなぁ・・・。
2006年09月22日
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仕事辞めてから 友達に誘われる時と週末以外 引きこもり している私。 最近になって夜は涼しいけど昼間の内はまだまだ蒸してるし、 外に出れば何かとお金を使う。 家にいれば涼しいし無駄遣いもしない、 けどど~ってもヒマなのよね・・・。 ウチは朝がゆっくりだし、私も旦那も朝は食べない。 旦那はいつもギリギリまで寝て、起きて支度してササっと仕事に行くだけだし、 だから料理するのも夜だけで、 掃除も毎日は掃除機かけないし。 結局一日中テレビとパソコンをつけっぱなしにしたまま、ダラシのない生活を送っている。 なんか自分がルーザーにでもなった気分。 仕事しなきゃ仕事しなきゃって気持ちばっか焦るんだけど、 ロクな場所がない。 この前も面接の電話をかけたけど、店長だと言う男にあ~だこ~だくっだらない長電話をされ、 終いには私が質問した事に対し揚げ足を取り、またそこであ~だこ~だ。 馬鹿かオマエはと思い、また考えてからお電話します、とさっさと電話を切った。 最近、一応子供が欲しいと思っているので、今から正社員で働くのも気が引ける。 それにもうオフィスで働く仕事って、自分にはとことん向いていないと思った。 でもサービス業となると、週末休みは難しい。 は~・・・・・。 子ナシの専業主婦って一体何をしているのかしら? 最近ニートという言葉がよく使われているらしいけど、これってもしかして私の事?! この前みんなで飲みに行って、 2件目は外国人のゲイバーに寄った。ここは私が学生の頃から有名なお店。 ホステス(?)達は本物の女性よりも女らしくて、体系も見とれるほど細いしウェストもくびれている。 そして話す事が超面白い。 ゲイの中に1人、昔は男としてホストクラブで働いていて、 同僚を好きになってしまい、客にヤキモチ焼いているのがお店にバレて クビになったという人がいた。 今はホステスとして働いているけど、前はホストだったので 女性客の扱い方も良く知っている。 歌も上手いしダンスがとーーーってもかっこいい おっぱいもちゃんとあって、 大事な所も手術してあるんだけど、 なんかちょっと惹かれてしまいました・苦笑 私の知り合いが外国人ホステスを扱うお店を経営しているんだけど、 日本のホステスになりたい人達は、エンターテイメントビザというのを取るために オーディションを受けてから来ると言っていた。 でも最近はそのビザを取るのがすごく難しくなっていて、 そのゲイも日本で働くのがなかなか大変だと言っていた。 そんな時に、日本人のゲイと知り合って、 結婚して 今では配偶者ビザで働いているんだって。 複雑なんだけど、 このオカマちゃんは本当は男だけど男が好き。その日本人は女なんだけど女が好き。 だからこの2人の間には何の愛情もないんだけど、でも書類上は一応夫婦になっているらしい。 面白いんね。 土曜日はまた大勢で集まってのBBQ。 今週は先日浅草に一緒に行ったおばちゃん夫婦の家で 騒ぐ事になっています。 今まで外国人と話す機会がなかったからと言って、私の旦那や友達と交流出来る事をすっごく楽しんでくれているよう。 自分がこの年になって思ったけど、 40代、50代ってまだまだ若いですよね。 ここではおばちゃんなんて書いちゃってるけど、 本人の前じゃとても"おばちゃん"なんて呼べません。本人の前では"オネエ様"です・笑 とにかく若い若い。 時々このお姉さまと飲みに行ったり買い物に行ったりするのだけれど、 私の方がお洒落に気を使ってしまう程。 重ね着とかアクセサリーとか、上手に取り入れているし、 まゆ毛ももちろんアートメーク。 そしてこの前はまつ毛のエクステもつけていた! 美人なのでよく似合っていて、年寄りが頑張っているという風にも見えないところがまたいい。 だから私にも良い刺激になっています・笑 (フツーは逆だろぉ~!!) 最近はお年寄りを見ても、おじいちゃん、おばあちゃん、と呼び辛くなりました。 だって自分だって年なんだから・汗 週末は何かと楽しいんだけど、 仕事してないという事だけで楽しさも半減。 やっぱり毎日ちゃんと仕事をしているからこそ、週末が楽しいのだと思います。 早くニートから脱出したい~~!!!
2006年09月07日
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土曜日は友人達と浅草サンバカーニバルに行って来ました。 このサンバカーニバルは、本場さながらの衣装をまとった人達が、ダンスを踊りながらのパレードで、 最後にはコンテストがあります。 浅草の駅を降りると、人、人、人でごった返していて ほとんどパレードなんて見れる状態ではない しかたがないので、パレード前のチームが 直前の練習をする広場に行って、 しばらくそこで練習風景を見る事に。 その広場にも沢山の人が集まっていたのだけど、 南米の友達は 広場から聞こえる音楽に吸い込まれるように近づいて行き 音に合わせて踊り出した。 私は踊るために生まれたのよ と普段から言っている彼女のダンスはとてもカッコ良く、 周りの人達からも注目を集めていました。 カメラを持った人達からも、パシャパシャ写真を撮られていて、 ついでに隣で踊っていた私も 沢山写真を撮られました 大きなカメラを持った人達もいたので、 どこかに載ってしまったらどうしよう?なんて・笑 サンバカーニバルと聞いていたので、出場しているのはあっち系の人達なのかと思っていたら、 ほとんどが日本人でした。 ものすごい派手でほぼ裸のような衣装を着て 底の高いヒールのせいもあり、みんなスラーっと背が高く、 スタイルも良くてキレーぃ 女の私でも彼女達の体に目がいってしまいました でもやっぱり一番目が留まるのは、本場ブラジル人チーム。 体つきももちろん、なんかもうどーっしりと構えているというか、 雰囲気だけでも圧倒されるものがありました。 カッコイイーー!! お正月に行く浅草寺とはまったく印象が違い、 こんな人達(後ろはTバック) がフツーにお寺の横を歩いているので、 とぉぉぉーーーってもオカシな光景でした・笑 パレードが終わって周辺を歩いていると、 細い通りからズンドコズンドコ、 サンバが聞こえてきます。 楽器を持った人達がリズムを取り、 集まった人達が踊りだします。 不思議な形の太鼓、楽器、笛などで、 みんな楽しそうに体を動かします。 熱い国、が思い浮かばれます。 ラテンの音楽がこんなにも知られているなんて。 みんなどうやって興味を持ち始めたのでしょうね。 課長みたいに音楽に魅せられたとか、ダンスが好きとか、私みたいに友達を持ってからとか、 理由は人それぞれなのでしょう。 初めて会う人達なのに、共通の思いがある、って感じで 親しみが沸きました。 とても熱い時を過ごした、 充実した1日でした。
2006年08月28日
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結局あれから、仕事には行きませんでした。 仕事に行くべきか、行くまいかウダウダウダウダず~っと考えていましたが、 みぃさんにはずぅ~っと長く勤めてもらいたいんだよ、と言いながら 売り上げが悪くなればサッサとサヨウナラ~と社長のやり方もヒドイし、 そんな仕打ちを受けてまで、 "今日から辞めます" なんてこちらからわざわざ連絡する価値もないと思ったので、 一言も連絡せず会社に行きませんでした。 会社からも何の連絡も来ないし、クビにしようと思っていた人間に向こうもわざわざ連絡なんてしてこないだろうし、 これで終わりだと思います。 は~、もう仕事探すの嫌になったよ。 ちょっと汚い話です。 昨日旦那がYou will never guess what I had to clean up today.(今日僕が"何"を掃除しなければならなかったか、キミには想像もつかないだろう、みたいな意) というメールを送ってきた。 木曜日の夜は旦那の大嫌いな子供のクラスがある日。 いっつも何かしら嫌な思いをして帰って来る。 親の目のない場所で、厳しく叱る人もいないので、子供達はやりたい放題好き放題。 動物園と化すなんて毎回だし 前なんて、部屋に置いてある黒板消しをチョークで真っピンクに塗り、 旦那に突進して来たんだって。 ピンクに染まってしまったズボンを、旦那は洗面台でブチ切れながら洗っていた。 この前は、お漏らしをしてしまった子がいたとも言っていたので、 わざわざメールで"何を掃除したか分かるか?" みたいな怒りのメールを送ってくるという事は、、、。 私はそれが何だったか確信があったので、 Poop(ウンチ) と返事を送ってみた。 数時間して、旦那は本当に最悪な顔をして家に帰ってきた。 話を聞くと、 この日は旦那と3歳くらいの男の子と2人だけの授業。 他には生徒も先生も誰もいなく、 オーナーも木曜日だけは、授業が半分進んだ頃に学校に来るんだって。 授業中、その子がトイレにダダダーっと駆け込んで、 ウンチした、ウンチした、 とパンツを穿かずにトイレから出てきた。 そして私の旦那を連れてまたトイレに戻りたがったらしいんだけど、 その途中その子のお尻からウンコがポロっと落ちてきたんだって それでも、慌てて走る男の子の後を追う旦那。 そうすると今度は便器の上に立ち、 あ、ウンチ。 と言いながら 立ったままウンチをし、 そのウンチは見事便座の上に落ちた・・・。 その汚いウンチを片付けている間にその子は自分でお尻を拭き出し、 その拭いた紙を教室のゴミ箱に捨てたらしい・・・。 自分でお尻を拭いた時に 手にウンチがついてしまったようなんだけど、 あれ?ウンチ と言いながら自分の服になすりつけて(拭いて)いたらしい。 教室中はウンチの匂いで充満し、 その子は汚い手で旦那を触ろうとして来るし、 そこらじゅうのウンチを片付けなければならないし、 旦那は怒りで爆発しそうになったらしい。 そうこうしているうちにオーナーが帰って来て、何事もなかったように男の子のパンツを洗っていたそうだ。 そして笑いながら旦那に一言、"Good experience"(いい経験だろう。) と言いやがった。 旦那は正直、オマエに言われる筋合いはない、っと頭にきたそう。 普段から"オムツの交換が嫌だから子供はいらない" と言うくらい下の世話を毛嫌いしている旦那なので、 今回の事件は本当に嫌な事だったようだ。 珍しく ビールはどこだー!! なんて家に帰るなり言っていたし。 かわいそうに・・・。 その子のお母さんが、お詫びに菓子折りを持ってきたんだけど、 旦那は、思い出したくないから、 と言い、今日その菓子折りを他のクラスに持って行ってしまった程。 前から木曜日が嫌いだったので、とうとうオーナーに交渉した旦那。 オーナーはもちろん面白くはなさそうだったけど、他に働いてくれる先生がいるか一応探してはくれるみたい。 いくら何だって、子供のウンコの掃除までさせるなよって私も思った。 もしそんな事も仕事の一環と言うのなら、そんな学校辞めてしまえって私は思う。 とにかく子供の授業が嫌らしいので、 どこか良い働き口があればいいなと思っています。 夫婦揃って求職活動か?!
2006年08月25日
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もうここまで来ると、私には仕事に縁がないとしか思えないわん 昨日突然、今月いっぱいでの解雇を言い渡されました。 理由は、 思いのほか課長が早くに会社復帰して来たので課長の代わりを務めていた私の仕事がもうない事と、 最近売り上げがかなり悪く利益も落ちる一方で 今後もしばらくは回復の見通しがつきそうにない事。 本当に、課長が復帰して来てからの私はやる事がなく、 ほとんど毎日他の課の手伝いに行かされていました。 課長に 私クビになったよ、 と言ったらものすご~っく驚いていたけど、 でも課長はもう前から私に、 こんな会社、あまり長くいない方がいい。 と言っていたので、 すごく驚いていたしショックも受けたみたいだけど、 こうなって良かったんだよ、と言ってくれました。 他の人にも、みぃさんは前もって辞めてくれって言われただけマシで、 他の人はみんな明日から来なくていいって言われていたのよ、 と言われました。 みんなが揃ってこの会社はおかしいと言う理由は、 経理、事務、総務をたった一人でこなし、会社のぜ~んぶをしきっている既出の変わった女の人、 実はこの人社長の愛人で、 事務所には必ずこの2人がいるのだけど、他の人達はこの2人と一緒に仕事をするのが嫌で みんな違う課に行って出来る事は済ませています。 事務所が一番重要な役割を持つ割には他の課とうまくコミュニケーションが取れていないので、 いっつもあーじゃないこーじゃないとモメています。 浮いてしまっている2人だけでは仕事が大変なので時々人を雇うのですが、 この愛人が新人イビリをして辞めさせちゃうか、社長がお気に召さなくてクビにするかのどちらかで、 事務所には長く続いた人がいないのです。 私の場合は以外とこの愛人ともうまくいっていて、社長とも何も問題がなかったので、 周りが驚いていた程。 だから、課長も言っていたけど売り上げが悪いのは本当みたい。 ただ、 時々"これを英文に訳して海外にメールして欲しい" と社長が愛人を通して私に頼んでくる事があったのですが、 海外の宛先は課長しか知らないから課長に聞きに行こうとすると ダメダメダメッ!!!これは課長には秘密なんだから。 と愛人が焦って言う。 何考えてるんだか知らないけど、2人にはそういうこっそりしたところがあり 結局私は宛先を知らないのでメールが出来ないと、 〈全くみぃさんは使えない・・・〉 となる。 私がたまたま宛先を知っていて、 課長に内緒でこっそりメールを送る事に成功すれば、それはそれは気持ち悪い程私の事を褒め上げて、 メールを送る事ができなければ、それはそれはカス扱い。 メールを送った事は課長には内緒にしておきたいらしいし、 時には課長の訳がちゃんとあっているか、 こっそりと確認させられた事もあった。 こういう仕事をする時はいっつも課長に対して罪悪感を感じながらでした。 英語も大した事ないしエクセルもあまり使えない私に、 それでもいいから来て欲しいと頼み、 そしてたった一度、たったの一度だけエクセルに関しての質問をしただけで、 全くあの女はエクセルが出来ない!! と私のいないところで大騒ぎされた。 まぁ仕方がない事だけど、私が活躍した数より、 使えない・・・の印象の方が強く残るもんだと思うので、 私がクビになる理由は私が"使えない"のもあると思う。 今月いっぱいでケリをつけてもらえないかな、(ケリって言い方は何だー!・怒)でももし何か不都合があればもう一ヶ月いてもらっても構わない と言われたものの、 もう一ヶ月どころかもう明日から行きたくなくなる。 でも仲の良かった子は、タイムカードだけ押してあとはここ来て遊んで金だけぼったくってやれー!! と言う・笑 それに私は過去をさかのぼって雇用保険に入っているので、 クビとなればすぐに手当てが出る。 この場合、会社とモメるわけにもいかなくなるので 残りの10日間余り、惨めな思いをしながら嫌でも仕事に行かなければならない。 ちゃんと雇用保険は払っていたわけだし、理由が解雇だし、 もらうべきものは貰っておくか、 お金なんかもらえなくても、惨めな思いして仕事行くよりマシなのか・・・。 全くなんだよー、こんな事で迷わせやがってー!!!
2006年08月20日
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いや~、お盆休みは遊んだ~!! 今年も仲の良い友達8人で 2泊3日のキャンプに行きました。 一年前の日記にも書いたように、去年の出発前はとっても憂鬱だったけど、 今年はキャンプに慣れたせいか、出発前はもうウキウキでした。 場所も去年と同じで夜着いてからテントを張りお酒を飲み、 朝起きて朝ご飯を食べ海へ出て泳ぎ、お昼にBBQをしビールを沢山飲みまたビーチに戻り、 夜もまたBBQに沢山のビール、そしてビーチで花火を楽しみました。 2日目の夜、1人の超大バカ野郎のせいで怪談話が始まりました。 私はその手の話が大嫌いで絶対に盛り上げたくなかったのだけど、 すでにみんなはイェ~イ!!とノリノリ。 私の旦那や友達が怖い話を始めたのだけど、なかでも一番怖い、というか奇妙だった話。 友達の両親が買った土地は、 過去にスペイン風邪で多くの死体が埋められた沼の跡地。 幽霊の存在を全く信じない彼女の父親は その土地を買いそこに家を建てました。 その後次々と不思議な事が起こったり子供やペットが いるハズのない人を見たりしたのだけど、彼女の父親は全く信じませんでした。 小さかった彼女もよく"何か"を見ていて、一時期は毎晩キッチンに真っ黒な人間がボーっと立っているのを見ていたのです。 ある日、庭に誰かが履いた後のようなストッキングが埋まっているのを見つけ、 それを引っ張ってみると、、、 そのストッキングには 終わりがなかった・・・。 いくら引っ張り続けても、 ズズズズ~っと土の中からいつまでもいつまでも出てきた。 それと同時に、今まで家族4人全くをもって健康だったのに、 彼女と彼女の母親だけが、常に具合が悪く病気がちになっていったそう。 彼女は敏感な子で、イスがスーっと横に動いたり、 毎晩キッチンに真っ黒の人間が立っていたのを いつも不思議に思いながら見ていたらしい。 ここでやっと異変に気づいた父親。 彼女の家族はカトリックなので、牧師さんにお祈りに来てもらうようお願いしました。 牧師さんは、<そんな事が有り得るハズはない、しかしそこまで言うなら一度行ってみてあげましょう>とカナリ嫌々だったらしいけど、彼らの家に来てくれる事になりました。 ところが、、、 家に着いて玄関のカギを開けようとしたところ、 カギが開かない。 おかしい・・・。 窓はどうだ? 窓を開けようとしてもピッタリとカギが閉まっていて開かない。 裏口を開けようとしてもビクともせず、 カギさえも見つからない・・・。 家中ピタッと閉まってしまい、 誰も家の中に入る事が出来ない。 この異様な雰囲気に牧師さんは、 この家はおかしい、もう2度と来たくない、 と言い残し帰ってしまったそう。 不思議な事に、牧師さんが帰った後は すんなりカギが開き家に入る事が出来たそうだ・・・。 カギを閉め牧師さんを追い返した"何か"は、そこまでしてお払いされたくなかったのか・・・? 一体何故・・・? その後その家は貸しに出し、 何人かの人はお金を払うから今すぐここを出たいと言い出て行ってしまいましたが、 霊感の強い人が越してきて、チャイムなどを置いてお払いしてくれたようなので その後は何も起こる事がなくなったそうです・・・。 前日は私は車の中で1人で寝ましたが、 この日はテントの中でみんなと寝たのは言うまでもありません・・・。 トイレも旦那について来てもらう程怯えましたよ、私。 あ~、怖かった。 夏場にはつきものですよね、こういう話。 キャ~、怖い怖い。 ビビらせたまま日記を終わらせるのでは 読んでる方に申し訳ないので、 明るい話と言うか、旦那から聞いた笑える話。 今日ウチのネコ達が大脱走してしまいました。片目のウィル以外は外で生活をした事がないので、 脱走したものの他の2匹は家の裏で怖くて縮こまっていました。 家の裏にはフェンスがあり、うち一匹の巨大ネコがそのフェンスと家との狭い隙間で縮こまっていて、 旦那はそこに入る事が出来ず困り果てていた。 ちょうど家のお風呂の窓とそのフェンスが近かったので、 旦那はお風呂の窓を開け、 その窓から巨大ネコを家に入れる事にしたらしい。 うまく巨大ネコを掴み、奴を窓の枠に置くと、 奴は枠からバスタブのフタへとジャンプした。 ところが奴は体重がとても重いので、 そのフタがドッカーンとバスタブに落ち、 ビビっていた奴を余計にビビらせ その時の奴の行動はかなり必死だったらしい。 必死で爪でフタを登ろうとしたけど、フタはツルツルなので爪が空回り。 キキキキーーーッ!!!! やっとフタを登りバスタブの外に出られた奴は、 フギャフギャと相当怒っていたらしい。 怒ったっつってもさ、 脱走なんかするからこういう事が起きるのだよ。 もう悪い事は考えちゃダメよ(笑
2006年08月18日
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旦那が突然、 "大好きなビーフはやめられないと思うけど、他の肉はなるべく少なく摂取したい" と言い出した。 どうした旦那、悟りでも開いたか??! っていうのは冗談で、 この前大量に残してしまった鳥肉料理の残骸を見て、 鳥に感謝したのと 私達のような鳥を無駄にする者ではなく 本当に食べたいと思う人の元へと行くべきだ、 と思ったんだって。 私も、こうやって無意味に殺されてしまった鳥達に心が痛んだし、 私が鳥肉を買わなければ、ほんとうに少ない数だろうけど鳥が救われるかな?と思った。 私はちょうど最近体に良い魚や野菜を沢山食べたいな~って思っていたので、 毎日肉を食べなくて済むのは嬉しい話。 早速スーパーに行って魚と野菜を買い込んだ♪ しかも私が買った魚は、 名前は分からないけど皮が赤くて白身で、酒粕で漬けてあるやつ。 今まではあのニオイだけで気持ち悪くなっていたのに、年なんですかねぇ、今では一番好きな魚になってしまいました。 旦那が魚が苦手なので、今まで家で魚料理さえしなかったのに、お魚デビューの当日からこんな酒粕漬けの魚で旦那は大丈夫かな~・・・ なんて思いながらも、 他の魚はどんな味がするかも分からないし、 こうやってちゃんと切れて冷凍してある魚以外、 料理の仕方も分からない・・・。 もし旦那が残したら私が明日にでも食べましょう♪ と思いとりあえず酒粕の魚を買った。 和食という事であとはお味噌汁と"たくあん"が必要でしょう~・笑 後はサラダが欲しかったので、シーザーサラダを作りました。 結構ニオイもキツかったけど、 旦那は酒粕の魚を全部食べる事が出来ました♪ 日本の魚には骨があるので、 旦那は口に入れる前にお箸でつまみ上げよ~っくチェックして、 骨らしきものには指でチョイチョイっと触って確認しながら食べるので、 食べるのが超~遅い!!! そしてたくあんも、ちゃんとポリポリ音をさせて食べていました・笑 どうやら旦那はたくあんも嫌いではなさそうなので、 たくあんもっと食べれば?の意味で たくあんを指さしながら "たくあん" と旦那につぶやいた。 そしたら旦那が"Take one" と言うので "は?たくあん" と言ったらまた旦那が "Take one!" と言う。 だから "I said TAKUAN" と言ったら、 "発音が間違っている!!" と言うではないか!! 私は"This is called TAKUAN....." と言うと、 うちの旦那 "ああ、間違った発音をわざとしているんかと思った~" だって・・・。 でもこれ聞いた時は2人してかなりウケました・笑 要するに、私がたくあんを指さして たくあん と言っていたのだけど、 旦那は私が一つ取って(Take one) と言ったのだと思ったんだって・笑 まぁたくあんと言ってもたくわんっぽくなりますからね、ハハ。 テイクワン、テイクワン、テクワン、タクワン、、、たくわん・・・。 あ、あれ?読んでいる方、い、意味分かりましたよね・・・? ・・・・・。 今まで夢に描いていた、 旦那と魚の食卓を囲む、というのが実現して嬉しかったけど、 ご飯茶碗はないわ、たくあんを置く気の利いた小鉢もない・・・。 しかも初めて?くらいの純和食(と言ってもただ魚とたくあん、お味噌汁だけだけど)、 骨を分けたり お皿に残ったご飯粒一粒一粒つまんだり、と久しぶりにお箸を長時間使ったので、手の甲が痛くなってしまいました・・・。 トホホ~。 それではおやすみなさい。 アイタタタ・・・(><)
2006年07月10日
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仕事はとても順調です。 働いているっていう感じがして気持ちがいいです。 でもまだたったの3日目なのに思った通り仕事はどんどん難しくなっています。 今日なんて、緊急の連絡を訳して欲しいからすぐに来てくれ、と違う部署に呼ばれ、 これ何て書いてあるか今訳して と言われてしまい、 たまたま分かる内容だったので窮地を脱しましたが、 とってもとっても焦る思いをしました。 他から送られてきたFaxは、何かの薬剤の説明。 初めて見る記号とかもいっぱいあるし、 パーツのある部位にはこの薬剤が必要でとか、 そんな事まで知らねぇっつーの! 一単語一単語、ぜ~んぶ辞書を見なければ何一つ訳せませんでした。 それに業者から送られてくる見積書だの納品書だのを英語で見るのは この仕事で初めての事なので、 例え簡単な単語だとしても知らない言葉が沢山。 もし分かる単語があっても、 意味は分かるけどそれを日本語にするのがとても大変。 例えばの話だけど、普段使っている"コンピューター"という言葉。これを日本語に訳せと言われて、すぐに訳せますか? 考えちゃいますよね? そう、それはもう最初から"コンピューター"という言葉で頭が覚えてしまっているから。 "スピーカー"もそう。日本語で何て訳すか、一瞬考えてしまいますよね。 日本ではお決まりの英語だけは知っていたけれど、 実際に使う言葉はアメリカで覚えた私。 なので分からない単語はぜんぶ英英辞書。 または旦那や友達がよく教えてくれたもんだ(遠い目)。 その時は、アメリカに住んでるわけだし英和辞書を使ってわざわざ日本語で覚える必要もない って思ってた。 それが今となって仇になったらしく(笑)ピタ!っという日本語を当てはめるのが とても難しくなってしまいました。 あ、そうそう、今日全然意味が分からなかったのはこれ↓Order turn around time これってどういう意味ですか?? 新しく取引する会社から送られてきたquotationの、 注文の仕方、みたいな部分にそう書いてあった。 ハッ!!!!! 今、turnaround timeで調べてみたら、 納期と出た・・・。 仕事中、あれだけ一生懸命調べて分からなかったのに、 今ただスペースを抜かしてみて調べたら 簡単に訳が出た・・・。 汗汗汗汗汗 私何て訳したか覚えてないんだけど、 確実に、注文納期とは訳していない・・・。 やってもうた。 でもまぁきっと、意味は分かってもらえるよね 今までどうにかこうにか海外と英語でやりとりしていた男の人が、今ちょっとお休みしているんです。 その人の過去の仕事も見せてもらったけど、 ずっとその分野で働いてきた人らしいので、 怪しい英語ながらも私よりはデキるっぽい。慣れてる感じ。 その人が出てきてくれれば、会社宛へのメールの書き方とか貿易の基本的な事を教わる事が出来るので、 早く出てきておくれ~!!!!! 最初の日記で、触り程度に一緒に働く事務の人が ちょっと変わってそうな感じと書きましたよね。 やっぱり、とっても変わっていました・・・。 私がちょっと何かを間違ったりすると、 大騒ぎをします。 今日、会社の古い方のノートパソンコンで作業をしていた私。とある画面で、 ここではマウスは使えないから矢印キーで操作をして、と彼女に言われた。 ノートだと、マウスと同じ役割をするタッチパッドがありますよね。 マウスが効かないという事はもちろんこのタッチパッドも効かないのだけど、 ついクセでタッチパッドに手が行ってしまったんだよね。 そしたら、 だ!か!ら!マウスは使えないって言ってるの! と大声を出された。 私はマウスを使っていないので、 え?マウス使っていませんけど?・・・ と言ったら、 同じ事じゃない!聞いた?!聞いた?!社長今の!!!この人マウス使っていませんとか言いながら使ってるしーー!!! と思いっきりバカにしながら騒ぎまくっている。 なにこの人ぉ・・・ ちょっとタッチパッドに手が行ってしまっただけじゃん。 ってかマウスって言うから悪いんだよ、だったら最初からタッチパッドと言ってくれ。 というより私が言い返したのが気に入らなかったようだ。 まさかこっちだって タッチパッドの事をマウスの意味で言ってるとは思わなかったし 他にもちょっと間違っただけで、口に手を当て腰に腕を回しオーッホホオーッホホ!! とザマスのように笑われた・・・。 総務兼営業プラス翻訳の私は毎日忙しくて、もうお昼のお茶を入れに行く時間はない。 今はまだまだ彼女を頼らないと無理だけど、 仕事に慣れてきたら適当に彼女をあしらえるようになってやる。 10年選手のお局と、女同士の戦いだわ。
2006年07月05日
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前回の仕事を辞めて(クビか?!)から一週間足らず。 遠い遠いところから仕事の話がやって来て、 なんだーかんだで今日は出勤1日目でした。 スーパーにいた時一緒に働いていたパートのおばちゃんの息子さんの知り合いが(長!)、 会社で英語の喋れる人がいなくて困っているという事で、話だけでも聞きに行ってくれないか? と私の所に連絡が来たのです。 知り合いじゃなければ真っ先に断っていた話だけど、知り合いなだけに断り辛い・・・。 仕方ない、行くだけ行ってみるか、 のハズが、 あれよあれよという間に話が進んで行って、即決で仕事が決まってしまいました。 でもこの会社は朝8時から、と早く帰りの遅い旦那を持つ私にはかなり辛い。 なのでパートならという事で引き受けました。 この会社はケータイやら何だったかのパーツを作っていて、それを海外に発注している、ようするに工場。 海外から来る英語での受注メールを私が訳してそれを上の人に送り、 その上の人が指示する日本語を私が英語に訳しその海外の会社へ送り返す、というような感じ。 日常英語かもしくはそれより更にレベルの低い私なのに、こんな仕事、一体勤まるのかしら?って感じ。 でも、取引会社の本社はアメリカなんだけど、子会社は各国にありもちろん英語圏でない国もある。 そしてそういう国とのやりとりも沢山あり、彼らの英語もかなり怪しいらしいので、 あまり話せなくても心配しないで欲しいと言われた。 とりあえず今日のメールのやり取りは簡単なものだったけれど、 これから部品の名前や出入荷方法なども覚えなくてはならないし、難しい内容がどんどん増えてくるであろう事が 容易に分かった。 生産管理の難しい単語がズラズラ~っと並べてある表を見た時にはもう、 めまいがしそうでした。 電話でのやり取りもあるので、発音もきちんとしなくちゃならないし。 時間の空いてる時は本当にただの事務というか、雑用係り。 電話応対、伝票整理、書類の作成、お昼になれば工場の人達のお茶の用意、 一番、最も、私が避け続けてきた職種なので大丈夫かしら、と先が心配。 "御中"とか"お"や"ご"を消すとかなんて、中学だか高校の授業で習った以外使った事もないし、 一般常識なんだろうけど、 重要なお客様が来た時の対応も、 上品になんか無理無理。 そんな丁寧な言葉使ったらベロ噛んじゃうよ。 実は今日出勤するまでは、ここまでするって細かい話は聞いてなかったんだよね。 でも会社は私に辞められては困る、と、私が出勤した時には色んな物を買い揃えておいてくれた。 広いけどあまり綺麗ではない事務所の、私の机だけがキレーになりすぎてて浮いていた。 そしてシャープペンからマウスまで、細かい事務用品を全部私に(無理矢理)選ばせ注文してくれた。 こうやって私を辞めづらくしているらしい。 今までも何人か雇っていたらしいけど、訳から雑用まですべてこなしていかなければならないので、 みんな辞めて行ってしまったんだって。 まぁ私は今までスーパーで働いていたワケだし、 この年でたいした経験もないし、 ここまで来ればもう高望みもしないワ。 もう一人いる事務の女の人も、 変わっているけど嫌な人でもなさそうだし。 と~っても怖~い係長とは私は直接やりとりしなければならないらしいけど、 なんとかうまく対応して行ければと思っています。 また喧嘩して辞める事になったりして? とりあえず、新しい仕事、これからまた頑張ります!!!
2006年07月03日
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この前友達とサッカーの事で話していました。 友達は私に"イングランドは強いんだよ~"、と言いました。 あまり、と言うか全然サッカーの事が分からない私は、 あんなミーハーなベッカムがそんな強豪のチームにいたんだという事に改めて驚き、 私は、あれ?ベッカムもそうだよね?ベッカムもイギリスだよね? と友達に聞きました。 友達は一瞬迷って、あれ?イングランドってイギリスだっけ?!! と言いました。 また別の友達と、サッカー大ファンのブラジル人の家で サッカー観戦しながら飲んでいた時。 またこの友達も、あれ?イングランドってイギリスだっけ? と言いました。 その度にそうだよ、と答えていた私も、2,3日経った後になんだか不安になり、 イングランドってイギリスでいいんだよね?と旦那に聞いてみた。 旦那は、"何で日本人はイギリスって言うかは知らないけど、イングランドは日本で言うイギリスだよ"、と言いました。 そして、この前テレビなどを見てて、なぜ友人達がイングランドってイギリスだっけ?と立て続けに言った意味がようやく分かった気がしました。 それは今回のイギリスの国旗。 イギリスの国旗と言われればすぐに思い浮かぶのはユニオンジャック。 かわいいミニクーパーのボンネットとかにこの旗が描かれていたりしますよね。 でも詳しく言うと、イギリスは4つの国からなっているのでサッカーもこの4つの地域にそれぞれ代表チームが置かれているんだそう。 そしてもちろんこの地域ごとに、それぞれ違った国旗がある。 今回のワールドカップ出場になった地域は、 イギリス(4ヶ国連合王国"United Kingdom")の中でもイングランドのみ。 なので当然イギリス代表のユニオンジャックではなく、 自分達の地域の国家を掲げますよね。 なので今回ワールドカップのイギリスは 滅多に見かけない白地に赤い十字のイングランドの旗 で出場してるので、 ユニオンジャックではないのです。 滅多にイギリスの事をイングランドと言う事のない日本人の友達にとっては、 この旗のせいで混乱したのかもしれませんね。 ここで普段見慣れたユニオンジャックを目にしていれば、イングランド=イギリスってすぐに分かったのかも。 そして私って足りない?って思ったのは、 イギリス人の友達に"イングランドに行ってみたい~" っていつも英語で言っていて、 日本人の友達にも"彼がイギリスを案内してくれるんだって~" と日本語で言っていた私。 なのに、自分がイングランドという言葉を知っているという事に今まで気づいた事がなかったのだ。 友達にイギリスってイングランドだっけ?って聞かれた時に、う、うん、そうだよ、と言いながらあ、そうだイギリスってイングランドだったんだって思ったんです。 イギリス人の友達にイギリスに行きたい、ロンドンに行きたいと英語で騒いでいたのだから、 自分の口から何度も"イングランド"という言葉は出ているハズ。 なのに自分がこの言葉を使っていた事に自分自身驚いてしまったのだ。 夫婦では英語のみの生活がもう4年も続いているのにこんなようじゃ、 私はいつになっても完璧なバイリンガルにはなれないよ!・恥
2006年06月29日
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全くワケが分からない・・・。この前の金曜日出勤したら、月曜日からの私のシフトが書いていない。 その日は店長がいなかったので、一緒に働く人が店長に連絡をして私のところに電話をくれるハズだった。 そして今日は月曜日。結局誰からも連絡は来なかった。 店長はとてもいい加減な人らしく、10時までに帰って来るよ、と言って出て行って、絶対その時間に帰って来ない。 レジの小銭を十分に補充するのを忘れ、お客に迷惑をかける。 注文した商品を忘れる、 などなどかなりいい加減な男。 でも私は、 店長が私に連絡するのを忘れたのではなく 私に辞めて欲しいのかも、、、 って思える事が幾つかありました。 面接をして、3日後に結果の連絡をしますと言われ、見事に合格(パートなのにちょっと大袈裟だけど) そしてシフトの事など細かい話がしたいから、と次の日またお店に呼ばれた。 もう今度は面接じゃないし、別に出勤しに行くわけじゃないし(仕事と言ってもただの売店)髪の毛も垂らしてTシャツとジーンズでお店に行きました。 もう面接は終わっているのに また履歴書を引っ張り出してきて、 2時面接みたいな感じ(ただのパート、しかもただの売店なのにアホらし) 私の格好を見て、「おぉぉ~、派手だねぇ~」 ってかパーマかかってるだけじゃん。格好だって地味なTシャツとジーンズだし アクセサリーだってつけてないし・・・。 そしてシフトの話をしていた時、、、 私は面接の時午後出勤を希望していてでも午前中からでも問題ありませんと言ってあった。 そして店長も午後は人がいないのでそれは助かる、と言っていた、 ハズが、、、 その日になって、やっぱり午前中から出勤して欲しいので一度家に帰ってよく考えてからまた連絡下さい、と履歴書を返されそうになった。 私は午前出勤でもいいって言ってるのに・・・。 私はちゃんと一度面接していて、また今日こうやってわざわざお店に出向いて、また家に帰って考えて、 一体何回話し合いをしなきゃらなないんだ?! ムカついた気持ちを抑え、「午前中からでも特に問題はありません」 と伝えた。 そしたら今度、 "午前中オッケー"と私の履歴書に記入しようとした店長、 「あ、履歴書に書いちゃダメだよねぇ・・・」と言って自分が持っていたメモに""午前中オッケー" と書いていた・・・。 普通、採用した人の履歴書は返さなくていいんだから、店長がそこに何を書こうがもう私の物じゃない。明らかに履歴書を私に送り返そうとしている。もうここで、この人私を採用した事を後悔しているんだと思った。 そして極めつけが、 なんだかんだで初出勤してネームプレートを貰ったのだけど、何で名前を書かないの?と周りの人に言われてるにも関わらず、ネームプレートに私の名前は書かず "研修生"とだけ・・・。 見習い期間はないハズだったのに、 「とりあえず今週だけ様子を見ようか・・・。」 とりあえず今週だけ・・・? そしてその"今週"が終わったら、 連絡さえありゃしない・・・。 一体何なんだーーーーー!!!!! 私を雇った事を後悔している店長の波長が私にはヒシヒシと伝わっていたし、 こんな状況で私の方だって連絡しづらい。 色んなムカツク会社はあったけど、こんな扱いを受けたのは初めてだよ。 今日出勤しなかったのに連絡も来ないっていうのが結果だと思う事にして、 また新たに職探しをする事にしました。 ダルー・・・・・。 でも私も3日間働いただけだけど、働いてる間中ず~~~っと変な違和感があった。 だから今回の事は良しとしよう・・・。・・・。
2006年06月26日
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前の仕事を辞めてから、 ハローワークに行ってみたり、 今までメールだけでしばらく会っていなかった友達と会ったり、 何とかヒマな時間をしのいでいました。 私は土日休みの、1日4,5時間で週3,4日程度の仕事を探していたのだけれど、 ちょうどよく車で家から10分程の 病院の中の売店のパートがこの条件で募集を出していたので、 面接に行って無事そこで仕事をする事が決まりました。 しっかし面接に行く度にいっつも思うんだけど、 面接っだからっていい気になりやがって、 人のプライベートな事を聞きすぎ。 過去の日記にも書いたけど お子さんは?(履歴書にちゃんと書いてあるダロ?!)いらないと言ってもいつかは作らなきゃでしょう?(大きなお世話なんだよ!!)ご主人のお仕事は?(アンタに関係あるのかい?)珍しい仕事ですね、普通に日本人の方ですよね?(あぁまた始まったよ・・・) まぁきっと私も旦那がガイジンじゃなければそうだったのかもしれないけど、興味シンシン。 この質問は絶対どこでも出てくるんだけど、アメリカのどこに住んでいたかとか、夫婦の会話は英語かとか、 面接の後半はもう私と旦那のプライベートの事ばっかり!!! なんで初対面の人に個人的な話をしなきゃならないんだ しかも子供の事なんて、いらないんですって言ってるんだからそれ以上突っ込むなっつーん。 でもまぁとりあえずパートは見つかりました。 今度の水曜日から出勤です。 倦怠期ですが、 旦那の良い部分は分かっていながらもまだまだ続いております。 自分が嫌だなって思う事を旦那がすると、 必要以上に反応して旦那に毒を吐いてしまいます。 昨日はこんな事がありました。 最近の旦那の趣味はCG。数ヶ月前に新しいソフトを入れたので、まずは旦那は自分の好きな車をCGで作っていました。 そして最近は腕や足など人の体を作っていました。昨日私が画面を覗きに行くと、映っているのは壁紙だけで他には何も映っていませんでした。 絶対CGやってたハズなのに画面が出てないなんてな~んかおかしいと思ったらやっぱり! ミニマイズされていた画面をクリックしたら旦那が作業していた女の体が現れました。しかも胸・・・。 凹凸を線でつないだだけの三次元人体の画像なので、(こんな感じの)アニメのようなああいうオッパイとは全く違うのですが、 どんな技法であろうが私は女の体を描くオタク男が大ッ嫌い!! それに旦那はちょうど他のプログラムを見ていたからだと言ったけど、私に見つかりそうになったから画面を隠したのは間違いない。 そこからもう喧嘩が始まり、気持ち悪いんだよ!!私はオタクと結婚した覚えはないんだから!!!私と離婚すれば好きな事もできるしオタクにもなれるんだから離婚したら?! とすごい勢いで攻撃した。 旦那も旦那でそりゃ応戦してきたけど、結局サッカーが観たかったのでテキトーに終わらせた。 今は旦那の事がウザい時期なので、嫌な事をされるとすぐムカっとくる。 私がこんな事を旦那にされたらきっと耐えられないし、と言うか耐えようとも思わないだろうし、すぐ離婚になっていると思う。 でも旦那は絶対に離婚なんてしたくないと言う。そして頑張って作っていた体のGCも削除して、もう絶対に作らないと言った。 私は旦那を自由にしてやりたいと思っている。私がいなければ好きに絵が描けて好きな事が出来る。旦那にあーだこーだ言って押さえつけてる自分もすごく嫌。 少しの間、実家でも帰った方がいいのかしら・・・。
2006年06月19日
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今月で結婚してから4年が経ちます。 今までずっと、私は最高のパートナーに巡り合えた と思っていた。 そして回りからも"みぃがパートナーとこんなにも仲良しだなんて!!"とからかわれるくらい仲も良かった。 たまにはちょっとした言い合いなんかはしていたけど、基本的に喧嘩が少ない夫婦です。 旦那と日本に移住して来てからもずっと運が良く、 とても便利なロケーションのローンのない持ち家に住み、 毎月の支払いと言えば光熱費や携帯のみ。 優しい旦那を持ち、 決して裕福じゃないけど毎年1,2回は海外旅行にも行けているし、 子供がまだいないのでカネはないけどカナリ自由な暮らしが出来ている。 それなのに・・・・・・・・・ 今の生活が、退屈で退屈で仕方ない。そして旦那に対しても好きという感情がなくなった。 私にとって旦那は初めての外国人なので、 もっともっと色んな国に行って 色んな国の男の人とも出会ってみたいと思った。 それか色んな国に少しずつ住んでみて、いつか世界を見て回ってみたいと思った。 私は思った事をそのまま口にする方なので、 この前旦那にそのままの事を言ってしまった。 "今の生活に飽きてきた""色んな人と出会ってみたい"←さすがに男とは言えなかった・・・。"1人で生きてみたいと思った" 楽しくサイパンを過ごしてきたと思っていたので、旦那はものすごくショックを受けたようだった。 私は旦那に打ち明けるだけ打ち明けて、眠たくなってきたのでその後すぐに寝室へ行って寝てしまった。旦那は私と一緒について来た。 次の日ベッドの上でまた昨日のような話になり多分また、すごく旦那を傷つけたと思う。 旦那に"腹は立たないの?"と聞いてみた。 旦那は"色んな人と出会ってみたい、イコール他の人とも付き合ってみたい、だろう?そんな事を言われて平気だと思ってる? 昨日は本当に頭にきて、部屋を、家を出て行こうかと思った。 でももしここで家を出たら きっとみぃが怒って、事は更に悪くなるだろうと思って抑えた。 みぃを怒らせて、みぃの僕に対する冷めた気持ちをこれ以上強くさせてしまう要素をひとつでも作りたくなかった。 だから家を出る事もしなかったし、平然とするようにしてたんだ。" へぇ、そんなに怒っていたようには見えなかったよ、役者め。 でも逆に私が旦那から同じような事を言われていたら きっと大爆発をして、 旦那のように振舞う事は絶対に出来ないだろう。 よけいに嫌われると分かっていながらも、旦那を責めて責めて責めまくっていたと思う。 こんな旦那の発言を聞いて、すごい。冷静な判断力を持った人だな。私の事が本当に好きなんだ。 ととても感心はしたのだけれど、 私の気持ちはなかなか戻って来ない。 倦怠期には夫婦で旅行に行ったり、または友達と出かけたり趣味に身を投じると良い、 と書いてあったけど、そんなんいつもやってる事だし。 私は一つの所に立ち止まっている性格ではないので、 何か大きな変化が欲しいんだと思う。 なんだろう・・・? 私は色々事情があって不倫は大反対派なので、浮気をしたいとは思わない。 今までオオオ~!!!カーッコイー!!って思った人もいるけれど、それは頭の中で夢を見るだけ。 浮気をして今の結婚生活に傷を残したくない。 しかも一つの事に集中型なので、 両方の男を両立するのは私にはムリ。 一瞬別居、なんて考えてみたけど別居なんかしたらきっと私の気持ちは離れるだけになってしまう予感・・・。 旦那もその通りここで別居したら終わりだと思っているらしい。別居も結局は離婚と同じだ、と。 もしここで別れても、新鮮で楽しい恋愛は出来るかもしれないけど、いつかまたこうやって飽きてくる時が来ると思う。 それは頭では分かっているのだけど、そしたらまた別れて別の人を探せばいい、結婚はしないでいつまでも恋愛していたい、 なんて夢を描いている。 私の知り合いでもう40代後半だけど、若い頃に離婚をしてからずっと恋愛だけをしている人がいる。自由に暮らしていてそれはそれで幸せそう。もう結婚には興味がないんだって。 一生に一度の自分の人生、1人の男とこれから一生を共に生きて行くのが正しいのか、それの何が幸せなのか、 それとも自由気ままに生きていくのが自分の為なのか、 自分にとって何が一番良いのか分かりません。 倦怠期って、乗り越えるものなのか、それともそれを期に心機一転するべきなのか・・・
2006年06月09日
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全くムカつく。 私がちょっとレジから離れりゃすぐ仕事サボってるって疑いやがって。 私仕事だってマジメにするし、疑われるような事なんかイチイチしないっつーの。 何もしていないのに見張られてるのも、 いい加減嫌ンなるのよね。 私がほんの数秒仕事で裏方に行っただけで、すっ飛んで私の様子を見に来た店長。 あまりにもムカついたので、 いちいち人の事疑うのやめてもらえます? と言ってやったら、 アララ何か勘違いしちゃってるのね、俺はただタバコを吸いに行っただけだよ。 だって。 あそこはタバコ禁止です、タバコは事務所だけにして下さい ってアンタいっつも言ってんじゃんよ。ってか私の仕事している姿を確認したら、 気分良さそうに戻っていったじゃん。 あれあれタバコを吸おうと思ったんだよねぇ。 いかにも、こちら側が勘違いしてるように仕向けいっつもこちらが悪いかのように話をすり変える店長にはもう う!ん!ざ!り! そうやって自分の非をうまく人になすりつけ、影で笑っているこのバカ男。 パートにばかり仕事させ、その割には自分が一番出来る人間だと思い込んでいる。 もうこれ以上アンタには付き合いきれないよ。 それに田舎のクソジジィ、クソババァ達よ、 アナタ達の呆れる程の図々しさにももう、 う!ん!ざ!り!!! レジ休止中って書いてあるの、読めないの?図々しく勝手にどかさないでよ。 大丈夫よね、じゃないんだよ。大丈夫じゃないから休止中って書いてあんの。 値段間違ったからって、汚い言葉とクサイ息でそんなに憤慨しないでよ。 ある意味ショックで倒れそうだよ。 人間間違う事だってあるでしょ? 私だって全ての商品の値段を知ってるわけじゃないんだから。 この店で働いてきたこの1年半近くの間で、自分の心がみるみる病んだのが分かる。 もうこういうセコイ客どもを相手にするのは疲れたよ。 結局私にも向いていなかったんだろうね。 パートのおばちゃん達全員とはとても仲良くやっていたので、こんな形で辞める事になっちゃって悔やまれます。 そうなんです、監視されたうえ更に私が勘違いでもたかのようにあしらわれ、怒りで手も震え接客どころじゃなく、 ツカツカと事務所へ行きタイムカードを押し、 「タバコなんて吸いに来るわけないじゃん普段あそこではタバコ吸うなって言ってるくせに」 と捨てゼリフを吐いて帰って来ちゃったの。 おばちゃん達、ごめんなさいぃぃ あ~、次の仕事探し頑張らなくっちゃ。。。
2006年06月05日
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サイパン4日目はドキドキ・緊張のスキューバダイビング。友達は妊娠中で行けないのでこの日は友達と分かれて行動しました。旦那があらかじめコンタクトを取っていたダイバー達が、朝9時半にホテルのロビーまで迎えに来ました。私はもう初めから緊張で、行きの車の中では借りてきたネコのようにおとなしくなってしまいました(^^;)私の友達が以前ダイビングでパニックを起こし、インストラクターの制止を振り切って海面まで上がってきてしまった、というのをこんな時に思い出し、よけいに不安で一杯になった。反対に旦那はイントラ達と楽しそうに話している。彼らのオフィスに着いて質問書や契約書にサインをしウェットスーツを着こんでいざ出発。ボートに向かう車の中で、耳が痛い、大丈夫、などのハンドシグナル、器材の使い方や耳の空気の抜き方などを教わった。私はもう心臓がドキドキバクバクだし体のどこどこにエアースペーシスがあってだのそんな事をしかも英語で覚える余裕なんて全くない。とにかく最重要点だけを抑えるのに必死。あれよあれよと言う間にボートに乗せられ気がつけばプカ~リ海の上。こっちは緊張で張り裂けそうなのに、たまたま一緒になった日本人の若い女の子がキャピキャピ騒いでいてうざったかった~!!そして促されるままに海の中へドッボーン旦那は慣れたものでスーイスーイと魚のように泳いでいたのを覚えている。初体験の私はなかなか体を思うように動かせず、常にイントラを煩わせっぱなしの状態でしたでもお魚さんがい~っぱいいてかわいかった~!!!エサをあげる事も出来たよ多分8メートルくらい?の深さだったのだけど、海底は驚くほど明るかった。なのに水中カメラで撮った写真にはちっともうまく映ってなくてガッカリ上は海底にひざまずいて魚を見ている私、下はイントラに連れられて泳いでいる私です。 泳ぎ方も頼りねぇなぁ・・・旦那はなかなかそれなりに映ってるでしょ?さすが海の男?・笑 途中、旦那の持つ水中カメラが動かなくなっちゃったんだけど、水の中じゃ何がどうなってるんだか話し合う事も出来ないしカメラがおかしいなんてハンドシグナルもない。せっかくの海の世界の写真なのにとフツフツ怒りが込み上げてきてこのファッキンカメラめーーーーーー!!!!と勢いよく中指を立ててしまった私・・・私と旦那が喧嘩をしていると思ったイントラ達が慌てて私達を別々の場所に離し、大丈夫か?と何度もハンドシグナルで聞いてきたり必死で魚を見せに連れてってくれたりといらぬ迷惑をかけてしまった・・・。こんな美しい海の世界で中指なんか立ててしまうなんてーーー!!!私ったら信じらんない、バカバカバカ!!!なかなか体のバランスが取れず、どんどん体がプカ~っと浮いてしまいまたまたイントラが急いで捕まえに来てくれたり、そうかと思えばアホのように逆さまになったまま身動きが取れず、なんども体勢を立て直してもらったり、耳が痛くて何度も何度も空気を抜きに連れて行ってもらったり、ほんとうに私、手のかかるうっとおしい客でした。旦那や他の人達は、おえかきせんせいみたいなので海の世界の説明を受けてるのに、私にはそんな余裕はちっともない。おとな~しく魚を見せていれば何の問題も起こさないので、最後の方はただただボーっと魚を見ているだけでした。でもこんな私にも芸を見せてくれたり、あまりにも耳が痛くて泣きそうになった時もとても冷静に、且つ優しく対処してくれて感謝感謝でした。もう忘れちゃったんだけど確か30分くらい潜っていたのかな?でも私にとってはいっぱいいっぱいのダイビングだったので、もっとずっと長い時間潜っていたような気分でした。あまりにも情けない自分に落ち込んで、帰りの車では更におとなしくなってしまった事は言うまでもありません・・・。イントラにはもっとひどいのを見てきたし全然問題ないと慰められ、旦那にも初めてなのによくやったと慰められ、とりあえず気を取り直してホテルのプールやビーチに出て最後のサイパンを楽しみました。6日間の旅だったのだけど、最初の日は夜中に到着したし、帰りの便は明け方なので夜中の3時にはホテルを出なくてはならなかったので、実際遊べたのは中4日だけだったんですね。一緒に行った友達は成田に着いたらそのままカナダに帰国する事になっていたので、もう会えなくなるのは寂しいけれど最後の期間をゆっくり彼らと過ごす事が出来て良かった。サイパンて、噂に聞いていたよりも静かでのんびりとした島でした。私達が泊まったサイパン一の繁華街と呼ばれるガラパン地区も、多少は賑やかではあるけどこぢんまりとした所でした。ショッピングや多くのアクティビティには向かないと思うけど、ゆっくりと時間を過ごすにはとても良い場所だと思います。とってものんびりとした、サイパン6日間の旅でした。お☆わ☆り☆
2006年06月04日
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