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「浄化槽の埋め込み」からの続き浄化槽が無事土の中に収まり、次の行程へ進みます。今までトイレはくみ取り式、生活用水の排水は家の裏側の崖下を流れる沢へパイプをおろして流していました。その管がちゃんと下の方の沢まで行ってるのか、それとも途中から剥き出しの排水になっているのか、そして浄化槽設置後はどうやって排水するのかなどと、素人にはいくら考えてもどうにもならない問題が山積み状態でした。浄化槽設置に来てくれた平成建設に、そのまま沢への配管確認設置を頼む事にしました。家の裏側には私道が通り、その向こう側は清水沢という流れが20mくらいの崖下を流れています。沢までは大きな木や竹が茂り、簡単に降りられる状態になっていません。そしてこの辺り一帯は粘土質で、土砂災害の多い長野市の例に漏れず注意地域となっています。昔は生活用水を全部沢に流していたのでしょうが環境整備と土砂災害防止の為に、長野市では下水道や浄化槽を利用する事を奨励しているのです。新規に浄化槽を設置したついでに、既存の排水管がちゃんと沢まで降りているのか確認して貰いました。崖の途中で排水される状態ですと、崖崩れの引き金になり兼ねませんからね踏み固められていない崖土を踏み外さないように気を付けて配管を確認しています。既存の排水管はちゃんと沢まで到達している事が確認されました。新しい浸透桝から沢への配管も新しい上部な管に替えて貰うことにしました。こんなに急な斜面です。新しい排水管を配置しています。これらの写真は夫が途中まで崖を降りて撮影しました道からすぐ下の部分でこの傾斜です。土地の人が椎茸栽培のホダ木を置いていたりする場所になっています。沢に近い下の方では命綱をつけての作業となりました。無事作業が終了、これで一安心ですここをどうやるのかが一番頭を悩ませた案件だったからなんです続く
2013年11月29日
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「浄化槽設置まで」からの続き10月18日、やっと天気が良くなりました。朝から大掛かりな作業が始まりました。浄化槽本体の埋め込み工事です。こ~んなに大きいの(トラックに積んであるもう一つは別のお宅のです^^)トラックのクレーンで一旦下ろしてから、ユンボで慎重に吊り降ろします。穴に人が入ってるので、浄化槽の大きさや穴の深さが良く判る写真でしょ^^ 次に浄化槽にカバーをかけてから周りに砂を入れて行きます。楓の木があって狭い場所ですが、器用に180°回転して砂をトラックから穴へと運びます。もうもう感動的な職人技に歓声砂を入れる横では別の人が固めて行きます、デデデデデー 浄化槽の蓋部分を嵩高くして、パイプをつなげて行きます。作業は一つの段階毎に明記して写真を撮っていました。市からの委託作業ですから、細かくチェックされるのでしょう。そして次の10月19日、 更に砂を入れては固める作業を繰り返します。 まだ入れるのって驚く程沢山の砂が投入されては固められて行きました。砂でぎっちり穴が埋められた後、嵩上げした蓋の部分まで型枠を作ります。この型枠設置がまたとても細かい仕事で驚きました。何度も何度も角度や水平をチェックして、ちょっとでもずれるとやり直してアタシには絶対こんな丁寧で正確な作業は出来ないな、適当で良いぢゃん、なんて思っちゃうもの(汗)この後約一週間のブランクがあって、10月28日に作業再開です。コンクリートを流し込んで固めます。丁寧に平らに空気が入らないように叩きながら何度も何度もコテを当てていました。あの大きな穴と大きな浄化槽は見事に土の下に埋まってしまいました。工事の行程をずっと眺めて記録していなかったら、まさかこの地面の下がこんな風になっているとは思いもしなかったでしょう次の作業へ続く
2013年11月29日
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トイレ水洗化が完了して1週間、とても快適で気分の良い生活を満喫しています不便だったからこそ余計にこの快適さが感じられるのかもしれませんね9月12日に長野市から浄化槽設置工事を請け負った平成建設から浄化槽を埋め込む場所の測量に来ました。長野市役所へ申請を提出したのが去年の10月、予定通り1年後の設置開始となりました。家の西側で焼却用のドラム缶を置いてある場所がその予定地です。測量が終わったからすぐに工事が始まる訳ではありません。平成建設は市からの委託されたあちこちの工事を請け負っていて順番を待ったり、トイレリフォームを依頼しているマキノ(去年のお風呂のリフォームと同じ業者)との兼ね合いで遅れた為、待ちに待った掘削作業が始まったのは10月になってからでした10月11日、掘削の為の重機や資材が運び込まれました。家の周囲がいきなり工事現場に変わりました我が家の為にこんな看板が立ったのが嬉しくて記念写真を沢山撮っておきました(笑)パワーショベルで土を掘り、浄化槽設置のプロジェクトが動き出しました 今年は異常気象とかで、10月になってもまだ気温が高い頃、庭のアケビもまだ熟す前、空は夏の光の色でした。地下深くまで縦横に蔓延っていた竹の根がバキバキと折られて行きました。石が混ざっていない粘土質、地中に何の配管も無い場所でしたから「何も気にせず安心して掘り進められる」と喜ばれました滅多に見られない工事を目の当たりにし、興味深くて離れられません沢山写真を撮って記録に残したり話しかけたり、職人さん達は仕事がやり難かったでしょうねこんなきれいな夕焼け空になるまで掘削工事は続きました現場を整理して次の日また仕事をする為、重機をロックして家の横に置いて帰りました。なんだかマイ重機っぽくて「我が家の重機」「私のユンボ」みたいで喜んでました次の朝、穴の中が気になって早くからチェックに行ったのですが、イノシシも近所の爺ちゃんも落ちていなく無事でした10月15日には完璧に2mの深さに掘られ、補強の鉄板が四方を囲みました。これで安全が確保され、人が中に降りて底を平にする作業に入りました。10月16日、台風が近づいていた雨の中でも工事は進みます。この日は底にコンクリートを打つ為の下地固めの作業です。小型の重機とは言え鉄の塊の機械です。それを自由自在に動かして細かい作業をするのは本当にカッコ良かった平に均す機械をヒョイと下ろすのもこんな感じです。もう良いんじゃない、ってくらい何度も正確に水平や直角を測って仕事をする傍らで、ずっとスッゴいスッゴいって雨の中で写真を撮りまくり話しかけてた私終いには、「あんまり褒めたり煽てても料金はただにならないよ」と笑われたりの楽しい毎日でした 夕方前に雨脚が強くなり、底の下地が出来た所で作業は終了。シートを被せて柵を立てて「また明日」です^^10月16日、再び雨の中の工事になりました。台風の影響の雨です。昨日打った下地の上に鉄筋を設備してコンクリートで底を完成させる作業です。掘り出して積み上げた粘土が雨水でドロドロ、ツルツルになっていました当たり前でしょうが、型枠や鉄筋をとても細かくレベルを測って角度を正確に出して・・・、数字嫌いな私には絶対出来ない仕事ですってコテでパンパン叩いて空気を出しながら細かく丁寧にコンクリートを均して行きます。深い穴の底に頑丈なコンクリート土台が完成しました。続く
2013年11月18日
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10月始めの頃には何と30℃越えの日があったこの秋、山の紅葉はイマイチ鮮やかさに欠けた色になっていたような気がしますきれいに紅葉していたのですが、去年の写真と見比べてみると赤や黄色が今年はちょっとくすんでいるように感じますこの一週間程でようやく里や平野部まで紅葉が降りて来ましたが、こちらは例年通りに鮮やかな色彩が感じられホッとしています。この所朝晩の冷え込み方が強くなり、なかなか色が変わらなかった標高が低い地域の木々が一度に模様替えを始めたようですね朝日が照り始める頃、山の上の方が白くなっている事が多くなりました。七二会にもいよいよ冬がやって来たようです。朝晩はヒーターが必要な時間が増えてきました、吟は猫ハウスにペットヒーター(40℃くらいのホヤホヤとした暖かさにしかならない)を入れて丸くなっています。我が家の定番綿入れのちゃんちゃんこがフル回転着用になりました11月14日、長野市では早朝の最低気温が-2℃まで下がりました。今季初の氷点下です 14日は一面に真っ白な霜が降りた朝でした。畑の白菜やツツジの葉には白い縁取りが出来ていました^^小菊の花も凍りついていました。地面に広がる小さな雑草にも等しく霜が降りた日でした。日が照り出すまでの僅かな間だけ見られる芸術です。しゃがんで目を近付けないと見えない苔の上の小さな氷粒がキラキラと光ります溜まった雨水が落ち葉を閉じ込めて初氷を作りましたそして今日、15日・・・・・。寒くなっても頑張って花を咲かせていたモロッコインゲンも、昨日の寒さにとうとう負けてしまいましたネットに蔓が絡み付いている為、このままにして枯れてから整理する予定です。まだいくつも紫の花を付けて目を楽しませてくれていた茄子も終わりました。「アリガトナっす」などと一人で言いながら抜きましたこの頑丈そうな根っこは棉の根です。もう完全に「木の根」ですね棉の実が沢山本当ならこのまま刈らずに立ち枯れ状態にして棉の実を成熟させ弾けるのを待ちたかったのですが、ここは気温が低すぎて無理なようです。幾つかカビが生えてだめになる実が出て来た為、霜枯れたのをきっかけに全部掘り出しました。何本かは吊るして乾燥させます。(今日は雨になったのでカバーをかけました)枝から切り離した実はバケツいっぱいになりましたこれは室内に広げて乾燥させるつもりです。棉の実が乾燥して開くまではかなりの時間がかかります(気温も低いので)枝付きの実はそのまま飾りになります、切り落とした実は棉を取り出して何か作りましょうかね大分見通しがよくなった畑です。この後右端のピンクの菊も整理したのでさらにスッキリした感じがします。畑には故意に落ち葉を蒔いてあります。毎日のように山端から落ち葉を運んでは畑に撒き散らしています。落ち葉こそ一番良い堆肥になると教えられ、これからもっと集めて山積みにする予定です。粘土質の土が乾いてヒビ割れ挙句かちかちに固まるのを防ぐ為に、敷き詰めるように蒔いているのです。来年の春まで新しく植え付ける事はしません。残っている白菜と茎ブロッコリーが終わったら、私の小さな畑も静かに冬を過ごします。来年の為の土作りは今から少しずつ手を咥えていかないと間に合いません。そして春咲く花の準備も土の下で始まるのが今の時期ですね。クロッカスやチューリップの球根をあちこちに埋めたので楽しみです冬の準備が進む七二会の生活。ようやく今日最後の微調整的作業が終わり(職人さんによる)、トイレの水洗化工事が完了しました次からは浄化槽設置から始まった工事の様子を記録する為にアップしますね^^
2013年11月15日
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鬼無里への前編・中編からの続きさて、鬼女伝説の残る集落などを抜けて行くと前方に目的の橋が見えて来ました。奥裾花ダムの奥裾花大橋です。紅葉の名所として有名な場所です。鬼無里の紅葉色付き情報ここにこの頃の素晴らしい紅葉の写真が載っています^^雲の流れが早く、時に日が陰ったり急に陽射しを感じたり。その度に光を受けて紅葉の色彩も景色も違って見える日でした。橋の周辺にはカメラを構えた人や、写生に精を出す人などが来ていました。この先約10kmにある奥裾花自然園は水芭蕉やブナの原生林で有名です。混雑する紅葉のピーク時は、このダムからシャトルバスのみで入園する事が出来るようになっています。道が細く渋滞するし、排気ガスによる自然破壊なども懸念されているからでしょう。今年も28日までシャトルバスが運行されていましたが、31日はすでに人の姿も少なくなり、ダム湖をぐるっと巡る一方通行の道路も一般車の通行が可能になっていました。北アルプスが見えたなら八方尾根のトレッキングを考えていた私達ですが、雲で見えなかった為こちらへとルートを変更していました。奥裾花自然園の3時間はかかる散策ルートへ行っても問題無い装備はしてありましたけど、ここに着くまでにあちこちで写真を撮ったり景色を見たりして時間を費やしてしまっていました。奥裾花大橋を渡った頃は11時半でしたけど、早い日暮れなどを考えて自然園は来年へと持ち越す事に決めました。奥裾花自然園はこの日が最終日だったのです。これ以降来年の4月末まで人のいない長い静かな時が自然園に流れるのですダム湖奥の奥裾花渓谷は紅葉のピークです(小沢橋付近)道が細いので一方通行はありがたいです^^広葉樹の紅葉は元より、針葉樹(カラマツなど)の紅葉が始まっていて綺麗でした橋や紅葉が水面に留まっている様が静かです。風が無い証拠、さざなみが立てばこうは映りませんね。車が少ないので気に入った景色を見つける度に停車してシャッターを押しました旦那は一眼、私はコンデジで好きな風景を好きなだけ撮りまくります(笑)それぞれの写真を帰ってからパソコンで眺め、自分のアングルの方が好きだとか言い合うのがまた楽しい私はカメラだけじゃなく、更に双眼鏡も使うので忙しい(笑)ここでは水路のずっと奥の方にカルガモが数羽泳いでいるのを見つけました奥裾花大橋を渡った陽溜りで持参したおにぎりを食べたのですが、里へ降りて来て松厳寺を見学したりした後は、ふるさと資料館向かいにある「そば処鬼無里」で十割蕎麦を食べて行く事にしました。もりとろろそばです。びっくりする程の量でお腹いっぱい、はち切れそうになりました(汗)以前盛り方が少ないと言われたので、それからはたっぷり食べられるように変えたそうですよここからだと県道86号で地蔵峠を抜ければ七二会に降りられるのですが、とってもとっても曲がりくねった細い山道が何処までも続くので(笑)、小川村へ抜ける峠(こちらの方が山道は短く道路も少し広い)から帰る事にしました。そば処から家までは私が運転したのですが、お腹がいっぱい状態でしたので眠くて大変でした。危ない危ない 私に食後の運転をさせてはいけませんね車は動く凶器、自分も他人も傷つけます。以後くれぐれも注意いたします
2013年11月04日
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鬼無里(きなさ)へ(前編)からの続きです鬼無里には謡曲「紅葉狩り」の元になった伝説が残っています。鬼女紅葉「その昔、会津の伴笹丸・菊世夫婦は第六天の魔王に祈って娘呉葉を授かりました。娘が才色備えた美しい女性に成長したとき、一家は都に上って小店を開き呉葉は紅葉と名を改めて琴の指南を始めました。 ある日、紅葉の琴の音に足を止めた源経基公の御台所は紅葉を屋敷に召して侍女といたしました。紅葉の美しさは経基公の目にも止まり、公は紅葉を召して夜を共にしました。 経基公の子を宿した紅葉は公の寵愛を独り占めにしたいと思うようになり、邪法を使い御台所を呪い殺そうと計りましたが企てが露見してしまい、紅葉は捕らえられ信濃の戸隠へ流されてしまいました。 信濃に至り、川を遡ると水無瀬という山里に出ました。「我は都の者。御台所の嫉妬で追放の憂き目にあいなった。」と語る麗人に純朴な里人は哀れみ、内裏屋敷を建てて住まわせました。紅葉は喜び、里人が病に苦しむと占いや加持祈祷で直してあげたのでした。 紅葉は付近の里に東京、西京、二条、三条、などの名をつけて都を偲んでいましたが、月満ちて玉のような男の子を産むと、その子を一目経基公に見せたいと思うようになり、兵を集め力づくでも都へ上ろうと考えました。 里人には「経基公より迎えが来たので都へ戻ります」と言い置き、戸隠荒倉山の岩屋に移ると、戸隠山中の山賊を配下とし、村々を襲い軍資金を集めました。 そのうわさが冷泉天皇の知るところとなり、天皇は平維茂に紅葉征伐を命じました。 平維茂は山賊共を打ち破り、紅葉の岩屋へ攻め寄せますが、紅葉は妖術を使い維茂軍を道に迷わせます。 妖術を破るには神仏の力にすがるほかないと別所温泉北向き観音に籠もり、満願の日に一振りの宝剣を授かりました。 意気上がる維茂軍を紅葉は又もや妖術で退けようとしましたが宝剣の前に術が効きません。やむなく雲に乗って逃げようとする紅葉に、維茂は宝剣を弓につがえて放つと、紅葉の胸に刺さり、地面に落ちて息絶えました。享年33歳と伝わります。人々はこれより水無瀬の里を鬼のいない里・鬼無里と言うようになりました。上記の文は信州鬼無里「おでやれ鬼無里」のホームページから抜粋しました。幾通りかの伝説が残っているようですが、私にはどうにも哀れに思える紅葉です。才色兼備でも地位の低い田舎出の紅葉が、寵愛を妬まれて虐められて鬼無里に流されて来たように思えてしょうがありません。鬼無里では鬼女ではなく貴女として教養溢れ人々に文化をもたらした人と扱われているのもその証拠に思えます。そして伝説だとしても、この山奥の地に京風の地名が残り、西側に賀茂神社、東側には春日神社が存在する事実が面白い平安期に鬼無里へ遷都の計画があったとか、道路だってろくにないそんな時代にどうやってここが知られていたのかも不思議でしょうがありません。東京方面への道かと思ったら「ひがしきょう」、西京は「にしきょう」なのですこの橋には「西の京、東の京」と道標に彫り込まれています。左側の欄干には賀茂神社、そして「みずばしょう」とは先にあるみずばしょうで有名な奥裾花自然園があるからです406号から奥裾花渓谷方面へ少し行くと紅葉がいた「内裏屋敷跡」があります。この絵からも村人から敬われていたのが伺えます。内裏跡の向かい側には鬼女供養塔があります。供養塔脇の説明文です。紅葉が今風な絵で描かれてますね406号沿いにある松厳寺。ここには鬼女紅葉の守護仏と言われる地蔵尊が祀られています。松厳寺縁起です。私はこの説明が一番紅葉伝説が判り易いと思います。境内の鐘楼や石段の修理をしていて全部入る事は出来ませんでしたけが風情あるお寺です。古い山門前の六地蔵様。境内にある紅葉のお墓、「釜岩紅葉大禅定尼位」(ふがんこうようだいぜんじょうに)と戒名を授けられています。同じく境内には紅葉の家臣の墓もあります。本堂内部には紅葉伝説蒔絵を飾ってあり、「欄間の裏側にあるのでご自由に上がってご覧になってください」とあります。びっくりしたのは本堂の扉が自動ドアでガラガラと開いた事(笑)、人を自由に向かい入れてくれるお寺さんに好感を持ちました 本堂前にはアニメっぽい鬼女紅葉がいましたよ表と裏では顔が違います鐘楼は通路の上にあります。ちょっと珍しい建て方ですね^^鬼女紅葉に相応しく、紅葉が西日に明るく境内を照らしていました。鬼無里へ(後編に続く)
2013年11月04日
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10月の最終日、天気も良いし平日だし、家の工事も中休みだし(今度説明します)出かけよう・・・、と言う事で、朝からおにぎり作ってトレッキングシューズやウォーキングポールなども車に積んで準備OKあ、その前に見せておきましょうね。夏に種から育てたスティックセニョール、元気に育って収穫をしています茎や葉も美味しく食べられますこのくらいの収穫量が3回、ちょっと間を開けて次の花芽が育つのを今待っている状態です。さて31日の事。前の日から天気予報を色々調べ続けていたのですが、三連休前の天気が良い日はこの時だ、そう思って用意していました。当日の情報だと生憎山には雲がかかっているみたいとりあえず何処に行くのも可能な装備(大げさだけど)で出掛けてしまおうと出発しました一路白馬村へ・・・・・GOところがやっぱり白馬村は晴れているのに北アルプスは軒並み厚い雲の中。時々小さな雲間に僅かな山肌が見えるだけでした。それでも山に囲まれた白馬村は気持ち良いね~ではこのまま行きたかった鬼無里(きなさ)へ向かいましょう、とナビを打ち直しです。白馬駅を越えてから国道406号に曲がり、まず白馬をバックにした景色の撮影ポイントとして有名な大出公園に立ち寄りました。七二会を出て白馬村まで約30分、大出公園まで40分くらいです。8時半に出発したので9時半になっていません。そんな時間でも撮影目的や絵を描く人達の車が何台も駐車してありました。平日じゃないとこの時期は大変な混雑に巻き込まれる事でしょう公園の吊り橋袂にあるお休み処もまだ閉まっています。橋の向こうにはこんな水車のある小屋があります。周りはまだ緑ですが、川沿いには冬枯れた葦が茂っています。吊り橋、水車、萱葺きの屋根、そして北アルプスの雄姿・・・とここはそんな景色が見られるスポット。でもこの日は残念ながら後ろに岩岳が見えるだけでした。山が見えなくても朝日を受けた秋の光景は、冷たい朝の空気にとても清々しいものでした。上の写真に小さく後ろ側が見える石碑はこれ、「白線流し」の歌詞が刻まれています。以前テレビドラマで有名になった「白線流し」で使われた曲ではないようです。(番組名だけ知っていたので、ちょっと調べてみました)姫川に合流する峰方沢、朝日に色づいた葉が鮮やかに浮かび上がります。姫川にかかる大出の吊り橋。本当ならこの景色の後ろに屏風のように北アルプスが見えるのですもっと雪で白馬の山々が真っ白になった頃に絶対リベンジに来ます前にも載せたかな、白馬村のマンホールの蓋は白馬三山とカタクリのモチーフです^^大出公園を出て406号を登って行きます。峰方峠は白馬と鬼無里を結ぶ国道で、白沢トンネルが分岐点のようになっています。トンネルの名前からこの峠を白沢峠とも呼ぶようですが、確かに白馬側と鬼無里側では紅葉の進み具合や景色が違っていましたこれは峠の白馬側です。朝露に濡れたて落ち葉が芳しく匂います。カシャカシャ踏んで音を楽しめないのはちょっと残念ですけどね平日の朝は殆ど車が通りません。時々出会う車のナンバーは他県のものが多かったです。これはトンネルを抜けて鬼無里側に入った所です。峠を境に南東の斜面を降りるような景色ですから、午前中の光はこちら側の方が明るく感じます。そして紅葉も赤やオレンジ色が増えたように思えました長いくねくねした下り坂を通って、やっと鬼無里の里が見えて来ました。日本の原風景とも言えるような懐かしい田舎の景色です伝説の里です鬼無里は七二会と同じ長野市になります。でもここは四方を山に囲まれて、どっかしらの峠を越えないと来られない場所です。戸隠から白馬へ抜ける国道406号も、長野市街からはまず戸隠への峠を越えて鬼無里へ、そして白馬へは峰方峠を越えなければなりません。これが東西への道で、南には七二会につながる陣馬平山の地蔵峠があり、北側には戸隠連峰の山々が折り重なるように続く場所。それでも大昔からの遺跡が残り、白鳳年間には京からの遷都が計画されたという話すら残っているのです。冬は雪深い地ですが、日当たりが良く水が豊かで人が古くから住み着いていた場所なのでしょう。珍しい鬼無里という地名や美しく豊かな自然、とても好きな所になりました中編に続く
2013年11月04日
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