全6件 (6件中 1-6件目)
1
年が開けて1分で、氏神様に初詣をして来ましたよ(今は東京にいます、地元中十条の氏神様です)小さな祠だけの若宮八幡宮神社、通称八幡山です。メジロやコゲラも来る緑の多い一郭で大好きな場所です^^今年も初詣、地元一番乗り~なんとなく寝るのがもったいない雰囲気になる夜ですね。夫はとっくに、次男もさっき寝付いたようです。さて私もそろそろ・・・・。皆さま楽しいお正月をお過ごしください(写真は七二会の総鎮守守田神社です)
2013年12月31日
コメント(8)
8月30日に東京から高速バスで七二会に戻った日。駅まで迎えに来てもらい、小雨降る家に一週間ぶりに着きました。畑の野菜が元気でいるか気になって・・・、ちょっとチェックに行ってみました。見まわって家に戻るその時、畑からのほんのちょっとの傾斜だけど雨で濡れた粘土質の地面、なのに軽率にもサンダル履きだった私は盛大にすべって転んだのでしたその瞬間左脇腹を思い切り畑の土留め板に打ち付けてしまい、暫くうずくまったまま痛みで動けませんでした痛みは段々ひどくなり、寝返りを打つ事も困難で深呼吸もままならない・・・次の朝、慣れない長野で初めて整形外科を探して診察を受けたのでしたレントゲンを撮ったのですが、肋骨あたりはなかなか鮮明に写らない場所なのだそうで、その時は骨折がみつからず、恐らく肋骨軟骨の損傷でしょうと、コルセットと湿布薬や痛み止めを出して貰いました。大体3週間から1ヶ月くらいで治るので、それまで無理しないようにと言われて帰りました。七二会に戻ったら毎朝ウォーミングアップに体操でもしようと決心していたのに、腕を上げるのも不自由な生活が続く事になりました。でも痛みは1ヶ月過ぎても、1ヶ月半が過ぎても治りません。そりゃぁ初期症状の激しい痛みは収まりましたけど、相変わらずずっと寝返り時には「ウッ!」と言うくらいでした長野で行った整形外科のお医者さんを信用しなかった訳ではありませんが、東京で子供の頃からのかかりつけのクリニックに行ってみたのは、怪我してから2ヶ月が過ぎた頃でした。再びレントゲン撮影。でもやっぱりはっきりした怪我は写りません肋骨骨折は、直後だと写らなくても後で見える事があるそうですから、折れていたのかもしれない、という診断でした。再びコルセットと痛み止めの日々・・・はっきり折れていたとしても、自然に治るのを待つしか出来ない場所なので、なるべく温めるように、そして無理をしないようにとアドバイスを貰いました。実はその痛みがずっと続いていたのです。何か挟まっているような違和感や、前屈する時(靴を履く時など)や寝返りの時の痛みはずっと残っていました。だんだん不安になって来ました。肋骨や軟骨じゃなく横隔膜とか肺などに何かあるのじゃないか、と怖くなったのです2ヶ月前に同じ年の従兄が肺ガンで亡くなった事もあり、だんだん不安が大きくなって来ていました。12月の初めに一時帰京した時に、再び地元のクリニック(整形外科)を訪ねて相談しました。人によっては治りが遅い事もあるけれど、3ヶ月も過ぎているし不安そうなのでCTを撮ってみるかと聞かれて即お願いしました今日、そのCTの結果を聞きに行って来ましたなんと肋骨が3本も折れていたんですってすでに骨は付いているのですが、その痕が3D画像ではっきりと鮮明に写し出された映像を見せて貰いました。ちょっと後ろ側に近い方で、普通のレントゲンだと色々内蔵もある場所だから余計に見つからなかったのだと思います。ついでにチェックされた肺や横隔膜は何も問題無し結果、痛みは長引いているけれど、やがて薄れて無くなるだろうから無理せず温めるようにとの事。でも検査をここまで受けた事でものすごくホッとしましたはっきりした理由を知る事の大切さを確認出来た「痛さ」でしたすべって転んだだけでも3本も肋骨折れて4ヶ月近くも痛いもんだって、よ~ぉく判りました皆さん、足元はくれぐれも気を付けましょうね旦那は、重過ぎるから体重がかかって3本も折れたって笑うんです・・・
2013年12月26日
コメント(8)
師走に入って行ったり来たりの日々。落ち着かない気持ちで、でも決して嫌ない意味じゃなく過ぎて行きます12月12日に長野から高速バスを使って一旦帰京しました。家の前にある八幡山の銀杏。東京の紅葉はこんなにも遅いのですね積雪こそまだでしたけど、もうとっくに真冬の景色から戻ると驚いてしまいます13日と14日の二日間は忘年会の連チャン楽しみにしていた会は二日間とも盛り上がり、それは楽しい集まりでした16日の朝再びバスで長野に戻るまで、ほぼ連日実家の用事もあったので、数日間の滞在はただただ慌ただしく飛ぶように過ぎて行きましたその頃、七二会では積雪があったと夫から写メが送られて来ました。昼間の陽射しで殆ど溶けてしまったそうですが、数時間の距離でこんなにも違うのですね。バスの休憩したSAから見た浅間山。気持ちがすっきりするような解放感ある景色でしょう移り変わる景色を眺めながら、少しずつ気持ちを切り替えました16日に七二会に戻り、17日は忙しく洗濯や掃除、野菜の買い出しなどをしました。2泊して18日に吟も一緒に車で東京への大移動ですこれで今年の七二会生活は終了、引き上げ大移動です。クリスマスツリーはそのまま、早目ですが玄関には松飾りを下げて来ました凍結防止の水回りケアを念入りにして、車に野菜を満載にして出発しました。久しぶりのドライブですが、吟は毛布の間に潜り込んでおとなしく眠っていてくれました^^吟は車に乗る時に付けられる、紐がつながるジャケットを着せられるのが嫌いです出発前に荷物を玄関に運んだりすると、最近はその不穏な空気を察知して隠れてしまうようになっていましたので前の夜から秘密裏に準備を進めます(笑)出発前夜の吟。ストーブの真ん前で暖まっています。呼ぶと耳だけがこっちを向くんですよ(笑)帰京してから今日まで毎日用事があって実家の手伝いに行ったり、検診受けたり続きで落ち着けませんでした22日は長男がセットアップしてくれて恒例のクリスマスランチビュッフェに行って来ました。三男がいないのはとても残念ですが、これだけのメンバーが揃うのも年に1~2回しかありません。今年は新橋のホテルでした。美味しかったし楽しかったですよ~お腹が一杯で少し歩こうと、見たかったKITTEのクリスマスツリーを目指す事にしました。改築された東京駅を見るのも初めてでした。東京駅なんて通り過ぎる事はあっても降りる事は滅多にありませんからね記憶の中の東京駅は、周りをこんな高いビルで囲まれてはいなかったように思うのですが・・・それって何十年前って聞かれそうそして見たかったのはコレネット上で数人の友達が写真を載せていたのを見て、どうしても今年は出掛けてみようって決めていました^^子供がいた頃は、この時期あちこちにクリスマスの飾りを見せに行ったものですが、ここ数年は全く出掛けていませんでした。このツリーは本物の樅の木で、本当の雪が積もったように飾られています吹き抜けの天井から吊り下げられた鏡がキラキラと降る雪のようですイルミネーションで飾られたツリーも好きですけど、やっぱり本物の繊細な枝ぶりや風情にはかないませんね年と共に苦手になっていた人出の混雑もあまり気になりませんでした次男は大晦日から狭い我が家に泊まり一緒に年越しです長男夫婦は28日から高知のゆりりんの実家にお世話になり、2日に戻って私の実家で合流予定です。私達は3日に吟を連れて2014年最初の七二会行きを予定しています。きっと雪が積もってるんだろうなぁ・・・・日当たりの悪い東京の家は寒く、エアコンの暖かい風が降りる場所で寛ぐ吟です。珍しくヘソ天ではしたなくも大股開き(汗)一応乙女なんですけど・・・艶っぽいでしょ行ったり来たり、慌ただしい時間の中でふと不安になるこれからの暮らし。東京と七二会の二重生活を続ける中で、私達はこれからどういう人生を作って行くのでしょう車が無かったらいられない田舎で、うんと老いて足腰が弱ったらどうやって生活したら良いでしょう。かと言って東京の家がどうなるかの保証もありません。何所に行ったら良いのでしょう、どうやって暮らしたら良いのでしょうね数年前の香港と東京を1ヶ月置きに往復していた頃と同じような気分になっている事に気付きます。香港に帰る前は何時も「明日のこの時間、ここの日常は私がいないだけで同じように続いて行く」と乾いた気持ちで街を眺めたものです。私にとって安住の地は永遠に見つからないのでしょうか・・・。終の棲家、こんな言葉を見つける事は出来ないのかしら。フラフラ、ユラユラと漂うように流れている自分が頼りなくて不安です。なるようにしかならない、判ってはいるものの何時も心の奥に怯えが残っています。満たされてはいるけれど、漠然とした不安に苛まれる事がある私ですこんな時は吟をモフモフして和まなくちゃね
2013年12月23日
コメント(8)
なんだか落ち着いてパソコンに向かう時間も全然無い。 18日に帰京してから毎日に予定が入っていて、実家の用事に駆り出される事多いし、、、。 無理なく動いているけれど、どうしても余裕持って自分自身の事に専念するのが無理な毎日。 あんまりこういうのが続くと疲れて不安定になり兼ねないから、 そろそろ時間を解放しないといけないかな(⌒-⌒; ) 楽しい事であっても続き過ぎるといっぱいいっぱいになっちゃうんだよね(汗) 見た目と違って以外にデリケートなのよアタシって(⌒-⌒; )
2013年12月22日
コメント(4)
前編からの続きです伝統的な造りの集落を抜けると、後方には日当たりの良い斜面に石垣を積んだ段々畑が伸びています。正面遠くに見える雪を被った山は、先程みた板図から察するに八方山でしょうか登ってきた方を振り返るとこんな景色が広がっています。大きな栗の木の向こう側、雲を被ってしまって残念だったのですが、北アルプス鹿島槍岳と五龍岳が見えています。拡大してみると、中央右側の斜面にオリンピックでも使われたスキージャンプ台が見えていますねこれでも判るように、白馬村の中心部からは山道を登りますがそれほど遠く離れた場所ではありません。そんな青鬼集落が古き良き伝統を残しているのは、一重に住んでいる方々の故郷を大切にする愛情と努力そのものだと思います。既に田んぼは休養中ですが、この段々畑の殆どが水田だそうです。春まだ北アルプスが真白な頃、田植え前の水を張った水田に映る山々の写真を見た事がありますが、それは美しい光景ですこんな素敵な動画を見つけましたので貼り付けておきますね段々畑の石垣の上で昔から集落を見守る優しい眼差し。だんだん曇って来て、木々を渡る風が冷たさを増して来ました。白馬のスキー場は既にオープンしていますけど、ここまではそんな喧騒は何も聞こえてきません。冷たい空気を吸いながら歩くと、イノシシに齧られた大根があちこちにある畑や、栗の木の下のおびただしいイガの絨毯とか、忘れられたようにぽつんと残るカボチャとか、結構面白く飽きる事がありません坂を降りて集落に戻ると、こんな消火栓が目に入りました。豪雪地帯だからの上下二つ口のある消火栓です。冬場は雪に埋もれて高い位置でなければ使えないのですね^^青鬼神社への階段です。お参りに登る事にしました。はぁはぁゼイゼイ、結構な登りでしたやっと登り切った左側にはこんな古い能楽堂がありまして、横にある銀杏の下には沢山のギンナンが落ちていましたもちろん拾って来ましたよそういった事が大好きで堪らない人が一緒でしたからね熊除けの鈴を付けて来なかった事をちょっと後悔するような、鬱蒼とした森の中に本殿が鎮座していました。創始は大同元年(806年)の古い由緒ある神社です。毎年9月21日に祭礼が行われているそうで、古くても手入れが施されている様子が判りました。面白い物を見つけました 本殿屋根の裏側に、こんなに沢山の丸い穴が開いています判りますか これは皆キツツキが開けた穴ですよ大きさから言ってアオゲラかな、アオゲラは日本特有種のキツツキだそうですよ神社から降りて駐車場まで戻りました。また陽射しが少し戻りました。集落入り口付近にある向麻石仏群が、外から来る厄から集落を守っています。こんな夫婦の道祖神もありました。屋根の形がちょっと違うお宅は雪囲いが終わっていますが、お隣さんはこれからのようです。今頃はひっそりと雪の中で春を待つ青鬼集落になっているのでしょうか白馬村の天気予報は、これから殆ど毎日雪マークが付いています。長野市もが見られるようになって来ました。去年は12月10日が初雪の大雪ドカ雪でびっくりしたのですが、今年はもう数日後になりそうかな・・・・。12日から16日まで私一人で高速バスを使い、一時帰京して来る予定です(そうね、忘年会あるのよね)16日に七二会に戻ってから、吟も揃って18日に車で東京に引き上げます。今年はそのまま年越しをして、七二会に再び戻るのは新年になってからでしょう。毎日の変化を見ていられないのはかなり残念ですでも故郷地元での年末年始もまた楽しみでもありますよ今年中にトイレリフォームの記録をアップしなくちゃね~
2013年12月09日
コメント(8)
リフォーム途中ですがちょっと番外です12月3日、ずっと気になって行きたかった青鬼集落へ出掛けてみました。例によって天気予報を数日前から何度も確認、白馬村の情報を探し回って空と相談しての出発でした朝の内に旦那が歯医者の予約が入っておりまして、それから戻った時点での空模様に依って行くか行かないかというのんびりした気分でした。家から車で30分程で白馬村に入る事が出来ます。青鬼集落はそこからもう少し奥まった場所にあります。10時半に家を出発して、青鬼集落に着いたのは11時24分でした。(家から40.4km)青鬼集落は、白馬村の東北端の標高約760mの山腹に位置している山村集落で、村の市街地から遠くはありませんが山懐に抱かれた日本の原風景とも言えるような素晴らしい環境を保っている集落です。「東側には物見山・八方山、北側には岩戸山があり、斜面が開けた南西方向は白馬村の中心街と北アルプスの五竜岳、鹿島槍ヶ岳などの山々が望める。集落の東側には石垣を伴った約200枚の大規模な棚田と用水路「青鬼堰」があり、これらは日本の棚田百選に選定されている。また、集落、棚田、用水路、山林などを含む59.7ヘクタールが重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。」(Wikipediaより)江戸時代後期から明治にかけて建てられた萱葺き屋根の民家が現在14棟残っていて、(今は萱葺きを鉄板被覆)、集落は伝統を残したまま今も一般の方達が生活している村です。集落には縄文中期の遺跡があったりと、古くから人々が暮らしていた形跡がありますが、江戸時代後期に青鬼上堰という用水路が開削された事から棚田状の水田が開墾されました。今でもその頃から築かれた石垣が残り、日本の棚田百選に認定されているそうです。春には南西に位置する北アルプスの五龍岳や鹿島槍岳の真っ白い山容が棚田に貼られた水面に映り、それは素晴らしい景色になると有名です。美しい景色を愛でる人を歓迎してくれていますが、この集落をとても大切にしている事が良く判ります。訪れる方も住む方々の迷惑にならないよう注意する事が大切ですね。あちこちに丁寧な説明板があります。集落入り口の駐車場からは歩いて見学するようになっています。中二階を囲むような形の屋根は兜造りと呼びます。白壁と板壁のコントラストがとてもきれいです。青鬼という地名の由来はちょっと長いですが面白いので書き出しますね「昔、白馬の東の村から、鬼のような大男がやって来た。そして村人達を苦しめていた。ある日、村人は大男を岩戸山(集落後方北側にある)の底なし穴に閉じ込めた。それから暫く経って旅人が来た。そして「戸隠には鬼のような大男がいるが、村人達を助けてとても喜ばれている」と放した。人々は「大穴を抜けて戸隠に渡ったに違いない。そして戸隠様の下を抜ける時に魂が入れ替わったのだろう」と思った。それからは「お善鬼様として祀り、白馬の東の村を鬼無里村、こちらがわを青鬼村と呼ぶようになった。」(青鬼集落パンフレットより)先月行った鬼無里の村名とちゃんとリンクしているんですこの伝説を知って、この辺りの不思議な地名の由来にやっと納得が行きましたお善鬼様はこの村の守り神となったようですね。困った時に助けてくださる有難い神様です。火災の心配から母屋からちょっと離れた場所に土蔵が建っています。屋根は板葺き(現在は鉄板葺)で外側に柱を立てて藁を掛けて雪囲いにしてあります。雪に備えてブルーシートが掛けられてしまって残念な景色になっていますが、ガッタリという水流を利用した米搗きです。鹿脅しと同じ原理で、先端部の大きな柄杓型の部分に水が貯まると重みでガッタリと動き米を搗く仕組です。がっしり堂々とした造りの家々。一番手前は空き家だったのを修理して「お善鬼の館」として内部見学や休憩に使えるようになっています。暖房の利いた清潔なトイレも使えます。奥の家々はちゃんと住人がいる民家です。お善鬼の館内部。古い農機具が展示されている一郭があります。囲炉裏に火は入っていませんでしたが、外は風が大層冷たかったので室内はホッと出来る空間でした。昔からの太い梁や竹で葺いた天井が白い漆喰と調和して「和」の美しさを演出しているようです。清潔なトイレはこれこれ、我が家と同じ浄化槽ですね(笑)お善鬼の館の向こう側にあった民家です。すでに板で雪囲いがしつらえてありました。干し柿が見えますね^^ 観光用に出来た村ではなく、普通の暮らしが息づく集落だからこその暖かさが陽溜りのぬくもりに重なります。伝統文化財としての保存と、人が生活する現実とを成すのは大変な事だと思います。人々の努力があって残されて行く、日本人として懐かしくて堪らない風景がありました。集落を抜けて後方に広がる棚田の方へ歩いて行ってみました。まだこの時は天気が良くて日が指していましたが、あちこちの日陰には雪が残っている寒さでした。後編に続く
2013年12月09日
コメント(4)
全6件 (6件中 1-6件目)
1