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(注意:これは平成5年ごろの事です)私が先天性股関節脱臼だから、実は凄く心配でした。でも、産院の先生には言えるような雰囲気ではなかった。それでなくても、心配性って思われていたから。だけど、この事に関しては主人が先生に伝えておいてくれたみたい。半分迷信なのかもしれないけど、先天性股関節脱臼した人の子供は同じく先天性股関節脱臼になる確率が普通の人より高いって言われていたから。現在、サイトを見て、未だに某Drのサイトではそのような記述を見たことがあります。女子に多い。母親がそうだと子供もなる確立が高いって。昔のオムツの当て方にも影響があるらしいけど・・・真相は不明です。だけど、整体の先生が、心配しなくていいよ。いつもより回数多めに通えば、大丈夫。みんなちゃんと産んでいるし、生まれた子供に影響は出ていないから。そう言われて通ったけど、やっぱり心配。そして無事1ヶ月検診は終わりました。この時に先生に股関節も異常なしって言われて・・・ホッとした私。私のほうは出血量が依然多く、要経過観察という訳で、1ヶ月後に行くことになりました。
2005年08月31日
もうすぐこの楽天日記を始めて丸3年。フリマも始めて約1年がたちます。おかげさまで販売評価50件、評価ポイント78を頂く事ができました。これも応援してくださった皆様、良い出品者様、落札者様のおかげです。そこで販売評価50件感謝オークションとしまして、50円スタートオークションを開催することにしました。商品は、先日作り方を解説しました『コスモス・緑地』です。多数のご入札をお待ちしております。手毬 『コスモス・六つ花』 緑地
2005年08月30日
うちの息子は宿題とか計画的に出来る方だと思う。夏の練習帳も10日ぐらい前には終わっていたはず。この夏の練習帳がくせもので・・・親が丸つけをしなければいけなかった。私はてっきり終わった時点で丸付け・・・って言ってくると思っていた。当の息子、毎日ゲーム三昧。いいかげんにしておくれ!!丸付けを言って来たのは土曜日の夜だったかな?そんな時間にやりたくないし・・・日曜日は予定がつまっているし・・・(パパが休みなので、頼みたい事、一緒にやりたい事を優先)学校は火曜日から。仕方なく、月曜日にと約束しました。朝は、いろいろ忙しく・・・フリマの発送と送金と・・・お昼前にようやく時間を作る事が出来・・・丸付けを始めたら・・・字が汚くて読みたくない!!(><)算数はともかく、国語なんて・・・特に書き取りと読みの問題なんて・・・いまさら、6年生にもなってひらがなが読めないから丸付けできないなんて・・・今頃、ぎりぎりになって言ってくる辺り、既にキレかかっている私。国語のほとんどの問題を丸付け放棄しました。おまけに、やった日を書くのだが空欄。ささやかな抵抗として、本日、8月29日の日付を赤で記入。書き取り問題の隣には、字をていねいに書きましょう。と、赤ペンで書き込み、丸付け放棄。もっとも、はねや はらい がきちんと出来ていない場所は隣に解説しながら書き込みしましたけど。漢字的には丸をあげても良いのだけど、字が空中分解しているような字だから、丸がつけられません。たしか、去年も同じような事があった気が・・・って事は全然進歩がない?!?!ま、今頃、作文が・・・読書感想文が・・・工作が・・・なんて言っていないだけ良しとするしか無いのでしょうか。
2005年08月29日
楽しみに待っていたてまりの本が、古書店から届きました。もう、開けてびっくり!!そこにはまるで祖母が作ったような素朴なてまりが・・・(最近のてまりの本はとても芸術的で・・・)それでありながら、幻の・・・とも呼べる刺繍の入ったてまりも。。。某出版社編 だったのですが、著者の方はお二人。文を書く方と、製作者の方と。共に、明治・大正時代の方。ただ、凄く残念だったのは、母が受講した通信教育のてまりの講座にあるものとそっくり同じ色使いのてまりがあったこと。まるで、ニワトリと卵のような・・・そして、郷土のてまりとも言える作品が多く、地域色ゆたかな色使いなのですが、やはり、あれ?この作品は???と思う物があったり。。。まぁ、本が出回るようになり、地域色が薄れたなどという批判を読んだ事がありますが、本に残していただけたからこそそれを読みときながら、復元する事もできるわけで。。。でも、一つ発見!!母は、祖母から福俵の作り方を習いました。俵なんて昔の農家なら誰でも・・・ところが現在では、お正月とかで飾られている俵は正式に綴じておらず、十字にかがっただけ。だんだらぼっち が出来ていない。幸い、私のところにはテキストがあり、母に見てもらい間違いなく出来ているとの事。近いうちに作りかたを公開します。普通の作品と違い、いろいろ大変ですが・・・(本当に一組作るとしばらく作りたくない・・・)やはり、伝えていかないと誰も作れなくなってしまうし・・・主人に言ったら、主人が某漬物屋さんで働いていた頃、樽に漬物を詰めて、出荷するのですが、その時に、やはり独特の紐のかけ方があるそうで・・・それが出来るのが、たった一人しか居ないとの事。こういうのもやはり哀しいですよね。おばから酒樽も作ったのを頂いているのですが(これはてまり)やはり、頭の部分が特殊な糸のかけ方をしています。これも、解明せねば・・・だけど・・・本当に手芸ってする方が減っているのか・・・材料を探すのが大変です。普通のてまりは刺繍糸があれば作れるのですが、このように、俵や酒樽は特殊な金の組みひもを使用します。その紐も、てまりのサイズに合わせて太さを変えて・・・肝心な、その紐がなかなか見つからない。。。なかなか大変です。東京辺りの手芸関係の卸やさんとかに行ければ良いのかもしれませんが、なかなか出かけられないし・・・通販で探してみましたが、見つからないです。。。
2005年08月27日
(注意:これは平成5年ごろの事です)主人が宗教を嫌った理由は・・・この頃はまだ祖母も祖父も元気だった。夏になると、キャンプもどきをしに、東京方面から某教会関係者が合宿と称して来ていた。主人の外観は・・・(むさくるしい、山男風?)当然、都会の垢抜けた雰囲気とは合わない。私は・・・嫌いではないが、どちらかと言えば、避けたい。そして、我が家は・・・公共の交通機関を利用しては来るのが難しい場所。当然、車でないと・・・車のナンバーを見れば、レンタルか個人使用かわかる。ワゴン車で何人かで来るのであればまぁ、それも仕方がない。しかし、時々、打ち合わせと称して、個人で来るお客さんが居た。聞く所によると、教会関係の合宿の打ち合わせと言う。私はそういうの、疎いから・・・よくわからないのだけど、主人が言うにはすっごく高い車らしい。たしかに、見慣れない形の車だな・・・なんて見ていた。だけど、そのことを知って私も主人も物凄く嫌悪感。その人たちの職業が、医者や弁護士や・・・いわゆる、それなりの高給を取る職業であるのであれば何も言わない。だけど・・・その高価な車は誰のお金で買ったものなのか?いわゆる献金と呼ばれる、信者さんのお金が報酬として支払われたのでは???それを思ったとたんに私は、この人たちとはお付き合いしたくない。そう思いました。私が尊敬するT師は・・・(既にあの世の人ですが)自分の職業は著述業だと言っていました。自分が書いた物や、講演会などで話をした結果、皆さんがお金を払ってくれる。自分はそのお金で生活をしていると。いわゆる、宗教家と呼ばれる人にはなってはいけない。生活基盤を別の所でしっかりと作り、その上で宗教活動をしなさい。そのように言われていました。ある意味、特別のパワーを持った人でもありました。ですが、師が亡くなられて、何年かたち、母の友人に連れられて、師の志を継いでいるはずの人たちの集会に参加した時・・・中学生や高校生の子供たちが(誰でもそういう物にあこがれる?そういうお年頃があります)立派な宗教家になれるように努力していきたいです。。。なんて、熱くなっているのを見て、物凄くしらけた私。あの、創始者であるT先生の一番大切な教えは???それを見たときから、やっぱり何処も同じなんだと。もっとも、T先生の教えを忠実に守っている人も居ましたが・・・(現在は不明です)やっぱり、ああいう物を見てしまうと、私はかかわりたくない。そう思ってしまうわけです。
2005年08月26日
(注意:これは平成5年ごろの事です)祖父母はキリスト教の一派、Hに属していた。基本的にはH派だったようだが、H派自体がN派と合併したり、独立したり・・・現在は独立しているらしい。。。そして、私の記憶にある祖母は(私が5歳ごろ)M派の集会に通っていた。母は・・・N派だったが、私が中学生ごろからM派になっていた。私自身、母とM派の家庭集会に通ったり、そこで賛美歌の伴奏をしたりしていた事もある。だが、結婚して、M派を永いあいだまとめていた地域の長老格、Aさんがご老体になってから私はそれら宗教関係には足が遠のいていた。なぜなら、人が集まればそれなりの欲や権力がからむ。それを見せられ、嫌気がさしたからだった。しかし、祖母は私が宗教関係から手を引いた本当の理由を知らなかった。そして・・・実際問題、祖母のお財布状況がどうなっているのか私はまるで知らない。しかし、年末になるとあちらこちらの昔お世話になった教会から献金の礼状が届いていたようだった。その様子を見て、主人は宗教とは合法的な詐欺だとも言っていた。私自身は・・・本人が満足するのであればそれで良いのでは?と思っている。そんな実情とは関係なく、祖母は私に日曜礼拝に行くことを勧めた。(単純に車を出して欲しかっただけかもしれないが・・・)私はやんわりと拒否した。子供が静かにしているのはまだ難しい年齢だとか言って・・・しかし、祖母としては、私が賛美歌を弾いていた事もあったので教会で弾かせたかった様子だった。しかし、あのような物は・・・遊びで弾くのと訳が違う。弾きながら祈りがないと弾く事は出来ない。祖母の通っている教会を否定していては、弾く事は不可能。もし、次回、言われたらはっきり言おうと思っていた。ところが・・・その必要もなくなった。私が以前かかわっていたM派の事を異端だからやめるようにと言い出した。異端とは???昔から、何かにつけて異端者と呼ばれ嫌われる存在があるが、異端と言う意味は???辞書を引くならば、少数派と書かれている。日本の法律で見るのであれば、宗教は自由であり、公共の福祉に反しない限り好きな物を信じ、それを妨害されないとある。つまり、他者に迷惑をかけなければ自由であるわけで・・・祖母に異端だから・・・と文句を言われる筋合いは無いわけなのです。私は祖母に言いました。祖母も、一時はM派に通っていた事がある。それを今、参加していないから異端だというのは・・・そして、古今東西、宗教戦争とは相手の考えを認めない所から始まっている。聖書には、自分と考え方の違う人に対して相手を攻撃し、争えと書いてあるのか?(こういう言い争いは得意です。エヘヘ)その後、いろいろな人が私を祖母の入っているH派の集会へ・・・とお誘いが来ましたが、全て拒否した私。だってね、最初はいいけど、只じゃすまないし。。。そんな所へ行っているほど暇じゃないし・・・もっと別のことに時間を使いたいし。。。主人曰く、社交場なのだから・・・こっちは付き合う暇が無い。。。たしかに、これは一理ある。いかなる目的でも、本人が納得して行ってハッピーになれるのであれば良いのですが・・・私には無理だと思う。。。
2005年08月25日
大分日記をためてしまいました。せっせと てまりを作っておりました。日曜日に写真を撮ってもらってUPしますのでよろしく。フリマのほうは毎日出品していたのですが。。。買うのと売るのとで収支0かな???過去日記の方はちょっと書きにくい内容で・・・エンジンがかかりません。(注意:これは平成5年ごろの事です)父方祖母が、突然言い出してきた。あんたたち、いつまでM農場に居るつもりなの。早くこっちへ来なさいと。早く来なさいって言ったって、荷物を置く場所もない。私たちが寝る場所は客間があるから・・・と言うが、親子3人で6畳一間では・・・それを言えば、自分たちは3畳と4畳半のところへお舅さんたちが3畳で自分たちは4畳半だったと言う。あ”””~~それっていつの時代の話?!?!父が昭和10年生まれだから、その頃でしょ!!戦前の・・・でも、そのような事にいちいち議論していては始まらない。おまけに・・・荷物は外にビニールシートかぶせて・・・ダメなの???あのね!!そのような事をしたら、本なんてすぐダメになってしまう。私が集めた布や糸などもそのような方法では保管できない。それに・・・・1日か2日だったら我慢もする。だけど・・・雨が降ったらおしまい。何考えているの!!私はのどまで出かかった言葉を飲み込んだ。主人曰く、人間は自分の生きてきた世界の尺度でしか物を考える事が出来ない。それに・・・祖母は早く、早くとせかす。(後でわかるのだが、言うだけ言って何もやらない人。 はっきり言って私が一番嫌いなタイプ!!)私だったらすぐに喧嘩になりそうなのだが・・・主人はさすが、17歳年上の事はある。適当に、柳に風と流す。もっとも、場合によってはこの態度が相手を怒らすのだが。。。主人いわく出来る時間は限られている。急げと言っても出来ないことは仕方がない。早くしようと思うのであれば、片付けぐらい手伝うか、それとも重機を使わせてほしい。しかし、それは認められないと言う。いよいよ私のほうがキレテきた。ある日の夕食のときに、私は祖父母・父の前で言った。早くしてと言うのであれば、あの場所を片付けるのに機械を使うしか方法はない。それでもそれなりの時間はかかる。あの鉢類を壊してよいのか?と言えば、祖父と父が反対した。そして・・・祖母があとで男性たちから怒られたらしい。。。だけど、祖母が早く・・・という理由は別のところにあった。なぜなら、祖母が欲しかったのは・・・台所仕事から解放されること。そして、私に全てを任せようと言う考えだった。そうして欲しいのであれば、そのように言えば良いのに!!だから後で話がこじれるのよ!!でも、祖父母と父は私に負い目があるので何も言えなかったりする。。。
2005年08月24日
ほぼ週1回のペースで公開てまり講座をこのブログで行っていますが当然、我が家にはてまりの本もそれなりの数、揃えてあります。初級作品から伝統の物、ある方がコレクションで集めた物を本にした物。昭和45年ごろから本が出版されていますのでこれらの本がほぼ揃っています。もちろん、この中には母や祖母が買い求めた本もあります。でも、時々、フリマの古書店で私が持っていない本があったりして・・・厄介な事に、古書に関しては、なぜか写真のない出品が多いのです。表紙をみれば、内容もだいたい見当がつくのですが・・・昨日も1冊本をみつけました。出版社で凄く似ているけど別の出版社があったりして・・・昨日見つけたと書きましたが、実は以前から気になっていた本です。多分、同じ古書店の出品だと思います。その時は、自分が持っている本だと思ったのですが、写真が載っていないのでわからない。。。昨日、やっぱり気になって、自分が持っている本の確認をしました。出版社がよく似ているけど違う!!著者が私のはある方の物ですが出品されている本は、出版社名編 となっている。時々、手毬で検索をいれると『悪魔の手毬歌』 とかヒットします。あ””~~これはミステリー小説・・・つまり、表紙の写真1枚ほしくて購入する場合も稀にありますが小説やエッセイは今買う気分ではありません。ところが、昨日見つけた本は、楽天のカテゴリのなかでは小説・エッセイの分類に入っている。。。出版社は主に実用書を扱う出版社。。。通常のフリマであれば、出品者に質問が出来るのに・・・このショップ、フリマなのに質問が出来ない。本の写真も載っていない。。。詳しい商品説明も無い・・・たしかに、1つずつ写真を撮って出品する作業はなかなか大変です。(私は布を出品する際、スキャナを使っていますが・・・)でも、手にとって見る事ができないネット販売では特に古物の場合、写真は重要と思うのですが・・・自分が持っている本だといけないので、ネットで調べまくりました。本当は表紙の写真だけでも見たかったのですが・・・ようやく、1件見つける事ができました。神戸にある図書館の蔵書目録の中に・・・出版社と書名・著者名の一致がみられたので、購入することに。残念ながら表紙の写真は見る事ができませんでした。コメントを書く欄がありましたのでそこに本当は質問をしてからオーダーしたかったのですが・・・この本は、写真や作り方の手引きなどが書かれた本でしょうか?小説やエッセイなど、活字がメインの本でしたら申し訳ありませんがキャンセルしたいです。一般の手芸書、又は写真集などに分類される本でしたら是非欲しいです。よろしくお願いいたします。夜、メールが届き、回答が・・・ご利用有り難う御座います。写真も挿入されてるてまりの作り方の本です。このショップのシステムとして見積書が届くので、それを返信して注文確定。キャンセルの場合は、キャンセル理由を書き、キャンセル。てまりの作り方の本と言う事なので、購入決定です。かなり古い時代のてまり等は、空間処理に刺繍などが入れてあり手の込んだ作品が多いこともあります。それに、色使いなどドキッとする物もあったり・・・(これはアンティーク着物なども同じですね)着物などはリメイク用に古い時代の物が売られていますが、購入してもリメイクしなければ使用できなかったり、問題は着る機会がないこと。着た後のメンテナンスが・・・という訳で、着物は画像を頂いて我慢。。。母が残したたんすの中には中身を確認していない着物も大量にあったりして。。。以前は着物のリメイクも考えていましたが、手毬との両方は無理なので完全にあきらめています。でもね、着物の写真を頂く為に新規出品メールが届くように設定してあるのですが・・・写真がなかったり・・・カタログの写真をそのままコピーしてあったり・・・こういうのって、買うの怖いですよね。何が届くか、凄く不安。ピンボケしていて勿体無い。。。そう思う写真もありますが、やっぱり自分で撮りましたってわかる写真でないと・・・そうそう、ヤ○ーは利用してないのですが、評価○になりましたっていうイタズラメールが・・・それでヤ○ーへ見に行ったら・・・トラブルを避けるために、カタログのコピーをそのままと言う場合、手元に商品がない可能性もあるので、注意!ってありました。写真を撮って出品するのって結構手間だけど、やっぱり自分で撮りましたってわかる写真って安心感の一つだと思った私です。
2005年08月23日
(注意:これは平成5年ごろの事です)子供が生まれました。の葉書を親戚、その他に送って・・・あわてて電話をかけてきた おば二人。あんたたち一体何があったのかね。何がって、赤ちゃんが夜泣くのに我慢できなかったのよ。食事だって。。。別に嫌いな物があるから、箸をつけない。これは別にかまわないよ。でもさ、私はそのような物は見たくありませんって自室にこもっちゃって、今度は呼んでくれないって怒っているんだから。面倒みきれないよ。ただでさえ、自分とベビーの事でそれ以上なんて・・・私はこのように答えた。おばが言うにはY子は(母のこと)昔からわがままだったから。3ヶ月から仕事に出たんだし・・・え???産後の回復が良くなくて、ぐずぐずとしていたって聞いたけどそれって?????でも、この時はおばは多くを教えてくれなかった。ただ、まだ教員免許を取っていないのに、産休補助で臨時職員をしていた事があること。幼稚園なども経験があること。無免許だけど、アルバイト的に教員や保母などをした事があること。この程度しか私は知らなかった。でも・・・母が他界した時、いろいろな書類から私は私が生まれた前後に母がどこで何をしていたのかを知る事になる。
2005年08月22日
実は、20日公開の映画、『劇場版 ×××HOLic 真夏ノ世ノ夢』『劇場版 ツバサ・クロニクル 鳥カゴの国の姫君』 親子でこれを見る予定でした。我が家から一番近くが、三島。調べないで行ったのもいけなかったのですが、残念ながら、この劇場では上映されていませんでした。仕方なく、NARUTOをみて帰ってきた私たち。子供との約束で、碁会所・映画どちらかを選択。映画も、ツバサ・NARUTOのどちらかを選択。と言う事になり、子供はツバサを選んだのですが残念ながら・・・私の本音は、映画2本見たかった。でも、予算は2千円。(私は障害者割引で千円だから)子供も、2本見たくて悩んでいたようですが、両方見るのであれば、2千円自分で出す事。と言ったらば、ツバサを選択。調べてみたら、一番近くて小田原だったのね。でも、場所、わからないし・・・小田原って車を止めるのに非常に困るのよね。電車の乗換えなんて、私、かなり厳しいし・・・と、いう訳で、仮に調べたとしても三島でやっていないから、ダメ!になってかもしれない。とにかく仕方なく・・・って気持ち半分でNARUTO見てきました。なかなか良かったです。劇場版、見なくてもコミックスは買う予定だったし・・・見られなかったツバサとホリックの劇場版コミックスも是非発売して欲しいわ。今回のことでよくわかりました。派手に宣伝している作品は別だけど、あまり宣伝していない作品は三島で見るのは難しいって事。昔は、東宝・東映・松竹って劇場別に別れていたけど郡部は関係ありません。売れ筋が上映中。だから、話題作だったら1件の劇場で大抵見る事ができます。あ~ん!!見れなくて残念。遅くても良いから、近くに来て欲しいわ。。。やっぱり、納得がいかなくて見たいと内心思っている駄々っ子の私です。劇場内、上映が始まったらエアコン設定変えたらしくちょっと寒かった。。。途中からお手洗い行きたくなって・・・でも、いい所だから立ちたくない。。。スタッフロールが出て、画面が暗くなって、急いでお手洗いへ。子供には入場券の自販機の前で待つように言って・・・親子連れが一組、お母さんが手を洗う時 譲ってくれました。お嬢さんも、黙ってドアを開けていてくれて。。。うちの子供より少し学年が下かな?と思えるお嬢さんでしたが・・・ありがとうって声をかけたら、少し恥ずかしそうにニッコリ。杖を使っていると、急いで動きたくても動けない。片手がふさがっているから何かと不便。でも、何も言わずに当たり前にドアを開けて待っていてくれるなんて・・・うちの息子はここまで気が回るかしら?いつも、バタンと飛び出して行きそうになるから、後ろからいつも言っている。後ろに居る人に気を配りなさいって。男の子と女の子との違いなのかな???でも、お母さんがどうぞって譲ってくれた所をみると、やっぱり自然に当たり前に出来ているって感じで気持ちよかったです。
2005年08月20日
(注意:これは平成5年ごろの事です)私が結婚前に母がいつも言っていたとは・・・この家のものは全てあんたの物になるのだからね。(私は一人っ子です)と言っていた。そして、結婚して家を出た時も、私の使用していた2階の6畳の部屋はそのままにしておくから。そのように言われた。しかし、いざ、結婚して子供が生まれ、成り行き上、離婚した父のところへ行く事が決まり・・・最初のうちは猫の置き土産(蚤)に関してがたがた騒いでいたが、それも落ち着き、これで・・・と思った時に信じられない事を母は私たちに言ってきた。実は・・・母が部屋をそのままにしておいてくれると言っていたので、着物用のたんすも、買い込んだコミックスも、ダブルベットもコレクションの猫の置物も、藤のドレッサーも全て、私は家に置いていった。そのような物を置くスペースは新居の無かったから。ところが2階に置いてある私の荷物、全てを持っていくようにと言われた。しかも、なるべく早い時間に・・・本類は全て泣く泣くなじみの古書店に引き取ってもらった。そして、主人の友人の人に頼んで、たんす、その他を運び出した。主人が用意してくれた山の家は予定が二転三転したが、それでも少しずつ進んでいた。当初の予定とは大幅に変わり、土台部分は親父が鉄骨で作り、その上に中古のプレハブを乗せる事に決まった。寒さと湿気対策の為に、内装は杉板の無垢を使う事に決定。なぜなら、M農場で使っていた家も、壁に杉の無垢を使用していた。土地柄、湿気が多い。風通しも良くない。それでも、それなりに快適だった。(猫が居るので、必ず猫用ドアが開いている)しかし、母の家は新建材の家。猫用を扉をサッシにはめ込んだら・・・常に湿気が入ってくるためにお世辞にも快適とは言えなかった。無垢の家と新建材の家がこんなにも違う事に改めて気づいた。母が荷物の話をしたのはようやく基礎の上にプレハブが乗せられた頃だった。まだ内装工事や、設備工事などが残っている。とても引越しできる状況ではない。無理を承知で、無理難題をふっかけ、出来なければ・・・これが母のやり方。こうなればもう、意地になるしかない。とにかく、主人にも言われた。お金で解決できる物は全て捨てるようにと。いずれ買い戻して何とかなる物であるのであれば捨てるしかない。そう言われても・・・買いたいときに買える保障なんてないのに。着物とたんすだけ作りかけのプレハブに運び込んだ。そして・・・その他の物は全て、捨てる結果になった。コレクションの猫は捨てる事が出来なかったが、結果として残ったのは陶器だけだった。さすがにぬいぐるみ関係は、カビなどが発生し、後日捨てる結果となった。そして、この日を境に、当分の間、母とは音信普通になる。ある意味、母と切れてすっきりした。。。そういう部分もあった。一難さって又一難。今度は、父方の祖父母がガタガタ言い出した。。。。。
2005年08月19日
(注意:これは平成5年ごろの事です)私の産後の1ヶ月検診、ベビーの1ヶ月検診も終え私はまだ出血が続いていたが、経過観察ということで1ヵ月後に来るように言われ、無事終わった。主人はまた以前と同じ仕事のペースに戻った。3日前後豊橋方面へ仕事へ行き、3日前後家に居る。家に帰ってきたら、新居の準備。主人はお金を稼いでくるが、それ以外は全て自分でしなければいけない。誰もあてに出来ない生活。それでも、周囲に何の気兼ねもいらない生活は気分的に楽だった。夜中に子供が泣こうとも、隣の家を気にしなくて良い。時間を気にせずに洗濯機を回す事が出来る。お風呂は・・・子供が居ない時は銭湯を利用していたが、この頃は父の家のお風呂を使うようになっていた。でも、自分の父親と祖父母と言っても、20年間音信普通だったのでほとんど実感がない。草ぼうぼうで、平らな場所はほんの少ししかない山の中。その草をどけると、下からは苗木やさん時代の名残を思わせる植木鉢やら、ビニールポットが出てくる。祖父が元気だった時、苗木やさんをする為に仕事をした名残。1ヶ月入院した後、荒れ果てたと聞く。それらを片付けて、そこへ家を建てることにした。下がそのような状態なので、草刈機は使用できない。全て手でしなければいけないので時間がかかる。主人は重機を持ってきてまとめて・・・と思ったそうだが、下から凝った鉢などが時々出てきてそれらは皆、父や祖父たちが生活するのがやっとだった頃に買ったもの。その大変な時期に苦労して買ってきたものなので、父も祖父も捨てる事は出来ないようだった。主人に言わせれば時は金なり。と考えるようだが、父や祖父は大事に取っておけと言う。つまり、片づけをしなければ家を建てる場所がない。仕事をしながらなので、休みの日にしか出来ない。私は何も出来ないので、主人に任せるしかなかった。ほとんど顔をあわせることが出来ない生活。それでも、ある程度は仕方ないとあきらめるしかない。亭主元気で留守がよい。そのように割り切ろうと努力した。その間、母のほうは・・・猫(モカ)を連れての移動だったので、当然、猫の落とし物、ピョン(蚤)がある。何度か蚤が残っていてかなわないと電話が来た。そのたびに貴重な休みを削って、主人はバル○ン等を炊きに行った。3・4回行ったと思う。アレルギーで痒くてたまらないと電話で言ってくる。私自身、そのような時の母の声を聞くのがいやで、電話は常に留守電状態。相手を確認してから出ないと出なかった。母のは本当のアレルギーではなく、気分的な物だったらしい。なぜなら、痒くてたまらないというが、蚤に刺された後は通常はほとんどわからない程度に小さく針で刺したような後ができる。本物のアレルギーの場合、それなりに腫れ上がる。母の傷はかきむしった傷だったようだ。猫がそこに居た。蚤を落とした。じっとしていると、何かが身体についた感触がある。蚤と思ったとたんに痒くなる。そして、母は自分が無視されたと思い込んだようにも感じられた。しかし・・・半ば追い出されたような形だったので、どうする事も出来ない。しばらくして、おば二人が電話をかけてきたそうだ。その時に母は、勝手に出て行ったからどこに行ったのか知らないと答えたと言う。あわてたおば達。そんな事は知らず、表向きの住所は父のところに移し、電話はM農場の家に引き、子供が産まれて1ヶ月を過ぎた頃、出産しました。の葉書をおば達のところに出した。早速、電話がかかってきた。Y子(母のこと)の所に電話をしたら知らないと言うし・・・どういう事かと聞かれた。私はびっくりして答えた。知らないはずがない。毎日のように、なんだかんだとうるさく電話がかかってくる。いろいろあって、出られない事も多いけど、郵便物は父のところへ届くように手配してあるし、電話だって・・・呆れていたおば達。私も母にはいいかげんキレかかっていた。自分が中心にいないと気がすまない性格。ベビーが生まれればそのような事は言っていられない。嫌でもベビー中心になってしまう。その事に腹を立てられても仕方がない。そして、母からまさかあのような事を言われるようになるとは・・・私も予想していなかった。
2005年08月18日
(注意:これは平成5年ごろの事です)主人が今居る家を出て、元のM農場に戻ると母に伝えた。もちろん、その場には私も同席していた。母の家に居た期間は・・・私が入院中の1ヶ月間、そして退院後の1週間。正味6週間ほどだった。母は自室に戻り、電気・水道・ガス、そして洗剤の空箱を私たちに示した。つまり、一人暮らしで居た時と私たちが行ってからの経費の差額を示した。そして、母は主人をなじった。あなた方は居候していたわけで、家の手入れ、庭の手入れをしてくれるはずが何もしてくれなかった。自分が出した出費はこれだけあると言い出した。主人は遊んでいたわけではない。新居を用意する為に準備をしていた。と、言ってもアルバイト的な仕事も多かったのだが。。。そして・・・主人はどちらかと言えば体臭がきつい方だが部屋が臭くて困る。洗剤の使用量もこんなに必要。夜中に洗濯機を回されては眠れない。等等・・・そして、私自身、すでに食品添加物でアレルギー反応が出始めていた。主に、それは湿疹という形で出る。調味料などにいつにまして気を使った。牛乳や卵も、安心して買える場所からの通販で過ごしていた。水も、浄水器を通した水しか飲まないように気を使っていた。しかし、この事を母は、贅沢と言った。確かに、特売の調味料と比べれば高い。特別のお店へ行く、取り寄せることでないと手に入らない。しかし、何でも良いと食べれば身体中、赤く腫れあがる。アレルギーと断定できなかったが、食べ物が原因。これだけははっきり言えた。なぜなら、家で調理した食べ物はまったく大丈夫だったから。ベビーの世話と、母との板ばさみできちんと診断してもらう事すら出来なかった。でも、本能的に、避けたほうが良い食事はわかっていた。しかし、母はそれを贅沢と言う。何を言っても無駄だった。なぜなら、母は同じ物を食べて、何ともないのだから。私は何ともないよと平然と言う。そう言われたら、何を言っても無駄。私たちが持ち込んだ布団が臭くてかなわないとも言われた。確かに山の家の周辺は牛も居る。当然、牛を飼うということは、それなりの臭気も発生し布団その他に気づかないうちにしみついていることも・・・しかし・・・この年は記録的な冷害・冷夏。雨が多く、日本が減反政策を行ってきた結果、お米の不作の為に外米を輸入した年だった。梅雨があけない・・・いつ、あけるのだろう。。。そう思いながら、久しぶりにいいお天気が続いた・・・そう思った時には既に10月近かった。布団なんて、干したくても干せるような日はなかったように思う。母の言動にあきれ返った主人。そして、あれは親子の関係ではない。大屋と店子の関係だと言われた。私はこうなる事がある程度わかっていた。だから、母の家に来る事だけは嫌だったのに・・・今さら、何を言われても何とも思わないと思っていたのに・・・それでも、主人からこのように言われた事にはやっぱり悲しかった。とにかく、退院して1週間で元居た家に戻った。電話の工事の人に、1ヶ月少々で、元の場所への引越しと言う事態にあきれられた。そして、最低限必要な物を主人のワゴン車に積んでM農場へ戻った。つみきれない物は、全て2階の私が結婚前に使っていた6畳の洋間に入れる約束をさせられて・・・車に乗ったとき、一番顔をあわせたくない人に逢ってしまった。隣のKさんの奥さん。そして、後日、Kさんの奥さんに散々言われる事になるのだが・・・私たちが出て行くのを見送った時、母が言った言葉は・・・あー せいせいした。と言ったそうだ。どこまで本当でどこまで作り話なのか真相はわからないが、それでも、母なら言いかねない。そう思える言葉だった。
2005年08月17日
(注意:これは平成5年ごろの事です)別に何事もなく終わった。そして、私はDrにあの家では赤ちゃん、泣く事出来ないからもと居た家に戻ると伝えた。赤ちゃんは泣くのが仕事だと言ってやりなさい!とDrに言われた。それが言えるのであれば苦労しない。言ってわかる人であれば苦労しない。言ってわからない人には何を言っても無駄。これはDrに対しても同じだと私は感じた。Drは・・・奥さんは居るけど、どうやら奥さんは子供が出来ないらしい。それに、どちらかの親との同居って訳ではないし、奥さんと二人暮しらしい。他人の子供と自分の子供、自分の子供となれば責任も変わってくる。世話をしなければいけない度合いも。。。とにかく、次回はベビーと一緒に1ヶ月検診となった。
2005年08月16日
(注意:これは平成5年ごろの事です)本来の予定では・・・主人が私の父のところへ家を建て、住める状況になったら引越し。それまでの間、私は実家に居る予定だった。しかし・・・母は母だし、私も・・・主人が家を出ようと言い出した。昔であれば、どこの家にも子供が居て、10件もあれば、2・3件にはベビーが居て・・・そんな時代もあったが、今ではベビーそのものが珍しい。夜泣きしても、笑って許してくれる環境は少ない。口に出さなくても、毎晩うるさい・・・そのように思う人は一人や二人必ず居る。アパートでも借りるか・・・と主人は言ったが、我が家の状況からしてそんなお金は無い。私は主人に言った。もし、Mさんが良いと言ってくれるのであれば、今まで居たM農場のあそこが良いと。牛は居る。牛の仕事で遅くまで重機が動いている事もある。隣の家とはかなり離れているので、どんなに騒いでも誰も何も言わない。安心して夜中に洗濯機も回せる。主人がMさんに事情を話し、快く使わせてもらえる事になった。そして産院の1週間検診をし、その翌日、引っ越す事に決めた。
2005年08月15日
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古いタイプの同社の製品は、紙の質は写真用の葉書の表面のようにツルツルした質感。裏表間違えないように紙の端に切込みが入っていて角が切り落とされた物を特定の方向にプリンターにセットして印刷するように説明が書かれていた。使用した感触は・・・私は手毬に文字を転写する為に使用していました。手毬の土台には文字が写りやすくする為に、そして細かい文字も綺麗に刺繍できるように表面を真綿でくるみます。そして、以前のプリントペーパーの時は非常に鮮明に文字を転写する事ができました。転写方法は和裁のおコテを利用します。コテを当てて、そっとはがすと・・・ビニールのまくが張り付くような感じで・・・コテの温度が低くてうまくいかないときはそのまま再チャレンジ。綺麗に転写する事ができました。しかし、今回使用したのは下記の商品。(行きつけのPCショップでこれしか見つからなかった)エプソン社製カラーインクジェットプリンタ専用のアイロンプリント用紙。A4サイズ、5枚入り紙をさわった感触は普通の紙とほとんど変わらない。印刷面と裏面を間違えないように、裏面には青い線が印刷されています。どうしても転写する事が出来ませんでした。多少は色が移りましたが、どう見ても、転写されたと言うには程遠いレベル!!思わず、メーカーさんに電話。メーカーさんのお答えに私はキレました。(もっとも電話口で怒鳴るような大人気ないことはしませんが)プリンターは何を使いましたか?キャ○ンの物です。当社の物でないと・・・そういう報告がお客様の方から来ているのでしょうか?いいえ、そういう訳では・・・わかりました。私は自社製品でないと、使えないって言い方がキレました。サイトで調べていくと・・・顔料系インクはダメとか・・・我が家のはバブルジェットですが、そういう内容でインクが対応していないので・・・そのように言われれば納得もします。しかし・・・当社の物ではないので・・・この言い方はないでしょ!!なぜ、私がエプソンのプリンタからキャ○ンに変えたか。お値段の問題。お値段に対する性能の問題。そのために変えたわけです。サポートセンターの電話対応でもう絶対に買いたくないという気持ちもありますね。この殿様商売的な感覚 (ー_ー)!!おまけにこのサポートセンターの電話はナビダイヤル。1分間におよそ10円(だったかな?)の電話料金がかかる。今回は転写シートが間に合わないので、とりあえず、半紙に印刷。紙が薄いので紙詰まりを起こしたりして大変でした。紙を取り除くとかえって汚くなるので、細長く切った紙を毬に貼り付けました。現在、その上から文字を刺繍中。紙を貼り付けると、真綿の感触は消えます。だから、本当はやっぱりアイロンプリントでやりたいのです。ネット検索で他社の(プリンターメーカーではない会社の)紙が、いくつか出ていたので、近いうちにPCショップを見に行ってきましょう。ダメな時は送料かかるけど、やっぱり楽天から買うしかないか。。。ちゃんと使える保障はないけど・・・やっぱり、あの毬の完成形を私も見たいから・・・イメージ的には出来上がっているのですが、第1回目の試作品。土台を布で包んで刺繍したのでシワが出て失敗。文字転写に関しては成功。イメージどおりの作品・・・と言う点では毬のサイズが小さくて失敗。第2回目の作品。文字が上手に転写できて文字刺繍ができる。これの確認の為に作り、この条件では成功。現在、この毬は栃木の主人の実家にあります。第3回目の作品。(現在製作中)イメージでは花を入れたかったので、前回の作品は籾殻カップ50杯使用したのですが小さくて花が入りませんでした。(花を入れるスペースが無くなった)そのため、今回は100杯使用して大きな作品で。ですが、上記理由の為、そして花のスペースも思ったより小さかった。そういう訳で、まだまだイメージどおりの完成には程遠い現状なので、試作品の繰り返しです。次回作くらいで決めたいのですがアイロンペーパーのテストという意味では50杯で一度作るしかないかも・・・
2005年08月12日
現在、買いためた綿レース、はぎれの在庫処分をしています。パッチワークとかその他いろいろな手芸をかじっていたのですが、てまり 作っているとやる暇が無いので。毎日少しずつ出品していきますのでよろしくお願いいたします。
2005年08月11日
昨日から作り始めた手毬は直径25センチ、円周76センチ。細かい文字が大量に(?)入るために今まではワードで文字を作り、アイロンプリントペーパーに印刷。和裁用おコテでアイロンプリント。その上から刺繍をしていました。(画数が少なければ他のやり方もあるのですが、画数が異様に多い文字もあり)土台毬は既に出来上がっていたので、地割をしてプリント開始。と思いきや・・・写らないよ~~(T_T)以前、もう少し小さいサイズで作った時はアイロンプリントペーパー、つやつやの面と普通の紙の面とがあり、つやつやの面に印刷してください。という注意書きがありました。でも、今回買ったものは・・・一見、普通の紙と同じ!!間違えないように、紙の裏側には線が印刷されていました。注意書きには無地の面に印刷してください。とありました。一生懸命 粘ったけど、やっぱりプリントが写りません。これでは目的の毬が作れない!!そして、古い刺繍で使われている技法を試す事に。これは、薄紙に図案を書き、紙の上から刺繍をするというもの。刺繍完成後、不要な紙を破いて取り除く。普通の面を埋めるタイプであればうまくいくはず。でも、私が刺繍したいのは、画数の多い文字。とりあえず、半紙に印刷してみる事に。普通にプリンタに半紙をセットしたら・・・トラブル続発!!紙が薄すぎて 紙がありませんと認識される。そんなに大量にセットするわけにもいかないので、A4サイズに半紙を切ってチャレンジ。紙詰まり続発・・・でも、何枚かは無駄にしたけど、とりあえず印刷完了。刺繍開始。平面に刺す刺繍と違い、球に刺すので当然ながら勝手が違う。プリントされていれば問題ないのですが・・・紙を貼り付けるわけにはいかないので、待ち針で固定。なんとか1行刺し終わり、針の先で丁寧に紙を取り除く。やはり、プリントした物と違い、少し文字が崩れて見える場所も・・・でも、とりあえず始めたのだから最後まで・・・前途多難です。毬のサイズが大きいので重さもそれなりにあります。既に腕は筋肉痛状態。(T_T)無事完成するのか・・・自信はありませんが、頑張ります。出来上がったら、写真公開しま~す。(*^_^*)
2005年08月11日
(注意:これは平成5年ごろの事です)うちの息子と1ヶ月違いで、友人が出産していた。彼女は2歳年上の1号ちゃんとそしてうちの息子より1ヶ月早い2号ちゃんと。彼女との付き合いは中学生の頃から。それほど べったり という付き合いは無いが、つかず離れず。妊娠中、そしてその後、何回か遊びに行ったりしていた。妊娠中のある日、彼女から聞いた言葉。子供が産まれて一番つらかった時に、彼女のお母さんが言ったそうだ。あんたね、今が一番たいへんだけど、つらいのは一時だからね。1週間、2週間、1ヶ月、1年だんだんに楽になるよ。そして、一人目の子供を産んで、2年が経過して本当にそのとおりだったとしみじみ言っていた。私は子供が産まれる前に彼女からこの言葉を貰う事が出来た。いろいろあったけど、いつも彼女から聞いたこの言葉だけが支えだった。
2005年08月10日
少し前だがかなり売れた本で本当は怖い○○童話がある。しかし、日本の子守唄も歌詞をよく聞けば凄い内容を歌っている。私も子供が産まれた時(12年前)子供が泣くたびに母に言われた。誰たたいた。誰がつねった。泣くじゃない。ある意味あやし言葉だとわかったのはそれから数年後だった。しかし、産院では赤ちゃん、泣くのが仕事だからね。いっぱい泣いていいんだよ。そう、教えられた身にはかなりショックな言葉だった。なぜ、日本の子守唄は残酷なのか?これはつい、数十年前までの日本の子守事情を知らなければ理解できない内容でもある。貧農家庭では、女の子はそれなりの年齢になると子守奉公に出された。少しゆたかな農家だったり、商家だったり・・・なぜなら、一人でも家に居る人間が少なければ食い扶持が減るから。食糧事情の厳しい家庭では、労働力にならない子供は外に出すしかない。女の子は子守奉公へ、男の子も丁稚奉公へ。子守奉公と言えば聞こえは良いが、実質、人身売買と同じと聞く。かって嬉しいはないちもんめ負けて悔しいはないちもんめかって は勝って ではなく、買ってつまり人身売買の仲買業者が女の子を安く買い叩き(子守奉公はまだ良い方で、遊郭とか・・・)負けて は安く買い叩かれて・・・というとも聞いた事がある。はないちもんめ とは いちもんめ つまり、もんめ という単位だったりする。あまり詳しくは無いが、たしか重さの単位だったように思う。内容を知れば知るほど、人身売買と言うには・・・つまり物は言い様であり、いちもんめ の米と(雑穀と?)交換だったと聞く。貧農の家には秤なども無く、なんだかんだで減量され・・・実質的には只同然だったとも。そして奉公先では、一番幼い子供の仕事が子守奉公。自分が任された子供を泣かせれば、奉公先の人に怒られる。奉公先では、お給料などは無く、お仕着せといわれる粗末な着物を与えられ、食事と寝る場所が保障されているだけ。だが、それも今の食生活から見れば、十分に食べられていたかは非常に疑問でもある。つまり、子守唄とは赤ちゃんをあやす為の唄ではなく、子守奉公のつらさを歌った哀歌ともいえる。泣くな、泣くな、泣くとたたかれる。このような歌詞を聞いた事があるが、まさにそのとおりだったらしい。母の家は、奉公人が来ていた家で、大学など行くのが非常に珍しい時代に女性までが大学へいけた家だった。それを思えば、やはり裕福な家と言うしかない。そして、母には子守さんがついていたと聞くし、7人兄弟の末っ子。赤ちゃんのうちに亡くなってしまった兄弟も居るらしいが、私が知っている母の兄弟は女姉妹4人、お兄さんが1人。一人に一人ずつの子守さんがついたと聞く。ある意味、母は子守さんにお世話になり、それが当たり前と思っている部分も見えた。主人などはそのような物とは完全に切り離された世界で育ったらしく、どちらの立場も理解できない人でもある。そういう歴史に残らない、女子供の悲哀の歴史など話しても、そういう時代がかつてあった。自分には無縁の・・・と思っているように感じる事も多い。しかし、以前ラジオで民謡を集めている人が言っていたが、それはつい最近まで・・・昭和30年代ごろまで行われていたらしい。そう言われてみれば・・・私が保育園に入るとき、保育園は入園制限が厳しく家が商店だったりすると、従業員を雇っていたりした場合保育園に入れるのであれば、もう一人従業員を雇って・・・と言うような事を役場では言われたらしい。私が高校卒業の頃に、ポスターで最低賃金制を知っていますか?これは時給・日給・月給、最低限保証されなければいけない賃金であり県単位で決められていると書かれていた。そのことから逆算すれば私が保育園の頃は・・・従業員の給料は保証されておらず、食事に困らない保障だけだったのかもしれない。
2005年08月09日
(注意:これは平成5年ごろの事です)赤ん坊を泣かせないようにするのが母親の務めだと私は母に言われた。産院では、赤ちゃんは泣くのが仕事。泣いて教えてくれるから、泣いてからゆっくり支度をすれば良いのよ。ちゃんと大きな声で泣く事で心肺機能が発達するのだからと教えられた。しかし、母はそれを許さない。夜中に泣く声が聞こえれば、何をするかわからない形相で近寄ってくる。私は泣かせないように少しでも泣きそうなそぶりを見せれば先回りして、ミルク・おしめの準備をした。母乳は与えたかったのだが、産まれた時の体重が若干少なめであった事。私自身が薬を服用しなければいけなかったこと等で初乳を搾乳して与えただけで終わった。何も知らない母は、なぜ母乳を与えないのか?飲ませてみれば?などと言う。母乳を与えようとしても、哺乳瓶になれた子供は泣き叫ぶ。やっても良いけど、もっとうるさくなるよ。と言ったら黙った母。そして・・・夜、泣かずにフニフニ言っただけで済ませる事が出来た日の翌日。昨日は泣かなかったじゃ。やれば出来るじゃ。そうやって赤ん坊は育てるのだと言い放った。私は・・・泣かせない為に睡眠時間は0に等しかった。我が家のその頃の状況は・・・主人は今の場所に移るために家を建てる準備をしていた。Kさんとの仕事は、日帰りのみの仕事になっていた。当然、仕事量は激減しているので、収入はほとんど無し。時々、親父の仕事の手伝いをして日当相当のものを貰うだけだった。食事の支度は自分でしたくても出来ない。母は、今まで私はこういう食生活をしてきたのだからと買ったものと、もらった物で済ませる。私の食べられる物は何も無かった。主人にそのことを言い、母に食事を作ってもらうくらいであれば主人に作ってもらったほうが安心できると言った。もちろん、主人は作ってくれたが・・・その事が母の神経を逆なでし、状況はさらに悪化した。主人が作った食事を見て私はそのような物を見たくない。と言って自室へこもってしまった。別にそれはそれでかまいませんよ。しかし、その後・・・台所が開いたのであれば、声をかけるべきでしょう!!それを、勝手な事ばかりして!!と言い出した。母の食事の好みは・・・カステラ・あまーーい煮豆。あまーーい玉子焼き。肉、嫌い魚、嫌い色の濃い野菜、嫌い。嫌いな物は見たくない!!ご飯よりカステラで食事の代わりにするような人だった。そして、コーヒー。何を食べて生きているのか?と言いたくなるような食生活。もともと偏食の人だったが、私が結婚をして家を出てさらに加速された。そして、母が言うには・・・昔はちょっとした家では、何かあればお手伝いさんが来た。自分が出産した時も、自分の姉やさん(子守さん)が来て手伝ってくれた。主人に対して、あなたにはそのような力が無い。と攻め立てた。これには私も主人も返す言葉が無かった。確かに私が産まれた時に、昔の子守さんが来て手伝ってくれたかもしれない。しかし、その人に対する報酬は誰が払ったのか?誰の顔で来てくれたのか?私の父にそのような財力は無かった。母も無かった。その報酬は(報酬として払われたかどうかは不明だが)祖母・母の親、又は母の祖母の経済力と、昔からの家柄と私の祖母や曾祖母の顔で来てくれたものであり、母の力ではなかったわけだ。そして、私が出産した時、母には人を頼むだけの経済力と人脈を持っていたかといえば、それは皆無だった。さすがにこの母の言葉には私がキレタ。それは誰のおかげでその姉やさんが来てくれたのか!!母の力ではないはずだ。祖母や曾祖母の人脈と経済力で成り立っていた人間関係だと言い返した。母は、シラッと私にはそんな力ないもん。と言い放った。なら言うな!!私も主人ものどまで出かかった言葉を飲み込んだ。そして、母は言った。もう、限界なんですけどね。この言葉に主人がキレタ。しかし、主人は何も言わなかった。限界だと言えばすむ問題ではない。赤ん坊を放り出せというのか?(後で知るのだが、母は一度私を育てる事を放棄している)私は・・・自分が欲しいと願って生んだ子供だ。私が世話をしなければ誰がする?そう思う反面、母は泣かせるな!!と言う。そして夜中に泣かせないように努力した日が3日間を過ぎた。ただでさえまともに睡眠など取れずに大変だと言うこの時期、私は一睡もすることが出来ない日が3日間を超えた。人間、潰すのは簡単だとどこかで読んだ事がある。単純に1週間も眠らせなければ、人格崩壊を起こすとも聞いた事があった。心の片隅で悪魔がささやいた。泣かせないように、口と鼻を封じればよいと。一瞬、そのような声を聞いたと思った瞬間、空は白み始め、鳥が鳴きだした。そして、この日は1週間後の産院の検診日だった。
2005年08月08日

庭に風呂桶が置いてあり、その向こう側は草むら。オタマジャクシから蛙になったのが、今まで大量にその草むらに・・・でも、1週間ほど前より、チビ蛙たちはどこかへ。今、チビ蛙たちを探すのは非常に難しい状態です。風呂桶にはまだオタマジャクシが30匹ぐらい残っていますが今月中には皆、飛び出していくでしょう。そんな中で今年生まれたモリアオガエルの写真を撮る事が出来ました。昨年も同じ場所で写真を撮る事が出来たので、風呂桶から出た後、まず、草むらで尻尾の吸収の為に、一休み。そして、坂をすこし下って、第2の休憩場所がこの水草の上のようです。(植物はあまり詳しくないのですが、湿生植物です)
2005年08月07日

我が家には猫がいるわけで・・・その猫たちは家の中と外を自由に出入りしているわけで・・・当然、猫の落し物、ピョン(蚤)も部屋中に居るわけで・・・布団を敷く前には必ず掃除機をかけます。夜行性なので、夜になると目に見える場所に出てきます。動きも活発になります。現在、我が家で使用中の掃除機はサイクロン式掃除機。(画像クリックでショップへ行けます)強力サイクロン式「クリーナー」N750使っていて凄く気にいっているのは、フィルターやゴミカップが水洗いできること。いつものとおり、夜、掃除機をかけていたら・・・なんと!!ゴキブリが・・・そろそろ薬が切れる頃だから、取り替えないと・・・(我が家では、アレルギーの関係で、スプレー式殺虫剤は置いてありません。 使うのは、小さなプラスチックの箱で誘引式と呼ばれる物)ダメもとで、掃除機で吸い込もうとした私。なんと!!1匹ちゃんと吸ってしまいました。私に吸い込まれるなんて、なんてドジな奴。(反射神経・運動神経は超鈍い私です)吸い込んだは良いけど・・・吸い込まれたゴキブリ君、ゴミカップの中で歩き回っている。。。さて、紙袋式にの掃除機であれば、超特急でビニール袋に入れるのだが。。。サイクロン式で悠々ゴミカップの中を歩いているということは・・・開けたら飛び出してきたりして・・・そんなのヤダーーーー!!!!!(><)私はパパにヘルプ。パパは台所に居たので、子供に台所へ掃除機を持って行かせ・・・パパに掃除機のゴミすてを頼みました。サイクロン式って毎日の紙袋のコストはかからないから良いけど・・・こういう時、ちょっと困るのよね。。。
2005年08月06日
(注意:これは平成5年ごろの事です)主人のお兄さん夫婦が出産祝いに来てくれた。お兄さん夫婦にはその頃、大学生の息子が二人。私が結婚の挨拶に行ったときに、お義姉さんは娘みたい・・・と言ってくれた。(主人との年齢差は17歳)お義姉さんは、孫を抱くってこんな感じかね。と私の息子を抱いて笑っていた。(残念ながら、孫を抱く事の無いまま逝ってしまうのだが)母に対しては、絶対触らせたくない!!と思った私の息子。ところが・・・お義姉さんがなんか赤ちゃんって見ていて飽きないね。ずっと抱いていたい気分。なんて言っていたときの私の気持ちは・・・すっかり安心してまかせっちゃって、ちょっとそこまで買い物行ってきますので、よろしく。。。なんて言ってもいいような気分。(すぐ帰る人なので、そのような事は言いませんが、私の気分として)母と比べてなんていう違いだろう!!私は自分のこの気持ちに戸惑っていた。しかし、母に対して異常に嫌悪感を持つ理由は数ヵ月後に知る事になるのだが。応接間で私・母・お兄さん夫婦がソファーに座る時、成り行き上、私の隣に母が座る事になった。その時のこと・・・私は嫌だなという気分だけしか無かったのだが・・・主人が言うにはその時の私の表情が見る見るうちに能面のような無感情な顔になったという。この日を境に、母の態度が急変していくのだが・・・
2005年08月06日
(注意:これは平成5年ごろの事です)自宅と言っても、既にこの家は実家状態。私の自宅という気持ちはどこにも無かった。もっとも結婚する前からあの家は母の家であって、私の家ではないと思っていたのだが・・・周囲にこのような事を言っても理解されない。なぜなら、あなたのお母さんでしょ。この言葉で私の言葉は封印される。新生児との生活。子育て経験者ならば誰でも一度は通る道。3時間ごとのミルクまたは授乳。おしめの交換。毎日2階前後は夜中に泣かれる。そして、私は中毒症の経過観察の為に厳重な塩分制限。通常、理想的な食生活とは1日の塩分摂取量はたしか、15グラムといわれていたと思う。(この辺りは専門ではないので、間違っていたらごめんなさい)ところが、私は特別 産院からは栄養指導を受けなかったが、知り合いの助産婦さんが言うには、塩5とか塩7とか言われるランクらしい。これは1日の塩分摂取量を5グラムとか7グラムに制限しなければいけない状況。産院では、塩分は控えめにね。お醤油は減塩醤油を使ってね。と言われただけだったが。当然、毎日の食生活にも影響してくる。もっとも、普段から薄味に慣れているので、厳密な事を言えば別だがさほど厳しいとは思わなかった。昆布やしいたけ、削り節これらをお醤油を使う代わりに使用すればかなり美味しく食べられる。ただし、お醤油は大手メーカーではなく、昔ながらのこだわりの・・・という銘柄を選ばなければいけないのだが。しかし、母は私の状況をどれだけ正確に理解していたのか疑問だった。母がそれなりに気を使ってくれたのは2日間だけだった。毎晩、泣く子供についにキレタ母。毎日泣かせるじゃない!!近所迷惑でしょ!!泣かせないようにするのが母親の務め。食事に関しても、一人分買ってくるのも、作るのも面倒なので一緒に仕事をしている人が時々残り物のご飯とかおむすびにして差し入れしてくれていたようだ。それを食べて済ませる生活。お惣菜やさんから1品買ってきて済ませる食生活。ひどい時は、大手パンメーカーのロールカステラを食事代わりに・・・当然、私はそのような食生活は我慢が出来ない。自分で作りたくても、安静を言い渡されている。おまけに・・・あんたは昼間寝られるから良いけど、こっちは仕事があるから。と言い出す始末。そして私の中の本能は・・・母親だけには子供を触らせたくない。何をするかわからない。そのような気持ちが強かった。そして・・・忘れていた母と生活して間もない頃の記憶がよみがえってきた。自分の思い通りにならないと、ひっぱたく。髪をつかんで引きずり回す。。。主人は今までは一人だったけど今度は自分も居るし、子供と猫も(モカ)も一緒だから・・・と言っていたが、その状況は余計に母との関係を悪化させた。モカは必死であなたの事を認めているのよ。あなたの事が好きなのよ。と母にアピールする。しかし、言葉を持たない猫。母には何も伝わらない。母に、モカがあなたの事が好きって足元をスリスリそのたびに、母はキャーやめて!!そして、モカがご飯を出してもらい、食べているところへ雑巾がけをするためのバケツを持ってきた母はモカの隣へドスンと置く。当然、モカはびっくりして飛び出していく。どうしたの?ご飯たべないの?もったいない!!と怒る母。あなた、当然でしょ!!食事をしているところへ、たんすくらい大きいものを隣でドスンと音をたてて置かれたら・・・食事なんてしていられないでしょ!!のどまで出掛かっている言葉を私は飲み込んだ。言ってわかる人であれば言うが、言えばますます状況が悪くなる。言わないほうがまし。そのような事を何度もされても、必死でモカは母に愛想を振りまく。モカ、あんたも苦労しているね。ついにモカは神経性の脱毛症になり、腰にハゲを作ってしまった。
2005年08月05日
今年は戦後60年。平和の祈りを新たに・・・という事で今年こそは完成させたい手毬があります。詳細は秘密。出来てからのお楽しみ。でも、デザイン的にイメージは出来ているけど細かい所のツメがまだ甘い。その部分だけ別に試作品を作らないとまだちょっと心配。今回の手毬は特大で、私が作る物では最大です。土台毬だけでも丸めようと始めました。(最大サイズの毬は既に下地だけ出来上がっています。)試作品は・・・もみがら10杯使用。直径16センチほどです。以前はこのくらいの物も多く作っていたのですが、久しぶりに丸めたら・・・左手がガチガチになりました。ちなみに、既に出来上がっている特大毬はもみがら100杯使用。直径40センチぐらいかな?模様の方は確認作業だけなので、作り始めれば早いのですが・・・この厚さの中、エンジンがかかるかどうか、非常に微妙です。1年に10日前後しか暑いと思わない山の家ではクーラーが置いてありませんので。
2005年08月04日
毎月3日は某ショッピングセンターのポイント3倍セール。早めに通院を済ませて、銀行回り。そしてフリマの発送。ショッピングセンターでお取り置きの本を引き取りに行ってきました。いつもは留守番を選択するうちの息子。本屋さんも回ると聞き、着いて来た・・・お邪魔虫が。。。通院先は実は子供のもとかかりつけ。(今は縁が切れました)受付のお姉さんが、○○君は?と聞いてくれたので、今日は、お邪魔虫。と答えたら笑っていましたが・・・本当はお昼過ぎに帰ってきて手毬の準備又は、フリマに出す布のスキャナ撮りしようと思ったのですが・・・あまりにも街は暑かった。。。最低限しなければいけない洗濯だけして、お昼寝タイム zzzzz夏休み、なんだかんだ言って、やっぱり暑くて仕事になりません。手も汗かくし・・・汗かいた手で手毬さわると汚れるし・・・1年に一番暑いこの季節。それもあと1週間ぐらいで・・・朝夕は既に秋風が。。。ここは暦どおりに季節が過ぎていきます。
2005年08月03日
毎年、学校プール解放日にはPTAで交代でプール監視当番を行う事になっている。子供も今年は6年生。まぁ、小学校最後の年という訳で何かと忙しい。(もっとも役員関係は入らないように上手に済ませたが)1年生から4年生までの間のプール当番は毎年パパが行ってくれていた。そして、昨年。パパの仕事の都合がつかないので私に行って欲しいと言われた。パパの仕事の休みの日に誰か替わってもらえないかと連絡をしたが・・・あいにく、皆さん、お仕事を持っている関係で無理だった。私が行かなければいけない状況だったのだが・・・1週間ほど前からお天気の具合が・・・週間予報とにらめっこ状態となった。結果として、台風の為にプールお休み。雨、降らないかな。。。なんて言っていたら、台風になってしまいました。そして、今年。。。午前中、時々ザーっと雨が降り・・・そのまま、雨が降らないかなと思っていたのですが・・・お昼前には雨はあがり・・・プール開始。曇り時々雨。雨も結構降った時間もあったのですが、プールに入っている人には関係ない。帰る頃には雨も上がり、暑さが・・・まぁ、ピーカン晴れでない分楽だったかな?1時半から3時半までの2時間のプール当番。家へ帰ったら、すっかり疲れ果て、お昼寝タイム。夕飯のことを考えて、寝る前に急いで冷凍庫のサバを酢水で解凍。いつもより少し酢焼けがありましたが・・・後は、畑の水くれ当番が残っています。廃品回収と奉仕作業もありますが、こちらはパパがやってくれるので。8月の予定はいろいろあるのですが、予定がすすまないまま過ぎていきます。
2005年08月02日
メルマガで某娯楽産業のバイトの募集があったので試しに応募。サイト上では特別費用はかからない。全て0円。そのように取れるサイト。実はこれだけはちょっと・・・という内容でもあった。でも、やっぱり魅力的なお金。(一応、金銭欲は持っております。 たくさんは欲しいと思わないけど、適度に欲しい)しかし・・・お話を聞いていくと、魅力的なことは言うけど保証金として30万ほど。。。確かに、相手の言い分はわかりますよ。ネットで調べていたら、あまり良くない噂も。。。これに関しては、先方、自分の会社の名前を騙られて・・・とのお話。でも、どこまで本当だかわからない。でも、そのお値段を聞いて、お断りしました。サイト上とお話の内容が違いすぎる!!男性に多いのですが、(女性も?)相手を批判して自分を正当化する。私、こういう人は信用できません。確かに、ネット上には危ないお話や、法規制スレスレのお話。嘘か本当か判断に迷うお話が大量にあります。でも、一番許せないのが、費用がかかるのであれば説明の最初に、それなりの費用がかかると言って欲しいです。サイト上でも。サイト上でほとんど費用はかからずに、活動すればそれなりの収入が発生する。お仕事と割り切って・・・などと書きながら、説明をしながら、明日からでも活動できます。その代わりに保証金を・・・これは広告に偽りありです。このサイトは小学生も覗きに来る様なので、あまり詳しい事は書けません。まぁ、一兆円産業、娯楽産業、18歳未満立ち入り禁止。とだけ書いておきましょう。会社名は○○セ○ンです。他にも類似他社があるそうですが・・・
2005年08月01日
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