仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2009.11.11
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カテゴリ: 仙台
明治38年6月、長野の財閥片倉組による「仙台製糸場」が設立された。蒸気機械と300の従業員を抱える大工場で、東八番丁に設立された。現在の榴岡三丁目と思われる。

明治41年10月に、皇太子(のち大正天皇)が盛岡行啓の途中に立ち寄り、品井沼干拓工事をご覧になり、仙台ではこの工場を見学。女工の多さを見て、この女性はみな宮城県人かと御質問された。工場長は、宮城県人はひとりもおりません。みな、山形県人と福島県人でございます、と答えた。

さらに、なぜ本県人を採用せぬのか、との御下問に、「宮城県人は怠け者で採用すると損をします」と答えた。これが問題となり、この工場長は間もなく転任した。

ちなみに、片倉財閥系のこの工場は第1次大戦後の世界不況の後も残り、戦後の昭和31年正月に閉鎖された。

さて、工場長の発言は、明治末年に宮城県人が他県に比べて怠け者と見られていたことを伺わせるが、仙台・宮城人怠け者論は、根強く昔からあったようだ。幕末の肝付兼武については以前に記したが、兼武は、仙台藩はよい土地を有して貧乏している、自分なら3年で藩を豊かにしてみせる、と述べている。

またある武士は、仙台の士風は嫉(ねたみ)、薩摩の士風は暴、金沢の士風は固、と三大藩の気風を評した。

明治9年天皇行幸の際も、14年行幸の際も、知事の報告文には「近年怠惰の風もややあらたまり」との調子で、決して勤勉とは書けなかった。

県庁三能吏に数えられ、土木事業に力を尽くした早川智寛が、第四代仙台市長の時、外米の無償交付を受けた人が酒屋に寄って酒に替えた話を聞いて、「どうも仙台藩は怠け者だ」と言ったと伝わり、旧仙台藩士に決闘を申し込まれたので、手をついて謝ったという。

宮城県に企業が興らなかったのは、資本がないほかに、従業員が理屈が多くて実行の伴わない


■参考
 佐々久『近代みやぎの歩み』宝文堂、1979年
 仙台文化出版社『仙台きょうはなんの日』(せんだい新書2)仙台文化出版社、1988年
■関連する過去の記事
仙台・宮城の気風を再び考える (06年7月3日)
肝付兼武のこと (06年6月13日)
見透かされた「大藩仙台」の空虚なる風土 (06年4月2日)





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最終更新日  2009.11.11 01:06:06
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