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どこが駄作なんだ?ものすごーく良かったです。さて。前評判にことごとく反論していきましょうかいな。”キャシャーンとあまりにも設定が違うし、キャシャーンである理由がない”これはキリヤ氏が善悪で割り切れない世界、個々に正義はあることについて考えるきっかけになったTVアニメにきっと捧げたかったんだと思う。キャシャーンを描きたかったのではなく、描きたいことの設定としてきっかけになったキャシャーンを媒体として選んだんだと。”映像がいいって言ったってFFとかにしか見えない”ん。まあ、そうなんだが。あの予算のCGではあんなモンだと思う。でも何がスゴイのかと言うとですな。普通はCGをどれだけ実写に近づけるかが命題なところを、実写部分をCGに近づけることで違和感を解消した。というところにあると言える。勿論、写真家らしいカッコイイ画(カット)だとかも持ち味なんだろうけど、それは周知の通りなので省略。(個人的には作品を印象付けるようなカットは少なくていいと思う・・。)あと、戦闘シーンなども殺陣でみせるのではなく、アニメーション的な手法で表現されていることも注目に値するだろう。観てないけど、庵野監督のキューティーハニーと同じ考え方なんだろう。”今更あんな当たり前の子供に言うようなテーマを描くのか?”えーと。テーマは何だと思ったの?「反戦」?「世界は善悪では割り切れない」?「人にはそれぞれ信じる正義がある」?最後まで観てなんでそう思うんだろう・・・。「人の背負った業」これだと思うんだが・・・。勿論それらは内包されている。いや、むしろテーマを投げかける為の材料や傍証として登場してると。人は生きているだけで他人を傷つける。憎しみの連鎖を断ち切ることは出来ない。それを言う為の傍証として描いた表現で驚いたことがある。思ってても声高に叫ぶことを避けられてきたもの。「愛」をもその連鎖の中にあると。最後の寺尾聡の「お前は愛を解っていない!」これは最初の「お前は戦争を解っていない!」に続く真実として叫ばれる。幻想や思想としての美しい愛。実際は愛をうたい取る行動でさえ結局他人を傷つける連鎖の中にあるという現実。これはあの行動として扱いとして小さく表現され、エンディングのカミさんの曲で身近な例を通して補填されている。”本来は映像で語るべきことを最後にセリフで語ってしまってる”それまでの映像で語られてなかった?なんならそれまではセリフが極端に少なく、映像でのみ語ってると思うんだが。あれは最後にああする理由を説明すると同時に再度観客の胸に留めておいて貰いたかったからだと。何故ならそれが「テツヤとルナの子供」なのだから。守り神キャシャーンを名乗ったのに争いのない「楽園」をもたらすことは出来なかった。なんなら、あの世界では自分は憎しみの連鎖に囚われ、もう逃れられないことは解っている。だから・・・。みんなを連れて行ったんだ。その世界ではもうあり得ない「楽園」へ。彼らの残した「テツヤとルナの子供」つまり「希望」とは、まだ戦争というもう抜け出すことの出来ない極限の憎しみの世界にいない我々に、テーマを個々に自覚させることで、いつかそうではない世界を築いていけるのではないかという「希望」なのではないだろうか。(ちなみに「許す」は英語で考えると「認める」とか「許可する」と同義なのも解釈の枠を広げる材料になるだろう。)俺は泣いてしまいました。俺にも一応他者を傷つけてきた罪悪感があるから。暴言を吐くとですな。これで感動出来ない人は意図を汲み取る能力が足りないか、自分も人を傷つけている自覚がない人。つまり、自分はいつも被害者のつもりで自分の取っている行動がいかに人を傷つけているか想像もしない人。誰もがその連鎖の中にあるというのに。兎に角、賛否両論あるがキリヤ監督には才能があると思った。次回作も是非観てみたい。今回の失敗は、試写をするまで観客に期待しすぎていたことに気付かなかったことが一番大きいだろうと思う。今度はどう噛み砕いて来るかな。次回作を撮らせて貰えれば、だが。
2004年04月27日
コメント(2)
精神的にどうとかって話があるようだけど、全く元気です。精神的に問題がある人は他にいるかと・・・。えーと、話題にしないでください。迷惑です。はい。
2004年04月19日
コメント(1)
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