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2024.11.22
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戦国期までは天子も将軍職も世襲制に慣って来ていま
したが、
自分の息子たちよりも後世を託すには能力者が
良いとい
う考えを記したものが、斉藤道三の遺言状で、
京の妙覚
寺に残されています。

<わざと申し送り候意趣は美濃国の地、織田上総介の存
分に任すべきの条、譲状、信長に対し贈り遣わし候事>

 この時は長男の義龍によって道三は滅ぼされたので、
遺言通りになりませんでしたが、後年、孫の義興が信長
に奪回されています。

歴史的には秀吉が五大老に秀頼の事を託した部分が強調

では、
一旦家康に政権を譲り、秀頼が成人した暁には豊臣家に
政権を戻して欲しい意向が記述されているそうな。

秀吉の時代ではまだ、世襲制には戻らぬ戦国の名残があ
った事は秀吉にとって不幸と言えましょう。しかし家康

意見が分かれていたようで、

本多正信は二男の秀康を、
大久保忠隣は三男秀忠、井伊
直政は四男忠吉を推したと
いう事は、家康の子に秀逸な
子の無かった裏付けとも。


 小和田哲男著『 国盗りの組織学 』の副題<乱世を生き
き抜いた知恵>を参考に拙文を書きましたが、秀忠の次
将軍選定は、ドラマ大奥にも・・・またの機会に。





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Last updated  2024.11.22 09:29:34
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