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源氏の君がいつもお聞きになりたがっている琴の音を、
どうしてもお聞かせ申し上げませんので、それをひどく恨んでいらっしゃいます。
「ならば思い出の種として、ほんの一節だけでも聞かせておくれ」
と仰せになり、都から持ってこさせた七弦のおん琴を浜辺の家に取りにお遣りになって、
心を籠めた調べをほのかにお掻き鳴らしになります。
夜更けは楽器の音色が響き通りますので、その調べはたとえようがありません。
明石入道は堪え切れず、筝の琴を取り出して娘の御簾の中へ差し入れます。
明石の娘は、源氏の君の調べに涙を誘われて
感涙を止めることができずにおりましたので、きっと誘われたのでしょう。
忍びやかに演奏しますのが、たいそう気品があるのです。
藤壺の、入道の宮のおん琴の音を当代第一とお思いでいらっしゃいましたが、
それは『当世風でたいそうお上手だ』と聞く人の誰もがそう思い、
演奏なさる奥ゆかしいご様子までが思いやられるところは、ほんにその通りなのです。
この娘の演奏はどこまでも音調に濁りがなく、その上深みがあり、
聞く者が妬ましく思うような音色という点がすぐれています。
音楽に造詣の深い源氏の君でもしみじみと懐かしく、
初めてお聞きになるような耳慣れぬ演奏を、
もっと聞きたいと思うあたりで止めてしまいます。
源氏の君は物足りなくお思いになって
『この演奏を、今までどうして聞かずにいたのだろう』と、後悔なさいます。
思いの限り、これからも変わらぬというお約束だけをなさるのです。
「七弦の琴は、再会してまた一緒に演奏する時までの思い出の品として、
ここに残しておきましょう」
と仰せになります。女は、
「なほざりに 頼めおくなるひと言を つきせぬ音にや かけてしのばむ
(ほんの軽い気持ちで仰せになるあなたさまのひと言を、
私はつきせぬ物思いに涙しながら偲ぶことになるのでしょうね)」
と、誰に言うともなく口ずさみますのをお恨みになって、
「あふまでの かたみに契る中の緒の 調べはことに かはらざらなむ
(再会するまで、この琴の中の緒の調子と同じように、
あなたの気持ちも変わらないでいてください)
この緒の調子が狂わないうちに、きっと再会しましょうね」
と、約束なさいます。
そうはいっても娘には、辛い別れに涙するのは無理もないことなのです。