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「好き」という単語はたった一つしか無い。 だが、人間が百人居たら百通りの「好き」がある。 「好き」という言葉は一つだけど、重さは百人居たら百通りの重さに変わってしまう。 過去にネットで出会った女の子に惹かれる自分を感じはしたが、僕は「好き」という言葉は使わなかった。 「好き」という言葉を使った時から、今度はその言葉の言霊に己が呪縛されてしまうことが判っていたから。発してしまうことを恐れていたのかも知れない。 私的見解だが、恋愛は第三者に迷惑をかけることが無いなら未婚者の恋愛だろうと既婚者の恋愛だろうと構わないと考えている。だが、殊自分の場合だったら…NG。 何故にNGかと言ったら、僕はのめりこみやすい性格をしているからである。その自分の性格が判っているだけにNGだと言えるのだ。 だけど、一度だけ既婚者に惹かれてしまった事があった。 最初はそんなつもりじゃあ無かったのに、何度か体を重ねて行くうちに気づいたら僕は惹かれていた。 だから、惹かれる自分を押さえるために僕が相手に言った事と言えば「体の相性が良いと楽しんでいる間は良いけれど、それ以上の感情を持つようになったら終わりにしよう」という言葉だった。 それから程なくして、僕らは会うことが無くなり、今では時々連絡を取る程度の関係になってしまって居る。 が、僕はそれはそれで良かったのかも知れないと思っている。 ネット上で既婚者の恋愛を見かける度に、僕だったらとても自分を押さえられないだろうと思う都度に彼等の「好き」と僕の「好き」は言葉は同じでも、多分何処かで違っているのだろうと考えてしまうからだ。 「好き」そう告げたらその言葉に自分が縛られ僕はどんどん突き進めたくなってしまう。だから、あの時はあれで良かったのだと思う。そうでなけらば、気軽に電話とかはとても出来なかっただろうしね。 人によって言葉の使い方も、受け取り方も全く違うのは当然だし同じであると考える方が傲慢だと思う。 「好き」にしても「愛」にしても僕はあまり使う言葉では無い。それは僕が言葉に捕らわれやすいから。 人は皆考え方が違って当たり前と頭でいくら思ってみても、納得できない事は多い。 そして、自分と同じでは無いと言うことを自分自身に認識させる。 朝起きてみると、外は雪景色だった。というにはオーバーかも知れないけれど、とにかく地面はうっすらと白くなっていた。そりゃ寒いはずだよなと思うことしきり。歯を磨いて病院へ行く準備をし、車に乗り込んで盛岡へと向かった。 なんて、すぐに出かける準備をしたように書いたけれど、実際には夜中に気づいて今日の日記の前文をあげて置いたところにレスが付いていたのでコメントを返して置いり、コメントを残して置いてくれた人のHPを尋ねてコメント付けをしたりした。こういう作業はフォーラムのレス付け、コメント返しで経験済みだが慣れたらそれなりに人間関係を築けるものだろうか?。 途中、親父に頼まれた山葡萄の材料を買い求めそのまま病院へと向かった。病院ではいつもの如く診察、検査採血、リハビリと済ませ、半年ほど前に貸した本を今度来たときに返して貰う話をしておいた。読書家なら半年も借りっぱなしと言うことは無いだろうに、僕の全くの眼鏡違いだったのだろう。 病院の後は社会保険事務所へ立ち寄り月に一度の申告を受理して貰った。一応期限ぎりぎりだったらいつ頃まで受給できるか聞いてところ、来年の春辺りでは無かろうかと言うことだった。 社会保険事務所の後は、久しぶりにネットカフェに立ち寄って大量に仕入れられたら良かったのだろうが、なかなかそう言う相手は見つかるもんじゃないから、古い知り合いに幾つか分けて貰うことが出来て良かった。誰か良い人見つけなきゃ無理っぽいのは仕方がないと言えるかも。石田えりの無修正が見つかったけどこれはどういうルートで出回った物か興味津々だ。 予定時間まで色々集めたり漫画を読んだりして過ごし、帰路に付き途中夕食の食材を買い物して帰宅。夕食は買ってきた刺身をおかずに食べた。明日は買ってきた物で鍋でも作るかな?。 晩飯を食べて一息ついたところで、部屋に戻って持ち帰った動画をPCに移しネーム変えをしたり、動画を確認で見たり、日記の続きを書いたり、レスへのコメント付けをしながら過ごす。当然?発泡酒を飲みながらね。 さて、明日からは十二月、韓流集めも良いが、取り敢えずは頼まれた仕事を済ませる事を念頭に置いて行動しなくてはね。
2004/11/30
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僕が書いてる水商売の話は軽く考えても十年以上は昔の事になる。だから現状に合致しないことはままあるかも知れないけれど、その辺は昔話として見ていて欲しい。 たとえば、今の六本木と、僕が出かけていた頃の六本木では雰囲気は月とすっぽんくらいの開きがあると僕は感じている。 銀座は大人の街、六本木は大人のお洒落な街、僕にはそう言う認識があったのだが、僕が東京を離れる頃には、六本木にはキャバクラが増えに増え、かつての大人の街のイメージは片隅には残っている程度に様変わりしてしまっていた。 銀座にしてもキャバクラがあると言うことだけでもかつての銀座とは違うと言えよう。 渋谷にしても少し入ると落ち着いて飲める店があった物がいつの間にか若者向けの店に追いやられて、落ち着いて飲める店が少なくなっている。 これを時代の流れというなら、確かに時代の流れだろう。こうして昔を懐かしんでいる事自体、僕が叔父さんになってきた証でもあるのだろう。 さてと、過去を振り返りつつまた書くことにしようかね。 街はまるで生き物のように変化してきてはいるが、そこに集まる人達はメンツの変化は有るだろうが心模様まで街の変化に逢わせて変わったとは言えないとだろう。 この背景色を見て、「何処かで見たことがあるような…」と感じる人が居たならば、それは僕の古いHPを見たことのある人だろう。様々に色を変えては見たけれど、やはりこの色が僕的には落ち着くというかしっくり来る気がするのは以前のHPで使っていた背景色と同じだから…と言うこともある。誰かが作った背景色をそのまま使った訳じゃなく、自分で試行錯誤しながら辿り着いた配色だから安心感を感じるのかもね。 今日も朝からのんべんだらりとした一日を過ごしてしまう。頼まれた仕事は今月中にと言う決意は何処に消えてしまったのか?。今月と言えば明日で最後だが、明日は朝から定期検診で病院通い&夕食の食材の買い出し&ネカフェというスケジュールだからもう今月中というのは無理!!決定。せめて今年中には何とか片づけたいと願うばかりだね。 んで、夕方まで終日ゴロゴロ。これじゃ療養中じゃなくて単に寝すぎで体が鈍っているのでは無かろうか?。という気さえしないでもないが、体の動きのぎこちなさは間違いなく去年入院した脳出血の後遺症です。何か繰り返し言って置かなきゃ、単に怠け者に見えちゃうからね。 夕食は昨日のカレーの残りにゆで卵を作って入れ、出汁を加えて暖めた物。僕的にはうま~~だったが家族的にはどうだったかは疑問。このところお手軽メニューが続いていたから、明日買い出ししてきたら少しは手間暇書けた料理でも作ろうかな?という意志はある。取り敢えずはシチューか??。
2004/11/29
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「うちの会社に来ないか?」さらりと言われ、名刺を渡された。 女の子がそうされたなら下心があると思うのが常だろうが、黒服時代に何度と無くお客様から僕が言われた言葉だ。 無論、男色だから誘ってくれたわけでは無いとは思うが、それだったらきっと飲みに誘われたと思う。 では、彼らは店の黒子である黒服を捕まえて己の会社へ来ないか?と誘ったのかとても僕には謎だった。 昼間の仕事と夜の仕事。誰が考えても全く違う仕事なのに、「その気があるのなら尋ねて来なさい」そう言われて名詞を渡されたことは一度や二度ではなかったのだ。 彼等が僕の何処を見てそう言うことを口にしたのかは理由は尋ねたことは一度としてないが、誘って貰ったことはありがたいとは感じていた。けどね、誘われたとはいえ、そこで働く能力が自分にあったと考えたことは一度も無かった。 たった、一度会社に尋ねてくることを言われ、翌日に尋ねて行き話を聞き取り敢えず僕が可能な時間で…と言うことで僕は夜の仕事と平行して昼の仕事をやり始める事となった。 僕にお鉢が回ってきた理由は、僕が趣味でパソコンを使っていた…事だった。趣味で使っているなら大丈夫?だろうと言うことで誘われたのだが白羽の矢が立った理由だったのだ。 こうして僕の昼間はゼネコンの一次受けの会社員、夜は歌舞伎町で黒服という時代が始まった。もっとも、昼間の会社は夜に邪魔にならないように九時出社、三時上がりという変則的な物にして貰ったのは僕のメインが昼ではなく、夜に重きを置いていたからであった。 二足の草鞋を履くことに不安がなかった訳では無い。しかし、子供が生まれる…と言うことが無かったなら、僕は二足の草鞋を履くことは無かったのでは無かったろうか?。 しかし、誘って貰って先方が言う仕事はこなした来たとは思っているが、それでも「何故?」に黒服に声をかけたのか?は謎であると僕は考えている。 同業でそれなりに名の通った黒服なら他店からスカウトの対象にも成るかも知れないが、異業種からの誘いが黒服にかかる?と言うことはその仕事を辞めた今でも不思議としか思えない。 このところ夜更かし癖が付いてしまっているためか起きたのは八時を回っていた。今日の競馬の予想のために新聞を買いに行かなきゃ…と考えるも、その前に今晩のカレーを作ろうと婆にジャガイモと人参を用意して貰うことにした。 材料は先日中華丼もどきを作るときに買った海鮮具材の冷凍&ホタテの冷凍&豚肉の残り、ジャガイモ、人参、タマネギ、ニンニク、カレーのルーだ。半数以上が残り物を使ってだが、おかず作りはそうそう新しい食材だけ使うというわけにはいかないから、そこんところは臨機応変にしなくちゃね。食材を切り分け鍋にお湯とジャガイモ、人参、コンソメを放り込んで煮込み始め、片やフライパンを火をかけ、熱くなったら油を入れそこへニンニクを切った物を入れ香り付けが済んだら肉を入れ焼きかりっと焼けたら今度は冷凍の海鮮&ホタテを入れほのかにニンニクの香り付けをしそこへタマネギを刻んだ物を投入し全体的に馴染んだな…と思ったらそれを鍋に入れ煮立ったところで唐辛子の刻んだもの&薄目のだし汁を加え十分ほど煮立てたら火を弱めにしてルーを入れかき混ぜながら煮込み開始、十分ほどでかき混ぜも終えたので午前中の部は終了とした。カレーは作ってから火を落として味を馴染ませた方が美味しいと僕は考えて居る。 車のキーを持って新聞を買いに街のコンビニまで出かけ新聞を買って帰宅、少し迷ったが午前中「取り敢えず少し買ってみたのだがとんとんだった。結局本日も昼食は抜き。午後から買ってきた新聞片手に予想をして結局三連単だけで無く、三連複も買うことを決定。 馬券は…下記のように購入した。さて、昨日の夢は再び起こるのだろうか? 10R 3連単 フォーメーション 1着:10 2着:02,05,09,13,14 3着:02,05,09,13,14 各100円(計2,000円) 10R 3連複 BOX 02,05,09,10,13,14 各100円(計2,000円) 11R 3連複 BOX 03,09,10,14,15,16 各100円(計2,000円) 11R 3連単 フォーメーション 1着:09,15 2着:03,10,14,16 3着:03,10,14,16 各100円(計2,400円) 結果は…どちらも一二着は当たったものの三着を外してしまって全滅だった。これなら昨日当てなかった方が良かったのでは?と言う気分。まあ、銀行に残金はあるから来週の日曜も遊んでみることにしよう。 HPはどうやら落ち着いてきた感じ?。このところ平均アクセス数は百を超えるようになった。嬉しい事は嬉しいがあんまり自分的には好ましくないレスも時々ある。 楽天という場所があるからのアクセス数というのは良く分かっているつもりだが以前のHPのアクセス数とは段違いだと思う。疑問?と言えば僕のHPは面白いのだろうか?と言うことかも知れない。アクセス数が多い=面白いのかというと実際はそうでもないのかな? このHPは面白いですか?>閲覧してる方々 返事は無いかも知れないが問わないでは居れない感じ。もし返事があったら日記に載せようと思う。 夕食の時間が近づいてきたのでカレーを再度温め夕食はカレーとした。出来映えはまあまあかな?もっとニンニク風味が強いかと思ったのだが、ニンニクを五かけら入れた割には風味はほとんど無し、ん~~~こんなものなのかな?。肉は多すぎる事は無かったし、海鮮も量はほどほどだったからこんな物かな?残ったカレーは半分ぐらいだったから作った量も適度だったと言えよう。明日は蒸し餃子にするつもり。
2004/11/28
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一昨日、日記に君の事書いても良いかな?とメールを出した翌日二月ぶりくらいに電話で話をした。 書いた内容を見て拍子抜けだったという相手に、初めての待ち合わせに向かうときに、美人局の可能性があるかも…そう考えて怖かったという話をすると。 待ち合わせの場所で僕の顔を見たときに思わず引いてしまったとその時の話をし始めた。 待ち合わせは新宿アルタ前の交番を目印にして待ち合わせ場所にしたのは、僕がもし美人局だったら交番に飛び込んで逃げようと考えてのことだった。 だが、そんなことは無かったものの、交番前は待ち合わせの人があまりにも多く、約束の時間になっても互いが判らずにしょうがないから携帯で話しながら互いの顔を見合わせたのがであいだった。 彼女曰く初めて僕を見た瞬間危ない人かと思ったとのことだった。 まあ、チャットでは普通は色んなHN付けてそれで呼び合うのが常なのだが、その頃私が好んで使っていたHNは(*_*)だったから、名前を教えてない女の子はたいてい「かおさん」と呼んでいた。 その彼女にしても最初は「かおさん」と呼びかけていた物のツーショットでチャットを始める前は名前を名乗らぬ怪しい男と思っていたらしい。だが、一度ツーショットで話してみたら、僕に対して「怪しい男」と言う先入観は消え今度は逆に「どういう男?」と興味を覚えたと言っていた。 最初に声が聞いてみたいと言ったのはその彼女からで、僕は携帯の番号を請われるままに教え会話をしてみたところ声が自分の好みだったとかで、その後何度かチャットで話すようになり、実際に何人かにあった話をぼくはきかされるようになっていったのだ。 そんなこんながあったから、チャットだけじゃなく実際に…という話になるのには時間はかからなかった。会うことが決まると今度は互いの都合の良い日時を決めそれじゃあと会うことになったのだ。 その頃僕は、長髪に飽きが来ていた頃で丁度面倒だからとばっさり坊主頭にしていた頃だった。一応は画像ではその頭を見せてはいたのだが、待ち合わせでその頭を目にするとは考えもしていなかったのだろう。 その頃知人の葬式が新大久保で行われたときに黒のスーツにサングラス頭は五分刈りで葬式の手伝いをしたところ道行く人がよけて歩いていたほどだったと言うと判って貰えるかな?。 「貴男を待ち合わせの場所で見た時、怖くて帰ろうかな?と思ったわよ」と言われた。 「待ち合わせで怖かったと言うなら、どの辺で怖くなくなったの?」 そう尋ねると、「少し話をしてこの人なら大丈夫って思ったの」そう彼女は笑いながら話していた。まあ、確かに新宿で坊主頭で歩いている人間って珍しいし、普通の人がする髪型じゃあ無いからね。風俗店とかに坊主頭で出かけると「出てきたばかりなの?」と言われることもままあったからね。 その後色々あったが、彼女は新しいパートナーと仲良くやってるとか、そして、僕はどうやら彼女の友達?と言うことになっているようだ。 連日ボーっと過ごしている気もするが、今日も今日でやはり…と書こうかな?とも思ったが、いつもは夕方に作る夕食のおかず作りだが、今日は根菜の煮物を作るつもりなので午前中から支度を始めた、真空パックの根菜、買ってきた厚揚げ&一口こんにゃく、冷凍の鶏肉の解凍した物、冷蔵庫から卵三個&ニンニク二かけらが本日の材料となった。まずは角材料を切り分けるフライパンを火にかけ、小さな手鍋でゆで卵を作りフライパンが暖かくなったらニンニクを軽く炒めて油の香り付けをし鶏肉を入れ表面に火を入ったら、こんにゃく厚揚げ根菜を入れ全体を炒めると言うか混ぜる。そこに椎茸の戻し汁を入れ椎茸も加えて出汁を貼り煮立たせたら火を弱めてことことと煮込みを開始した。注意すべき転は塩辛くならないように出汁の濃さの調整かな?。三十分ほど煮込んだらいったん火を止め味を馴染ませる。 んで、数日前から今週末は競馬をやるぞ!と思ってネットバンクでIPAT口座にお金を移して置いたのでお金は大丈夫!。後は新聞片手に検討しなきゃという事で新聞を買いに街まで車で出かけ新聞を購入して帰宅。 馬券の検討を始めたのだが、目指すは三連単。このところ配当が十万を超える日も珍しくもないので一点百円で遊ぶにはちょうど良いだろうと考えたのだ。だって、上手く当たれば、百円が百万円になるのも夢じゃあないからね。 所が、新聞を読んでみて考えてはみたのだが、どれも面白そうなレースが無い。三連単だから当てるのは一着二着三着をぴたり音当てなくてはいけないから、まずは一二着を決めなくてはいけないのだが、ぴんと来たレースは京都の9レース3番ローゼンクロイツ、5番アフリカンビート10番ヴァーミリアンの三頭で一二着は間違いないと閃いたので、後は三着探し、選んだのは1番ミツワスカイハイ8番エキゾーストノート9番シックスセンスも三頭がうちどれかが三着に来ることを予想し買った回目は18点買いとなった。銀行へと振り込みをしたのもネットなら馬券購入の手続きをしたのもネットだった。 そのレースが当てって居たらその次は…と予想をしている間に眠ってしまい気が付いた時にはすでにレースは終了している時刻で慌てて結果を調べたのもネットなら配当を調べたのもねっとだった。一着は3番二着は10番三着は9番で三連単の払い戻しは18番人気で6,030円だった。まあ、万馬券で無かったのは残念だが、久しぶりに買った馬券が的中したのはさい先が良い証だろう。これで明日のジャパンカップ、ジャパンカップダートを楽しむことになりそうだ。 夕食の時に出来上がったおかずをたべたのだが、俺は少し薄いかな?と思った味付けと感じたが親父には少し濃いと感じたらしい。濃いめの方が美味しいのでは?と言う考えは止めるべき何だな…と思った。明日はカレーかシチューを作ろう。 今日の競馬が的中したから…調子に乗って明日の予想をしてみる。 JCD 2,5,9,10,13,14 JC3,9,10,14,15,16 この絡みで買うつもり。ただし、実際の買い目は今日と同じように頭三点紐三点とするつもり。当たったら…嬉しいな。。。
2004/11/27
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「北ちゃん、こいつは月に何回生理になるんだ?。今日は大丈夫?そう言うから来るんだけどその度に生理が始まっちゃたと言ってはすっぽかされる俺の身になってみろや」 店に来て席に着くなりそう話を切り出したのは、建築関係の会社を経営しているSさんが言い出した。僕は女の子が逃げ口上で言ってるのだなと言うことはすぐに判ったのだけれど、そんな口実を使う方も使う方だが、その口実を信用する方もどうかしていると正直な話思いはした。 「女の子の体は男には判らない物ですから、そう言ったこともあるのかも知れませんね、不規則な生活ですから生理不順になってしまう娘も珍しくはありませんよ」 と一応は女の子をかばうような会話を続けていた。騙す方も騙す方なら騙される方も騙される方だ。口では怒った素振りを示していたお客さんだが、同伴で来た女の子が席に座ると、目配せをして先ほどの話は聞かなかった事にしてくれと合図を出していた。 まあ、若い娘を指名する客はその気が無い訳が無いのは当然だったろう。女の子は女の子でそう言う客と判っていても呼ぶのだし、客は客でもしかしたら…という思いで店に通うのだろう。狐と狸の化かし合いはその頃だけの話ではなく、夜毎未だに繰り返されて居るのだろう。 水商売関係の話は記憶の引き出しを開けて思い出しながら書くことが多く、ネットや、えすえむ関係の話は現在進行形の話が多い。では今の僕は何処に居るかというと、それは日記の後半部分に現れて居る。 総てが僕の身の上に起こった出来事で過去を錯綜しながら書き綴っていると言っていいだろう。過去にフィクション?想像?と言われた事も在ったが、そんなに驚くような出来事では無いと自分では思っている。 貴方の隣に建っている人の今の出来事なのかも知れないのだからね。 今日も今日で昨日とほぼ同じ。違うことと言ったら、日中は婆が出かけていたので親父の昼飯の支度をした事と、昼に親父に頼まれて農協まで石灰の袋を取りに行った事、夕飯のおかずは今日は中華丼もどきにした事位だろうか?。 親父は僕に体力的に無理と思うことは手伝えとは言わないけれど、それに甘えてしまっている自分がなんだか嫌な感じ。これってヒッキー?の入り口に居るのだろうか?。社会復帰が出来るのか?と自分で自分を危ぶんでしまう。 今晩のおかずはやや濃いめの味付けとしたのだが、出来はまあまあ僕的には及第点をあげられるかも知れない。明日はごった煮のつもりで居るから冷凍の鶏肉を台所に出して置いた。一応今日作って明日食べられるように…と言うつもりだったのだが、まだ手は付けていない。 夕食後に日記を書き始めてふと気が付いた。アクセスが二十分細集中している楽天ユーザが居たのでHPを覗いてみると…オヒオヒまだ中学生じゃ無いか!!!。俺のHPの何処に中学生の女の子の興味を引くような書き込みがあるのだろう?と考えるととても不思議な気分。だけどね、良く考えてみたら小中生にも楽天ユーザは居るのだから未成年お断りとトップページにでも書いて置いた方が良いのだろうか?などと考えた。
2004/11/26
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僕がえすえむに目覚めたのはチャットが最初だった。 無論その以前にも縛られてる女性の姿を見てドキドキしたことは何度か有りはしたが、自分がSであるという自覚の無かった頃の事だからそう言う姿に興奮することはあっても、自分には関係のない姿だと言う風にしか考えては居なかった。 では、いつ頃から実際に行うようになったかというと、チャット漂流記16~17に書いてるL?に出会ってからだった。 無論最初からSMをしようなどと言うつもりで会った訳では無いのだが、チャットの延長で会い、体を重ねてゆくうちにおもちゃでも使ってみようか?と言う話になり僕が選んでいたのは拘束具であった。 選んだ理由は単純に靴ひもさえ綺麗に結べない自分でも綺麗に形良く体を固定し、相手に恥ずかしいという思いをさせることが出来ると考えてのことで、選んだ物を相手に伝えたのは言うまでもない。 最初はSM的な事に全く興味を示していなかった相手であったが、初めて拘束具を使った時から驚くほどの反応を見せ、僕が驚くほど溢れていた事を覚えて居る。 こうして、来るたびに拘束することに為れた頃には痛みにも良さを見いだしていたようで噛まれることでも高ぶりを表す様になって来て、条件反射のように会うときは溢れている事は珍しいことでは無くなっていた。 この彼女との出会いが無ければ僕が自分の中のS性を世に出すことは無かったのかも知れない。 その後、ネットの掲示板を利用してのカップルの手伝いとか、SM系のHPを作っている人のオフ会とうに参加して自分の中の引き出しの一つに知識と実践をため込み始めて今に至っている。 書き込んだ翌日、彼女と電話で話してみた。最初君のことを書いても良いか?と尋ねるメールをだしたところ色良い返事では無かった物の駄目と言う言葉がなかったので書いてみた。と言うことを伝えてみると、「そんなつもりで返事を出したのでは無い」と言う答えが返ってきた。本人はどんなことを書かれるのかと多少ドキドキしていた。ということらしかったが、読んでみてあまりにもあっさりとした内容に拍子抜けしちゃったみたいな返事だった。 まあ、僕も書くといった手前、本人にいくら断りを入れていたとは言え、あまりつっこんだ内容を書くのもと考えさらりと書いたのだが、良かったのだか、悪かったのだか。機会を見てレスを付けて貰うことを約束した。 ここ数年は話をするだけの関係になってしまったが、こういう関係を友情と呼ぶのかどうかは疑問である。かといってどういう関係かと言えるのか自分でも良く分からずにいる。 昨日とほぼ同じような感じに過ごす。一日一食の生活だから動く気がしないのかもねけど、間違いなくダイエットにはなる物の無性にチョコレートとかの甘い物が食べたくなるのは体が必要最低限の栄養を欲しがっているからなのだろうか?とも思う。午前中は寝て過ごし、午後からは昨晩も見たきらきらひかるの残りを見終え、ネットのレス書きコメント付けだけで今日も一日が過ぎようとしているなんだかだな…と自分で自分に呆れてる。明日こそは頼まれている事に手を付けよう。 夕食の準備は昨日考えた様に冷蔵庫に残っている物で鍋作り。白菜を刻んで入れ、そこに冷蔵庫に入っていた肉とベビーホタテ(冷凍)を加え大根を切って鍋に出汁を貼って入れ煮込む。途中残り物の刺身の貝を加え白菜が半透明になるまで煮たところで一味を振りかけ塩気が足りないと考えコンソメを一個入れ再度に煮立たせたところでネギを加えて麩を入れラー油を隠し味に加えてガット煮立たせて出来上がり。今日は白菜がよく煮えた方が美味しいだろうと余熱でしばらく放って置いた後で夕食の時に再度加熱を加え、一煮立ちさせたら出来上がり。 そのまま夕食へと流れ込んだ。味は隠し味のラー油が効いて手美味しかったものの、刺身用の貝が固かったのがマイナス材料かな。明日の予定は筑前煮もどきの予定。
2004/11/25
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最近日記のコメントでSMに関することを幾つか書いてみている。引く人は引いてしまう話かも知れないけれど、興味のある人にはまた違った感想が在るのだろう。 過去に「課題」と表してチャットで知り合った女性に送った文章だ。 課題 最初は、旦那が出かけてから、帰ってくる直前まで部屋の中ではノーパンノーブラで過ごしなさい。 そして、次には近所の買い物に行くときには下着を付けずに買い物に行ってきなさい。気にしすぎると歩く姿が変な格好になってしまうだろうから、その点には十分に気をつけなさい。エレベーター等の使用をせずに見られるかも知れないエスカレーターを使うこと。 そしてその次には、図書館か、買い物へ行った先のトイレを利用して、トイレの中でオナニーをしてきなさい。声が出そうになったらハンカチなんかを噛んで声を他の人に聞かれないように。 スカートは短めの物を着用しノーパンが見得てしまうのでは?というギリギリの物を着用、上に着用するものはなるべく白系統で、透けて見えそうな物が良いです。 チャットで話したように、首輪の代わりをどうやら見つけることが出来たようですから、課題をこなす場合は必ず着用するように。僕の指示の通りにきちんとするんだよ。 オナニーはチャットで話したように、僕の課題の時以外は控えなさい。もし、我慢できずにしてしまった時は、きちんと告白するように。 今後の課題の為に、自宅にあるバイブ、ロータはどのようなサイズの物が何個あるかを詳しく教えなさい。 などと言うことを書き送った事もあった。HNは今とは違ってチャットでは「(@_@)」というHNでチャットをして知り合った女性だったからよく「かおさん」と言われていた。 チャットでは、他人の邪魔せずかといってツーショットへむやみに誘うこともなく、相手がオープンでも構わなければその場で相手をし、話した相手からは何時もたんたんとした受け答えをするのですねと言われたこともあった。 他のレスで僕の書き方はエロさが感じないと言う人も居たが案外こういう受け答えだったからこそ話してみようと思ったのかも知れないと今では思っている。 チャットでは最初はノーマルしか知らなかった僕がどうしてSM系の話をするようになったかというと興味からだったかも知れないけれど、僕の受け答えはリアルでSM行為をしている女性から貴方は真性のSね!と言われたことが切っ掛けだったかも知れない。 意識していない僕の受け答えがそう感じられると言う事は僕にはその素養が合ったと言うことだろう。そう気が付いてからの僕は変にSを気取ることもなく淡々と受け答えを繰り返し、何時しか実際に女性を相手にするようになっていた。 無論最初からそうだった訳じゃなく、相手にそういった素養が感じられる場合のみ軽いSMっぽいことから始めるようになっていった。 実地を少しづつ経験することでスキルを貯め、またSM系のHPのオフ会に参加したりして経験値を積むことにより僕のS性は寄り高まったように感じている。また、チャットで集まった同好の士のオフ会等で色んな情報交換によっても色々勉強になった。 チャットで知り合った何人かは未だに時々連絡を取りはするが昔ほど刺激的な会話をすることは多いとは言えない。だけど、それでも全く刺激が無いよりはましかもね。 ネットで知り合った何人かを書きたい気持ちも無いことは無いのだけれど、未だに書けないのは何処かで蟠りが残っているからなのだろうか?それは嫁さん達の事を一言も書いては居ない(コメントでは書くが)事と同じなのかも知れない。う~~ん何で書けないかな。 そう考え、メールで書いて良いかどうかを尋ねてみると、ここを読んでる彼女は僕に任せるとの返事を貰った。たぶんFreePageにも書いてあるかも知れないが彼女とのSM的な行為に付いてのことを書きたいと思う。 朝起きたのは遅めというか、夜遅くまで起きてるようになっているから、必然的に朝が遅くなっているのだろう。夕べ見た映画はもう少しで公開される「僕の彼女を紹介します」韓流の映画なんだけど途中で日本人の唄が入るところは頂けないかも、それと非現実なところがちらちらあったのも頂けなかった。が面白くないと言う訳じゃなく少し泣きながら見終わる事が出来た。 んで、今日もやるつもりの頼まれ仕事は出来なかった。けど、体を少し動かして、動かさないで動きが悪くなっていたところは若干改善出来たかもしれない。 午後からは軽く昼寝をしゴロゴロ過ごした。ってか、昼飯を抜いていたので動く気がしなかったと言う方が正解だろう。 んで、ゴロゴロしながら「きらきらひかる」を1,2,3話続けてみた後で夕食のおかず作りを開始。本日は昨日決めたようにロールキャベツのはずだったが、出来上がった物は何と言えば良いのだろう?。タマネギを細かく切り、ニンニクも薄切り、肉は細切りにし、軽く炒めた所にお湯を加えコンソメを放り込んで一煮立ちさせたところで、冷凍のロールキャベツを放り込んで5分ほど煮込みトマトピューレ&トマトケチャップを入れて煮込み味見して出来上がり。だて、出来上がったものは何と呼べばいいのだろう?。 夕食のおかずに不味くは無かったけれど、次回も同じ物を作ろうという気には為れなかった。トマトでなく和風の出汁を入れた方が良かったのかも知れない。が、失敗は成功の母というから、引き出しに少しは入れることが出来たかもしれない。明日の予定は白菜とホタテの煮物のつもり。 明日こそは頼まれた仕事に手を付けよう。今月一杯にと言うのは難しいとは思うが何もしないよりはましといものかもね。
2004/11/24
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ネットで検索をかけてみたら日記の残骸が見つかった。 http://www.d1.dion.ne.jp/~honky/yukitukunoha.htm サイトの移動の時に削除したはずだったものが、僕の不手際で残ってしまって居たのだろう。1999年の五月の後半から、2002年の11月までの日記が残っている。と言っても途中欠落している所があるのは削除した物だから仕方のない所だとは思う。 思えば、日記をネットにあげる以前にも、何度かパソコンで書いて居たことはあった。それは二度目の嫁と別れる別れないでぎくしゃくし出した頃から付け始めたのが、最初で、それは何度かパソコンがクラッシュした度に日記は総て消えてしまう事で何処かに残せないかな?と言うことでネット上にあげ始めたのが最初であったように思う。 2000年以前の日記では所々に未練を書いているのは仕方のない所かも知れない。過去は振り返ってみても仕方がないことかも知れないとは思うが、何かの折りにあの時は…と思い出すにはちょうど良いしおりの様なものなのかも知れない。 今は楽天に書いては居るが、以前と同じような形式でも、残してあるから、いずれは古いものと一緒に復活させたいという考えもある。けれど、今しばらくはここで日記を続けることにしよう。ってこれじゃ以前書いた「日記」と似た内容???。 初めて友人のHPを訪れ。去年の今頃の日記を見てみると…。 平成15年11月22日(土) 岩手へ帰る友人の送別会。花見や、花火を毎年ともに楽しんでいた仲なので、その別れはちょっと寂しかったです。参加者一同で、マフラー、手袋、セーターを送る。 と在った。帰ってきたのは25日と思っていただけに少し意外な気もしたが、去年の今日、今頃の時間は深夜バスに揺られてどの辺りを走っていたのか…と少し感慨にふけって見た。 今朝起きたときは去年を思わせる寒さかな?と一瞬思ったが、去年は地面に氷が張っていたことを考えると今年のほうが暖かいのだろう。去年の今朝ちょうどこの時間には家に戻ってきていたのだな…と考えると少し変な気持ちがした。 だけど二度寝をし、再び起き出したところで踊る大捜査線を見た。もう何年も経っているのに古さをちっとも感じないのは良かった。んで、昼になったが、今日も抜き。代わりにぽりぽりお菓子を食って薬を飲む。そういや去年は退院して一月半以上も薬なんて飲んでなかったのにに、こちらで病院に通い始めてからまた薬を処方され飲み始めたのだったが、本当に飲み続けなければいけないものなのだろうか?。ちと疑問。 午後からは親父から車の洗車を申し渡され、ついでに部屋の電球を買ってくれば良いやとスタンドへ出向いて洗車をし電球を買って帰宅。ゴロゴロしながらレス書きをしたりネットで面白いカキコにコメント付けをした。 夕食の準備の時間が来たので予定通りモツ鍋を作る。だが、出来上がりはモツが予想以上に固くモツは食べにくかった。今後の反省材料が一つ出来た。明日の予定は田舎煮のつもり。 夕食のおかずには少し多いかと思ったが鍋を三つに取り分けて夕食。出汁の効いたスープは美味しかったものの書いたようにモツは一寸ね…。親父と僕は全部食べたが婆は少し残してた。
2004/11/23
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従兄弟から家系図があると聞いたのは父方の祖父が亡くなった後だったからもう三年も前のことだった。 けれど、家系図が僕の元に来たのは今年の夏前の事だった。 元々歴史関係の書物を読むことが好きだった僕は父方の家系図が作れるのなら、自分の家の家系図も作れるのでは?と作ることを思い立った。 手始めに選んだのは、我が家の謄本を取ることだった。謄本と言っても数世代遡る事が出来るから。その気になれば明治以前まで遡ることも可能なのだ。 我が家で言うと、戸籍法が発布され実際に登記されたのは明治二十年代に登記されたものが公文書としては最古のものと言って良いだろう。この辺まで遡ると今から百五十年以上も前の事を知ることになる。そこに記載された我が家の最も古い正確な記録というと天保十三年二月二十一日に生まれた熊吉が居る。そして熊吉の父の名は弥七と言って熊吉よりおよそ二十年は以前に生まれているだろう。そうすると1820年代に生まれていたと言うことになる。熊吉には弟が一人居て、熊吉、留吉兄弟から連なる血筋が祖を等しくする人々ということになる。 ルーツ探しはこうして同じ血を持つものを探す事から始まった。まずは手近な血縁から謄本からの順番を追って新たに書き加えながら作業を始めるとたどり着いた先の弥七は婿養子であると言う伝承があると言うから一応の我が家の祖から僕までは七代続いている事が判った。 幕末の南部藩の圧政は民に塗炭の苦しみを与え、加えて幕末期に度重なる冷害が襲ったという記録があることから、初代、二代は相当に苦しんだものと考えられた。当時の街道を歩けばそこいらに死骸が横たわっていたと言う話もあれば近隣では村が途絶えてしまった所が幾つかあると言うからすさまじいものだったに違いない。 初代の以前を考えても蝦夷の頃から中央から度重なる侵略を受け続けてきたと歴史でも残っているとおり北東北の人々は大変な思いをして生きてきたのだな…と今更ながらに感じた。 う~~ん、訳わかめな文章になってきている。 とにかく二百年ほど前まで(だいたい)は明確に記録を残して置きたいと考えているし、それ以前にしても大筋で道筋を辿ることが出来ると良いなと感じている。 そんなことどうでもいいやと感じる人にはどうでも言い内容だとは思うけど、僕は僕が生まれる以前の人達の足跡を振り返って見て、今までより自分の身近に感じることが出来るようになったのは嬉しかった。 頼まれたパソコン入力を今日から取りかかろうと考えては見たものの午前中はただただボーっとして過ごし、午後からはと昼でも食べようかな?と今に出向いたのは良いけれど、祖母から声をかけられ無視するように自室へ戻って結局今日も昼は抜きとなった。 午後からは、買ってある豚モツを煮込むときに豆腐があった方が良いと考え買い物に出た。途中でそういえば、へやの蛍光灯の電気が切れているので買って帰ろうと考えていた。買った物はロールキャベツ作るときに使うとHP仲間に教えて貰ったトマトピューレ、エノキ、豆腐、おかし色々、発泡酒、焼酎、アイスクリーム等々を買い、郵便局にて入金し帰宅。帰ってきてから何やら忘れている気が…と考えて電球をすっかり失念していたことに気が付き唖然。おいらの頭は鶏頭と判明した。 んで、お菓子をぽりぽり食べ始め夕食の支度をするまで食っていたらお腹はほぼ満足状態。けど、作らぬ訳にも行かないから台所に行く前に小屋へ行きネギを一本持って台所へ。冷蔵庫から親子丼用の肉を出し、タマネギを物置からだし刻んでフライパンを用意して軽く暖めタマネギを入れその後出汁を加え鶏肉を入れ、鶏肉に火が通ったら卵を入れなくちゃと取り出すときにマイタケを入れる予定を思い出し、慌てて刻んでフライパンに放り込み火が通った頃にネギを刻みフライパンに入れ卵を溶いてフライパンの火を止め卵を回し入れ半熟程度に卵が固まったところで出来上がり。婆さんには自分で食べる量だけご飯を盛らせ、親父の分と自分の分をご飯をよそってご飯の上に出来上がった物をかけて出来上がり。夕食の開始となった。味はまあまあだったかな?難点と言えばフライパンで煮込んだ形を崩さぬようにご飯の上に載せたかったのだが、見事にぐちゃぐちゃになってご飯の上に乗ったのだがまあご愛敬と言うところかな?。明日の予定はモツ鍋のつもり。 で、毎晩恒例の日記書き。日記に書く事じゃあ無い事もないか?。最近私書箱に届く私信に返事を出して思ったのは、色んな事があると言うことだ。僕は二度失敗してるから誰の参考にもならないだろうが、続ける努力をしている事は良く分かる気はする。けど、はたから口を出すことでも無いだろうし…って、昔の僕なら多分口を挟んでしまっていると思うが、今の僕はそれすらやろうという気にも慣れないというか、出して失敗する怖さを判っているだけに何も出来ないなら必要以上に立ち入らない様にしようと思っている。
2004/11/22
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たぶん、あきと言う名前の娘だったと思う。 たぶんと書いたのは、自分の記憶なんだけど定かでは無かったし、はっきりと口説いた訳じゃあ無かった?いや口説いたのか?たった一度だけではあったが関係を結んだ事が有ったのは事実だったから確か…と言うのだろう。 青短の二年の娘で、今ならキャバクラでバイトでもしてるような感じの娘だったのだが、たまたま、他で黒服をしている人に紹介された店で働き始めたとき、紹介で来た娘だった。 明るく笑みの絶えない娘で、好感は感じで居たが、当時の僕と来たら女っ気はまるで無しの生活でしたがってまるっきりと言っていいほど女の子に対し気遣い出来てた頃では無かった頃で何で寝たのか未だに良く分からない。 確か、客と女の子と諍いがあって、その娘が泣き出してしまい、僕が慰めたのが切っ掛けだったように思う。女の子に泣かれると大抵の男ならころりと転んでしまうだろうし、ましてや日頃から可愛いと思っていた娘だっただけについ慰めている時に「店が終わったら時間在る?」と尋ねOKの返事を貰ってそのままお持ち帰りしてしまったのだ。 とはいえ、女を知ってる数と言えば片手で足りる経験しか無かった頃で、扱いはぞんざいだったと思う。というか、知識としては見たことのあるAV位しか知識は無く愛撫にしても見たことのあるAVを真似た感じで行ってのだと思う。 今にして考えると風呂の無い部屋に良く連れて行った物だと思うし、彼女の股間を愛撫しようと顔を近づけたとき思いっきり髪の毛を鷲掴みにして引っ張られ「そんなことしないで」と言われたことは鮮明に覚えている。 射精しそうという感覚がないまま腰だけを動かして女の子が「痛いから、もう止めようよ」と言うまでしてたのは偏に若かったから何だろうな。 その後、店を移った後も仕事は一緒にすることはあっても肌を重ねたのは、後にも先にもその一度切りだったのはやはり慰めたお礼のつもりだったのか?それとも呆れられたのかのどちらかなんだろうな?と考えることはあっても、僕からも誘うことは無かったな…。 そんな事思い出してみると恋愛感情は全くなかったんだな…って思うね。今頃中学生くらいの子供がきっと居るのだろうが、こんな事思い出すことすら無いのだろう。 朝起きてのんびりと動き出し、着替えて裏山に登って行くと親父が居たので軽く話して、夕べ親父と少し話したお手伝いをすることにした。所がどっこい、やる気はあるものの脚が動かなけりゃ、肩も上がらず腕の動きが思いっきりぎこちなくて、少しやっては過ぎに休みの繰り返しで自分でも呆れてしまうほどだった。日頃の運動不足が響いてる事を確認したので、昼に家に戻ってきたところで昼飯は抜いてダンベル持って上下左右に動かし軽く体の節々に油を差すつもりで動かしたのだが、ぎこちなさはとてもとても解消どころじゃあ無かった。こんなんじゃあとても普段の生活にも差し支えそうだから明日からは毎日体を動かすことを自分に課す事にしよう。 午後からはトラクタの掃除をして本日の手伝いは終了。んで、そろそろ買い集めたパーツで起動、動作確認をしなくてはと考え組みたて開始。けど、上半身の動きが硬くて作業は難航した。夕飯の準備をする前には何とか組み立ては完了したけれど、最後に今稼働させてるパソからメモリを抜いてそれでインスト&動作確認という流れだから食事後に日記を書いてUPしてからと言うことにして食事の準備に取りかかることにした。 夕食は昨晩のキムチ鍋の残りを使っておじや風に仕上げるつもりだったから、小屋まで行きネギを一本持ってきて…、洗濯が途中だった事を思い出し洗濯機を回してからネギを刻み昨日の残りに加え、水とキムチ鍋の出しを加え沸騰させ、ネギに火が通った事を確認しでかい茶碗で一杯分だけ加えて煮込むつもりが、あっという間に汁気を吸ってしまい水気が無くなったので卵を加え火を止めて混ぜ混ぜして出来上がり。早速婆と二人で夕食を食べた。昨晩の鍋の出汁が良く出て美味しかった。キムチが駄目という人には無理かも知れないけれど、ピリ辛で水気を吸ったご飯がふくれてお腹が一杯になった。 んで、今こうして日記を書いている。UPしたら、組みたてたパソの動作確認をしてオークションの出品者の評価をしなきゃいけないところだが、ケースとペアボーンという出品者の評価は良い評価は出せない事は動作確認前に決定している。連絡の雑さと言うこともあるし、こちらから請求しなかったらマニュアルその他も寄越さないという横柄さ、しかも寄越したものはこれまた不完全では良い評価なんて付けられやしない。 やっとこさ到着してから約一週間後に初の動作確認を行った。駄目だったら返品のつもりで行った動作確認は残念ながら動作は不都合はなかった。これで返品は無し。決定。だけど、評価は良い評価は付けられない。ま、こんな取引もあると言うことだろう。
2004/11/21
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最近でもCLUBでピアノの先生を置いている所は数多くあるのだろうか?。 僕が働き始めた頃、カラオケはあまり無くてまだまだ、伴奏にはギターの先生が多かった様に思う。と同時にピアノの先生も多くいた。 しかし、カラオケの流行と共に真っ先に伴奏を生活の糧とする人達の収入の路は閉ざされ始め、数年の間にギターの伴奏は歌舞伎町から一掃されてしまっていた。 と同時にピアノの先生の数も減ってしまった様に思う。というか新規の店で伴奏として使われるのはカラオケが入るようになったのは人件費の節約にも繋がっていたから、しょうがないところでもあった。 けどね、小さな店でもピアノの演奏が入ると入らないとでは雰囲気がだいぶ違うのはそういう雰囲気で飲んだことのある人なら判ってくれると思う。 黒服時代に入る前の頃小さな店の店長を何度かしていた頃、ピアノを弾く女の子にふと惹かれた事があった。ピアノを弾く指先が綺麗だった事、声のハスキーボイスが良かった事、を今でも覚えている。 ある時帰りに送って貰うことになって、自宅まで送って貰ったときに何となく怪しい雰囲気になりつい…その気になったしまって部屋に一緒に入りそのままベッドに倒れ込んで。。。 彼女を裸にし、体中を愛撫してる時にふと気づいてしまった鮫肌。その肌に触れてしまった瞬間高まりきってたテンションは急降下してしまい僕は彼女に「ごめん疲れてるみたい」と言っていた。今の僕ならそんな事は言わずに裸にした以上はやる事はやってしまうと思うのだが、若いというのは残酷な物で裸にしたのは良いが、自分の気持ちが冷えたら手のひらを返すように、ハイお終いにしてしまったのだからね。 一週間ほど経って、彼女を紹介してくれた人から連絡が入り今月一杯で辞めたいと言っていると言うので引き留めもしなかったのだが、その後聞いたところに寄ると、音大出てバイトで食べ繋いで来たけどもう一度勉強し直すとニューヨークに行くのだとか。 何かその切っ掛けを自分が作ってしまったのか?と後味が凄く悪かった事を覚えている。ピアノも歌声も好きだったのに、鮫肌だけはどうにも駄目だったけど、それが辞める切っ掛けになってしまうとは思いもしなかった。 ピアノの先生とのエピソードは二つ目になるのかな?。 朝っぱらから親父から「飲み過ぎて居るんじゃ無いのか?」とお小言を貰ってしまう。確かにこのところ毎晩のように発泡酒を一本ずつ飲むようにはなっては居る。まあ時には一晩で三本を超える事も無いでは無い。が、東京で入院する前の生活と比べたら今の量だって相当に減らしているのだけれど…と言いたくは成ったが言わずに「うん」と答えておいた。 午前中にネットで以前見かけた明治の頃の地図を再発見したいと考え見てたのだがどうにも見つけることが出来なかったのはとても残念だった。僕の見間違えか、探し方が不味いのかどちらかであろう。我が家の周辺地図と共に、従兄弟に頼まれた明治の地図と今の地図を持って従兄弟の家に出向いた。 従兄弟の家でしばし談笑。歴史的な建物跡と言うことは判らないでもないが、その時代にそこまで土木工事を施す領袖が居たとはどうにも疑問符を僕は覚えた。ヨーロッパで北方民族の侵入に怯えて築城した城ならいざ知らず、戦国末期に築城したのでは?という考え方はどうにも頷けない気がするのだ。 様々な歴史的な背景を考えると西暦千年前には天台寺が作られていたとすると、それを指示する勢力が存在して居たと言うことは確実で、それらの勢力の基盤となった農業の担い手の中の独りが我が家の祖となった人であろうと言うことは想像出来る。早い話が近年で言う屯田兵の様な人だったのでは無かろうか?。そんな中の独りが土着の民となり隣村に住み着き代々を経て今のこの地に入り婿として来たのが我が家の祖先となったのであろう。歴史の中で考えたら取るに足らない些末のような人間かも知れないが、私という今生きている人間がここにあるのも、些末の人間であっても生き抜いて来たからこそ僕の今があると考えている。 だからこそ、中世の歴史的な流れをもう少し詳しく色々な書物から推測したいと考えている。のだが、今ひとつ明確に書かれた物が無いのが推論と言わざる得ないところにもなっている。 従兄弟の所から自宅に帰って来て、パソコンを組みたてようかな?とも考えてみたのだが、結局ネットをちらほら眺めてて居るうちに夕食のおかずを作る時間になったので、今夜はキムチ鍋を作って出来上がったところで夕食を食べた。 鍋なんだからお代わりをして全部食べきれるとおもうのだが、鍋もみそ汁と同様お代わりをせずにという食生活では無くなることはなく、明日の晩も食べることが確定となった。なんだかなあこの食生活は!!!。鍋は温かい方が良いだろうと思って俺が盛らずに各自が持って食べることにしたら無くならないのでは、多少冷めてしまうかも知れないが、最初に全部持ってしまった方が良かったと言うことなのかも知れないと反省した。我が家で鍋を作るときは盛りきってしまうように作る事を信条とするか。 夕食後部屋でくつろぎそのまま寝込んでしまう。んで、起きた後茶の間に行って親父と少し話をし、その後で部屋にて日記書きを開始。そういや、親父の実家から山葡萄の収穫の手伝い料としていくらかの金が届いて居たので、貰えないと返しに行ったが逆に説得されて貰う羽目になった。あの父にこの息子有りと言うところか。親父の兄に「おまえの親父は受け取らないからおまえに少しでも渡すことにした」と言われてしまう。ま、兄弟から受け取る親父だとは思わないから、仕方がないとは思いつつなんだかだよな…。 そうそう、樽に漬け込んだ山葡萄の実は見事に酒の匂いを放つようになっていた。そのままの物より加糖した物の方が酒の匂いを強くはなっていたけれど、汁だけ取り出すのはまだもう少し先の事だろう。来月か年明けてから親父に手伝って貰って焼酎の空き瓶に詰めることにでもしたいと考えている。分け方としては、そのまま漬け込んだもの、加糖して漬け込んだもの、加糖して焼酎を加えて置いた物とあるのだが前者から汁だけ取ったら今度は三十五度の焼酎を加えて残ったエキスを総て取り出すようにしたいところだ。と今から色々考えている。
2004/11/20
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大半の黒服さん達は通勤の時からスーツを着用している人が多かったし、今でもそうだろうと思う。 途中でスカウトすることもあれば、誰に会うか判らないからお店からもそう指導されているという事もあるのだろう。 だが、僕が黒服をしていた当時、僕の通勤着と言えば、何時でも私服だった。しかも普段着?のままと言うか、なんというか…。 通勤は最初は電車でだったけれど、途中からバイクに変わってしまいそうなると通勤着に気を遣っても居られなかったしね。 やはり出だしのバイトの頃からの癖だったと思う。如何にも出勤してますという黒服スタイルにどうにも馴染めなくて、通勤は私服で出勤して店内の掃除が終了した所で戦闘服であるスーツに着替え洗いざらしだった髪をきっちり整髪料で整え準備完了と言うのが僕のスタイルだった。 しかし、そのスタイルにクレームが付いた事は全くなかった訳じゃあ無い。店長に言われ、部長に言われと何度かのクレームもあったが、そこは何とか仕事で封じ込める事?が出来ていたのだろう。と思っている。 途中で着替えるのが面倒じゃ無いか?と言う人も結構居たけど、僕にしたら仕事中と気分の切り替えが出来るからこっち(着替えた方)が楽だよ。と答えていた。 だから、アフターでお客のお供をしたり、女の子の相談事に乗るときや、送って行く際は大抵は私服でしていた。個人的に歌舞伎町で飲むことが少なくなかったからそう言ったときにスーツだと、サラリーマンには見えなかったから一目で同業と思われるのも嫌だったしね。個人で飲むのだから周りを気にせず飲みたかったのだろう。 それでも、黒服が長くなると私服でスーツ姿の人間と飲む事や女の子と飲む事も多くなるから黒服やっている事は判ってしまって居るようだったけどね。 着るとしゃきっとお仕事モードに変身できるそれがおいらの戦闘服でしたね。 その後昼間に転職し、仕事は私服でOKとなったら、仕事着が無くて気持ちの切り替えも上手くいかなくてとても困った事を覚えている。結局昼間の仕事は仕事なんだけ真剣には取り組んでは居なかった気がしてる。普通なら逆だよなと自分でも思うけど水商売の時ほど真剣で無かった証拠に、水商売の時はずる休みなんて一度もしたことがなかったのが、昼間に移ってから月に一度くらいはずる休みをしたり、少し体調が悪いと休んだりするようになっていたからね。 今にして思うとやはり気分の切り替えはとても大事だったんだな…と思う。 今日は朝からパソコン使って入力の頼まれ事をするつもりだったのだが、従兄弟から連絡があって、午前中から遺跡の撮影に出かけた。だが遺跡という割には古い物で良くある仏の彫像でも無い様にしか見えない顔の輪郭はまるで子供の悪戯書きにも思える物だった。その後幾つかの館後を巡り従兄弟の家でお茶を御馳走になり、ついでとばかりに叔父に土地台帳からの推測を告げると「その可能性は高いだろう」と評されたのは嬉しかった。 昼には家に戻ってカレーを温め目玉焼きを作って親父と食べ、午後からはまた法務局へと出かけ、前回の記入漏れをチェックするとともに百年少し前の地図のコピーを取ってみたのだが畳一畳ほどの大きさの地図のコピーは簡単に綺麗にコピーを取ることはとても難しい作業となった。せっかく取ったコピーも貼り合わせて見たら所々コピーミスが在る有様。仕方がないとは言え、このぐらいの古さの地図の入手が出来ない物だろうか?と悩んでいる。 取り敢えず、我が家のルーツ探しはこれで、家系図の空いている部分を埋める作業を残すのみで大体終了と言って良いだろう。後は浄法寺氏の系統を調べて推測すると言う作業にルーツ探しは移行する事になるだろう。何しろ中世期以前は調べようが無いというから戦国時代辺りまで何とか遡れると良いのだが、その辺はあくまでも推測の領域を出ないとは思うけれどそういう人達の一人だった程度までは調べたいと思う。 食材を少し買って帰ってきて、ご飯の支度をしようと思ったのだが、婆が刺身を買ってきたとかで、作ろうと思ったキムチ鍋は順延となった。刺身は嫌いじゃ無いのでそれはそれで美味しく?食べた。が、刺身は思ったほど美味しくは無かった。まあしゃー無いよね。
2004/11/19
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何時も鍵をじゃらじゃらさせてると思ったら。 「おい北」 「これはA子、これはB子、これがC子、そしてこれがD子」と言いながら、 一週間の予定を等々と言ってくれたのはその時の店長だった。 おまけに「おまえは駄目だぞ」なんて笑って言うんだものな…。 そんな人もいれば、出生地その他本当のことを何も話さない人も居たけど、人づてに聞いた話だと逃げてきたらしいと言う話だった。 そういや、寿司屋に連れて行ってくれた部長が「何食べたい」と言うので「ウニが…」と答えたら、 「親父ウニ握って」と言い始め、こちとらおかげでウニばっかり食べて気持ちが悪くなったこともあった。 そんな豪快な一面もあった人だが、自分の浮気が原因で奥さんが子供を連れて出て行ってしまい。 すっかり生活が荒れて終いにはそのまま倒れて亡くなった人も居た。 結婚を機に水商売を上がった人。NO1と暮らし初め別れて店を映りぱっとしなくなって辞めてしまった人。年齢的な物があったのかスカウトが上手くいかずに立場が悪くなって辞めていった人。 色んな人が僕の記憶には残ってはいるが、不思議なほど名前まで覚えている人間は少ない。 逆にネットで出会った人間の方が不思議と印象に残って覚えているのはどういう訳だ?。 朝起きてモニタを見るレスが付いたらカキコするためだ。けれどカキコは無くただ少しアクセスが在っただけ…。アクセス数は気にしないように心がけてるつもりだが、多分今日中にアクセス数は四千を超えるだろう。そして、今のままのアクセス数が続くとしたら後二月ほどでアクセス数は一万を超える予定。当初は一万を超えるなんて一年かかってもとても無理と考えていたのだが、どうやら予想以上にアクセス数がカウントされている。以前開いていたHPは今の半分以下だったのでは無いのか?と思う。 ただね、アクセス数を気にしすぎている所が無いとは言え無いのがちょっと嫌なところ。アクセス数を気にして、食いつきやすそうなネタを前半に持ってきているのが良いのか悪いのか?。僕本来の日記は中盤以降であるのは本人がよく知っているからね…。 午前中にオークションで落札したHDが届く。梱包が気に入らないけど動けばOKだろう。ペアボーンの品は未だに動作確認も取れてないまま。先方が不足の品を送ったと言うから今しばらく待って、到着したら動作確認を行ってその上で再度クレームを付けるか、このまま使うか決定することにしよう。 ねっとをちらりと眺めた後で、ネットバンクで振り込みの確認をすると、振り込みの確認が取れたので口座を移動し、午後からは盛岡まで出かけることにした。出かける前に、家系図を見て手ぴんと来る物が在ったので、親父に話をしてみたのだが、親父だって生まれる以前の話だから断言はできないよね。とはいえ、この部落の明治の頃の様子が思い浮かべられるようになってきた。苦しい江戸時代の末期を生き抜いた御先祖に感謝したい気持ちで一杯になる。 車で盛岡に向かい、まずは銀行でお金を卸し二三支払いを済ませ、何処にも立ち寄る気もしなかったがブックオフに立ち寄って幾つか本を買って、途中晩飯を買い込んで帰宅。買い込んだ出来合を食べながら夕食を取りのんびりくつろいで買ってきた本を読む小説はパソコンの上に百鬼夜行が置いてあるが、今晩は部長島耕作だ。それなりの年齢を加えた今もそれなりの面白いとは思うが、僕的には課長…の頃の方が好きかな?。 こうして今夜も過ぎて行く…。明日こそは頼まれていたパソコン入力に取りかかるか、借りてきた本をスキャナーで読み込み作業をしなくては今月中に終わらせられないかもね。
2004/11/18
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一時流行ったのは男の子が店を辞めてしまった後でゲーム屋の店長になる事だった。 まあ、早い話が警察に検挙されたときに数日から数週お泊まりして帰ってくるのが仕事?と言えない事もない。 何故流行った?かというと、単純に忙しいわけでも無いがギャラはボーイの倍以上というのが単純な理由だった。 それゆえ、ボーイの仕事についてしばらくしてゲーム屋ではまり込んでしまって転職というのが一つのパターンだった。 僕は?と言えば確かに一時はポーカーもやればフルーツにもはまり叩いて叩きまくった方だったが、それでも不思議とそこまでははまり込むことは無かったと思う。 同じ店に居たバイト仲間の一人がゲームに嵌り店を辞めゲーム屋で羽振りの良いところを見せたのもつかの間気づくと歌舞伎町から消えてしまっていた人間は少なくない。 バブルの弾けきった頃、ゲーム屋で借金を残して自殺した人間も居たが何でそこまで…と僕は思ったものだった。 朝起きたらとても寒かったけれど、外を見ると雨だった。親父に頼まれたお金を支払いに車で出かけ、その後町内周遊に出かけてみた。出たときの山々には雪は無かった物の徐々に山々が白くなり始め、八幡平の尾根に近づく頃には路面にちらほら雪の降った後が現れ始めていた。昔々分校が在ったという今は誰も住む人のいなくなった山間に入ると道路には雪が積もり道路に轍が出来ていた。 タイヤはもう一週間ほど前に替えてあったのでそのまま気にせず八幡平の連なりにさしかかる頃には道路には十センチほどの行きがあったので、注意しながらのはしりとなった。時折対向車が現れるから誰も通らぬ路では無いのだが、携帯も繋がらぬこの山中でもしも車が走れなくなったとしたら、人里まで歩いて出るのに少なくても二時間近くはかかってしまうだろう。そう考えるとどうしても走りは慎重にならざるを得なかった。とは言う物の、この車で雪道は初めてだったので轍以外を選んで走らせたり急制動を試してみたりしたが思いの外面白くは無かった。 旧道を抜け安比に出ると路面が溶けかかって凍ってしまった所に出ると時々微妙にグリップを失ってハンドルを取られる事があったので気を付けていつもの路に出る頃には雪は消えて無くなっていた。八幡平のすぐ側を走ったのだから雪があって当然か?だって八幡平の有料道路はすでに閉鎖になっているからね。それにしてもあの路は今度走るとしたら来年かな?。 給油して帰宅。昼食の支度をして親父が帰ってくるのを待ちながら二戸郡誌を読む。そこに書かれた事を読み進めてみると、昔々学校で習った教科書で学んだ事の裏で行われていた事を知ることが出来たのは良かった。が、何処までが事実で何処からが創作であるかは判断の就きかねるところで在ると思う。 夕方になったので夕食作りを開始し、出来上がったところで夕食とした。肉ピーマン丼の出来はまあまあ、もう少し汁が多めでも良かったかな?人参が入っても良かったなと反省点があった。ここ連日どんぶり飯が続いたので明日は普通のおかずにしたいと思った。 夕食後、先日親父が連絡をしてくれていた家の血筋に当たる家に出向き書き留めて貰った物を頂いてすぐに帰ってくるつもりがついつい話し込んでしまい結構長く話をあれやこれやと初めての家で話し込んでいた。初めてと言っても四十年以上前には母に抱かれて尋ねたことは在る家だとは思うがね。顔も知らぬ曾祖父の兄弟の話を聞き、そんなこともあったのだ~こんな事もあったのだ~と昔話を楽しんで聞いた。はっきり言って楽しかった。 んで、家に帰る途中で缶酎ハイを買いこんで帰宅。帰宅後早速に書き留めて貰った物をパソコンに打ち込む傍ら発泡酒をぐいっと飲んでは日記を付けていた。家系図完成までの道のりは未だ遠い。
2004/11/17
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水商売と切っても切れないのはヤクザ屋さんかもしれない。そりゃ仕入れの業者という声が一番かも知れないけれど、何故か僕的にはヤクザが頭に思い浮かぶ。 知り合う切っ掛けは店長の知り合いだったり、女の子のお客さんだったりそりゃ色んな関係で知り合う事は水商売に限らず少なくない。 無理して付き合うことは無いのは判ってはいるが、仕事が長くならばなるほど、色んな柵が出来付き合いを断り切れなくなることはままあったように思う。 簡単に言うとオシボリがまずあげられる。その次には暮れの餅かな?必要悪という人もいるけれど、まあ個人的な考え方だから何とも言えない。 ただ、個人的には何度か嫌なこともあったし、怪我をしたこともあったから好きな人種ではない。ま、中には良い人も居ない事はないのだが、やはりそれでもヤクザはヤクザでしか無い。 このように言い切るようになるまではそれなりに良い人だと思って付き合い良く遊んだ人間も居たことはいたのだが、必ずしもそうなると決まったわけでは無いが困ってくると豹変し周囲に何らかの迷惑をかける人が居ると良い人だと思っていてもまた…という考えに捕らわれてしまう事は否めない。 若い頃はそこら辺に居る気の良い兄さんみたいだった人でも数年経って姿が豹変してしまった姿を見たときは、やっぱりヤクザはヤクザでしか無かったのだな…と思った物だ。 とこう書いてみたけれど、若い頃には事務所の電話番をバイトでやったこともある。最初は知り合いの不動産屋の電話番のバイトを探しているから、時間があったらバイトしないと持ちかけられ、知り合いの女の子の紹介だからやってみるかな?と思っていったら関西系の枝の枝の事務所だったのには驚かされたが、家業には関係ないから…という話でバイトを始めたのは良いが気が付いたら不動産以外の電話番が主になっていて、辞めたくてもすぐには辞められなくて困ったことがあった。まあ、今だから良い経験だったと言ってられるけれど、当時は店にも時々の見に来ていたから売掛が溜まって来たときには焦った物だった。 UPする前に風呂に入って居たから今は日付が変わった時刻。その時刻から麦酒を飲み出して寒い夜中に起きてネットを…のつもりがそのまま眠り込んでいた。 起きてみると何やら外が妙に明るい、部屋のドアを開け廊下に出て窓の外を眺めてみると、目に飛び込んできたのは白い世界思わず玄関まで行き、再度外の世界を確認し雪かな?と思った瞬間空からふわふわと舞い降りてきたのは紛れもない雪だった。ついにこの季節が来たんだな…と思いつつトイレに入って部屋に戻って二度寝を決め込んだ。再度起きたときは白かった様に見えていたのも普通の秋の終わりの景色になっていた。 親父に頼まれた事を片づけるため農協に行きお金を卸して支払いに出向いてみたが先方が不在だったので帰宅した。すると、叔母さんが娘を連れて婆の慰問に訪れて居たので、普段なら食事の時間しか過ごさない居間でしばし談笑し部屋に戻って県立博物館が出版した1987年版の○○町の自然と文化を読み始めた。もっとも、読んだのは主に中世期以降の街の歴史に関するところだけ。我が家の家系図に出てくる年代になると時代考証は当てはまる物が多いというか、当てはまって当たり前の話だよな。けど、当時圧政に苦しめられながら我が家の祖となった人は懸命に生きて命を繋いでくれたのだな…と考えたら身近に感じたことが少なかった人間が妙に身近に感じられた。 僕の私見では悪いことでもして土地を広げたのでは無いのかな?と言う疑問があったのだが、天保の飢饉で壊滅した村が同町内に存在する事を考えると、こういう言い方は語弊があるが漁夫の利的な物が土地所有に関し合ったのでは無かろうか?と推測した。 叔母さんたちが作ってくれたロールキャベツと、昨日のカレーを温めて本日の夕食とした。カレーは一味足りないと感じていたので一味と砂糖を加えてみた。まあまあだった。ロールキャベツは麦酒を飲み始めるときのつまみにしよう。 んで、夕食後しばらく自室でくつろいだ後は、お決まりの発泡酒を飲みながらロールキャベツをパクパクッと食べながら、何故かガンダム見てました。ロールキャベツのお味は申告通り薄味でこれは使っているコンソメが違うからなのかもね。何時も使っているコンソメの方が旨味があるような気がするのは市販のロー絵宇キャベツを使って居るからだとすると、ロールキャベツの中の挽肉をこねるとき何か旨味成分でも入っているのかな?何て考えながら食べたのだが、不味いと言うほどでもなく食べることが出来た。外食以外で他の人が作ったものを食べる機会が少なくなっているからそんな風に思ったのかも。 でもこれじゃあ自炊で食べてる方がまだ気楽に作りたい物だけつくるぶん気が楽だな~~何て思えて家にいる意味が…なんて考えちゃう、そうすると必然的に溜息を一つ二つついちゃっているんだよね。 さて、食べながら明日作る物は肉ピーマン丼に決定した。肉は買った物が残っているしピーマンは冷凍の物を使おうと考えているのだがどんな物かな?それにタマネギの薄切りを加え炒め煮のように作って仕上げでとろみを付けてご飯にかけて出来上がりだ。
2004/11/16
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今だから言える事かも知れないが、黒服ってつくづく自律の心を持ってないと続けられない仕事だったのだな…と思う。 酒と女、ギャンブルの話は絶えず周辺にあるという。ある意味極楽でもあるかも知れないが、それはまた地獄の入り口に立たされているとも言えるからである。 女の子は「商品」であっても、そこは人間。酒が入って「据え膳」を出されて拒む人間も少ないとは思うが、時としてそういった状況に陥りやすい所に居るのも事実である。 女の子の時間潰しの相手だったり、彼氏の愚痴を聞いたり、やな客の話を聞いたり、店を移る相談を持ちかけられたり等々。話す内容は仕事はおろか私生活に渡っての相談となるから親しく成りやすいとも言えるだろう。 加えてギャンブルに入り込めやすい環境にいるというのもあってか、ギャンブルで借金を作って逃げたらしい…という話は良くある話だった。けど、不思議なことに歌舞伎町から居なくなった数ヶ月後には札幌で働いていたとか言う話が聞こえてくるから不思議なものだ。 また、ギャンブルで仕事を辞めたはずが今度はポーカー屋の雇われ店長をしてると羽振り良く話していたりするのも何かだな…とは思いつつ、まあそう言う人生もあるのだろうと思った物だった。競馬、ポーカー、競艇、競輪、お客さんが勝った負けたと言う話を酒席で会話し何かの時にはお供をしたりしているうちに手を出してしまう切っ掛けには事欠かない世界であるのも間違いない。 これほど、誘惑の手があまた広がっているところで仕事をするわけだから、自律の気持ちが持てないと継続して行くのは難しい所であると言えるのは、黒服だけでなく働く女の子についても同じかも知れない。 ネットをふらついていて日本歴史占いと言う言葉と占いの結果が「紫式部、スケベの女王」だったという事に興味を引かれたので探して試してみた http://woman.excite.co.jp/fortune/rekishi/ すると…出てきた答えは 徳川家康であった。 あなたは生まれつきリーダー的要素を持ち合わせています。その意味で300年にわたる幕藩体制の基礎を築いた徳川家康は、日本史上でもぬきんでたリーダー。信長がつき、秀吉がこねた餅を家康が食べた_と言われますが、天下をとれたのは、問題点に対してしつこいくらいに、根回しや、戦略、敗戦の分析、家臣の人心掌握_等、熟考を重ねた結果。かといって、このタイプは誰でも成功者になれるわけではないので、一層の努力すべし。 ■頭脳・知識 完璧主義。とことんまで突き詰めて考えなければ気がすまない。結果、並はずれた知見や構想を得られればスゴイことになるが、日常的には仕事や勉強の妨げになることも多い。 ■センス 万事、理想が高い。それも思うだけでなく現実のものにしようとするし、周囲にも押しつけようとする傾向がある。異性に対してもあり得ないような女性像を思い描くので、晩婚の傾向あり。 ■感情 よく言えば大物然としている。悪く言えば態度が大きい。プライドが高いだけに苦しいときでも弱音を吐かない態度は立派だが、サスガだね、などのオダテ言葉にも乗せられがち。 ■外見・言葉 ゆったり大らか。大人の対応ができるタイプだが、反面、親しい人には幼児的な感情表現をする。お腹が空いたから不機嫌になる、許してくれるとわかっているから甘える_等々。 ■行動 責任感が強く、ケジメや筋を通すことにうるさい。それだけに我が身を厳しく節するが、他人に対してはもっと厳しく接する。説教も大好きなので往々にして煙たがられる。 思わず笑ってしまった。だって生まれる日が同じなんて何十人いや、何百人といることだし、じゃあもしもたとえばこの占いが当たっていたとしたら同日に生まれた総ての人が皆「徳川家康」的なにんげんになってしまうのか??そう考えるとそんな馬鹿な事はあり得ないとしか思えないからね。 とは言うものの、占いの結果を見て頷けるところが無かった訳じゃあ無いのだが、それにしても徳川家康とはね(苦笑)。自分の感覚ではどちらかというとリーダーシップを取るというタイプでは無く補佐をするタイプだと考えている。 朝から二度寝をしてしまう。体重は食事を思いっきり減らしているので、当然落ちてる物と考え体重計に乗ってみると驚くほど落ちて居たわけではないが1.5kg程落ちていた。ここ数日悔いたくないというか、食う気が失せることがたびたびあったので食事は一日に一度切りの生活が数日続いていたから減っていたのは当たり前かもね。 けど、空腹感という物は不思議な物で、最初の頃にはとても腹が空いたという感覚が合ったとしても時間が経つに連れその感覚も無くなってきてしまうのだ。この手で体重を落としてもまたもと通りに成りやすいのは知っては居ても、今は体重を落としたいと言う気持ちがあるのかな?。 従兄弟から借りてきた二戸郡誌のコピーを取らなくてはと考えパソコンを見てみたらソフトが組み込まれていなかったから取り敢えず組み込んだ。明日からでもデータファイルとして読み込ませようかな?と考えている。 昼時に親父に電話と呼ばれ電話のあるところまで行ってみると、親父がどうやら少し前に話した初代の血を受け継いでいる家に電話をしてくれていたみたいで、明日にでも連絡を貰えると言うことになった。ルーツは兎も角、家の初代の血は一体何処まで広がって居るのだろう。近場は一応済んで居るので外縁を尋ね歩くことになるだろう。 そうそう、叔母さんの会社に頼まれていたデータ入力だが、その後何の音沙汰も無し。一応僕的には今月一杯までに何とかしようかな?とは考えてはいるがどうなるかはまだまだ未定である。 財布の中に一銭も入ってないのは寂しいから、ネットバンクで手近な銀行に入金をして卸してきた。特に使う用事がある訳じゃ無いけれど何処か安心感があった。んで、軽く買い物をしたら残金は半額程度まで成ってしまったのは頂けない。夕食の八宝菜に入れる食材を少々と最近菓子類をたべてないなぁと考えていたので甘い物を少々しか買っていないのだがね。 夕方になってきたので夕食のおかず作りを始めることに。手順は殆ど昨日の記述通りに作って八宝菜を作ったつもりが中華丼になっていた。 夕食は中華丼白菜を沢山食べることが出来たのでバランスはそれなりに取れていたと思う。ただし、味付けが若干薄かったのととろみが弱かった、それと椎茸を入れ忘れたのが反省点だった。 夕食が終えたところで自室に戻り日記書き、途中で曾祖父の兄弟の孫の結婚相手から電話が入り昔のことは判らないと言う内容だったが、調べてるのは貴方の旦那の兄弟以降であることを告げるとそれならば書き留めて置いて貰えると言うことになった。家系図作りも一歩前進か。作ってみても興味のない人間には何の価値も見いだせぬであろうが、作る僕からしたら、我が家の血を引く人間がどれだけ居るのか?を知る今回が最後のチャンスになるかも知れないと思っているから、調べられる限りは調べ尽くそうと思っている。 オークションは返品で揉め始めている。相手方はペアボーンの意味は…とか言っているが買った僕としてはこの不完全な物がペアボーンか?としか思えないから返品したい旨を申し出ているのに、自分は悪くはないという言い方では一向に埒が明かない。揉めるのは不本意ではあるが仕方がないのかと溜息がでてしまう。
2004/11/15
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こんな事書いて良いのかどうかは判らないが、その地域限定かも知れないが、歌舞伎町には同業者料金という物が存在していた。 もっとも、早い時間帯(日付が変わる前)の料金では無く、通常の営業時間以外の深夜の時間帯だけに存在する料金で、通常の営業時間以外=届け出のされてない無許可営業だったと思う。 まあ、同業者料金で飲むと言えば同じ店の男の子や女の子が深夜のバイトで行っている店で飲むのだが、当然男の子は営業(スカウト)などはもってのほかだったのは言うまでもない。 もっとも、お客さんのお供で行くときは早い時間の続きでお客さんの盛り上げ役に徹したり、指名の女の子のフォロー役というかガード役でもあった。 けど、考えてみると同業者料金で飲んでいたのは二十代の初めの頃だけで、その後は自分でも深夜のバイトを始めるようになっていたからその後はどう変化していたかは判らない。 けど、当局に許可を貰っての営業は早い時間だけなのだから、深夜は・本当はいけないのだがね。 早い時間から飲むことが多くなると深夜はどうしたってへろへろになってしまうだろうと思うかも知れないけれど、不思議な物で人間の体という物はそれなりに順応してくるものなのだ。 それゆえ、早い時間から飲み始めても不思議と深夜まで酔っぱらう事は少なかったのだが、今同じように飲むとしたら、早い時間だけでダウンしてしまう事は、オフの惨状を考えると想像に難くない。 もっとも、深夜に女の子の居る店で飲むなんて普通の人なら寝てる時間だもの来るなら同業者でも構わない、枯れ木も山のにぎわいなんて考えてるのかもね。 今日は何も無かったと書こうとしてふと口ずさんだのは初め人間ギャートルズの「何にもない~」唄だった。どうやらこの歌詞と出だしのメロディだけは頭の中に残っているようだった。 何も無かったとは言え、オークションで落札したHDとペアボーンセットが届いたのは良かったが、ペアボーンは開けてみてケースは新品だったのは良かったけれど、中身のペアボーンと歌っていた中身はただ単にMBにCPUを載っけた程度で他にはMBのドライバCDが付属していただけで、これでは使え無いから返品したい旨をメールで送ったけれどどういう返事が返ってくるか…。MB関連の付属品が届いたなら返品はしなくても良いかな?とは考えないでもないが今のままではね。取り敢えず返事待ちだな。 今日も昼は抜き。トイレの後で体重計に乗ってみると見事体重は落ちていた。そりゃ、当たり前かここ数日食べているのは夜だけなんだから減らなきゃどうにかしてるよね。 しばらく振りにアニメの動画を何本か見た後で昨日決めた通りカレー作りを開始した。とは言うものの、都内で一人で暮らしていた頃と比べると作るにしても食べるにしてもなんだかなぁ…という感じでそう考えながら作った所為か味は今ひとつだったし食べても美味しい、食べたかった味には成らなかった。自分が食べたくて作るのと誰かの為しかも好きじゃない相手の好みに合わせて…と言うことで作るのもお座なりになってしまうのかもね。 携帯の着信に気が付き携帯を使って話をした。思わぬ長電話になってしまって勿体なかった…。それほど話したい相手でもなかったからな~~~。
2004/11/14
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今のようなネットの時代ではまだまだ無かったあの頃だから、電話線の先にこのような様々な出会いが在るなんて考えもしなかった。 当時はまだMACな人で、三代目のMACを購入してたのがパソコン通信を始める切っ掛けになった。 何せ、パソコンを買えば一通り出来る?。と考えていた頃で、ネットに繋ぐなんてまるで考えも無かった頃に出会ったのが660AVと言う機種で今なら当たり前にパソコンに付いてるモデムが周辺機器として付属していた機種で、その機種に出会って無かったらパソコン通信に興味を持つ事なんて無かったろう。 最初はMAC関連の専門フォーラムから始まり、興味はそれ以外のパソコンで出来るインターネット関連に広がり、そこから更に人との出会いに広がるまで何ヶ月かかったかな?。 そうこうするうちに、何気ない話が出来る所を見つけ、そこに出入りを始めたことを切っ掛けに、毎日色んな事をそのフォーラムにカキコしてカキコしてはレスを貰ったり貰わなかったり、ネットのエチケット=ネチケットを学んだのもそこだった。 今のHPにたまに荒らしの話を散見するが、荒らしの経験をしたのもそこが最初なら、様々な論戦に巻き込まれたのもそこだった。 初めてのオフは今でこそ、時に気もしないで出かけるのだが、当時はどんな人が来るのだろう?。どういう会話をすれば良いのかいな?服装は…と色々気にしながら…という物だったが、そこで何度もオフに出て、他の場所でもオフに参加するなどして、オフと言っても特に怖い物ではないと言うことも教えられたのも、そこがあったからだ。 メールのやり取りを始めたのもそこのフォーラムの人間が最初だったなぁ…。そういや、あの人は何処で何をしているやら。友人と呼べる人間に出会ったのもそこが切っ掛けだった。 初めは共通の趣味があったからその手の話をよくしていたのだが、何時しかネット内から飛び出ての付き合いが長くなり、今でもその交流は続いている。 パソコン通信時代から、今ではインターネット時代に時は流れて来ているけれど、人との関わりはパソコン通信の時と何も変わっては居ない。確かにバーチャルな空間には違いは無いけど、利用する人間によってバーチャルな空間だって何時だってリアルな空間になる。 まして、文字しか飛び交う事の無かったパソコン通信と違って、インターネットは画像まで飛び交うのだから、完全にバーチャル空間と言い切って利用する人も居るのも事実だけど、それだけではないと僕は考えている。 まあ、基本的には僕のスタンス的な物は何も変化は無いと言うことだ。 このHPにしたって、見ている人は僕をリアルに知っている人が半分くらいは居ると思う。僕をリアルで知らないと言う人はカキコを読んでどう思うかは判らないが、僕を知る人にとっては知らなかった僕の一面を知ることになるのだろう。 けど、ここに書かれたことは間違いなく僕に起こったことで、僕自身が経験してきた事である。 何か、書いててまとまりのつかない文章になって来たところで止めておこう…。 今日は朝から何も無し。途中で何度かネットでオークションのチェックとかもしては見たが、どうしても買う気にはなれなかった。ま、途中で何度と無く握力を付けるトレと方を動かすためのダンベルをグルグルと回してみたりした。 んで、朝昼と抜いて夕方は…昨日のおでんを温めて、軽くご飯を…と思っていたのだが、婆の顔を見たら食欲が無くなりご飯はパスしてしまう。だけどネットで見たカレーが余りにも美味しそうで明日はカレーを作ることに決めた。食材の大半は買ってある物で賄えるから、後は作り方だけだ。 一応、フライパンを温め油を入れニンニクを入れ油に香り付けを済ませたら挽肉を入れ軽くほぐれるまで炒め今度は挽肉は別鍋に移してジャガイモや人参と煮込み開始。挽肉を炒めたフライパンで今度はタマネギと鶏肉を適当に切った物で炒めタマネギがしんなりするまで炒めたら、それも鍋に加えてジャガイモに火が通ったところで、市販のルーを入れ仕上げて出来上がり!!という感じかな?。 さて、今夜はまた夕べみたいにおでんをつまみにワインを飲むことにするかな?。残っていればなんだけど…。それにしても、何故にこんなに婆を毛嫌いしてしまうようになったのか?。理由は無い訳はないのだが、肉親だから余計に憎さ百倍になっているのかもね。 書き忘れていた事が一つだけあった。本日は退院一周年記念日だった。一年前の今日初めての長期入院から退院してとても嬉しい日だったが、当日の夜の食事と言えばコンビニ弁当だったのが懐かしく感じられる。今の食生活とは彩りがだいぶ違うのも懐かしい気がする。やはり日記だから書き加えて置かなくてはね。
2004/11/13
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ニフティにアクセスする頻度が落ちたのはニフティが衰退を始めた頃からだ。 ニフティの衰退と言っても、ニフティ自体はプロバイダとしては隆盛をまだまだ誇って居るとは思うが、ニフティ=パソコン通信という風に捉えてる僕にとってのニフティはやはり衰退してるといわざるを得ない。 久しぶりに巡回ソフトを立ち上げ巡回ボタンを押して昔だったらカップヌードルが出来上がるほどの時間を待たないと巡回なんてとても無理だった頃がまるで嘘のように、今の巡回はくわえたタバコに火を付ける間もなく終了していた。 どうせ書き込みなんかたかが知れてると、落としたログを流し読みして行くと何やら書き込みが集中してるではないか!。流してしまったところを読み返して見ると、ネットでの友人の一人が亡くなったと言うことが告げられていた。 亡くなってからすでに五日以上過ぎている。そう感じながら様々な人間がその死を知り様々な思い出を書いているのを読み進めて行きながら、僕も彼女に初めてあった頃を思い出していた。 初めてあった頃の彼女は男性に対し結構不信感が強かったそう感じたのは。取り付暇もないと感じた最初の出会いからだったのでは無かろうか。 何回もオフで会い、数年後にはやっと普通に話せるようになりはしたが、最初のインパクトが妙に焼き付いている。 一度、HPを開いてると話したところ、URLを教えて欲しいというので、自分のHPとあずのHPを教えたところ次のオフに出るまで口すら聞いて貰えなかった。良く言えば真面目な人だった。 しかし、最初の頃は避けられてると感じた感覚がなくなってきた頃には色んな話が出来るようになっていた。 お酒が入ると陽気になって抱きつかれた事もそう言えばあったな・。 享年四十歳。早すぎるし、若すぎるよ。ROKO姉…。 嬢ちゃん残して旅立つのは少し早すぎたんじゃ無いのかい?。 今夜は思い出して酒を飲もう。 今夜の酒はシャトーレイノンの赤、程良い飲み口で酔いが回るのも早そうだ。 時折携帯に残された故人の番号を眺めつつ、クイクイとグラスを煽っている。 そして、朝がやってきたが、何もする気が起きなかったのでベッドでゴロゴロ午後まで過ごし、オークションのチェックとかを行ったが自分が対応は迅速にをモットーにしているだけにのんびりとした対応の相手に少々苛立ってしまう。 メールを出したり昨日の続報は無いかとチェックをしたり。昼には携帯が鳴ったので誰かと思って出てみると遠方より誕生日おめでとうコールが届いた。直後にHPの掲示板でもおめでとうメッセージが残されていたので気分は少しは誕生日モードか。 夕方から購入してあったおでんの種を使っておでんを仕込み夕食はおでんをおかずにした。もっとも、おかずにしたのは父と祖母のみで、おいらは軽くご飯を食べた後、おでんを自室に持ち帰って夕べの残りのワインを飲みながらおでんを食べ、映画鑑賞。エンジェル・スノーを見たのだが、ちと誕生日にはふさわしくないかな?とは思いはしたが途中からは鼻水をすすりながら涙を拭きつつ見ていた。 見ながら考えたのは、僕を産むとき母は何を考えていたのだろう?とか、ROKO姉も子供を産むときはこんな風に考えていたのだろうか?とか、順が産むとき側に居なかった自分のことなど様々なことを考えていた。そう考えたのはワインの所為だけで無く誕生日だという事もあるだろう。とにかくなんか久々に泣いた気がする。 んで、今日のオークションは…落札品はHDが二台これは新しいマシンでRAID組む予定、他にはデータ書き込みようのHD一台と、古いマシン用のメモリを落札するつもり…なんだけどそこまで落札したら…って考えたら、先日落札しようかな?と考えた今より高性能の中古が買えたって事なんだよね…やっぱりあの時もう少し頑張って落札に動くべきだったのだな…なんて今更考えてみたって後の祭り。オークションってこんな感じが多いよね((;・・ヘ)。 結局、夕べから飲み始めたワインは何とか飲み干すことが出来たけど、まだまだ宵の口この後は何を飲もうかな?けど、また入札を忘れて飲んでてしまったと言うことに成らなければ良いのだがね。
2004/11/12
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この時間窓の外は真っ暗で、 風が唸りをあげてビュービュー吹いている。 部屋の中で暖房を効かせてはいるが、寒さが中に入り込んできそうでとても嫌だ。 これは今から一週間ほど前に書いた文章だが、関東以南では、これからこんな感じだろうか…。 霜が降りる前まではうっすらとしか色づいて居なかった窓の外の風景が、このところの寒さの影響が大きかったのか急速に秋の景色に変わり始めている。 何て書くと如何にも今少しこの風景が続くように感じるかも知れないけれど、秋の景色はそんなには続かないのだ。 次に来る冬がすぐそこに来ていることを表すかのように、色づいたと思ったら、すぐに葉は落ち始めてゆく。 そう、色づいた風景を楽しむ間もなく山々は地肌を表し始め、冬の到来に備えようとしている今日この頃。 そう言えば、昨年帰って来た時もこの季節だったな…と一年が如何に早く過ぎたか改めて思う秋の日でもある。 家の山に登り、木々のざわめきで冬が近づくのを感じると、この山に次に来るのは来年の春なのかな?。なんて感じてしまう。 目の前に広がる風景は、景観を徐々に変化させてはしまったが、僕の故郷で有ることに変わりはない。 ただ、そこに住む人々は徐々に消え、新しい顔もちらほらしてきているがね。 母が亡くなった後、この地を訪れることはそうあるまいと感じた物だったが…。 今こうして僕は再びこの地に立っている。何時まで?かは誰にも僕自身にさえ判らないが…。 何処にも行けない事を自分が一番知っているはずなのに、何時までこんな事考えているのか…。 窓の外で吹く風は木枯らし何号?なのだろう。あんまり早く冬を連れて来ないで欲しい。 昨年は冬の訪れを確かめてる間もなく冬がやって来た!という感じだったけれど、今年は寒暖の差をしみじみと感じ、暖房を使い始めて十日は経ったろうか?。 それでも、十度を超える日が数日続いたと思えば十度を下回る日が時々訪れ、冬の足跡が近づいているのを感じ取る事は難しく無い。 去年は、退院し、荷物を纏めての慌ただしい帰宅。それに続く新生活の始まりで、冬の訪れを楽しむどころでは無かったけれど。 今年は去年と違って、冬の訪れを楽しめると良いのだけど…。 昨日の三時間から四時間近く法務局の椅子に座ってせっせと資料集めをしたのが祟ったのか、今日は朝起きては見たが二度寝三度寝を繰り返し結局夕方夕食のおかずを作る前までベッドから離れなかった。 途中、メールチャックをしたりオークションの経過を眺めたり、昨日落札した商品の振込先が来ないかな止まっているのにまだ来ない。オークションが済んだら事後処理は迅速に…をモットーと考えている俺から見たら、こういう風にゆっくりと日を重ねてという取引は称に合わない。さっさと済ませ週末には検証作業をしたいのに。 夕食は昨日買い求めた食材を使って炒め物でチャッチャと作って夕食開始。出来はまあまあという所か。夕食後は日記を書き、少しくつろいだ後隣の祖父の弟の家に行きルーツ探しの経過報告&初代の仕事について尋ねるも確たる物は何も判らないままだった。僕が想像するに、婿竈だったと思われる初代が婿竈になったときに所有していた土地はそんなに多いはずもなく、そう考えると明治の中頃の土地登記の申告状況と照らし合わせてみるとどうにも辻褄が合わないとしか言いようが無い。婿竈で、土地を貰ったにせよ、土地が多い気がするのは気のせいなのか?はたまた僕の考えすぎなのか?前後の家の相続等と比較しても初代から二代目以降の土地所有が多すぎる気がして、何か悪行でも行っていなければ良いのだが…。何て事を漠然と考えていた。働いて貯めたとしても江戸時代の末期に百姓をしてて貯めれる訳は無いだろう!!!と突っ込みを入れたくなってしまうくらいで、我が祖先が何をしたのかますます謎は深まるばかりだ。
2004/11/11
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バブルに踊った…と言えばやっぱり、不動産屋の人でしょうか? 二十代半ばの若い人が自腹でclubに来るという人が珍しかった頃に、不動産業界サラリーマンは飲んで歩いていましたね。 clubで飲みに来る若いスーツ姿の人を見たら不動産業界の人間と思って良いんじゃないか? と言うくらい当時は歌舞伎町のclubを楽しそうに飲んで歩いていましたね。 確か「ボーナスはン百万だった」とか平然とおっしゃって居ましたけれど。数年後にはclubでその姿を見ることは在りませんでした。 まさしくバブルで踊った人達ですね。個人的に親しかった不動産業界の人間に話を聞く機会が有りましたので一度尋ねてみたのですが、「あの頃お金をそのまま残しておけば良かった」という声が圧倒的でしたね。 若くしてclub遊びを覚えたあの方々、羽振りの良かった頃は羨ましいと感じた物でしたが、それはほんの一時さけ、今では平凡に暮らしているのかどうなんでしょうね?。 今日も朝からのんびりと過ごす…と言いたいところだったが、頼まれた買い物と調べ物をする為に隣町まで出かけ法務局へ尋ねていった。 途中山葡萄の為の柱の補強に用いるという針金を親父に頼まれていたのと夕べ親父の兄貴に頼まれた物を買うために立ち寄ってみたのだが、午後にならなければ来ないというので、法務局の場所を尋ね法務局へと車を走らせた。 辺鄙な田舎の町中を走り付いたところは草臥れた官舎。これがもうすぐ八幡平市の法務局となると思ってもどうもピンと来ない。入り口のドアを開け中に入り、閲覧したい旨を言い手続きの方法を尋ね言われたとおりに手続きを済ませ五分ほど待つと今から百五十年ほど前の土地台帳が現れた。一応古い地図と新しい公図も出して貰って該当する地番から調べ始めた。 数ヶ月間家の家系図作りでよく見た名前が列挙されていたのを見て感慨もひとしおだった。明治の登記簿を閲覧したら、家の初代の派生した家が判るだろうとの目論見があったのだが、在る程度は絞ることは出来たかな?といった感じはつかめたような気はするが確定的な事は不明と言わざるを得ないかも。 それでも明治の土地台帳を見ることが出来て、明治の中頃の土地所有者を特定出来たという収穫はあった。おおまかな想像でしか無かった物が朧気ではあるが外輪が見えたような気分かな。十時頃から二時頃まで昼食も食べずに、初期の登記者氏名を書き写したので取り敢えずは完了かな?。またパソに入力し終えた時点でプリントアウトして再度法務局を訪れ再確認したら出来上がりと言えよう。 再度、山葡萄用の針金を買い求めに行き、今晩のおかずと数日分のおかずの材料を買い求め帰宅。しばし休憩しながら、本日の成果の打ち込み作業をした後で夕食様に買い求めた刺身を盛りつけて夕食開始。刺身は美味しかった。が、麦酒があったらもっと美味しく感じられたろうな…。 夕食後、しばし親父と我が家のルーツ明治編の会話をした後、部屋に戻って再び入力作業を開始。小一時間ほどかけて入力終了集計した結果、やはりというか本家(宗家)は大きかったという事実が浮かび上がった。そして、現在筆頭と目されている家がその次に、そして我が家がどうやらその後に続くらしい。 となると、我が家の派生した家とは一体何処と言えるのか?と言ったらやはり本家?という以外は考えられないという事になるのだろうか?。う~~~みゅ…ルーツ探しはまだまだ続くのであった。。。
2004/11/10
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踊らされた人が続きましたから、今度は踊った人を書きますね。 その頃僕にはお姉さんのように僕を可愛がってくれてるmさんが居ました。 田舎が同じという事、年齢が離れていない事からとても可愛がって貰っていました。 その姉さんにはその昔結婚しても良いと思ったお客さんが居たのです。そう、今回書くMさんです。 しかし、原因は聞きませんでしたが二人の結婚は流れてしまいしばらくは音信不通の状態が続いていたそうです。 が、ある時からそのMさんがお店に客として来るようになり、姉さんが可愛がってる僕も自然と親しく口を聞くようになって行きました。 お下がりの服を貰ったのを切っ掛けに、結婚祝いだ、スーツだ出産祝いだと色々可愛がって貰っていました。 そんなMさんに好感を持っても悪いイメージを持つわけが有りません。ところが、一年も経たないうちにその日は来てしまったのです。 ○海銀行不正融資事件です。十数億の不正融資事件ですから覚えている人もいるでしょう。 Mさんは主犯でした。捕まったと聞いて差し入れを持って行こうかな?とmさんに相談しましたが、「あんたはそこまで気を遣わなくても…」と言われ結局面会にも行かなかったですね。 世間的には犯罪者でしたが、自分的には悪い人では無かったから、未だに悪い事をした人だと思えないのです。(関係者の方が居たらごめんなさい) けど、そんなMさんに取り入ろうと色々やってた店長と枕ホステス(意味判りますよね?)だけは今でも好きじゃあ無いですね。もう十年以上も前のお話です。 今日は朝から定期検診があるから盛岡の病院へと車を走らせた。出がけに昨晩落札したビデオカードに出品者からのメールが来てないことが気にはなったが午後帰ってくるまでに連絡があれば良し、もう一つ今夜終了予定のパソに入札を多めにして置いた。どうも、この出品者は出すところを間違えて出したのかも知れない。だって、同等の品が他の場所でだと今の倍とは言わないけれど少なくても1.5倍の値が入札されているのに対し、場所が違っただけで、今の金額で落札できたらラッキ~~という金額で入札出来ているのだから…とは言え、終了してみないと落札できるかは怪しいところ、一応自分の中の上限価格まで再度入札したから後は様子見を決め込もう。 病院への到着は、出発時間に比例した頃で予定通り、検診もリハも予定通りなんだけど、本当に最初に入院した病院に比べるとどうもリハのやる気が伺えないし、リハはおざなりな気がしている。まあ、病院に通っている最大の理由はお金を貰うために書類を書いて貰わないといけないから…なんだけど残すところ半年程度か。 夏過ぎまで、帰りはネカフェで韓流の動画集めと行きたいところだが、このところ肝心のHDもパソの中に組み込んでいるから集めることは今少し先送り…。真っ直ぐ病院に来た後は、真っ直ぐ帰るしか無いと言うことで帰路についた。途中軽く買い物はしたけど、食材の買い出しは明日の予定である。 帰宅後、パソを立ち上げメールチェック&メールを出したりHPチェック。頻繁なHPチェックがカウンタ数に効いて居るのかもね。しばしくつろぎながらゴロゴロ。 夕食の支度の時間が来たので、おでんの出汁を使って鶏団子と白菜の煮物を作ったところで夕食になった鶏団子の味はと言うと。冷蔵庫の中で日にちが経過していた所為か少し匂ったのは頂けなかった。 そういや、友人の奥さんからメールが来ていた。友人の奥さんと言うより友人の一人といった方が適切なのかな?この前オフでチューしたときの決定的な画像がそこにあって、僕としては軽くバードキス程度だったと酔って思っていたのだが、現実はオヒオヒそれじゃディープキスだろ!!という画像で自分でも吃驚してしまった画像から判断するに相手の子は嫌がって僕の肩に手を置いて居るのだと思う…けど、自分の口元を見ると自分でオヒオヒそれじゃあと突っ込みを入れたくなった(^^ゞ。 夕食の後で親父の実家に行き我が家のルーツ探し、少しだけ参考になる本を借り色々話をする。ルーツって興味がある人と内皮とでは極端に反応が違うということを改めて思い知る。けど、調べるならきちんと記録しておくべきと考えてるから今年中には何とか形を整えたいと思っている。
2004/11/09
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若手の仲では上位にいたYちゃん。遊びも好きだけど、仕事もそれなりに…というタイプの子でした。 月に数回来る程度だった建築関係のお客様が居ました。 何が切っ掛けだったかは覚えては居ませんが一番最初には国産ウィスキーを入れていたのが有るときそれがブランデーに成り、それからしばらくすると高級ブランデーを入れるようになりました。 それと共に来る回数も月に数回だった物が週に数回という風に変化してきたのです。 黒服の間でも、おかしいな?とか会社の金を…という話が交わされ初めて一月も立たないうちにそのお客さんはばったりと来なくなってしまいました。 当然?、黒服ですから女の子の売り上げの心配もしなくては成りませんから、あのお客さんはどうしたの?連絡は取れてるの?と話をしていました。 するとある時警察から連絡が入って「警察ですが…」と電話がかかってきたと言うのです。 話を聞くと、恐れていた通り、会社のお金を横領して飲んでいたとの事でした。 けど、Yちゃん別に気落ちすること無く、その後もお店に、アフターにと飲んで、遊びに忙しそうでした。 先に書いたYさんと違ってそのお客にだけ頼って居た訳じゃあ無かったし、何時も現金払いだったのが救いだったんですね。 確かに通って貰っていた頃ベスト3まで入るようになっては居ましたが、その客が消えてしまっても上位十人には入っていましたからね。 何もない空虚な時間で…と書きだして見た物のやらなきゃいけないことは無い訳ではない。ゆっくりと起き出して先週頼まれた役場のパソコンのメンテに行くために必要なソフトやファイルをCDに焼いてメンテに行く準備をし、昼飯も食べずに出かけてメンテ。 と書いては見たが、たいしたメンテでも無く小一時間で終了できたので、その後は質問が無いか?を確認し一応無いと言うことでその場は退散することに。その脚で税務課へ立ち寄り、明治の頃の不動産登記の記録が残っていると歴史研究会のメンバに教えて貰っていたので閲覧申請を試みたのだが、国の指導の元廃棄した事になっているとか、実際には資料館にデータはあるのだが、国の指導で廃棄と決まって廃棄処分と決定した物だから閲覧は不可との事だった。それでは何処でなら閲覧できるのかを問い合わせて見たところ法務局なら閲覧が可能だとか…費用がかかるのは仕方がないと言えないでも無いだろうが、逆に言うとお金を出さなきゃ調べられないってお金を出してまでの価値があるかどうかは疑問符が付くと言う物だ。 役所仕事という物は本当に融通が利かないと、久々に感じた。法務局なら家屋調査士の仕事の時何度も足を運んだ経験があるから…とは言えもう何年前の話になるのか…。 家に戻って休憩した後夕食の準備。今夜のおかずは煮込みラーメンに決定。野菜や肉を切り分け煮込んで出来上がった物は美味しいとは言えなかったがまあまあそれなりの出来だったかも…次に作るときはこうしよう…という反省が残った。 夕食の準備の途中で親戚から電話が入ったので夕食後は車を走らせ親戚の家で先日天台寺で、再撮影した宝塔とおやまの別の場所で見つけた宝塔の映像を見ながらあーでも無い、こーでもないと言いながら談義して結構楽しかったかも。 持ち込んでいたパソの調子が悪いのか、それとも元からあったモニタが悪いのかどうにもパソの調子が悪かったのが気になるところだけど、こればっかりは僕がどうすることも出来ないからね。まあ購入するときアドバイスを求められたらアドバイスは惜しまずに協力しよう。二時間ほど滞在し二戸郡誌という本を借りてくることが出来たのは嬉しかった。 帰宅途中で、このところ書き込んでいる中身についてふと考えた。歌舞伎町の事は今でも良く覚えているし、書いてると懐かしくさえある。しかし、今の生活とは余りにもかけ離れている内容でそういう事が懐かしい僕って一体…。 考えれば考えるほど生活はかけ離れているのだなぁとため息が大きく出ちゃうよね((;・・ヘ)。 家に帰り着き、少しくつろいだ後で風呂にはいるため電気バリカンを持って浴室へ、途中ストーブに薪を足すことは忘れずに入れておく。さすがに今朝方の零度と言うことは無いだろうが、風呂上がりに寒すぎて風邪を引いては詰まらないからね。 浴室に入り、風呂に入る前に電気バリカンで鏡を見ながら頭を坊主に刈る。慣れないときは凄く時間がかかって夏でないと寒さに震えた物だったけれど、今では十分もしないで刈り上がる。ひげもぼうぼうに伸ばすのはどうか?と思うので一緒に刈り、髪を洗い髭を剃って湯船に浸かり体を温める。 んで、その後体を洗って再度湯船に浸かってお風呂は終了。湯上がりに歯を磨けばばっちりだ!。けど、せっかく磨いた体は誰の為?一緒に眠る人でも居るなら体を清潔に保つのは礼儀と言えるかも知れないのだが…。 風呂上がりに部屋に戻って発泡酒をぐいっと飲んでほっと一息つき、ネットで明日の天気の確認と、オークションで入札している品の値動きを確認。どうか落札できれば良いのにと思ってしまう。今狙って居るのはビデオカードと手持ちのパソコンより性能アップしているパソコン。新品で組むと十万円はかかる程度の品を半額以下で手にすることが出来るなら嬉しいのだが、まあ明日の終了直前まで様子見を決め込もう。
2004/11/08
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今も○○バブルとかの言葉が時々出ることも有りますが、90年代のバブルの終焉で踊った人踊らされた人、色んな人達がいました。 その中でも特に記憶に残っている出来事を書いてみます。 南の島出身のYさん。バブルの直前、私が初めて知った時はお店の中堅クラスで、極普通のホステスさんでした。 この人には議員秘書をしていたお客様が居たのですが、最初は普通?のボトルを入れてる極普通のお客様でしたが、バブルの弾ける頃になるとボトルはいつの間にかなり高級なボトルに変わり、毎晩同伴してくるようになりました。 当然彼女の売り上げも急上昇いつの間にかお店のNOさんになっていましたね。 けど、良いことは続かない物です。バブルの終焉が切っ掛けとなったのか、くだんの議員さんは落選してしまうとそのお客様も店に来ることは無くなり、Yさんは退店して田舎へ帰ってしまうことになりました。 そうです、最後の頃の売り掛けが大きく成りすぎ結局回収出来なくなってしまったんですね。 結局この人もお客様もバブルに踊らされて居たのでしょうね。 何事もそれなりに…という自分を知ることも大切だなと思った出来事でした。 階段を上るときは登りっぱなし?と考えて他のかな?自分で登って降りられなくなってしまうなんてね。私もお邪魔しているめっし~さんのHPに恋愛観鑑定なるものがあった。恋愛頭脳 http://hanihoh.com/love/ 早速試してみると…。 [総合コメント] 北ちゃん’sさんの恋愛観は、それはもう絶妙なバランス感覚を保っています。北ちゃん’sさんはよく恋愛相談を受けませんか?北ちゃん’sさんに相談すればまるでイチローのように高い確率でヒット(素晴しいアドバイスや名言)が返ってくることが期待されます。ただ、だからといって北ちゃん’sさんの恋愛がいつもうまくいくのかは別問題。妥当な考え方が時として相手をがっかりさせるものです。 [人生における恋愛]非常にバランスが良いでしょう。恋愛に固執せず、重くもなく軽くもなく、人生を広い視野から捉えています。得てして北ちゃん’sさんのような感覚のほうが、恋愛最重視の人よりも上手に付き合っていけるものです。 [社会における恋愛]誰かを好きになると、カラオケでマイクを離さない人のように空気が読めなくなり、社会性を失っていきます。仕事や勉強、友達付き合いなどの優先順位がいつのまにか低くなり、好きな人ができるたびに北ちゃん’sさんの株は下がっていくようです。もう少し落ち着きましょう。 [自己犠牲の精神]前のめりの恋愛でもなく、かといって損得勘定に走るわけでもなく、バランスの良いスタンスを保っています。何もかも捧げる人の痛々しさや男女間に損得勘定を持ち込む醜さを把握しているからこそのバランスでしょう。これからもメリハリのある恋愛を心掛けてください。 [ルックス]面食いすぎるわけでもなく、外見に妥協するわけでもなく、優しい人ならいいというわけでもなく、最も好感の持てるルックス観と言えます。短期的にも恋愛のエンジンのかかりが平均よりも早く、また燃費よく長持ちすることでしょう。自分のルックスへの配慮も忘れずに。 [財力]北ちゃん’sさんは非常にバランスのとれた考え方をしていると言えるでしょう。お金があることで得られる喜び、減らせる苦労の範囲をよくわきまえているのではないでしょうか。あとは北ちゃん’sさんのパートナーにも共通認識をもってもらえば、お金に関する不満やトラブルなどはなさそうです。 [安定と刺激]安定と刺激をちょうどよいバランスで望んでいるようです。浮気など派手に冒険することよりも、大切にひとりの人と愛を育みつつ何か刺激を見出すことを理想としているのでしょう。しかしいくら北ちゃん’sさんの理想が皆の支持を受けるものでも、彼氏彼女の価値観によってはそのギャップが頭痛の種となりつづけることでしょう。 [かけひき]駆け引き軽視に偏っています。恋愛に駆け引きを持ち込まないという姿勢は大変評価でき、また人々に安心感を与えます。しかしこの世知辛い世の中で北ちゃん’sさんのような感覚でいることは、手綱を握らず暴れ馬に乗るようなもの。疲れ果てることは北ちゃん’sさんにとってプラスではありません。 [許容と束縛]とてもバランスの良い価値観を保っています。放任と束縛、どちらに寄るわけでもなく、一般的な感覚にマッチする線引きができていると言えます。北ちゃん’sさんは、鈍感や無関心ではなく包容力があり、また束縛ではなく相手を惹きつけることで距離感を上手に保てるタイプでしょう。 [将来への意識]将来にわたって物事を捉えがちで、どことなく今を楽しめないでいませんか?それは北ちゃん’sさんの彼氏彼女にも伝播し、ちょっと退屈な感覚を味わわせることもあるでしょう。しかしバランスは及第点。そんなあなたをきっと理解してくれるはずです。 となっていたが、さてどうだろう?。 このところ夜更かし癖が付いてしまったのか起きたのは若干遅めまあ仕方がないと言えよう。親父から声がかかって昼近くに車のタイヤを夏用から冬用へと交換。ついでに軽トラックのタイヤも交換ししばしくつろぎながらオークションの落札者からのメールを読んで過ごす。 何時もなら、入金の確認後でなければ発送をしなかったのだが、前回の出品の時から週末にオークションが終える様にしてその週末で連絡が取れ、週明けに振り込むとか、週明けに振り込まれるよう手配した。との連絡があったなら、週末の間に配送の手配を終了させ、振り込み確認が取れたらその日の夜には届くようにしたのだ。 甘いと言われるかも知れないが、振り込み確認が取れてから発送手配をしたのでは手元に届くまでに何日も待って貰わなくてはならないし、反対の立場になったら振り込んでから何日も待たされるのはとても嫌だし、もし自分がこういう風にして貰ったら嬉しかろうと考えて振り込み確認の前に発送…するようになったと言うわけだ。ま、何処かで躓くことが無いとは言えないとは思うがこのままでしばらくは続けたいと考えている。 午後から友人に電話をかけハンバーグの焼き方を教えて貰いしばし談笑。色んな事があるものだなと思うと共に男と女ではネットの中の立場って違うのだなと改めて感じた。それからガソリンスタンドで洗車とタイヤのエアチェックをし、夕飯のおかずの買い物に出かけ食材を買って帰宅。家に入ってしばし休憩した後で食材を切って今夜の焼き肉の用意を調え夕食開始。結論から言うと家族で焼き肉は正直なんだかな…って感じだった。先日親戚の家で食べたときは楽しかったのに何で自宅だと楽しくないのだろう?。 俺が根本的に婆が嫌いだから食事を美味しく感じられないのかな?。でも、亡くなった母の母だし、最近の動きを見ると先は無さそうだと感じているから文句は言いたく無いし、ああ、食事に不満が溜まりそうって溜まっているか(^^ゞ。食事の後は自室に戻って日記を書く。何故このところ居間に長居しないで部屋に戻るのか…婆が居るからだ。ああ、気にしないようにと思っているのだけど無視するわけにも行かないし怒っても仕方が無いと思うと余計にね。 離れて暮らす父方の祖母は嫌いじゃ無いのに…一緒に暮らしているから優しい気持ちになれないのかな?。 時々、ふと独り暮らしをしたいと思う気持ちがわき上がってくるけど、それは駄目だ、そんな事もう出来ないだろ!!と自問してしまっている。いけないいけないと考えると余計にそうしたいという気持ちが強くなってしまうのだろうか?。
2004/11/07
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水商売で色んな事が有ったけれど、オヒオヒという出来事も無かったでは無い。 ある時、店がはねた後女の子が飲みに行こうというので誘われるままについて行くと、付いた場所はなんとホストクラブ。 女の子達は楽しいかも知れないが、男のおいらとしてはお供でホストクラブ何て全然楽しい事はない。 まあ、ホストクラブへのお供なんてそんなに珍しい訳では無い。むしろお供でホストクラブへ行くなんて珍しい事では無かった。 自然とホストを見る目も、ホステスを見る目と同じように、接客が上手いホスト、接客が下手なホスト。こいつ枕ホストか?何て思うホストまで、ホスト自体もやはりホステス同様千差万別なんだなあって思っていた。 そんなホストの仲に「飲みに行こう」と誘ったホステスが指名してるというホストが居たのだけれど、個性が余りなく気弱そうな雰囲気は、「こいつは大成しそうにないオ~ラが出まくっていた。 数日後のことである。お客様が珍しいボトルを入れたいと言い出したのだが、店には在庫が無い。仕方がないので在庫で置いてある店を探して走って借りに言ったところ、何と例の気弱なホストが借りに行った店で黒服をして居るではないか!!!。 思わず驚きはしたけどその事を口には出さずにボトルを借りて、その店を後にした。 確かに女の子のスカウトもホストの女の子のキャッチもそんなに違いは無いと思うけれど、それって有りなの???と思わずには居れなかった。 この話には後日談がある。黒服がホストやってて良いのか?いや、ホストが黒服やっていて良いのか?と思い。そのホストが働いている店の部長とは知り合いだったのでその黒服がホストとして働いていることを話してみると驚いたのはその部長の方で「本当にうちの○○が愛(歌舞伎町のホストクラブ)で働いて居るのか?」と開き直られ、やむなく「そんなに疑うなら本人に話を聞いてみれば良いじゃないですか」と言うと。「それなら本人に確かめてみるから…」という話になり、そのホスト君見事黒服として働いていた店を辞めさせられました。 後に、指名をしていた店の娘から○○君が話があるって言っていたよ」とは聞きはしましたが、本人からは僕に対しては梨の礫。話があると言った話も何処へやら懸命にホストとして働いていたようですがそんなに長くは居なかったような…。 ま、早い話。ホストとしての客引きに黒服をしてみた…というのが正解のようで僕は教えた店の部長からも「あの時は済まなかった。どうも世話になった」と頭を下げられたくらいです。 確かにホストとして客引き(店の女の子)はできるかもしれないけど、店の立場とすれば女の子がみすみすホストの営業を給料を払って遣らせるわけが無いのにね。それって有り??無い無い!!!って話でした。 エゴグラムによるあなたの性格診断結果性格 貴方は、比較的バランスの取れた「多情多感型人間」です。責任感や判断力、常識なども人並なのですが、それ等を凌駕する程感情量が豊富なので、一見情に流される人間の典型みたいに見られる事が有るかもしれませんが、それで、身を滅ぼしてしまう可能性は少ないでしょう。今後の貴方に望まれる点は、貴方がもし豊かな才能に恵まれて居たとしても、それを最大限に活かし抜く努力や忍耐に、今一つの懸念が有るのと、好奇心や物珍しさに追い回されて、右往左往して居る間に、人生の一番大事な時期が、終って仕舞うような危険性が、多分に有ると云う点です。 恋愛・結婚 異性には良くモテるタイプの一つでしょう。余り高邁な理想は求めず、ウエットな所や無邪気な部分がかなり高いので、デートして居ても楽しいのです。しかし、いざ結婚して見れば、そう結構ずくめと云う訳には行かず、無邪気だと相手に歓迎されて居た部分が、必ず我儘だと映るようになる筈ですから、心して下さい。結婚後の貴方は、地味な方へ、地味な方へ、と心掛けて行動すれば、丁度バランスが旨く取れて行く筈です。 職業適性 特殊な仕事としては、童話作家とかマンガ家、モデル、音楽家などで、一般的な仕事としては、広報宣伝活動業観光ガイド、販売員、ウエイトレス、ウエイターなどが向いているでしょう。一般公務員や一般事務のように変化に乏しく、面白味の無い仕事は、余り向いて居ないでしょう。 対人関係 約束事に縛られるのをいやがる傾向と、他人の話の中心へすぐ嵌り込みたがる傾向がありますので、注意して下さい。余り御祭り騒ぎ的な事に、首を突っ込み過ぎないように、一本芯の通った生き方を心掛けて行けば、そうそう失敗する事は無い筈です。 唐突ですが試してみたらこんなんでました。どうです、私の実際を見てる方々…。 ついでに、恋愛成績表で分析してみると… 総合評価 恋愛レベル 「恋愛ゲーム中毒級」 (18段階中 16位) 恋愛タイプ 「不満蓄積型」 ・恋愛タイプについて 世の中の不公平さや、なかなか自分をわかってもらえないイラ立ちが蓄積している「不満蓄積型」と分類されました。また、「どうせ自分は…」と自暴自棄になりやすいタイプとも言えるでしょう。北ちゃん’sさんは自分のことをよく理解しているので、ただの八つ当たりでもないと思われます。じっと冷静にチャンスを待ちましょう。 ・総評 全体として残念な成績でした。赤点はすぐそこです。北ちゃん’sさんは、女性のことをあまり考えたことがないのではないでしょうか。経験も積み重なっていてもいい年齢ですので、なお残念です。 また、「こころ」が最高値を示したものの、それもごく並かそれ以下の成績であり、まだまだ磨く余地があります。向上心すらもあまりないように見受けられ、未来にも暗いものが感じられます。まずは意識改革が必要でしょう。 項目別評価 項目 コメント 恋愛プロセス(評価 3) 恋愛プロセスは普通です。まだ、出会いや別れという流れに漠然と身を任せているような感じでしょうか。出会いそして付き合っていくのは上手ですが、別れがなかなか切り出せなかったり、別れてもその手法がまずく禍根を残したりする可能性が高いです。情が残ってしまうくらいの恋愛は素敵ですが、引っ張りすぎれば時間は無駄に流れ、自分の成長を止めてしまうことでしょう。 振る舞い(評価 3) 振る舞いは普通の評価です。これといって印象が良いということも悪いということもないでしょう。個別に見れば、まず垢抜けない印象が否めません。どこか華やかさやオーラに欠けています。また女性に対しての接し方も下手なほうで、この点は恋愛の初期に不利となるでしょう。ただ、北ちゃん’sさんには幸せそう、または楽しそうな雰囲気があり、友達からのスタートが自然で向いていそうです。 向上心(評価 1) 向上心についてはほとんどありません。今が良いにせよ悪いにせよ、その姿勢は女性からはがっかりされそうです。現状に満足しているのか、女性のために頑張る必要などないと考えているのかはわかりませんが、今がどうこうという前にその姿勢自体には「×」がつきます。なかなか向上心がそのまま成果に直結はしませんが、根気良く向上心を保てるような動機付けがほしいものです。 考える力(評価 2) 考える力が欠けています。あまり頭で考えないので、何度付き合っても同じ失敗を繰り返す可能性があります。自分がどうしたいのかばかりが先行し、状況をよく見渡し、解決までの道筋をつけるのは決して上手ではありません。北ちゃん’sさんが彼女とトラブルを抱えた場合、おそらく決着したときに納得するのは北ちゃん’sさんだけでしょう。まずは相手の気持ちをリアルに捉えるところからはじめましょう。 こころ(評価 3) 「こころ」については普通の評価です。まず感受性が強く、感情を強く持つために、人に優しくなれるタイプと言えるでしょう。相手次第で大変な幸せを得られる素質があります。また自分の気持ちも表現でき、心が共鳴し合う素敵な関係を築くことができます。ただし一歩間違えて少しでもズルいタイプの人を彼女にしてしまうと、たちまち北ちゃん’sさんは翻弄され疲れ果てることでしょう。要注意です。 オプション(評価 2) 「オプション」は露骨な部門ですが、ここにこだわる女性が多いことを考えれば、この成績は厳しいものといえます。各項目の評価すれば、どれもこれもあまり成績が良くありませんでした。その他特典はいいとして、経済力についてはある程度年齢が上になれば男性に露骨に求められる項目ですので、なんとかしたいものです。ルックスは北ちゃん’sさんの意思が大きく左右するものです。中身から醸し出すかっこよさがほしいですね。 そのほかの語りたいポイント・まだまだ精神的にヒヨッコで、女性関係を論じるには早いかもしれません・北ちゃん’sさんには年下の彼女がお似合いです・合コンなどで、とりあえず盛り上げ役だけやって終わるタイプです。いまいちモテません・51歳のわりにはとても子供っぽい考え方をしています・とっくに結婚適齢期を過ぎています。少しは焦りましょう と出ました(^_^;けど、年齢が51とは…入力ミスでしょうね(;^_^A アセアセ… 今日も朝からノンビリとゴロゴロ。月曜には振り込む旨のメールが落札者から届き始めたので落札された品をそれぞれ梱包し発送伝票に書き込んでいた。 昼食は夕べの残りを暖めてうどんを放り込んで少し煮込んで生卵を落として出来上がり少々甘みが強かったが食えない程じゃ無いからね。昼食の後薬を飲んで親父の畑仕事の手伝いを裏山の葡萄畑で行った。確かに一人では捗らないだろう。小一時間ほどで終わり手伝いは終了した。 山を歩いて下り、部屋に戻って入金前ではあるが到着は早いほうが嬉しかろうと発送をすることに決め、車で集配の場所まで持って行き発送の手続きを済ませ郵便局にてもう一つ発送し、お茶と麦酒を買って帰宅。 発送メールを出した後は少しくつろいで夕食のおかずを作る。今夜は八宝菜もどき作り方は誰に習ったと言うこともないが、強いて言うなら東京での外食三昧が在る程度は作り方を想像させてくれるのかも知れない。作った直後には夕食。毎度作った直後の夕食なら暖かいうち冷めるのを気にせず食べさせられるのだが…こういう食生活に馴染んでしまっているから仕方がないとは言え納得してる訳では無い。 夕食の後で家系図の件で親父の実家に電話を入れるも今夜は忙しいのでまた後日と言うことになる。急いでる話じゃ無いから良しとしておこう。そして今日も麦酒片手の日記タイムが始まった。 日記をUPしくつろいでいると電話が鳴った誰だろうと思ったら昼間電話をした相手の家からだった。電話で話したのはもう何年振りだろう。一応誤りを入れその後しばし談笑した。最近ふと思うのはこういう何気ない会話に癒される僕が居ると言うことだ。実家に帰って暮らしてるのに癒されることが無いと感じているから時々の電話で癒されてる自分を感じて居るのかもね。良し悪しだな。
2004/11/06
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何時か機会が在ったら彼女のことを文章にして残したいなと考えていた。 エピソードは数えるほどしか無いし、今になって思えば彼女との時間は一緒に過ごした時間より別々に過ごした時間の方が遙かに長い時間が過ぎている。 出会いは偶然かも知れないけれど、別れは僕が大人に成りきれないまま必然だったのかも知れない。 出会いは愛とは呼べないかも知れないが、別れるとき?には愛は在ったと思う。 そんな事を考えながら、簡単に文章にまとめてみた。 書き足らぬ事はもっともっと沢山あったように思う。言わなきゃいけないことだって沢山あったはずなのに、文章に出来たのはこれだけだった。 東京から田舎に戻るとき、部屋のパソコン見て欲しいと言っていたよね。 あれから、数年後にはパソコン覚えるのに学校に行ったとも聞いた。 今でもパソコン触っているなら、こういう時代になってパソコンを使って居たら、ネットで見ることがあるかも知れないな…と思っている。 けど、もし見たら、私にした酷いこと全然書いて無いじゃない!!と怒り出すのだろうか?一体どう感じるのだろう?。見せたい気も無いではないが連絡を取ってまではさすがに出来そうもない。 誤字脱字を修正し、思い出から二三のエピソードを加えて書く日が来ると思いたい。 今日も遅起き、ゴロゴロと過ごそうかな?…と思ってふと気が付いた。夕べ夕食の後日記を書いた後ゴロゴロ過ごしているときにふれあいセンターから電話が入ってパソコンの設定の相談を持ちかけられていたのだ。本当は夕べのうちにレスキューに出かけようかと申し出たのだが、そんなに急がなくとも…と言われたので「そうですか、それなら明日の朝」と答えて居たのだ。 着替えて車に乗ってふれあいセンターへ立ち寄り問題のパソコンを見せて貰うと…光り輝く新しいパソコンだったので嫉妬の炎が燃えて直さなくても…と思ったけど設定から見直すことにした。 何度もXPのパソコンは仕事用には向いていないよな…とつくづく思って居たけれど、今回の問題の症状もやはりXPのネットワークの問題絡みであった。結論からは如何にもテキパキ作業は進んだように見えるかも知れないが実際には午前中一杯かかってしまう。原因はプリンタが使えなくなった時点で自分で何とかしようとネットワーク設定を弄ってしまった事が原因だった。業者に設定を一度は任せた物なら自分で何とか出来ると初心者が思うのが間違いの元だよね。 途中、先日携帯に着信が入ったけれどしかとぶっこいていた役場の課長さんが来て、「終わったら役場のパソコンも…」というので「はい終わったら伺います」と調子の良い返事をしてしまう。 取り敢えず使えなかったプリントを使えるようにした後でしばし歓談。「今後も何かありましたらよろしく」と言われ気軽に「何時でも連絡して下さい」と言ったけど、都合が悪いときは電話には出ないよ~とは言わなかった。 んで、役場に出向いてパソの調子を見たけれど、悪いという症状は現れなかったのでそのうちまた…と言うことにして終了。途中、我が家の家系図を作るのに必要な最も古い登記簿でお世話になった人にあったので探す手がかりについて僕の私見を言ってみると、戸籍以外でも探せる方法があるのでは?と助言を貰う。それはそれで古い土地台帳を見せて貰うと言う方法なので近いうち申請書面に記入する事を良く考えてから申請し閲覧することにしたい。 今日は出がけに先日写した携帯の写りでは歴史研究会の提出用資料に使うには写りが悪すぎるという事で天台寺まで車を走らせ、前回見つけた宝塔をデジカメで写した。その後、文献で天台寺にあるという宝塔の記述がはっきりしていなかった事から天台寺の中で尋ねてみようとおやまに登って寺の関係者とおぼしき人に尋ねてみたのだが、どこそこにあったとか言う話を聞くことは出来なかった。が二三ひょっとしたら…という場所を聞いたので帰る途中で立ち寄って見ると宝塔の一部と思われる石塊を二点ほど見ることが出来たのは収穫だった。 家に戻ってしばしくつろぎ、夕食の準備開始。今晩はすき焼きもどきの予定である。本当は作りながら食べ、最後に軽くうどんを入れて食べてお終いというのがすき焼きと考えているのだが、どうにも古くから鍋でもすき焼きでもご飯のおかずとしてしか食べない癖を止めさせるわけにも行かず結局ご飯のおかずになってしまいうどんは無し。鍋の最後に雑炊が出来ないのと同じで食事に対して不満が募る。何時になったら解消出来るやら。 んで、食事の後はこうして日記タイムとなって本日の出来事を書き始める。 ただ今、オークション締め切り灼く十二時間前。 価格の変動は一昨日のまま。気になってオークションリサーチを書けてみたところノートパソの価格が下落して居るではないか!!!。今の価格では予定?希望価格の六割に満たない程度になってしまう(^^ゞ。オークションで欲しい人は急いで入札して欲しい。なんてここで呼びかけてみても何も変化はないと…悪あがきか(;^_^A アセアセ…。 オークションの締め切りも六時間を切ってしまった。だけど入札が進むこともなく悲しい気分で一杯になってきてしまう。このままじゃ六割弱で諦めなくてはならないのか!!!。 残り時間が五時間を切ったところでノートパソについに待望の入札が入り始めた。何とか五万円の壁は越えたが目標?希望金額は六万円を超えることだ…さてさて、後は夕食が済んで確認したら終わりかな?そうしたらメールを出して後は入金を待つだけ…なんだけれど。 入金された物はそのまま子供の貯金に振り返る事が決定しているから少しでもおこぼれが発生しないとパソコンのパーツ代が出ないから後、一声、二声は欲しいところ何だけど…。 立った今、オークションが終了した。結果から言うと希望落札価格まで届いた物一点、残り二点に関しては届きはしなかったものの、希望価格の八割から九割の落札で、全体で見ても九割を超える落札価格六万五千円を超える価格で終了したと言うことは、あながち僕の希望落札価格(相場見込み)も高すぎたと言うわけでは無いだろう。現時点で、他にも数点出品しようかな?と思っている物があるので来週にでも出品の予定だがどう考えても二千円かなっても三千円程度にしかなるまい。
2004/11/05
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そろそろ寝ようかな?と考えた頃、先日メッセンジャーを立ち上げたまま眠って居るときに残されたメッセージを思い出しメッセを立ち上げてみた。 しかし、誰も登録している人間は繋いでなかった。 オークションの経過をチェックし、本日の日記の前文をUPしてると登録者が繋いだ旨の警告音がしたので誰かな?と思っているとCHATで知り合った女の子が呼びかけて居るでは無いか!。 女の子と年上の人に失礼かも知れないけれど、目上ではあるが女を感じさせてくれる女性だったし、SMの多様性を再認識させて貰った女性でもあった。 焦って膝の上にキーボードを抱え込み、「ばんちゃ」と打ち込むと「めっせは久しぶりだね~~~」と返事が即座に返って来た。 メッセでCHATするのは一年以上無かっただけに懐かしい気分に浸りながら会話が弾んだ。 元々いわゆる一般的なCHATで知り合った女の人では無かったから話題は何となくそう言った変態話とか、最近の私生活等の話題になった。 無論そう言う話題は嫌いじゃないからとても楽しい物だったし、田舎暮らしを始めてから久しぶりにドキドキしながらCHAT出来て嬉しかった。 キーを打つのが遅くなったのでは?。と危惧していただけに「普通に出来てるよ?ちっとも遅くはないよ」と返事が来た時には嬉しかったな。 退院してからこのかた、キーを打つのが遅くなったのでは?と考えていたからCHATから足を遠ざけて居たような所があったので、普通に出来てると言われた事はもちろん、最近はしなくなったSM系の話題も自然に出来たのが嬉しかったのかも(^^ゞ。 彼女とは、CHATを通じて知り合った何人かうちの一人で何度か実際にお茶を飲んだりお酒を飲んだりした事もある女性だから懐かしさもあり嬉しかったのかもね。 何せ、半径二十キロ四方に適当な相手を見つけることが出来ないで居るのだから(;^_^A アセアセ…。 そういや、彼女のCHATの知り合いで青森で頑張って?居る男性が居るとか言って、「だから貴方だって…」と言ってたな。 久々にネットで遊んでみようかな?という気になれた。 それに、こういっては違和感を感じる人もいるかも知れないが癒して貰った感じ。だけど、ここのURL教えたからこうして書いたら自分のことだって判るよね?。 HPの場所を伝えると即座にあずの所を読んだのか?、「ネカマやってたの?」と言われたときは思わずオヒオヒという気がした。確かに知らずにネカマとチャエッチをしたことは数回あるけど、ネカマの反応って面白いとは僕的には思わなかった。ただ、ネカマとチャエッチして喜んでいる男も少なくないから…。男って単純なんだろうね。 チャットの楽しみ方は人それぞれだとは思うがネカマの楽しみって共感できないなと感じていた。そういや、女の子がネカマを知ってるって言うことは見かけて知っていたのかな?。 夜中に日記の登録&更新をしている所為かどうも朝眠くて困ってしまう。まあ、朝起きなきゃいけない理由が特にある訳じゃ無いからノンビリとしていても誰に構う事もないのだが。 今朝も起き出したのは七時過ぎ。とは言ってもベッドでゴロゴロしながら過ごしていただけ。本当はそろそろパソコン入力の頼まれ仕事を終わらせないといけない時期になっているのだが未だに入り口止まりでは、懸命に励んでも一週間近くはかかってしまうだろうに…期限でも決まらなきゃこの性格じゃやらないよな…と自分で納得してたりして。 昼近くまでゴロゴロし、昼に親父と話をし、親父が良いと言っていたジャッキを買いに車を出した。家を出て五分も走らないうちに歴史研究会をやっている親戚から連絡が入り、書類を持って言っても良いか?と言われたので、そのまま受け取りに向かった。口頭でああだこうだと簡単な説明を受けたのだが、どういう風にしたいのか?が今ひとつピンと来なかったけど、一応書類を貰って退散。その脚でジャッキを買いに出かけ、帰る脚ですき焼き用?の肉と水炊き用の肉団子を買って家に帰った。 んで、始めたのは今度こそ本当に最後のブルーベリーのジャム作り。取ってあったブルーベリーをまずは簡単に水洗いしてゴミを取り、茎を外して再度水洗いして軽く水気を切って鍋にかけると五分もしない間に汁が出始めた。ここまでは前回も同様だった。んで、火を少し弱めにし砂糖を軽く加え水気を飛ばそうと煮込み開始。本によると10~15分は煮込むと書いてあるが、どういう訳か鍋にこびり付くのが心配で心配で、前回よりは煮込んだとは思うが火にかけていたのは10分弱という時間だけだった。どうだかねえ。仕上がりは前回よりはドロリとしていそうだが食べてみるのは前回の物を食べ尽くしてからだから二週間ほど後になるかもね。 オークションはノートパソ以外は変化無し、終了まで待ってみても振り幅は千円有るか無いかと思う(オークションの平均落札価格でリサーチ済み)。ノートパソに関しては現在の価格の倍くらいまでは見込めるかな?と期待はしてるが、予想としてはやはり希望の八割程度がこのところの平均落札価格になり始めてるからそんなところでは無かろうか?せめて夏の頃だったら…と悔やまない出もないが過ぎたことを何時までくよくよしても始まらないしね。そうなると、落札希望額の八割程度…が上限となると想定しておくべきか?。まあ、それでも片手は超えるからまあまあと言える?訳が無い。。まあ、買った。所有した。という満足感に数万円し払っただけ…と言うところか。
2004/11/04
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遊び半分の気分が抜け切れていなかったボーイ時代。 嫌になったら止めればいい。 喧嘩をしたら止めればいい。 体調が悪かったら休めばいい。 今考えるといい加減そのものであったと思う。 なんでそうだった?を今考えると、スタートの時点のキャンパスパブ系統の店から、グランドキャバレー系と移り、そしてclubに移った事が遊び気分のバイトから黒服としての自覚をもたらした様に思う。 思えばラウンド自体はキャンパスの頃からグランドの頃も、clubへ移ってからも直ぐにラウンド担当になっては居たが、当初の頃は目上の人間でも目上とも思わないようなラウンドをして時々苦情を言われることも少なくなかった。 それが、店を変わる度に少しずつではあるがラウンドの仕方に変化が現れ、そこの席の指名の女の子の好みとか女の子同士の相性とかを考えるようになってきたこともあったとは思うが、僕自身が店側にたつというスタンスに変わって来た頃からは不平も出なくなっていたように思う。 ママには酒の飲み方気の配り方を伝えられたように感じている。 その昔、新宿に和光というclubがあってそこのママには可愛がって貰い閉店後にママのお供をして飲み歩くようになって色々学んだような気がする。 今でも酒を飲むときは必ずカットレモンを水割りに浮かべて飲んでいるのだろうか?。 男の先輩は兎も角、このママに教わったこと、そしてこの後修行に出された事?でclub人生へと入っていくことになった。 こうして振り返ると色々お世話になった方々って姉さんというか母の様な感じだったのかなぁ。二十代前半の頃とこうして本格的な水商売に入る頃では僕自身も仕事に対する取り組みもかなり真面目に変化していたしね。 何もする事が無い訳では無いのだが、朝からのんべんだらりと起きて血圧を計り日記に何を書こうかな?と考える。風俗ネタが良いか?水商売ネタが良いか?はたまた性の嗜好(SM系)について書こうか、それともバイクネタが良いのか?と色々思い巡らして見たが、取り敢えずは今のネット系(何か怪しい)と水商売ネタで…と考えると色んな事があったな~~としばし感慨にふけっていた。 朝食も食べなかったが、本日も昼食抜き。先週末に立ち寄った檀家の和尚に尋ねたいことがあったので、電話をかけ言っても良いですか?と尋ねたところOKと言うので、すかさずデジカメと僕が作った家の家系図を持って車でGO!!。 到着して過去帳の話とか集落の話を尋ねてみたのだが、明治に戸籍法が出来た頃に過去帳を寺の火事で焼失したとかで、それ以降の過去帳ならあるけれど、それ以前の過去帳は無いと言われルーツ探しは暗礁に乗り上げてしまった。 早い話、役場で手にした我が家の一番古い謄本で得ることが出来た情報以上の情報は無いという事らしい。もし、どうしても調べたいというなら、集落の当時の謄本総てを取り寄せることが出来れば想像できるのでは?と思うのだが、役所が実家以外の謄本を見せることはあり得ないだろうからその線も駄目かもね。とはいえ、他に辿る路が無いならその線も考慮しなくてはなるまい。 住職にお礼を述べて退散し、部屋の焼酎が切れていたので買いに行き、家に戻ってしばしゴロゴロ。夏に頼まれたパソに入力作業は全然進まないまま。何とか暮れまでには何とかしたいと思っては居るのだが…。 夕方夕食まで小一時間という時間になって台所に行き本日も鍋もどきを作る。鍋に出汁を入れ肉団子、大根、人参、白菜、椎茸、いか、豆腐、ネギを切って入れ煮込んで煮込んで出来上がり。まあまあの出来映えかな?。夕食を食べ自室に戻り、こうして日記を書き始める。 そういや、ここ数日というかネットで動画を集めていにゃいな。見たい物は沢山あるのだが、どうにもこの回線がネックになる。来年は今少し早くなると言う話があるのだが、それにしてもその話だって蓋を開けるまでどう転がるか定かでは無いからね。 うにゃうにゃ、早く何とかしてくれぇ~~。 本日のオークションの経過と言えば…ノートパソ以外の二点は当初の落札希望価格の八割を超えたからそろそろ上げ止まり状態に入ったのかな?。問題のノートパソコンと言えば予定の八割のまだ半分程度、もっとも落札終了日当日の上昇も望めるから希望無しでは無いのが救いか。現在の入札合計金額は三万七千円になっている。昼近くにそこまで行ったのだがその後びくともしないままこうして夜になってしまった。深夜までには変化があるのか?。と思っていたら、一風呂浴びて寝る用意も出来たかな?とチェックを入れてみると合計金額は四万一千円まで上がっていた。残り二日間欲しい人は入札してね!!!。 そういや、前回の落札希望価格で出品した際に入札されなかった原因と言うと、説明の無さが原因だったのかも知れない。それが証拠に終了日までまだ二日も残しているのに希望価格の八割を超える入札価格が付いているのだから。 オークションはやはりマメにした方が入札されやすいと言うことかもね。 何となく、リカー酒を作る瓶に入れた山葡萄を見てみると、自重に押しつぶされたように、その量は二割方押しつぶされ隙間が出来ている。そして、その二割分果汁が出てきている。親父に言わせると重しを入れてもう少し果汁を出させた方が良いと言うのだが、自重だけで出てきた物だけで…が一番美味しい。重しをかけるのはその後でも遅くはないと言う言葉を信じて待っているのだが…。瓶に入れてからまだ二十日余り二ヶ月は漬け込んで…と言われてるから瓶に詰め替える作業は十二月になってからかな?。その後で焼酎を入れ、今度は絞り取ることにしようと考えているのだが…果たしてどうなる事やら?。現在の様子はと気になって小口を開けて見ると発酵している香りが強く「美味しそう」という感じ。 果実酒用に入れた焼酎は25度だったので、今度入れるリカーは35度のものにしよう。果実酒の出来上がりはそれぞれ程良く色が出始め美味しそうに仕上がり始めている。一番早い物で山葡萄が考えられるが、それでも二月後が良いところだろう。さるなしも気になるが、香りが最も良いマルベ(カリンに似てるとか)は一年後が飲み頃というからまだまだ先は長い。
2004/11/03
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黒服の仕事って色々ある。 まず、よく言われるのがスカウトで、これはナンパと似たような感じでは無いかな?。と思う。良く銀座の地下鉄の改札付近で午後二時くらいからキョロキョロしながら立っている人達がいるが、大抵はスカウトだと言っても過言ではない。 新宿だと新宿駅から歌舞伎町にかけてとかでスカウトが多い様だ。最近は髪型で判断は出来ないけれど、十年ほど前までなら髪型を見れば風俗のスカウトか水商売のスカウトか分かったものだった。水商売は比較的きっちりした髪型をしているのに対し、風俗とかキャバクラのスカウトは一見遊び人風が多かったからだ。 外での仕事と言うと他にはお客さんの付き合いとか、集金などの手伝いとかも有った。 これが店内の仕事となると、下はボーイの仕事(営業前は店の掃除やら開店の準備、営業が終了したら後かたづけからゴミ捨て等)に始まり、ボトルの管理、女の子の管理、営業時間に入れば案内、ウエイター、ラウンド、客の応対等々かな?。 有る程度水商売が長くなってくると女の子はお客さん毎にボトルを入れるペースをそれなりに決め、それに合わせるかのようにヘルプ付け(ボトルを減らす)を求める人も少なくなかった。かくゆう私がラウンド担当をしていたときはお店の姉さんから言われると飲める子をチョイスしてヘルプに付けた物だった。 しかし、連日連夜来るようなお客さんだとその時だけ…というラウンドは出来ないので万遍なく減らせる女の子を座らせると言うこともしたが、お客が来て直ぐにラウンドした後で「何時もどうも…」と席によってトリプル位の水割りを駆けつけ一気を三回ほどさせて貰うのが定番だった。ま、客もボトルを入れるペースがあるから「もう一杯飲めるだろ?」とか言って飲ませられもしたがね。 ボトルが入ると片手には届かなかったかも知れないがその度ン十万の売り上げになるのだから店としても美味しかったろうし、良い酒だから美味しくないはずも無い。こうして毎晩のように美味しい酒を飲むのだから酒には強くなったと思う<自分。けど、客の側からしたら嫌な黒服だったかも知れないよね。だって、下心のある客だったらホステスを酔わせて…何かしようと考えても可笑しくないだろうし、アフターで女の子と飲みに行っても後から僕なんかが呼ばれて、じゃあ今夜はお開きに…となったら「北ちゃんに送ってもらうから、今日は御馳走様」なんて言われるんじゃあいくら何でもね。 売り上げ協力と言えば誕生日とかでシャンパンが開けられる度お客さんが居る間に開けねばならないと言うことでテーブルの人数分シャンパングラスが出され乾杯が済んだ後で、決まって二杯目を飲むという女の子も多くはなかったので、シャンパングラスならぬアイスの器を持ってテーブルに行きシャンパンもよく飲んだものだった…今じゃ考えられないな(^^ゞ。 女の子の管理から売り上げ協力まで…水商売の雑多な仕事をこなすのが黒服の仕事だった。 ここ何日か水商売の女の子のHPを見ていたら何となくその頃していた仕事を思い出していた。 今、振り返って考えてみると、黒服としての僕の評価は良かったのか悪かったのか。考え方は幾通りもあるからどうとでも言えるのだろうが、個人的に言うならスカウト活動は不発が多かったからそういう面では良い黒服とは言えなかったと思う。 が、一転して店内の事だったら懸命にやっていたつもりはあるからそれなりの評価は貰えたとは思うが…自分の評価という物は得てして甘いからね。 今朝?と言うか深夜眠ろうとすると知っている人間がメッセで問いかけてきたので一年半振りに話をした。懐かしさも在ったが、安心?してSM話が出来る相手だったのでついつい一時間以上会話が弾んだ。 んでもって就寝。朝は深夜のCHATが効いたのか目覚めはとてもノンビリしたものだった。夏も冬も無い長い休みに入って一年が過ぎた訳だが、これで社会復帰出来るのか?<自分。 ネットに繋いだりしながらだらだら昼まで過ごした後で、何故か「彼女が水着に着替えたら」を見た。確かホイチョイプロ制作だったかな?サザンのバックミュージックがとてもあっていて楽しく見れた。 午後も午前中同様うだうだ過ごし、夕方遅くなってからブリ大根&鍋の残りで雑炊を作って夕食とした。ブリ大根は意外にも大根に程良く味が染みていて美味しかったがブリに味が今一染みてなかったのが不満かも。鍋の残りで作った雑炊は魚の臭みが感じられたのがマイナス点かな?他にはやはり鍋をそのまま使った方が無難だよね。婆さんが鍋を移し替えて仕舞ったのが悔やまれるかも。 夕食の後は恒例の日記書き、発泡酒片手に中身を考えなきゃ…さて何を書こうかな? オークションは朝までに入札価格が二万四千円を超えたけど、相変わらずノートパソの入札は初期のまま昼を迎えた。他の二点も予想価格に近づいて居ることを考えると直ぐに値が上がるとは考えられない。アクセス数&ウオッチリストの登録を考えたら直前での価格上昇もあり得るだろう。夜までどうなるか?足踏みを続けるのかな?。 結局夕方になっても入札の変化は無いまま。だがアクセス数とかウオッチリスト見てたら期待は持てそうな気分になってくる。と言っている間に気づけばノートに第二の入札が行われ金額の合計は三万四千円を数えた。順調順調!!ほくそ笑む僕が居た。本日の最終報告となるのか?合計は三万五千円を数えてる。今の順調さで終了時まで価格が上昇して欲しい所か!!。
2004/11/02
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時々ランダムで飛んだHPや、ジャンル別で面白そうな日記を見てコメント付けたくなったりしたらその場で書き込みをしてしまう。 リンクを張っている人の所なら返答が書き込まれたらチェックのしようがあるのだが、書き込みっぱなし担ってしまうことも珍しくない(^^ゞ。 まあ、誹謗中傷とかは絶対にしないから書きっぱなしでも良いかな?と個人的には考えているのだが、もし気にああ割る書き込みだったらごめんなさいm(__)m(書き込みされた方々)。 リンクは自分的に感じる物が有ったときに張っている。リンク張りましたと言うこともあれば、断りも居れずにリンクを張ってしまうことも(張られた方々m(__)m)。 こうして、僕のネット徘徊は続いている…。徘徊先も周期的にチャットルームが有る場所を巡ってみたり、HP巡りをしてみたり。欲しい物が有ったときは検索して仕様を検討したり値段を調べてみたり、オークションで探したり…ネ。 今日は朝から雨、昨日は夕食以外の食事は無かったので、朝まだ位うちからお腹が空いて目が覚めたほどだった。だが、なにをすると言うこともなかったので、起きはしたがベッドから出ることなく部屋でゴロゴロしつつネットでオークションを眺めて見たり、アクセスしてきた人のHPを訪問したりしていた。 んで、親父から郵便局へ行くことを頼まれていたので昼前には車で郵便局へと行ってお金を卸して、帰ってくる途中でせんべいを買って帰宅。んで、まだしてもベッドに上がってゴロゴロ。 一昨日の歴史研究会の下準備で出かけた際に天台寺の山中で宝塔?を探すため山を歩き回ったり藪を分け入ったり、館後の見学と言うことで道無き山中を歩き回った疲れが出たのかせんべいを食べたら昼寝をしていた。 昼寝の後で日記の前文とでも呼ぶところを三つほどテキストに書き上げくつろぎ始めたところで夕食を呼ぶ声が聞こえてきたので夕食。 やっぱり、というか鍋は二日目の方が野菜に味が染みて美味しいと思った。明日の昼は鍋の残りで雑炊にしようと思った。鍋を火にかけ、今夜の残ったご飯を入れ、少しご飯をほぐしながら煮立って来たら火を止め、溶き卵とネギを加え、二三分立ったら椀に盛ったら出来上がりだ。汁が染み込んで美味しそう。 オークションの経過だが、昨夜から今朝にかけて多数のアクセス&ウオッチリストの登録は有った物の入札の追加は無し、一点は開始価格のまま、一点は落札希望額?の半分まで金額上昇(*^_^*)、もう一点は入札は未だに無しだけど、ウオッチリストの登録とアクセス数を見ると入札されるのも時間の問題という気がする。さて、昼から夜にかけてどうなるかな?。 昼時にチェックを入れてみると、アクセス数自体も前回を凌ぐペースで増え続けていた。そして残っていた見入札品にも入札がされていた。現在の合計金額が17,250円、前回の出品時の合計が七万円であった事を考えるとまだまだだが、残り四日間在る事、商品自体の落札価格の平均値を考えると近い線まで価格が上がると信じているのだが…。 夕方になりやっとと言うか三点入札されているのを見て後は夜毎価格がつり上がるのを楽しみに眺めれば…良いだけ、難点と言えば落札価格が決定するのは終了日でないと判らぬところか、一応の目安として考えるなら前日までには合計金額が三万円を超えていれば、当日、当初考えていたラインまで上昇するのでは?と言うところか。はぁこんな事だったらオークションでこの品を買わずにいたら、最初からパーツを買うだけで済んだのにね。 夜中まではまだ間があるが、オークションの開始価格が一万四千円だったけど、気づけば二万円に届こうとしている。全体的に金額が上がるのなら素直に喜べるのだが、部分的にだと全体では…低くなりそうな感じがして怖いかな?。 そうそう、一昨日歴史研究会に参加した翌日に体重計に乗ってみたら何と体重が増加して居るでは無いか!!これほど食事には気を配っていたはずなのに…研究会の打ち上げの席で日本酒をグビグビ飲みながら新米のおにぎりをパクパク食べ、自家製食材のひっつみ鍋も食いまくったからだろうか?。それともここ数週調子に乗って毎晩のように発泡酒を飲んでいるから増え始めたのか定かではないが、よろしくない傾向であることは間違いない!!!。医者にも太ることは厳禁と申し渡されて居ることだし、ここ連夜で夕食後には発泡酒を飲み始めた生活をやはり停止してみるより他はあるまい。医者的には十キロは痩せた方が良いとか言われているが、個人的にはそこまでは考えないが六十キロを切る体重までは何とかしたいと思っている。 てか、結婚直前の体重に戻したいという野望があるのだが、やはりそれは無謀と言う物かな…。そこまで体重が落ちたら切れなくなっている皮つなぎが切れるのでは…と思っているのだが、実際には体重を落とすだけでなく、体全体を引き締めないと皮つなぎなんて着るのは無理だよね(^^ゞ。 何となく、ただ何となく気分が乗ってプロフに画像を貼り付けてみた。何と十五年も前のライセンスの画像だ(^^ゞ。思えばあの頃はまだまだ変態には目覚めて無かった?し、仕事も真面目にやっていた頃ではなくちゃらんぽらんな頃だったな…。 何て懐かしんでいる間にノートパソコン以外は入札価格が上昇していた。しかも、片方は新規??経験者の入札が望ましいのだがね(;^_^A アセアセ…。
2004/11/01
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