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消火器の破裂事故が頻発している。実は、小生の自宅にも、町内会の役員をしていたときに預かった消火器が家の塀際に一つ、玄関に一つあった。塀際のものは、今も町内会用の備品として預かり、定期的に中身を取り替えてくれる。玄関にあったものは、以前に近場で小火があったときに使用した経緯から、町内会では不要となった物の預かり物である。しかし、預かっている内に小生の持ち物となって、内容も古くなり、底が錆びて来たので、町内会の役員に引き取って貰った。消火器は、廃棄物としてゴミに出すことが出来ず、まことに困る備品である。町内会でも火事の早期消火のための備品として町内のあちこちに常備しているが、各家庭でも消火のために備えておいた方が無難と思われている。既に、一般家庭には火災報知器を設置するように要請されている。災害防止のための危機管理体制が言われる割には、地域防災上の重要な備品である消火器について、設置については任意であり、任意で設置した消火器の廃棄についての行政上の配慮が全く無いに等しいのである。消火器の定期的な更新については自治体が補助を出したり、その更新については、廃棄を含めて自治体が支援するくらいの体制を組んで、地域の火災防災を図って貰いたいものである。特に、廃棄物として無料で引き取るようなシステムが欲しいものである。 市長目安箱にでも投書してみよう。 首都圏の直下型地震はいつ来ても可笑しくないらしいからだ。
Sep 30, 2012
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(セネガル その1 から続く) 国の位置北東にモーリタニア、東にマリ、南東にギニア、南にギニアビサウと国境を接し、ガンビアを三方から囲んでいる。西は大西洋に面する。サハラ砂漠西南端に位置する。人口密度:/平方キロ68人(2011年)首都ダカール:かつてのパリ・ダカール・ラリー「世界一過酷なモータースポーツ競技」の終着点(1992年には終着地がケープタウンニ変更されるなど設定変更が相次ぎ、2009年には、南米開催ルートとなり、2012年は、アルゼンチン沿岸のマル・デル・プラタからペルーの首都リマまでのルートが採用された。変更理由はラリー経路でのテロ、強盗、交通事故など多発を憂慮。) 人口:都市圏240万人(2004年)東京からの大気圏距離:13,938km時差:JST-9時間サマータイムなし民族ウォロフ44%,プル23%,セレール15%他言語フランス語(公用語),ウォロフ語など各民族語宗教イスラム教95%,キリスト教5%,伝統的宗教政体共和制元首直接選挙、任期5年、三選禁止マッキー・サル大統領政党:(セネガル民主党PDS→)共和国同盟PDS党首の前大統領から首相指名を受けたが解任されていた。前大統領は3選禁止規定前の任期を規定対象外と主張したが、野党が反対し死者も出す抗議を受けた。決選投票選挙で前大統領を破る。前大統領には祝福される。独立以来、大きな内戦・クーデターを経験していない民主主義の成熟したとされる国議会二院制(上院及び国民議会)政権首相は大統領に任命され、その諮問を受け、閣僚を任命し組閣する首相 アブドゥル・ンバイ外相 アリウンヌ・バダラ・シセ 軍事予算 2億1,700万ドル(2008年)、兵役 あり(2年間,選抜徴兵制)、兵力 13,620人(陸軍11,900,海軍950,空軍770)(ミリタリーバランス2010年版)主要産業農業(落花生,粟,綿花),漁業(まぐろ,かつお,えび,たこ)GNIGDP135.3億ドル(2010年)144.6億ドル(2011年)一人当たりGNI一人当たりGDP1,090ドル(2010年)1,076ドル(2011年)実質GDP成長率4.2%(2010年)2.6%(2011年)物価上昇率1.3%(2010年)3.4%(2011年)石油価格高騰で上昇傾向にある財政収支/GDP比▼6.1%(2011年)政府総債務残高/GDP比40.6%(2011年)経常収支(国際収支)▼12.0億ドル(2011年)貿易額:輸出15.9億ドル(2007年)同 :輸入32.5億ドル(2007年)貿易品目:輸出魚介類,精油,リン酸製品,落花生製品(2007年)同 :輸入食料品,石油製品,資本財(2007年)貿易相手国:輸出マリ,印,仏,ガンビア(2009年)<ネタ帳>マリ,印,仏,伊同 :輸入仏,ナイジェリア,中国,英(2009年)<ネタ帳>仏,ナイジェリア,英、蘭原油輸出A 3.2億ドル(2011年)<ネタ帳>原油輸入B12.6億ドル(2011年)<ネタ帳>原油輸出入差A-B▼9.4億ドル(2011年)対日輸出10.2億円(2010年、JETRO) 内訳水産物等(2010年)対日輸入 48.5億円(2010年) 内訳ダンプカー,繊維のトウ,合成繊維等(2010年)対外債務残高35億ドル(2009年)主要援助国2009年仏 141百万ドル米 68スペイン 59カナダ 54日本 47日本の経済援助2009年度まで有償:155億円(債務免除を除く)無償:993億円技術:324億円サッカーW杯のキャンプ地の静岡県藤枝市で友好交流
Sep 30, 2012
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頭の良い、いや良すぎる友人の好きな「星の王子さま」を書いた、仏人・アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリが飛行士として訪れた中継基地がある土地である。 その小説には、彼が実際、サハラ砂漠に不時着し生還できた、貴重な生死の境の体験談が基にある。 « Le plus important est invisible » 「大切なものは、目に見えない」 彼の風刺に満ちた小説では、星を領土の一つと数え続けるどこかの国の宰相が出てくるらしいが、領土拡張ばかり考えて、隣国との友好や、領土の有効利用を第一としない、有能な政治家が跋扈する今の世の中にも当てはまるかも知れない。第二次世界大戦の時だから、独、伊、日の三国が領土を数えていたのだから、その頃は、日本も彼にはそのような人に考えられていたに違いない。過去・現在の普通・悲惨な出来事を、未来の楽しい世界に繋げる努力・実践(考え方だけでも有効)、が大切であると、星の王子様は言っているように、この呆け頭には思えるのだが。 つまり、「大切なものは、目に見えない」が、過去や、現実を素直に振り返れば、「大切なものがなんであったかが、目に見えてくる」のであって、いたずらに「先ばかり見たり」、「過去にばかり拘泥」していては、「未来の大切なもの=愛 を生かす術を失ってしまう」のではないか、と思う次第。感情論は無益であり、時間をかけて、頭の良い賢人会議でもって、理性的に未来志向で考えて貰うべきである。また、この国の首都ダカールは、かつて、パリ・ダカールラリー終点として、タフガイな「カー狂」には胸躍る場所だったが、砂漠地帯の治安悪化で「ルート」を、遥かなる南米大陸に持って行かれた。セネガルには、南米は三角貿易の一角だから仕方ないかも知れないが。 独立以来、内戦・クーデターを経験していない国と言うが、ギニアビサウとの国境地帯・カザマンス地方では、分離独立運動(カザマンス民主勢力運動MFDC)が反政府武装闘争を頻発させており、日本政府は渡航延期勧告を継続中である。 セネガル共和国略史<資料出所:外務省> 年月略史9世紀テクルール王国13-16世紀ジョロフ王国15世紀ポルトガル人来航1783年フランスへの帰属1960年4月セネガル共和国としてフランスより独立1963年サンゴール大統領選出1981年1月ディウフ首相,大統領に就任2000年3月ワッド大統領選出<政党:セネガル民主党PDS>2002年9月フェリー船「ジョーラ号」沈没事故2007年2月ワッド大統領再選2012年2月,3月サル大統領選出<政党:(セネガル民主党PDS→)共和国同盟> <資料出所:外務省、WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳など>国名セネガル共和国 幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)116位通貨CFAフラン655.957CFAフラン=1ユーロ(固定レート)国章と国花頂点にセネガルの国旗の中央にあるのと同じ緑色の星を配し、周辺を公用語のフランス語で書かれた国の標語Un Peuple Un But Une Foi(一つの民族、一つの目標、一つの信念)のリボンをかけた小枝で取り囲み、その中に国旗と同じ赤、黄色、緑で彩色された盾を置いている。盾は左を赤く、右を黄色く塗り、左には黄色く彩色されたライオンを、右には緑色のバオバブの木と、その下にセネガル川を表す緑の波を配している。→「バオバブの木」国旗中央に星のあしらわれた三色旗。(右から)赤・黄・緑の汎アフリカ色を使用している。(黄色の中に緑の星がある)<国旗販社:さらご>旧宗主国であるフランスの国旗と同様に縦3分割のデザインを用い、中央に自由の象徴である緑の星を配置。緑色は農業と希望を、黄色は富と資源を、赤は独立の苦難と尊い血の犠牲を表わす。国の標語Un Peuple, Un But, Une Foi(仏語: 1つの国民、1つの目標、1つの信念)面積:平方キロ197,161平方km日本の約半分人口:千人12,400千人(2010年)13,440千人(2011年) (セネガル その2 に続く)
Sep 30, 2012
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(ギニアビサウ その1 から続く) ギニアビサウ共和国 <資料出所:外務省、WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳など> 国名ギニアビサウ共和国<西アフリカ、旧ポルトガル領の国> 幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)124位通貨CFAフラン655.957CFAフラン=1ユーロ(固定レート)<ネタ帳>ギニアビサウ・ペソ (通貨コード: GWP)・・1997年以前の法定通貨国旗<WIKIPEDIA>汎アフリカ色と黒い星を用いたこのデザインは、もともとは同国の独立運動の中心を担ったギニア・カーボベルデ独立アフリカ党(PAIGC)の党旗であった。そのため、同じくPAICGが独立に導き、一時は国家併合を計画していたカーボベルデの旧国旗とも酷似している。<国旗販社:さらご>黄は北部サバンナ、緑は南部の森林地帯、赤は海岸地帯を表わす。黒星は独立アフリカ党を象徴する。<左縦:赤色に黒い星、右上:黄色、右下:緑>国の標語Unidade, Luta, Progresso(ポルトガル語: 統一、闘争、進歩)面積:平方キロ36,125平方km九州とほぼ同じ国の位置北にセネガルと、南と南東にギニアと国境を接し、西は大西洋に面する人口:千人1,500千人(2010年)1,680千人(2011年)人口密度:/平方キロ47人(2011年)首都ビサオ(ビサウ、Bissau)人口:41万人(2007年)東京からの大気圏距離:14,145km時差:JST-9時間サマータイムなし民族バランタ、フラ、マンジャカ、マンディンカ、パペウ等<WIKIPEDIA>バランテ人30%、フラニ人20%、マンジャカ人14%、マンディンカ人13%、パペル人7%など言語ポルトガル語(公用語)宗教原始宗教、イスラム教、キリスト教<WIKIPEDIA>現地宗教40%、イスラム教50%、基督教10%南北に隣接するギニア、セネガル両国がイスラム教徒が多数なのに対比して、飛び地的にその他の宗教の比が高い。政体共和制元首国民の直接選挙、任期5年、再選制限無しライムンド・ペレイラ大統領代行(前大統領逝去による)<4月にクーデターで拘束されている異常事態>議会国民議会、100名政権首相は大統領により国家人民会議の多数派の指導者の中から任命される。 首相 マリア・ダディアツ・ジャロ・ナンディグナ首相代行(前首相は大統領候補のため辞任し、選挙中にクーデターで拘束された)、外相 ママドゥ・サリン・ジャロ・ピレス軍事予算 1,800万ドル(2008年)、兵役 選抜徴兵制、兵力 6,450人(陸軍:4,000人、海軍:350人、空軍:100人、準軍隊:2,000人)(ミリタリー・バランス2010年版)主要産業農林水産業(落花生、カシューナッツ、エビ、いか)GNIGDP8.9億ドル(2010年)9.7億ドル(2011年)一人当たりGDP:ドル590ドル(2010年)576ドル (2011年)世界最貧国の一つ実質GDP成長率 4.2%(2010年) 5.3%(2011年)物価上昇率 2.5%(2010年) 5.1%(2011年)財政収支/GDP比▼1.9%(2011年)政府総債務残高/GDP比 45.2%(2011年)経常収支(国際収支)▼0.6億ドル(2011年)貿易額:輸出1億2810万ドル(2008年)同 :輸入1億9880万ドル(2008年)貿易品目:輸出カシューナッツ、魚・エビ(2007年)同 :輸入食料品、資本財、石油製品(2007年)貿易相手国:輸出印、ナイジェリア、スペイン、中国、トーゴ(2010年)<ネタ帳>印、ナイジェリア、韓国、パキスタン、中国同 :輸入ポルトガル、セネガル、ブラジル、中国、キューバ(2010年)<ネタ帳>ポルトガル、セネガル、仏、パキスタン、キューバ対日輸出 58万円 内訳魚対日輸入5528万円 内訳モーターサイクル等対外債務残高11億1100万ドル(2009年)主要援助国2008年ポルトガル 18百万ドルスペイン 16米 6仏 6伊 2日本の経済援助2009年度まで有償:0無償:134億円技術: 7億円
Sep 29, 2012
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今年の4月12日大統領選挙中に国軍の一部グループが立候補のために首相を辞任していたゴメス前首相の邸宅や国立ラジオ局、与党本部も攻撃し、ゴメス前首相、ペレイラ大統領代行等を拘束した。国軍グループ・野党グループの協議で、憲法に基づく国家解体・国家移行評議会設置を発表したが、与党などは同意していない。日本政府は「暴力による非合法な権力奪取」として非難、政治指導者の拘束解除、憲法秩序回復を国際社会に呼びかけている。宗主国・ポルトガルや西アフリカ経済共同体(ECOWAS)もクーデターは受け入れられないとしている。 ギニアビサウ共和国 略史<外務省、WIKIPEDIA> 年月略史15世紀ポルトガル植民地1973年9月ポルトガルより独立宣言1980年11月ヴィエイラ首相、クーデターで政権奪取。革命評議会設置1984年5月革命評議会を廃止、国家評議会を設置しヴィエイラ氏が議長に就任1985年11月コレイラ国家評議会副議長によるクーデター未遂1991年5月憲法改正(複数政党制への移行)1994年8月大統領選挙(ヴィエイラ大統領当選)<「ギニア・カーボベルデ独立アフリカ党PAIGC」とは分離した政党>1998年6月一部軍人(マネ前参謀長ら)による反乱発生<「ギニアビサウ内戦」という、ヴィエイラ派軍と、反政府リーダー・アンスマネマネ派軍との間の内戦。ヴィエイラはポルトガル大使館からポルトガルへ亡命>1999年5月ヴィエイラ大統領亡命、サーニャ国民議会議長が暫定国家元首に就任<実体はアンスマネ・マネ前参謀長が実権を握る「政府高官による搾取と貧弱な金融政策を特徴とする軍事政権」が彼の殺害200年11月まで続く>1999年11月大統領選挙(第1回投票)、国民議会選挙2000年1月大統領選挙(第2回投票)、(クンバ・ヤラ当選、サ-ニャを下す)<ヤラ:社会革新党PRS>2003年9月クーデター発生、ヤラ大統領辞任<ヤラが新憲法(2001年)を公布せず、対立組織に圧力をかけ、反乱の助長国としてガンビアを軍事威嚇し、国内でも選挙規定の改竄疑惑、兵士への給料未払いなどの不始末をしたとして、無血クーデターが起こり、自宅監禁となる。>2003年10月暫定政権発足(ローザ臨時大統領就任)<主要目的は、立憲的、民主的国家へ復帰するための選挙管理>2004年3月国民議会選挙2005年6月・7月大統領選挙<政治告発・海外逃亡のヴィエイラがPAIGCのサーニャを下す>2005年10月ヴィエイラ大統領就任<政権安定維持のため敵対政府解体を宣言、2008年11月に官邸を反乱軍に襲撃され撃退。>2009年3月ヴィエイラ大統領殺害をうけ、ぺレイラ国民議会議長が暫定大統領に就任<前日、政敵の軍参謀長を爆死させた報復として、国軍兵士一派が大統領を首謀者の一員とみて惨殺した。>2009年9月大統領選挙、サーニャ大統領就任<サーニャ:ギニア・カーボベルデ独立アフリカ党PAIGC>2012年1月サーニャ大統領逝去<パリの病院で逝去、64歳没、糖尿病暦があったようだ。>(ギニアビサウ その2 に続く)
Sep 29, 2012
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(ギニア その1 から続く) ギニア共和国<資料出所:外務省、WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳など>国名ギニア共和国「ギニア・コナクリ」 幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)140位通貨ギニア・フラン約5,730ギニア・フラン=1米ドル(2010年)国旗<WIKIPEDIA>左から赤・黄・緑を配した縦三色旗である。この三色はアフリカ最古の独立国・エチオピア国旗に古くから用いられているもので、汎アフリカ色と呼ばれ、他の多くのアフリカ諸国の国旗にも取り入れられている。<国旗販社さらご>旧宗主国フランスの国旗にちなんだデザインで、国の標語「労働・正義・団結」に基き「汎アフリカ色」である赤・黄・緑の3色に染め分けられている。赤は生命の源である太陽を、黄は黄金とアフリカの光、緑は豊かな森林を象徴する。国の標語Travail, Justice, Solidarité(フランス語: 労働、正義、連帯)面積:平方キロ245,857平方km本州とほぼおなじ国の位置北にセネガル、北西にギニアビサウ、北東にマリ、南にシエラレオネ、リベリア、南東にコートジボワールと国境を接し、西は大西洋に面する。人口:千人10,200千人(2011年)10,590千人<ネタ帳、2011年>人口密度:/平方キロ43人<ネタ帳、2011年>首都コナクリ人口:186万人(2008年)東京からの大気圏距離:14,284km時差:JST-9時間サマータイムなし民族マリンケ,プル,スースー等,20あまり言語仏語,各民族語(マリンケ,プル,スースー等)宗教イスラム教,伝統的宗教,キリスト教<WIKIPEDIA>イスラム教85%、基督教8%、現地宗教7%政体共和制元首アルファ・コンデ大統領国民の直接選挙、任期5年、再選制限無し。 2010年11月の大統領選挙で、選挙管理委員会は野党指導者アルファ・コンデが得票率52.52%、ディアロ元首相の得票率は47.48%と発表。ディアロは不服声明を出し、暴動が発生、非常事態宣言が発令されたが、最高裁判所がディアロの抗議を退け、沈静化した。議会国民議会(一院制,114議席,任期5年)(現在は解散されており,議会不在の状況)2010年に設立された国家暫定評議会(CNT)が暫定の立法機関政権首相、内閣に相当する閣僚評議会は大統領に任命される。現在の与党はコンデ大統領が党首であるギニア人民連合(RPG)を中心に結成された「虹同盟」(Alliance Arc-en-ciel)と呼ばれる政党連合を形成。 首相 モハメッド・サイッド・フォファナ、外務・在外自国民大臣 エドゥアール・ニャンコイエ・ラマ軍事予算 5,500万ドル(2009年)、兵役 徴兵制(2年)、兵力 9,700名(陸軍8,500名,海軍400名,空軍800名)、 国連・平和維持活動:コートジボワール(ONUCI),西サハラ(MINURSO),南スーダン(UNMISS),アビエ(UNISFA) (ミリタリー・バランス2012)主要産業(農)米,キャッサバ(鉱)ボーキサイド,アルミナ,金,ダイヤモンド アルミニウムの原料となるボーキサイトの埋蔵量は実に全世界の3分の1を占めるほど豊富GDP:億ドル45億ドル(2010年)52億ドル(2011年)一人当たりGNI一人当たりGDP400ドル(2010年)492ドル(2011年)実質GDP成長率1.9%(2010年)3.6%(2011年)物価上昇率15.5%(2010年)21.5%(2011年)財政収支/GDP比▼3.0%(2011年)政府総債務残高/GDP比72.2%(2011年)経常収支(国際収支)▼3.3億ドル(2011年)貿易額:輸出14.71億ドル(2010年)同 :輸入14.05億ドル(2010年)貿易品目:輸出ボーキサイト,アルミナ,金,ダイヤモンド(2010年)<ボーキサイト輸出額は豪に次ぎ世界第二位>同 :輸入石油製品,中間財,食料品,資本財(2010年)貿易相手国:輸出チリ,印,スペイン,露,独(2010年)<ネタ帳>露、ウクライナ、スペイン、独同 :輸入中国,蘭,仏,コートジボワール(2010年)<ネタ帳>中、仏、蘭、スペイン対日輸出 2700万円(2011年) 内訳水産物,打楽器(2011年)対日輸入20億7600万円(2011年) 内訳金属製品,機械(2011年)主要援助国2009年仏 82百万ドル米 35独 19日 18加 5日本の経済援助2010年度まで有償:160億円無償:476億円技術: 62億円
Sep 28, 2012
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1958年の独立時、宗主国仏はギニア支援を一切打ち切り、 公共施設・道路などを破壊、国土台帳などを本土に持ち帰った。 行政は混乱し、一旦社会主義に傾いたが、クーデター以後は 自由主義体制への移行が見られた。 ギニア人タレントのオスマン・サンコン(元外交官)曰く、日本人・本島健三 と言うとギニア人は感謝で涙ぐむという。 時(1974年)の大統領が、日本政府に国土基本図を依頼し、 日本は10億円を投じ、彼の率いる測量隊を派遣し、6年後に 完成させた。 社会的にはクーデター続きで、不安定である。 国民議会は2008年末のクーデターで解散、その後選挙なく 存在しない。 2010年設立の国家暫定評議会(CNT)が暫定立法機関である。 大統領選挙では2010年12月に現在のコンデが大統領に就任。 翌年7月には軍人集団に大統領私邸が襲撃される事件が発生。 ギニア共和国略史<資料出所:外務省> 年月略史14-15世紀マリ帝国の版図下1904年仏植民地1958年仏からギニア共和国として独立,セク・トゥーレ大統領就任1978年国名変更(「ギニア人民革命共和国」)1984年セク・トゥーレ大統領死亡軍事クーデターによりランサナ・コンテ大佐が政権掌握 (「ギニア共和国に再度国名変更」)1993年大統領選挙(コンテ大統領選出)1998年12月大統領選挙(コンテ大統領再選)2003年12月大統領選挙(コンテ大統領三選)2007年1-2月ゼネスト状況下でのデモ隊と治安部隊の衝突により200名以上の死傷者発生。2月12日から23日迄戒厳令実施。2007年2月末クヤテ新首相が任命され,ゼネスト中断。2007年3月1日クヤテ首相就任2008年5月20日スアレ首相就任2008年12月22日コンテ大統領死去。12月23日にカマラ大尉を中心とする「民主主義と発展のための国民評議会(CNDD)」によるクーデターが発生し,暫定軍事「政権」が成立。2010年2月ドーレ「首相」就任,国家暫定統一「政府」発足2010年6月27日大統領選挙第一回投票2010年11月7日大統領選挙第二回投票(コンデ大統領選出)2010年12月21日コンデ大統領就任(ギニア その2 に続く)
Sep 28, 2012
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(ブルキナファソ その1 から続く) <資料出所:外務省、WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳など>国名ブルキナファソ共和国<ブルキナ=高潔な人、ファソ=祖国、あわせて、清廉潔白な人たちの国の意>旧国名「オートボルタ(ボルタ川上流)」<サハラ砂漠の南に位置する内陸国> 幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)152位通貨CFAフラン655.957CFAフラン=1ユーロ(固定レート)国花<WIKIPEDIA>汎アフリカ色で構成されている。 赤はまた社会主義を象徴し、星は革命を導く星としてデザインされている。<国旗販売:さらご> 赤は革命闘争と尊い血の犠牲を、緑は農業・林業と富そして希望を、希望と鉱物資源を表わす黄色の星は、革命の原理と指導性のシンボルでもある。国の標語Unité, Progrès, Justice(フランス語: 統一、進歩、正義)面積:平方キロ274,200平方km日本の約70%国の位置 北にマリ、東にニジェール、南東にベナン、トーゴ、南にガーナ、南西にコートジボワールと国境を接する。人口:千人1,693万人(以下、明示なければ2013年)人口密度:/平方キロ62人首都ワガドゥグー(Ouagadougou)標高:316m都市圏人口: 205万人(2015記事)東京からの大気圏距離:13,317km時差:JST-9時間サマータイムなし民族モシ族、グルマンチェ族、ヤルセ族、グルーシ族、ボボ族等<WIKIPEDIA>モシ族(50%),プル族(フラニ人10%),グルマンチェ族、グルンシ族、ボボ族、ロビ族など言語フランス語(公用語)、モシ語、ディウラ語、グルマンチェ語<WIKIPEDIA>公用語は仏語だが、90%の国民はモシ語などスーダン系言語宗教伝統的宗教57%、イスラム教31%、キリスト教12%政体共和制大統領制元首ミッシェル・カファンド暫定大統領(任期1年:本来5年、新憲法下で3選禁止)国民の直接選挙2015.11予定2014.10のクーデターで退陣したコンパオレ前大統領の支持者や警護隊と、暫定政権のカファンド氏らが対立。2015.10予定の大統領選でコンパオレ氏の支持者側の立候補が制限されたことから、警護隊などがクーデターを引き起こしたが失敗。 議会国民議会(111議席)政権首相イサック・ジダ国民議会との協議に基づき大統領に任命され、内閣に相当する閣僚評議会メンバーは首相の推薦に基づき大統領が任命。軍事予算 1億500万ドル、兵役 志願制、兵力 11,200人(陸軍6,400人、空軍600人、憲兵隊4,200人)主要産業農業(粟、とうもろこし、タロイモ、綿及び牧畜)金の採掘は2009年で11トン強。周辺諸国への出稼ぎが盛んであるが、コートジボワールでのカカオ農園労働は「イボワリテ」政策以来労働条件が悪化して多数が帰国。GNI:億ドル112.6億ドル一人当たりGNI670ドル実質GDP成長率6.5% 物価上昇率0.5%失業率 77%(2004年)貧困ライン以下人口 46.7%(2009年)低位所得10%高位所得10% 2.9%(同上) 32.2% GINI係数39.5(同上)貿易額:輸出 22.5億ドル(2014est)同 :輸入 31.2億ドル(同上)貿易品目:輸出金、綿花、家畜(同上)同 :輸入資本財、食料品、石油製品(同上)貿易相手国:輸出中国13.5%、インド8.7%、インドネシア7.1%、バングラデシュ6.4%、仏5.7%、カナダ5.2%、日本4.4%(同上)同 :輸入コートジボワール、仏、ガーナ、インド(同上)対日輸出 40.4億円 内訳採油用種(ごま)、化学製品対日輸入 5.1億円 内訳ゴムタイヤ、衣料品対外債務 25.1億ドル主要援助国仏 78.54百万ドル米 67.3蘭 53.9 独 43.8デンマーク42.6(2011年)日本の援助実績有償:0無償:396.4億円技術:127.5億円(2012年度まで)
Sep 27, 2012
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今朝は、台風が小笠原諸島を通過するため、北からの涼しい風が廻ってくるのだろうか。随分と涼しいので、長袖・長ズボンに履き替えて、扇風機を掃除して納戸に仕舞い込んだ。 野田首相が国連で演説しているが、先進国日本の周りはアフリカの混迷ほどではないが、似たような小競り合いがある。過去の非難に留まり、未来志向でないのは切ないが、武器を行使した度合いでないのが、せめてもの慰めである。先進国では、武器というと最終兵器である核兵器であり、その場合は、お互いの対立者にとどまらず、この地球の人類は全て滅ぶのを、先進国同士だと認識している。 さて、本題は、西アフリカの諸国である。モシ族の王国が現首都の位置で栄え、そこは広大な仏領西アフリカの植民地の一部となり、第二次大戦後はボルタ川上流地域「オートボルタ共和国」として独立した。仏共同体から離れて、数次にわたるクーデターを経、国名は「ブルキナファソ」(清廉潔白な人達の(祖)国)となる。国民性として、「争いを好まない穏やかな人達」、日本人の勤勉さと同質性が見られて、「西アフリカの日本人」と例えられるほど似ているらしい。日本にも東北からの出稼ぎ時代があったが、この国でも、隣国への出稼者が多い。最後のクーデターで社会主義路線から、複数政党制・大統領制に路線が変更されて、現在に至る。WEBを巡回していると「日本ブルキナファソ友好協会」(JBFA)が千葉県白井市の児童による農業(ネリカ米など)耕作実習と国際交流を紹介している。 ブルキナファソ共和国 略史<外務省> 年月略史11~13世紀モシ族の王国<ワガドゥグーにあったモシ王国>1904年<周辺諸国と共に>仏領西アフリカ連邦<にはいる>1960年8月独立宣言<ボルタ川の上流を示す「オートボルタ共和国」>1966年1月軍事クーデター1980年11月軍事クーデター1982年11月軍事クーデター1983年8月<トーマス・サンカラによる>軍事クーデター1984年8月<上ヴォルタからブルキナファソへ>国名変更1987年10月軍事クーデター、コンパオレ大尉政権1990年10月マルクス・レーニン主義放棄1991年6月新憲法国民投票実施、採択1991年12月大統領直接選挙によりコンパオレが選出1992年5月国民議会選挙実施1997年5月国民議会選挙実施、与党が圧勝1998年11月大統領選挙(コンパオレ大統領再選)2000年11月内閣改造2002年5月国民議会選挙実施、6月内閣改造2005年11月大統領選挙(コンパオレ大統領再選)2007年5月国民議会選挙実施、6月内閣改造2008年3月内閣改造2008年9月内閣改造2010年11月大統領選挙(コンパオレ大統領再選)2011年4月内閣改造2013年1月内閣改造2014年11月コンパオレ大統領辞任、12月カファンド暫定政権成立2015年9月前大統領支持者の大統領警備隊がクーデターを企図し、失敗、暫定政権復帰。10月にも大統領選挙予定であった。(ブルキナファソ その2) に続く
Sep 27, 2012
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グーグルが携帯新端末を発売、アップル等と競合が強まった。 小生には、パソコン、簡単携帯で充分であるが、グーグルの 地図情報による道案内などは役立ちそう。 以前のことだが、グーグルの自宅航空写真に、今は隣家になった 自宅の空き地に置いてあった息子の自家用外車が映っていたり、 路地写真で物干しの洗濯物まで映っていたのには驚いたものだ。 泥棒の侵入経路にも役立つのではと、あまりの情報公開に閉口 したのを記憶している。 呆け老人には、恥ずかしながら、この程度でしか利用できなかった。 今ひとつ、利用したいのは、パソコンにも読み取り・音声発生機能 (PDFファイルの一部に)があるが、その応用である。 以前、脳梗塞での入院中に、同室の人が「全盲の人のための 文豪本の録音テープ」を借りてイヤフォンで楽しんでいたが、 グーグルなどで、目にも見え、音声でも声優が読むような感覚で 音が付いてくるアプリが内蔵されれば、さぞや、楽しいと思う。 発音法と、漢字が覚えられて、正しい日本語の勉強にもなると思う。 小生など、田舎もので、平安時代の京都言葉が生きている 土佐・中南部生まれでアクセントが標準語とは異なり、上京して、 有名なNHKアナの叔父から発音を厳しく矯正され、今では、 東京生まれと間違われるが、上記のような新機能が具備されれば、 自分だけで勉強ができると思う。 そのうちに機能はついてくるだろうが、各社で頑張れば良いものは 直ぐに現れるだろう。 自分が知らないだけで、新端末にはこの程度の機能は、既に具備 されているかも知れないが。 もう、視力が落ちてきたので、音声で文豪に接する方が、老体には 優しい生き方になると思う次第。
Sep 26, 2012
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(シエラレオネ その1から続く) <資料出所:外務省、WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳など>国名シエラレオネ共和国「シエラ・レオネ」=ライオンの山(雷や風が咆吼に聞こえた説あり)<大西洋に面した英語圏の国> 幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)143位通貨レオン1米ドル=4,000レオン(2010年4月現在)国旗緑色、白色、青色の三色旗である。緑色は農業、山、天然資源を、青色は 天然の良港であるフリータウンを、そして白色は団結と正義を意味する国の標語Unity - Freedom - Justice(英語: 団結 - 自由 - 正義)面積:平方キロ71,740平方km北海道の92%国の位置北にギニア、南東にリベリアと国境を接し、南西は大西洋に面する。人口:千人6,000千人(2008年)6,000千人(2011年)人口密度:/平方キロ84人首都フリータウン(FREETOWN)人口:107万人(2006年)東京からの大気圏距離:14,364km時差:JST-9時間サマータイムなし民族メンデ族、テムネ族、リンパ族、クレオール(黒人と白人との混血)言語英語(公用語)、メンデ語、テムネ語他宗教イスラム教60%、キリスト教10%、アニミズム信仰30%政体共和制イギリス連邦加盟国元首アーネスト・バイ・コロマ大統領(任期5年間)2007年9月就任全人民会議 (APC)のリーダー<ベレワ副大統領・与党シエラレオネ人民党SLPPとの決選投票を制す>議会国民議会(一院制)政権首相 (ポストなし)、外相 ザイナブ・バングーラ外務・国際協力大臣軍事予算 約2,610万ドル(ミリタリー・バランス2005-2006年)、兵役 志願制、兵力 13,000人(うち海軍200人)主要産業鉱業(ダイヤモンド等)、農業(コーヒー、ココア)GNIGDP17.8億ドル(2008年)22.0億ドル(2011年)一人当たりGNI一人当たりGDP320ドル(2008年)366ドル(2011年)実質GDP成長率4.0%(2009年)5.3%(2011年)物価上昇率 12.2%(2009年) 18.5%(2011年)財政収支/GDP比▼5.7%(2011年)政府総債務残高/GDP比60.0%(2011年)経常収支(国際収支)▼12.4億ドル(2011年)貿易額:輸出2.31億ドル(2009年)同 :輸入4.29億ドル(2009年)貿易品目:輸出ダイヤモンド、金紅石、ボーキサイト、ココア同 :輸入石油、米貿易相手国:輸出ベルギー、米、蘭、加(2008年)同 :輸入中国、コートジボワール、米、ブラジル(2008年)対日輸出4億0256万円(2009年) 内訳非金属鉱物製品等(2009年)対日輸入 21億9567万円 (2009年) 内訳乗用自動車、貨物自動車等(2009年)主要援助国2006年英 88百万ドル蘭 47伊 44仏 42独 37日本の経済援助2008年度まで有償: 20億円無償:145技術: 25
Sep 26, 2012
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奴隷制から解放された黒人達の移住地として1808年に英国の植民地となり、1961年に独立した。かつて、約10年近く続いた内戦により、世界で最も平均寿命が短い国(現在はエイズ禍深刻な南部アフリカ)の一つであった。日本国内では、本題と関係ないが、「ファミリーマート」の看板マークを連想する人がいるようだ。<*当該企業の説明*>*****************ファミリーマートのベーシックカラーは、人々に最も親しみを感じさせる色である、ブルーとグリーン。ブルーは都会性・知性・希望・自由を表現。グリーンは自然(環境保護)・フレッシュ感・若々しさ・清潔感を表わす。また、ブルーは「わきでる泉」、グリーンは「樹木の緑」を表わし、組み合わせで「快適環境」を表現。**************************[青と緑を分ける白については明記無し。小生には、真実、潔白、平等、平和などを表す企業観が背景にある、と言って貰いたい。韓国ではこのロゴマークなどの変更の動きもあるようだ。漫画のようだが、「ファミリーマートン」頑張れ!である。]略史<外務省> 年月略史18世紀末イギリス等からの解放奴隷の居住地となる1808年イギリス領植民地1961年4月イギリス連邦の一員として独立1971年4月共和国となる1978年5月新憲法制定、単一政党制導入1986年1月モモ大統領就任1987年3月クーデター未遂1992年4月軍事クーデター1992年5月ストラッサー大尉を議長(元首)とする暫定政府発足1996年1月ビオ准将による無血クーデター1996年2月大統領・議会選挙1996年3月カバ大統領就任1997年5月軍事クーデター1997年6月軍事革命評議会議長であるコロマ少佐が国家元首に就任1998年3月軍事革命評議会が駆逐されカバ大統領がフリータウンに帰還1999年7月ロメ和平合意が成立1999年10月国連安保理は、ロメ和平合意を実施するための「国連シエラレオネミッション(UNAMSIL)」の派遣を決定2000年5月RUF(革命統一戦線)による国連PKO要員500名の拘束事件が発生2000年11月シエラレオネ政府、RUF間で停戦合意成立2001年5月武装解除の実施方法について政府、RUF間で合意成立2002年1月カバ大統領が武装解除完了宣言2002年3月カバ大統領が国家非常事態の終了宣言2002年5月大統領・議会選挙実施。現職のカバ候補が圧倒的多数の得票率で再選2004年2月カバ大統領がDDR委員会の解散を宣言2005年12月UNAMSIL完全撤退2006年1月「国連シエラレオネ統合事務所(UNIOSIL)」活動開始2007年8月大統領・議会選挙実施2007年9月大統領選挙決選投票実施。コロマ大統領就任2008年12月「国連シエラレオネ総合平和構築事務所(UNIPSIL)」活動開始2009年3月与野党支持者間の衝突による「3月暴動」発生2009年4月UNIPSILの仲介で与野党の共同コミュニケ発足(シエラレオネ その2 に続く)
Sep 26, 2012
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(リベリア その1 から続く) <資料出所:外務省、WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳など>国名リベリア共和国<米国解放奴隷の建国の地>15世紀頃「胡椒海岸」と命名される 幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)Not found通貨リベリア・ドル1米ドル=約72リベリアドル(2010年6月現在)国花胡椒国旗アメリカ合衆国の国旗(星条旗)に似たデザインだが、これはこの国がアメリカ解放奴隷の再植民により建国されたことによる。11本の紅白の縞はリベリア独立宣言の11人の署名者を示し、紅白の色は勇気と高いモラルを示す。青い四角はアフリカ大陸を表し、その中の白い星は元奴隷に与えられた自由を示す。国の標語The love of liberty brought us here.(英語: 自由への熱愛が我々をここに導いた。)面積:平方キロ111,370平方km日本の約1/3国の位置北にギニア、西にシエラレオネ、東にコートジボワールと国境を接し、南は大西洋に面する。人口:千人3,600千人(2009年)3,880千人(2011年)人口密度:/平方キロ35人首都モンロビア(MONROVIA)港湾都市:便宜置籍港<首都の名は、解放奴隷をアフリカに入植させた、当時の米国大統領ジェームズ・モンローに因む> 人口:57万人(2003年)東京からの大気圏距離:14,441km時差:JST-9時間サマータイムなし民族ゴラ族、クペレ族、クル族、バサ族等16部族言語英語(公用語)、その他各部族語宗教国民の90%が伝統宗教、その他にキリスト教とイスラム教<WIKIPEDIA>伝統的宗教40%、基督教40%(奴隷時代の名残で、米南部のプロテスタントが多い)、イスラム教20%政体共和制元首エレン・ジョンソン=サーリーフ大統領(2006年1月就任、任期5年)国連開発計画の元アフリカ局長アフリカ初の民選女性大統領議会二院制(上院・下院)政権首相名 ポスト無、外相名 トーガ・マッキントッシュ軍事兵力:約2,400人、予算:N/A主要産業鉱業(金、ダイヤモンド)農林業(天然ゴム、木材)<ネタ帳>鉱業(鉄鉱石) 農林業(天然ゴム、木材)GNIGDP:億ドル6.4億ドル(2008年) 11.5億ドル(2011年)一人当たりGNI一人当たりGDP160ドル(2009年)298ドル(2011年)実質GDP成長率4.6%(2009年)6.4%(2011年)物価上昇率7.4%(2009年)8.5%(2011年)内戦死者27万人、難民79万人財政収支/GDP比▼3.4%(2011年)政府総債務残高/GDP比13.9%(2011年)政府純債務残高/GDP比▼23.7%(2011年)経常収支(国際収支)▼5.0億ドル(2011年)貿易収支(国際収支)A-B▼3.9億ドル(2009年)貿易額:輸出A160百万ドル(2009年)同 :輸入B550百万ドル(2009年)貿易品目:輸出ゴム、金、ダイヤモンド等(2009年)同 :輸入機械・運搬機器、食物、石油製品(2009年) <原油輸入220百万ドル(2011年)>貿易相手国:輸出印、ポーランド、独、南ア(2008年)同 :輸入南ア、シンガポール、日本、中国(2008年)対日輸出(2008年) 8434万円 内訳(2008年)石油製品等対日輸入(2008年)1386億6729万円 内訳(2008年)船舶、一般機械等日本から直接投資116億円(2006年)日本の民間船舶の便宜置籍が多い主要援助国2008年独 317百万ドル米 276ノルウエー 34英 32仏 27日本の経済援助2009年度まで有償: 58億円無償:154億円技術: 46億円
Sep 25, 2012
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米国で解放された黒人奴隷・市民によって入植・建国されたが、 「アフリカ」の異部族・黒人先住者を圧政によって支配する 「植民地奴隷制度と何ら変わらない行為」として、国連に告発 された。 1930年代には経済不況から破綻寸前になったが、米系ゴム農園の 生産開始で持ちこたえ、第二次世界大戦後は、「アメリコ・ライベリアン」 と先住部族との格差是正を計り、ソ連に接近した。 政権の座を握ったクラン族とギオ・マノ族の内戦で無秩序が支配。 最初の内戦で、死者15万人、難民30万人以上を出し、西アフリカ 最悪の紛争地域と言われ、米軍も米人の脱出を支援した。 二回目内戦で、反政府勢力の首都進攻にあわせ、平和維持部隊 [ナイジェリアとガーナ主導の西アフリカ諸国平和維持軍(ECOMOG)]が 前面に出て、米海軍も上陸し、大統領は遂にナイジェリアに亡命、 拘束され、(近隣の内戦も惹起したとして、)シエラレオネ (→オランダ・ハーグ)で戦犯審理となる。 2005年11月の決選投票で、アフリカ初の女性大統領・エレン・ ジョンソン・サーリーフが誕生した。 リベリア共和国略史<外務省> 年月略史19世紀初頭アメリカより解放された奴隷の移住地として発展1847年7月独立1971年7月トルバート大統領就任1980年4月ドー曹長クーデターにより国家元首に就任1985年10月総選挙によりドー元首大統領に選出される(民政移管)1988年3月政府転覆未遂事件発生1988年7月政府転覆未遂事件発生1989年12月内戦勃発1990年9月ドー大統領殺害1995年8月アブジャ合意(全紛争当事者8派)1996年8月新たな和平プロセス日程合意1997年8月大統領・副大統領・上院・下院選挙第3共和制発足(チャールズ・テイラー大統領就任)1998年10月ECOMOG(ECOWAS監視団)、和平を目途に完全撤退2002年2月反政府勢力、リベリア和解民主連合(LURD)が蜂起2003年6月反政府勢力、LURD及びリベリア民主運動(MODEL)が蜂起、首都モンロビアに進攻17日、政府と反政府軍による停戦合意署名(於:ガーナ)2003年8月テイラー大統領、ナイジェリアへ亡命ECOWASによるECOMIL軍の派遣18日、包括和平合意締結2003年9月国連安保理決議1509による「国連リベリアミッション(UNMIL)」の設置2003年10月移行政府発足(ブライアント移行政府議長就任)2005年10月大統領及び上院・下院選挙2005年11月大統領選挙(決選投票)2006年1月ジョンソン=サーリーフ大統領就任<アフリカ初の女性大統領>2006年4月テイラー元大統領、ナイジェリアからシエラレオネ特別法廷へ移送2006年6月テイラー元大統領、シエラレオネからオランダ・ハーグへ移送(リベリア その2 に続く)
Sep 25, 2012
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(コートジボワール その1 より続く) <資料出所:外務省、JETRO,WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳など>国名コートジボワール共和国「象牙海岸」<極めて親日的>国家開発の模範として「日本」は位置付けられ,日本文化に対する関心は極めて高い。 幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)160位通貨CFAフラン655.957CFAフラン=1ユーロ(固定レート)国旗三色旗。オレンジ色は国土の北半分のサバンナであり、豊穣の台地を意味する。白は平和、緑は国土の南半分の森林であり、希望を意味している。国の標語Union, Discipline, Travail(フランス語: 統一、規律、労働)面積:平方キロ322,436平方km日本の約0.9倍国の位置東にガーナ、北にブルキナファソ、マリ、西にギニア、リベリアと国境を接し、南は大西洋に面する。人口:千人21,600千人(2010年)22,690千人(2011年)人口密度:/平方キロ70人首都ヤムスクロ(Yamoussoukro:人口20万人2005年)(実質的首都機能はアビジャン:人口366万人2003年)東京からの大気圏距離:14,058km<アビジャン:14,110km>時差:JST-9時間サマータイムなし民族セヌフォ族,バウレ族,グロ族,グン族,アチェ族,ベテ族,ゲレ族言語フランス語(公用語),各部族語宗教伝統宗教60%、イスラム教30%,キリスト教10%, 政体共和制元首アラサン・ウワタラ(ワッタラまたはワタラ)大統領(2010年12月就任)仏軍、国連の支援を受けたウワタラ派が権力掌握(国内の異なる機関: 憲法評議会 VS 選挙管理委員会 がそれぞれ異なる候補を当選者として発表し、現職ローラン・バグボ氏(バボとも言う。イボワール人民戦線FPI)と対立候補ワッタラ元首相(野党連合で共和主義者連合RDR党首)の双方が「大統領就任」を宣誓し、内戦状態および国連PKO部隊を巻き込み、多数の流血・難民が発生した。2011.4.11にバグボの身柄拘束により、解消した。)宗教上はバグボ氏がキリスト教徒、ウワタラ氏がイスラム教徒で、地盤はそれぞれ南部、北部であり、宗教・地域対立が絡み、紛糾したとされる。それ以上に、バグボが、「イボワリテ」と呼ばれるイボワール人重視の政策を継続し、コートジボワールに多い移民(西アフリカ諸国人や仏人・仏軍も)の不満を招くことになったことが、より大きな要因かもしれない。議会国民議会(225議席,任期5年)与党:共和主義者連合(RDR),コートジボワール民主党(PDCI),コートジボワール民主主義・平和連合(UDPCI),未来の力運動(MFA),コートジボワール連合(UPCI)野党:イボワール人民戦線(FPI)等政権(2012年3月組閣)、首相 ジャノ・カディオ・アウス外相 カブラン・ダニエル・ダンカン軍事予算 3.6億ドル(2009年)、兵力 17,050人(2009年)(陸軍6,500人,海軍900人,空軍900人,大統領警備隊1,350人,憲兵隊7,600人)、外国人駐留:国連コートジボワールミッション総数9,444名(2011年4月):内訳;7,974名(軍)、1,293名(警察)、177名(軍事監視要員)、仏軍900名主要産業農業(コーヒー,ココア等)農業に従事する人口は全体の約80%を占め,GDPの約30%,輸出の大部分を占める。1993年より産油が開始し,近年,石油・石油製品輸出額は,コーヒー,ココアの輸出額と並び,主要貿易品目となっている。GDP:億ドル233億ドル(2009年)241億ドル(2011年)一人当たりGNI一人当たりGDP1,106ドル(2009年)1,062ドル(2011年)実質GDP成長率3.6%(2009年)▼4.7%(2011年)物価上昇率4.9%(2011年)財政収支/GDP比▼5.7%(2011年)政府総債務残高/GDP比 90.5%(2011年)外貨準備高43.2億ドル(2011年、JETRO)金を除く経常収支(国際収支)16.1億ドル(2011年)24.9億ドル(2011年、JETRO)貿易収支(国際収支)58.7億ドル(2011年、JETRO)貿易額:輸出91億ドル(2008年)122.9億ドル(2011年、JETRO)同 :輸入65億ドル(2008年)64.9億ドル(2011年、JETRO)貿易品目:輸出ココア,コーヒー,石油・石油製品,天然ゴム(2008年)<ネタ帳>ココア,コーヒー,石油・石油製品,材木同 :輸入食品,石油・石油製品,機材(2008年)貿易相手国:輸出独,米,蘭,ナイジェリア(2008年)同 :輸入ナイジェリア,仏,中国,タイ(2008年)原油輸出27.0億ドル(2011年)原油輸入19.3億ドル(2011年)原油輸出-輸入 7.7億ドル(2011年)対日輸出16.2億円(2008年) 3.00億ドル(2011年) 内訳カカオ脂,カカオ豆,ココアペースト等(2008年)対日輸入 54.2億円(2008年) 1.39億ドル(2011年) 内訳鉄鋼類,タイヤ,セメント,自動車等(2008年)直接投資受入額 2.61億ドル(2011年)対外債務残高117億ドル(2009年)主要援助国2008年米 89百万ドル仏 39日本 20独 17スペイン 5日本の経済援助2009年度まで有償:122億円無償:463億円技術:105億円1999年末の政変後は実地を見合わせたり、人道的支援など緊急支援に限定していたが、2011年11月に現地情勢の改善が見られ再開した。
Sep 24, 2012
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「イボワールの奇蹟」として、カカオの増産を推進、労働力として 近隣諸国からの移民を受け入れることで、1980年代まで安定 成長を謳歌してきた。 しかし、モノカルチャーのカカオ過剰生産と、新首都建設・移転の 浪費(実体は旧都のまま)で、国力は疲弊した。 これらの矛盾に、移民との対立などが重なり、内戦に突入した。 「イボワリテ」というイボワール人重視政策が、地域対立、移民など との対立、宗主国・仏との対立を深めた。 一時は、大統領が二人並立する、二重政府の期間も生じたが、 国際機関・仏・傭兵などの介入・支援でやっと正常化している。 この間の、矛盾に満ちた経緯、外国の干渉等については、当時 駐在大使・岡村善文ブログ「コートジボワール日誌」に詳しい。 コートジボワール共和国略史<外務省> 年月略史14世紀以前グリシャボ,ベチェ,アンデニュ等の王国が混在1958年9月仏共同体加盟1960年8月コートジボワール共和国として独立1960年11月初代大統領にウフェ・ボワニ選出1990年10月ウフェ・ボワニ再選1993年12月ウフェ・ボワニ大統領逝去1994年2月コナン・ベディエ(暫定)大統領就任1995年10月コナン・ベディエ大統領に正式就任1999年12月ゲイ元参謀総長が全権を掌握。ベディエ大統領は国外へ。2000年1月ゲイ元参謀総長を首班とする暫定政府が設置。2000年10月ゲイ元参謀総長失脚。大統領選挙の結果,バグボ大統領就任2001年1月クーデター未遂2001年10~12月国民和解フォーラム開催2002年9月一部兵士による騒擾事件が発生し,北部及び西部掌握2003年1月マルクシ合意(和平合意)成立2003年3月国民和解政府樹立2004年4月国連PKO(UNOCI)派遣2005年12月新内閣(バニー首相)成立2007年3月ワガドゥグ合意成立2007年4月新内閣(ソロ首相)成立2007年11月,2008年12月ワガドゥグ合意の補足的合意成立2009年3月第二次ソロ内閣成立2010年2月内閣改造2010年10月大統領選挙を実施。第2回投票(11月)後,独立選挙委員会はウワタラ氏(野党RDR党党首)の当選を発表したが,憲法院はバグボ氏(前大統領)の当選を発表。国際社会は一致してウワタラ氏への支持を表明。2010年12月ウワタラ大統領及びバグボ氏ともに大統領就任宣誓式を実施。2011年5月憲法院はウワタラ大統領の当選を宣言。ウワタラ大統領は改めて宣誓式及び就任式を実施。2011年6月第4次ソロ内閣成立2011年12月国民議会選挙実施2012年3月新内閣(アウス首相)成立(コートジボワール その2 に続く)
Sep 24, 2012
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(ガーナ その1 より続く) <資料出所:外務省、WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳など> 国名ガーナ共和国イギリス領ゴールドコースト(黄金海岸)と呼ばれていたが、独立に際して国名をガーナに変更した。国名の「ガーナ」は、かつてサハラ越えの金と岩塩の隊商貿易の中継地として繁栄した、現在のモーリタニアからマリにかけての黒人王国・ガーナ王国である。金や岩塩のほかにも、銅製品・馬・刀剣・衣服・装身具などの各種手工業製品の交易路を押さえ、その中継貿易の利で繁栄した。 幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)89位通貨ガーナセディ1ドル=約1.76ガーナセディ(2012年3月現在)国旗<WIKIPEDIA>赤は独立の為に流された血を、黄は国の鉱物資源と富を、緑は森林と自然の恩恵を、中央の黒色の星はアフリカの自由を象徴している。国の標語Freedom and Justice(英語: 自由と正義)面積:平方キロ238,537平方km日本の2/3国の位置東にトーゴ、北にブルキナファソ、西にコートジボワールと国境を接し、南は大西洋に面する。人口:千人24,220千人(2010年)24,300千人(2011年)人口密度:/平方キロ102人(2011年)首都アクラ (ACCRA)人口:229万人(2012年)東京からの大気圏距離:13,829km時差:JST-9時間サマータイムなし民族アカン族,ガ族,エベ族,ダゴンバ族,マンプルシ族他言語英語(公用語)宗教国民の約半数がキリスト教徒,イスラム教約15%,その他伝統的宗教政体共和制英連邦加盟国元首ジョン・ドラマニ・マハマ大統領(2012年7月24日、前大統領ジョン・アッタ・ミルズの急死で副大統領が就任)(任期4年、3選禁止)正副大統領がセットで国民投票を受ける。閣僚の指名権を持ち、国会の承認を要する。所属:国家民主会議(NDC)議会一院制(定数230)政権首相 首相職なし、外相 アルハジ・モハメド・ムムニ軍事予算 約264百万ドル、兵役 志願制、兵力 15,000人(陸軍11,500人,海軍2,000人,空軍2,000人)(その他,在外兵力として,ECOMOG(ECOWAS監視グループ)軍及び国連平和維持活動に参加している)(2010年2月時点での国連PKO要員への派遣員数は3,911名で世界第7位)主要産業農業(カカオ豆),鉱業(貴金属=金、ダイヤモンド,非鉄金属)農業は国内総生産(GDP)の約30%,雇用の約60%主要輸出品も金,カカオ豆,木材が上位3位水力発電によるアルミ精錬で輸出の7%を揚げている。電力輸出もある。 課題:多額の債務の削減,インフラ整備,経済的な地域格差の是正等の困難 希望:2010年12月に石油の商業生産を開始、日産8万バレル。埋蔵量:最大18億バレル。GNIGDP:億ドル301億ドル(2010年)371.6億ドル(2011年)一人当たりGNI一人当たりGDP1,240ドル(2011年)1,529ドル<ネタ帳2011年>実質GDP成長率13.6%(2011年)物価上昇率 8.7%(2011年)財政収支/GDP比▼4.3%(2011年)政府純債務残高/GDP比41.0%(2011年)経常収支(国際収支)▼37.2億ドル(2011年)貿易収支(国際収支)A-B▼25.7億ドル(2010年暫定)貿易額:輸出A128.8億ドル(2010年暫定)同 :輸入B154.5億ドル(2010年暫定)貿易品目:輸出金,カカオ豆・製品,木材(2010年暫定)同 :輸入機械類,石油,食糧品(2010年暫定)貿易相手国:輸出南アフリカ,蘭,英国,ベナン,ベルギー(2010年暫定)<ネタ帳>蘭、英、仏、米同 :輸入米国,中国,ナイジェリア,仏,ベルギー(2010年暫定)<ネタ帳>ナイジェリア、中、米、英対日輸出(2011年)139.7億円(2011年) 内訳(2011年)カカオ豆,マンガン鉱,軟体動物(いか,たこ等)原油輸出C27.8億ドル(2011年)原油輸入D33.0億ドル(2011年)原油輸出入差C-D▼5.2億ドル(2011年)対日輸入(2011年) 145.6億円 内訳(2011年)自動車,タイヤ・チューブ,原動機,鉄鋼板主要援助国2009年英国 154百万ドル米国 151カナダ 100日本の経済援助2010年まで有償:1,251億円無償: 887億円技術: 447億円
Sep 23, 2012
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「黄金海岸」より、かつて栄えた黒人王国の国名「ガーナ」を選んだ 国、クーデターが多発した国、民政移管で政情は安定してきた。 この7月、大統領が急死し、副大統領マハマが大統領に昇格。 金、ダイヤモンドが取れるが、最近、大油田が発見される幸運に 恵まれる。 ガーナ共和国 略史<資料出所:外務省> 年月略史1957年3月独立(初代首相エンクルマ)1960年7月<英連邦王国から脱し、英連邦加盟国に>共和制に移行。エンクルマが初代大統領に就任。1966年2月軍・警察によるクーデター(エンクルマ追放)1969年10月文民政権発足1972年1月軍部クーデター,アチャンポン将軍政権1979年6月ローリングス空軍大尉による軍事クーデター1979年9月民政移管リマン大統領就任1981年12月ローリングス元空軍大尉による軍事クーデター1992年11月大統領選挙(ローリングス大統領選出)1993年1月民政移管ローリングス大統領就任1996年12月大統領選挙,国民議会選挙1997年1月ローリングス大統領再任2000年12月大統領選挙,国民議会選挙2001年1月クフォー大統領就任2004年12月大統領選挙,国民議会選挙2005年1月クフォー大統領再任2009年1月ミルズ大統領就任2012年7月(ミルズ大統領の急死(癌)でマハマ副大統領が大統領に昇格)(ガーナ その2 に続く)
Sep 23, 2012
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(トーゴ その1 より続く) <資料出所:外務省、WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳など>国名トーゴ共和国 幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)147位通貨CFAフラン655.957CFAフラン=1ユーロ(固定レート)国旗<WIKIPEDIA>カントン部に赤地に白い星、その他は五本の縞で緑・黄が交互となっている。汎アフリカ色の三色が使用されている。<国旗販売:さらご>赤色は博愛と忠誠、緑色は国民と農業、黄色は富と精神的な向上を象徴。白星は光明と自由と独立のシンボル、緑と黄色の五本のラインは国内の五つの地方を表わす。国の標語Travail, Liberté, Patrie(フランス語: 労働、自由、祖国)面積:平方キロ56,785平方km北海道の73%人口:千人6,600千人(2009年)7,140千人(2011年)人口密度126人 :/平方キロ国の位置東にベナン、北にブルキナファソ、西にガーナと国境を接し、南は大西洋のギニア湾に面する首都ロメ(Lome)・・小さな市場の意隣国ガーナに隣接した良港。物資集散地、工業中心地。人口:74万人(2006年)東京からの大気圏距離:13,680km時差:JST-9時間サマータイムなし 民族エヴェ族(約35%)をはじめ40の部族からなる言語フランス語(公用語)、エヴェ語、カブレ語他宗教伝統的宗教67%、カトリック18%、イスラム教10%、プロテスタント5%政体共和制大統領制元首フォール・エソジンナ・ニャシンベ大統領<エヤデマ大統領(軍事クーデター、その後選挙で約40年政権の座にあった)の子息で、後継時に権力世襲、憲法違反措置とEU等国際社会から非難され一度大統領職を辞任した。その後の、選挙で「変化の力同盟党(UFC)」のジャン=ピエール・ファーブル総書記との一騎打を制して選管認定得票60.9%を得て現職>トーゴ国民連合(RPT)直接選挙、任期5年、再選制限無し。議会一院制国民議会(81議席、任期5年)政権内閣に相当する閣僚評議会は首相および閣僚で構成されるが、実際の行政権は大統領が行使し、閣僚評議会はその執行機関に過ぎない。よってその権力は極めて小さく、大統領の補佐機関であるといえる。 首相 ジルベール・フォッスン・ウングボ、(2005年12月より国連開発計画(UNDP)アフリカ局長を務め、TICAD IVの開催に尽力した人物)外務・協力大臣 エリオットゥ・オイヌ軍事予算 67百万ドル(2009年)、兵役 (選抜)徴兵制(2年)、兵力 8,550名(陸軍8,100名、海軍200名、空軍250名)、憲兵隊750名 (2010年)主要産業農業(綿花、カカオ、コーヒー)鉱業(リン鉱石)農業がGDPの約40%、労働人口の約70%を占める。GNIGDP:億ドル29億ドル(2009年)36億ドル(2011年)一人当たりGNI一人当たりGDP440ドル(2009年)506ドル(2011年)実質GDP成長率3.4%(2010年)4.1%(2011年)物価上昇率1.4%(2010年)3.6%(2011年)財政収支/GDP比▼3.4%(2011年)政府総債務残高/GDP比30.8%(2011年)経常収支(国際収支)▼2.7億ドル(2011年)貿易収支(国際収支)A-B▼4.7億ドル(2010年)貿易額:輸出A8.25億ドル(2010年)同 :輸入B12.92億ドル(2010年)貿易品目:輸出セメント、燐鉱石(2008年)同 :輸入石油製品、資本財、食品(2008年)貿易相手国:輸出独、ガーナ、ブルキナファソ、印(2009年)同 :輸入中国、仏、蘭、印(2009年)対日輸出0.61億円(2009年) 内訳カカオ豆、卑金、再輸入品(2009年)<WIKIPEDIA>綿花や魚介類対日輸入16.5億円(2009年) 内訳アクリル・合成繊維類、乗用車(2009年)対外債務16億ドル(2009年)主要援助国2008年仏 128百万ドル蘭 13英 9独 8スペイン 3日 0.3日本の援助実績2009年度まで有償: 93億円無償:151億円技術: 8億円
Sep 22, 2012
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西アフリカには珍しい、ドイツ生ビール、ソーセージが美味しい 国である。 独の領土(トーゴランド)であった地域は、仏が東を、英が西を 分割統治することとなり、東の仏統治部分が当国に、西の英統治 部分はガーナとなっている。 呆け小生には、鳥取県の東郷湖(シジミと温泉)とトーゴのトーゴ湖 (風光明媚)が似ている名前に憶える。 しかし、トーゴの地名はトゴド(対岸にある街の意、現在トゴヴィル) から来ているようだ。 南北600km以上、南の大西洋に60km近く面する、通路のような 国で、アフリカの自然や多様性を楽しめる。 トーゴ共和国 略史<外務省> 年月略史1884年ベルリン会議によりドイツ領(トーゴランド)1919年フランス委任統治(東トーゴランド)1946年フランス信託統治1960年4月独立・初代大統領にオリンピオ氏就任1963年1月オリンピオ大統領殺害、グルニッキー大統領就任1967年1月軍事クーデター(エヤデマ中佐)1972年1月エヤデマ中佐が元首・大統領に選出1979年12月エヤデマ将軍・第三共和国初代大統領に当選1986年12月エヤデマ大統領三選1991年8月コフィゴー首相の暫定政府1991年12月軍が首相を拘留、国民統合暫定政府1992年3月国民投票により第4共和制憲法採択1992年11月首都で無期限ゼネスト突入1993年2月首都市民20~30万人が国内外に退避(ガーナ、ベナン等へ)1993年3月エヤデマ大統領襲撃事件1993年7月民主化に向けたワガドゥグ国際合意成立1993年8月大統領選挙(エヤデマ大統領再選)1994年2月国民議会選挙で野党勢力勝利1994年5月コジョ新内閣成立1996年9月クルツェ新内閣成立1998年6月大統領選挙(エヤデマ大統領再選)2000年10月内閣改造2002年7月コフィ・サマ内閣成立2002年10月国民議会選挙2002年12月内閣改造2003年6月大統領選挙(エヤデマ大統領再選)2003年7月内閣改造2005年2月エヤデマ大統領逝去2005年4月大統領選挙(フォール・ニャシンベ設備・鉱山・郵政大臣当選)2005年6月エデム・コジョ内閣成立2006年9月ヤウォヴィ・アボイボ内閣成立2007年12月マリ内閣成立2008年9月ジルベール・フォッスン・ウングボ内閣成立2010年3月フォール・ニャシンベ大統領再選2010年5月第2次ウングボ内閣成立(トーゴ その2 に続く)
Sep 22, 2012
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本日、アップルのiPHONE5というスマートフォンが発売された。小生は、爺さんクラスのL-03Aなる単機能携帯電話しか持っていない、というより、家内からの配車呼び出しである。随分便利なものだろうが、年寄りにはパソコンで充分である。これが、物珍しさから、大量の盗難事件を発生させている。しかし、携帯には、「現在地通報システム」が組み込まれているはずであるので、個人への販売前には、あらかじめ、販売相手が決まる前には、アップルは販売店に現在地通報機能を有効にさせているだろう(電源オン)。販売店が、販売完了するまでは、現在地通報システムを解除していない(電源を入れている)ので通知が販売店に送られる。泥棒が解除前のiPHONE5を入手しても、販売店への通報システムは解除ができずに、電源を切らないとしかるべき警察に通報され逮捕されるのである。例え、海外に輸出しても、解除できないようにセットし、その国のアップル代理店や警察に通報するシステムを採用していなだろうか。夢のような話であるが、世界最先端のアップルであれば、少なくとも、販売前の貯蔵期間は電源を入れておいて、販売時に解除する「泥棒よけの仕掛け」があるのではないだろうか。泥棒が考えるようなことは、全て見透しているような気がする。販売時に解除するのであれば、購入者の現在地プライバシーに抵触することもあるまい。「電源」と「現在地通報システム」を販売前にはオンにするよう、販売店に周知させるべきではなかろうか。写真機能もあるのであり、販売前には、移動させるとシャッターが下りて、しかるべき所で映像を伝送・保存できないのだろうか。それとも、今回はこれらを忘れたのだろうか?
Sep 21, 2012
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(ベナン その1 から続く) <資料出所:外務省、WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳など>国名ベナン共和国 幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)122位通貨CFAフラン655.957CFAフラン=1ユーロ(固定レート)国旗汎アフリカ色の三色旗。緑は希望を、黄色は富を、赤は勇気を表すとされている。(WIKIPEDIA)緑は森林とサバンナを、黄は向上を、赤は独立に流した血を表す。(World Flag)左・縦=緑、右上=黄色、右下=赤 国の標語Fraternité, Justice, Travail(フランス語: 仲間、正義、労働)面積:平方キロ 112,622平方km 日本の約1/3国の位置南北に長く、西にトーゴ、北西にブルキナファソ、北東にニジェール、東にナイジェリアと接し、南は大西洋のギニア湾に面する。人口:千人 9,100千人(2011年)<ネタ帳> 9,910千人人口密度:/平方キロ<ネタ帳>88人首都憲法上の首都ポルトノボ(ポルト=ノーヴォ新しい港)人口:23万人(2005年)東京からの大気圏距離:13,549km時差:JST-8時間サマータイムなし事実上の経済首都:コトヌー(物資集散の港湾都市、人口76万人2006年)民族フォン族、ヨルバ族(南部)、アジャ族(モノ、クフォ川流域)、バリタ族、プール族(北部)、ソンバ族(アタコラ山地、トーゴ間)等46部族言語フランス語(公用語)宗教伝統的宗教(65%)、キリスト教(20%)、イスラム教(15%)政体共和制元首トーマ・ボニ・ヤイ大統領(任期5年、次回選挙は2016年3月)与党FCBE(繁栄するベナンのためのタカラガイ勢力)党首と書いてあるが、無所属との記載もある投票獲得数53.14%前・西アフリカ諸国中央銀行総裁議会国民議会(83議席、任期4年、次回選挙は2015年)政権首相 パスカル・イレネ・クパキ、外相 ナシル・アリファリ・バコ外務・アフリカ統合・仏語圏・在外ベナン人大臣軍事国防費 79百万ドル(2009年)、兵役 18ヶ月、兵力 7,250人(陸軍4,300人、空軍250人、海軍200人、憲兵隊2,500人) (2010年)主要産業農業(綿花、パームオイル)、サービス業(コトヌ港の港湾業)綿花産業を含む第一次産業は、2008年のGDPの約30%、労働人口の50%を占め、生産減少、価格低下が不安材料。コトヌ港がロメ港(トーゴ)との熾烈な競争に晒されているGNIGDP:億ドル 69.5億ドル(2010年) 73.1億ドル(2011年)一人当たりGNI一人当たりGDP:ドル 780ドル(2010年) 737ドル(2011年)実質GDP成長率 3%(2010年) 3.1%(2011年)物価上昇率 2.3%(2010年) 2.7%(2011年)財政収支/GDP比▼1.4%(2011年)政府総債務残高/GDP比 31.3%(2011年)経常収支(国際収支)▼5.7億ドル(2011年)貿易額:輸出 15.9億ドル(2011年)同 :輸入 21.9億ドル(2011年)貿易品目:輸出綿花、再輸出品(2011年)同 :輸入食品、石油製品(2011年)貿易相手国:輸出印、中国、インドネシア、ニジェール(2011年)<ネタ帳>印、中国、ナイジェリア、ニジェール同 :輸入中国、仏、英国、米国(2011年)<ネタ帳>中国、米、仏、タイ対日輸出 1億3189万円(2011年) 内訳銅のくず等(2011年)対日輸入 20億7312万円(2011年) 内訳産業用車両、乗用車、中古衣料等(2011年)主要国の経済援助2009年米 59百万ドルデンマーク 51仏 50日本の経済援助2010年度まで有償: 38億円無償:335億円技術: 54億円
Sep 21, 2012
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ベナンはナイジェリアのような石油資源国ではなく、農業国 (綿花など)、綿花輸出や港湾施設を利用したサービスで生計を 立てている。 隣国の人口・経済大国・ナイジェリアに依存することが大きいため、 隣国からの政情不安でテロが入る危険は残る。 外国人(米国、レバノン人)誘拐事件も起こっているらしいので 注意が必要。 過去の大統領・マチュー・ケレク(軍人出身)は憲法上の3選禁止 を尊び、自ら選挙に立たなかった。 このように民主主義が根付いてきている国でもある。 ベナン共和国 略史<資料出所:外務省> 年月略史1946年仏海外領土1960年8月独立宣言(ダホメ共和国)1963~1972年5度の軍事クーデター1972年10月ケレク大統領就任1975年11月国名変更(ベナン人民共和国)1979年11月国民革命議会人民委員選挙(民政移管)1989年12月マルクス・レーニン主義放棄1990年3月1977年共和国基本法を停止国民革命議会解散、国名を「ベナン共和国」に変更新内閣成立ソグロ新首相選出1991年3月ソグロ大統領選出1993年6月最高裁判所設立1996年3月ケレク大統領返り咲き、ウンベジ首相新内閣発足1998年5月ウンベジ首相辞任、ケレク大統領新内閣発表1999年3月国民議会選挙2001年3月大統領選挙、ケレク大統領再選2003年3月国民議会選挙2006年3月大統領選挙、ボニ・ヤイ大統領選出(4月就任)2006年4月新内閣発足2007年5月国民議会選挙2008年10月内閣改造2009年6月内閣改造2011年3月ボニ・ヤイ大統領再選(4月就任)2011年5月新内閣発足(ベナン その2 に続く)
Sep 21, 2012
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(ニジェール その1 から続く) 首都ニアメ(Niamey)標高:268m人口:77万人(2006年)干魃により農業で立ち行かなくなった農民の流入で過密東京からの大気圏距離:12,978km時差:JST-8時間サマータイムなし民族ハウサ族(55-60%)、ジェルマ・ソンガイ(20-24%)族、カヌウリ族、トゥアレグ族、トゥープー族、プール族等言語仏語(公用語)、ハウサ語等宗教イスラム教(80%)、キリスト教、原始宗教政体共和制半大統領制から大統領制へ。度重なるクーデターが2010年にも起こり、その後民主化されたと言え、見通しが立ちにくい。元首マハマドゥ・イスフ大統領(2011/3)直接選挙、任期5年、3選禁止規定は新憲法で撤廃。首相及び閣僚は大統領により任命。議会一院制(国民議会113議席、直接選挙)複数政党制与党:左派のニジェール民主社会主義党(PNDS)野党は、前政権の中道右派の社会発展国民運動(MNSD)、そして中道の民主社会会議(CDS)の2党が有力政権首相 ブリジ・ラフィニ、外相 モハメド・バズム軍事陸軍 5,200人、空軍 100人、憲兵隊 1,400人、国家警察 1,500人、共和国防衛隊 2,500人、計 10,700人(2006年)主要産業農林漁業、鉱業、サービス業 <伝統的な農牧業(綿などの工芸作物、牛・羊などの肉・皮革)と1970年代半ばより急成長したウラン産業が外貨収益の柱。2007年には、以上でGDPの4割、輸出額の8割を占める。世界最貧国の1つ。>北部地域には、世界で二番目の埋蔵量のウラン鉱山があるが、武装勢力の度重なる破壊活動が観光も含めて産業に陰を落としている。GNIGDP:億ドル54億ドル(2009年)60億ドル (2011年)一人当たりGNI一人当たりGDP340ドル(2009年)399ドル (2011年)実質GDP成長率7.0%(2009年)2.3%(2011年)物価上昇率4.3%(2009年)2.9%(2011年)財政収支/GDP比▼2.3%(2011年)経常収支(国際収支)▼ 17.2億ドル(2011年)<常に輸入超過の赤字状態で、干魃の翌年には大きい>貿易額:輸出10億ドル(2009年)同 :輸入18億ドル(2009年)貿易品目:輸出ウラニウム、畜産、ササゲ豆(2009年)<ネタ帳>ウラニウム、畜産、タマネギ、金<2007年>ウラン69.8%,金13.8%,畜産物8.2%,農産物4.2%,その他4.0%同 :輸入資本財、食品、石油製品(2009年)<ネタ帳>資本・中間財、食品、消費財、石油製品<2007年> 農産物や加工食品、油脂など食糧品が多くを占める。農産物の内では穀物が37%(米がその7割)、石油などの鉱業生産品がこれに次ぐ。貿易相手国:輸出仏、ナイジェリア、米、ガーナ(2009年)<ネタ帳>日本、ナイジェリア、仏、米<2007年>ウラン・・仏、日本家畜・・ナイジェリアタマネギ・・コートジボアール同 :輸入中国、仏、蘭、アルジェリア(2009年)<ネタ帳>仏、ナイジェリア、中国、仏領ポリネシア<2007年>米・・パキスタン、中国、ベトナム、ナイジェリア石油・セメント・・ナイジェリア乳製品・・仏、蘭精糖・・仏、ブラジル対日輸出4300万円(2009年) 内訳測定・検査機器等対日輸入15億円(2009年) 内訳再輸出品、ダンプカー対外債務(世銀) 9億ドル(2009年)2000年12月、国際通貨基金(IMF)などは貧困削減対策として、ニジェール政府が背負う8億9,000万ドルの債務免除,7,600万ドル融資決定。政府総債務残高/GDP比 18.9%(2011年)政府純債務残高/GDP比 4.2%(2011年)主要援助国(2009年)仏 68百万ドル米 46スペイン 24ベルギー 22独 21日本の援助実績2008年度まで有償: 32億円無償:535億円技術:183億円(2010年2月クーデターから一時停滞したが、2011年3月大統領選挙以来正常化)2012年無償協力(食料援助)4億9千万円
Sep 20, 2012
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ニジェール川に沿う二つの国でありながら、異なる歩を辿るのは、 植民地の宗主国の違い(英国=ナイジェリア、仏=ニジェール)、 海の有無(有=ナイジェリア、無=ニジェール)、石油資源の有無 (有=ナイジェリア、無=ニジェール)が主な理由である。 ニジェールについては、クーデターが続発しており、治安情勢は 今ひとつの様子。 農業に於ける事情は、海外農業開発調査研究No.78 「ニジェールの農林業2009年」に詳しく分析されている。 ニジェール共和国略史<資料出所:外務省> 年月略史7~12世紀ソンガイ、ガオ、マリ、ボルヌー諸王国の抗争時代17~19世紀トゥアレグ、プール族の支配1958年9月フランス共同体に加盟1958年12月共和国宣言1960年8月独立、デイオリ初代大統領選出1974年セイニ・クンチェ中佐による軍事クーデター軍事政権樹立1987年11月クンチェ議長の死去に伴い、サイブ政権成立。1989年9月国民投票で新憲法承認1989年12月選挙によりサイブ大統領選出、民政移管1990年11月複数政党制導入1993年2月議会選挙及び同年3月大統領選挙(ウスマン大統領選出)1996年1月マイナサラ参謀長による軍事クーデター、2月民政移管宣言1996年5月新憲法採択、7月大統領選挙及び11月国民議会選挙1999年4月マイナサラ大統領暗殺1999年7月新憲法国民投票1999年11月大統領選挙(タンジャ大統領選出)、国民議会選挙2004年12月大統領選挙(タンジャ大統領再選)、国民議会選挙2007年6月内閣不信任案可決、セイニ・ウマル内閣発足2009年8月大統領三選を可能とする新憲法が国民投票採択、10月国民議会選挙2010年2月軍部がタンジャ大統領を拘束、「暫定政権」が発足2011年3月大統領選挙(イスフ氏が大統領に選出) <資料出所:外務省、WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳、海外農業開発調査研究No.78など> 国名ニジェール共和国République du Niger(仏語)<サハラ砂漠の南に位置する内陸国> 幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)161位人間開発指数186位/187国(2011年)人間開発指数174位/177国(2007年)最も貧しい国 国連開発計画(2007年)通貨CFAフラン655.957CFAフラン=1ユーロ(固定レート)国旗オレンジはサハラ砂漠の北部、白は純潔、緑は希望と肥沃な南部を示している。中央の円は太陽を表す。国の標語Fraternité, Travail, Progrès(フランス語: 友愛、労働、進歩)面積:平方キロと特徴1,267,000平方km日本の約3.4倍であるが、その7割以上をサハラ砂漠が占め、年平均気温30度の「世界で最も暑い地域」の一つ。国の位置と輸送問題西アフリカのサハラ砂漠南縁のサヘル地帯に位置する内陸国であり、アルジェリア、マリ、ブルキナファソ、ベナン、ナイジェリア、チャド、リビアと隣接する。ニジェール川地域(現地遊牧民がn'egiren 川と呼んでいたのがラテン語の「黒」を意味するnigerに転化)を示すが、ナイジェリアもニジェールも植民地の旧宗主国の違いにより、独立時にそれぞれ、別々の国を指す「呼び方」となった。首都ニアメから最も近い海岸港のあるコトヌまででも約1000km、コートジボアールのアビジャンまでは1500km 以上の距離がある。国際河川であるニジェール川も水位が低いため、大型船などの航行は不可能であり、更には、広大なサハラ砂漠が北アフリカへの陸路での道のりを困難なものとしている。人口:千人15,290千人(2009年)15,090千人(2011年)人口密度:/平方キロ12人(ニジェール その2 に続く)
Sep 20, 2012
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(ナイジェリア その1 から続く) 主要産業原油、天然ガス、農業等総歳入の約71%、総輸出額の約88%を原油に依存。OPEC第7位(2010年)の産油国。国内の石油精製設備が不十分であるため、原油を輸出して、不足する石油製品を輸入する貿易構造。GNIGDP:億ドル1,768億ドル(2010年)2,389億ドル(2011年)一人当たりGNI一人当たりGDP:1,180ドル(2010年)1,490ドル(2011年)実質GDP成長率7.8%(2010年)7.2%(2011年)物価上昇率 13.7%(2010年) 10.8%(2011年)失業率 23.9%(2011年)財政収支/GDP比 1.1%(2011年)外貨準備高352億ドル(2011年)<金を除く>政府総債務残高(対GDP比)17.9%(2011年)政府純債務残高(対GDP比)9.9%(2011年)経常収支(国際収支)148億ドル(2011年)貿易収支(国際収支)319億ドル(2011年)貿易額:輸出743億ドル(2010年)A 1,087億ドル(2011年)・・・A*伸び率で推定 伸び率 46.3%<現地通貨>同 :輸入539億ドル(2010年)B 813億ドル(2011年)・・・B*伸び率伸び率 50.9%<現地通貨>貿易品目:輸出原油及び天然ガス、産業用品(2010年) 鉱物性生産品 86.8%(原油 71.2%),プラスチック・ゴム生産品 6.4%、加工食品・飲料品など 1.5%,輸送機器・同関連品 1.2%,卑金属・同製品 1.0%(2011年)同 :輸入機械、電気機器、輸送機器(2010年)<ネタ帳>産業用品(加工品)、輸送機器 機械・電気機器・同製品 19.9%,鉱物性生産品 18.6%,輸送機器・同関連品 14.3%,プラスチック・ゴム生産品 9.2%,植物性生産品8.9% (2011年)貿易相手国:輸出米、印、ブラジル(2010年)<ネタ帳>米、スペイン、ブラジル、コートジボワール 米 23.0%,ブラジル 8.6,英国 6.4%(2011年)同 :輸入米、中国、仏(2010年)<ネタ帳>中国、蘭、米、英 米 16.0%,中国 13.6%,仏 5.6%,独 5.2%,日本 4.9%(2011年)対日輸出474億円(2010年) 5億52百万ドル(2010年)FOB=A 16億72百万ドル(2011年)FOB=BB/A 3.0倍 内訳原油、液化天然ガス等(2010年) 液化天然ガス 81.0%,原油 12.4%,ゴマ 3.7%(2011年)ゴマの最大の相手国は日本。対日輸入 589億円(2010年) 6億68百万ドル(2010年)CIF 6億23百万ドル(2011年)CIF 内訳鉄鋼、乗用車等(2010年) 輸送機器 30.1%,鉄鋼 24.0%,一般機械 13.4%,合成繊維の長繊維のトウ 7.8%,電気機械 7.5%,ゴム製品 4.4%(2011年)直接投資受入額63億ドル(2011年)主要援助国2008年米 364百万ドルデンマーク 82英 47日 29独 28日本の経済援助2009年度まで(1999年の民政移管後、援助再開)有償:783億円(債務繰延、債務免除を除く)無償:399億円技術:124億円
Sep 19, 2012
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アフリカ随一の人口・経済大国、OPEC石油国でもあり、サブ・サハラをリードしている。過去に、放漫財政から苦境に立ったが債務免除で救われている。全く関係がないが、小生には、大統領の名前が、食事に行ったスカイラーク系レストラン 「ジョナサン」と同じなのが憶えやすい。副知事から知事へ、副大統領から大統領へと昇格するという、 強運の持ち主で、First Nameの「グッド・ラック」な方に聞こえる。日本は、この国からの輸入を見ると、原子力発電所の停止で、2011年には、火力発電所用LNG(輸入の8割)が、数量で3.1倍(金額で4.8倍)と大幅に増加。原油(輸入の12%)も数量で70%(金額で2.6倍)と急増。輸入割合では3.7%でしかないが、日本は前年に続き、ゴマの最大輸入相手国である。「渡航の延期勧告」が北部(カノ州の滞在者は早期退避)、南部で 出され、他の地域も渡航是非の検討が必要。イスラム過激派組織の爆弾テロ事件などが多発し、英国などは南部のナイジャーデルタ地域に高・脅威度を勧告。さらに、熱帯病、ラッサ熱などの感染にも注意が必要。ナイジェリア連邦共和国略史<外務省> 年月略史1960年10月独立1963年10月共和制移行1966~1993年軍事クーデター(7回)、ビアフラ内戦(1967~1970年)、第二共和政(1979~1983年)1993年11月アバチャ軍事政権成立1998年6月アバチャ元首急死、アブバカール軍事政権成立1999年5月オバサンジョ大統領就任2003年5月オバサンジョ大統領再任2007年5月ヤラドゥア大統領就任2010年5月ヤラドゥア大統領の逝去に伴い、ジョナサン副大統領が大統領に就任2011年4月大統領選挙において、ジョナサン大統領が当選 <資料出所:外務省、JETRO,WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳など>国名ナイジェリア連邦共和国<アフリカ随一の人口・経済大国> 幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)120位通貨ナイラ1ドル=約150ナイラ国花国章に描かれている黄色の花Costus spectabilisオオホザキアヤメ科オオホザキアヤメ属の多年性草本植物国旗緑・白・緑の垂直三分旗である。緑は森林と天然資源、農業を表し、白は平和、統合を表す。国の標語Unity and Faith, Peace and Progress(英語: 統一と信頼、平和と前進)面積:平方キロ923,773平方km日本の約2.5倍人口:千人1億5,830万人(2010年)1億6,034万人(2011年)(サブ・サハラ・アフリカ全体の約20%と推定)国の位置北にニジェール、北東にチャド湖を挟みチャド、東にカメルーン、西にベナンと国境を接する。南は大西洋のギニア湾に面し、かつては「奴隷海岸」と呼ばれた。人口密度:/平方キロ174人(2011年)首都アブジャ(1991年12月に1千万超都市ラゴスより遷都)市街地中心部分(官庁・オフィス街)のマスタープランは、日本の建築家丹下健三人口:推計108万人東京からの大気圏距離:12,979km時差:JST-8時間サマータイムなし <参考> ラゴス市:都市地域人口1085万人(2011年)アフリカではカイロに次ぐ第2位。世界第25位。 ラゴスはラグーン(潟湖)を囲むいくつかの島からなる近代都市。多国籍企業の活動拠点。大規模なスラム街、交通渋滞都市でもある。民族ハウサ人、ヨルバ人、イボ人等(民族数は250以上と推定)言語英語(公用語)、各民族語宗教イスラム教-北部中心、キリスト教-南東部中心、伝統宗教-全域政体<民主化の進展>連邦共和制(大統領制)イギリス連邦加盟国大統領グッドラック・エベレ・ジョナサン(国民民主党)→ムハンマド・ブハリ(全進歩会議)大統領2015.3.31選挙開票 議会二院制政権首相格 なし、<アフリカの代表を自認し、西アフリカを中心としてアフリカ各地で積極的外交を展開>軍事予算 約10.49億ドル、兵役 志願制、兵力 正規80,000人(陸62,000、海8,000、空10,000)(2010年版ミリタリーバランス)(ナイジェリア その2 に続く)
Sep 19, 2012
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(チャド その1 より続く) <資料出所:外務省、WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳など>国名チャド共和国<アフリカ中央部の内陸国-アラブとアフリカの接点> 幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)159位通貨CFAフラン1ユーロ=655.957CFAフラン(2002年1月以降)国旗フランスのトリコロール(三色旗)のうち、白を汎アフリカ主義のシンボルカラーの一つである黄色に置き換えている。各色の意味は以下の通り。青 - 空、希望、農業、チャド湖の水 黄 - 太陽、大地(サハラ砂漠) 赤 - 進歩、統一、血国の標語Unité - Travail - Progrès(フランス語: 統一 - 労働 - 進歩)面積:平方キロ1,284,000平方km日本の約3.4倍国の位置アフリカ中央部の内陸国家。スーダン、中央アフリカ、カメルーン、ナイジェリア、ニジェール、リビアと国境を接する。人口:千人11,500千人(2011年)人口密度:/平方キロ9人首都ンジャメナ(N'Djamena)人口:99万人(2009年)「ン」で始まる唯一の首都標高:298m東京からの大気圏距離:12,164km時差:JST-8時間サマータイムなし民族サラ族,チャド・アラブ族,マヨ・ケビ族,カネム・ボルヌ族,その他言語仏語,アラビア語(公用語)宗教イスラム教(54%),カトリック(20%),プロテスタント(14%)他政体共和制元首イドリス・デビー・イトゥノ大統領議会国民議会(188議席)政権首相 エマニュエル・ナディンガール、外相 ムーサ・ファキ・マハマット<東部地域情勢は不透明><仏を中心とした西側諸国、中国との外交に注力>軍事予算 1億2,600万ドル、兵役 徴兵制度、兵力 25,350人(陸軍17,000~20,000人,空軍350人,憲兵隊9,500人)、(ミリタリーバランス2012年)主要産業農業(綿花),牧畜業,原油<石油資源(埋蔵量約10億バレル)の開発は明るい話題>GNIGDP:億ドル69億ドル(2010年)93.4億ドル(2011年)一人当たりGNI一人当たりGDP:ドル620ドル(2010年)892ドル(2011年)実質GDP成長率4.3%(2010年)1.6%(2011年)物価上昇率 10.0%(2009年) 1.9%(2011年)財政収支/GDP比3.2%(2011年)政府総債務残高/GDP比32.1%(2011年)経常収支(国際収支)▼16.5億ドル(2011年)貿易額:輸出41.1億ドル(2011年)同 :輸入35.1億ドル(2011年)貿易品目:輸出石油,畜産物,綿花(2011年)同 :輸入石油関連,非石油関連,公共事業(2011年)貿易相手国:輸出米,中国,蘭,独(2010年)<ネタ帳>米、中、韓国、タイ、ポルトガル同 :輸入中国,仏,カメルーン,米(2010年)<ネタ帳>仏、カメルーン、米、独、サウジアラビア対日輸出0.11億円(2011年) 内訳ゴム,機械部品,(2011年)対日輸入 1.20億円(2011年) 内訳機械,タイヤ,モーターサイクル(2011年)主要援助国2010年米仏独オーストリアスイス日本の経済援助2010年度まで有償: なし無償:72億円技術: 8億円<チャドの安定化と共に緊密化が期待>
Sep 18, 2012
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アラブとアフリカの接点にある内陸国と言われ、首都は日本語で 珍しいとされる「ン」で始まる「ンジャメナ」である。 この首都は、棗椰子と岩塩の集散地であった。 「ン」で始まる地名、人名は、日本にはなくて、アフリカには多いが、 「尻取り遊びの好きな日本人には不思議」である。 また、小生には、エジプトからアフリカ大陸が始まると思っていたが、 地理的にはそうであっても、国情的に、エジプトなどの地中海南岸 地域をマグレブ(北アフリカ地域)と呼び、サハラ以南を(ブラック) アフリカと言うような二段階があるように感じる。 サハラ以南では、北東部分から西南にかけてイスラム教徒割合が キリスト教徒割合に比べて少なくなっていて、逆は逆のような気が するが、大雑把で間違いかもしれない。 リビングストンのような探検家でないと分け入れない奥地にまで 積極的にキリスト教を布教活動した努力は「物凄いエネルギー」 であろう。 奴隷貿易などの負の世界遺産、西欧列強のアフリカ分割の禍根を 残してはいるが・・・・・ 小生は脳幹梗塞のリハビリ中でもあり、木目細かな分析は無理。 略史<外務省> 年月略史16世紀ボルヌー王国1910年仏領赤道アフリカ・チャド州1958年共和国宣言1960年8月独立1962年4月トンバルバイ大統領が就任1978年8月マルーム大統領が就任1979年11月ウェディ大統領が就任1982年10月ハブレ大統領が就任1990年12月反政府軍による政変,ハブレ亡命1991年3月デビー大統領が就任1996年3月新憲法を国民投票で採択1996年7月大統領選挙(デビー大統領当選)2001年5月大統領選挙(デビー大統領再選)2002年4月国民議会選挙2004年5月憲法改正により,大統領再選回数制限を撤廃2006年5月デビー大統領3選2011年4月デビー大統領4選(チャド その2 に続く)
Sep 18, 2012
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(中央アフリカ その1 より続く) <資料出所:外務省、WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳など>国名中央アフリカ共和国 幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)145位通貨CFAフラン1ユーロ=655.957CFA(2002年1月以降)国旗フランスとアフリカの融合を理想と考えたバルテレミー・ボガンダによりデザインされた。フランスの国旗の三色である赤・白・青と、汎アフリカ色の赤・黄・緑を合わせた合計5色が使用されている。赤は独立を勝ち取り国を守る国民の血、青は空と自由、白は平和と尊厳、緑は希望と誠実、黄は忍耐を象徴している。国の標語Unité, Dignité, Travail(フランス語:統一、尊厳、労働)面積:平方キロ623,000平方キロメートル(日本の約1.7倍)テキサス州よりやや広い国の位置北東にスーダン、東に南スーダン、南にコンゴ民主共和国、南西にコンゴ共和国、西にカメルーン、北にチャドと国境を接する内陸国である。大部分が海抜500mの平坦地。人口:450万人(2011年)474万人<ネタ帳>人口密度: <ネタ帳>8人/平方キロ首都バンギ人口:53万人(2003年)標高:402m(コンゴ川支流の大型船通行上限)東京からの大気圏距離:12,472km時差:JST-8時間サマータイムなし民族バンダ族,バヤ族,サラ族,ヤコマ族,サンゴ族,バカ族,ピグミー族他。言語サンゴ語というアダマワ・ウバンギ系の言語(公用語,国語),フランス語(公用語)宗教カトリック(約25%),プロテスタント(約25%),伝統的宗教(約35%),イスラム教(約1%)<WIKIPEDIA>伝統的宗教が24%、プロテスタントが25%、ローマ・カトリックが25%、イスラム教が15%、その他が11%政体共和制大統領制(直接選挙)元首フランソワ・ボジゼ・ヤングヴォンダ大統領任期:5年、3選禁止。議会一院制(105議席)政権与党:国民集合クワ・ナ・クワ(KNK)内閣に相当するものとして閣僚評議会首相(国民議会選出) アルシャンジュ・フォースティン・トウアデラ、外相 アントワーヌ・ガンビ軍事予算 51百万ドル、兵役 選抜徴兵制(2年間)、兵力 3,150人(陸軍2,000人,空軍150人,憲兵隊1,000人)(ミリタリーバランス2012年)<WIKIPEDIA>反政府武装勢力として「民主復興人民軍」(APRD)があり、主に北部を拠点に活動している。主要産業農業(綿花,コーヒー,タバコ)、林業(木材)、鉱工業(ダイヤモンド,金,食品加工,木材加工)<WIKIPEDIA>農業など第一次産業が主。資源はダイヤモンドやウラン、金などを産出し、綿花やコーヒーと共に主要輸出品となっている。しかし、資源が多いにもかかわらず人口の9割は一日2ドル以下で生活している状況である。GNIGDP:億ドル21億ドル(2010年)22億ドル (2011年)一人当たりGNI一人当たりGDP:ドル470ドル(2010年)456ドル(2011年)実質GDP成長率3.3%(2010年)3.1%(2011年)物価上昇率1.5%(2010年)0.7%(2011年)財政収支/GDP比▼2.4%政府総財務残高/GDP比40.9%経常収支(国際収支)▼1.5億ドル貿易額:輸出1.7億ドル(2011年)同 :輸入3.8億ドル(2011年)貿易品目:輸出木材,ダイヤモンド(2011年)<ネタ帳>木材,ダイヤモンド、綿花、コーヒー同 :輸入石油,公共投資計画(2011年)<ネタ帳>資本財、燃料貿易相手国:輸出ベルギー,中国,モロッコ,コンゴ(民)(2010年)<ネタ帳>ベルギー、スペイン、仏、中国同 :輸入蘭,韓国,仏,カメルーン(2010年)<ネタ帳>仏、蘭、米、カメルーン対日輸出1.24億円(2011年) 内訳木材,みつろう対日輸入 3.14億円(2011年) 内訳工具,自動車主要援助国2009年米仏独日本スウエーデン日本の経済協力2010年度まで有償: 6億円無償:378億円技術: 28億円
Sep 17, 2012
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かつて、植民地として「ウバンギ・シャリ」その後、「仏領赤道アフリカ」と呼ばれた国(一時は軍政下のチャドを組み入れたが分離)。ウバンギとはコンゴ川支流の名、シャリとははチャド湖に流入する川の名である。独立後暫くして、ボカサ大統領が皇帝を名乗り(「黒いナポレオン」と言われた)、国家予算の1/4を費やす仏風・戴冠式を挙行したため、外遊中にクーデターが発生、仏の介入で共和制復活、新憲法制定、複数政党制導入がなされた。国境近くの首都バンギまでは大河であるが、上流が急流となって大型船を阻み、国内の輸送コスト高く、度重なる政情不安からも経済は低迷が続いている。資源国ながら、9割の国民は2ドル/日以下の生活である。中央アフリカ共和国略史<資料出所:外務省> 年月略史1960年8月独立,ダッコ大統領選出1966年1月クーデターによりボカサ参謀総長(中佐)大統領就任1976年12月帝制宣言。ボカサ大統領,皇帝(中央アフリカ帝国ボカサ一世)となる。1979年9月クーデター発生。共和制復活(ダッコ大統領再就任)1981年9月クーデターによりコリンバ参謀総長が国家再建軍事委員会議長に就任。1986年11月国民投票により新憲法採択。コリンバ大統領選出。1987年7月国民議会選挙1991年7月憲法改正により複数政党制成文化,政党法成立。1992年10月大統領・国民議会選挙実施後無効宣言。1993年8月大統領・国民議会選挙(再選挙)1993年10月パタセ新大統領就任1996年4月給与遅配に反対する国軍の一部兵士による騒擾事件1996年5月武器返還に対し国軍の一部兵士による武力抗議行動1996年11月大統領辞任等を要求する国軍の一部兵士による実力行動1997年6月アフリカ仲介軍と旧反乱兵士の間に戦闘勃発1998年4月国連PKO(MINURCA)派遣1998年11-12月国民議会選挙1999年9月大統領選挙,パタセ大統領再選2000年2月MINURCA撤退,国連平和構築事務所(BONUCA)設立2001年5月一部国軍兵士によるクーデター未遂事件2001年11月ボジゼ元参謀長派兵士と大統領親衛隊との間の武力衝突事件2002年10月ボジゼ元参謀長派兵士と大統領親衛隊との間の武力衝突事件2003年3月ボジゼ元参謀長によるクーデターが発生。自ら「大統領」と宣言し,憲法を停止。「国家暫定評議会」を設立。2004年12月新憲法を国民投票で採択2005年3-5月大統領選挙,国民議会選挙を実施2005年6月ボジゼ大統領就任,エリー・ドテ内閣組閣2011年1月大統領選挙,ボジゼ大統領再任(中央アフリカ その2 に続く)
Sep 17, 2012
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(カメルーン その1 から続く) <資料出所:外務省、国務省、WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳など>国名カメルーン共和国 幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)138位通貨CFAフラン1ユーロ=655.957CFA(2002年1月以降)国旗(WEB説明2種)1.緑は国の南部の森林地帯、黄は輝く太陽と北部のサバンナ、中央の赤は両者の団結と耕作地帯、星は栄光を象徴。2.赤は中央サバンナを、黄色は北のサハラ砂漠を、中央の星はカメルーン全土統一の願いを表す。国の標語Paix, Travail, Patrie(フランス語: 平和、労働、祖国)面積:平方キロ475,440平方km日本の1.26倍国の位置西にナイジェリア、北東にチャド、東に中央アフリカ共和国、南東に今後共和国、南にガボン、南西に赤道ギニアに隣接し、南西部が大西洋のギニア湾に面する。人口:千人19,500千人(2009年)20,930千人(2011年)人口密度:/平方キロ44人(2011年)首都ヤウンデ人口:143万人(2005年)標高:750m東京からの大気圏距離:13,084km時差:JST-8時間サマータイムなし民族ドゥアラ族、バミレケ族、バムン族、フルベ族他言語フランス語、英語(共に公用語)、その他各部族語宗教カトリック、プロテスタント、イスラム教、その他伝統宗教<キリスト教徒53%のうちローマカトリック25.1%、伝統的宗教23%、イスラム教徒22%。プロテスタントは100万人。資料:米国国務省USSD>政体共和制英連邦加盟国元首ポール・ビヤ大統領<ビヤ大統領の長期政権>大統領は、総理大臣を含む全ての大臣を任命、10の県知事全員を直接任命するなど行政管理権は強大。憲法上の任期の上限:7年間で2期まで。議会一院制下院比例代表制180名、改選5年毎(憲法上では上院100人、1/3は大統領指名、残りは間接選挙も規定されているが未設置。地方議会も未設置。・・米外務省資料)政権与党:「カメルーン人民民主連合Democratic Rally of the Cameroon People(RDPC)」有力野党・民主革新国民連合National Union for Democracy and Progress(UNDP)との連立政権<UNDPという国連開発計画のUN機関と混同しないことに注意>首相 ヤン・フィレモン(以下も大統領の指名)外相 ムココ・ムボンジョ・ピエール軍事予算 324百万ドル(2007年)(2008年版ミリタリーバランス)、兵役 志願制、兵力 総兵力14,100人(陸軍12,500人、海軍1,300人、空軍300人、(予備隊9,000人))仏との関係深い主要産業農業(ココア、綿花)林業(木材)、鉱工業(石油)、アルミニウム<主要な商業用農産品:ココア、コーヒー、タバコ、綿、バナナ>GNIGDP:218億ドル(2008年)258億ドル(2011年)一人当たりGNI一人当たりGDP1,150ドル(2008年)1,230ドル(2011年)実質GDP成長率3.9%(2008年)4.1%(2011年)物価上昇率1.7%(2008年)2.9%(2011年)失業率20.0%(2008年)財政収支/GDP比▼1.9%(2011年)政府総債務残高/GDP比12.9%(2011年)経常収支(国際収支)▼9.1億ドル(2011年)貿易額:輸出36.80億ドル(2007年)同 :輸入36.19億ドル(2007年)貿易品目:輸出原油、ココア、アルミニウム、綿花(2007年)同 :輸入鉱物・原料等、中間加工品、飲食物・タバコ、消費財(2007年)貿易相手国:輸出スペイン、伊、仏、英(2005年)同 :輸入仏、ナイジェリア、ベルギー、米(2005年)対日輸出3.28億円 内訳木材、コルク、実綿、コーヒー豆等対日輸入 42.76億円 内訳自動車、機械機器主要援助国 仏 113百万ドル独 110米 16日 16スペイン 13日本の経済援助2009年度まで有償:141億円無償:237億円技術: 44億円
Sep 16, 2012
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W杯サッカーでは大分県の中津川村で合宿して、楽しい話題を 提供してくれた、明るい旗が印象的な国である。 大統領は、長期の絶対的な治世を続けている。 国連の機関に似た政党の略称があったが、仏語と英語の 並び方の相違で、UNとは無関係と判った次第。 呆けの小生には、大統領の任期が7年で2期までというのが、 既に4期目であるような気がするが、選挙を経由しており、 これが現実の国情というものだろう。 日本のように、任期が有りながらも、猫の目の首相交代劇場は 受験生でなくとも、困りものだ。 立派な人物が国に一人だけが良いのか、国民が信託できない 行いをするように見える首相が次々に現れる日本が良いのかは、 亀のように長生きできる者でないと判断できないだろう。 「亀」のように、気長にこの国の行く末を見つめよう。 それにしても、日本の行く末の方が心配になる。 今後の日本には、将来を見据えた、素晴らしいマニフェストを 絶えず創り、命懸けで、守ることに責任を持つ首相が現れることを 期待したい。 現れると言うことは、改心することでもいいのだが・・・・・ 略史<外務省など> 年月略史(1884年)(独の保護領になり、1916年第一次世界大戦で独政府転覆、3年後に英・仏影響下の地域に2分、1922年国連委任統治領として、仏・英に委任、その後信託統治された。仏の部分が非常に大きい。)1960年1月仏領カメルーン独立(the Republic of Cameroon)1960年5月アヒジョ初代大統領就任1961年2月英信託統治地域の一部が人民投票により西カメルーンになる。1961年10月西カメルーン独立、旧仏領カメルーンとともにカメルーン連邦共和国 the Federal Republic of Cameroonが成立し、旧仏領の東カメルーン州、旧英領の西カメルーン州からなる。1972年5月連邦制を廃し、「カメルーン連合共和国 the United Republic of Cameroon」に。1982年11月アヒジョ大統領辞任。ビヤ首相、大統領就任。1984年1月ビヤ大統領再選。国名を「カメルーン共和国Republic of Cameroon」に。1988年4月ビヤ大統領再選1990年12月複数政党制導入1992年10月ビヤ大統領再選1996年1月地方選挙で野党側が勝利1997年5月国民議会選挙1997年10月ビヤ大統領再選2002年6月国民議会選挙及び地方議会選挙2004年10月ビヤ大統領再選2011年10月ビヤ大統領再選 (カメルーン その2 に続く)
Sep 16, 2012
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(サントメ・プリンシペ その1 より続く) <資料出所:外務省、WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳など>国名サントメ・プリシペ民主共和国<ギニア湾上に浮かぶ小島国> 幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)60位通貨ドブラ(Dobra)1米ドル=19,641ドブラ(2010年平均、EIU)国旗汎アフリカ色の赤・黄・緑の色が使用され、2つの黒い星はサントメ島とプリンシペ島および黒人国家を示している。緑は森林、黄色は豊かな国土、赤は独立を表す。国の標語Unidade, Disciplina, Trabalho(ポルトガル語: 統一、規律、労働)面積:平方キロ1,001平方km東京都の約半分国の位置西アフリカのギニア湾に浮かぶ火山島であるサントメ島、プリンシペ島、そしてその周辺の島々から成る共和制国家。人口:17万人(2010年)人口密度:/平方キロ170人首都サントメ(Sao Tome)人口:43千人(2001年推計)東京からの大気圏距離:13,740km時差:JST-9時間サマータイム無し民族バンツー系及びポルトガル人との混血。ポルトガル人、アンゴラ人(難民移住者)も存在する言語ポルトガル語宗教キリスト教(カトリック70.3%)政体共和制半大統領制元首マヌエル・ピント・ダ・コスタ大統領議会国民議会(55議席)政権国家元首である大統領は、国民の直接選挙により選出される。任期は5年。3選は禁止。首相は国民議会が選出し、大統領が任命する。内閣に相当する閣僚評議会のメンバーは首相の指名に基づき、大統領が任命する。 ADI(独立民主運動)首相 パトリス・エメリー・トロヴォアダ外相・共同体相 マニュエル・サルヴァドール・ドス・ラモス軍事予算 52百万ドブラ(1987年)、兵役 あり(30ヶ月)、兵力 約600名(1995年)、空軍はない主要産業農業(カカオ豆、コプラ、バナナなど)近年の調査により同国周辺海域で石油鉱床の存在を確認GNIGDP:億ドル197百万ドル(2010年)250百万ドル(2011年)一人当たりGNI一人当たりGDP:ドル1,200ドル(2010年)1,473ドル(2011年)実質GDP成長率4.5%(2010年)4.9%(2011年)物価上昇率12.9%(2010年)14.3%(2011年)失業率16.7%(2006年)14.7%(2011年)財政収支/GDP比▼10.7%(2011年)経常収支(国際収支)▼80百万ドル貿易額:輸出(2010年)14.8百万ドル同 :輸入(2010年)119.7百万ドル貿易品目:輸出(2009年)カカオ豆、綿、再輸出品<ネタ帳>カカオ豆、コーヒー同 :輸入(2009年)食料品、石油製品<ネタ帳>食糧品、資本財、石油製品貿易相手国:輸出(2010年)蘭、ベルギー、仏、タイ<ネタ帳>日本、ベルギー、蘭、ポルトガル同 :輸入(2010年)ポルトガル、マレーシア、蘭、ガボン<ネタ帳>ポルトガル、ベルギー、日本、ガボン対日輸出318万円 内訳カカオ豆等対日輸入1億7948万円 内訳再輸出品、自動車等主要援助国2008年ポルトガル日本仏ベルギー日本の経済援助2009年度まで有償:0無償:52億円技術: 7億円
Sep 15, 2012
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マヌエル・ピント・ダ・コスタ現大統領は、サントメ・プリンシペ解放 運動社会民主党(MLSTP)の一党制社会主義国家を築いた頃の 初代大統領の再選であり、アンゴラとも親しい。 現首相は、中道派与党独立民主運動(ADI)の党首であり、ADI から立候補した大統領候補が、無所属で出馬したピント・ダ・コスタ 大統領に敗れている。 政体は、半大統領制であり、1980年代以降社会主義から親西欧・ 親米に舵を切っている。 サントメ・プリンシペ民主共和国 略史<外務省> 年月略史1975年7月ポルトガルから独立、ダ・コスタ大統領就任1985年10月ダ・コスタ大統領3選1988年3月クーデター未遂事件発生1990年8月憲法改正(複数政党制への移行)1991年3月大統領選挙(トロヴォアダ大統領選出)1994年10月総選挙実施1996年7月大統領選挙(トロヴォアダ大統領再選)1998年11月国民議会議員選挙2001年7月大統領選挙(デ・メネゼス大統領選出)2002年3月国民議会議員選挙2003年7月クーデター未遂事件2006年3月国民議会議員選挙2006年7月大統領選挙(デ・メネゼス大統領再選)2009年2月クーデター未遂事件2010年8月国民議会議員選挙2011年8月大統領選挙(ピント・ダ・コスタ大統領選出)(サントメ・プリンシペ その2 に続く)
Sep 15, 2012
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(赤道ギニア その1 より続く) 国の位置赤道直下のギニア湾に浮かぶビオコ島、アンノボン島、および大陸部のリオ・ムニ(ムビニ)とエロベイ・グランデ島及びエロベイ・チコ島を併せたエロベイ諸島から成る共和制国家。ムビニは北にカメルーン、南と東にガボンに隣接する。人口:千人700千人(2010年)1,350千人(2011年) 人口密度:/平方キロ48人(2011年)首都マラボ(Malabo)(ビオコ島北部に位置する)人口:1995年3万人→10万人東京からの大気圏距離:13,310km時差:JST-8時間サマータイムなし 民族ファン族、ブビ族、コンベ族、ベレンゲ族等言語スペイン語(公用語)、仏語(第2公用語)、ポルトガル語(第3公用語)、ファン語、ブビ語宗教キリスト教(99%)、伝統宗教政体共和制元首テオドロ・オビアン・ンゲマ・ンバゾゴ大統領議会一院制(国民議会、100議席、任期5年)(2012年2月に公布した改正憲法に従い、今後、上院議会を設置し二院制に移行予定。)政権与党:赤道ギニア民主党第1副大統領 イグナシオ・ミラム・タング、第2副大統領 テオドロ・ンゲマ・オビアン・マング、首相 ヴィンセンテ・エアテ・トミ、外相 アガピト・ンバ・ムクイ軍事軍事支出 8百万ドル(推定、2009年)、兵役 志願制、兵力 1,320人(陸軍1,100人、海軍120人、空軍100人)主要産業天然ガス、石油木材、ココアが主要産業であったが、1992年に石油・天然ガス生産を開始<ネタ帳>石油、天然ガス、林業GNIGDP:億ドル101.8億ドル(2010年)198.1億ドル(2011年)一人当たりGNI一人当たりGDP14,540ドル(2010年)14,661ドル(2011年)実質GDP成長率0.9%(2010年)7.1%(2011年)物価上昇率7.0%(2010年)7.3%(2011年)貧困率7割財政収支/GDP比▼3.0%(2011年)経常収支(国際収支)▼19.2億ドル(2011年)貿易額:輸出100億ドル(2010年)同 :輸入 57億ドル(2010年)貿易品目:輸出天然ガス、石油、木材<ネタ帳>石油、天然ガス、木材同 :輸入油・ガス掘削用機材等<ネタ帳>石油関連、資本財等貿易相手国:輸出米国、伊、スペイン、韓国<ネタ帳>中国、米、スペイン、仏同 :輸入中国、スペイン、米国、仏<ネタ帳>米、スペイン、コートジボワール、仏対日輸出(2011年)1.1億円 内訳(2011年)液化天然ガス対日輸入(2011年) 6億円 内訳(2011年)油・ガス掘削用機材等主要援助国2009年スペイン 仏カナダ米国日本の経済援助2010年度まで有償: 0無償: 12億円技術: 3億円
Sep 14, 2012
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「ギニア」という言葉は、北アフリカ(マグレブ)・ベルベル語で 「黒い皮膚の人達の土地」の意味であり、他方で、南米の「ギアナ」、 「ガイアナ」はエンジェルフォールの滝で思い出すような「水郷」の 意味があるそうな。 「天使の滝」の意味は、発見した探検家がジェームズ・クロフォード・ エンジェル氏と言うから夢のまた夢のようである。 また、この滝では落差が大きすぎて飛沫が地面に到達せず、 滝壺が無いという、不思議な滝であるらしい。 「黒人の国」といえば、「スーダン」も同じ意味であったように思うが、 アラビア語である。 褐色の民族・アラビア人が「黒人の国=スーダン」と見たのと、 マグレブ(ホワイト・アフリカ)のベルベル人が「黒い皮膚の人の土地 =ギニア」と見たのは、どう違うのか。 サハラ砂漠以南は熱帯の「ブラックアフリカ」なので、東部か西部を とわず、灼熱の太陽のもとにあり、日焼けは強烈であろう。 日本にいる小生には、西日が日焼けに応えるようだ。 遠い国のお話であり、小生などは脱線・混乱してしまいそう。 さて、大陸国で首都が本土になくて、島にあるのは、赤道ギニアの マラボと、デンマークのコペンハーゲンだそうだ。 1人当たり所得は比較的高いが、WIKIPEDIAによると、 「石油ブームの恩恵にあずかっているのは一部の富裕層だけで、 マラボ住民の大半は一日2ドル以下で生活する極貧層であり、 スラムの形成から犯罪の増加も懸念されている。」とある。 赤道ギニア共和国 略史<外務省> 年月略史1968年10月スペインから独立1972年7月マシアス・ンゲマ終身大統領就任1979年8月オビアン・ンゲマ政権成立(クーデター)1982年8月軍政から民政へ移行、新憲法のもとオビアン・ンゲマ氏が大統領に就任1989年6月初の大統領選挙によりオビアン・ンゲマ大統領が信任1993年11月複数政党制下で初の国民議会選挙を実施1996年2月オビアン・ンゲマ大統領再選(3期目)1999年4月国民議会選挙を実施2002年12月オビアン・ンゲマ大統領三選(4期目)2004年3月クーデター未遂事件2004年4月国民議会選挙を実施2008年5月国民議会選挙を実施2009年2月大統領府襲撃事件2009年12月オビアン・ンゲマ大統領四選(5期目) <資料出所:外務省、WIKIPEDIA、世界経済のネタ帳など> 国名赤道ギニア共和国 幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)135位通貨CFAフラン655.957CFAフラン=1ユーロ(固定レート)国旗緑・白・赤の三色の縞に左側に青の三角形がデザインされている。緑はこの国の天然資源とジャングル、青は本土と諸島をつないでいる海、白は平和、赤は独立への苦闘を象徴している。中央の白の縞部分には、国章が使用されている。これは、マングローブの木と、6個の星、及びモットーである「統一・平和・正義(Unidad Paz Justicia)」と言う文字がデザインされている。国の標語Unidad, Paz, Justicia(スペイン語: 統一、平和、正義)面積:平方キロ28,051平方km四国の約1.5倍(赤道ギニア その2 に続く)
Sep 14, 2012
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(ガボン その1 から続く)首都リーブルビル(リーブルヴィル Libreville仏語で「自由都市」)人口:42万人(市域58万人)東京からの大気圏距離:13,517km時差:JST-8時間サマータイムなし民族ファン族(4割)、プヌ族、ミエネ族、テケ族、コタ族。仏人は1万人程度であるが強い影響力有り。最近中国移民を受け入れているが、国民の間で摩擦有り。言語仏語(公用語)ファン語などのバントゥー語群の言語、アダマワ=ウバンギ語派のバカ語が使われる。宗教キリスト教、伝統的宗教、イスラム教(1%)<WIKIPEDIA>カトリック中心のキリスト教73%、イスラム教12%、伝統宗教10%、無神論5%政体共和制大統領制元首アリ・ボンゴ・オンディンバ大統領(前・長期政権の息子で3代目)直接選挙で選出され、任期は7年と長く、また再選制限がない。強大な権力を憲法で保障され、行政権の長である。議会二院制(国民議会、上院議会)政権与党:ガボン民主党(PDG)<実質的な一党独裁>内閣に相当する閣僚評議会の、首相以下閣僚は大統領の補佐機関に過ぎない。首相 レイモン・ンドン・シマ、外相 エマニュエル・イソゼ・ンゴンデ軍事予算 2億5千万ドル(2010年)、兵役 無し(志願兵制)、兵力 4,700人(陸軍3,200人、海軍500人、空軍1,000人)、(2011年版ミリタリーバランス)、(駐留仏軍:985人(2011年12月))主要産業鉱業(原油、マンガン)農林業(木材、料理用バナナ)サブサハラ・アフリカにおける有数の産油国(1996年12月末OPEC脱退)である為、比較的豊か。経済の多様化、貧困対策、多額の対外債務の返済(歳入の半分以上を返済金に当てる)、の3つの課題を抱える。石油生産は1997年の日産37万バレルをピークに減少傾向(2010年は日産24.5万バレル)。<ネタ帳>鉱業(原油、マンガン)、農林業(木材、椰子油)<wikipedia>ウラニウム、マンガン、鉄など資源の宝庫GNIGDP:億ドル115億ドル(2010年)162億ドル(2011年)一人当たりGNI一人当たりGDP:ドル7,650ドル(2010年)10,654ドル(2011年)実質GDP成長率5.0%(2010年)5.8%(2011年)物価上昇率1.4%(2010年)1.3%(2011年)財政収支/GDP比2.1%(2011年)政府総債務残高/GDP比20.5%(2011年)経常収支(国際収支)19.4億ドル(2011年)貿易額:輸出93.7億ドル(2010年)同 :輸入25.0億ドル(2010年)貿易品目:輸出原油、マンガン鉱、木材等(2010年)同 :輸入機械部品,発電機,自動車等(2010年)貿易相手国:輸出米、中、マレーシア、豪(2010年)<ネタ帳>米、中、仏、日同 :輸入仏、米、中、ベルギー(2010年)対日輸出525億円(2011年) 内訳石油、マンガン鉱、木材、等(2011年)対日輸入 69億円(2011年) 内訳建設用機械、自動車、タイヤ(2011年)主要援助国2009年仏 54百万ドル米 1.2カナダ 1.0スペイン 0.4韓国 0.1日本の経済援助有償:30億円無償:46億円技術:26億円
Sep 13, 2012
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昨夜は、たまたま、BSで「銀座の恋の物語」を観た。 バックグラウンドの「懐メロ」は映像と共に、「みんなと大勢で」 訪れたハワイアン喫茶(タクトだったかACBだったか?)のある 銀座の青春を思い出させてくれた。 ライオン名のビアホールにも良く行ったものだった。 さて、今日の話題・ガボンは、現大統領に続く長期保守政権、 人口少ない資源国でもあり、中進国並みの1人当たり所得水準。 近年、中国との関係を強めているが、中国移民との摩擦もある。 「Gabon」 というと、2mの太長で、5cm長の猛毒牙を持つ、 三角頭毒蛇・ガボンヴァイパー(ガブーンアダー)がアフリカ 大陸中部から南部のサバンナに生息するが、これに噛まれたら、 致命的だ。 なぜか、これを思い出すのは、小生だけの狭い知識・偏見であろう。 ガボン共和国 略史<資料出所:外務省など> 年月略史(1885年)(先住民はバントゥー族が暮らしていたが、15世紀末にポルトガル人が渡来し、蘭、英、仏が進出、この地は奴隷貿易と象牙の集散地として栄え、1885年に仏が占領した。1910年に仏領赤道アフリカの一部となった。)1960年8月独立(旧宗主国・仏)1961年2月レオン・ムバ初代大統領就任1964年2月クーデター未遂事件1967年11月オマール・ボンゴ大統領就任1973年2月オマール・ボンゴ大統領再選1990年4月複数政党制移行決定し、9月同制度で初の国民議会選挙実施1991年3月新憲法、政党法を国民議会で採択1993年12月複数政党下初の大統領選挙実施、オマール・ボンゴ大統領5選1997年3月二院制へ移行1998年12月オマール・ボンゴ大統領6選(任期7年)2001年12月国民議会選挙実施、2002年1月「開かれた内閣」発足(野党入閣)2005年11月オマール・ボンゴ大統領7選(任期7年)2009年6月オマール・ボンゴ大統領死去2009年10月アリ・ボンゴ大統領就任2010年8月独立50周年2011年12月国民議会選挙実施 <資料出所:外務省、WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳など> 国名ガボン共和国 幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)88位通貨CFAフラン1ユーロ=655.957CFAフラン(固定レート)国旗緑は国の主要な経済を構成する森林を表し、黄色は太陽・赤道を表す。青は船乗りの国家を表す。この国で数十年医療活動を続けたシュバイツァー博士の著書「水と原生林の間で」から着想を得たともいわれている。国の標語Union Travail Justice(フランス語:団結、勤労、公正)面積:平方キロ267,667平方km日本の2/3国の位置中部アフリカに位置し、北西に赤道ギニア、北にカメルーン、南と東にコンゴ共和国と国境を接し、西は大西洋のギニア湾に面している人口:千人1,500千人(2011年)1,520千人<ネタ帳>人口密度:/平方キロ<ネタ帳>6人国土の8割以上が森林であり、国立公園は11%であり、都市に人が集まっている。それでも人口は少ない。(ガボン その2 に続く)
Sep 13, 2012
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(アンゴラ その1 より続く) 首都ルアンダ(LuandaでRepublic of Rwanda とは全く違うので要注意 )人口:4,500千人(2009年)27年にわたる内戦で流入した避難民が首都に定着し、総人口の3割の4~5百万人が集中、インフラが遅れて、激しい交通渋滞と驚くほどの物価高にある。銃を持った強盗も出没し、GSも少なく、雨天時には冠水道路もあり、不便ではある。低い医療レベル、マラリア等の病気への罹患の危険性もあり、緊急時の海外への緊急移送は必須。ただ、湿度は相対的に少なく気候はほぼ快適で、鉱物資源輸出を背景に港湾などのインフラは整備中である。東京からの大気圏距離:13,866km時差:JST-8時間サマータイムなし民族オヴィンブンドゥ族37%、キンブンドゥ族25%、バコンゴ族15%等言語ポルトガル語(公用語)。その他ウンブンドゥ語等宗教在来宗教47%、カトリック38%、プロテスタント15%政体共和制元首ジョゼ・エドゥアルド・ドス・サントス大統領国会による間接選挙議会人民会議(一院制)、議席数220名、任期5年政権与党:アンゴラ解放人民運動(MPLA)首相職は廃止副大統領 フェルナンド・ダ・ピエダーデ・ディアス・ドス・サトス外相 ジョルジス・レベロ・ピント・シコティ軍事予算 24億3000万ドル、兵役 徴兵制、兵力 117,000人(陸軍 100,000人、海軍 1,000人、空軍 6,000人、準軍事的組織 10,000人)(ミリタリーバランス2010)主要産業(鉱)石油、ダイヤモンド、(農)とうもろこし、フェイジョン豆、砂糖、コーヒー、サイザル麻石油については、ナイジェリアに並ぶサブサハラアフリカ最大の産油国日常生活物資、生鮮食料品等も殆どが輸入されていることから、値段が極めて高く、ルアンダ市はここ数年、外国人ビジネスマンにとって世界で最も物価の高い都市(2位:東京)GNIGDP:億ドル593億ドル(2009年)1,010億ドル(2011年)一人当たりGNI一人当たりGDP:ドル3,490ドル(2009年)5,144ドル(2011年)実質GDP成長率0.2%(2009年:世銀)3.4%(2011年)物価上昇率13.7%(2009年:世銀)13.5%(2011年)財政収支/GDP比12.6%(2011年)政府総債務残高/GDP比30.9%(2011年)経常収支(国際収支)81.8億ドル(2011年)貿易額:輸出343億ドル(2009年)同 :輸入282億ドル(2009年)貿易品目:輸出石油、ダイヤモンド、石油製品(2009年)同 :輸入消費財、資本財、生産財(2009年)貿易相手国:輸出(2009年)中国33.9%、米24.5%、仏8.3%、ブラジル6.0%<ネタ帳>米、中、仏、蘭同 :輸入(2009年)ポルトガル18.0%、中国16.8%、ブラジル11.0%、米8.2%<ネタ帳>ポルトガル、米、韓国、中対日輸出(2011年)21億円 内訳(2011年)原油対日輸入(2011年) 113億円 内訳(2011年)車輌、鉄鋼製品、機械類主要援助国2007年米 40百万ドル日 23ノルウエー 21ポルトガル19スペイン 18日本の経済援助2008年度まで有償:なし無償:342億円技術: 34億円
Sep 12, 2012
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世界一の物価高の首都を持ち、発展途上にあるアンゴラの 基本事情を見てみる。 アンゴラ・ウサギのアンゴラはANGORAであり、トルコの アンカラ地方原産ウサギであって、当国とは無関係である。 また、アンドラ公国(7/27の日記に記した)は、仏・西班牙に 挟まれた小国家である。 アンゴラ共和国 略史<資料出所:外務省>年月略史1483年ポルトガル人が到達16世紀中葉ポルトガルが海岸地方を支配1951年ポルトガルの海外州となる 1950年代から民族運動台頭1975年11月11日MPLAがアンゴラ人民共和国の独立宣言1979年9月ネト大統領病死ドス・サントス大統領就任1991年5月アンゴラ包括和平協定調印(ビセス合意)1992年9月同国初の民主的大統領及び議会選挙1994年11月ルサカ和平協定調印1997年4月統一国民和解政府樹立2002年4月4日停戦合意に関する覚書の署名 <資料出所:外務省、WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳など>国名アンゴラ共和国(Republic of Angola) 幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)149位通貨クワンザ(KZ)1米ドル=約95クワンザ(2011年11月現在)国旗赤と黒の2段になっている。黒はアフリカ大陸、赤は独立運動中に流されたアンゴラ人の血を表している。星のついた歯車と鉈(ナタ)は、労働者の象徴であり、ソビエト連邦の旗の鎌と槌の意匠に似せたもので、共産主義の象徴である。面積:平方キロ1,247,000平方km日本の訳3.3倍国の位置東にザンビア、南にナミビア、北にコンゴ民主共和国と国境を接し、西は大西洋に面している。コンゴ民主共和国を挟んで飛地のカビンダ州(ポルトガル人が奴隷貿易のため築いた港名)が存在し、カビンダ州は北にコンゴ共和国と国境を接する。ガビンダ州は面積7,270平方kmで、その沖合に世界的にも重要な石油生産地域がある。この地域には、「ガビンダ飛び地解放戦線」なる反政府ゲリラ組織があり、分離独立を求めて、小規模ながら活動している。人口:千人18,500千人(2009年)19,630千人(2011年)人口密度:/平方キロ16人 (アンゴラ その2 に続く)
Sep 12, 2012
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(ナミビア その1 より続く) 国の位置北にアンゴラ、北東にザンビア、東にボツワナ、南に南アフリカ共和国と国境を接し、西は大西洋に面する。海岸線沿いには、世界で最も古いといわれるナミブ砂漠があり、天然の良港ウォルビスベイがある。内陸は高原となっていて、北部にはアフリカ最大の塩湖であるエトーシャ塩湖、北東部には長さ450kmのカプリビ回廊がある。人口:千人2,280千人(2010年)2,140千人(2011年)人口密度:/平方キロ3人(2011年)首都ウィントフック人口:28万人(2001年)東京からの大気圏距離:14,355km時差:JST-8時間サマータイム時:JST-7時間(9月2日2時~来年4月7日2時)民族オバンボ族50%、カバンゴ族9%、ダマラ族7%、ヘレロ族7%、白人(独系、欄系の子孫であるアフリカーナーなど)6%他言語英語(公用語)、アフリカーンス、独語、その他部族語。公用語は英語であるが第一言語話者は僅か。全人口の約半数がオバンボ語、白人は、アフリカーンス語かドイツ語が主流。特に、商業言語として独語は大きな地位。宗教キリスト教(8割~9割)、伝統宗教政体共和制英連邦加盟国元首ヒフィケプニェ・ポハンバ大統領国民の直接選挙で選出。任期5年、3選禁止。議会二院制(国民議会、国民評議会)政権与党:南西アフリカ人民機構(SWAPO)が下院議席の約8割(72議席のうち55議席)首相と閣僚は大統領が国民議会議員の中から大統領が任命する。首相:ナハス・アングラ、外相:ウトニ・ヌヨマ軍事予算 4億3,000万ドル(2009年)、兵役 志願制、兵力 9,200人主要産業(農)牧畜、(鉱)ダイヤモンド、ウラン、銅、亜鉛、(漁)えび、いわし、あじダイヤモンド・ウラン等の豊富な地下資源、国際的にも関心を集めている同国南部沿岸沖の天然ガス田、世界有数の漁礁、牧畜に適した温暖な気候等、サブ・サハラ・アフリカ諸国の中でも高い潜在力を有しており、自由で開かれた経済体制作りをめざしている。南アへの依存度が高く、貧富の差は激しい。GNIGDP:億ドル100億ドル(2010年)125億ドル(2011年)一人当たりGNI一人当たりGDP:ドル4,510ドル(2010年)5,828ドル(2011年)実質GDP成長率4.8%(2010年)3.6%(2011年)物価上昇率0.8%(2007年)5.8%(2011年)失業率37.6%(2010年)財政収支/GDP比▼7.9%(2011年)経常収支(国際収支)▼7.8億ドル(2011年)貿易額:輸出34.9億ドル(2007年)同 :輸入44.6億ドル(2007年)貿易品目:輸出ダイヤモンド,鉱物資源,食料品他<ネタ帳>ダイヤモンド、工業製品、食料品・家畜、その他鉱物同 :輸入自動車、精製石油、化学品、機械製品、食料品<ネタ帳>自動車製品、精製石油、化学品、機械製品、食料品貿易相手国:輸出南ア24.7%、英国25.6%、アンゴラ5.7%、スペイン6.0%<ネタ帳>南ア、英、アンゴラ、スペイン同 :輸入南ア82.4%、英国0.8%、ドイツ2.2%、スイス0.8%<ネタ帳>南ア、英、独、スイス対日輸出 40億円 内訳生鮮魚、かに・エビ等の水産物、亜鉛対日輸入 9億円 内訳自動車・機械主要援助国2009年米 90百万ドル仏 50日本 40独 37スペイン 12日本の経済援助2010年度まで有償:101億円無償: 66億円技術: 31億円保健HIV/AIDSが国民の健康を脅かす脅威(7人に一人)
Sep 11, 2012
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ドイツの植民地であったが、第一次世界大戦を契機に、隣国の南アフリカ連邦(後の南アフリカ共和国)が進軍し、同国による「国連」委任統治や、違法な併合を受けた。その後、南西アフリカ人民機構(SWAPO)の武装蜂起によってナミビア独立戦争が始まる。隣国のアンゴラ内戦にも介入したため、南アフリカは疲弊し、米国のロナルド・レーガン大統領の調停政策もあって、「国連」監視下で選挙が行われ、新憲法制定し、1990年に独立を達成。初代大統領はSWAPO議長。ナミブ砂漠や、自然が多く残っている観光国であり、鉱物資源が 豊富である。ナミビア共和国略史<外務省> 年月略史1884年「南西アフリカ」として独の保護領となる。1914年南アフリカ軍、南西アフリカに侵攻、占領。1920年南アフリカ、国際連盟の委任統治制度の下で南西アフリカ統治を開始。1945年南アフリカ、南西アフリカを国連の信託統治制度の下に移行させることを拒否、不法統治開始。1966年国連総会、南西アフリカに対する南アフリカの委任統治終了を決定(決議2145)。1968年国連総会、南西アフリカをナミビアと改称。(同地域のナミブ砂漠に由来)1978年国連安保理、国連ナミビア独立支援グループ(UNTAG)の設置を決定(決議435)。1988年南アフリカ、アンゴラ、キューバ間の和平協定成立。南アフリカ、ナミビアの独立に合意。1989年4月安保理決議435実施、UNTAG活動開始。1989年11月憲法制定議会選挙実施。1990年2月ナミビア共和国憲法採択。1990年3月21日ナミビア共和国独立。1990年4月23日国連加盟。1994年3月1日南アフリカ、ウオルビス・ベイをナミビアに返還。1994年12月独立後初の大統領・国民議会選挙実施。1995年3月独立5周年式典においてヌヨマ大統領(第2期)就任。1999年12月大統領・国民議会選挙においてヌヨマ大統領再選。2000年3月独立10周年式典においてヌヨマ大統領(第3期)就任。2004年11月大統領・国民議会選挙においてポハンバ大統領選出。2005年3月ポハンバ大統領就任2009年11月ポハンバ大統領再選(第2期)<資料出所:外務省、WIKIPEDIA、世界経済のネタ帳など> 国名ナミビア共和国 幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)74位通貨ナミビア・ドル1米ドル=6.67ナミビア・ドル (2011年7月現在)国旗色は主に政党南西アフリカ人民機構(SWAPO)の旗から採用された。青・赤・緑の三色はこの国の主要な民族であるオバンポ族の伝統色である。青は希望と大西洋の恵み、赤は独立の闘争で流された血、緑は実り豊かな国土、白線は繁栄、を象徴。輝く太陽の12の光芒は、12の主な種族の協調と統一を表わす。国の標語Unity, Liberty, Justice(英語: 統一、自由、正義)面積:平方キロ824,000平方km日本の約2.2倍(ナミビア その2 に続く)
Sep 11, 2012
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(ボツワナ の その1 より続く) 主要産業(農業)こうりゃん、メイズ(畜産)牛、羊(鉱業)ダイヤモンド、銅、ニッケル、石炭(工業)繊維製品、食品加工 産出高世界第1位を誇るダイヤモンド産業がGDPの約30%、輸出総額の56.3%(2009年)、政府歳入の約5割を占める。高度成長を遂げており「中所得国」に分類されアフリカの優等生である。 農業部門の畜産業(特に牛)が盛んで、牛肉の輸出割合が高く、食品加工業などは発展しているが、重工業・ITは未発達である。ただ、1967年以降にダイヤモンド鉱床が次々と発見され、銅・ニッケルを含めて鉱物資源探鉱事業中心の経済である。ロンドンからデビアスのダイヤモンド・トレーディング・カンパニーを首都に誘致し、多くの研磨工場が造られた。また、自然観光資源が豊富であり、観光にも注力している。GNIGDP:億ドル122.1億ドル(2009年)175.7億ドル(2011年)一人当たりGNI一人当たりGDP:ドル6,260ドル(2009年)9,481ドル(2011年)実質GDP成長率▼ 3.7%(2009年)4.6%(2011年)物価上昇率▼ 5.7%(2009年)8.5%(2011年)失業率17.6%(2006年)2007年には失業率は20%を越え、40%近いものも報告されている。財政収支/GDP比▼4.2%経常収支(国際収支)▼11.9億ドル(2011年)貿易額:輸出47.4億ドル(2008年)同 :輸入44.3億ドル(2008年)貿易品目:輸出(2009年)ダイヤモンド62.6%、銅・ニッケル14.9%、繊維製品5.8%、牛肉3.3%<ネタ帳>ダイヤモンド、銅・ニッケル、牛肉、繊維製品同 :輸入(2009年)機械・電気製品17.3%、飲食料品13.2%、燃料 13.5%、車両12.6%<ネタ帳>機械・電気製品、飲食料、車両貿易相手国:輸出(2009年)EU58.8%、南部アフリカ関税同盟諸国15.3%、ノルウェー9.8%、ジンバブエ4.5%<ネタ帳>英、南部アフリカ関税同盟諸国、ジンバブエ同 :輸入(2009年)南部アフリカ関税同盟諸国76.7、EU11.9、中国3.3、米国2.2<ネタ帳>南部アフリカ関税同盟諸国、ジンバブエ、英対日輸出(2009年)17.6億円 内訳(2009年)ダイヤモンド82.7%、アイボリー16.8%対日輸入(2009年) 11.0億円 内訳(2009年)乗用自動車76.4%、ロータリーエンジン21.3%、医療品0.9%主要援助国2007年独 439百万ドル米 232スウエーデン 4ノルウエー 3仏 2日本の経済援助2009年度まで有償:132億円無償: 41億円技術: 49億円
Sep 10, 2012
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ダイヤモンド鉱山の発見で、畜産国からダイヤ輸出国として躍進中で、「中所得国」にある。ボツワナ共和国略史<資料出所:外務省> 年月略史1885年イギリス保護領となる1891年駐南ア英高等弁務官の管轄となる1966年独立(初代大統領カーマ大統領)1980年マシーレ大統領就任1998年マシーレ大統領引退(3月31日)モハエ大統領就任(4月1日)1999年モハエ大統領再任(10月20日)2004年モハエ大統領再任(11月2日)2008年モハエ大統領引退(3月31日)カーマ大統領就任(4月1日)2009年カーマ大統領再任(10月20日) <資料出所:外務省、WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳など> 国名ボツワナ共和国ボツワナ=「ツワナ族の国」「ツワナ人の土地」の意 幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)123位通貨プラ(Pula)1米ドル=6.5プラ(2011年4月)国旗水色は水、特に雨を表す。この雨はボツワナの国章にあるツワナ語のモットー「プラ(Pula)」=「雨よ降れ」から来ている。白と黒の線は人種の融合と国章のシマウマを示す。国の標語Pula(ツワナ語: 水、雨)面積:平方キロ582,000平方km日本の約1.5倍国土の約17%が政府により指定保護区。国の位置と気候南を南アフリカ共和国、西と北をナミビア、東をジンバブエに囲まれた内陸国である。中央部にはサバンナ気候のためサバンナが覆うが、サバンナにもまばらに低木と草が茂って生えてるところがある。西部の大半がカラハリ砂漠におおわれており、北には沼地地帯が広がる。南部はほぼ砂漠になっており、リンポポ川とモロベ川が南アフリカとの国境になっている。人口:千人1,950千人(2009年)1,850千人(2011年)人口密度: 3人/平方キロ(2011年)首都ハボロネ(ハボローネ)標高:983m市域人口:23万人(2011年)東京からの大気圏距離:13,670km時差:JST-7時間サマータイムなし民族ツワナ族79%、カランガ族11%、バサルク族3%<WIKIPEDIA>ツワナ族90%ツワナ人は8つの部族に分かれていて、それぞれのコシと呼ばれる酋長を頂く。牧畜が生業で、牛は伝統的な富を象徴するもので、売買された。トランスヴァール共和国(現・南アフリカ共和国のトランスヴァール州)から侵入してきたボーア人に対抗するために、英国に保護を求め、英保護領が成立し、その後独立した。言語英語、ツワナ語(国語)宗教キリスト教、伝統宗教政体共和制大統領制英連邦加盟国元首セレツェ・カーマ・イアン・カーマ大統領行政府の長を兼ね、国会により選出される。任期は5年、3選禁止。副大統領、閣僚を任命。議会一院制国民議会(実質的に見たとき)<WIKIPEDIA>両院制・ 上院に相当する首長会議15議席(諮問機関としての権限のみ)・ 下院に相当する国民議会63議席(立法権あり)政権与党:ボツワナ民主党(BDP)大統領が行政府の長で、首相職はない。副大統領:モンパティ・セボホディ・メラフェ外務国際協力大臣:パンドゥ・スケレマニ ボツワナの独立以来、アフリカでは数少ない複数政党制に基づく民主主義が機能している国として知られ、政局はきわめて安定している。実際に独立以来クーデターや内乱は一度も起きたことがない。軍事(2010年)予算 681百万ドル、兵役 志願制、兵力 総兵力10,500人(陸軍8,500人、空軍500人、パラミリタリー<警察機動隊>1,500人) (ボツワナ その2 に続く)
Sep 10, 2012
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(レソト その1 より続く) 首都マセル標高:1,600m首都圏人口:37万人(1999年)東京からの大気圏距離:13,762km時差:JST-7時間サマータイムなし民族バソト族(南部ソト族)言語英語(公用語)、ソト語宗教大部分がキリスト教政体立憲君主制英連邦加盟国元首レツィエ三世議会二院制(上院は勅撰、下院は選挙により選出)政権与党:レソト民主会議(LCD)首相名 パカリタ・モシシリ、外相名 ケネス・ツェコア軍事予算 32.3百万ドル(2005年)、兵力 陸軍約2,000人、空軍約110人主要産業農業(メイズ、ソルガム、小麦)、牧畜業レソトの輸入品は南アからの産品が約7割を占めるほか、南ア鉱山への出稼ぎ労働者からの送金が大きな収入源となっているGNIGDP:億ドル20.4億ドル(2009年)24.5億ドル(2011年)一人当たりGNI一人当たりGDP:ドル980ドル(2009年)1,264ドル(2011年)実質GDP成長率0.9%(2009年)4.2%(2011年)物価上昇率3.4%(2009年)5.6%(2011年)失業率約23%(2006年)財政収支/GDP比▼10.5%(2011年)経常収支(国際収支)▼4.1億ドル(2011年)貿易額:輸出7.2億ドル(2009年)同 :輸入16.7億ドル(2009年)貿易品目:輸出衣料品、食料品、靴、畜産品(2009年)同 :輸入工業製品、食料・家畜、機械製品(2009年)貿易相手国:輸出(2007年)米(59.7%)、SACU*(19.0%)、ベルギー(17.0%)<ネタ帳>米、EU,SACU*同 :輸入(2007年)SACU*(85.4%)、台湾(4.9%)、香港(4.2%)、中国(2.6%)<ネタ帳>SACU*、アジア「南部アフリカ関税同盟」(SACU*)南アフリカ、ボツワナ、ナミビア、スワジランド、レソトの同盟SACU*からの交付金収入はレソト財政収入の約50%を占めている。(2007年)対日輸出1.35億ドル(2010年) 内訳衣類(2010年)対日輸入 0.70億ドル(2010年) 内訳繊維機械、自動車(2010年)主要援助国アイルランド 21百万ドル米 14日本 13英 8独 7日本の経済援助2009年度まで有償:なし無償:94億円技術:10億円
Sep 9, 2012
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アフリカのソト語を話す人々を意味する、レソト王国は、 イタリア北部並みの気候で、南アからの輸入品が7割、南ア 鉱山への出稼ぎ所得が収入源となるなど、密接な関係にある、 立憲君主国。 1982年の廃鉱までデ・ビアス傘下のダイヤモンド鉱山として 大粒のダイヤを産出した。 再び、2004年に潜在埋蔵量の20%しか採掘していないことが 解り、別の混合形態で、再開している。 レソト王国略史<外務省>年月略史1868年バソトランドとして英国保護領に1966年10月英領独立1970年1月ジョナサン首相による憲法停止1970年4~12月国王モシェシェ二世オランダ亡命(帰国後、政治不関与を宣言)1986年1月クーデターによりレカーニャ国軍司令官が政権掌握1990年3月国王モシェシェ二世英国亡命1990年11月モシェシェ二世廃位、レツィエ三世即位1991年4月クーデターによりラマエマ大佐が政権掌握1993年3月下院総選挙実施(23年ぶり)1994年8月レソト危機(レツィエ三世、憲法停止及び議会・内閣の解散を一方的に宣言)1995年1月レツィエ三世退位、モシェシェ二世即位1996年1月モシェシェ二世交通事故死1996年2月レツィエ三世復位1998年5月下院総選挙実施2002年5月やり直し下院総選挙実施2005年4月第1回地方自治体選挙実施2007年2月下院総選挙実施 <資料出所:外務省、WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳など>国名レソト王国レソトとはソト語を話す人々の意幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)165位通貨ロチ(Loti)(複数マロチMaloti)(南アのランドと等価)1米ドル=約6.9マロチ(2011年5月現在)国旗青白緑の三色旗で中央に、独立時の国旗にあったソト人の帽子が再びあしらわれたものが採用された。青は空と雨、白は平和を表し、緑は恵み豊かな国土と繁栄を象徴。国の標語Khotso, Pula, Nala(平和、雨、繁栄)面積:平方キロ30,000平方km九州の0.7倍国の位置周囲を南アフリカ共和国に囲まれた、世界最南の内陸国。「アフリカのスイス」「南部アフリカの屋根」とも言われている。最高峰は、タバナントレニャナ山であり、標高3482mはアフリカ大陸南部の最高峰でもある。気候はイタリア北部並み。人口:千人2,070千人(2009年)1,940千人(2011年)人口密度:/平方キロ65人(2011年)(レソト その2 に続く)
Sep 9, 2012
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(南アフリカ共和国 その2 より続く) 経常収支(国際収支)▼134.8億ドル(2011年)貿易収支(国際収支) 22.6億ドル(2011年)貿易額:輸出611億ドル(2009年)966億ドル(2011年)同 :輸入639億ドル(2009年)1000億ドル(2011年)貿易品目:輸出(2011年)貴石・貴金属など(金や自動車排ガス浄化触媒用プラチナは金額ベースで増加)25.8%、鉱物性生産品(石炭、鉄鉱石は大幅増加)25.2%、卑金属・同製品(フェロマンガンは増加、フェロクロム、フェロバナジウムは減少)13.4%、輸送用機器(乗用車は微増、貨物自動車、自動車部品は順調な増加で、仕向国として米国にBMW,メルセデスベンツ、英国にフォルクスワーゲン、日本)8.3%、一般機械・電気機械(触媒を含む排ガス用清浄機、ケーブル、電話機が増加)8.1%,動植物生産品・食料品類7.3%、化学品5.4%同 :輸入(2011年)一般機械・電気機械(携帯電話などの電話機、自動データ処理機、印刷機、自走式ブルドーザー、新規火力発電用蒸気タービンなど)24.5%,鉱物性生産品(原油の数量は減だが金額で増加)21.9%,輸送用機器(小型車が増加、印・独が増加、日本、韓国は減少。フォード、トヨタも印から輸入。)11.0%,化学品9.1%,動植物生産品・食料品6.3%,自動車国内生産部品(フォルクスワーゲンがユーロ安で生産・販売とも好調)6.0%,卑金属・同製品4.8%貿易相手国:輸出(2011年)中国12.8%(前年の10.1%から増加、鉄鉱石は約7割を占め、石炭、フェロアロイも増加)、米国(輸送用機器、貴石・貴金属が増加)8.7%,日本(貴石・貴金属、鉄鉱石が増加)7.9%,独6.1%(触媒を含む排ガス用清浄機、自動車エンジン部品は増加したが、乗用車は減少し、全体は横ばい)、英(排ガス用清浄機が増加、貴石・貴金属は6割を占めるプラチナが微減)4.1%,印(石炭、鉄鋼、リン酸が増加)3.5%,スイス3.3%,蘭3.1%,ジンバブエ2.5%,モザンビーク2.5%,ザンビア2.5%<サブサハラ(ジンバブエ、モザンビーク、ザンビア、コンゴ民、アンゴラ、ケニア、ナイジェリア)向けは19.3%増加し、軒並みに増加、一般機械(選別・粉砕機、自走式ブルドーザー、液体ポンプ)、輸送機器(貨物自動車など)、鉄鋼が増加>同 :輸入(2011年)中国(自動データ処理機、携帯電話などの電話機、履物、鉄鋼製品が増加)14.2%、独(小型乗用車増加)10.7%,米(航空機、乗用車、自走式ブルドーザー、建設機械部品が大幅増)7.9%、日本(小型乗用車は減少だが、自動車部品、一般機械が増加)4.7%、サウジアラビア(原油)4.5%、印(軽質油、小型乗用車が増加)4.0%、英4.0%、イラン(原油)3.7%ナイジェリア(原油)3.1%対日輸出4,701億円(2009年)76億ドル(2011年)84億ドル(2011年)CIF日本側 内訳(2011年)金属品60.0%(非鉄金属59.9%)金属原料21.0%(鉄鉱10.8%,フェロクロム、マンガンなど7.1%,)輸送機器5.4%木材・コルク3.6%化学品3.5%食料品・動植物生産品2.9%(6割を占める非鉄金属がプラチナ、パラジウム中心に増加、鉄鉱の増加により金属材料は増加。輸送機器ではフォルクスワーゲン新型ポロ1000-1500ccは増加、BMW3シリーズ1500-3000クラスは減少。)対日輸入1,670億円(2009年)48億ドル(2011年)43億ドル(2011年)FOB日本側 内訳(2011年)輸送機械47.2%(乗用車15.7%,貨物自動車14.3%)一般機械27.0%(車両用ディーゼルエンジン10.2%や、メカニカル・ショベルが大幅増加)電気機械5.3%化学品4.0%金属品3.7%精密機器2.7%(日本乗用車の減少は、円高で競争力が落ちるのに加えて、ユーロ安ランド高で欧州車にシェアを奪われたことによる)直接投資受入額<個別下記:JETRO>58億ドル(2011年)2011年1月日本(トヨタ自動車-アフリカ最大級の補給部品センター開設投資)3.63億ランド2011年4月日本(関西ペイントー塗料大手企業の株式追加取得93.37%となる)前年分と合計22.47億ランド2011年5月米国(ウオルマートー地場小売大手マスマートの株式51%取得)163億ランド2011年6月日本(伊藤忠商事-カナダ企業のプラットリーフ白金族・ニッケル探鉱開発事業会社の株式8%を取得)20億ランド2011年7月トルコ(アーチェリックースイス調理家電企業が保有する南アの家電メーカー・デイファイを買収)22.5億ランド2011年8月香港(中国アフリカ・プレッシャスメタルズーパモジゴールドが保有するオークニー金鉱山の買収)1.5億ランド2011年9月米国(トロノックスー資源会社エグザロのミンネラルサンド事業部門を買収)100.7億ランド英国(ペトラ・ダイヤモンドーデビアスが保有するフィンシュ・ダイヤモンド鉱山の買収)14.25億ランド2011年10月英国(ウイッチフォードー不動産投資リディファイン・インターナショナルの株式99.45%取得)28億ランド2011年12月中国(金川集団-銅・コバルト企業メトレックスを買収)91.12億ランド中国(中国投資-投資会社シャンドウカグループの株式25%取得)20億ランド主要援助国2008年米 379百万ドル独 150英 113蘭 36仏 33日本の経済協力2009年度まで有償:201億円無償:131億円技術: 81億円
Sep 8, 2012
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(南アフリカ共和国 その1 より続く) 政体共和制英連邦加盟国G20メンバー国G8サミットにも参加元首ジェイコブ・ズマ大統領議会二院制(全国州評議会(上院に相当)90名、国民議会(下院に相当)400名)政権与党アフリカ民族会議(ANC)大統領 ジェイコブ・ズマ大統領、副大統領 カレマ・モトランテ副大統領、外相 マイテ・ヌコアナ=マシャバネ国際関係・協力相軍事兵役 志願制、兵力 陸軍37,141人、海軍6,244人、空軍10,653人(ミリタリーバランス2009)主要産業(農)畜業、とうもろこし、柑橘類、その他の果物、小麦、砂糖、羊毛、皮革類(鉱)金、ダイヤモンド、プラチナ、ウラン、鉄鉱石、石炭、銅、クロム、マンガン、石綿(工)食品、製鉄、化学、繊維、自動車GDP:億ドル3,637億ドル(2010年)4,081億ドル(2011年)一人当たりGNI:ドル一人当たりGDP:ドル6,090ドル(2010年)8,066ドル(2011年)実質GDP成長率2.8%(2010年)3.1%(2011年)物価上昇率4.3%(2010年)5.0%(2011年)失業率 23.8%(2009年) 23.9%(2011年)財政収支/GDP比▼4.6%(2011年)外貨準備高 426億ドル(2011年)金を除く対外債務残高1078億ドル(2011年)(南アフリカ共和国 その3 に続く)
Sep 8, 2012
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南欧から大西洋を南へ向い、大陸の南端から東のインド洋に入る所に「喜望峰(本来は希望岬)」がある、南アフリカ共和国。穏やかで美しい地中海からスエズ運河を経由せずに、荒れ狂う 「喜望峰」沖を進んだ、バルチック艦隊本隊が日本に向けて航海 した前途多難の航路がある。 荒れ狂う航路であり、「嵐の岬」とも呼ばれるが、本来は (香辛料が待ち受ける)「希望の岬」であり、ダチョウが似合う岬で あって、「峰」などがあるような景色は見あたらない。 CAPE of GOOD HOPE(Kap der Guten Hoffnung) の HOPE(Hoffnung) と「峰」の語呂合わせ程度ではないか? 小生も、「写経」をよく間違えるが、これは明らかに誤りであり、 だれか訂正すべきだろうが、どこの管轄なんだろう。南アフリカ共和国略史<資料出所:外務省> 年月略史1652年オランダ、ケープ植民地設立。1910年「南アフリカ連邦」独立。1961年英連邦から脱退し共和制移行(「南アフリカ共和国」成立)。1991年アパルトヘイト関連法の廃止。1994年4月初の全人種参加型の総選挙を実施。1994年5月マンデラ政権成立。1995年11月全人種参加の地方選挙を実施。1997年2月新憲法発効。1999年6月総選挙実施、ムベキ大統領就任。2004年4月総選挙実施、ムベキ大統領再任。2008年9月ムベキ大統領辞任、モトランテ大統領就任。2009年4月総選挙実施。2009年5月ズマ大統領就任。 <資料出所:外務省、JETRO,WIKIPEDIA,世界経済のネタ帳など>国名南アフリカ共和国渡航危険情報<十分注意>ヨハネスブルク,プレトリア,ケープタウン及びダーバン南アフリカは,観光資源等に恵まれたアフリカの経済大国であり,政情は基本的に安定していますが,治安面では,銃器を用いた犯罪が多発。大型動物にも注意。幸福度(エイドリアン・ホワイト氏)109位通貨ランド(Rand)1米ドル=約7.8ランド(2011年10月)国花キングプロテア国旗制定時には、特に色には象徴的な意味はないとされていたが、近年は意味づけが非公式に伝えられている。赤は過去の対立の中で流された血、青は空と二つの海、緑は南アフリカで欠かせない農場と自然、黄は南アフリカで産出される金に代表される天然資源、黒は南アフリカの黒人の国民、と同時に他のアフリカ諸国とのつながり、白は南アフリカの白人の国民、と同時に平和を、それぞれ示していると言われている。公式的に色には特に意味はないとしながらも、黒・黄・緑はアフリカ民族会議 (African National Congress) の旗の三色であり、残りの赤・青・白は旧宗主国のイギリス、オランダ国旗の三色である。そのため現在の国旗はアフリカの伝統と歴史を示していると解釈される。国の標語 !ke e: ǀxarra ǁke(ǀXam語: 様々な人々が一致協力する)面積:平方キロ1,220,000平方km1,219,090平方km(JETRO)日本の約3.2倍国の位置東にスワジランド、モザンビーク、北にジンバブエ、ボツワナ、西にナミビアと国境を接し、レソトを四方から囲んでいる。人口:4999万人(2010年)5059万人(2011年)人口密度:/平方キロ41人<ネタ帳>首都プレトリア人口:199万人(2001年)東京からの大気圏距離:13,520km時差:JST-7時間サマータイムなし首都機能をプレトリア(行政府)、ケープタウン(立法府)、ブルームフォンテーン(司法府)に分散させているが、各国の大使館はプレトリアに置いていることから、国を代表する首都はプレトリアと認知されている。民族黒人79%、白人9.6%、カラード(混血)8.9%、アジア系2.5%言語英語、アフリカーンス語、バンツー諸語(ズールー語、ソト語ほか)の合計11が公用語宗教キリスト教(人口の約80%)、ヒンズー教、イスラム教(南アフリカ共和国 その2 に続く)
Sep 8, 2012
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