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6月16日。この日は、サルディーニャ島の最終日私たちは、朝オロゼイを出発して2時間のドライブの後、世界遺産スー・ヌラージ・バルーミニ近くのホテルにチェックインしました。このあたりは、レストランもなくカフェでクロワッサンを食べた後スー・ヌラージ・バルーミニへ。車で20分ちょっとです。入り口で、グループごとにガイドと共に入って、見学しなければならないので15人ぐらいのグループで中に入ります。正直、最初の方は階段ピラミッドやドルメンのようなエネルギーを感じらずこれは、期待外れかなあと思っていました。ところが、一番高い塔の上に登るとそこから、小さな小部屋に分かれているのですがこの小部屋がすごかった~。これは、上から見たところ。この下に降りて、小部屋に入ります。バラバラの形の石が不思議にバランスよく積み上げられて上の方から光が入るようになっています。アイルランドのニューグレンジを思わせるようなエネルギー。この中にいると、いろんなものが一気に浄化されてゆくような感覚。小部屋は、いくつかありそのうちの一つが狭い通路を抜けて行くとたどり着くのですがそこが本当に気持ち良くてずっといたくなります。「普通は、暗くて狭い場所は苦手なのにここは、全く息苦しくなくてすごく気持ちがいい」と和美ちゃん。本当に、普通ならこんな密閉された空間ではエネルギーがこもりやすいしそれこそ、地縛霊や浮遊霊の溜まり場になりそうなのに全く嫌なエネルギーはなくここに一歩入った途端スーッと息が通る感じ。何なんだろう。不思議。ヌラージ文明についてはほとんど何もわかっていないそうですが(といっても、ほとんどの古代文明は実際、何もわかってないんだけど)何のための部屋だったのかしら?なぜこんなにエネルギーレベルが高いんだろう?私たちは、一緒のグループの人たちが去った後も、残っていろんな小部屋に入っていました。(写真だと全く伝わらないので後で映像でインスタにアップします)これは、上から全体を見下ろしたところ。それから、私たちはそこから車で50分のところにあるPranu Muttedu 遺跡へ、ここは、メンヒルが残っているところ。正直、ここのエネルギーはバルーミニやドルメンにに比較するとそこまででは、なかったので(その前にバルーミニで十分に満たされていたこともあるかも)敷地内を歩いて回ってからホテルに戻りました。この日のホテルは2ベッドルームではなく一人ずつ別々の部屋を取りました。とても新しい木の家具で綺麗。このあたりの家の壁に彫ってある絵が可愛い。夕食は、まともなレストランがなく唯一空いていたスポーツバーでベジバーガーとモヒートを頼みました。こんなザアメリカンな身体に悪そうなものを食べるのはもう何年もなかったなあ。(一応、神聖幾何学でエネルギーを上げてから食べたら大丈夫でした)次の日の朝、カリエリ空港まで車で30分。和美ちゃんに送ってもらって空港でお別れです。これまで和美ちゃんと何度も旅をしてきたけど旅の間中、たくさん話して笑って泣いてその度に、よりつながりが深くなってゆきます。もう友人を超えてソウルシスターだなあと。きっと、またすぐに会えるだろうけど別れる時は、やっぱり泣いてしまう😭こうして12日間のサルディーニャの旅は終わりました。最初に泊まったカリアリでは地縛霊との戦いでどうなることかと思ったけれど他の場所は、そんなことなかったし遺跡は素晴らしく、本当によかったです。またいつか訪れたい場所の一つになりました。それから、私は一人でイギリス、ロンドンに向かいました。まだこの時は、ロンドンでトラブル、ハプニングの旅になるとは予想もしていませんでした。(ドラマの予告編のように盛り上げてみた🤣)
2024年06月16日
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オロゼイまで、長時間の運転だったので次の2日間は、ビーチでのんびりしました。オロゼイから車で30分のカーラゴノーネの港からボートツアーに参加することに。カーラゴーネは、観光客で賑わっていました。カーラゴーネのビーチも綺麗。最初にボートが寄ったのはBue marino 洞窟。とても広い洞窟でガイドについて洞窟内を歩き往復1時間ぐらいで戻ってきました。その後、Cala Lunaのビーチへ向けてボートが出発。ここは、船でしかアクセスできないビーチです(多分)ここに、ビーチパラソルを立て浜辺で、2時間ぐらい過ごしました。今回、初めて海に入って泳ぎました。魚もいましたが白や透明の魚ばかりだったので海の中の写真は取りませんでしたが。このCalaLunaビーチは、よかったのですが行き帰りのボートが、すごく揺れました。(以前は、かなり船酔いしていたのになぜか、今回、酔わなかった)それと、洞窟は、あまり興味がなかったのもあってまた訪れたいと言う気にはならなかったのですがエメラルドグリーンの海はとても綺麗でした。次の日は、オリゼイのビーチに行ったのですが風が強くて寒くて、泳げなかったのでビーチパラソルの下でしばらく過ごした後オリビアの街へ。サルディーニャ産のワインは白も赤も飲みましたが白は美味しいのですが赤が今ひとつだった中で唯一美味しかったパスタ屋さんのサルファイト(酸化防腐剤)なしの赤ワイン。
2024年06月15日
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今(6月19日現在)はイギリス、ロンドンに来ていますがいろんなことがありすぎてなかなかブログまとめる時間が取れないでいました。今日1日は、ゆっくりホテルで過ごす予定なので自己ヒーリングの合間にブログをアップしようと思います。さて、6月13日に戻ってカステルサルドから、オロゼイに向かう途中にサルディーニャ島の北の方にあるドルメンを訪れました。ここは4つのドルメンが歩いていける距離にありそのうち、3つを訪れたのですが私たち以外は、誰も他に訪れる人もおらずドルメン入り放題、瞑想し放題で(ドルメンや瞑想に「放題」はつけないか😅)めっちゃラッキーな気分。まずは、Dolmen di Ladasこの4つの中では、一番大きなドルメンです。中に入って、目を閉じていると頭が完全に静かになりハートが開いてくるのが感じられました。遠い昔に感じていた懐かしい感覚。平和で穏やかな感覚。ここはどこだろう?ガイドとトートが見守っているのがわかりました。これは、前世の一つ?トートによるとその前世は、この場所ではないそうで祈りを捧げ、静かに平和に暮らした人生だったとのこと。そんな平和で穏やかな前世とつながったのは、初めてのことでした。基本的に、多次元のセッションでは今の自分にマイナスの影響を及ぼしている前世やカルマにアクセスして解放するので幸せな影響を与えているものは変える必要がないためアクセスすることもないからです。いつも、こんな穏やかな気持ちでいられたらいいなあ。「これ自分の家に欲しい!」と和美ちゃんと話しましたがもし庭にこんなのがあったらずっとここで過ごしてそうです。それから、2番目のドルメンDolmen Ciureddaここは全くエネルギーが違っていて中に入って目を閉じていると先ほどの感覚から急に現実に引き戻されるような感覚になりました。面白いことに和美ちゃんも同じように感じていて最初のドルメンは、ハートチャクラに次のドルメンで、グラウンディングして大地に吸い込まれる感覚になったのだそう。3番目のドルメンDolmen Bilallaはちょっと変わった形でしたがエネルギーは、それほどピンと来なくてすぐ出てしまいました。ドルメン面白い。考えてみれば、ドルメンの中に入ったのはニューヨーク郊外のドルメンのみでアイルランドのドルメンなどは周りに柵がしてあって近く事もできなかったのでここサルディーニャ島は、ドルメンの穴場です。(って、そもそも、みんなそんなドルメンを求めてないけど🤣)このドルメンから、オロゼイまでは2時間半の距離。こんなのどかな風景の中のドライブ。オロゼイに着いてチェックイン。今回は1軒屋の1階部分。2ベッドルームで広さはありましたがカントリーな素朴な家という感じでした。そして、そこから車で7分ぐらいのところにある海辺のレストランで早めのディナー。ここのウェイターは、英語が通じる人でカリアリを出てから、英語を話せる人に初めて出会ったので和美ちゃんが「あなたは、英語を話すのね」と言うと、彼曰くロンドンに8年ぐらい住んでたそうで最近、彼女と別れたので(傷心を癒すために)親戚のいるこの島に滞在しているのだそう。出会って2分の私たちにそんなこと話すのもオープンでいいなあと。レストランの前は地元の人しかいない静かなビーチ。
2024年06月14日
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カステルサルド 2日目私たちは、車で1時間弱のところにあるヨーロッパで唯一存在するというピラミッドMonte D'Accoddi (モンテ ダコッディ)に向かいました。車のナビの言う通りに走ってたどり着いたら入り口の門は、鍵がかかっていて開けれません。それで、他の入り口はないかと車で、反対側から回ってみたら入り口が見つかって進んでみるとそこも、鍵がかかっていて車は中に入れないようになっています。これは、どうしたことなのか何かの休日なのかしら?と、私たちが諦めて引き返そうとした時に中から一人の男性が出てきました。尋ねてみると中に歩いて入って行ってオフィスでチケットを買えば車を通してくれるとのこと。そんなこと、どこにも入口には書かれてないのでもし彼が中から出てこなければわからなかったでしょう。危うく、引き返すところで助かりました。そして、それは素晴らしい階段ピラミッドでした。私たちが去るまでの間私たちしか人はおらずゆっくりと見て周ることができました。丸くて可愛い不思議な石。これは、この場所の近くで見つかっておりここの場所にあったわけではないそうですが特殊な技法で作られているとのこと。神の宿る石。これは、ドルメン。ドルメンとは、テーブル型に石を積み上げてあるもの。このドルメンは、低いですがちゃんと中は空洞になっています。これは、メンヒル。メンヒルとは立った石碑のこと。ドルメンもメンヒルも石にすごいパワーがありました。接着剤を使わず、石を積み上げたピラミッド。紀元前3500年頃と言われていますが6000年の時を経て今も聖なるエネルギーを保ち続けていました。遥か昔、神に祈りを捧げた神殿。ピラミッドの上からの風景。ここからの眺めもエネルギーも最高でした。素晴らしすぎる。こんなところがサルディーニャにあるなんて。こんなすごい遺跡がなぜそれほど知られてないのかが不思議でした。エジプトのサッカラの階段ピラミッドやメキシコのマピラミッドのように観光客が多く訪れている訳ではなくここは1日、何組かが訪れている感じです。(危うく、引き返しそうになったぐらいだし)多くの人が訪れないからこそここのエネルギーが守られてきたのかもしれません。すっかり満たされて、私たちは海辺のレストランでランチした後ビーチへ向かいました。ここは、私がイメージするイタリアのビーチという感じ。エメラルドグリーンの海。モンテダコッディのピラミッドを訪れることができてカステルサルドに滞在して本当によかったです。ということで、私たちは次の日、オロゼイに向かいました。
2024年06月13日
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オレスターノを出発しカステルサルドに向かう途中私たちは、二つの遺跡を訪れました。サルディーニャ島は、日本の四国ぐらいの大きさですがヌラーゲと言われる紀元前2000年ぐらいから作られた建造物がなんと7000~8000つも残っているとのこと。ヌレーゲは、世界でサルディーニャ島しか見つかっておらずさらに巨人の墓と言われる巨石が200こ以上あります。(人骨と思われる巨大な歯と骨も見つかっているのだそう)そして、それだけでなくアイルランドやイギリスに見られるドルメンやメンヒルも、島中に存在しまた、ヨーロッパで唯一という階段ピラミッドも残っているとのこと。私は、古代文明の中でも特に巨石文明に強く惹かれているのですがこのサルディーニャ島は、巨石好きにはたまらない魅力の島であることがわかってきてだんだんワクワクしてきました。(カリアリは、重かったけど)こちらは、最初に訪れた巨人の墓。Imbertigheここもよかったのですが次に訪れたヌラーゲのTamuli遺跡が素晴らしかったです。このタムリ遺跡は周りに家などがなく自然の中にあったので入った途端、とても気持ちよく。Betiloという神聖なる石が6つ並んでおりそのうち、3つの石には、乳房がついていて女性を表し他、3つの石は、男性を表すとのこと。こちらは、女性。なんとも可愛い造形。こちらは、男性。この石から少し歩いたところにあったヌラーゲの遺跡。この上の方に、神殿のような建築物がありました。ここが予想していた以上にエネルギーが素晴らしくてどうしてこんなに高い波動を発しているのかわかりませんが(土地のエネルギーなのか?)ここは、まさに神聖なるセレモニーを行っていた場所なのではないかなと。ちょうど、この近くでイタリア人の女性3人組がまるで、ネイティブアメリカンのような太鼓を叩きながら、歌い祈りを捧げていました。自然と神への祈りと感謝の歌。古代のエネルギーに触れた時自然と、ハートが開いて涙が出てきました。和美ちゃんも、またここに来たいと言っていましたが本当に、いつかまた訪れたいと思う場所でした。そこから車で1時間。カステルサルドに着いてチェックイン。2ベッドルームの新しいビュラですが中は、結構狭くて、写真とはかなり違っていました。(霊はいませんでしたが)私たちの宿から200mぐらいのところにあるビーチ。島の西側は、波が荒かったので海に入りませんでした。カステルサルドの街。
2024年06月12日
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さて、カリアリに2泊した後次の宿泊地はオレスターノに2泊その次に、カステルサルドで2泊そして、オロゼイで3泊、その後、カリアリに近い世界遺産「スーヌラージ・ディ・バルーミニ』の近くで1泊し再び、カリアリに最終日に泊まる予定です。これは、遺跡の絵が描かれているマップに今回の宿泊先を記入したもの。まずは、オレスターノで借りていたアパートメントにチェックイン。2ベッドルームのアパートメントで1階と2階にベッドルームがあるデュブレックスで広く何より霊はいなくて。ほっと一息。この日の朝から、普段はしっかりしている和美ちゃんがカリアリでの霊の影響でうっかりミスや物忘れが激しくなっていたのでランチした後、キネシのセッションをやりました。霊の浄化だけをするつもりでしたが、結局「どんな霊とリンクしているか?」を見ていくと仕事や恋愛などの問題にも関わってくるし人がいかに多次元的な存在であるのかを改めて思います。それにしても、ここまで来てもやっぱりセッションやってる私は本当、キネシ好きなんだな~さて、その後、サルディーニャ島で発掘された巨人の像が展示されている美術館へ向かいました。これは、最も有名な巨人像で戦士と名づけられています。この美術館を出る時ここで働いている一人の30代ぐらいの男性に「どこから来られたのですか?」と声をかけられました。「日本からです」と和美ちゃんが答えるとその男性は、目を輝かせて「おお、やっと出会えた、日本の人に。日本とサルディーニャは、いろんな共通点があるのです」とのこと。彼曰く、過去、サルディーニャは他のイタリアの人と交わらず混血が少なかったため他のイタリア人に比べて身長が低いとのこと。また、食事なども、この地方特有のものを食べ人生における意識が高いとのこと。後から知ったのですが、サルディーニャは100歳以上の人が多いとされる世界5大ブルーゾーンの一つなのですね。(他は、日本の沖縄、コスタリカ、ロサンゼルスなど)そして、彼曰くオブシディアンに捧げる美術館があるのは世界でサルディーニャと日本のみとのこと。彼が、その日本の長野にあるオブシディアン美術館のサイトを見せてくれたのですがそこに「縄文時代」と書かれてあったので「あ、縄文なのね!」と私が言うと「そうなんです。縄文文化なんです!」と、さらに目をキラキラさせて嬉しそうに話していました。ああ、この方、神と自然と共に生きた縄文時代の日本のことを知って日本のことが大好きなんだなあとなんだか、とっても嬉しかったです。(縄文時代と今の日本人と全く違うけど😅)とても愛に溢れた、ハート全開の人で彼の顔を見ているだけで涙が出てきそうでした。すでに2週間、サルディーニャで過ごしている和美ちゃんと「サルディーニャの人って優しくて謙虚な感じだけど、罪悪感のようなちょっと重いエネルギーを感じるよね」ということを話していたのですが彼には、重いエネルギーは全く感じず彼のおかげで、サルディーニャの人の印象が一気に変わりました。縄文とのつながりをここサルディーニャで感じるなんて😭これは、タロス遺跡。和美ちゃんが、まだ捻挫した足が腫れていて駐車場から遠くまでは歩けないのでこの敷地内には入らず入り口で引き返しました。それから、駐車場から近いビーチでのんびりしようとビーチを探してビーチでパラソルを借りて3時間ぐらい過ごしました。ビーチでボーッとしている時になぜか、久々に、昔、大学時代によく歌っていたイタリア歌曲を思い出し歌ってみたらめっちゃ楽しかったです。「Se tu ma’mi 」「Vergin Tutto Amor」「Sebben Crudele」「Lascia ch’io pianga」など、歌詞もいまだに覚えているものだなあ。今回、検索して初めて知ったのだけどYouTubeで、イタリア歌曲の歌のピアノ伴奏だけの動画があり、そのピアノに合わせて歌えばまるでカラオケ気分で歌えるのです。これからは、時々歌って遊ぼうと。初日に入ったレストランは評価も高くて、美味しかったです。これは、アペで頼んで、二つに取り分けてもらった炭火焼のタコ。めっちゃ美味しい。サルディーニャのワインも美味しかった🥂ということで次の日、私たちはオレスターノを出発してサルディーニャの北のカステルサルドへ向かいました。
2024年06月11日
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私は、ほとんど何も調べないでカリアリの宿泊の予約をしてしまったので全く場所感がわかっておらず到着してからわかったのですが私が、予約したところはカリアリの旧市街でした。観光客も多い場所ですが同時に、霊的なエネルギーも多くどのストリートを見ても霊がいそうだなという雰囲気の場所でした。初日の夜、眠りについた1時間後に急に足がつって、飛び起きました。一瞬、マグネシウム不足か?と思ったのですがマグネシウム不足の時はいつも足のすねが、つる感じになるのに今回は、足の指が5本直角にひん曲がった感じになって元に戻らないのです。あ、もしかして霊?と気づいて、筋反射で調べてみたら、案の定、地縛霊と出てきました。急いで、クリスタルボールを鳴らしたらその瞬間に、ひん曲がっていた5本の足の指がスーッと元に戻ったのでなんじゃこりゃ~とこんな霊の症状は、初めてでした。で、地縛霊は、この部屋ではなくこのビルにいることがわかったので上にあげることができるかどうか調べてみるとビルだけでなく、この近くに地縛霊や浮遊霊が大量にいる場所があるので浄化は不可能と出てきました。その場所とは、そこから歩いて1分のところにある教会でした。その教会は、観光名所らしくたくさんの人が訪れていましたが私が昼間、一歩中に入ってみるといかにも、大量に地縛霊がいる感じだったので、すぐに出てきたところです。それで、とりあえず、自分に憑いたものを外すしかないのですが私に憑いた霊の情報を、筋反射で調べてみるとキリスト教からの迫害、自由でいられなかった、死の恐怖、など出てきました。ネットの情報で、後から知ったのはサルディーニャの人々は、元々ヌレーゲ文明などの自然信仰をしていたのがローマ帝国の侵略でキリスト教に改宗させられた歴史があり迫害から逃れるために作られた地下壕の上に教会が建てられているというのです。報われなかった魂たちが今も彷徨っている場所。は~なんというところに泊まってしまったのか。地縛霊を浄化できないとなるとこりゃ1晩中、寝れないのかも?と思っていたらトートが現れて地縛霊の影響を最小限に留めることができるように自己調整しなさいと言われたのでずれていた顎関節の調整甲状腺と副甲状腺の調整などの身体の調整に加え出てきたのはキリスト教に迫害された前世でした。昔から、キリストは好きだけどキリスト教は、苦手というか教会も今一つ、好きにはなれなった理由の一つがケルトの前世にあったことは以前にも書きましたがまだ他の前世も残っていたのだなあと。それを調整する時、キリストがやってきてその前世をリリースするためのサポートをしてくれました。「パーソナルパワーを奪われた過去世の傷と怒りを手放し、自分の力を取り戻しなさい」というキリストの言葉に号泣😭その次の日からぐっすり眠れるようになりました。これまでは、地縛霊や浮遊霊がホテルや部屋にいる時は全く眠れなくなっていたのでこれはちょっとした進歩です。(鍛えられるな〜😅)さて、サルディーニャ2日目の朝和美ちゃんと合流したのですが実は、和美ちゃんは私がここに到着する前日に階段で足を踏み外し、捻挫をしてしまい内出血で足が腫れてまともに歩けない状態になっていました😅なんとか、歩いて4分のところにあるレストランへ、ゆっくりと歩いてランチに向かいました。このレストランは、この旧市街の外れにありますが外なので、とても気持ちがよく。料理も美味しくて、結局ディナーもここで取りました。ワインを飲みたかったのですがここで飲んだら、グラウンディングが下がり間違いなく、夜、地縛霊の影響を受けることはわかっていたので、我慢してアルコールなしのモスコミュールを飲みました。(えらいぞ、私)ランチの後和美ちゃんが、ホテルで休んでいる間一人で、旧市街を散歩しました。車一台が、ギリギリ通れる狭い道。パステルカラーの家々が並んでいてとても静かですが以前、訪れたイタリアのチンクエテッレのように可愛い感じはあまりなく、かと言って、マルタ島の街イムディーナのような静寂の雰囲気もなく、正直、心惹かれる感じではなかったのですがこのあたりの人々の飾らない質素な生活の一部を見ることができました。ということで、次の日の朝空港でレンタカーをしてカリアリを出発しました。和美ちゃんが、捻挫したのは右足だったので、運転できるかしらと思っていたのですが結局、彼女は左足で運転するのにすぐに慣れて無事に、次の目的地オレスターノに到着です。続きはまた〜
2024年06月09日
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先ほど、イタリアのサルディーニャ島に到着しました。ニューヨークの夜中出発の便Norse エアラインで8時間でローマへそこから、ITA エアラインに乗り換えて1時間でサルディーニャ島のカリアリに到着です、今回、ヒーリング道具をいつもより多めに持ってきました。14本の音叉のセットを2セットクリスタルボール、シンギングボールブレイン音叉Acutonicの惑星音叉など。それに、朝食用のオートミールやプロテインパウダー、ナッツやアーモンドミルクまで入れて水中カメラだ、なんだかんだと詰め込んだら、大きなスーツケースがパンパンに。多分、重量オーバーになるだろうなあと思って空港に行ったら、案の定JFKのNorseエアラインのカウンターでは90ドルの追加料金を払いましたがなぜかローマからカリアリに向かうITA エアラインのカウンターでは「普通は、追加料金だけどこちらの荷物を少し持ち込み荷物に移して、両方とも預ければ大丈夫よ」と言ってくれて、追加料金なし。こういう融通が効くところヨーロッパっていいな~と。今回、いつもより、ヒーリング道具が多いのは出発前日に、髪を切りに行った後疲れたので、筋反射で調べてみると美容院で、霊的なものをもらっていたのと(その美容院にはいつもいるので体力が落ちている時は、もらってしまう)このところの忙しさもあって甲状腺と副甲状腺が機能低下になっていたからです。一応、その日で調整は終えたものの副甲状腺までやられるのは初めてだったこともありこりゃ、飛行機に乗れば電磁波で確実にまたやられるなあと身体の調整用の音叉も持ってくることに。さらに、すでにカリアリに滞在している和美ちゃんからの連絡でちょっと体調がよくないとのことなのでセッションすることになりそうというのも道具を多めに持ってきた理由です。さて、ハワイ在住の和美ちゃんはアーティストレジデンスで、何週間かサルディーナ島に滞在していて先日、そのアーティストレジデンスが終了したタイミングで私が合流することになったわけです。予定では、サルディーニャ島で10日間ぐらい過ごした後和美ちゃんと別れ一人でロンドンへ。ロンドンでは、ストーンヘンジの夏至のツアーに申し込んでいたのですがなんと、たまたま同じタイミングでちさとちゃんも、ロンドンに滞在する予定であることが後からわかって、結局二人で、ストーンヘンジに行くことになりました。(すごいシンクロ)その後は、フランスやギリシャ、北欧など回って、2ヶ月ぐらいヨーロッパを旅するつもりだったのですがなかなか、ロンドンから先の予定が決まらず。行きたいところは、たくさんあるはずなのになぜか、スッと決められないのです。レベル2クラスなどでゆっくり検討する時間もなかったので旅に出た後、決めようと思っていたのですがレベル2のクラスの前に大家から知らされたのは今のニューヨークの家を8月一杯で出なければならないとのこと。そして、マスターたちからのメッセージでこのタイミングでニューヨークを離れなさいと言われ色々と調整の末、住み慣れたニューヨークを8月末に離れることになりました。(この経緯は、長くなるのでまた次回~)ということで、ロンドンの後は1週間ぐらいエジプトに寄って6月一杯で、ニューヨークに戻り引越しの準備をします。サルディーニャ島でチェックインしたホテルアパートメントは結構、高台にあってこんな閑静な住宅街。このあたりは、みんな古い建物なので予想していた通り、部屋に霊はいて早速、クリスタルボールやシンギングボールで浄化しました。ちょうど、ホテルの前で聖母マリアのお祭りが行われていてたくさんの人が通りに出ていました。少し歩くと、夕日が見えるところに出たので、ベンチに座って夕日を見ました。明日の朝、和美ちゃんと合流です。サルディーニャ島は海も綺麗で、古代遺跡もあるとのことで楽しみ。とにかく、旅は、体調をベストの状態に持っていくことが何よりも大切。これから自己ヒーリングして飛行機の電磁波による影響など調整してから、眠ります。
2024年06月07日
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旅から戻ってすでに3週間。何だかイタリアが、もう遠い昔のようです。おさむは旅から戻ってから、彼のブログに旅日記を書き始めて、もう終わっているのに私は旅の間にすでにアップしていたのも関わらず、まだ終わってない。。。ということで、かけ足でアップ〜この日、ヴェネチア2日目の朝。前日からの天気予報では、この日は1日雨だったのですが何とか晴れて、船上ホテルの朝食をデッキで頂きました。風が心地よかった〜♪それからヴェネチア本島へ。今日は、ヴァポレットで運河を渡り、リアルト橋の方に向かいます。リアルト橋。リアルト橋の上から。橋の上にはたくさんのガラス工芸やおみやげ物屋が並び観光客でごった返していました。 ぶらぶらと歩いて、回ります。迷路のような路地に迷いそう。というより、地図を見ても、今どこを歩いているのか、さっぱりわからず。とにかく歩く歩く。。。 ランチは、通りかかったギリシャ料理の店へ。やっぱりワインはどこもおいしい。古い建物のドアや窓。 適当にギャラリーや工芸品店に入ってみたりジェラートを食べたり、記念撮影したり。この日は、かなり歩きまわって疲れたこともあって夕方には、ワインとつまみを買って、早めに船上ホテルに戻ります。そのつまみがまた上手い♪ヴェネチア産のピノグリージョ もおいしかった。この街の喧噪から離れた船上ホテルに泊まってほっと一息できる空間が本当によかったです。次の日、ヴェネチアからミラノに戻った私たちはサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会にある世界遺産になっているレオナルドダヴィンチの「最後の晩餐」を見ました。チケットは数ヶ月先まで一杯だったので、あきらめていたもののどこかの旅行会社が出していたチケットを購入したのですがこれはやっぱり行ってよかった〜。人数制限があり、25人ずつ壁画のある部屋に入って作品を見れるのは、15分だけなのですがその15分の緊迫した空気の中、そこにいた誰もがそれぞれ作品と静かに向かい合っていました。その15分の間に感じた様々な感覚を言葉にすることは上手くできないのですが。この絵に対する解釈は、ダヴィンチコードなども含め、いろいろなものがありますが人それぞれの解釈であって、真実は全く違うところにあるかもしれないですよね。さて、その後、ミラノのワインバーで飲んだ後(ここもとてもよかった〜)レストランで私たちにとってのこの旅の最後の晩餐。からすみのサラダやウニのパスタなど、とてもおいしかったです。ということで、イタリア日記、超駆け足で終わりました。(とにかく終わらせた〜)さて、この旅の後、またまた、おさむのディープな闇発覚!というか、またいろいろと出てきたのですがその話はおいおい
2013年09月10日
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さて、ダマヌールからトリノに向かった私たちはダマヌールでエジプトの神々の像や壁画をたくさん見たこともあってその日、トリノにあるエジプト美術館に行きました。ここはエジプトのコレクションとしてはカイロについで世界で2番目の大きい美術館だそう。エジプトはやはり一度は行ってみたい国の一つですがこうしてエジプトの神々の像を見るとわくわくします。これはハトホル神。ハトホルは、古代エジプトの愛と音楽と豊穣の女神です。トムケニオンの『ハトホルの書』によればハトホルがエジプトに存在していたのはファラオ以前であり、1万年以上前とのこと。本によれば、その頃にはすでにアトランティスは滅んでいたそう。こちらはツタンカーメン王とアメン神。そしてエジプトの女神、イシス。イシスはとても激しい女神で、愛する夫オシリスを蘇らせたなど様々な伝説があります。エジプト美術館を出てから、トリノの街をぶらぶら歩きました。ストリートで演奏していたカルテットがとてもよかった♪モーツアルトがトリノの街にとけ込んで、美しい。この日、トリノで泊まったホテルは、この旅、唯一の5つ星ホテルで内装は重厚なつくりでしたが、これまでのホテルの中では一番狭くてまた泊まりたいというようなホテルではありませんでした。ヨーロッパのホテルの星の数は、快適さとはあまり関係ないですね。そして、次の日。最後の目的地、ヴェネチアへ。トリノから列車でミラノに行き、そこから乗り換えて計4時間ほどでヴェネチアに到着です。駅前にて。運河を行き交う船。さて、ヴェネチアでのホテルは、普通のホテルと船上のホテルと両方予約していたのですが、直前までどちらにするか迷っていました。船上のホテルの方は、ヴェネチア本島ではなくセルトーサ島に停泊しているボートのB&Bです。おさむは「初めてヴェネチアに行くのに、ヴェネチア本島に泊まるのが普通でしょ」というし、やっぱそうだよな〜と思いつつも、どうしても引っ掛かるのでオラクルカードを引いてみたら「アドベンチャー」というカードが出てきたので冒険してみよう、と船上のホテルに決めました。サンタルチア駅からまずは水上バスに乗ります。これが水上バス、ヴァポレット。サンタルチア駅からヴァボレットで40分かかって、セルトーサ島に到着。船上ホテルは、バス乗り場のすぐ近くにあるものだとばかり思い込んでいたのですがその周りには見当たらず。結局、そこからさらに30分も歩いていかなければならないところに、船は停泊していました。滅多に後悔しない私ですが、強い太陽の日差しの中、重いトランクを引きずって歩いているとあ〜やっぱり変な冒険しないで、おさむの言う通り普通にヴェネチア本島にホテルを取っておけばよかった〜と後悔。そしてようやく船上ホテルに到着。船主のファビオが温かな笑顔で迎え入れてくれて小さいながら、とてもきれいな船の上に通された時にはほっとしました。それからファビオがウエルカムドリンクとして、プロセッコとオリーブのスプレッドなどを乗せたカナッペを、おつまみに持ってきてくれて船上デッキのテーブルで頂いた時には「あ〜この船上ホテルに決めてほんとよかった〜」とすっかり変わっていました。(はい、超単純です)船は客室は5つしかない大きさですが全く揺れないので、快適。フォビオは、空手の茶帯だそうで、日本文化の影響なのか船上にあがる時に、靴をぬぐスタイルなので、船内はとてもきれいです。部屋は、前日に泊まったトリノの5つ星ホテルの部屋と広さ的にはそれほど変わらないので、船の中の部屋しては広くてバスルームもシャワーと浴槽も別々でした。フォビオ曰く、このボートホテルに日本人が泊まったのは、初めてだそう。 彼は、空手用語だけですが「右構え」などの日本語を、妙に完璧な発音で話すので笑いました。それからボートでバス乗り場まで送ってもらってヴェネチア本島に行きました。水上バスでセルトーサ島から10分ほどで観光の中心、センマルコ広場に到着。と、とにかく人が多い〜〜広場だけでなく、狭い道もどこに行っても人、人、人。。そりゃ、世界の観光地ベネチアだから当たり前ですがこんなに人がうじゃうじゃいるとは。ヴェネチアのムラノで作られているガラス工芸を売る店や仮面の店レストランなどが狭い通りにびっしりと軒を並べています。 家々の間に流れる水路にゴンドラが行き交います。ヴェネチアに来る前はゴンドラ乗ろうと思っていたのですがあまりにもたくさんの観光客がぞろぞろと乗っているのを見ていて私たちはすっかり乗る気がなくなっていました。それでもやはり、ヴェネチアの町並みにゴンドラの風景は絵になります。 この日は、夕食も早めにレストランで済ませ、船上ホテルに戻りました。戻る頃は、ちょうど夕暮れ時で、空がとても美しく染まっていました。(揺れる船の上からなので、上手く撮影できず)次の日もヴェネチアを回ります〜。
2013年09月09日
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久々の日記です。旅から戻ってから、なんだかんだと忙しい日々が続いていました。旅日記もすっかり中断してしまっていますが、今日やっと少し時間が取れたのでとりあえずその続きを。(今日は一気に終えてしまいたい〜)この日、いよいよ神殿の中心、Hall of Spheres に入ります。ここは神殿の中心であり、シンクロニックラインと最も深くつながっている部屋とのこと。この部屋に入る前に、別の部屋で準備を行います。椅子に座って、手渡された図形を手でなぞってゆきます。この図形自体に瞑想状態やリラックスしやすくなる効果があるそう。そして、9つの玉がある部屋へ。Spheres(玉)には触れることはできないので、中央に椅子を持って座り一人につき、一つのSphere と向かい合います。そして、ガイドの誘導でのメディテーション。メッセージを受け取る人もいれば、映像を見る人もいるとのこと。私もしばらくSphereを見つめてから目を閉じると、いくつかの映像が見えてきました。見たこともな八面体?の白い建物や馬や青い目の厳しい感じの人など今から思い出すとその時の感覚はあやふやで感覚的には何となく残っているのですがその意味はよくわからず(わからなくていいのだけど)でも、この部屋を出る時には、エネルギー的にかなり充電されているのを感じました。それからHall of Metal へ。ここは壁に三角形のステンドグラスが埋め込まれていて時代ごとの人物像と、その時代を象徴するものが周りに描かれています。例えば赤ちゃんの顔のステンドガラスには芽生えたばかりの植物たちや花などが描かれていてこれは0〜7才の時代を表します。以下、7〜14歳、14〜21歳と続き35〜49歳がダマヌールの創始者ファルコの絵になっていました。一人一人、ピンと感じたところのステンドガラスの前に座りそれぞれメッセージを受け取ります。私は最初にファルコの前に座りました。私がそこから感じたエネルギーは、遊び、自由、アート、ゆとり。たぶん、それは私自身の本質であって、それを今、もっと必要としているからかなあと。その他、例えば7〜14歳の子供の絵からはアドベンチャーやチャレンジというメッセージが受け取ったり14〜21歳では仲間たち、コミュニケーションという言葉が50〜64歳では、叡智や知恵、64〜78歳では、ワンネス、統合というメッセージを受け取りました。これはもちろん人それぞれ全く違って感じることです。でも、一つ一つのステンドガラスの絵を見て、座っているとああ、そうか〜、とストンと落ちてくるポイントがあるのです。また現在、神殿の中の建設中の部屋も見学しました。この部屋の隣には、世界中の文化や宗教や人々の絵が文化ごとに描かれている部屋があって、日本の文化を描いた絵もありました。これは本当に素晴らしく、一つ一つの文化の特徴がよく描かれていて本当にファルコは世界を回って、それぞれの文化を深く理解しているのだなあと。また、新たに壁に新たなアートを描いている様子も見ることができました。夕方からはダマヌールの人によるダマヌール哲学についての講義と質疑応答の時間。ファルコの唱えたダマヌールのポリシーとも言うべき8つの概念のこと。(シンクロニシティやカオス、多様性、ダイナミックな社会性など)シンクロニシティはこの地球上だけではなく他の惑星も含めたすべてのコネクションであって私たちの直感とつながっています。確かに、頻繁にシンクロが起こる時というのは自分自身に揺らぎがなくて、完全に安心していて大いなる力からの守護を感じている時のような気がします。質疑応答の時に、ファルコのことを聞いてみました。ファルコが亡くなった後も、彼のスピリットと交信(チャネリング)をしているのか?と尋ねるともちろんイエス、だから安心して、コミュニティを進めていることができるとのことでした。またファルコが初期の頃、タイムマシンでアトランティス文明を見てきた話などもありました。タイムマシンと言っても、道具は何も使わないで意識だけで身体も移動するとのこと。このあたりの話になると、なかなか受け入れられない方もいるかもですが私はそういうイメージをするだけでわくわくしてしまいます。このガイドの方が言われていて印象的だったのは死について知ることの大切さ、そして、死ぬための準備として最も素晴らしいことはFULLY LIVEつまり、「最大限に生きる」ということ。ほんとうにそうだなあと。最大限に自分がやりたいことにチャレンジしていって最大限に人とつながって最大限に楽しんで日々を過ごしていれば、死は最高の卒業式になるのでしょうね。そして、4日目の最終日。この日は、朝からダマヌールの人たちが住んでいるコミュニティを訪れます。案内をしてくれた方がダマヌールの人たちが最も大切にしているのは「多様性と変容」と言われていましたが、ダマヌールでは600人以上が住んでいてもみんなが同じ規則や規律の中で暮らしているわけではなく小さなコミュニティごとに生活のスタイルは全く違っているのです。木の上で暮らす人々や、藁と土で作られた家に住む人々や最新のエコハウスで暮らす人々など、様々な暮らし方がありました。また、例えそれがよいものであっても、一つのやり方やあり方にこだわらず常に変化、変容、進化を続けているものだそうでコミュニティとしての理想的なモデルのように感じました。(もちろん、実際に住んでみないとわからないことはたくさんあるでしょうが)この日、私たちが見学したのは、ツリーハウス(木の上の家)のコミュニティ。11人の大人と3人の子供が住んでいて、二人はここで生まれたのだそう。このツリーハウス、本当にかわいくて、アーティスティックでまるで映画アバダーの原住民たちの暮らしのように自然にとけ込んでいてわ〜こんなとこに住んでみたい〜〜♪と思わせるものでした。このあたりにある木は、チェスナットでその生態系を守るために、光を当てるために抜粋することが必要な木だけを切り取り木材にして、また家を建てる木が傷つくことがないように様々な工夫がされていました。家々は木で作られたつり橋でつながっていて歩くとゆらゆらと揺れますが、とても頑丈だそう。参加者の中で、高所恐怖症の女性が一人いてガイドの方が「ここはきっと歩けますよ。歩いた後は、たぶん高所恐怖症も治っていますよ」と言われていたのですがその人は恐さでぽろぽろと泣きながらも、立ち止まることなくつり橋の上を歩いて渡りきり、みんなで拍手で迎えられました。それを見ていて、つい私も、もらい泣き(なんで、のりこが泣いてるんだ、とおさむに突っ込まれましたが)ツリーハウスの写真撮影は禁止だったのでこちらのサイトから拝借。そして、このガイドの方が住んでいるというツリーハウスの中へ。そこは、とても素敵な快適な空間でした。リビングの周りはガラス張りで、木に囲まれているので森の中に座っている感じで、素晴らしいエネルギーでした。外から見るより中はずっと広々としていて部屋には快適なソファーやテーブルが置かれてあり参加者8人とガイド2人の10人が座っても、充分なスペース。ツリーハウスでは、電気もガスもインターネットも使えるとのこと。リビングには、ある一つの機械が置かれてあってそれは、植物の波動を音楽に変換する機械でした。植物にそれを当てると、その波動が音楽となって出てくるのです。植物たちの奏でる音楽。植物によって、全く違う音楽になるし、また触る人によっても変わるのだそう。一人一人、植物に触って、その音楽の違いを確かめます。確かに、人が変わる度に、ゆっくりと音階をあげてゆくパターンになったり早いテンポになったり、高音域になったり、低音域になったり。なので、自分が触る番になると、まるで人間に握手しているかのようなやさしい気持ちになります。ガイドの方が言われていたのは、もし人がその植物をはさみを持って切ろうと意図して近づくと、植物は金切り声のような悲鳴の音を出すのだそう。ダマヌールではこういった植物に関する様々な研究が行われていて研究していく中で起こった興味深いお話がいろいろありました。その後は、森の中で行われたセレモニーを見学しました。これは、ダマヌールをエネルギー的に守るためのセレモニーとのこと。赤いマントと緑のマントを着た30人ぐらいの人たちが森の中に作られたシールドの中に入り、セレモニーを行います。それは、まるでロードオブリングの映画を見ているかのようなまたは魔法の国のセレモニーを見ているような感じで、おもしろかったです。ということで、ダマヌールでの3泊4日のプログラムは終了しました。私たちはダマヌールで研究し制作されている特殊なcooper で作られたブレスレットを購入しました。私が買ったのは、3つ。一つはオーラを整えるためのシンプルなもの。一つはネガティブなエネルギーのプロテクションと調和で多くの人と接する人やヒーラーに有効とのこと。もう一つはクリエイティビティのためのもので音楽やアートやダンスなどクリエイティブな制作に携わる人に有効とのこと。その他、ダマヌールが研究開発したペンダントや神殿内のエネルギーを転写したエッセンスやオイルなどこのイタリアの旅で、一番買い物をしたのはダマヌールでした。(今回のイタリアでは洋服やバッグなど買って帰ろう、と最初は思っていたのですが、結局、洋服などはほとんど買わず)クリスタルなども含め、こういったパワーグッズはすでにたくさん持っているし、そういったものを使わなくても自分自身がヒーリングされて、最大限にエネルギーが活性化されている状態でいることがベストですが、それでも遊びでいろいろ試してみたくなるのですよね〜ちなみにこのブレスレットの効果のほどですが私は普段、キネシオロジーのセッション中はクライアントさんのエネルギーと共鳴するためたまにデトックスのエナジーの影響を受けて咳き込んだりするのですがこのブレスレットをつけて、セッションを行うと共鳴とプロテクションのバランスが取れる感じでクライアントさんのエネルギーと共鳴しながらも影響を受けすぎないので飽きっぽい私にしては珍しくNYに戻ってからも毎日のようにつけています。ということで、ダマヌールの神殿の美しさや様々な感覚を言葉で伝えることは到底できないので、ダマヌールに行ける方はぜひここのプログラムに参加して、神殿を訪れてみてくださいね。いろんなプログラムがあるようです。ということで、旅日記もあと少し。読んでくださってありがとう〜
2013年09月07日
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さて、この日び朝9時にオフィスに集合しそれから再び、ダマヌール内の案内からスタートしました。今回、この3日間のコースの参加者は、私たちを含めて8人でした。イタリア人は一人もおらず、プログラムはすべて英語で行われました。二人はオランダから来た40代のカップル。この二人はたぶんヒーラー。また、他の二人はドイツからきた50代ぐらいの女性二人組。おしゃべりで好奇心旺盛なドイツのおばさんという感じ。また他の二人はブルガリアから来た親子。娘はお母さんの通訳として来られたようで、ダマヌールでの英語でのお話をいつもお母さんの耳元でブルガリア語に訳していました。朝はダマヌールクレアについての説明がありました。ここには、ヒーラーやセラピストだけでなく、西洋医学の医者も常勤が4名いてまたその他にもダマヌール市民の医者が働いているそうで代替医療と西洋医学の融合を意図しているとのこと。また、世界各国の民族やシャーマン、ネイティブなどとの交流をはかったりダマヌールに招待したりするプログラムが行われていたりまた科学、物理、環境、農業など様々なリサーチのプロジェクトや地下のスタジオでは、現在進行中のアートワークやモザイクのプロジェクトが行われており、手で斧を使って、一つ一つ石を小さく割ってモザイクを作っている様子などを見ることができました。この朝、ダマヌールの案内をしてくれた方は、とてもいい感じの女性でダマヌールについて説明しながら、自分がなぜダマヌールに住むことになったのかまた彼女がここに住んで30年の間に、起こった出来事などをいろいろ話してくれました。先日のファルコの伝記にも書かれていましたがファルコは、1977年に地下に壮大な神殿を建てることを計画しますがそれはあまりにも巨大な建築物だったため、許可が下りないということで秘密のうちに建築が進められ、1992年までは公開されずに秘密に守られてきます。「人類の神殿」と名付けられたこの建物は、すべて手作業で行われ地下70メートルにも及ぶ、広さも世界でも最も大きな神殿の一つだそう。こちらは神殿の見取り図。1992年にダマヌールから脱退した一人の通報で、神殿が発見され、大規模な神殿内の捜索が行われます。当時、ダマヌールは、犯罪組織か何かだと思われ徹底的に調査されたそうですが見つかるのは美しいアート作品や精巧に作られた隠しドアなどばかり。結局、このテンプルもコミュニティも全く違法性はないことが証明されたのだそう。ダマヌールの案内の女性が「私たちはクレイジーだけれど、ごくノーマルな人々なのです』と言われたのが印象的でした。私から見ると、ここダマヌールで言われている哲学や物事の捉え方というのはごく自然なものであって、全く違和感を感じなかったのですがクレイジーというのは、一般的でない、という意味なのでしょう。一般的ではないけれど、人間としてごく普通の人々。今でこそ、私がちが肉体以外の身体、サトルボディ、つまりエネルギー体を持っていることやオーラやチャクラの概念は一般的になっているし前世療法やサイキック、レイラインなども受け入れられるようになっていますが当時3、40年前では、まだそれはクレイジーな世界だったでしょうし特にキリスト教、カトリックが大半の中にあっては宗教ではないスピリチュアルなコミュニティはなかなか理解してもらえなかったのだろうなあと。もちろん今でも、まだ目に見えるもの以外のものを信じない人たちやこういったスピリチュアリティに偏見を持っている人たちはいます。そして、実際、グラウンディングしていなければこういったスピリチュアルの探求は、宙に浮いたものになりがちで世の中には、スピリチュアルという名のもとに、人や自然と調和することをしない本当にただクレイジー?な人もたくさんいます。私たちが出会ったダマヌールの人たちは野菜や自分たちの住む家を作り、人々と調和しながら自然とともに暮らし、しっかりとグラウンディングしていて真のスピリチュアリティがそこにはありました。さて、この日、11時すぎ。最初のテンプルへの入場です。ダマヌールの神殿に入るのは、この旅で何よりも楽しみにしていました。(残念ながら、ここからは写真撮影は禁止されていますので建物内の写真は、他のサイトからお借りしてきました)ごく普通の家のドアを空けると、そこは人一人がやっと通れる狭い通路になっていて両脇にエジプトの壁画のような描かれています。そして、強く押すと開いてくる隠れドアやスイッチを押すと、自動で出てくる隠れ階段など様々な趣向や遊びがあって、わくわくします。そしてたどり着いたのが、 hall of Earth 地球の部屋。この部屋は、人類の神殿の中で、一番地下70メートルのところにあります。それは夢のように美しい空間でした。高い天井。色彩豊かな絵画。彫刻。ステンドグラス。地球の様々な動物たち。植物。人々。女神たち。世界の神々。海。空。大地。宇宙。惑星。創造物。そこには母なる地球のありとあらゆる美しさが描かれていました。多くの寺院や神殿には、荘厳で神聖なエネルギーが流れています。ここは、そういった神聖なエネルギーと同時に人や生き物を讃え、地球を慈しむ温かなエネルギーもあってほっとするような感じもありました。天井は、プラネタリウムになっていて、床や壁の照明を消して天井の照明だけにすると大理石の床に、星々が映りこむ仕組みになっています。星々の上をゆっくりと歩いてゆきます。もし今の地球の文明が滅んでしまい、後の世の人たちがこのテンプルを発見した時に、今のこの時代のこともわかるように、とジーパンを着たり、カメラを抱えた女の子が描かれたりしているのもおもしろい。もし、今の人類を知らない人たち(人ではなく宇宙人かエイリアンかも?)が未来にこの神殿を発見してこの絵で、地球の美しさや人類の多様性を理解するのかしら〜とイメージが膨らみます。このHall of Earthで最初のサウンドメディテーションがありました。照明が消され、ゴングの音が鳴ります。地球に抱かれているかのような深いリラックスと安心感。この音で、私の中のエネルギーが一気に変化するのを感じました。それから、Hall of Water 水の部屋やBlue Temple など美しい神殿を見て回り今度は、チベタンシンギングボールでのサウンドヒーリング。ここでの音は、普段聞いているのとはまた違ってディープなところから響いてくる感じです。その後、一旦、ダマヌールクレアに戻ってランチ休憩。午後から再びテンプルに入ります。今度はHall of Mirror 鏡の部屋。鏡の部屋では、今度はさらに大きな直径1メートルほどのゴングを鳴らしてくれました。音が鳴り始めて、すぐに別の次元にいってしまいました。海の底から響くかのような、深い闇の中に引き込まれてゆくような感覚。この鏡の部屋で聴いたゴングの音は、本当にすごかったです。これは青年期の子供(確か15、6歳〜21歳ぐらいまで)が寄宿している家。子供たちだけで、お金の管理から家のこともすべてを決めてやっているのだそう。ここを育った子供たちは、世界中を旅するようになるそう。ダマヌールの人たちにとって、世界を旅していろんな文化や民族に触れることはスピリチュアリティを高める上で、とても大切だと捉えられているようでした。こういったプリミティブな神々が神殿の中にも無数に置かれてありました。 さて、夕方、この日のプログラムが終了し昨日、行きそびれたクレアから近いレストランへ。ここはタップワイン(生ワイン)があって、超おいしい〜♪料理も新鮮なフルーツと魚のカルパッチョやパスタなどとてもおいしかったです。ということで、イタリア旅日記、続きます〜
2013年09月06日
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この日の朝7時すぎ、チンクエテッレのマナローラから列車に乗りトリノに向かいます。途中、2回乗り換えて、その度におさむが二人分の重いスーツケースを降ろしたり乗せたり(彼はよく働きました)4時間ほどでトリノに到着。トリノの駅からタクシーで、街外れにあるレンタカー会社へ向かいます。私たちはこれからトリノ郊外へドライブしてトリノに戻ってくるのは3日後の日曜日。ここは街の中で唯一、日曜日もレンタカーを返却することができる場所ということで選んだのですが、問題なのは、オートマティック車は1台もなくマニュアル車のみしかないとのこと。おさむは、マニュアル車を運転したのは20年以上前のことなのですが何とかなるだろう、とマニュアルカーを借りることになりました。ということで、レンタカーで出発したもののおさむは頻繁にエンストを起こすし、最初はバックの仕方さえもわからない状態。しかも、全く地理感のないトリノの街の中の運転でグーグルで調べた行き方の地図はあるものの今、どの道にいるのかもわからず何とかなるだろう〜とあまり考えていなかった私もさすがに「ひぇ〜この計画は無謀すぎた?」と冷や汗ものでした。それでも3、40分ほど、うろうろ走っていくと、どうにかこうにかもうすぐダマヌール方面の高速道路に入ることができそうで、ほっとしているとおさむが突然「レンタカー会社からもらっ書類をレンタカーの会社に忘れてきた」と言い出します。「え〜〜ここまで来て引き返すの〜〜それがないと困るものなの?」と聞くと、おさむは「それがないと困るから、取りに戻る」というのでそこからまた今来た道を引き返し、人に道を聞きながら何とかレンタカー会社に戻ります。でも、おさむの失くした書類はレンタカー会社にはなく結局、書類なしでまたスタートすることに。なんじゃ〜そりゃ〜結局なくてもいいんじゃん!しかも〜〜〜書類は、後から彼のかばんの中にあったのが見つかったのでした。(ボコボコ)なぜか、この日のおさむは、もうすべてがこんな調子でピンとがずれていました。慣れないマニュアル車、初めてのイタリアの町中での運転で頭が一杯で、意識がすべてに渡っていなかったのでしょう。このあたりの調整はまだキネシで必要かも。「未経験の状況で、様々なことに同時に意識を向けながら冷静に判断し、柔軟に対応してゆく力」かしら。さて、ダマヌールの近くの街で高速を降りてから、田舎道に入り地図を見ながら進んでいったものの、また途中から道がわからなくなり村のトラットリアのおじさんに道を聞きました。おじさんは、イタリア語で話しながら、紙にいくつかの名前を書いてくれました。進んでゆくと、これはどうやら村の名前らしくここに書かれてあるいくつかの村に沿って進んでいけばダマヌールに着くということらしい。でも、このおじさんの教えてくれた行き方が、わかりやすくしばらく走ってゆくと、ダマヌールの看板が!!これが見えた時には、やった〜と思わず歓声をあげました。もしトリノから迷わず、途中で引き返さずに来たならたぶん1時間ぐらいで着いたでしょうが、3時間ぐらいかけて到着です。ダマヌールはスピリチュアルエココミュニティです。4つのレイラインが交差するところ(ダマヌールではレイラインと言わず、シンクロニックライン、と言っていました)として有名で、つまり強力なパワースポットです。特にアート、音楽、ヒーリング、エコ、環境、教育などに力を入れているコミュニティなのでもう随分前から行ってみたいと思っていました。確か数年前にスティングがダマヌールを訪れた時にはさらに行きたい気持ちが強くなり(スティングファンだったし)2年ほど前に、私一人で行くことをあれこれと計画していたのですが(その頃はおさむはあまりダマヌールに興味を示さなかったし)結局、その時は行くことができず、今回、ようやく実現しました。今回はダマヌールの3日間のプログラムへの参加です。ウエルカムオフィスで登録をすませ泊まる場所にチェックインしました。部屋は4つほどあって、バス、トイレは共同。私たちの二人部屋は、思ったより広かったです。それからウエルカムオフィスのカフェで軽く食事をします。ごく普通のカフェで、いかにもコーヒーと甘いものぐらいしかなさそうなのにワインもビールもカクテル類も充実していて「ダマヌール=メディテーションセンター=酒飲まない」みたいな私たちが持っていたイメージを軽く覆してくれてとっても気に入りましたそれから、ダマヌールクレアに行ってみました。クレアとは、イタリが語で「創造」という意味。ここはダマヌールで作られた製品やオーガニックの食材が販売されているところで様々な研究やアートプロジェクトなども行われています。インターネットのアクセスは、このクレアのみで宿泊所ではできず、またこのあたりでスーパーはここしかないので結局、朝食も昼食もここに来ることになり車がなければ、無理でした。ダマヌール側から車で来るように、とメールであったのでそうしたのですが宿泊所から、クレアまでは、車では5分ぐらいの距離ですが歩けば1時間ぐらいかかるでしょうしやはり無理してでもレンタカーしてよかったです。ここに着く頃には、おさむもマニュアル車での運転も慣れてきました。この日の夕方5時30分から、プログラムのスタートです。まずはオリエンテーション。ダマヌールのウエルカムオフィスにある建物や迷路ラビリンスの使い方またダマヌールの歴史などについてのお話がありました。ダマヌールは1975年に創立されたコミュニティであり現在ダマヌール市民と言われる人たちは600人うち、子供は100人いるそう。ダマヌールの土地の端から端までは40kmぐらいあるそうでその中で、小さなコミュニケティや村が点在しています。独自の通貨を発行し、科学、物理、農業、天文、環境保護、様々な分野での研究が行われています。『アートは、無限の可能性を開く鍵」「すべてをアーティスティックにするのがダマヌール」と言われていました。庭のオブジェや建物に描かれた絵やモザイク画は、画家やアーティストでない人たちも制作しているものだそう。ダマヌールの最も中心的な創立者であるファルコは今年6月23日に亡くなっています。ファルコに関しては、こちらのサイトで日本語訳がありました。ダマヌール市民の人たちが、いかにファルコを愛し、慕っていたかは彼らがファルコを語る時の表情を見れば、よく感じられました。ここはオープンテンプル。歩く瞑想。ラビリンス。それぞれに例えば「不眠に利く」とか「ポジティブ力を高める」とか「記憶力を高める」などの効能があります。石は生き物でありアート。触ったり、寄りかかったりしてエネルギーを感じます。エジプトの神々。プリミティブな神々。アーティステックなオブジェ。 ラビリンスを歩くおさむ。このラビリンスを歩く時は、プロテクションのためのペンダントを持ちます。創造物に掘られてある象形文字のすべてに意味があるとのこと。例えば、この音符が反対になったような文字は「意識ある人々」を意味する文字だそう。英語ではその言葉を表す単語がない、と言われていましたが意識ある人々というのは、目覚めた人たちということでしょう。家の外壁にはすべて絵が描かれています。祭壇に作られた大きなクリスタル。ここはコラシアムのようになって\て満月の時などにセレモニーを行うのだそう。そろそろ日が沈みかけてきました。さて、夜は、7時半にはクレアは閉まってしまうのでそれからレストランを探して、車でドライブ。街に一軒だけあるというレストランは閉まっていたので(実は、後から開いていたことがわかったのだけど)隣街まで走ってゆくと、一件のレストランが空いていたので、そこに入りました。広い店内ですが、誰も客がいない。ワインもメニューも充実しています。人のよさそうな老夫婦がやっているお店でしたがワインをハーフボトル分のカラフェで、と注文したのにおじさんはウインクしながら1本持ってくるし(1本でちょうどよかったけど)タラを注文したのにサーモンが出てきたりティラミスを一つオーダーしたのに二つでてきたりと(もちろんすべてチャージされているけど)いろいろ手違いはあったものの、食事はまあまあおいしかったしワインはとてもおいしかったです。(結局、ダマヌールに来ても飲んでるし)ということで、この日からダマヌールでの3泊4日のプログラムが始まりました。PS昨日、NYに戻ったので、この日記はNYから書いています。
2013年09月05日
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チンクエテッレ2日目。マナローラの朝の海。この日は、マナローラ以外の村を見て回ることにしてまずは、リオマジョーレとマナローラを結ぶトレッキングルート通称「愛の小道」を歩いてみることに。と、愛の小道の入り口には錠がかかっていて、クローズ!イタリア語の張り紙がしてあって、たぶん、土砂崩れの修復のためのクローズ。う~、愛の小道に行けないなんて~ショック愛の小道の入り口には、たくさんの南京錠がついていました。永遠の二人の愛を誓う錠。(いくら誓っても、錠が外れる時には外れるものだけどね)まあ、私たちには愛の小道は必要ないってことね、と「無理矢理ポジティブ」にして気を取り直し、列車でリオマジョーレへ。列車で数分の距離なのに、道がないので、歩いていくことはできないのですよね~。リオマジョーレの街。ここでほうれん草のパイなどの朝食を取りました。 リオマジョーレの港。高い崖から飛び込む女性。みんなが注目していました。この崖に上るまでがまたすごい。それから、列車に乗って、モンテロッソへ。ここは駅に着いたら、いきなりビーチでした。この海岸を見た途端、おさむは店で水着とサンダルとタオルを購入していて泳ぐ気マンマン。とりあえず、私は腰に巻くパレオを買ってそれから、海岸に降りてゆき。レンタルパラソルを借りました。おさむが泳いでいる間、うとうとお昼寝したりレイキしたり。2時間ほどビーチですごした後、モンテロッソの街へ。ここは一番大きな街だそうで、狭い迷路のようなストリートにたくさんのカフェやレストランやおみやげやが並んでいます。 でもマナローラにあったようなシーフードのメニューが豊富なレストランは見つからず。夕方にならないとまだオープンしないところも多いので空いている適当なカフェに入ってアンチョビのパニーニとチンクエテッレのワインを頼みました。アンチョビのパニーニは、塩漬けいわしとバターがはさんであるだけのシンプルなパニーニでしたが白ワインとの相性ぴったり。ここでもワインを2杯ずつ飲みました。それから、最後はヴェルナッツァへ。ここもいい感じの街です。でも観光客がとても多い(この写真ではわからないけど) ここでは夕日が見れそうにないので、夕日はマナローラで見ることにしてマナローラに戻ります。やっぱりマナローラが一番よかったのは、ここの夕日と風景。そして、他の村よりも人が少ないのもまたいい。愛の小道に行くことができなかったので、ここで愛の小道風、記念撮影ちなみにこれが愛の小道にあるモニュメント(のはず)この日の夜は、海の見えるレストランで食事。いわしのマリネや野菜のフランなどおいしい♪そして、やっぱりチンクエテッレではいつでも白ワインを飲みたくなります。チンクエテッレは2泊3日でしたが、のんびりできたし、十分に満喫できてベストの日程でした。そして、次の日、私たちはトリノ郊外のダマヌールに向かいました。
2013年09月04日
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この日の朝、フィレンチェを出発してイタリア鉄道で世界遺産チンクエテッレに向かいます。3時間弱で、ラスペンツァに到着、そこから乗り換えてチンクエテッレのマナローラに到着しました。チンクエテッレは、5つの村という意味だそうでリオマジョーレ、マナローラ、コルニリア、ヴェルナッツァ、モンテロッソの5つ。今回の宿泊は、5つの村のうち、何となくマナローラに決めたのですが、実際にコルニリア以外の村を回ってみて私たちが一番気に入った村が、やっぱりマナローラでした。村のほとんどは坂道で、パステルカラーの家がひしめいています。生活感があふれていて、洗濯物もあちこちに干されています。村に着いてから、アパートメントの管理の方が迎えに来てくれてアパートメントにチェックインします。このあたりは、ウェブで見たら、ホテルもアパートメントもどこも狭い感じだったのですが想像していたよりも広々としてよかったです。さっそく、村のメインストリートに出ます。このあたりの名産であるレモンやオリーブを使った製品やジェノバソースなどが売られていました。 メインストリートと言っても、あっという間に終わってしまう短さ。お腹が空いていたので、メインストリートにあったシーフードのメニューが豊富なレストランに入りました。(結局、今回チンクエテッレで入った中で、一番好きなレストランでした)地元で作られたホワイトワイン。おいしい~~魚のカルパッチョやイカのつめもの(これが超おいしい)やポテトの上にいわしとトマトを乗せて、焼いたものにピスタチオ。どれもおいしい~~(おいしいとしか表現できず)ほろ酔い気分になって、それから港の方に出てきます。断崖に張り付くように建てられているマナローラの家々。海岸添いの遊歩道。何人かの人たちが海に飛び込んでいました。とてもきれいな海。夕日に染まるマナローラ。とても美しい夕日。日が沈んだ後、別のレストランで食事をします。ここはいわしの素揚げやイカスミのパスタなどおいしかったです。(やっぱり白ワインなのよ〜)とにかくイタリアのワインはおいしくて、ぐいぐい飲めちゃいます。普段はそれほどたくさん飲めないおさむでさえ毎日のように、昼にワインを1、2杯ずつ飲んだ後夜も二人でボトル1本を空けるという感じで飲めてしまうのが不思議。それで全く後にも残らないのですよね~。アメリカや他のところで飲むワインだと、こうはならないので保存料の問題なのか、よくわからないのですが。こんなに毎日、昼間から、飲んだくれている旅は初めてかも地中海とそこで取れた新鮮な魚料理、地元のおいしいワイン小さなかわいい村、そして美しい夕日。私たちはチンクエテッレがすっかり気に入りました。
2013年09月03日
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この日の朝、スイスのツェルマットから、列車でミラノに戻りそのままイタリア鉄道でフィレンチェに向かいました。今回の旅では、前日の夜に次の日の列車の手配をネットでやったりホテルの場所を確認したり、次の日に行きたいところをネットで検索して決めました。イタリア鉄道の列車の予約は、プリントアウトしなくても列車の中で車掌さんにコンピューターの画面で予約番号を見せればオッケーでした。ミラノからフィレンチェまでは2時間弱で到着。フィレンチェの中央駅から、タクシーでホテルに向かいます。ホテルといっても、このフィレンチェの宿泊もアパートメント。今回の旅は、なぜかホテルよりレジデンスタイプのアパートメントを予約することが多かったです。すべてBooking comで予約したのですが場所や便利さより、部屋の広さやきれいさ、雰囲気を優先したのでフィレンチェのアパートメントは中心街からはちょっと距離がありました。前回のスイスでのアパートメントは、けして悪くはなかったものの写真とはかなり違っていて、期待外れだったので今回のフィレンチェでのアパートも期待していなかったものの着いてみると、とてもきれいで広くてセンスもよくて居心地のよいアパートでした。キッチンもすべて整っているので、ここなら1週間ぐらい滞在してみたいなあと。(結局、ここでは全く料理しなかったけど)チェックインした後、このアパートメントの管理をしている方に(いかにもイタリアン~なイケメンの男性♪)このあたりのおすすめのレストランを尋ねたら「とてもおいしくて、地元の人しかいかない観光客向けではないレストランだよ」と言って教えてもらっレたストランに、早速行ってみました。(私たちは、思いっきり観光客だけどね)カジュアルな雰囲気のレストラン。まずはホワイトワインで乾杯。と、おいしい~~♪ぐいぐい飲んでしまいそうです。オーダーしたのは、リゾットやほうれん草のニョッキのようなパスタ。見た目は、特においしそうに見えなかったのですが一口食べてびっくりのうまさ。シンプルでいて、しっかりと味があって、飽きない味。しかも、安い~~。ワイン一杯が3ユーロ!!この日はワインを2杯ずつとサラダとメイン2品で40ユーロ。結局、次の日の夜もここに来たのですがワイン4杯とえびのスパゲッティやシーフード料理で50ユーロと、とても安くておいしい店でした。(この写真は夜の方)ちなみに、やはり観光客向けのところはどこも高くて後で、フィレンチェの中心街でアイスクリームを食べたらごく普通のコーンのアイスが一つ10ユーロ。(ドル換算すると、15ドル?高!)ワイン3杯飲める値段で、アイスクリーム1個なんて同じフィレンチェ内でもいろいろですね~。さて、昼間っから、ほろ酔い気分になった二人は中心街に向かって、ぼちぼちと歩いてゆきます。雰囲気のある建物やストリート。イタリアは通りが狭いせいか、小さなかわいい車が多かったです。そして、川を渡って、ミケランジェロ広場へ。ミケランジェロ広場のふもと、セントニッコロのエリアはとてもいい感じの小さなワインバーやエノティカやレストランが軒を並べています。これは後から知ったのですが、このあたりはフィレンチェで若者が集まるホットなエリアなのだそう。(私たちも若者ということで)ミケランジェロ広場に行くには、神社の境内のような階段を上ってゆくのですが前日までの山歩き+ほろ酔いなので、かなりきつかった~。広場にはたくさんの人が集まっていました。ここはフィレンチェを一望できます。夕暮れのフィレンチェ。それからセントニッコロにあるエノティカに入ります。エノティカは、ワイン専門店だそうで、それに合わせた食事を出すところですがここはピエモンテやトスカーナ地方のワインが豊富に置いてありました。昼間は白だったので、夜は赤を飲んだのですが、かなりいけます〜それほどお腹が空いていなかったので野菜のフランやブルスケットなど軽めのものをオーダーしましたが、おいしい。う~ん、やっぱりイタリア、こんな普通のトラットリヤやエノティカでもおいしいものが食べれるのですね〜、そして次の日。この日は、珍しく寝坊した二人は、朝11時頃出発。この日は月曜日。この日の朝、アパートを出てから気づいたのですが美術館のほとんどは閉まっている日でした。計画不足で、曜日も全く考えていなかったので、フィレンチェで見たかったウフィツィ美術館を見れなかったのが、ちょっと残念。ということで、教会や宝石街のある橋などを見て歩きます。(名前は覚えていないので、適当に写真を掲載) そして、この日の夜、レストランで食事をした後おさむにキネシオロジーのセッションをしました。これがこの旅の最初のセッション。一応、おさむがいくつかのチューニングフォークを持ってきていたので夜のフィレンチェのアパートメントで、チンコンカンコンと鳴らしていました。おもしろいことに旅に出ると、また新たなイシューが出てくるものです。(その話はまたいつか〜)ということで、駆け足のフィレチェ日記でしたがこの後、チンクエテッレに向かいます~。(この3日間、ネットがほとんど使えないところにいたのですが今日はトリノに滞在でネットが使えるので、やっと日記をアップ)
2013年09月01日
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マッターホルン、3日目。今日も快晴ですこの日、まずはツェルマットから地下ケーブルでスネガに行きます。スネガ展望台からの眺め。ここからのマッターホルンは、より間近に見ることができます♪次に観覧車のような小さなロープウェイでブラウヘルトに行き(これに乗っていると、けっこう恐い〜)さらに、そこで大きなロープウェイにに乗り換えて、ウンターロートホルンまで行きました。ここは標高3100メートル。今日は、ここからシュテリーゼ湖に向けて、トレッキングのスタートです。と、どこにも行き先とルートが書かれてないのでどの道を行けばいいのかよくわからず、近くを歩いていたお兄さんに「湖に行くにはどっち?」と聞いてみたら「たぶんこっちの方だよ」と教えてくれたので、その方向に向かって歩きだします。私たち以外は、誰も歩いてないし。。。途中からトレッキングの標識があり、この道で間違っていないもよう。周りの植物の写真を取りながら、のんびりのトレッキングですが場所によっては、けっこう急な坂なので、足がガクガクになってきます。このあたりの高山植物は、昨日のルートに咲いていたのとは違う種類が多く、さらに小さくて、地面に張り付くようい咲いているものが多いです。 休憩中のやぎの群れ。途中で休憩して座っていると、日差しが強い。それにしても、お花の種類が多いなあ。 急な下りは、自然と親指に圧力がかかって私のシューズでは親指が痛くなり「もうこれ以上は無理〜歩けないよ〜」と言っているところにようやく湖が見えてきました。ここでランチにしました。とても美しい湖の前に、凛々しいマッターホルン。そして、ここは草地が多いので、その上に寝ることができて最高に気持ちいい〜♪ もし、ここにパラソルでもあって、日陰があるなら1日中、過ごしたかった♪(山にパラソル持ち込みはないか)本当はもう少しトレッキングを長くする予定だったのですがこの日は、私の親指がもう限界だったので、ここで引き返すことにして帰りは、ここから歩いて20分ぐらいのブラウヘルトからロープウエイでスネガまで行きまた地下ケーブルでツェルマットに戻りました。今日のツェルマットはフェスティバルで、出店やライブミュージックなどで通りは賑わっていました。夕方、1日ぐらいは、スイス料理を食べよう、ということでレストランへ。レシュティというポテト料理やチーズフォンデューを頂きました。フォンデューは、かれこれ15年ぐらい前、おさむと凝っていた時期があってNYのレストランで食べたり、家でオイルフォンデューやチーズフォンデューをよく作って食べていたのですが、もう随分前から食べていなかったこともあって久々に食べたら、懐かしい味でした。ということで、お天気に恵まれて、マッターホルンを満喫できてよかったです〜♪そして、私たちは次の日、イタリアのフィレンチェへ向かいます読んでくださってありがとう
2013年08月31日
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ゴルナーグラード展望台での景色を堪能した後一つ下の駅ローテンボーデンまで列車に乗ってそこからトレッキングのスタートです。のんびりと草を食べる羊たち。すぐに、小さな湖、リッフェルゼーが見えてきます。ここは「逆さマッターホルン」で有名な湖(というより池?)もう一つ下にある湖のほとりで、マッターホルンを眺めながらのランチをすることに。ランチは、ツェルマットのベーカリーショップで買ったチーズのタルトやブルーベリーのパンなどですが、どれもとてもおいしい♪そして、ここからのトレッキングルートはこれまでのコースの中でも最高でした。マッターホルンや壮大なアルプスの山々を眺めながらのコースは様々な種類の小さな高山植物が咲き乱れています。ほんとうに天国を歩いているみたい リュッフェルベルグの駅が近づいてきたところで山にホルンの音が鳴り響いてきました。見上げると、丘の上の教会で3人のおじさんたちがホルンを吹いています。(写真右上の教会)その丘の上までのぼってゆきました。美しいマッターホルン、アルプスの山々を背景にホルンを吹いているところに遭遇できて、感動。素晴らしいタイミング♪それからさらにトレッキングを続けます。ここからの道は、ゴルナグラード鉄道のそばを通ってごつごつしたじゃり道で、歩きにくく歩いていると足が痛くなってきます。途中で座って休憩し、足をもんだりストレッチした後そして再び歩き出し、途中で線路を超えて、グリュンゼー湖の方へ。ここからのトレッキングコースも途中、色とりどりのお花や蝶が飛んで、美しい。私たちは、トレキングの周りに咲いている花や蝶の写真を撮りつつ景色を眺めつつ歩くので、例えば、通常2時間ぐらいのコースでも4時間ぐらいかかってしまいます。 リュフェルベルグからすでに2時間近く歩いて、ようやくグリュンゼー湖に到着。ここは、まさに癒しの湖。ここのエネルギー、雰囲気はまるでシャスタのハートレイクみたいでした。ここにいるだけで、疲れがどんどん取れてゆく感じ。おさむが足を水につけると、魚が群がってきて魚たちは、おさむの足をついばんでいます。これはまさにギリシャで体験したフィッシュセラピー!!しばらくここで休んだ後、近くに一軒ロッジ&カフェがあったのでそこでお茶休憩することにしました。ハイキング帰りの人たちが、ビールを飲んで賑わっていました。ここから帰りの道は、一転して森の中のトレッキング。木々の香りが気持ちいい♪ それから、リュフェルアルプの駅から電車に乗り、ツェルマットに戻りました。朝8時に出て、ツェルマットへの戻りは夕方5時頃。今回は準備不足というか、あまり計画を立てていなかったので軽めのウォーキングショーズしか持ってきておらず、足が痛くなりさらに帽子を持ってくるのを忘れてしまって、日焼け対策もしていなかったので強い日差しで、日焼けで鼻の頭や手の甲が真っ赤になってしまいました。逆に、たぶん山の上は寒いだろうと、軽めのダウンを着ていったのですがこの時期は、ゴルナグラード展望台もそれほど寒くはなくトレキングの途中からかなり暑くなって、歩くのにじゃまになりました実際行ってみないとわからないものですね〜。とはいえ、マッターホルンと山々、たくさんの高山植物たち、そして、素晴らしいお天気で、完璧な1日♪美しい自然に触れることができるのは、最高の祝福です。
2013年08月30日
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この日の朝、ミラノを出発して、スイスのツェルマットへ。ミラノ中央駅から列車に乗り込みます。列車は、とても快適。湖畔の街や山間の景色を眺めながら、2時間ほどでスイスのBrig に到着。入国審査は、列車の中で、入国審査官が2人ほど入ってきて、ランダムに乗客にパスポートを提示を求めていましたが私たちはチェックされず、何とも簡単な入国審査でした。Brigから乗り換えて、今度はローカル列車で、ちんたらと山間を走ってゆきます。窓も開けることができるので、川のそばやスイスの村々を見ながら窓からの風景を写真に撮ったり。遠くに雪を抱いた山々が見えてきます。『帰ってきたよ〜。おじいさん〜〜』(ハイジがフランクフルトからアルムの山に戻ってきた時の気持ちとすっかり同化している二人)ミラノから約4時間ほどでスイスのマッターホルンの麓の村ツェルマットに到着です。ツェルマットは、どこも花で飾られていて、とてもかわいい街。花だらけこの街での車は規制されていて、タクシーや店の荷物を運搬する小さな電気自動車だけが走っていて、一般の車は全く通っていないのが、また素晴らしい。ツェルマットでは、3泊ですが今回はホテルではなく、キッチンがつきのアパートメントを借りました。これは、バルコニーからの眺め。バルコニーの反対側からは、マッターホルンの頂上の方だけが見えました。この日は、のんびり街を散策したり、店を見て回ったり。いくつかレストランのメニューをのぞいてみたのですが値段も高い上に、ほとんど肉料理だったこともあって、どこもピンとこなかったので地元のワインやチーズや野菜やパスタなどの食材を買ってキッチンで簡単に作って、部屋で食事をすることにしました。このアパートメント、ウエルカムドリンクとしてイタリアワインが一本置かれてあったりキャンドルとインセントのセットが置かれていたりと気が利いているもののいざワインを開けようとすると肝心のワインオープナーはなくキャンドルをつけるライターもない。。。どうやってキャンドルつけるんじゃ〜!どうやってワインを開けれっていうんじゃ〜!とおさむがつっこっみながら、ワインオープナーを買いにまた出かけてゆきましたということで、イタリアワインとスイスワインを飲み比べて、満足。(予想通り、毎日飲んでるし。。)そして、翌日。予報は雨だったのに、朝起きると素晴らしい快晴でした。朝8時にゴルナグラード鉄道の列車に乗り込みます。この列車の窓から、マッターホルンの素晴らしい姿を見ることができてすでに感動。そして、ツェルマットから35分ほどで、終点のゴルナーグラード展望台に到着。列車を降りると、目の前は、凛々しいマッターホルンマッターホルンも周りの山々も4000メートルを超える高さがあります。この写真ではあの雄大さが全く伝わらないのがもどかしいのだけど。(しかもこの楽天のブログ、写真をアップロードするとある一定の大きさに自動的になってしまうため、さらに伝わらないのよ)頂上にある教会。ゴルナー氷河。少しずつ山に雲がかかってきます。滞在中、雨や曇りだったら、マッターホルンが全く見れないわけで少しでも晴れて見れたらいいね〜ぐらいの気持ちだったのですがあり得ないぐらいの快晴で、雲一つないマッターホルンを見ることができてもうこれ以上は何も望むことはないね〜、と二人、大満足でした♪それから、この日は、トレッキングをスタートしました。この続きはまた次回〜〜(写真のアップ量に制限があるので)
2013年08月29日
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昨日、ニューヨークから飛行機で7時間半、ミラノに到着しました。飛行機は2時間半遅れで、機内でもほとんど眠れず。イスタンブールの時もそうでしたが、夕方NYを出て、朝、現地に到着する便だと、寝ないでそのまま観光になってしまうので歩いていると、だんだんボーっとしてきます。ミラノの空港からバスで中央駅へ。ホテルは、ごく普通のクラシックなスタイルのホテルでしたが中央駅のすぐ近く歩いて5分ぐらいのところにあって便利でした。まずは地下鉄でドゥオーモへ。地下鉄の中でスペイン人の女性が話しかけてきて、ドゥオーモの一つ前の駅で降りるといいよ、というので、そこで降りて、ドォーモまで歩きます。通りは狭いのだけれど、街はとても静かな印象。8月のミラノは、地元の人はバケーションでミラノから離れる人が多いそう。10分ほど歩くと、世界最大のゴシック建築、ドゥオーモ。すごい〜〜尖塔の一つ一つに聖人の像があって、壁にも彫刻。夕日に染まるドウオーモ。こちらはミラノの有名な建築、大理石の床、ガレッリア。ブラダ、ルイヴィトンなどの高級ブランド店が並んでいます。(全然、ブランド店には興味ない二人なのだけどね)それから私はカメラの電池切れで、おさむは望遠しか持ってきていないというのでドゥオーモの中や展望台には、また後日戻ってくることにして、一旦、ホテルに戻り、明日からのスイスのチケットの手配などして夕方からナヴィリオ地区へ。ミラノは、昔、ベネチアのような人口運河の街だったそうでナヴィリオ地区は、その運河の名残が残っているところ。夜はたくさんのレストランやバーで、最近ミラノで最もホットなスポットだということでしたが、昼間はとても静かです。これはダヴィンチが作ったという橋。紅の豚に出てくる橋のモデルなのだそう。ヴィンテージの店が多い中、なぜか、ルパン専門店。中には様々なルパングッズ。こんなマニアックな人たちがイタリアにもいるのね。6時すぎから、レストランやバーが店先に椅子を並べて、賑わい始めます。私たちは、スペイン料理の店のアペリティーボにトライ。(なぜにイタリアに着いた日にスペイン料理?)アペリティーボというのはドリンク一杯頼むと、アペタイザーがついてくるというミラノで流行っているシステムなのだそうですがアペタイザーと言っても、パスタやパエリアやデザートまであってそれだけでお腹一杯になります。私たちはお肉を食べませんが、プロシュートやローストビーフなどがたくさんありました。ミラノのレストランのメニューをいくつかのぞいてみたのですがだいたいアペタイザーで12~16ユーロアントレ(メイン)は20ユーロ以上でした。ギリシャに旅した時より、ユーロが高くなっていて500ドル両替すると、275ユーロにしかならなかったのでドルで換算すると、アペタイザーで25ドル以上アントレが40ドル以上することになります。これはNYの同じぐらいのレベルのレストランと比較すると、かなり高くなってしまうのでドル換算してはだめなんだね〜となどと話していたのですが一方で、ナヴィリオのストリートを歩いていて、ワインの製造所が出しているバーでワインを1リットル2ユーロ!で出しているところもあって、びっくり。NYだと同じようなレベルのレストランやバーでの料金にこんなに差はないのでおもしろい。とにかく、アペリティーボをやっている店は、どこも一杯でした。夕暮れのナヴィリオ。
2013年08月28日
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