くり坊のひとりごと(blog版)

くり坊のひとりごと(blog版)

PR

Profile

くり坊 1号

くり坊 1号

Keyword Search

▼キーワード検索

Calendar

Comments

Freepage List

2007/01/28
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
パソコンのハードディスクがいっぱいになってしまい、新たな録画ができなくなったため、ここのところ昔録った番組を見ています。
録画はしても、見る時間がなく放置していたため、今見ている番組はほぼ1年前のもの。

録画している番組は主に3つ。
「NHKスペシャル」
「その時歴史は動いた」
「プロフェッショナル」
全部NHKです。
家のビデオに録画してもらえないのは、見るのが私だけだから・・・。

先日見たのが「その時歴史は動いた」の「廃藩置県」。

江戸時代の「藩」をやめて、「県」を置く、ということなんですが、明治維新の成功は「廃藩置県」なくして語れないようです。

大政奉還によって幕府は滅んで、幕府の直轄領は新政府の管理下におかれたものの、残る三分の二はそのまま「藩」が残っていました。
年貢を集める権利も、軍隊を管理する権利もそのまま「藩主」が握ったまま。
いかに新政府が欧米列強に対抗しようとしても、弱小国家がさらに割れていてはとても「富国強兵」などできないことは明らかな状況です。
長州出身の木戸孝允、薩摩出身の大久保利通をはじめとする新政府の首脳部はそれに気づいているものの、主君である自国の「殿様」にはなかなか逆らえない。

特に倒幕の主役となった藩の藩主は「幕府を倒したら、その分分け前が増えるはずだ!」というくらいに考えていても不思議ではありません。
殿様というのは「既得権」の塊のようなものです。
しかも「世襲」の「既得権」である。当然だれも手放したありません。
また、各藩には武士達がおり、殿様から「家禄」ももらっている。
明治維新とはいえ、実情は江戸時代とさほど変わらない有様でした。

結局新政府の首脳達は悩みに悩んだ挙句、抜き打ち的に「廃藩置県」を実行することを決めるわけです。


明治四年、各藩の藩主(当時藩知事)が皇居に集められました。
天皇の前でひれ伏す藩主に向って、藩主達の予期せぬ天皇の詔が発せられました。

内容は、
「現在の日本の状況を見れば、中央集権的な強い国家の建設が不可欠であるため、藩主のもっていた全ての権限を中央政府に渡すものとする」
というもの。

「殿様」として持っていた全ての権限を没収されるわけです。
薩摩藩主や、長州藩主にとっては、完全に裏切り行為にしか見えなかったでしょう。

さてここから、全国各地で反乱が・・・、とおもいきや、それはほとんどありませんでした。
各藩主とも心の底で、日本のためには不可欠であるということが分かっていたのでしょう。

その時の藩主の思い、そして藩主に引導を渡さざるを得なかった新政府の面々の気持ち。
そんなことを思っていると、不覚にも泣けました。

年を取ると、だんだん涙もろくなります。
涙腺が緩むという肉体的な老化もあるでしょうが、きっとそれだけではありません。
長く生きていれば、当然その分だけいろいろな経験もし、悩みもし、考えもする。
その分だけ、他人に共感しやすくなるのだと思います。

中学生の時にこの番組を見てもなんとも思わなかったでしょう。
現に、高校生の息子に話したら
「話が長い」と言われてしまいました。


廃藩置県から日本は一気に近代国家建設に向けて動き始めます。

小義を捨てて大義をなした、彼らの英断があればこそ、現在の日本があることは間違いありません。












お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2007/01/30 12:51:13 PM
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X

Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: