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「人は愛なしでは生きられない」この間、そんな直感が強く、つよく訪れました。肉体が酸素を絶えず必要とするように、魂は愛を絶えず吸収しています。いわば、魂は愛で呼吸しています。だから、人は愛なくしては、苦しくて生きていられないのだ、と分かりました。こうして生きているこの瞬間にも、私たちは愛を吸って生きています。人から、自然から、地球から、霊的サポーターから、宇宙から、色んな存在から愛をもらい、吸って生きています。たしかにそう感じます。ハートを開けば、ありとあらゆるところから、愛を得ることができるのですが、時にそれを忘れてしまうことがあります。愛を得る方法や、対象を自分で限ってしまうと、生きるのが苦しくなってきます。いくら呼吸をしても、愛が十分に入ってこないのですね。これは、とても苦しいです。時には、その苦しさに耐えかねて、自分らしさを見失うこともあります。愛を限られた、得難いものだと勘違いして、必死にもがくのです。悲しい行為は、時にこの苦しみの中から、生まれるのかもしれません。そんなときには、自分に教えてあげたいです。愛はいつでも、どこからでも、いくらでも吸い込めるんだよ、と。そう、私たちは愛の大海に浮かぶ存在で、口を開けば愛が流れ込んでくるのです。霊的には、呼吸とは愛を吸って、愛を吐き出す行為なのかもしれませんね。そのことを思い出すと、とても心が楽になります。死にもの狂いで、何かを求める必要はないことが、分かってくるからです。こうしている今も、愛は私たちを満たしてくれています。とても穏やかで、暖かですね。これから、この感覚で生きてゆこう、生きてゆきたい、と思います。葵優太http://www.yuu-ta.com/
2014.07.29
夜、お風呂に入りながらゆったりしていたら、ふと思いつきました。夜、空が暗いときは、ちいさな星の瞬きさえ、はっきり輝いて見えます。でも、昼間は見えません。明るいところでは、真っ白い壁についた一点のシミは、すごく良く目立ちます。白い部分の面積からすれば、ほんの取るに足りない面積でも、自然と目が行ってしまうのですね。人生が夜のように暗いとき、ほんの小さな光、星の光が輝いてみえます。普段、人生が明るいときには、全然気づかなかった光が、支えてくれていたことがわかります。人生が明るく順調な時ほど、ほんのちょっとのシミを気にして、がっかりすることもあります。真っ白で完ぺきな状態を望む気持ちが、そうさせてしまうのでしょうか。人はみんな、人生という名のお洗濯をしているのかな、とも思います。汚れた服を、一生懸命洗って、汚れを落として、白く輝かせようとがんばっています。中には真っ黒に汚れた服もあって、がっかりすることもあります。何度洗っても水が濁って、白くならないときもあります。それでも、落ちない汚れはないし、やっても無駄なお洗濯もありません。一回洗えば、一回分きれいになって、白さを取り戻してゆきます。ぼくは、そう思うことにしています。そしてお洗濯につかれたら、休んだらいいのですね。洗濯のほかにも、人生には楽しいことがたくさんありますから。そうやって、気分転換をすれば、何かが変わって見えるはずです。汚れた黒い服が山ほどあっても、洗い終わった真っ白い服が一着あれば、着てみましょう。自信や元気が湧いてきます。お気に入りの服に、小さなシミがあっても、気にしないことです。そんなにお気に入りの一着があるのは、とても素晴らしいことだと思いませんか?人生がお洗濯なら、洗濯じょうずになって、どんな汚れも洗い落とせるようになりたいですね。真っ白に輝く服を着たら、鏡の前に立って、えへんと満足しましょう。そして、その服を着て、新しいところへ旅行に出かけるのもいいですね。きっと、今までとは違ったものが見えて、感じられて、味わえるでしょう。やっぱり人生は楽しいと、書いていてそう思いました。あなたの人生も、もっともっと楽しいものになりますように。葵優太http://www.yuu-ta.com/
2014.07.16
今日の天使カードは、そんなメッセージを伝えてくれました。心の声をきくのは、だれにとっても、そんなに難しいことではないと感じます。それは、繰り返し、何度でも、心の奥から聞こえてくるからです。仕事の手を休めて、ふと心が自由になった瞬間に、それは聞こえてくるでしょう。あるいは深夜、自分のひとときが持てた瞬間に、聞こえるかもしれません。気のせいだと思っても、それは繰り返し、同じことをささやきます。ですから、本当はあなたにも、その声は聞こえていることでしょう。忙しすぎる人は、心の声を聞かないために、忙しくしているかもしれません。仕事だから、忙しいから、というのは、最も立派な言い訳になりうるからです。ですが、自分自身の心だけは、真実を理解しています。だからこそ、何度も、何度でも、語りかけてくるのですね。心の声が聞こえたら、どうしたらよいでしょうか。まずは、その声の存在を、認めてあげてはいかがでしょうか。無視したり、拒絶したりするのは、とてももったいないことです。なぜなら、それはあなたを新しい境地へと誘う、素晴らしいガイドだからです。準備がまだなら、今すぐ声に応える必要もありません。焦って無理にやらなくても、ベストなタイミングは必ず訪れます。準備ができたら、行動を起こそう、そう心に決めてみてください。すると、そのタイミングが直感できるようになります。心の声は神聖な導きですが、それをいつ、どのように使うのかは、三次元のあなたの自由です。誰もそれを強制することはありません。心の声が聞こえるということは、心が穏やかで澄んでいる瞬間がある、ということです。それは、とても素晴らしいことです。心の声が聞こえるのは、私たちがスピリチュアルな存在であることの証ではないでしょうか。心の声に従って、深く静かな決意とともに行動を起こした時、そこには後悔や失敗への恐れは、消えてなくなるように感じます。心を静めて、耳をすませば、心の声は必ず聞こえてくるでしょう。それはとても穏やかで、優しく、静かでありながら、力強いのです。あなたが、神聖なるあなたからの呼びかけ、心の声を聞けますように。葵優太http://www.yuu-ta.com/
2014.07.10
人生で無駄な投資はない、と思っています。ここで言っているのは、お金を使って物やサービスを買う、投資(買い物)についてです。つまり、お金と欲しいもの、サービスの交換ですね。その時の自分がほしいものを、お金と交換に得ることができた、それだけでも、実は豊かさの実感だと思います。2011年の地震の時には、欲しいものやサービスが、なかなか手に入りませんでした。ラーメンが食べたくて仕方なかったのですが、どこのラーメン屋さんもやっていませんでした。お金はあっても、ものやサービスに交換できなかったのです。そう考えると、投資ができた、買い物ができたということは、豊かさや、幸せを味わっているのだと、実感します。大金と感じる額を投じた投資も、とても大きなメリットをくれると感じています。大金をかけるとき、人は真剣になります。検討し、比較し、考え、迷い、ようやく決断します。そして、得たものやサービスについても、価値を真剣に確かめるでしょう。はたして、投じた金額に見合う価値だったのか、損はしていないか、お得だったのか、などなど。大金をかけた投資が大きなメリットをくれるのは、この真剣さのおかげだと感じます。買う前も、買った後も、対象に真剣に向き合うので、たくさんのものを得られます。逆の言い方をすれば、思いつきで買って、買った後すぐに忘れているようなパターンの投資は、得るものが少ない、損をした投資といえるかもしれませんね。僕の例では、今の仕事につながる自己投資が、大金をかけた投資です。セミナーやセッションなど、対人サービスへの投資が大半です。正確には記憶していませんが、百万円単位で投資したことは間違いありません。受けてよかったと思うこともあれば、損をした、と後悔したこともあります。ですが今振り返ると、そのすべてが価値ある投資だったと、本心から言えます。なぜなら、そのすべてが、今の人生、仕事、生き方の基礎になっているからです。真剣な思いで行った投資は、その時点ですでに成功していると、実体験から言えます。同じく価値の高い投資としては、継続的な投資があると感じます。毎日、毎週、毎月、決まった間隔でコツコツと行う投資は、効果が確実に積み重なってゆきます。人は習慣によって自らを創り上げる能力があります。そういう面から見れば、継続的な投資によって、望む自分を創ることができます。僕の場合、スピリチュアルセッションを継続的に受けることで、望む自分を創っています。継続的な投資の醍醐味は、自分のレベルアップがリアルに実感できることです。上達するというのは、楽しいものです。それは、望む自分が確実に、着実に創造されつつある、という快感です。仕事であれ、趣味であれ、その快感は変わりません。生きる喜びの本質が、そこに流れているな、と感じます。失敗もまた、貴重な価値のある投資です。何かが違う、ずれている、と教えてくれるからです。それが分かれば、それ以上の投資を止めることができます。投資とは、お金だけでなく、時間や意識など、様々なものを投資しています。お金をかけていなくとも、知らず知らずのうちに、時間や意識を投資していることもあります。お金をかけた投資の結果、投資対象が間違っているとわかれば、そういった時間や意識も、それ以上無駄にせずに済むということになります。僕の場合は、翻訳家という夢がその例にあたります。翻訳家になろうと思い、翻訳の通信講座を購入したのですが、あえなく挫折しました。毎月の課題を提出し続けることが、できませんでした。つまり、向いていなかったのですね。でも、あの失敗のおかげで、翻訳家の夢はすっぱりあきらめることができました。そうでなければ、翻訳家の夢を今でもぼんやりと夢想していたかもしれません。投資とは、お金と体験の交換だ、とも言えるでしょう。ただ、どれだけ深く大きな体験を得るかは、実はその人の自由です。上手な投資家とは、より少ない投資で、より大きな体験を得る人なのかもしれません。さらに言えば、体験には、必ずしもお金を必要としません。日々の生活から、価値ある体験を拾い上げようと意識すれば、お金をかけずとも、体験を得られます。そして、体験は豊かさになります。例えば、体験はお金に変換できます。世のほとんどの商品やサービスは、体験が形を変えたものとみることができます。お金をかけて得た、貴重な体験は、やがてお金という形で戻ってくるともいえます。それは、豊かさというエネルギーが、お金や体験など、形を変えて巡っているとも感じられます。投資とは、豊かさの循環を意識して、より積極的に、そこにエネルギーを注ぐ行為だともいえます。ちょっと話が堅苦しくなりましたが、どんな投資にも無駄はない、意識の持ち方次第で、必ず価値あるものを受け取れる、そう確信しています。この文章を書いていて、豊かさの循環に感謝しつつ、もっと上手な投資家になろう、と思いました。葵優太http://www.yuu-ta.com/
2014.07.03
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