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「あの~、自慢の枝垂れ桜、もう1本あるんです!」 徘徊日記2024年4月7日(日) 団地あたり 同じ4月7日の日記で自慢の枝垂れ桜を紹介したんですけどね、こういう姿で枝垂れている、まあ、これも自慢のサクラが、もう1本あるんです。 全景はこんな感じです。 場所は、団地の東北の隅で、タケノコ山と、我が家では呼んでいる竹林のある、ハイ、わが団地には孟宗竹の林があって、もうすぐタケノコも出てくるのですが、その竹林の裏の、ちょっと小高くなっているところにあります。 団地の外側からも、内側からも、微妙に死角になっていて、目立たないのですが、花はご覧のようにすばらしいのです。 タケノコ山の、向こうは隣のマンションで、手前が団地の敷地です。あいだに近所の中学生や小学生のの通学路にもなっている歩道ですが市道があります。 歩道からはタケノコ山があっで見えませんし、団地からは、ちょっと小山の上で、周りのソメイヨシノが隠していて見えません(笑)。 で、咲き始めるのが少し遅れるのと、色がピンクなので目立たないんですね(笑)。 というわけで、ボクはこっそり待っていたんです。 今日のように、青空と竹林の緑を背景にした満開の枝垂れ咲きを(笑)。なかなかいいでしょ。 木の根もとあたりは芝生ですから、まあ、寝転がりはしていませんが、座り込んで見上げています。 見事な眺めですよ。 ということで、もう少しうろつきます。じゃあね。追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)にほんブログ村
2024.04.12
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「須磨一の谷の小さな公園のサクラ。」 徘徊日記 2024年4月11日(木)須磨あたり 今日は2024年の4月11日です。週に1日だけですが、まだ、雇ってくれる人がいて、今年も出かけることになっている木曜日です。 午前中のお天気は快晴で、目的地は須磨の高倉台ですが、JRの塩屋駅にある「アキラッチ」というピザ屋さんで焼き立てのピザを買って、桜を見るなら須磨浦公園によればいいものを、横目で見ながら通り過ぎて昇って来たのが、須磨、一の谷の丘の上です。 愛車のスーパーカブ号を丘の上の公園の歩道に止めて、この見晴らしの石段の上に腰をかけます。 で、お昼がわりのピザを頬ばろうという目論見です。塩屋駅のアキラッチから、ここまでは10分もかからない距離ですから、ピザはホカホカです。「ごくらく、ごくらく」 と独りごちながら、フトの公園を見下ろすとサクラです。 この上からのシーンを撮り忘れてきたのが不覚です。来週には桜は、もう、ありませんから、1年後ですが、1年後にはここを通る用事があるかどうか名わけで、残念至極ですが、石段を20段ほど降りると砂場もある子供の公園でした。 こういう風情です。近所は公団住宅風のアパート群ですから、その頃は子供たちもたくさん遊んでいたのでしょうね。今は、誰もいません。 で、気になったのが、桜の木の向うに見えている大木です。いわゆる、照葉樹なのでしょうが、もちろん、クスノキではないことくらいはボクでもわかりますが、この木の名前がわかりません。しかし、見事な大木でしたね。 まあ、今年は、まだ、このあたりを通りそうですからね、そのうち調べることもできるでしょう。楽しみですね、まあ、それくらい大木だったということです。じゃあね。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)にほんブログ村
2024.04.12
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「咲いちゃった!」 徘徊日記 2024年4月10日(火)団地あたり まだ、若い木なんです。でも、不思議なのですが、この団地にはモクレンとかコブシとか、ないんです。 神戸の街には、元町のモクレンとか、北長狭のコブシとか、住んでいる垂水区だって、県商筋のコブシとか、街路樹になっていて、あちこちで見かけるのですが、おもしろい木がたくさん植えてあるこの団地には、この1本だけなんです。 それが、住んでいる棟のすぐそばにあるんです。うれしいですねえ(笑)。 ちょっと気取っている様子で、なかなか色っぽい木蓮って、イイと思いませんか? 全景です。 隣では箒桃が満開です。 モクレンの木から振り向くと、まあ、こういう、花ざかりの風景です。 青空、サクラ、箒桃、みんな満開で、陽気な気分が満ちています。あと三日もすれば、若葉の世界に変わります。 ところで、話は代わりますが、ダメとら・タイガース、やっぱり、苦しんでいますねえ。だめトラびいきにはいつものことの始まりですが、シーズンは長いですからね、そのうちなんとかなるでしょう(笑)。 まあ、そんなことを考えながら、ウロウロという、2024年4月10日の昼下がりでした。じゃあ、またね。にほんブログ村追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.04.11
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「おや、モクレン、咲きましたね。」 徘徊日記 2024年4月7日(日)団地あたり 4月のはじめにようやく蕾らしいものを付けて、のんびり構えていたモクレンが咲き始めていましたよ。イッセイ開花とはいきませんが、そこいらじゅうで桜満開のなか、立派に自己主張しています(笑)。 おっと、先陣切って咲き始めた、こちらは躑躅です。 で、同じところに咲いていた、こちらはももの花ですね。「ここの団地はねえ、桜もいいんですけどね、この桃が好きなのよ。かわいらしいでしょ(笑)。」 写真を撮っているところに、下のサクラ並木から妙齢のご夫人が息を切らせて登ってこられておっしゃいました。「桃の花なら、向うの、棟の裏にも咲いているのご存知ですか?」「あら、そうなの。じゃあ、ちょっと覗いてみようかしら。」 花の季節はいいですね。普段、こんな会話できませんよね。 こちらはボケの花ですね。枝垂れ桜の近所に咲いています。 これは、もっと早くから咲き始めて、今や散る寸前のボケの花です。住んでいる棟のすぐ隣の芝生に咲いています。 で、その木の近くに植わっている椿です。今年は、ほかのツバキも、なかなかしぶとく咲き続けていますが、これは花の柄が八重ですからね。 で、その下の草むらには、ムスカリです。このあたりに小人の住まいとかあるのかな、という風情ですね(笑)。 サクラを撮ろうとウロウロしているのですが、いろいろあります。まあ、そうはいっても、4月7日のサクラ徘徊の団地めぐり、まだ、つづきますからね。じゃあね。追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)にほんブログ村
2024.04.11
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和田誠「わたくし大画報」(ポプラ社) 市民図書館の新刊の棚で見つけました。はて、なんで? 著者の和田誠は数年前に亡くなった方のはずです。で、手に取って奥付を見て了解しました。1982年だそうですから、40年前に講談社から出版された本のポプラ社による復刊でした。 コミカルで、ほのぼのしたイラストの「のみのピコ」とか「あな」とかの絵本や、本の装丁、挿絵のイラストレイターとして、確か、1970年代半ばに人気者になった彼が、「お楽しみはこれからだ」(文芸春秋・国書刊行会)をはじめとする映画とかのイラスト付きエッセイで大活躍しはじめたころのエッセイですね。「麻雀放浪記」、「怪盗ルビィ」の映画監督になるちょっと前ですね。 で、借り出してきて、読み始めてとまりません。時間的には、40年以上も古い話で、いきなり、いずみたくとか永六輔とか中尾ミエとか出てきても、今の若い人には「???」 なのかもしれませんが、こちとらは、まあ、その時代の人間なわけで、懐かしさもあり、和田誠の物言いの楽しさもありで、速読(笑)でしたが、巻頭エッセイがこんな感じです。「猫について」 一九七四年十二月 わが家に猫が来た。 妻はこの猫の種類をアビタシオンだと言う。高級マンションのような名前の猫だなあと思ったが、よく聞いてみたらアビシニアンというのであった。そう言えば結婚した時に、いずみたく氏から蘭を贈られたのでありますが、この蘭の名をシンポジウムだと言うのですね。蘭の品種について討論でもするみたい。これも人に聞いたらシンビジウムというのだそうである。 さて、この猫だが、実は片親がアビシニアンで、どちらかが雑種なのだそうだ。ぼくはその方を好みます。名門は肌に合わない。ところでクレオパトラが飼っていた猫がアビシニアンだったそうで、アビシニアというのはエジプトの地名なのだという知識を妻はどこから仕入れて来た。妻はもうクレオパトラになった気でいるようだ。七月十四日生まれだから誕生日を憶えやすい。しかし猫の誕生日を憶えていても役に立つかどうか。それはそうと名前であるが、妻は「桃代」と名付けたのであります。何故か妻は幼い頃から猫に対して「桃代」というイメージがあったのだそうで、もっと正確には「桃代のシン子さん」というのが適当なのだと言う。「だって一重瞼の人はシン子さんていう感じだし、ネコは一重でしょ。どうしても洋子さんて感じじゃないもん」と言うのだが、このへんを理解できる人は少ないのではないかと思うのですけれども。(P17~P19) 巻頭のエッセイの出だし半分の引用です。後半は桃代さんとの暮らしですが、妻と呼ばれているのは平野レミさんですね。 上の左のページが桃代さんです。桃代はこんなふうに上むいて眠る とキャプションがついています。まあ、イラストがサイコーですね(笑)。 一九七四年の一二月から一九七六年九月までは「家庭画報」と題して、一九七九年一〇月から一九八一年九月までは「渋谷画報」と題して、隔月発売だったらしい「別冊小説現代」(講談社)、後に「小説現代」(講談社)に隔月連載されていたエッセイの単行本化です。 最後の記事は一九八一年九月号に掲載された分で、そこに「向田さん」という記事が載っていますが、まだ五一歳だった向田邦子さんが飛行機事故で亡くなったのは、この年の八月でしたね。和田誠さんも、今では、もう、この世にはいらっしゃいません。 楽しく読みながら、色んな人が亡くなっていくのを、まだ、若かった自分自身がどう受け止めていたのか、やはり考えてしまう読書でした。「同時代を生きる」とかいういい方がありますが、和田誠さんが、あれこれおもしろく書かれている、この時代を生きていたんですね。 新刊ですから、図書館で借りられます。なつかしい方はぜひどうぞ。イロイロ、思い出せますよ(笑)。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.04.11
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「あのチュ-リップが・・・!」 ベランダだより2024年4月5日(金)ベランダあたり あのーですね、我が家のベランダで数日前からチューリップが咲き始めていたんですが、最初、下の写真の様子で、いったいどうなることかと思っていたんです。花だけ植木鉢に乗っかってる状態でした。 それが、数日後の今日、最初の写真のようになりました。花が咲いてから、首というか、茎というかが伸びるんですね(笑)。 で、もう一つの植木鉢はこうだったんです。 それが、こうなりました。 こちらは、蕾がありましたから、まあ、こうなるわけですが、首が伸びたには驚きました。ろくろ首もどきの離れ業ですね(笑)。 こちらは、玄関前に一株だけあるクリスマス・ローズ。地味ですね(笑)。 で、こちらがスズラン水仙。茎は水仙、花はスズラン、棟の水場のあたりにお隣さんが植えられて、少しずつ増えていますね。静かな春で、イイですね。 その周りには、ムスカリです。 サクラ便りを書くつもりが、ベランダだよりになってしまいました(笑)。じゃあ、またね。追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)にほんブログ村
2024.04.10
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小谷野敦「文学賞の光と影」(青土社) その昔「もてない男」(ちくま新書)という、まあ、衝撃的な(笑)書名の所為でベストセラーになった本を書いた小谷野敦という、多分、比較文学の研究が本業だったはずの方の「文学賞の光と影」(青土社)を市民図書館の返却の棚に見つけたので読みました。 一応、「読書案内」と看板を上げているわけですから、どうぞお読みください! というのが基本ですが、今回のように「まあ、こういう本もありますよ、別にすすめませんが」という時も、まあ、ないわけではないので、悪しからずです。 はじめにの終わりに、まあ、執筆意図についてでしょうね、こう書かれています。 芥川賞のように有名になると、ふだん文学を知らない人も関心を持つから、公募の賞だと思い込んでいるいつ人や、純文学って何?え?こういうのが「ジュンブン」なの?といった疑問を持つ人も多い。そこで本書では、内外の文学賞について、よもやま話を書いて、いろいろ疑問に答えておきたいと思う。まあ、この本自体がベストセラーにならないと、誤解を解くというわけにはいかないのではるが。 文学の素人の方には、まあ、様々な疑問や誤解があるようですが、疑問にお答えして、誤解を解きますということですが、要するにこの本が売れれば、いろいろ解決しますよという、まあ、読み終えて見ると、ちょっと誇大広告(笑)で、いや、儲かるのはあんたやろということらしいですが、目次はこんな感じです。目次第1章 芥川賞と直木賞の栄光と死屍累々第2章 ノーベル文学賞第3章 貰えなかった恨み第4章 新潮社の栄光と文学賞第5章 作家と学歴第6章 文学賞の女と男怨念の書―あとがき 目次を、まあ、索引がわりにして、あっちこっちのページを覗いているうちに、読み終えました。何が、どう書いてあるのかというと、今度はあとがきですが、 私は学者の道を歩み、博士号までとった。そうである以上、別に東大とは言わないが、しかるべき大学の教授になりたかった。というか、当然なるものと思っていた。ところが、時代が悪いのか自分が悪いのか、いや、時代が悪いに決まっているのだが、それはどうもないようである。そこで、大学教授より格が上である××賞をとってやろうと、邪念を抱いたのである。いや、本気で邪念だと思っているわけではない。 ぞんな時、たまさか、本書を執筆することになった。かなりの分量、文学賞をめぐる人々のやっさもっさについて書いていくうちに、私の中から、つきもののが落ちたように「賞などどうでもいいではないか」という悟りのようなものが生まれたのである。 ご本人がおっしゃっている通り、様々な賞をもらったり、あげたりする、あれこれの作家や評論家について、まあ、スキャンダルと云う程の毒があるわけでもない、「やっさ、もっさ」が書かれていて、こういう話が好きな人には面白いでしょうね。 多分、文芸雑誌や、ゴシップ雑誌のバックナンバーを、かなり丹念に調べた(根が学者なのでしょうね)その結果を、しかし、だから、憶測かうわさに過ぎないかもしれないゴシップ記事として書き連ねていらっしゃって、まあ、結果的に、ご本人の賞が欲しいという妄執 からは、解脱というか、悟るというかのメデタイ結果なのかと思うと、最後のページにのせられていた戯れ句がこうでした。 賞とれず 根岸の里の詫び住居 笑えませんね。 焼いても治らんといういい方がありますが、まあ、「もてない男」でもそうだったような気がしますが、ちょっと引きながらの上から目線というスタイルが彼のウケ狙いなのでしょうが、芸のないことですね。 ただ、何とか賞をめぐるゴシップは、ほんと、山盛りで、知ったからどうだという気もしますが、「読みごたえ」ありますよ。ボクの場合、こうして案内していて、すでに忘れてますから、まあ、こんな本もありますヨ! でした。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.04.10
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「自慢の枝垂れ桜です!」 徘徊日記 2024年4月7日(日)団地あたり 今日は4月7日(日)です。 団地のさくらが咲き始めて1週間たちました。朝から落ち着きません(笑)。団地をウロウロしています。 とりあえず、東の駐車場あたりにある枝垂れ桜です。 お天気は、少し青空も見える、絶好の「花曇り」です。気温も20度を超えていて、当然のことながら、気持ちも陽気です(笑)。 ソメイヨシノに比べて、特にこの木は色が濃くて、なんというか、独特の色気があります。 おなじ木の向うから、こっちからと角度を変えているつもりなのですが、まあ、似たような写真になりますね。 樹齢は、さあ、団地のできた頃に植えられたのでしょうから、50年前後だと思いますが、枯れ枝も年々増えてきていますが、まあ、見事なものです。 奥に見えているのは東の駐車場ですが、左手には普通の棟があって、お住まいの方はベランダに出れば、この時期、毎朝この木のこの花を眺めることができるお部屋もいあるるわけで、羨ましい限りですね。 この木の後ろの棟の4階、5階の方は、上からの姿も見ることができるわけですからねえ(笑)。 この団地には4本か5本の枝垂れ桜がありますが、特にこの木は、まあ、他の方がどう思っていらっしゃるのかまではわかりませんが、ボクの自慢の木ですね(笑)。 もう少し、ウロウロします。サクラ日記は続きますよ(笑)。追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)にほんブログ村
2024.04.09
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ピーター・グリーナウェイ「プロスペローの本」元町映画館 今日は2024年の4月2日、火曜日です。元町映画館でやっている「ピーター・グリーナウェイ レトロスペクティヴ 美を患った魔術師」という企画に、なんとなく興味が湧いてやって来ました。 これが企画のチラシです。冒頭の「美しい狂気」という言葉が目に飛び込んできます。「狂気ねえ?!」 1980年代から90年代にかけて話題になった人らしいですが、まったく知りません。高山宏という、英文学の研究者、まあ、かなり変わった人ですが、が、どこかで話題にしていたような気がしますが、定かではありません。 で、見たのは「プロスペローの本」という、1991年の作品で、代表作の一つだそうです。「プロスペローだから。シェイクスピアか?」 まあ。その程度の予備知識です。で、見始めて、見終えて笑ってしまいました。たしかに、シェイクスピアのテンペストの、翻訳では「嵐」かな?の映画化でした。プロスペローもそうですが、娘のミランダとか、妖精のエアリエルとかの名前が出てくるたびに、ああそうだな、やっぱりそうだな、 と、気付き直し、気付き直し、しながら、えーッ?でも、これ、ちょっとちがうんちゃうか? とか思いながら見ていたのですが、終わってみてらテンペストでした。ハハハハハ。 何故、違うと思ったのかの、大きな理由は、この映画、筋を運ぶ数人の登場人物以外は全裸なのですね。 で、なんで、みなさん裸で、オチンチンとかオッパイとかブラブラさせながらウロウロするのかというのが、ボクには、まったくわからないんです。ただ、不思議なのは、慣れてくると、そういうシーンがイヤらしいとかエロイとかいうことにつながらないというか、まあ、そういうふうにしたいんでしょうかね??? という感じで、最後まで見ると、たとえば、ナショナルシアターライブとかで見る、まあ、演出に差はありますが、「テンペスト」という演目のひとつ、という印象なのですね。たしかに独特ですが、別に、狂気だとも魔術だとも思いませんでしたが、なんか、微妙に引きつけられることは事実ですね。 そういえば、「テンペスト」ネタのお芝居はナショナルシアターだったか、他の映画だったか忘れましたが、ここ、数年の間に見たような記憶があります。その時、「リア王」とかなら読み直したりしないのですが、この戯曲だけは読み直したはずで、まあ、だから、ああ。テンペスト! だったわけです。 で、この映画ですが、プロスペローが手にれる魔法の本の扱い方とか、いかにも映画的で、面白いし、プロスペロー(ジョン・ギールグッド)を演じている俳優のお芝居力も大したもので、奇妙奇天烈なシーン、いいようによれば荒唐無稽な展開を支え切って歴史劇を演じている印象で、シラケさせません。拍手!ですね。 なのですが、やっぱり、なんで裸なの?でした(笑)。 もちろん、その演出は、ボクごときには意味不明でしかありませんが、なんか、引っかかるのですね。そこで思い出したのが、高山宏ですが、でも、まあ、すぐには見つかりそうもありませんね。 ということで、グリーナウェイ、続けて見ることになりそうです(笑)。監督・脚本 ピーター・グリーナウェイ原作 ウィリアム・シェイクスピア美術 ベン・バン・オズ ヤン・ロールフス撮影 サッシャ・ヴィエルニー音楽 マイケル・ナイマン編集 Marina Bodbyl衣装デザイン ワダエミ ディーン・バン・ストラーレンキャストジョン・ギールグッド(プロスペロー)マイケル・クラーク(キャリバン)ミシェル・ブラン(アロンゾ―)エルランド・ヨセフソン(ゴンザーロ)イザベル・パスコー(ミランダ)1991年・126分・イギリス・フランス・イタリア合作原題「Prospero's Book」2024・04・02・no053・元町映画館no237 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.04.09
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「うちのサクラ、満開です。」 徘徊日記 2024年4月6日(土)団地あたり 住んでいる団地の中央に散歩道があります。歩道の生垣は雪柳です。並木は桜、ソメイヨシノ(?)、所々にベンチもあります。 今日は4月の6日で、雪柳は満開を過ぎたところですが、サクラが満開に差し掛かっていました。 少々、曇り空なのが残念ですが、見上げるとサクラの空です。 このサクラ天井が、団地を南北に横切っています。さっさと歩けば5もかからないかもですが、このあたりでは、チョットしたサクラの名所です。 まあ、こういう感じです。人が写っていませんが、実はお花見散策の方が、結構たくさんいらっしゃいます。バスに乗って、毎年来るのよ! と笑いながらスマホで撮りっこしてっておられた、女性のお二人連れもいらっしゃいました。うれしいですねえ(笑)。 昔は、団地の子供会とかのお花見会とかもあったのですが、今は、多分、子供会そのものがなくなってしまいました。 雪柳の生垣とサクラ並木がよく合いますね(笑)。 スマホとかをいじりながら、こんなことをいうのもなんですが、写真が上手に撮れたらなあ・・・ まあ、つくづくそう思いますね(笑)。 少し青空が見えてきて、いい感じです。 もう少し、向こうまで、続いていますが、とりあえず、ここまでです。まだ写真はたくさん残っています。団地のサクラ、徘徊日記はまだまだ続きます(笑) じゃあね。追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)にほんブログ村
2024.04.08
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乗代雄介「皆のあらばしり」(新潮社) 2021年の「新潮」10月号に掲載された作品の単行本化ですが、文庫はまだありません。その年の芥川賞の候補作らしいですが、これで3回目の落選です。 「十七八より」(講談社文庫)で群像新人文学賞でデビューして以来、「本物の読書家」(講談社文庫)で野間文芸新人賞、「旅する練習」で三島由紀夫賞と坪田譲治文学賞のダブル受賞、で、「最高の任務」(講談社文庫)が2019年、「旅する練習」(講談社)が2020年の芥川賞の候補作になって、今回案内している「皆のあらばしり」で3回目、ちなみに、2023年には「それは誠」(文藝春秋社)で4回目の候補になりましたが、やっぱり落選でした(笑)。 というわけで、「皆のあらばしり」ですが、今回は書き出しではなくて50ページあたりからの引用です。「青年は小津安二郎は知っとるか?」「映画監督だろ。」男が黙って指さしたところには小津久足という名前があった。「小津久足は、伊勢の松坂の豪商、干鰯問屋湯浅屋の六代目当主や。家業の傍ら、歌に国学、紀行文と文事を重ね、歌は約七万首、蔵書は西荘文庫として残っとる。あの滝沢馬琴にも、その博識と文才を認められた友人として知られる江戸の文人や。『南総里見八犬伝』ぐらい読んだことあるやろ。」「ない」「そうかいな」男はそんなことは織り込み済みだとばかりに言った。「しかし、自分を偽らんのが青年の見込みあるところやがな。下に偽るならまだしも、上に偽って背伸びされたら話が一向通じんから困ったもんやで」「あんたはいつ読んだんだよ」「いつやったかな。青年が今、高二やろ。高一ぐらいで読んだんとちゃうか」学年を教えた覚えはなかったけれど、後輩にも会ったし、どこかで察したのだろう。「ほんとかよ」とぼくは言った。「下に偽ってるんだろ」「そう思わせたらこっちのもんやけど、まあええわ。話を戻そうやないか。その小津久足の、母違いの弟の孫が小津安二郎なんや」「その人がどうしたんだ」「その小津久足の著作として」と指をすべらせ「ここに「陸奥日記」と「皆のあらばしり」が一点ずつあると書いとるわな。このほんまにしょーもない蔵書目録、何を大層に目録やっちゅう漢字やけど、唯一おもろい、掃き溜めに鶴はこいつや」 とまあ、こういう感じなのですが、小説の登場人物は、ここにいる「男」と「ぼく」、舞台は栃木県にある皆川城という、室町時代の山城の城跡の公園です。二人は、ある日、偶然、その公園で出会います。「男」の名前は不明ですが、やたら、歴史に詳しい、単身赴任のサラリーマンで、「ぼく」は地元の高校2年生で、歴史研究会のメンバーです。 で、「ぼく」の一人称で書かれているわけですから、「ぼく」がこの文章の書き手ということになりますね。ただ、他の作品のように日記であるとか、手紙であるとかいう形式が選ばれていないところが、この作品の特徴ですが、実はここでは、もう少し違う形式が導入されているのですが、気になる方は、まあ、読んでみてください(笑)。 そのほかの登場人物は、同じ歴史研究会の後輩の竹沢さんだけです。古くからの造り酒屋だった竹沢酒店の娘です。彼女が登場して「ぼく」に呼びかけるシーンで。初めて、ぼくの姓が浮田君であることがわかりますが、名前はわからなかったと思います。 で、小説の不思議な題名である「皆のあらばしり」は、引用でおわかりのように、小津久足という江戸時代末期の文人が残した草紙ということなのですが、今、男が見ている蔵書目録は竹沢酒店にあったものです。ちなみに、お調べになればわかりますが「あらばしり」は、新酒を絞る時に、絞らなくても出てくる最初の酒のことだそうです。 で、最初の謎が、「皆のあらばしり」などという草紙が果たして実在するのかどうかでした。「偽書」といういい方がありますが、この「皆のあらばしり」は真書なのか、偽書なのか、男と浮田君の二人が、まあ、そのあたりをめぐっての会話劇で読み手を引っ張るわけですが、この作家得意の「オチ」まで来ると、小説の「語り手」も含めた手の込み方というか、実に技巧に徹した工夫が凝らされていたことが分かって、チョット啞然とします。 まあ、おすきなかたは膝を叩いて、という所でしょうが、ボクは「書く」という行為の信憑にこだわり続けているらしいこの作家の実験作の一つというふうに感じました。 サリンジャーの最後の小説ですが、「ハプワース16、1924年」(新潮社)という作品があります。シーモアという、すでに、死んでいる兄が、まだ7歳だった時に両親に向けて書いた手紙を、大人になって作家になった弟のバディが、そのまま写して小説作品にしたという不思議な作品ですが、あの、方法に少し似ていますね。「書く」行為から「書き手」を消す にはどうしたらいいかということが、乗代雄介の実験のようですが、さて、うまくいっているのでしょうか。まあ、それにしても、あれこれ頑張っていますね(笑)。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.04.08
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「箒桃、桜、青空」 徘徊日記 2924年4月7日(日)団地あたり 今日は、春休み最後の日曜日です。 朝から青空です。 ポカポカ、ようやく春です。 団地は、今、サクラの園です。 青空とサクラを背にして箒桃がすっくと立って、私も満開だわよ! 背筋の伸びた態度が好きです。三つの花、いや青空は違うか? この取り合わせがサイコーです。 白、ピンク、紅、まだ若い木です。 住んでいる棟の東の斜面は「箒桃畑」です(笑)。 赤い箒桃の背景には住んでいる棟が写ってます。 空は青空です。 いい日曜日ですね。 向うに、いつもの小学校も写っています。 さて、今日は満開を迎えてにぎやかなサクラを撮らなくっちゃ。 サクラって、焦っちゃうんですよね。じゃあね。追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)にほんブログ村
2024.04.07
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「かりんですね、これは。」 徘徊日記 2024年4月3日(火) 団地あたり バスを待っていて、気付きました。そのあたり一帯、桜が嵐のようにやってきているのですが、バス停横のかりんの木に花がついていました。 小さい花で、ボクの腕前では上手に撮れませんが、まあ、忘れるのもしゃくなので撮りました。大寺のしかも禅寺花かりん 森澄雄 ここは、お寺じゃありません。公団住宅のバス道に沿った道端の生垣です。 なかなか、イイですね。秋には大きなかりんの実に変身するんですよね、この花が。今日はバスで垂水まで行く予定です。追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)にほんブログ村
2024.04.07
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「玄関を出るとこの桜です!」 徘徊日記 2024年4月5日(金)団地あたり 団地中、いや、街中ですかね、サクラの花でいっぱいですね。ベランダでチューリップ相手に遊んでいて、チョットと思って玄関をを出てみるとこの景色です。 下から見上げて写真を撮りますが、今一上手く撮れませんね。薄曇りなので、青空が背景というコントラストありません。向うに見えているのは小学校の校舎です。今、撮っているのはサクラの種類が少し違って、緑とまではいいませんが白い花です。 こちらは普通のピンクです。 玄関から、数本の桜を見上げながらウロウロしています。 で、向こうに見えるのが、廃校になった小学校ですが、まあ、今日はまだ春休みですが、新学期になっても誰も帰ってこない(本当は隣の中学校の生徒さんが部活で使っていますが)校庭のサクラが咲き始めています。 ジャングルジムや「いじめダメ!」の看板や、目立つものがみんななくなった校庭で、春になったから、やっぱり満開の桜並木というのも、チョットした風情です。 ここで、カメラを左、だから西向きですが、に振れば、散り始めている枝垂れ桜です。 で、今来た方を振り返ると、こんな感じで、住んでいる棟が写ります。 まあ、こういうわけで、その上、団地を少しうろつけばサクラ天井の回廊まであるわけで、どこかよそ様の花の名所に出かけて行こうかという元気があまり起こらないのですが、とりあえず、団地内の花の名所は、数日中にご報告したいと思っていますよ(笑)。じゃあね。追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)にほんブログ村
2024.04.06
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「ここはどこかといいますと・・・」 徘徊日記 2024年3月30日(土)県立美術館あたり JRの灘駅を南に出て、そのまま南に、阪神電車の岩屋駅の前をとおりすぎて、国道2号線の歩道橋にさしかかるあたりから、街路樹のコブシが満開でした。 通りに沿って、ガラス張りの壁のビルなのですが、ガラスの壁に映っている姿は(あっ、もちろんコブシのですよ)下から見上げている老人には見えません。 よその街のことは知りませんが、コブシは神戸の街ではよく見かける、まあ、北長狭の街路樹ばかりブログにのせていますが、そういう木ですね。 今日、ここにはコブシの花を見るためにやってきたわけではありませんが、なかなかいい風情なので、立ち止まってパチリ、パチリというわけです。 今日は薄曇りで、写真の明るさがうまく調節できません。青空だったらいいのになあ・・・ と、まあ、かってなことをほざきながらたどりついたのが、この交差点です。 ここは、どこかといいますと、このカエルの建物です。ご存知でしょうか?昔の呼び名は脇浜だったと思います。今はハット神戸という地名ですが、このカエルは県立美術館ですね。 で、ココを右折です。はい、美術館には行きません(笑)。 おっと、今度は桜ですね。今日は3月30日、3月最後の土曜日ですが、このあたりでもさくらが咲き始めていました。 県立美術館とか、防災センターとか、なぎさ中学とか、少し北側には神戸製鋼所の本社ビルとかある通りです。三宮から摩耶埠頭行きのバスが出ていますが、そのバスのバス道ですね。この道を東に少し歩けば摩耶埠頭ですね。 この歩道を、もう少し西に歩きます。 おお、目的地のビルの正面では、コブシが満開でした。やって来たのは109ハット神戸という映画館です。 見たのは、このポスタ―の映画です。アカデミー賞で騒がれている「オッペンハイマー」ですね。 ここの映画館が好きなのは、休みの日でものんびり見ることができることですね。映画館の行き帰りも、ふらふら歩くのに、ちょうどですし(笑)。 映画の感想は別に書きました。上の題名かポスターをクリックしていただくと開くと思います。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)にほんブログ村
2024.04.06
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「咲き始めたんです!」 徘徊日記 2024年3月30日(土) 団地あたり 3月も、あと2日、いよいよ4月か・・・ とかなんとかぶつくさいいながらベランダあたり咲き始めたチューリップの相手をしていたのですが、まあ、天気もよいので、と、玄関を出てみると、( ̄∇ ̄;)ハッハッハ、咲き始めてました(笑) 玄関のすぐ前には数本の桜があるのですが、その中の1本です。初桜 折しもけふは よきひなり 顔に似ぬ発句も出でよ初桜 芭蕉 まあ、なにはともあれ、今年も咲きましたね(笑)。よろこんで、写真を撮っていると、お隣のおばさんがお嬢さんと出ていらして、「あら、咲いたわね(笑)。」「そうそう、今年も咲きましたよ。」「さいた、さいた、さくらがさいたよね。一年生の教科書よ、あなた覚えてる?」「えー、ちがったわよ。」「ぼくは、何にも覚えてません」「あら、せんーせーなのに?」 ハハハ、その頃はセンセーじゃなかったような気もしますが、忘れてますね。 はい、「さいたさいた」は国民学校の時代の教科書ですね。お隣のおばさんはシマクマ君より10歳ほど年上で、お嬢さんは10歳ほど年下ですからね。昭和20年代、30年代、40年代、一年生の国語の教科書はどんなページで始まったんでしょうね。シマクマ君は、何にも覚えていません(笑)。 ああ、そうそう、信州のユナちゃん姫が、今年から1年生ですね。今の一年生はどんなページで始まるのか、また聞いてみますね。追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.04.05
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「団地のモクレンはいまからです。」 徘徊日記 2024年4月4日(水)団地あたり 住んでいる棟のまわりが花ざかりです。サクラのたよりを書こうとフラフラ、ウロウロしているのですが、元町あたりでは、もう1週間も前に咲き誇っていたモクレンですが、ここでは、漸く蕾がふくらんできて、明日、明後日には咲き始めるでしょうが、日当たりとか、地域の気温とかで微妙に違うのでしょうかね。 この木のまわりではこんな黄色い花が咲き乱れています。 雲南黄梅というのでしょうか、オウバイモドキとも呼ばれているらしいですが中国原産の花ですね。 で、こちらはレンギョウですね。雪柳もまだ残っていて、その後ろには箒桃、その向こうでサクラが満開です。 で、その横には桃の木がこんな様子(笑)。 カメラのアングルというかを上手に撮れば、桃のピンク、雪柳の白、レンギョウ、雲南黄梅の黄色、そしてサクラに箒桃ですが、ああ、水仙の白と黄色、チューリップやパンジーの色とりどり、ツルニチニチソウの紫とか、フルカラーで撮れそうですが、まあ、ボクには無理ですね(笑)。 サクラ日記の前のご近所徘徊でした。じゃあ。またね。追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)にほんブログ村
2024.04.04
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リュック・ベッソン「DOGMANドッグマン」キノシネマ神戸国際 「レオン」のリュック・ベッソン監督の新作「ドッグマン」をキノシネマ神戸国際という映画館で見ました。 犬と暮らす女装した男、DOGとGODのアナグラム、展開のいたるところで露出する神の言葉、主人公の死と教会のラストシーンの重ね方、暗示とヒントに満ちているのですが、キリスト教とか全くわからないボクには、単なるこけおどしというか、意味の分からない看板のようなもので、ただ、ひたすら、問答無用の父親の虐待で犬小屋に放りこまれて、その結果、なんと、犬として生きることを見つけた男が、さて、どうするのか? という興味で見ましたが、納得でしたね(笑)。 主人公が女装している意味も、わかったような、わからなかったような、ですし、何がよかったのかと聞かれても困りますが、多分、気に入ったのは、出てくる犬たちと、犬小屋に閉じこめられることで始まった、イヌになった主人公の関係のゆるがない絶対性ですね。 彼ら、だから犬たちと主人公を同類として、ほぼ、理屈なしで描いたのが、まあ、マンガ的といえばマンガ的なのですが、卓抜だったんじゃないでしょうか。 上下関係とか、支配と被支配とか、見ているこっちは、人間社会のアナロジーで捉えたくなるのですが、映画が犬の論旨で貫かれている のでしょうね。その結果、犬として生きた男が、犬として死を迎える、 それで、一匹の犬の一生であり、且つ、一人の人間の一生が、見事に終えられるわけで、文句ありません(笑)。まあ、文学にせよ、映画にせよ、結局は、人間の姿を描くほかないわけですが、この作品の、そういう突き放し方は面白かったですね。 もっとも、最後のシーンで鐘楼のそびえる教会の庭に犬たちが集まってくるところを映し出した結果、まあ、そう描くよなぁ! と納得はしながらも、映画を寓話化してしまうというか、チラシにもありますが「愛は獰猛で純粋!」 という感じの方へというか、下手をすると人間社会での、飼い犬というか、ペットの犬の論旨の方へ引き戻してしまうというよなという気もしましたが、それにしても、犬たちの活躍ぶりは面白かったですね。拍手!監督・脚本 リュック・ベッソン撮影 コリン・ワンダースマン美術 ユーグ・ティサンディエ衣装 コリーヌ・ブリュアン編集 ジュリアン・レイ音楽 エリック・セラキャストケイレブ・ランドリー・ジョーンズ(ダグラス)ジョージョー・T・ギッブス(エヴリン・デッカー)クリストファー・デナム(アッカーマン)クレーメンス・シック(マイク)ジョン・チャールズ・アギュラー(エル・ヴェルドゥゴ)グレース・パルマ(サル)イリス・ブリー(ダグラスの母)マリサ・ベレンソン(貴婦人)リンカーン・パウエル(青年期のダグラス)アレクサンダー・セッティネリ(リッチー)2023年・114分・PG12・フランス原題「Dogman」2024・03・15・no044・キノシネマ神戸国際no07追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.04.04
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「ここは王子公園。」 徘徊日記 2024年3月31日(日)王子公園あたり 今日は2024年3月31日、3月最後の日曜日です。JRの摩耶駅を下車して、北に向かって歩いています。50年前に暮らしていた街です。稗田小学校なんていう名前の小学校があって、その南に小さな公園があります。梅でしょうかね、桃でしょうかね、紅白の花が満開でした。 公園の前に、小さな医院があって、その庭で桜が咲き始めていました。 そのあたりから、水道筋の西灘商店街を西に抜けて、阪急の王子公園駅を通りすぎて、今日の目的地の王子公園に向かって歩きます。 王子公園では、桜が咲き始めていました。木によっては三分から五分の咲きかたですが、日曜日ということもあるのでしょうね、呉座というか、ブルーシートというか、友達連れ、家族連れのお花見の人でにぎわっているところもありましたが、たどりついたこのあたりには人はいません。 まあ、桜も、こんな風情で、一番いいときともいえるのですが、お花見で盛り上がるには少々寂しいという感じです。 やって来たのは登山研修所ですね。目的は奇数の月の最後の日曜日、30年近く続けている本を読む会です。 今日の課題は、昨年の今ごろ亡くなった大江健三郎の「燃え上がる緑の木 三部作」(新潮文庫・全三巻)と筒井康隆の最新作、「カーテンコール」(新潮社)です。 大江のこの作品は、発表されたのが、神戸で地震があった、ちょっと前で、地震の後、文庫本になった時に、この会で一度読んだ記憶がありますが、何も覚えていませんでした。 その頃は、阪急六甲の北側、琵琶町でしたかね、あそこにあった学生青年センタ―に集まっていたのですが、青年センターも、どこかに移転しましたね。 で、今回、かなり面倒くさいこの作品を読んだのですが、昨年、大江が亡くなったので、一年がかりで「大江文学総復習」をしましょう!? と、本読み会で思い付いて、あれこれ読んできたのですが、今日で、一応、ゴールでした。 JRの摩耶駅からよたよた歩きながら、筒井康隆の「アフリカの爆弾」(角川文庫)とか、大江健三郎の「個人的な体験」(新潮文庫)とかに出あったのが高校生だったころだと気付いて、しみじみしてしまって、道端のベンチに座り込んで一休みしてお茶を飲んでお弁当のサンドイッチを食べていました。 すると、杖を突きながら、まあ、歩くのもちょっと不自由そうなご老人(他人ごとではありませんが)が、そこまで体を支えておられた、多分、奥さんだと思われる女性に、何か強い口調で命令されながら近づいて来られて、「???」 と思っていると、ボクが座っている、そのベンチの隣にドスンとお座りになりました。 ちょっと焦りましたが、息を切らせながら前方を凝視されている様子を見ていて、ふと、浮かんだのが「そういえば、アフリカの爆弾はやまがみたつひこがマンガにしてたんが面白かったな。」 でした(笑)。 お天気のよい、3月最後の日曜日の昼下がり、街には老人があふれていましたよ。追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.04.04
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「なぜか西宮です!」 徘徊日記 2024年3月27日(水)西宮市役所あたり 今日は2024年の3月27日(水)です。朝から快晴でした。 西宮の県立病院あたりで、チョットした用事が出来て、日頃お出会い出来ない古くからのお友達とお出会い出来るというので、JR西宮駅から、国道2号線を西に歩いています。名前はわかりませんが、南に下る川沿いの、多分、ポプラ並木が、まだ、冬枯れの様子で、向こうに見える阪神電車の高架まで続いていました。 このあたりを歩くのは50年ぶりですね。 簡易裁判所とか市役所のあたりですが、大きなクスノキが聳えていて壮観です。街中の大木が次々と姿を消していくご時世ですが、なにはともあれ大事にされているのがうれしいですね。 写真では伝わりませんが、大木です。 で、見えてきたのが、塀越しの白い花、一番上の写真ですが、塀のむこうは茂松寺というお寺のようです。塀のむこうの境内へ入っていいのかな? ちょっとためらいましたが、まあ、いいや(笑) で、入ってみました。 塀のむこうから、だから今はこっちから、パチリです(笑)。梅か、桃か、よくわかりませんがよろしい様子ですね(笑)。 境内にもクスノキの大木があって、その木陰にこんな石塔がありました。安産祈願の石塔らしいです。「血盆塔」と彫ってありますが、血盆(けつぼん)というのは、血盆経というお経があって、女人の血の穢れとかを救うんだそうです。まあ、そのあたりから安産を祈願するための石塔になったんでしょうね。 で、こちらが本堂(?)、出来立てのようです。 お寺から、2号線にもどりましたが、約束の時刻までちょっとひと休み。歩道沿いの花壇の脇の座りました。 水仙ですね。黄色いのとか白いのとか、可愛らしく咲いています。いいお天気です! ボクは持参したサンドイッチをぱくついて、お茶を飲んで、時間が来るのを待っています。 ああ、ここは、目的地の県立病院前ですね。お友達のお二人が間もなくいらっしゃって、三人で待合室に上がって、長い、長い、春の午後をおしゃべりで過ごしました。 というわけで、久しぶりの西宮でした。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.04.03
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クリストファー・ノーラン「オッペンハイマー」109ハット 今日は2024年3月30日、土曜日です。その上、春休みです。普段は出かけません(笑)。 しかし、しかし、ですよひょっとしたら、今、一番騒がれている映画じゃないか? が封切られているのです。180分の大作ですが、2024年のアカデミー賞、作品賞、監督賞(クリストファー・ノーラン)、主演男優賞(キリアン・マーフィ)、助演男優賞(ロバート・ダウニー・Jr.)、編集賞、撮影賞、作曲賞と、7部門、まあ、総舐めという作品で、おっちょこちょいの徘徊老人としてあっこならすいているんじゃないか? とやって来た109ハットでしたが、やっぱり空いていました(笑) 見たのは、もちろん、クリストファー・ノーラン監督の「オッペンハイマー」です。 実は、評判になり始めてひっかかっていたことがあります。なんで、今、オッペンハイマーやねん? で、見終えました。若い人はご存知ないかもしれませんが、1940年代、第二次大戦中ですが、マンハッタン計画という、アメリカの原爆開発プロジェクトの科学技術的な責任者であったJ・ロバート・オッペンハイマーJulius Robert Oppenheimerの、いわば伝記映画でした。 いかにも、ノーラン監督らしい映像的工夫に満ちた作品でしたが、果たして、効果的だったのかどうか、ボクには、少々めんどくさかったですね(笑)。 面白かったのは、まず、登場するアインシュタインが、ボクが思い浮かべるイメージの姿と、実に、ピッタリ同じというか、そっくりで笑えました。ついでにいえば、見ながら気付いたわけではありませんが、オッペンハイマーもそっくりです。似た人というのはいるのですねえ(笑)。 で、その、オッペンハイマーとアインシュタインが出会うシーンが一回だけあるのですが、そこで何が語り合われたのかが、おそらく、この映画の底に流れている大事なポイントだと思いました。古典力学が描いた世界を根底から刷新したアインシュタインですが、彼がたどり着いたのは量子力学という新しい未知の発見、ひょっとしたら、「絶望」の発見だったわけで、そこから未知の世界へ足を踏み入れて、世界を滅ぼす可能性のある殺戮兵器の道を歩もうとしているオッペンハイマーの「不安」が出会ったシーンとして、まあ、この映画の鍵となるシーンだったと思うのですが、ボクには印象深かったのですね。 ただ、この二人とか、ハイゼンベルグとか、ボーアとか、無茶苦茶なつかしい名前でしたが、彼らには見えているらしい「量子的世界」について、実は、ボクレベルの科学的世界認識では歯が立たないのですね(笑)。 映画の制作者は、おそらく、そこのところを何とかしようとお考えになったんでしょうね、数式の抽象化なのか自然現象の描写なのか、まあ、ちょっとハッタリ的な映像が繰り返されて、「なんや、あんたもわかってへんのやろ」 という感じで、笑えました。 で、映画は「原爆を作ってしまった科学者」オッペンハイマーの伝記的事実をなぞろうとしているようですから、原爆開発と、その軍事的使用に対して、罪というべきなのかどうかはわかりませんが、彼自身の、一人の人間としての「存在論的な苦悩」 が、本線として、まず、あるわけですね。 で、映画は、そこを主軸としながら、戦後、水爆開発に反対したことが理由でしょう、1950年代の、所謂、「赤狩り」のターゲットにされて公聴会で尋問されるという、反共を煽るアメリカという国における、国民としての資格の剥奪の脅しに対する「怒りと戸惑い」 加えて、彼の性的、精神的な志向によるのでしょうね、いわば、内面に渦巻く欲動の自己矛盾に対する怯え を抱えている人間という、重層的な存在のありさまを、多分、三通りの、時制ではなくて、映像の主体、だから、誰が見ているシーンかという映像的な差異によって、錯綜させて描くという、ノーラン監督の得意技が駆使されていて、面白い人には面白いのでしょうが、ボクにはかなりややこしい という印象でしたが、とどのつまりに、妻の口から発せられた「公聴会で許されたからといって、あなたがやったことが許されたとは限らない」 という(はっきり覚えていませんが)セリフの、「あなたがやったこと」 が実に多義的で、かつ、静かではあるのですが、激しい否定のセリフには、やはり、ギョッとするというか、印象に残ったのですが、なんだか、消化不良な感じも残りましたね(笑)。 まあ、なんとなく、不満を書き連ねていますが、ボク自身にとっては、かなり衝撃的な体験 をさせられた映画でもありました。 上に貼ったのは映画ではなくて、公式記録の写真らしいですが、映画の前半、最後の山場は、この写真が写している最初の原爆の実験の現場を描いた映像でした。ボクは普通の映画館で見ましたから、椅子が揺れたりしたわけではありませんが、最初に光と火炎の塊がスクリーンに広がり、しばらくの沈黙の後、強烈な爆音が響き、まさに「ピカドン」 が映しだされたのですが、その映像を見ながら、椅子にすくみこむような気分に落ち込みながら、涙がとまらなくなってしまったのでした。不思議な経験でしたね。なんだったのしょうね、あの、身体反応は? ここ数年、何本か見たことのある監督ですが、ややこしさはいつものことですが、あのシーンは衝撃でしたね。拍手! 余談ですが、始まりは、アインシュタインの「物理学はいかに創られたか上・下」 (岩波新書)、そこから、ハイゼンベルグの『部分と全体』(みすず書房)とかシュレーディンガーの『生命とは何か』(岩波文庫)とかに、それぞれ、まったくワカラナイにもかかわらず、熱中したことがあったのですが、懐かしく思い出しました。映画を見ながら懐かしい名前といったのは、この映画にも登場する物理学者たちの多くが、10代の終わりころのボクには、あこがれのスターだったんですよね。あの頃から50年、本だけでも、と思って、何度も、あれこれチャレンジしましたが、結局、諦めましたね。面白がれたのはファインマンさんの冗談だけでしたね(笑)。 ああ、それから、なぜ、今、オッペンハイマーなのか? は、結局、わかりませんでしたね。ついでにいえば、この映画が大騒ぎになっている理由もよくわからなかったですね。嫌いじゃないし、面白かったのですが・・・(笑)。監督・脚本 クリストファー・ノーラン原作 カイ・バード マーティン・J・シャーウィン撮影 ホイテ・バン・ホイテマ美術 ルース・デ・ヨンク衣装 エレン・マイロニック編集 ジェニファー・レイム音楽 ルドウィグ・ゴランソン視覚効果監修 アンドリュー・ジャクソンキャストキリアン・マーフィ(J・ロバート・オッペンハイマー)エミリー・ブラント(キャサリン(キティ)・オッペンハイマー)マット・デイモン(レスリー・グローヴス)ロバート・ダウニー・Jr.(ルイス・ストローズ)フローレンス・ピュー(ジーン・タトロック)ジョシュ・ハートネット(アーネスト・ローレンス)ケイシー・アフレック(ボリス・パッシュ)ラミ・マレック(デヴィッド・L・ヒル)ケネス・ブラナー(ニールス・ボーア)ケネス・ブラナーディラン・アーノルド(フランク・オッペンハイマー)デビッド・クラムホルツ(イジドール・ラビ)マシュー・モディーン(ヴァネヴァー・ブッシュ)ジェファーソン・ホール(ハーコン・シュヴァリエ)ベニー・サフディ(エドワード・テラーデ)デビッド・ダストマルチャン(ウィリアム・ボーデン)トム・コンティ(アルベルト・アインシュタイン)グスタフ・スカルスガルド(ハンス・ベーテグス)マイケル・アンガラノデイン・デハーンオールデン・エアエンライク2023年・180分・R15+・アメリカ原題「Oppenheimer」2024・03・30・no052・109ハットno43追記2024・04・02 「オッペンハイマー」というこの映画の感想を書くのに、ちょっと苦労して、なんとか書き終えて、寝ていて、「うん???」 と思い浮かんだことがありました。2023年に見た「アステロイド・シティ」という、アニメのようでアニメでない、という雰囲気のけったいな映画のことです。「あれって、ロスアラモスか?」 という、なんというか、ひらめきというか、思いつきでした。 そういえば、あの映画は少年科学者大会とかいっていたと思いますが、マンハッタン計画は全米の秀才高校生まで動員した、国民的行事だったですよね。ボクは、あの映画の舞台がネバダということもあって、広瀬隆の「ジョン・ウェインはなぜ死んだか」(文春文庫)とかを思い出して、なんとなく「原爆実験かあ・・・」 とか思っていたのですが、ひょっとしたら、この映画と同じ関心で、あの映画は作られていたのではないかという思い付きですね。 そうだとすれば、才能とセンスの塊のようなウェス・アンダーソンとクリストファー・ノーランという二人のアメリカの監督が同じように、今、「ロスアラモス」を振り返ろうとしているんじゃないか。それは、何故かなのか?ですね。 日本の戦後でいえば、「夏の花」、「黒い雨」から「父と暮らせば」や「祭りの場」、近いところでは「爆心」まで、他にもいっぱいありますが、繰り返し描かれ、映画化もされた原爆ですが、作って、使ったアメリカではどうだったのか。なぜ、今、オッペンハイマーなのか? なんだか、いよいよ、引っかかってきましたね(笑)。追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.04.02
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「咲きはじめたら、一気です!」 徘徊日記 2024年4月1日(月) 団地あたり 今日は4月1日、エイプリルフールですが、3月の終わりに咲き始めたと思ったら、ウソみたいに一気に咲き始めました(笑)。 まずは、自宅の前の通りです。こうして花が咲くと、みんな遠くに行ってしまったゆかいな仲間たちのことが懐かしくなります。 信州にいるカガクくんに写真を送ると「神戸も、まだその程度か?」 とか何とかいっていましたが、それぞれ、みんな、この風景は懐かしいんじゃないでしょうか。 自宅の前の通路です。右に見えている棟がゆかいな仲間が育った建物ですが、この道を歩くと突き当りに枝垂桜が咲いています。 これが、この枝垂れ桜の先端の様子で、今日は青空に映えてきれいですね。 反対側から撮るとこんな感じです。背景に見えているのは、愉快な仲間が通った小学校です。 ちょっと、目先を変えて、雪柳です。隣の棟の裏、子どもたちの遊び場に一株(?)だけあります。 自宅の側から、西を見ると、こんなふうになっています。向うの端にあるのが枝垂れ桜です。体育館の屋根が映っていますが、彼らが通った中学校です。 玄関からのこの通りだけでも満足なのですが、さて、団地のサクラ、あちらこちらで咲き誇り始めています。今日から1週間、天気のよい日は、スマホ片手にパチリ、パチリの日々になりそうです。 やっぱり、桜ですね。咲き始めると落ち着きません(笑)。追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)にほんブログ村
2024.04.01
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「雪柳、満開です!」 徘徊日記 2024年3月30日(土) 団地あたり 2024年の3月もあと2日、今日は久しぶりに快晴です。ベランダではチューリップが咲き始めましたが、団地は雪柳が満開です。 スマホ片手に西の駐車場と歩道の生垣にやって来ました。 毎朝、中学生が通る道ですが、今は春休みです。ここが団地自慢の雪柳ロードです。 写真の向こうまで歩いて、振り返ると、こんな様子です。 団地中央の、もう10日もすれば桜の名所になる中央歩道にやって来ました。いまは、ここも、雪柳の道です。 蕾がふくらみ始めた桜並木の下で、雪柳が満開です。 壮観というか、見事なものでしょ(笑)。歩道の生垣が重なっていて、花の列が重なって見えています。大したものですね。 この徘徊の写真はみんな雪柳です。芸がありませんが、まあ、こんな日もあっていいでしょう(笑)。 ちょっとづつ移動して写しています。歩いている通路の形が似ているので、実は、違う場所なのですが、おんなじ写真に見えますね(笑)。 こうして写真にとると、えらく広い団地に見えますが、まあ、そんなに広いわけではありません。 家の前というか、裏庭まで帰ってきました。向うの階段の上の、その向こうに、さっきまでいました。階段をそのまま、向こうに抜ければバス道です。 今日の徘徊は、実はこれだけではありません。 あのね、桜が咲き始めたんです。それは、また、別の日記に書きますね。そっちもよろしくね。追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.04.01
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「ベランダにも、春です!」 ベランダだより 2024年3月30日(土) ベランダあたり チューリップ。 栄養失調気味(笑)。 エンドウ豆。 で、もう一つチューリップ。 なぜ首が伸びないのかが謎! ぺんぺん草。 元気いっぱい。 ベランダも、そろそろ春です。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)ボタン押してね!
2024.03.31
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「こちらも見納め!」 徘徊日記 2024年3月29日(金) 元町5丁目あたり 今日は、アベック徘徊です。元町映画館でバス・ドゥヴォスというベルギーの監督の「Here」という映画を見ての帰りでした。 このポスターの左の映画ね。二人とも、納得というか、かなりカンドー! というかで、映画館を出て、5丁目のまちづくり会館でトイレをすませて、目の前にこの並木です。再びカンドー! でした(笑)。満開というか、きわどくイイネ!の様子です。「写真!写真!」「ハヨしてね、ハヨ帰らんと始まってしまうからね。」「あんなあ、最初の試合から、そんな入れ込んでたら疲れるで。今年は、去年みたいにいけへんねんからね。」「ええもん。ダイジョブやし。」 まあ、関西というか、神戸あたりの方にはよくわかる会話だと思ういますが、今日からプロ野球は開幕、で、目の前のモクレンは見納めでした。 喫茶店のベアさんとか三香書店という古本屋さんの前のあたりです。「あっ、そうや、宇治川の鳥屋さん寄るから、こっち行こう。」「えっ?いそいでんのとちゃうの?」 と、まあ、いつもの二人徘徊でした。 というわけで、もちろん、だめトラもオリックスも負けましたよ(笑) どうなることやら💦追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)ボタン押してね!
2024.03.30
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バス・ドゥボス「ゴースト・トロピック」元町映画館 ベルギーの若い監督、1983年生まれだそうですから、我が家の愉快な仲間たちと同じ世代ですが、バス・ドゥボスという人の「ゴースト・トロピック」という作品を見ました。 チラシの写真の女性が主人公で、お名前はハディージャ。彼女はブリュッセルでビルの掃除婦をしていらっしゃるのですが、こうしてご覧になってお判りでしょうが、ヒジャブというのでしょうか、イスラム教のネッカチーフのような衣装を身に着けておられるようで、だから、多分、もっと南の国から、この街にやってこられて暮らしていらっしゃる方だと思うのですが、映画を見終えても、そういうことが具体的にわかるわけではありません。 彼女が、仕事帰りに、電車の中で眠り込んでしまって、気付いたは終着駅で、そこから、まあ、見ていて、さあ、どうするんや? という一晩の、彼女の行動が映し出されていく映画で、他には、ほぼ、何も映っていません。 バスの乗務員、ビルの警備員、路上で寝込んでいるホームレスの老人と彼の犬、空き家に忍び込んで暮らしている男、通りすがりの老人、救急車でやって来た救急隊員、救急病院の職員、コンビニの女性店員、夜遊びする高校生、警察官、まあ、こうやって数え上げていくと、結構、たくさんの人と出会っているもんだと感心するのですが、出会った人たちの誰かが、何か事件を、だから映画的なドラマをおこすのかといえば、実はそうではなくて、その人たちも普通ですが、彼女自身も普通の応対で、だから、何も起こらないまま家にたどりついて、まあ、一晩歩いていたわけですから、ほとんど寝ないまま、翌日の朝になって、彼女は仕事に出かけていくという映画でした。 で、どうだったのか。「ボクこの映画スキ!」 の一言ですね(笑)。 深夜の街を、疲れ果てて歩き始めた、仕事帰りの、中年の女性の、財布の中にタクシー代さえ持ち合わせていない「暮らし向き」は言うに及ばず、「家族との暮らし方」、「職場での働き方」、「他人との接し方」、だから、まとめてどういえばいいのかわからないのですが、彼女が、今、ここで、「生きていること」 が、見ているボクのこころに穏やかに刻まれていくのです。 若くして亡くした夫をなつかしく思い、高校生の娘の生活を気にかけ、路上で倒れている老人を放っておけない女性の後ろ姿に、「そうだよね、それでいいんだよね、そうしていくしかないよね。」 とうなづくのは、必ずしも、ボクが老人だからではないでしょうね。 この作品の監督は、「人が生きていることを肯定する」 方法として映画を撮っているにちがいないということだと思いましたね。拍手! 元町映画館では、この映画は2019年の作品ですが、この監督が2023年に撮ったらしい「Here」という作品も、日替わりで上映していますが、もちろん見ますよ! まあ、この作品の「ゴースト・トロピック」という題名がどういう意味で、ラストシーンが何をあらわしているのかということついては、実は、よくわかっていません(笑)。でも、イイんです。なんとなくで(笑)。 監督・脚本・編集 バス・ドゥボス撮影 グリム・バンデケルクホフ音楽 ブレヒト・アミールキャストサーディア・ベンタイブマイケ・ネービレノーラ・ダリシュテファン・ゴタセドリック・ルブエゾ2019年・84分・PG12・ベルギー原題「Ghost Tropic」2024・03・24・no048・元町映画館no234追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.30
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レニー・ハーリン「ブリックレイヤー」キノシネマ神戸国際 今日は2024年3月28日(木)です。朝から、チョット曇っていました。「あのさ、明日、あのベルギー映画行くやろ。」「うん、そのつもり。」「きょうは、アメリカのCIAのアクション 行くつもりやねんけど、行く?」「CIAってワルもんやで。」「決まってんの?」「うん。決まってる。あの人らろくでもないことばっかりしはんねん。」「ふーん、でもこの映画、なんか、ダイハード2とかクリフ・ハンガーの監督らしいで。」「ブルース・ウィリス出るん?」「なんでやねん!スタローンも出てへんわ。」「ふーん、ブリックレイヤーってどういう意味?」「レンガ屋さんやろ。大工さんの一種。レンガ積む人。」「大工さんはカーペンターちゃうの。」「そやから、ヨーロッパでは、家つくる時レンガ積むんやろ。でも、この映画、CIAの話らしいから、コードネームいうやつちゃうか。」「ふーん、でも、今日は行かん。」「ホンナラ、ボク行ってくるわ。」 というわけで、レニー・ハーリン監督の「ブリックレイヤー」をキノシネマ神戸国際で見ました。 チラシに、究極のアクション・エンタテイメント大作 とありましたが、究極の感じはしませんでした。でも、まあ、それなりに面白かったですね。主役のレンガ職人役のアーロン・エッカートという人も、その相方のCIAエージェント、ケイト役のニーナ・ドブレフという人も、多分初めて見る俳優さんでしたが、なかなか頑張っていました。 お話は、まあ、CIA の内輪モメばなしで、ありきたりですが、エピソードの連鎖で謎解きに向かうパターン は、元々がこういうスパイ・冒険小説とかの展開が好きなせいもあって、結構、面白く見ました。主役のエッカートさんもなかなかシブイし(笑)。 ただ、事件の発端の発端、全ての始まりのエピソードであるらしい、今、敵役として登場しているラディックという男の家族の不幸の原因が、ボクには最後までわからなかったのが残念だったのと、「ブリックレイヤー」という題名にもなっている主人公の呼び名がコードネームじゃなかったのが、なんじゃそれはでした。 帰宅して、再び、老夫婦の会話です。「おもしろかった?」「うん、砂の惑星とかより、こういうのが好きやけど、殴り合いとか、爆発とか、カーチェイスとか、いろいろ盛りだくさんやで。でもな、主人公、CIAを引退して、ほんとにレンガ職人やってん。この前のジョン・ル・カレの裏切りのサーカスな、あれはイギリス諜報部の場合やけど、ティンカーとかテイラーとか、鋳掛屋とか洋服屋がなスパイのコードネームやったけど、今日のCIAはホンマにその仕事する人やってん。」「CIAは、やっぱり悪もんやったやろ。」「うん、新人以外、全員悪もんやった(笑)。あんな、一人やっつけるのに街中ブッ講和すようなことしたら嫌われるわな(笑)。主役の人、ハリソン・フォードに似とった。」「これが?」「うん、チラシの裏、ピストル構えてるやろ。」「あっ。ホンマや(笑)」 というわけで、不死身のアーロン・エッカートさんに拍手!でした(笑)。監督 レニー・ハーリン原作 ポール・リンゼイ脚本 ハンナ・ウェグ マット・ジョンソン撮影 マッティ・エーリカイネン美術 フィリップ・マーフィ衣装 イリーナ・コチェバ編集 イアン・アースキン音楽 バルター・マイアキャストアーロン・エッカート(スティーヴ・ヴェイル)クリフトン・コリンズ・Jr.(ヴィクター・ラデック)ニーナ・ドブレフ(ケイト)ティム・ブレイク・ネルソン(オマリー)イルフェネシュ・ハデラ2023年・110分・PG12・アメリカ・ブルガリア・ギリシャ合作原題「The Bricklayer」2024・03・28・no050・キノシネマ神戸国際no08追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.29
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「春やん!(笑)」 ベランダだより 2024年3月27日(水) ベランダあたり 玄関を出て、すぐそこ、思わずつぶやきました。「春やん!」 満開の雪柳が明るい日差しの中で広がっていました。 雪柳の横では水仙たちも群れて咲いています。明るい日差しがうれしい(笑)。 愛車モーターカブ号を置いているその前の生垣でも雪柳です。シマクマ君は、この花が好きです。二日ほどお天気が今一だったので気づきませんでした。今日は快晴です。 お出かけで、気がせいていましたが、なにはともあれ、パチリ!でした(笑) 玄関のすぐわきのこの花は「山桜桃梅・ゆすらうめ」です。一月後には赤い実がなって、食べられます。その向こうは、一株だけの雪柳です、で、最後まで頑張って咲いている椿です。さすがにそろそろ見納めでしょうね(笑)追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)ボタン押してね!
2024.03.28
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三上智恵「戦雲 いくさふむ」元町映画館 この映画のチラシを見たとき、2019年の10月ですから、もう、5年前のことですが、元町映画館が緊急上映していた影山あさ子監督の「ドローンの眼」という作品を思い出しました。「ああ、あれから5年経ってしまった。」 そんな思いで、当時、影山監督の、あのドキュメンタリー「ドローンの眼」で「可視化」しようとドローンを飛ばして映像化していた、第一のターゲットは「辺野古」 だったこと。しかし、辺野古に焦点をあて、沖縄の現実を伝えようとしたときに、たとえば、神戸で暮らしている「ヤマトンチュウ」にとっては、沖縄本島の「辺野古」の出来事は、まだ、ニュースとして、おぼろげながら見えていたのですが、その、また、海の向こうに霞んでいた石垣島、宮古島、与那国島の、2019年当時の、米軍によってではない、日本という国の政府によって、戦争を放棄したはずの国のミサイル基地建設の実態が工事現場の風景として映像化され、可視化されていたことが、あの映画の、もう一つのターゲット であり、辺野古以上に大きな問題を提起していたわけです。 で、今日の映画「戦雲 いくさふむ」です。「そうはいっても、今のこの国のムードに、気持ち以上のどんな抗い方があるのだろう?」 という、いつの時代でも、国家レベルで行使される権力の姿に対して、抗いようのない無力感が自分の中にわだかまっていることも気づかないふりの、呑気な徘徊老人として過ごしてきたのではないか? と、揺さぶるように山里節子さんの歌う、おそらく島唄の、美しくも哀愁に満ちた響きで映画は始まりました。 三上監督が2015年から8年間にわたり沖縄本島、与那国島、宮古島、石垣島、奄美大島などをめぐって取材を続け、過酷な歴史と豊かで厳しい自然に育まれた島々の人々のかけがえのない暮らしや祭り が鮮やかに映し出されています。そこには、牛がいて、馬がいて、命がけのカジキ漁があって、美しい水平線があります。 映画は列島の南西の果ての島の出来事を、海の向こうの、自分にはかかわりないことのようにして忘れたがっている神戸の老人に、そこにも、同じ日本人として穏やかに暮らす人々がいて、その人たちの裏山が削り取られて大陸に向けて発射可能なミサイル基地や、自衛隊員のための防空壕がすでに完成していて、毎日、射撃訓練の銃声に穏やかな暮らしを奪われている人が、すでにたくさんいらっしゃることを伝えています。神戸の老人は茫然と目を瞠ります。 自衛隊を統括する軍人(?)の口から、台湾有事ということばが大真面目に聞こえてきて、島ごと疎開する計画さえ立てられています。70年前には「お国のため」といっていた気がしますが、今回は「島民の皆さんの安全を守るため」 だそうです。なぜ、本土で広報衆知しないのでしょうね? 映画館は、ボクよりも、ずっと年かさのご夫婦や男性、女性の連れ立った観客のみなさんで、久しぶりに込み合っていました。その高齢のお客さんたちの中に座っていると、いつもの映画とは違って、スクリーンから響く三線のリズムや歌声が聞こえたり、お祭りのシーン、牛や馬のシーンににかすかながらも、ため息や口ずさみが聞こえてくるのでした。それは、きっと、故郷を案じて集まった人たちの息遣い だったと思いますが、流れ出した涙の乾く間のない2時間でした。 1945年の沖縄の戦場で、亡くなった方のご家族や、九死に一生の体験をなさった方や、その方々の体験を受け継いで70年の歳月を暮らしてこられた目 で、この映画が映し出す惨状をご覧になって、どう、お感じになられるか、胸がふたがる思いで見終えました。 元町映画館では、この「戦雲」を4月の上旬まで上映しているようです。どうぞ、ご覧になってください。私たちの国が次の戦争を、他国の国内情勢を理由にして準備していて、そこで、誰に犠牲を強いようとしているのか。 自分の目で確かめて、他人ごとでないことを、まず、気付いてほしいと思います。 本土で暮らしている国民には見えなことをいいことに、海の向こうの島々で、戦争の準備をしているのは、他所の国じゃなくて日本なのですよ! こういうことが「自衛」で説明できるというのが、まず、驚きですが、何故か、こっそり準備されているのです。もう、悠長に驚いている場合ではないようですね。笑えません! とりあえず三上監督と上映してくれた元町映画館に拍手!でした。監督 三上智恵撮影 上江洲佑弥編集 青木孝文監督補 桃原英樹CG 比嘉真人音楽 勝井祐二語り 山里節子イラスト 山内若菜2024年・132分・G・日本配給 東風2024・03・18・no045・元町映画館no232追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.27
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柳川強「風よ あらしよ 劇場版」元町映画館 村山由佳という作家の「風よあらしよ」(集英社文庫上・下)をNHKでテレビドラマ化した作品の劇場版だそうでした。予告編でセリフの喋りかたに違和感があったので見る気はなかったのですが、SSC、シマクマ・シネマ・クラブのM氏の提案の一つにあったので見てみようかなという気分で見ました。 柳川強演出「風よ あらしよ 劇場版」です。 サンデー毎日の暮らしですが、テレビドラマを全く見ないものですから、こういう作品があることは知りませんでした。原作者の村山由佳という人も直木賞受賞作あたりまでは記憶にありますが・・・。 で、映画が始まって、出だしを見ながら「テレビって、こういうふうにクドクド作っていらっしゃるんだなあ?!?!」 って、妙に感心したりしもしていたのですが、お話に出てくる、まあ、歴史的事実である谷中村とか、関東大震災とか、甘粕事件とかは、何となく手を抜いていらっしゃる気もして「なんだかなあ???」 でした。 でも、見てよかったんです(笑)。すっかり忘れていた辻潤や、辻まことのこととか、大杉栄と伊藤野枝の子供たちのこととか、ボク自身が二十代に興味を持っていて、何となく放りっぱなしになっていたことがワラワラと湧いてきて、「そういえば、あの本どこだっけ?」 という感じで、まあ、実に、なんというか、映画そのものが「平和なお茶の間用というクオリティだとこうなりますか?!」 という印象で、辻潤のエゴイズム発言とか、大杉栄のアナキズムの主張とか、かなり上滑りだし、なんといっても、伊藤野枝の女性の自由のとらえ方は、「えっ?それを描くとこういう映画になるの?」 というふうなだったのですが、ボク自身はというと、教室で伊藤野枝という人の映画を見たんだけど、今日の授業のテーマとはあんまり関係ないかもしれない方向に関心が湧いて、その興味の方 に気持ちがウロウロするという体験でしたね。 瀬戸内寂聴の「美は乱調にあり」(岩波現代文庫)とか、「ルイズ 父に貰いし名は」 (講談社文芸文庫)は豆腐屋の松下竜一か。あれは大杉栄と伊藤野枝の四女?、末っ子か? それから、荒畑寒村「谷中村滅亡史」(岩波文庫)か、いろいろあったなあ。そうそう、辻まこと、「辻まことセレクション」(平凡社ライブラリー)とか、どこにやったっけ?みんな、昔の名著か? そういえば、少女小説の吉屋信子が田中正造の思い出を書いていた話がどこかにあったなあ。と、まあ、実はこの時代好きだったんですよね(笑)。 それにしても、ボクのようなタイプに、原作を読もうと思いつかせないところが、まあ、この映画のザンネンなところでしたね(笑)。 演出 柳川強原作 村山由佳脚本 矢島弘一音楽 梶浦由記キャスト吉高由里子(伊藤野枝)永山瑛太(大杉栄)松下奈緒(平塚らいてう)美波(神近市子)玉置玲央(村木源次郎)山田真歩(堀保子)音尾琢真(甘粕正彦)石橋蓮司(渡辺政太郎)稲垣吾郎(辻潤)2023年・127分・G・日本2024・03・25・no049・元町映画館no235・SCCno20追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.26
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「そろそろ、見納めかな?」 徘徊日記 2024年3月18日(月) 北長狭あたり 今日も、フラフラ通りかかった神戸の、通称モダン寺のある、あの通りのコブシの並木道です。見事に満開です! お天気がよかったので、ご覧ください、雲一つない青空を背景にした白い花です。 お寺の姿と重ねて写せました(笑) 少し西に歩いてみます。 洋食の朝日さんのあたりです。 せっかくなので、一本づつ、全体の姿を写してやろうともくろんだのですが、あんまり上手とはいえないところは、いつもと同じです。 西の端のほうの木です。このあたりは、本当に満開で、今日が見納めでしょうね。コブシもモクレンもここから急激にやつれたように黄ばんだりしてくるのですよね。今日は、時間も早いというわけで、朝日さんのお店の前は行列です。 はい。これで通りを歩き終えました。ここから神戸駅まではすぐですね。それでは、またね(笑)。追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑) ボタン押してね!
2024.03.25
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ホウ・シャオシェン「ミレニアム・マンボ」元町映画館 2年ほど前のことですが、なんとなく、図書館の棚で見つけた「侯孝賢の映画講義」(みすず書房)という本を読みました。ホウ・シャオシェン(侯孝賢)という監督が活躍した時代、香港、台湾、そして韓国の映画が映画館に掛かる様になった時代に、ほぼ、映画を見ていないということもあって、名前も知らなかったその監督が、いったいどんな作品を撮っていたのだろうという関心ばかり膨れ上がっていましたが、今年、2024年の3月の元町映画館のプログラムを見て、「あっ!侯孝賢や!」 そう思って駆け付けました。 見たのは侯孝賢監督の2001年の作品「ミレニアム・マンボ」、原題が「千禧曼波」という作品でした。 見終えて、座り込んでいて、最初のシーンが浮かんできました。 渡り廊下というか、ビルからビルへの、屋根付きの歩道橋というか、女性がタバコをくわえて歩いているのですが、どこにたどりつくのか・・・。 で、映画が、たどり着いたのはどこだったのか。「これって、何年の映画ですか?」「2001年ですよ。」 見終えて、ようやく立ち上がって、出てきた受付で答えてくれたのは映写係のお兄さんでしたが、エンドロールを見ながら、ボクの頭の中に渦巻いていたというか、ワラワラと浮かんできていたのは「そのころボクは何をしていたんだっけ?」 という、ボク自身の頭の中にあるはずなのに、時も、場所も、あまり定かではない記憶というか、思い出というかを、浮かんでくるボンヤリしたシーンを何となく手探りで探しながらで、どうしてあなたは、今日、こうして映画館とかに座り込んでいるの? と問いかけられるような、そんな気分で、思わず尋ねたわけです。 まあ、そういう映画でしたね。 見事なものです。繰り返されるくらい部屋や酒場のシーンが、何を描こうとしているのか、判然とするわけでもないし、これといった筋立てがあるわけでもないのですが、今日のボクを揺さぶったことは間違いないですね。不思議な映画でした(笑)。 侯孝賢に拍手!ですね。 映画が、スーチーさんが演じるビッキーさんの生きてきた記憶の映像を重ねるように、繰り返し、コラージュしていているような気がしたのですが、映像にはビッキーさん自身もあらわれるのですね。自分自身の記憶なら、彼女の姿はあらわれないのじゃないか、そんな、疑問も浮かぶんです。で、生きているビッキーさんを追いかけて、これを撮っているのは誰なんだろうという、考えても仕方がないようなことを、見終えて数日たった今も考えています。 小説なら書き手ですが、映画の場合は、小説の書き手に当たる人はどこにいるのかということが、最近気になって仕方がないのですが、そういうことを考えるというか、気に掛けることを励ましてくれるような作品でした。面白かったですね(笑)。監督 ホウ・シャオシェン侯孝賢脚本 チュー・ティエンウェン撮影 リー・ピンビン美術 ホワン・ウェンイン音楽 リン・チャン Fish 半野喜弘キャストスー・チー(ビッキー)カオ・ジエ(ガオ)トゥアン・ジュンハオ(ハオ)竹内淳(ジュン)竹内康(コウ)ニョウ・チェンツー(ドウズ)ディン・ジェンチョン(マジシャン・建中)2001年・105分・台湾・フランス合作原題「千禧曼波」「Millennium Mambo」2024・03・20・no046・元町映画館no233追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.24
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ドゥニ・ビルヌーブ「デューン 砂の惑星 PART2」109ハット 3年ほど前に、パート1を見ました。まあ、そういうわけで、やっぱり、見なきゃ! と思いたって、なんと,春分を過ぎたというのに小雪のチラつく中、意を決して原付に乗り、灘駅からは小雨に変わった道をとぼとぼ歩いて、ドゥニ・ビルヌーブ「デューン 砂の惑星 PART2」に駆け付けました。 劇場には、こんなのに始まって、こんなのとか、 ちょっと、強面ですが、なんかドラゴンボールを思い出しましたが(笑)、こんなのとか、こんな悪人面とか、あっ、上の男の人ね(笑) こちらは、主人公のポールくんかな、と、まあ、いろんな登場人物のキャラクター写真があったりして、有名な人気俳優集合映画であることがよくわかりましたが、まあ、写真の人物のだれ一人知らないわけですから、「まあ、ちょっと写真撮っとこか。」 程度のインパクトしかありません。知らないというのはしようがありませんね(笑)。 で、始まって見ると2時間30分、まあ、結構長い作品だったので、それで、どうなるのと期待に期待を重ねていたのですが、まあ、こんなことを言うのは申し訳ないのですが、なんというか、ボクの中で、新たに「ワクワクをかきたてるもの」 の発見は、結局、なかったですね。ザンネン! あの砂虫の全貌は?という期待も(やっぱり、わからないままでしたが)、お母さんのお腹の赤んぼうの行く末も(まだ、お腹にいるままでしたし)、ポールくん自身の復活も、「なんだかなあ???」 でしたね。 ちょっと、いかにも、薹の立った老人の戯言をいいますが、物語の運びが、小道具も、大筋も、古いんですよね。 予言を持ち出して、話を進めるのも、戦闘シーンや、最後の決闘シーンも説得力がないですね。最後のポールくんの決断でチャニさんが去っていく結末もパート3のためのやりくりにしか見えないわけですし、砂虫くんだって、ボクでさえ二度目なのですから、もう少し何とかしてほしいわけです。 結局、寝ることはなかったですが、欠伸ばっかりしていました(笑)。 音響とか、結構、大変なのですが、体がそう反応してしまうのだから仕方がないですね。 砂漠の香辛料とかの争奪戦あたりからの発想でしょうか、現実の世界を暗示する予言性とかを指摘する批評家もいらっしゃるようですが、現実の権力や資本の論旨が古いからそう見えるにすぎないわけで、古い物語を反復すれば、予見的になるという型は、ボクが映画を見始めた50年前から変わらないし、この作品を持ち上げる理由になるとは思えませんね。 とか、なんとかいいながら、パート3が出来たら、また見に来そうな、ハイ、今回は怠かったのですが、ほんとはこの手の話、好きなのですよね(笑)、というわけで、まあ、いい加減な話でした(笑)。監督 ドゥニ・ビルヌーブ原作 フランク・ハーバート脚本 ドゥニ・ビルヌーブ ジョン・スパイツ撮影 グレイグ・フレイザー美術 パトリス・バーメット衣装 ジャクリーン・ウェスト編集 ジョー・ウォーカー音楽 ハンス・ジマー視覚効果監修 ポール・ランバートキャストティモシー・シャラメ(ポール・アトレイデス)ゼンデイヤ(チャニ)レベッカ・ファーガソン(レディ・ジェシカ)ジョシュ・ブローリン(ガーニイ・ハレック)オースティン・バトラー(フェイド=ラウサ・ハルコンネン)フローレンス・ピュー(皇女イルーラン)デイブ・バウティスタ(ラッバーン・ハルコンネン)クリストファー・ウォーケン(パーディシャー皇帝シャッダム4世)レア・セドゥ(レディ・マーゴット・フェンリング)スエイラ・ヤクーブ(シシャクリ)ステラン・スカルスガルド(ウラディミール・ハルコンネン男爵)シャーロット・ランプリング(教母ガイウス・ヘレネ・モヒアム)ハビエル・バルデム(スティルガー)アニヤ・テイラー=ジョイ2024年・166分・G・アメリカ原題「Dune Part Two」2024・03・21・no047・109ハットno42追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.23
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ジュスティーヌ・トリエ「落下の解剖学」シネリーブル神戸 神戸のシネリーブルでは2024年の2月の下旬に封切られた作品ですが、チケット予約で覗くと連日盛況で、チョット近づくことを躊躇していると、今度はアメリカのアカデミー賞で脚本賞とかいうニュースが流れてきて、客足がとまるどころか・・・、仕方がないので覚悟して出かけました。「ああ、やっぱり、多いですね(笑)。」「はい、アカデミー賞ですから。」 まあ、チケット売り場でそういう会話があって、ここのところのボクとしては珍しく、かなり前の席で、昔はずっとそのあたりだったことを懐かしがりながら、ちょうど真正面のデカい画面をやや見上げるような席で見ました。ジュスティーヌ・トリエというフランスの女性監督の「落下の解剖学」でした。 大きなログハウス風のお屋敷の3階だったかの屋根裏部屋のベランダから、男が落ちて死んでいたシーンがチラシの写真です。直接の死因は頭部の打撲傷なのですが、大怪我をして「落下」したのか、「落下」しながら大怪我をしたのかを、裁判で明らかにしましょう。 という映画でした。 で、怪我を解剖しても、怪我をしたのがいつだったのかわからないので、「落下」という出来事を、みんなで解剖してみましょう。 まあ、そんな感じの裁判だったと思いますが、裁判という制度が、事実の「解剖」では出来事の真相にたどり着けない場合、ようするに物証がないこの映画のような事件の裁判の場合、「結論」を物語化する ものだということを、案外、多くの人が信じているということがよくわかりました(笑)。 でも、多分、殺人事件の裁判の立証でそういうことはあり得ませんね。そこのところを隠しているのが、この映画の大きな欠点だったという印象が、まあ、ボクには、強く残りました。 大怪我の結果、死んだのは夫で、怪我をさせた、あるいは、殺したと疑われているのは妻、第一発見者は、息子と犬でした。この映画の裁判で検事が、芝居気たっぷりに「解剖」しようとしているかに見えるのは「家族」、「夫婦」、そして「夫」、「妻」、「子ども」の内側ですね。ああ、これでは真相はわかりっこないな! そう思って見ていましたが、やっぱりわかりませんでしたね。凶器というか、物証が、それが物置の屋根の角であれ、ひょっとしたら妻が振り上げたトンカチであれ、無いのですから、状況証拠を争う裁判をいくらドラマチックに展開しても、自白を誘導していいるだけで、「結論」は主観的に選ばれる よりしようがないわけです。 まあ、そういうことを考えながら見ていて、この映画というか、映画の製作者は「裁判という制度」について最初から観客をだましているな とういう感じで見続けていました。 どういうことかというと、裁判という制度は、たとえば、殺意が認定できても殺人を認定できない場合、「疑わしきは罰せず」の原則にのっとって無罪放免以外に方法はないということを伝えずに、裁判をある男の死の真相の謎をサスペンス化して、それが見つけられるはずの場として、あたかも法廷劇であるかのように、「裁判」を描いていたことですね。何が表現したいのかよくわからない展開でした。 というわけで、事件の真相がサスペンスとして語られていると思いながら見ているわけですが、謎が吊るされているロープがぴんと張っていないという気分は募るばかりでしたが、検察側の状況証拠に、夫が録音した夫婦喧嘩の実況中継が出てきて、関心を持ち直しました(笑)。 妻の職業が小説家で、夫は書けない小説家志望、二人の小説作法に共通するのが、現実の小説化ということです。これは面白いやん! 島尾敏雄ですね。数年前、梯久美子の「狂うひと―『死の棘』の妻・島尾ミホ―」(新潮文庫)という評論が話題になりましたが、その中で、「作家島尾敏雄は自らの浮気の事実を記した日記を、台所のテーブルに置き忘れることで、妻、島尾ミホに読ませることで、彼女の精神的錯乱を誘発し、それを作品に書いた」 とあったことが、映画を見ている頭の中にワラワラと浮かんできて、新たなるサスペンス! の始まりでした。 まあ、映画では、夫によって文章化された夫婦喧嘩の描写が小説のプロットとしてつまらないという編集者の判断があり、夫の作家的無能の、だから自殺を思い立つ状況証拠化されてしまって、一気にロープが緩むのですが、どうせなら、妻がこの場面を書いた原稿まで、見つけてほしかったですね。そこに、妻の殺意が描かれていたとしても、現実の殺意とは、実は、ほとんど関係ないというあたりまで、どう描くか、まあ、そんな期待だったのですが、トンボ切れでした(笑)。 要するに、書くために生きていた二人にとっての現実や生活は何だったのかという問いに欠けるところが、この作品の残念なところだったと思うのですが、アカデミー賞では、なんと脚本が褒められたよう で、一瞬、興奮しかけたのは空振りだったようですね(笑)。 付け加えていえば、この作品で、境遇に耐えながら、なんとか、生きているのは少年と犬だけでしたね。 少年は、裁判であげつらわれている母と父の虚構の生活の中で、自らの存在も、また、虚構されているのですが、残された母の命を救うことで、自らが「生きる」ことを選び取ったといえるのかもしれません。 上にあげた「狂うひと―『死の棘』の妻・島尾ミホ―」(新潮文庫)を書いた梯久美子が、評伝執筆にあたって協力を依頼した島尾夫婦の、長男、島尾伸三から「きれいごとにはしないでくださいね」といわれたという話は有名ですが、この映画で、帰宅した母に少年がいう「ママが帰ってくるのが怖かった」 というセリフは、かなりいい線いっていると思うのですがね。問題は、誰が死んだ、誰が殺したではないのです、これから、再び始まる「狂うひと」との生活なのです、でも、この映画、そっち向きに作られているのかな?というのが、文学オタクの老人のうがった感想でした(笑)。監督 ジュスティーヌ・トリエ脚本 ジュスティーヌ・トリエ アルチュール・アラリ撮影 シモン・ボーフィス美術 エマニュエル・デュプレ衣装 イザベル・パネッティエ編集 ロラン・セネシャルキャストサンドラ・ヒュラー(サンドラ被疑者・作家)スワン・アルロー(ヴィンセント弁護士)ミロ・マシャド・グラネール(ダニエル息子)アントワーヌ・レナルツ(検事)サミュエル・セイスジェニー・ベスサーディア・ベンタイブカミーユ・ラザフォードアン・ロトジェソフィ・フィリエール2023年・152分・G・フランス原題「Anatomie d'une chute」2024・03・13・no042・シネリーブル神戸no236追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.22
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「おっ!ここのモクレンも、コブシも!」 徘徊日記 2024年3月18日(月)神戸・元町5丁目あたり JRの神戸駅から、宇治川の商店街あたりを横切って北長狭通を高架沿いにトボトボ歩いてたどり着くのが元町5丁目あたりです。なじみの古本屋の三香書店さんや喫煙OKの喫茶店ベアがある通りですが、オッと、モクレン咲いてるやん! 北長狭あたりのコブシに気を取られていた、今日この頃でしたが、ここのモクレンの街路樹も、いつの間にか見ごろになっていました。 まずは、コブシです。元町商店街のアーケードの手前ですね。 ちょっとアップするとこんな感じです。背景の青空も気持ちがいいですね(笑)。 で、その木の正面あたりにあるのがモクレンです。この木の花はまだ蕾です。 でも、モクレンもコブシもこの風情のときがいいですね。 元町商店街のアーケードの南の花は開き始めています。 春の日差しがが明るくて、花の開き加減がこれくらいのときのモクレンとか、コブシって、どうしてこう、素直そうで、写真写りがいいですかね(笑)。 お隣りで、こちらのコブシは、ほぼ満開です。 ちょっとアップしてみますね。こうなると色気たっぷりで、これはこれで、また、まあ、なんというか大人の魅力ですね(笑)。 で、お隣のモクレンは、今のところは、まだ、こういう風情で、何となく女学生さんという感じがいいでしょ(笑)。 いよいよ、春の花の季節の到来ですね。じゃあ、またね(笑)。 ああ、今日の目的地は、やっぱり、ここですね。 見たのは、左端のポスターの映画、「戦雲」、「いくさふむ」と読むらしいです。琉球の人たちの哀しみと怒りに胸打たれました。また感想書きますから読んでね(笑) 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑) ボタン押してね!
2024.03.21
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鈴ノ木ユウ「竜馬がゆく 7 」(文藝春秋社) 愉快な仲間のトラキチクンが毎月運んでくれる「マンガ便」ですが、2024年の3月の「マンガ便」に入っていたのは鈴ノ木ユウ「竜馬がゆく 7 」(文藝春秋社)でした。 江戸で剣術修業をしていた竜馬の、土佐への帰国途上のエピソードが描かれていて、幕末の風雲急な時代の始まりを予告する、「竜馬がゆく」という物語の節目の第7巻でした。 ところで、このマンガの原作は司馬遼太郎の「竜馬がゆく」(文春文庫・全8巻)ですが、実は1962年から1966年にかけて産経新聞の夕刊に連載された新聞小説なのですね。思えば半世紀も昔の作品ですが、作家を、時代を越えた流行作家にした出発点になった作品ですね。 で、もう一つの特徴ですが、一般には、この作品が「歴史事実」に対して「ウソ」=「作りごと」のない「歴史小説」であるかのように読まれてきているのですが、実は「ウソ、偽り」で面白さを担保した「時代小説」 ということですね。 たしかに、歴史上の人物の伝記的事実を柱に描かれていて、いかにも歴史事実を忠実にたどっているかに見えるのですが、実は、司馬遼太郎流といえばいいのでしょうか、想像上の人物を登場させたり、こうであっただろうという、まあ、想像を書き込むことで新聞小説の読者を喜ばせる、あるいは、飽きさせないことを狙ったのだろうと思われる「ウソ」が随所にはめ込まれていて、作家の思惑通り、だから面白いのですね。 この第7巻で、竜馬の一の子分として活躍する寝待の藤兵衛は、司馬遼太郎の創作した最も優れたキャラクターの一人でしょうね。「このろくでなしが」「・・・・」「・・・・」「竜馬どの」「旦那だって人殺しの術を使う剣客でしょうが」「盗賊の人殺しと一緒にするな」「武士の剣は千年の・・・考えぬかれた義と理と法とがある武士道じゃ 武士はその道によって人を斬り時には己も斬る」「な~に勝手なことを言ってんだい 殺しは殺し…一緒だろ」 このシーンそのものが、かなり作り話的だと思うのですが、藤兵衛はもちろんのこと、同席しているのが、三条家で見習いをしている、土佐藩の家老だかの娘お田鶴というのもすごいのですね(笑)。 で、司馬遼太郎のえらいところは、まあ、会話をお読みください、この席で、やがて、「武士道」を相対化して新しい世界を作り出してゆく坂本龍馬誕生! の、産婆役として藤兵衛に「殺しは殺し、一緒だろ」とと、実の重要な発言させているのです。坂本龍馬という歴史上の人物の、歴史的改心、あるいは、武士からの脱皮の瞬間をこうして描いてみせるのが「司馬史観」に特有のテクニックですね。 さて、この巻後半、68話から、70話、土佐に帰った竜馬が出会うのはアメリカです。まだ出てきていませんが、この時代の土佐には、あの、ジョン万次郎がいるのですね。楽しみです。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.21
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100days 100bookcovers Challenge備忘録 (71日目~80日目) コロナが蔓延し始めた2020年の5月に友達と始めた「ブックカヴァーチャレンジ」の備忘録です。当時、フェイスブック上とかで「7デイズ・7ブックカヴァーズ」というのが流行だったのですが、お調子者のわれわれは「100デイズ、100ブックカヴァーズ」に挑戦したのですが、コロナの流行が、何となく忘れられて、戦争とか、神戸や東北の震災とかと同じように、教科書の片隅に記載される歴史事象の一つであったかのような「空気」が蔓延し始めていて、その上、お正月早々、能登半島を大きな地震が襲い大勢の人が苦しんでいらっしゃる2024年の3月現在、ようやく97冊目にたどり着いて、ゴールを目前にしています。 紹介してきた書物のライン・アップに、格別の意味があるわけではありませんが、ほぼ、5年にわたるコロナ社会の生活を映してきた鏡であったかもしれません。少なくとも、紹介に参加した5人のメンバーは確かに5年の歳月を生きてきたわけですし、できれば、その時間を忘れないための備忘録でもあるわけです。 それぞれの書名か表紙写真をクリックしていただければリンク先の記事にたどりつけると思います。no71(2021・06・21 N・Y) 馳星周「神の涙」(実業之日本社文庫)no72(2021・07・26 K・S) レイモンド・チャンドラー『長いお別れ』(ハヤカワ・ミステリ文庫)no73(2021・08・14 T・K) 矢作俊彦『マンハッタン・オプⅠ・Ⅱ』角川文庫no74(2021・08・27 E・D)ジョセフィン・テイ『時の娘』小泉喜美子訳 早川書房no75(2021・09・04 T・S)田口俊樹「日々翻訳ざんげ エンタメ翻訳この四十年」(本の雑誌社)no76(2021・09・21・N・Y)田中小実昌『ポロポロ』(中央公論社)no77(2021・10・21・T・K)川上弘美『神様』中央公論新社no78(2021・11・14・E・D)池内了『物理学と神』集英社新書no79(2021・12・21 T・S)幸田文「おとうと」(新潮文庫)no80(2022・01・12・N・Y)宮本常一「辺境を歩いた人々」(河出書房新社)追記2024・05・11 投稿記事を 100days 100bookcovers Challenge備忘録 (1日目~10日目) (11日目~20日目) (21日目~30日目) (31日目~40日目) (41日目~50日目)(51日目~60日目)(61日目~70日目)(71日目~80日目)(81日目~90日目)というかたちまとめています。日付にリンク先を貼りましたのでクリックしていただくと備忘録が開きます。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.20
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アンドレイ・タルコフスキー「ノスタルジア」元町映画館 2024年の3月のはじめから、神戸の元町映画館でやっていたタルコフスキーの「ノスタルジア」ですが、上映時間が繰り上がったので、普段は映画館には近づかないことにしている日曜ですがやって来ました。 タルコフスキーといえば、今からほぼ50年前、20代だった映画好きの大学生たちが見たの見てないのと騒いだ「惑星ソラリス」という作品が浮かんできて、果たして、見たのか、見なかったのか、判然としないのですが、ちょうど、ゴルバチョフが登場する直前のソビエト連邦から亡命し、パリで命を絶った(本当は病死)と思い込んでいたことだけははっきり記憶しているのですが、見たはずの映画の記憶は全くないという、まあ、ボクにとっては思い込みの中にだけ存在する ような監督です。 で、そのあやふやな記憶の中にあるタルコフスキーの実像を確かめたいというのが今回の目論見でしたが、まあ、ものの見事に失敗したようです(笑)。 今、見終えて残っているのは、世界の破滅を訴えて、自らガソリンをかぶり、焼身自殺を遂げた老人の姿と、その老人との世界を救済する約束を守ろうと蝋燭の炎を風から守りながら、干上がった温泉の池を渡りきるや、気絶して、おそらく故郷の不思議な光景に横たわる主人公の夢のような映像だけです。 唐突ですが(笑)、太宰治という作家に「走れメロス」という、誰でもご存知の作品があります。もう20年以上も前のことですが、ある中学生が「メロスは男の中の男だ!」 と感想文を書いたのを読んでおどろいたことを思い出しました。 この映画の主人公、詩人のアンドレイ・ゴルチャコフは、いや、この映画の監督タルコフスキーは、映画という蝋燭の小さな炎を消さずに、向こう岸に届けることで世界が救済できると、実は、本当に信じていたのではないでしょうか。 タルコフスキーは映画の中に真実の炎をともし続けるという、いわば、映画との約束を守るために向こう岸に渡り、振り向けば、すでに向こう岸になった過去がノスタルジーの夢の中に消え去っていくというシーンを描くことで、映画の中の映画! を残せると本気で考えたのかもしれないという、まあ、老人の妄想に違いない思い込みが、メロスの話を思い出させたのでした(笑)。 なんだかわけのわからないことを書き連ねていますが、音楽といい、映像といい、あふれかえるイメージの氾濫とでもいうスクリーンに翻弄された2時間でした。拍手! とても、ボクの理解力ではついていけなかったのが率直な感想ですが、信じているもののために追い詰められていく切迫感と、失われていくものに対する、えもいわれぬ哀しみだけは受け取った気がします。 この作品を完成させたタルコフスキーは、そのまま祖国を捨て、「サクリファイス」という意味深な題名の作品を残して世を去ったわけですが、わかろうがわかるまいが(笑)「サクリファイス」を見てみたいというのが、この作品「ノスタルジア」を見終えての、今の、もう一つの感想ですが、さて、いつになることでしょうね(笑)。監督 アンドレイ・タルコフスキー製作 レンツォ・ロッセリーニ マノロ・ボロニーニ脚本 アンドレイ・タルコフスキー トニーノ・グエッラ撮影 ジュゼッペ・ランチ美術 アンドレア・クリザンティ衣装 リーナ・ネルリ・タビアーニ編集 エルミニア・マラーニ アメデオ・サルファ音楽 ルードビヒ・バン・ベートーベン ジュゼッペ・ベルディキャストオレーグ・ヤンコフスキー(アンドレイ・ゴルチャコフ)エルランド・ヨセフソン(ドメニコ)ドミツィアーナ・ジョルダーノ(エウジェニア)パトリツィア・テレーノ(ゴルチャコフの妻)ラウラ・デ・マルキ(髪にタオルを巻いた女)デリア・ボッカルド(ドメニコの妻)ミレナ・ブコティッチ(清掃婦)1983年・126分・G・イタリア・ソ連合作原題「Nostalgia」2024・03・10・no040・元町映画館no230 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.20
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カール・テオドア・ドライヤー「裁判長」元町映画館 神戸の元町映画館では「カール・テオドア・ドライヤー セレクション 2」という特集番組を、2月のなかばからやっていました。で、もう一つ、「SILENT FILM LIVE(シリーズ22)」という特集を先週からやっていました。で、両方とも今日、3月8日(金)が最終日でした。 ボクは、今回のドライヤー特集では、「ミカエル」と「吸血鬼」という2本を見ましたが、なんと、せっかくのドライヤー特集をやっているのだからというのでしょうね、サイレント映画をピアノの伴奏で見る「SILENT FILM LIVE(シリーズ22)」の方でも、ドライヤーの最初の作品「裁判長」をプログラムするという元町映画館と鳥飼りょうさんの粋な計らいにのって、サイレントをピアノで見るほうにやってきました。 見たのはカール・テオドア・ドライヤーの処女作「裁判長」です。1918年の作品で、モノクロのサイレント映画でした。 ドライヤーの作品については、たとえば蓮實重彦なんていうえらい人が「彼のすべての作品を見ていなければ、映画について語る資格はないと断言したい。」 とかなんとか、まあ、このチラシでもおっっしゃっていて、ある意味、ウンザリするのですが、そういうもんかとへこたれる気分もあって、別に蓮實教の信者というわけでもないのですが、見なきゃ! となっちゃうんですね(笑)。ところが、まあ、カナシイことに、まあ、ほんとにかなしいわけでもありませんが(笑)、蓮實大先生が傑作とおっしゃっている「奇跡」とか、ネット上でも評判の「裁かるるジャンヌ」とかも見るには見たのですが、正直、ポカーン・・・ だったわけで、今回の、この「裁判長」とか、ちょっとドキドキしましたね(笑)。 で、映画ですが、これが、まあ、面白かったんですね。 お話の筋は、結構入り組んでいて、ややこしいので省きますが、今回、面白かったのは、主人公の裁判長が町の人々に尊敬され、支持されて、地域の人たちが群衆となってお祝いにやって来るのですが、それが、松明の行進かなんかで、そのシーンを、当の裁判長は祝賀会のパーティが開かれている明るい部屋の窓から見ているのです。 ずぅーッと向うに見える、その松明の火が闇の中を、だんだん町の中心に集まってくるのですが、そこだけ、赤い色が付いていて、白黒の闇の画面に、その赤い色が揺らめく のですね、その揺らめきと、裁判長の、実は人々の祝福とは裏腹に職を辞する決心に揺らいでいる心境が重なり合うシーンは、ちょっとドキドキしましたね(笑)。 多分、初期のモノクロ映画のカラーだと思ったので、映画の後で、ピアニストの鳥飼さんに伺うと「フィルムに色を付けているのでしょうね。後になってつけたのではないですね。」 ナルホド、やっぱり、監督の意図なのですね。いわゆるテクニ・カラーをディズニーが専売特許にして評判をとったのが1930年代だったと思いますが、1918年のこの映画で、彩色によってのカラーが試されていて、それが、不思議な効果 を上げていることにおどろきました。 この監督は、50年代に撮った「奇跡」も、最後の作品になった、1960年代の「ゲアトルーズ」も白黒でしたが、もしも、彼がカラーを自在に操っていたら? どんな映画を撮ったのかなと思いましたね。 映画が終わった後のトークの時間に、初めてドライヤーを見たと手を挙げた方がいらっしゃったようですが、ボクのドライヤーとの出合よりは、楽しいドライヤー発見! になった方もいらっしゃったのではないでしょうか。ピアノでサイレント! またまた楽しい時間でした。監督・脚本 カール・Th・ドライヤー原作 カール・エーミール・フランツォス撮影 ハンス・ヴォーグ美術 カール・Th・ドライヤーキャストハルヴァーズ・ホーフ エリート・ピオ カール・マイヤー ヤーコバ・イェッセン ファニー・ペーターセン オルガ・ラファエル=リンデン1918年・89分・デンマークアスペクト比 1:1.33モノクロ・スタンダード・無声公開年月日 2003年10月28日2024・03・08・no038・元町映画館no229 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.19
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ビリー・ワイルダー「アパートの鍵貸します」こたつシネマ ここのところ、2010年代のアカデミー賞作品を続けて見ていたのですが、今日は、半世紀以上前のアカデミー賞映画を、コタツに寝転がって見ました。アカデミー賞鑑賞週間、番外編ですね(笑) 家では、映画とか、あんまり見ないのですが、今日は、なんとなくテレビの前に立って見始めて、そのまま椅子に座り込んで、結局、コタツにもぐりこんで見終えました。見たのはビリー・ワイルダーの傑作「アパートの鍵貸します」でした。「あら、アカデミー賞特集、ケーブルテレビもやってるわよ。」「ふーん、何?」「今日はアパートの鍵貸しますやって。」「ジャック・レモンやろ。」 なんか、テレビの前でチッチキ夫人がひとり言を言いながらチャンネル・リモコンをいじっていました。「始まった?」「うん。見る?私は見る。」「これって、マリリン・モンロー出てくるんやったっけ?」「これは、モンローちゃうわよ。」 いつの間にかテレビの前に立っているシマクマ君です。 ビリーワイルダー、ジャック・レモンといえば、まあ、思い浮かぶのはマリリン・モンローですが、この映画に出てくるのはシャーリー・マクレーンですね(笑)。 1960年ですから、60年前のコメディ映画です。監督はビリー・ワイルダーで、保険会社に勤める独身サラリーマン、バドを演じるのがジャック・レモン、エレベータガールで、部長の浮気相手フランがシャーリー・マクレーンで、まあ、結論を先にいえば、二人の恋物語です。 まあ、そこから先のストーリーはいろんなところで読めますから書きませんが、こたつで見ていた、まあ、いい歳をした二人組は、笑いながらも、トンチンカンな会話に終始していました。「なんか、この会社、スゴイ、フロアーやね。アメリカやからなん。」「うん、アメリカ、アメリカ、50年代のニュー・ヨーク。保険会社。」「大企業いうこと?」「こんなフロアーの会社って、今でもあるんかな?」「あっ、このエレベータの人や。」「モンローちゃうな(笑)。」「何、この、部長とかの意味わからんセリフ。」「男らしいやん(笑)。いま、コレ、映画に出来るかな?」「パワハラどころちゃうやん」「あっ、パスタ、ラケットで掬ってる。」「むりむり、ああ、水かけてる。」「昔はスバゲッティ、ゆであがったら水で洗ったんちゃう?」「うっそー!」 まあ、今、考えると、あり得ないシチュエーションのコメディで、いってみれば荒唐無稽なのですが、その上、結末は知っているにもかかわらずうまくいけばいいな! とか、まあ、どっちかというとさえないお調子者のジャック・レモンを応援したりしながら、最後まで見せてしまって、違和感ゼロというのは何故でしょうね。 第33回、1961年のアカデミー賞で作品賞、監督賞など、5部門制覇! した人気作です。学生時代にも、それからテレビでも、見た記憶がありますが、今見て、やっぱり面白いんですよね(笑)。 いやー、ビリー・ワイルダー恐るべし! ですね(笑)。拍手!監督 ビリー・ワイルダー製作 ビリー・ワイルダー I・A・L・ダイアモンド撮影 ジョセフ・ラシェル音楽 アドルフ・ドイッチ美術 アレクサンドル・トローネルキャストジャック・レモン(C・C・バクスター 通称バド)シャーリー・マクレーン(フラン)フレッド・マクマレイ(J・D・シェルドレイク部長)レイ・ウォルストン1960年・125分・G・アメリカ原題「The Apartment」公開 1960年10月8日2024・03・某日・no043・こたつシネマno18 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.18
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レニー・アブラハムソン「ルーム」シネリーブル神戸 「ギャガ・アカデミー賞受賞作品特集上映」鑑賞週間と決めて見てきたアカデミー賞作品の8本目で、一応これで終わりです。 上に貼ったチラシにあるように、2008年くらいからのライン・アップで、必ずしも作品賞ではありませんが8本です。あと6本残っていますが、今回見なかったのは、すでに見たことがある作品だったからですね。 で、今回見た作品は、制昨年(必ずしも受賞年度ではありません)が古い順に2009年制作の「スラムドッグ$ミリオネア」、2010年の「英国王のスピーチ」、2011年が「アーティスト」、「裏切りのサーカス」、2013年が「世界にひとつのプレイブック」、2014年が「イミテーション・ゲーム」と「セッション」で、この「ルーム」が2015年に作られた一番新しい作品です。 今回の特集は「ギャガ」という配給会社の作品の特集ですが、ギャガだからという特徴とか傾向はボクにはわかりませんが、アカデミー賞がどういう作品をノミネートしてきたのかということについてはなんとなく体感! しました(笑)。 感じたままをいえば、筋運びと構成の明快さと作り手の意図の「人間性」の中庸さ、で、当然、その結果の後味のよさ! が共通していると思いました。 まあ、いってしまえば「大衆性」の最大公約数が選ばれているという感じです(笑)。ただ、ボクには映像的な特徴をあれこれいう眼力がありませんから、要するにストーリーとして見た感想にすぎません。 で、今回の「ルーム」ですが、レニー・アブラハムソンというアイルランドの監督の作品でした。 7年前、通学の途中に誘拐され、小さな納屋に監禁され、その間に誘拐犯との子供まで生み、一人で育ててきた女性ジョイ。この世に生まれてきてから5年間、閉じ込められた狭い空間、「ルーム」で、母と誘拐犯の父の顔と、天窓から見える空しか知らずに育った少年ジャック。 つい、先ごろ見た「ボーはおそれている」という映画になぞらえていえば「ジャックは愛している」ということになるのかもしれませんが、彼が母であれ、他の他者であれ、人を愛することができるための本当の「ボク」になるためには「外」=本当の世界 が必要になりますねという始まりでした。。「ママの名前はジョイ、この「部屋」の外には本当の世界があるの」 母のこの言葉から、5歳になったジャックくんの「外へ」の冒険! が始まりました。 見終えて印象に残ったのは、「ルーム」から脱出して目の前に広がる「本当の世界」 がかすんでいたことと、漸くジャックくんともども「本当の世界」に帰ってきたジョイの苦しみをジャックくんが救うシーンでしたが、なんといっても、ジャックに助けられて、何とか生きる気力を取り戻したジョイに、縋り付きながら、しかし、おずおずとジャックくんが口にする言葉がすばらしかったですね。「ママ、おっぱい!」 ジャックとジョイは、やっとのことで母と子になれたのですね。 まあ、ジェイを演じたブリー・ラーソンさんが主演女優賞だったことにケチをつける気は、毛頭ありませんが、ジャックのジェイコブ・トレンブレイ君に主演男優賞はどうですか?(笑) という気分でした(笑) まあ、そういうわけで、ボクなりのアカデミー賞論(?)にぴったりおさまる作品で、拍手!でした(笑)。監督 レニー・アブラハムソン原作・脚本 エマ・ドナヒュー撮影 ダニー・コーエン編集 ネイサン・ヌーゲント音楽 スティーブン・レニックスキャストブリー・ラーソン(ジョイ母)ジェイコブ・トレンブレイ(ジャック息子)ジョアン・アレン(ナンシー祖母)ショーン・ブリジャース(オールド・ニック犯人)ウィリアム・H・メイシー(ロバート祖父)トム・マッカムス(レオ義祖父)2015年・118分・G・アイルランド・カナダ合作原題「Room」公開日 2016年4月8日2024・03・01・no035・シネリーブル神戸no234 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.17
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「あっこのコブシ、満開!」徘徊日記 2024年3月15日(金)北長狭あたり 上を見上げると、こんな感じです。青空がいいですね(笑)花辛夷空青きまま冷えてきし 長谷川櫂 まあ、今日は、漸く暖かさを感じる陽射しですけどね(笑)。 はい、ここは、いつもの場所です。本願寺さんの、神戸別院の前の通り。アップしたくなって、近寄って、珍しくピントが合っていて嬉しいですね。洋食の朝日さんの前の期も満開です。今日は、お店の前の行列はありません。 ちょっと下に行ってアップしてみますね。今日は時間が少し早くて、明るいのでピントが合いやすいのかなあ(笑)。 コブシの花の白い色というのは、やはりいいですね。白い色というのがあることを感じます。自然の結果なのですが、不思議です(笑)。青天と辛夷とそして真紅な嘘 三橋鷹女 田舎では、春の農作業の始まりの花でした。 通りを歩き終えて振り返りました。以前パンジローがあった建物の前の全景、朝日さんの前の木は、その向こうです。本願寺の別院は、もっと、ズット、向こう。 この通りの街路樹はコブシが中心ですが、まだ蕾を付けたばかりの花もありました。 この通りは、通りの正確な名前も知らないし、格別、何があるわけではないのですが、ボクは、好きですね。まあ、ほぼ毎日歩いているのですがね。 ああ、今日は、三宮の国際会館から歩いてきました。 こんな、映画見たんですが、よかったですよ(笑)。昔「レオン」という作品を撮った監督さんの新作です。 犬の眼の 緑に光る 桜の夜 山口誓子 という句があるそうですが、もじっていうと犬の眼の 緑に光る 鐘の音 みたいな映画でした。何のことかわかりませんね(笑)。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑) ボタン押してね!
2024.03.17
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カール・テオドア・ドライヤー「吸血鬼」元町映画館 2024年の2月に、神戸の元町映画館がやっていた「カール・テオドア・ドライヤー セレクション 2」で見た2本目は「吸血鬼」でした。 サイレントだと思っていたら登場人物がセリフをしゃべったので驚きましたが、ホラーというよりも、民俗学というか、「遠野物語」のお話 という印象でした。、 田舎の村の吸血鬼の実態と退治の仕方が語り出されて(いや、字幕というかページの映像だったかもしれませんが)、それがコートンピエールとかというフランスの村の話だ、という昔話がナレーションされて、その本を読んでいるのが旅の青年アラン・グレイでした。 湖だか河だかの畔に、大きな草刈り鎌をかついだ男が立っていたり、血が足りない、だから、まあ貧血の少女が寝ていて、壁に、またもやというか、やっぱりというか、大きな鎌の影が映ったり だれが悪者なのかよくわからないまま、吸血鬼の手先だったらしいお医者さんが、まず、粉にまみれて死んで、吸血鬼だったらしいオバサン(?)に杭かなんかが情け容赦なく打ち込まれて、まあ、結構、無惨に退治されて少女は青年と結ばれるというお話でした。 シーン、シーンで、たとえば、上に貼った狙われているらしい少女の姿が映し出されるシーンでも、何が起こっているのかよくわからないのですね。 というわけでふーん?!?! という感想でしたね。 分かる、わからないではなくて、ああ、そうですか!? という感じでしたが、まあ、他のドライヤー作品ほどポカーンではなかったですね(笑)。要するに、説話のように語られていくお話の筋そのものはわかったというにすぎません。やっぱり、で、それで? が残るのでした(笑)。 まあ、ボクの理解力では、こんなものでしょうね(笑)。監督 カール・テオドア・ドライヤー原作 シェリダン・ル・ファヌー脚本 カール・テオドア・ドライヤー クリステン・ユル撮影 ルドルフ・マテ美術 ヘルマン・ワルム音楽 ウォルフガング・ツェラーキャストジュリアン・ウェスト(アラン・グレイ青年)レナ・マンデル(ジゼル娘)ジビレ・シュミッツ(レオーネ)ジャン・ヒエロニムコ(村医師)ヘンリエット・ジェラルド(マルグリット・ショパン)ジェーン・モーラ(看護師)モーリス・シュッツ(メイナーの村長)アルバート・ブラス(執事頭)N・ババニニ(執事頭夫人)1932年・74分・フランス・ドイツ合作原題「Vampyr」2024・02・28・no032・元町映画館no227 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.16
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小林且弥「水平線」元町映画館 映画を見た帰り道で、やっと気づいたのですが、今日は3月11日でしたね。今日見た映画は小林且也という、多分、若い監督の「水平線」という映画は、意図したわけではありませんが、震災後の福島を舞台にした作品でした。題名を見ながら、どんな水平線を見せてくれるのかな? 何となくですが、そんな期待を持って元町映画館にやって来ました。福島県のとある港町。震災で妻を失った井口真吾(ピエール瀧)は、故人で散骨業を営みながら一人娘と暮らす日々。 チラシにそうあります。ボクは見る前にチラシとか読みませんから、主人公と、娘が一人という、その家族の事情は知らずに見ていましたが、見ていればわかります。 主人公が、なぜ、福島の海辺の町で散骨を仕事にしているのかという問いが、見ているボクの中に湧きあがってきましたが、最後のシーンで、納得がいきました。彼は、きっと、生きていることがつらいのです。 明日、海に撒きに行く骨を砕く井口真吾の後ろ姿には説得力がありました。ピエール瀧という人は、いい役者だなと、素直に思いました。拍手! チラシの裏にあるこのシーンです。 しかし、まあ、なんというか、このシーンを思い浮かべながら思うのですが、主人公の存在の背景として、いかにも現代的な、ひょっとしたら陳腐でさえある社会事象を次から次へと、なぜ描いたのでしょうかね。 論旨そのものがインチキなジャーナリストの、カメラを振り回す、まあ、あり得ない取材ぶりや、風評被害を叫ぶ漁協の青年の姿には、この後ろ姿に拮抗する内面性が決定的に欠けているのではないでしょうか。 一緒に生きてきたはずの、一人娘の描きかた、演じさせ方もしかりですね。 「海を汚す」というセリフが出てくるのですが、今、陸地でなくなる人の遺骨を海に撒くという行為の、描かれている主人公の生きづらさを考えれば浮かんでくる深さ! まあ、散骨という弔いかたの歴史性や社会性と一般化まではせずとも、福島の海でそれをするということについてどのあたりまでを射程に入れた作品なのか、最初に、監督のことを「若い」といいましたが、老人の目には、そのあたりの浅さ が気に掛かるのですね。せっかく「水平線」なんていう、時間的にも、空間的にも、遠く、広いイメージの、とてもいい題名なのに、ちょっともったいない気がしました(笑)。期待した水平線のシーンには出逢えなくて、ザンネンでしたよ(笑)。 最後になりましたが、SCCの第19回の例会でした。いや、ホント、よかったねえと素直にいえる作品に、ほんとに当たりませんね。 監督 小林且弥脚本 齋藤孝撮影 渡邉寿岳録音 加唐学 小山海太音楽 海田庄吾キャストピエール瀧(井口真吾 散骨業者)栗林藍希(奈生 娘)足立智充内田慈押田岳円井わん高橋良輔清水優遊屋慎太郎大方斐紗子大堀こういち渡辺哲2023年・119分・G・日本2024・03・11・no041・no231・SCCno19 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.15
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マシュー・ボーン「アーガイル」109ハット 先々週は、個人的には、なつかしのアカデミー賞鑑賞週間で、見終えた感想が、「ああ、そうですね!」 と、まあ、すっきりする作品を立て続けに見ていたこともあって、その上「裏切りのサーカス」といううシブイスパイ映画を見たこともあって、予告編を見ながら「おっ!スパイ映画!」 というノリで、封切りしたばかりの、この作品に食指が動くという感じでやって来たのがマシュー・ボーンという、初めて見るイギリスの監督さんですが、作品は「アーガイル」、映画館は109ハットでした。 エリー・コンウェイ(ブライス・ダラス・ハワード)という人気の女流作家が「全き空想!」 として描かれたはずの「アーガイル」というスパイ小説が、実は現実を描いているらしいというのが、お話の発端です。アーガイルは、小説に登場する、男前のエージェントのお名前です。 マア、どっちかというと、とぼけたキャラの女流小説が、何故、現実世界の闇の奥、スパイ対スパイの戦いの「真実」を描くことができたのか? という謎が物語のキモで、銃撃戦、空から急降下、カーチェイス、あれやこれやの超絶アクション、それからお色気、ああ、そうそう、なかなか愛嬌のあるネコのアルフィー君まで登場して、お客さんが喜びそうなネタが、これでもかと用意されています。 上のポスターのネコ・リュックの窓から覗いているのが、主人公とともに苦労するアルフィー君ですね(笑)。 まあ、好き、嫌い、イイ、ワルイはともかく、見始めると画面から目が離せないうえに、現実と小説的空想が、きわどく重なっていて、「えっ?なんで?」「ああ、そうか!」 の繰り返しでラストシーンまで引っ張ってもらえます。 まあ、ここまで読んで、そこから先に興味を感じた方は、どうぞご覧になってください。007系のエンタメ・スパイもののお好きな方にもいいかもしれません(笑)。 ボクが笑ったのは、主人公エリー・コンウェイの前にホンモノのスパイとして登場して、まあ、彼女とコンビを組むことになる怪しげな男がサム・ロックウェルだったことですね。 数年前に見た「スリー・ビルボード」という映画で、インチキな警官役をやっていて記憶に残っている人で、「ああ、また、インチキ野郎ちゃうの(笑)。」 と、まあ、いかにも、そういう風情で登場したのですが、なんと、結構、シリアスな役どころで大活躍だったので、笑ってしまいました。「裏切りのサーカス」に触発されて見ましたが、まあ、あの映画とは180度、いや360度?別世界のスパイたちでした(笑)。監督 マシュー・ボーン脚本 ジェイソン・フックス撮影 ジョージ・リッチモンド美術 ダニエル・テイラー ラッセル・デ・ロザリオ衣装 ステファニー・コーリー編集 リー・スミス トム・ハリソン=リード コル・グーディー音楽 ローン・バルフェキャストブライス・ダラス・ハワード(エリー・コンウェイ:人気作家)サム・ロックウェル(エイデン:スパイ)ブライアン・クランストン(リッター)キャサリン・オハラ(ルース:エリーの母)ヘンリー・カビル(アーガイル:小説の主人公)デュア・リパ(ルグランジェ)ジョン・シナ(ワイアット)サミュエル・L・ジャクソン(アルフレッド・ソロモン)アリアナ・デボーズ(キーラ)ソフィア・ブテラ(サバ・アル=バドル)リチャード・E・グラント(ファウラー)2024年・139分・G・イギリス・アメリカ合作原題「Argylle」2024・03・09・no039・109ハットno41 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.14
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オタール・イオセリアーニ「ここに幸あり」シネ・リーブル神戸 《オタール・イオセリアーニ映画祭~ジョージア、そしてパリ~》に通っています。まあ、あっけにとられる日々です。感想が書けません(笑)。 今日の作品は舞台がパリですから、フランスの話なのですが、なんか調子狂う感じで、やっぱり、あっけにとられましたね。見たのはオタール・イオセリアーニ監督の「ここに幸あり」という作品でした。 主人公(?)のヴァンサンというオッサンが、なんとフランス政府の大臣なのですが、クビになっちゃうんですよね。政争だかに敗れて。 で、どうも、みんな失っちゃうんです。仕事や地位はもちろんですが、家とか、妻とか、まあ、きっと名声とか・・・。 で、どうなるかというと「それでいいのだ!」 なのでした(笑)。ただの呑気なバカボンのパパなんですね。アゼン! これがフランスなのだ!じゃなくて、これがイオセリアーニなのだ! なのですね。 友だちがいて、お酒があって、歌があって、時間があって、街角の木陰にテーブルがあって、なんか文句あるか? スクリーンに漂っている、そのあたりのノンビリした間というか、空気というかが何とも言えませんね。 見ているこちらも「それでいいのだ!」 というしかないですね(笑)。 まあ、そうなんですけど。やっぱりアゼン!でした(笑)。 というわけなのですが、どうも、してやられている感じですね。オタール・イオセリアーニ恐るべし! で、やっぱり、拍手!ですね(笑)。監督 オタール・イオセリアーニ製作 マルティーヌ・マリニャック モーリス・タンシャン脚本 オタール・イオセリアーニ撮影 ウィリアム・ルプシャンスキー美術 エマニュエル・ド・ショビニ イブ・ブロベ音楽 ニコラ・ズラビシュビリキャストセブラン・ブランシェ(馘首された大臣ヴァンサン)ミシェル・ピコリ(ヴァンサンの母)ジャン・ドゥーシェオタール・イオセリアーニリリー・ラビーナアルベール・メンディヤニック・カルパンティエエマニュエル・ド・ショビニ2006年・121分・フランス・イタリア・ロシア合作原題「Jardins en automne」日本初公開 2007年12月1日2023・03・13-no039・シネ・リーブル神戸no188 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.13
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トーマス・アルフレッドソン「裏切りのサーカス」シネリーブル神戸 2024年の2月の最後の週は「ギャガ・アカデミー賞受賞作品特集上映」鑑賞週間と腹をくくって通っているのですが、7本目は2011年だかにノミネートで終わったらしいのですが、この企画の人気投票で残ったトーマス・アルフレッドソン監督の「裏切りのサーカス」でした。 企画のこのチラシを見るまで監督も作品も知らなかったのですが、「サーカス?ひょっとしてあれ?」 と思いついてシネ・リーブルに出かけたのですが、大当たり! でした(笑)。 1980年代だったと思いますが、イギリスの作家ジョン・ル・カレが、ボクの中では大ブームでした。「寒い国から帰ってきたスパイ」(ハヤカワ文庫)が始まりでしたが、ジョージ・スマイリー三部作(五部作?)「ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ」「スクールボーイ閣下」「スマイリーと仲間たち」(それぞれ早川書房、今はハヤカワ文庫)は大好きでしたね。これら、ル・カレの一連の作品ではイギリス諜報部、007映画では「M」と通称されているあれですが、あれが「サーカス」と呼ばれていて、思い浮かんだのはそれでした。 で、映画です。サーカスの主任コントロールが残したチェスの駒が映し出されるのを見て「よし、これや!」 でした。 ゲイリー・オールドマン扮するジョージ・スマイリーにホレボレでした。こういう気分で映画を見るのは久しぶりですね。 考えてみれば、不思議です。原作の小説「ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ」(早川書房)に浸ったのは30年以上も昔で、2020年にル・カレが亡くなったニュースをネットで見た時に、偶然、読んでいたのが「地下道の鳩」(ハヤカワ文庫)という回想録でしたが、何となく読み終えることが出来ないまま、いつの間にか同居人が読み終えて棚にもどったままの今なのですが、目の前のスクリーンにいるジョージ・スマイリーが懐かしくってしようがないのです。 顔立ちも(俳優さんなのですが)、物腰も、喋り方も、そして、発される言葉も(英語なんかわからないのに)、ボクが知っている、あのジョージ・スマイリーなのですね。 見終えて、しみじみしました(笑)。文句なし、拍手!ですね。 チャーチルだった俳優さんゲイリー・オールドマンとか、吃音に苦しんだ国王だったコリン・ファースとか、天才数学者だったベネディクト・カンバーバッチとか、ここのところお出会いして顔なじみの方々が、みなさんスパイとして勢ぞろい!(笑) で登場していらっしゃって、結構、笑えるところもあるのですが、イギリス映画らしい、どっちかというと地味ですが、落ち着いた作品で、その点も、まあ、ボクの好み! でした。というわけで、もう一度拍手!です。監督 トーマス・アルフレッドソン原作 ジョン・ル・カレ脚本 ピーター・ストローハン ブリジット・オコナー撮影 ホイテ・バン・ホイテマ美術 マリア・ジャーコビク編集 ディノ・ヨンサーテル音楽 アルベルト・イグレシアスキャストゲイリー・オールドマン(ジョージ・スマイリー)キャシー・バーク(コニー・サックス)ベネディクト・カンバーバッチ(ピーター・ギラム)コリン・ファース(ビル・ヘイドン:テイラー)スティーブン・グレアムトム・ハーディ(リッキー・ター)キアラン・ハインズ(ロイ・ブランド:ソルジャー)ジョン・ハート(コントロール)トビー・ジョーンズ(パーシー・アレリン:ティンカー)デビッド・デンシック(トビー・エスタヘイス:プアマン)サイモン・マクバーニー(レイコン次官)マーク・ストロング(ジム・プリドー)スベトラーナ・コドチェンコワ(イリーナ)2011年・127分・R15+・フランス・イギリス・ドイツ合作原題「Tinker Tailor Soldier Spy」公開日 2012年4月21日2024・02・28・no033・シネリーブル神戸no233 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.12
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「あっこのコブシが開き始めました!」 徘徊日記 2024年3月8日(金)北長狭あたり あっことか言ってますが、ここです。神戸本願寺別院、西本願寺のモダン寺のある通りです。下山手通りが正しいようです。シマクマ君は通りの名がいまいちわかっていません。 で、お寺の前に立っていらっしゃるのが、親鸞さんですね。 親鸞という人には、ずっと興味を持ってきましたが、信心の心があるわけではないところが、まあ、アカン所なのでしょうかね。 先日、蕾がついていたので気になって歩いてみると開き始めていました。 今日は、通りかかったのがお昼過ぎということもあって、洋食の朝日さんには行列が・・・。 ボクの行き先は、元町映画館です。 このチラシの中の1本で、ドライヤーというデンマークの監督のサイレント映画、「裁判長」ですね。100年以上前の映画です(笑)。じゃあね。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑) ボタン押してね!
2024.03.12
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カール・テオドア・ドライヤー「ミカエル」元町映画館 カール・テオドア・ドライヤー セレクション 2という特集番組を、2月のなかばから、神戸の元町映画館でやっていました。今回は全部で7本ですが、同じ元町映画館で2022年の2月にやっていた特集で、有名な作品ばかり4本見たので、今回新しく上映されていた、これは見ようと思ってやってきたのが、「ミカエル」でした。 本邦初公開だそうです。1924年制作だそうですから、ちょうど100年前の映画です。 もちろん白黒で音楽はついていますがサイレントです。寝たら寝たときのこと! と覚悟を決めてやってきたのですが、寝ませんでした(笑)。 若い方はご存知ないでしょうが、昔の岩波少年文庫とかの翻訳小説で、章のはじめに短い筋書きの導入があって、それから本文が始まるというパターンがありましたが、そんな感じでした。 ゾレという名の立派な絵描きとその弟子ミカエルの、なんというのでしょうか、師弟愛というか、これって、どこかの民俗学の偉い先生とお弟子さんというかの話かな? と、まあ、不埒なことを思わせる不思議な展開でしたが、ミカエル君は師を裏切って(?)女性のもとに逃げてしまうわけで、なんだか、ちょっとちがうなとか、勝手なことを思いながら見ていると、最後まで弟子のミカエルを愛したゾレは死んでしまって、ミカエルは、その女性の膝に顔をうずめて泣くという結末で、チョット、そこのところはポカーンでしたが、結構面白く見ましたね。 で、そのミカエルってこういう顔の人です。なんか、スゴイでしょ(笑)。 まあ、なにはともあれ、サイレントで「ドラマ」ですからね、で、ボクは、まず、困らずお話を追えたことにホッとしながら、ミカエル君の美貌はもちろんなのでしょうが、才能を愛した老師匠ゾレというふうに納得しました。 とりあえず、ドライヤー作品で、初めて、明治の小説でも読んでいるノンビリした気分で「ふーん、おもろいやん!」 と思えたことに拍手!でした(笑)。 監督・脚本 カール・テオドア・ドライヤー原作 ヘアマン・バング撮影 カール・フロイント ルドルフ・マテ美術 フーゴー・ヘーリングベンヤミン・クリステンセン(ゾレ 画家)ウォルター・スレザック(ミカエル 弟子)1924年・95分・ドイツ原題「Michael」2024・02・26・no031・元町映画館no226 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.11
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アリ・アスター「ボーはおそれている」109ハット 一月ほど前のことです。上に貼ったチラシを一目見て同居人のチッチキ夫人が言いました。「私、これは行くわ。(キッパリ!)」「なんで?」「なんか、情けない顔してはるやん。この人。」「ホアキン・フェニクスやん、ほら、こないだ、ナポレオンになってた、あんたは要ってへんけど。マザコンのナポレオンいうて騒いでたやろ、ボクが。」「ふーん、そうやったっけ。」 で、劇場公開が始まって二人で出かけました。 109ハットの小さめのホールでしたが二人以外には学生風の若い男性が二人だけでした。見たのはアリ・アスター監督の「ボーはおそれている」でした。 見終えて、二つ向うの席のチッチキ夫人を振り返ると、彼女は、それぞれ席を立って出て行く青年たちを目で追いながら、声をひそめて言いました。「あの子ら、面白かったんやろか?」「あんたはどうやねん。」「わたしは、最初のシーンから、もういい、出て行きたい、の繰り返しやんか。なんなん、この映画。」「ふーん、ボクは、それでどうなるの?やったで(笑)ホアキン・フェニクス、ずっと情けない顔してたやん。それが見たかったんちゃうの?」「あんな母親出てくる思わへんやん。」 見てすぐはかなりお怒りでしたが、家に帰ると質問攻めでした。「最初、さあ、子供産んだばっかりの女の人が叫んでるこえきこえてくるやん。アンナン、できへんと思うねん。産んですぐやでぇ。」「夢やからできるねん。」「誰の?」「主人公。」「どういうこと?」「ボクはな、はじめから終わりまで、みんな、ボーいう男の人の夢や思うねん。まあ、当てずっぽうやけど、きっと。」「みんな、夢やったん?」「ほら、この前からホサカがおもろいこというてるって騒いどったやろ。夢で起こることって、あり得へん事でも見てて疑わへんって、そういえばそうや、おもろいなぁって。」「そやから、起こること、全部、どこか変やったん?」「そうやん、ボクらには夢ちゃうもん。」「ボーにはホンマのこと?」「まあ、そういいたいんやろうな。ボク、見始めて、すぐ、ホサカの話思い出したから、ふーん、ソウナン?!って見てた。」「ずっと?」「うん。」「最後、爆発すんのは?」「夢の終わり。目覚めたら、また、あの情けない顔。」「おかーさんは?」「映画の今、実在やとしたら、生きてる。知らんけど。ほんでな、ボーのマザコンの様子の描き方は、アメリカの人が好きらしい精神分析の発想の、まあ、映像化に見えた。」「どいうこと?」「あんな、人間ってな、大人になって、自分は、とか、私とか、主体とか、自己とか、思ってるけどな、それって、小さいころに母親とか父親の喜んだり怒ったりすること、まあそれを他者の欲望っていうねんけど、それを見て、それに合わせて自分って出来ていくいう理論。で、ボーのおかんってシングル・マザーやろ。そやから、父親は、人格のないチンチンのバケモンでしかないいうことになるわけ。なんか、そんなシーンもあったやん。」「天井裏?」「うん、父親がそれやったら、男の自分はなんや?ってなるやろ。無意識を占拠してるのは全部母親の欲望で、なおかつ自分は男やで。困るやろ。」「なんなん、それ。」「途中、子ども部屋で目覚めるやろ。ボーって、見るからにもう中年すぎてるやん、なんか、不気味やろ。」「あの年になっても、始まりに支配されてるいううわけ?あかんわ、そんな話。あの子らどう思って見てたんかな?ちょっと、感想聞きたいわ。」「さあなあ、若い人、どうなんかなあ。ボクのは当てずっぽうやか、あてにならんけど、そんな、フロイトとかについて知らんやろうからなあ。わけわからんホラーなんちゃう?ただ、ボクは、なんか、醒めて見てたいうことやん。この監督さん、たぶんそういうのン好きやねんきっと。」 と、まあ、あれこれ盛り上がったのですが、どうなんでしょうね。文字通り素っ裸で走り回ったホアキン・フェニクスさんに、ご苦労様でしたの拍手!ですね。いやはや、俳優というのも大変ですね(笑)。 ところで、上の会話の中でホサカと呼んでいるのは、作家の保坂和志です。で、引用は「世界を肯定する哲学」という新書の次の箇所です。「夢は無意識の発露である」というのがフロイト以降の定説となった定義だけれど、夢には忘れられがちなもっとずっと大きな特徴がある。それは「夢の中では何歳になっても与えられた状況を真に受ける」ということだ。(「世界を肯定する哲学」ちくま新書)(P152) それから、ジャック・ラカンについての話は、まったく偶然だったのですが、ここのところ読んでいた竹田青嗣という批評家の「新・哲学入門」という新書の次のような記述を頭に浮かべています。 ラカンは、フロイトの去勢複合の仮説を精神分析理論の核心として受け取り、疎外された自己統合としての人間主体、という独自の像を提示する。その力点を「反―主体の形而上学」と呼ぶことができる。 《主体は、もともとは欲望のバラバラの寄せ集めです。これこそ「寸断された身体」という表現の本当の意味です。そして、「エゴ」の最初の統合は、本質的に「他我(アルター・エゴ)」であり、それは疎外されているのです。欲望する人間主体は、主体にまとまりを与えるものとしての他者を中心として、その周りに構成されます。そして、主体が最初に対象に接近するのは、他者の欲望の対象として体験された対象なのです》(「精神病の問いへの序論」ジャック・ラカン「精神病」岩波書店) 幼児は、鏡像段階以前(自我が統合される以前)では、自己身体を寸断された像としてもつため、このバラバラの身体としての自己を統一された「主体」として形成する上で、「他我」、つまり「他者の欲望」を必要とする。人間は、自分の欲望を自分で構成することはできず、他者の欲望によって自分の欲望を形成する。この意味で、人間の「主体」は本質的に「疎外」されたもの、いわば他我によって想像的に”騙り取られたもの“であるとされる。(竹田青嗣「新・哲学入門」現代新書)(P147) ゴシック体は、ボクなりです。論の真偽はともかくとしてですが、最近、面白がって読んでいる1冊です。映画にかぎらず、小説、詩歌とか絵画、写真とか、ボク自身が何を見て、何に反応しているのか? を考え込むことが、最近よくあるのですが、そういうときの参考になります。ラカン、ポンティ以降の人間理解は、よくわからないなりにスリリングです(笑)。 で、最後になりましたが、この「Beau Is Afraid」という作品で、あの年齢まで、ボーが怖れ続けているという考え方が、ある意味でホラーだと思うのでした。アリ・アスター監督が採用しているとボクが考えている人間理解の考え方が、でたらめだとは思いませんが、なんだか、図式的だよなあ?! という感じなのでした。監督・原案・脚本 アリ・アスター撮影 パベウ・ポゴジェルスキ美術 フィオナ・クロンビー衣装 アリス・バビッジ編集 ルシアン・ジョンストンキャストホアキン・フェニックス(ボー・ワッセルマン)ネイサン・レイン(ロジャー)エイミー・ライアン(グレース)スティーブン・マッキンリー・ヘンダーソン(セラピスト)ヘイリー・スクワイアーズ(ペネロペ)ドゥニ・メノーシェ(ジーヴス)カイリー・ロジャーズ(トニ)アルメン・ナハペシャン(少年時代のボー)ゾーイ・リスター=ジョーンズ(若き日の母親)パーカー・ポージー(エレーヌ)パティ・ルポーン(モナ・ワッセルマン)2023年・179分・R15+・アメリカ原題「Beau Is Afraid」2024・02・29・no034・109ハットno40 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
2024.03.10
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