雅の日記~お気楽生活をめざして

雅の日記~お気楽生活をめざして

2005年05月29日
XML
カテゴリ: その他
『金持ち父さん』が日本で発売されてから、己の搾取される立場に気づき、経済的自由を追い求める人がずいぶんと増えました。

時間、お金、仕事、場所、生きかた・・・人が自由を求める領域はいろいろあります。
私もお金と生き方の自由については「いつかは手に入れたい」と思って常々生活しています。でも、そうやって前を向いて日々進みながら、「自由を手に入れたときの代償」について考えるときがあります。

その代償とは「孤独」です。
人は何もかもが「自由」にできる状況に陥ったとき、同時に「孤独」も手に入れることになるのではないかと思います。

自由は孤独です。いろんな拘束下におかれるサラリーマンは、いつも上司の顔をうかがったり、会社の方針通りに動いたり、延々ともたされる仕事をこなしていかなければいけない。非常に不自由な状況です。不満もたくさんあることでしょう。でも、不自由であるということは、同時にあなたの自由を妨げる「強制者」がいるということです。強制者に従って生きていれば、たいていの人は生きていくために必要な最低限のお金と時間と身分は保障されるのです。「強制されている」ということに苦痛を感じず、無意識や無自覚でいれば、不満も愚痴も出てこないはずですから、とても幸せな生活ともいえます。

でも、自由を求めてサラリーマンをやめたら、何事も選択することは自分自身の手にゆだねらることになります。自分がやったことは100%、自分のひとりの責任として負わなければなりません。その重圧に耐えられるかどうか。

自由であること=パラダイスではないのです。
だから、覚悟が必要なのです。


それは、ある山の山頂へ休みなく岩を転がし続けるという刑罰です。
シーシュポスが山頂まで岩を運ぶと、岩は重力に従って、また下まで転がっていく。無益で希望のない責苦が延々と続くことが、常に意識があり己について考えているシーシュポスにとって、もっとも惨たらしい苦痛だと、ギリシアの神々は考えたのです。

でも、描写を見る限り、シーシュポスは「やり遂げてやる」という気持ちを捨てていないように思えます。岩が山頂から転がり落ちることは永遠に変わらないかもしれないけれど、岩を運ぶことは決して止めない。同時に山頂に押し上げてやろうという意識を捨てなかったというその事実が、神々の思考を超えているのです。その1点において、シーシュポスは超越したのです。

自由を手に入れようとする人は、シーシュポスくらいの「孤独に耐える力」と「自分が負っている責任」と「負けない心」が必要なのではないでしょうか。
自由を手に入れた瞬間が、人生ゲームのゴールではないのです。
それは、「自覚した人生を歩む」ということのスタートなのですから。

少なくとも、私にはまだその準備も覚悟もできていない。
でも、いつかは(定年するいう状況も含めて)その日がやってきます。
それまでにシーシュポスの意識に少しでも近づけたら、と思っています。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2005年05月29日 16時34分27秒
コメント(8) | コメントを書く
[その他] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

プロフィール

slowlysheep

slowlysheep

コメント新着

slowlysheep @ Re[1]:配達員は何度ベルを鳴らす(05/25) mkd5569さん、こんにちは。 1日に3つ優待…
mkd5569 @ Re:配達員は何度ベルを鳴らす(05/25) こんばんは 優待が2回くるとは、うれしい…
slowlysheep @ Re[1]:関西人(05/05) 隠れファンさん、こんにちは。 コメントす…
slowlysheep @ Re[1]:ちょっとしたいいこと5題(05/16) 産土を飲んでみたいさん、お返事遅くなり…
slowlysheep @ Re[1]:ワニとの闘い(05/06) 昭和の大将さん、こんにちは。 めちゃくち…

カテゴリ

キーワードサーチ

▼キーワード検索


© Rakuten Group, Inc.
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: