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小学校の学芸会がありました。1、2年生はとにかくかわいかったです。 3、4年生は元気いっぱいです。太鼓の音はいつ聞いても胸に響き渡って心地よいです。5、6年生はさすが上級生。体も大きくなり、こんなことができるんだと目をみはるものがあります。そして、私たちは見るだけではありません。PTA有志と先生たちによるマルモリ(マルモの掟)のダンス「ありがとう」(いきものがかり)の手話と合唱披露しました。「こんなの無理~できない」って言っていた人たちも練習を重ねてみんなできるようになりましたろうあの松本さんが見学に来られ「がんばります」とあいさつをしました。終わった後、はたしてどうだったのか私たちの手話は通じたのだろうか松本さんにお聞きすると「素晴らしかった 通じた。 感動した」と言われたのが本当にうれしかったですまた、他の保護者の人たちからも「よかったですよ~だいぶ練習されたでしょう」と、言われました「来年は一緒にしましょう」と、お誘いしました練習に励んだ甲斐があったようです。ありがとうございます
2011年11月13日
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筑豊の歴史 ~炭鉱と山本作兵衛~↑まずは、こちらからどうぞ---「なぜ、過酷な労働なのに、あの頃はよかったのですか?」---と質問すると「すべてタダだった」服も家も水道もガスも・・・食料がない時代だったから米の配給がとてもうれしかったそうです。子どもはよその家でもごはんをたべていたそうです。お互いの団結がかなりあったんだそうです。筑豊にはお菓子の会社が多くあります。さかえ屋、チロリアンの千鳥屋、チロルチョコの松尾製菓、四宮の成金饅頭、ひよ子など全国でおなじみのお菓子ではありませんか。---『なぜ、筑豊にお菓子の会社が多いのか?』---「それは、炭鉱があったからだよ。」「炭鉱で働く人たちは重労働なため、甘いものがほしくなるんだよ。」そんな風に聞いていました語りべの平田さんに質問すると炭鉱で働く人たちはお金を持っていて子どもたちのためにお菓子を買っていたんだそうです。そうだったのかぁ今まで誤解していました。過酷な重労働の中にあたたかい人と人のふれあいが伝わってきました炭鉱で働いていた山本作兵衛さんも語りべの平田さんもいい顔をされていました筑豊の歴史や炭鉱についてもう少し知りたいと思いました。
2011年11月10日
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田川市石炭歴史博物館に行ってきました。山本作兵衛作の絵画が2011年5月ユネスコ世界記憶遺産に認定されました。安蘇館長にお話を伺うと来場者数 1年間で2万人だったのが 先月1か月間で 2万人に激増したそうです。 なんと、1か月間で1年分の来場者数です。語りべの平田さんのお話を聞きました。筑豊に住んでいる私でも知らないことや誤解していることがありました。炭鉱で働く姿は男性は、ふんどし1枚。女性は、上半身裸。お風呂は、混浴だったそうです。山本作兵衛さんの絵に描かれる男性は入れ墨をしています。それは、まっくらな中で働くので入れ墨の文様で誰かを判別していたのだそうです。まっくらで熱く重労働です。ガス爆発が起こると一度に数百人の労働者たちが命を落としました。現在も植物状態の人もいるということです。炭鉱で働く夫を持つ妻は毎日無事に帰ってくるのか心配していたと聞きました。こんな過酷な労働なのに『あの頃はよかった』と語りべの平田さんは昔の仲間と話してたそうです。『筑豊の歴史 ~なぜ、筑豊にお菓子の会社が多いのか?』に続きます。
2011年11月08日
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