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2010.06.18
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「学校給食の裏面史 「アメリカ小麦戦略 No.5」(前編) 鈴木猛夫

戦前、国民病とも言われた脚気の治療、研究を巡って主食論争という大きな論争があった。ビタミンB1を多く含む胚芽を取り去った白米では健康を保てないから、胚芽のついた胚芽米がいい、いや胚芽とある程度の糠の残った七分づき米がいいという、いわゆる胚芽米論争である。両陣営は感情的なまでの論争を繰り広げ、昭和14年法定米は七分づき米に決着した。日本の栄養学史に残る大論争であったがそのしこりは深く残った。
ところが戦後は法定米が七分づき米から一転して白米になった。戦前まで主食の米のあり方をめぐって栄養学界を二分するほどの大論争があったというのに、何故こうもあっさり法定米は白米になったのか。
戦後の食糧難時代に厚生省は栄養課を新設し初代課長に戦前からの胚芽米論者である有本邦太郎、課長補佐に七分づき米論者の大磯敏男を迎えた。つまり両陣営から一人づつ選んだのである。 こうなると法定米をどちらに決めても戦前の論争がぶり返され収拾がつかなくなることは容易に想像できる。このことも一因だったと思われるが、戦後の法定米はそれ以外の白米にせざるを得なかった。
しかし戦前の主食論争は白米に問題ありという点では両陣営とも一致していたわけで、戦後になって白米を学校給食に供するには栄養学者の間に戸惑いがあったのではないだろうか。戦前までの米食偏重ではなくパンも取り入れるべきと考えたのではないだろうか。
勿論前号までの説明のように学校給食の主食がパンになったのはアメリカの高度な小麦戦略が大きな原因だが、日本側の問題点としてはそういうことも考えられる。つまり戦前の主食論争の余波があったとも言える。」

七分米と決まっていたのにどうしたのでしょう。厚生省





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最終更新日  2010.06.18 10:08:23
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