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昨日は(釈迦堂川花火大会)が雨の予報でしたが 皆さんの願いが通じて無事に終わりました。 実況放送を聴きながら実家でBBQを食べながらの見物でした。
2014年08月24日
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皆様、 お久しぶりです。 暫く休んでましたが元気にしてました。 タブレットに替えてからやっとブログにたどりつけました。 これからも以前とかわりなく宜しくお願い致します*\(^o^)/*。
2014年08月23日
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お久しぶりです。十二月に入院し五月まで入退院を繰り返し四月初めに膵臓癌が見つかり半年と云われましたが母らしなく五月二十五日に逝ってしまいました。あまりにも早すぎて現実として受け止める事が中々出来ず夜中に目が覚めて寝れない日々が続き病院に行かなければと思いが未だにありますが四十九日に納骨をし新盆の用意をしながら『母』が本当に逝ってしまったのだと現実を受け止めています。あまりにも早く駆け足で逝ってしまったので私達三姉弟と孫達共々集まれば『母』の思い出話になり母を偲んでいます。
2012年08月12日
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昨日は母の八十九歳の誕生日でした大正十一年十二月二十四日生まれで母は皆にお祝いして貰えると何時も云ってます。ショートケーキとお寿司を持ってお祝いに行きました。昨年、今年と大病のせいか少しづつ元気がなくなって来ています。八年半前の脳梗塞の時は『大丈夫かな?』と思ってましたが半年位で元気になり普段どうりの生活に戻り気ままに畑仕事をしてましたが今回は『年齢』『心臓病』とで体も自分が思ってる様に動けない事もあるので元気がなくなって行くのが目に見えて来てるのが娘として悲しいです。昨日も前と違ってケーキ、お寿司と食が細くなり食べてはくれましたが命がローソクの炎の様に消えて来てると感じました。二十三日にもお正月の時みたいに『発作』が起きたと弟が云ってましたが今回は大事に至らず幸いでした。私もやはり母が気になり遠出が出来ず『孫達』から千葉に何時来るのと電話が合っても足が中々向かず可哀想な思いをさせてます。母は気丈な人なので行って来いと云いますが私が行けません。医学が発達しても治せない病気もありますが、母の口癖は『人は病気ではなく寿命が来なければ死ねないんだ』と云ってますが母にも寿命が近づいて来てるのかなと昨日は感じました。
2011年12月25日
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映像が調子悪く二枚目にしました。大きく写ってますが下のリュックに入ります。手帳などの小物入れです。もう一個仕上げの段階のが有りますが仕上がったら載せます。何でも入れるのでポーチが何個か必要なんです。皆さんに笑われるほど中身がいっぱい入ってるんです。
2011年12月24日
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暫く針仕事をしませんでしたが又パッチワーク教室に通う事にしました少し間が開いたので先生からの物ではなくお店に飾って有った『マカロンポーチ』を作る事にし何個か作って見ましたそれとリュックの中の整理のポーチも作りました、もう一個は仕上げがまだです。九個作って三個はお嫁に行きました。ちりめんと先染めの布を使ってみました。五百円が六枚入ります。チャックは十センチの物です。
2011年12月24日
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昨日洗濯をし二回目のタオル類を洗っていたら終わりの『ピー』ではなく『ピーピーピ』と何回も鳴ってるので行って見たら『Ec5』の表示が説明書を見たら洗濯物を取り出し電源を切り最初からとやってみても同じ『表示』が何度やり直しても同じで今日電話をしたら二十八日以降の順番だと言う事で夫婦二人でも四日間洗濯が出来ないとは困りました。我が家は電化品には当たらず洗濯機は今回で二度目新しい物にした方が良いのかまず見て修理代次第で考え様と思う。
2011年12月24日
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娘の所の猫ですが、お子達が学校に行った後のストーブの前の姿です(お嬢さん)なんですが特に下の孫がいないのでこんなにリラックスした姿です。息子の所の猫はこの前載せましたがお互いにmixiで猫自慢をしてます。
2011年12月18日
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風邪で寝込んでいた夫も回復し温泉に行って来ました。その途中の車の中での会話で『夫婦は他人』なんだと思い知らされました。夫の直ぐ下の義妹が小脳出血で入院し退院はしたのですが私には結婚当時から敵対心を持っていましたが『母』より家族になったのだから自分から尽くせば何時かは分かってくれるかと云われて私なりに付き合って来ましたが四十年経っても私が至らないせいで通じる事がなく来ました。早い時期に旦那さんを亡くしてからは余計に私に対しての態度は度を越して来ましたが一向に改善されず、私も距離を置き付き合って来ました。実は旦那さんが亡くなった時に義兄より死亡診断書、戸籍の抹消お墓の手配全てをする様に云われて全てしましたがそれは当たり前で態度は変わりませんでした。私が四年前に脳梗塞で倒れ入院した時には夫の兄弟は誰も病院には顔を出さず私の身内がお見舞いに来てくれた事を知り『俺らだけ悪者にした』と退院してから言われました『何故』と思ったら夫が『誰にも知らせるな』と云ってたそうです。今回も義妹も『だれにも言わないで』と実家に云ったそうですが義姉の言葉に傷つきました。『誰にも言わないでと云われたが姉妹だから』と嫁に来て『四十年』私はやはり未だに『他人』なんだと思っている所に夫がお見舞いに行くからと私に同行を求められましたが心の狭い私は拒否しましたら夫曰く『あんたと立場が違うから姉妹だから』と言われて今迄の共に過した年月は何だったんだろうと悲しさと寂しさでいっぱいです。やはり此処は私もお見舞いに行けば良いのでしょうがどうしても私は行く事が出来ません。自分では夫の姉妹が自分の姉妹だと思い頑張って来ましたが、これからの残りの人生をどうしたらと思い悩んでいます。夫は今まで優しくて我がままな私には申し訳ないと思っていたから昨日受けた言葉が余計にショックが大きくやはり夫婦は他人何だと思えてなりません。
2011年12月12日
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三日前から夫がダウンしました普段は本当に丈夫でお医者さんが大嫌いな夫なので熱が九度まで上がっても目の前のお医者さんに行こうとしません売薬で治るわけないのに困りました今日は強引に連れて行きます。普段丈夫ですが一年に一度だけは何故か?熱を出していましたがここ何年かはなかったのですが今回は疲れと歳の為なのか熱が下がりません。それでも何だかんだと言い訳をしお医者さんに行くのを嫌がっています『何故なんでしょう?』反対に私は小さい時からお医者さん『大好き』で直ぐ掛かります夫は今回熱を出す前に前歯がぐらついていて食事も不自由でしたが等々歯医者に行かず自然に抜けるのを待ち自分で抜きました。前歯なので歯医者さんに行く様に云っても言い訳を云い行きません。本当に困りました。
2011年12月05日
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我が息子来年で四十歳を迎えると言うのに又、こんな物を前に飼っていた猫は今は私の実家にいますがやはり一人の生活は寂しいのか『彼女』を見つければ良いのに『猫』を飼い始めてしまいました。娘の所も『猫』息子も『猫』小さい時から動物大好きで娘は学校帰りには必ず捨て猫か捨て犬を連れて帰り私の許可を得る前にお風呂でシャワーを使い綺麗にしてから見せていました娘の所の『猫』は職場に迷いこんで来たのを社長さんに飼ってと頼まれて飼いはじめました。息子の所のはパソコンで飼い主募集から来たそうです。
2011年11月25日
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私が日中退屈しないようにと娘がmixiのゲームを何点か入れてくれたら娘の同級生が娘とのやり取りを観てmixi友になってくれて娘と同じく故郷を離れて子育てをしてる様子が分かり母親としては近くに居ればと叶わぬ事に思いを馳せてます。子育て真っ最中で一番はお子達の急な風邪などでお勤めを早退したりする事ですが今は大変でも大きくなればその事も良い思い出になるので今を大事に子育てを頑張って欲しいと願っています。私は自分が親に傍にいるので娘は近くにと願ってましたがこれだけは縁なので遠くに行ってしまいましたが娘の同級生も大学の関係で卒業して故郷には戻らずその場で就職し結婚し子育てをしています。我が家の娘は地元の大学で千葉の先輩と知りあい嫁いで行き早十二年になり今では逞しい母親になりました。
2011年11月19日
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今年は放射能の影響で野菜、果物等が風評被害を受け私達も旬の時に食べられない事が有りました。春先は葉物類がスーパーに数が少なくなり大好きな竹の子も駄目でした。サクランボは山形の天童ですが桃は地元の伊達みらいですが放射能が高く初めて『須賀川産』を食べました。今までは須賀川産を食べず光センサーで選別する伊達の選果場でしたが地元でも『糖度』を計り美味しい物を食べてもらおうと頑張って生産してる方に会って色んな種類の『桃』を食べました。昨年までは『桃』は『川中島』が『一番』だと信じてましたが何種類も有って時期も長く食べられて幸せでした。桃農家の方との出会いは本当に『失礼な出会い』でしたが相手の方が大人で自信を持って生産してたのでこんな私に多くの美味しい『桃』を教えてくれました。これは『まどか』と言う種類で川中島より甘く初めて食べましたが『最高』でした。これは『黄貴妃』と言う種類で本当は少しおいて食べると『マンゴー』みたいな味になるそうです。私はもぎたての硬いい物は好きなので直ぐ冷蔵庫に入れて硬いまま食べましたが程よい酸味が有ってとても美味しかったです。後は名前の知らない物が何種類かあって六種類位で十月末まで食べてました。今はリンゴの季節になりまた珍しいリンゴを食べています。これは『はるか』と云う名前で酸味、甘みが程よくて今まで食べた味では最高です。調べたらこの新種は平成十四年に岩手県で作られ2006年に新新種として栽培されたそうです。多分須賀川では栽培してる所は私が行ってる所だけではないかと思います。今回はお互いに連絡ミスで最高の物ではなかったのですが味は『最高』です。岩手県では一番良い物で五個入り一箱五千円だそうです。最初の出会いは本当に失礼な出会いでしたが美味しい果物を食べられて最高な年でした。果物農家も風評被害で大変ですが我々地元民が皆で食べて行こうと思っています。検索したら大きく載ってました。
2011年11月15日
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あの大きな揺れと厄介なおまけの放射能汚染から八ヶ月が過ぎました。未だに原発の収束は見えずまだまだ隠してる事だらけですがテレビカメラが事故現場に入り現場を映し出しましたが途中で撮影禁止の場所が有り『何の為』に禁止なのか我々はおかしいと感じました。現場責任者の『吉田所長さん』もテレビカメラの前に出て質問に答えていましたが『被爆量』には応えられないと云ってました後今までに三回ほど『死の恐怖』を感じたとも云ってました。現場で働いてる方々も映し出されましたがあまりの凄さに収束は何時になるか福島に本当の安全が来るかは予想がつかないんだと改めて感じました。場所によっては避難をしてる人達が故郷に戻る準備をとの話が有りますが『除染を』してからとの事ですが『除染』をしたからといっても今までみたいに『作物栽培』が安全なのかは分からないし『売れない』し『仕事』も今までみたいにはないので帰らないと言ってる方々が多く政府の対応に不信感を感じました。
2011年11月15日
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福島ではあまり聞きなれない名前ですが茶の木、椿の木、山茶花(椿科)の木にいる毛虫?で数年前に婿殿が刺されて病院で診断され私は始めて知りました。二日前に上の孫が椿の木に突っ込んでしまい見事に顔、首、両手等が発疹で病院に行ったらあまりの凄さに『写真』をお医者さんから撮られたらしいです今朝の電話では大分赤みも取れ学校に行ったらしいです。福島ではあまり聞きなれない毛虫で温かい地域に多いのでしょうか。
2011年10月05日
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去年の十二月以来夫は九ヶ月ぶりに孫達に逢いに千葉へ行って来ました。私は八月に息子と迎えに行って来ましたが夫は待ちに待った千葉行きで行く前から『釣りに行くんだ』と釣竿の点検やらで気持ちは千葉へ行っているようでした。十七日は『運動会』で上の孫小学校最後なので初めて応援に行きました。運動会は『赤』『白』に分かれてが普通だと思ってましたが『大原小学校』は義母の頃から『緑団』『赤団』『白団』『黄色団』と四個に分かれて色んな競技を競い最後に『四団』で応援合戦をし勝敗を決めて親たちの応援も漁師さん達らしく力強く今までの『運動会』とは違った楽しみかたでした。二回目の運動会で『緑団』でリレーでは『一番』でした。お天気は良く日差しが強く台風が近づいてたので風も強く校庭の砂埃が凄く目が砂埃で真っ赤かになってしまいました。上の孫は最後の応援合戦では『大太鼓』で『気合を』入れる役でしたが一番『音』が小さかった気がしました。本人はイヤイヤだったらしいです、応援団長と言われたのを嫌だと云い『大太鼓』になったらしくでも頑張りました。
2011年10月05日
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幕川温泉を後に今度は『猪苗代湖』の『野口記念館』傍のお餅を食べられるお店へ夕方四時なのでお昼兼夕飯?私はお蕎麦とお餅と『会津こづゆ』のセットを麺類が駄目な夫はカツどんセットを結局お蕎麦も付いて来ました。会津こづゆは干し貝柱でダシを取りサトイモ、シラタキ、にんじん、キクラゲ、姫たけ豆ふ等が入り薄口のお醤油味です。お祝いの席等に出ます。貝柱は何日か戻して柔らかくして使用します。その戻し汁も使用するのでダシが出て美味しいです。ずんだ餅です。おろし餅です、お餅はあんこ、ごま、づんだ、おろしから自分の好きな物が選べます。七月には義妹と来ました。リステル猪苗代のラベンダー畑にラベダーを買いながら二人で帰りに食事をしました。帰りにお店の前に『吾亦紅』が無造作に生けて有りました。
2011年09月28日
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スカイラインを下り途中『標高千三百メートル』の秘湯『幕川温泉』に入って来ました。車のすれ違いも難しい道、片側は大雨の日などは崩れそうな山肌、片側は断崖絶壁の道を半信半疑で下ると有りました。今はこの一軒だけが営業してます。お客さんがいなかったので『パチリ』と内湯です。続きの露天風呂です、外には素敵な露天風呂があるそうですが今回は時間的に(午後)無理なので又の楽しみにしました。実は夫が前に義兄と来たそうで歩いて行く『露天風呂』は最高だったそうです。
2011年09月28日
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この日はお天気も良く水汲みも朝早い時間に行ったので夫婦二人なので時間も有るので新聞にスカイラインの『リンドウ』が咲いたと載っていたので見に行こうと出かけました。スカイライン途中の『玉子湯』お湯は乳白色で体に『イオウ』の匂いが残り衣類もイオウの匂いが残ります。露天風呂が何個か有り向かい側の山を春は新緑、これからは紅葉と季節によって楽しめます。つばくろ谷にかかる橋です。滝が真ん中へんに有るんですがアングルと私の腕が悪く良く分かりません。一番最初の橋です。眼下には福島の街並みが見えます。雪が多いので木々は真っ直ぐではなく山肌に沿ってます。木道からなのでデジカメではこの大きさが限界です。木道に腹ばいになって撮りました。ウメバチ草です。ヤマハハコです。ダケカンバの中にナナカマドが色づき綺麗でした。吾妻しゃくなげで来春は花の季節に行きたいです。沼地には『マツムシ草』も咲いてるそうです。
2011年09月28日
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家にばかりこもっているので夫が最初は『水汲み』に途中にまだ『フシグロセンノウ』が咲いてました。 これは前の水汲みの時の山百合です。『ネコじゃらかし』一本だけあまりに見事だったので。下の孫が小さい時に『たまごの花』と云ってた物確かに云われれば真ん中が黄色く周りが白で私には『目玉焼き』に見えました。
2011年09月27日
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昨年従姉妹の所から我が家に来た『まゆはけおもと』今年は地震、放射能と私に余裕がなく『おもと』は水も貰えずにいて葉が枯れてきたので少し心配になり覗いた所『何と、花芽が』あわてて水をたっぷりと少し遅いかと思ったが綺麗に咲いてくれました。最初は二個しか花芽が見えなかったが三個とも綺麗に咲いてくれました。本当に『ゴメンなさい』でしたが今年は花が終わったら肥料を上げて来年も花を見せてくれる様にと願う。
2011年09月27日
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和歌山、奈良、小田原が台風の影響で避難や行方不明者がとニュースを観ていたら須賀川も釈迦堂川、阿武隈川の水位が上がり広報車が避難をするようにと回っている。我が家は大丈夫だが実家の玄関まで水が来ている、とりあえず車を高台に移動し夫は車と共に友人宅へ行きお泊りです。実家も今までになく直ぐ傍まで水が来ているので事務所で待機しています。今、地震も強い揺れです。今回は人為的災害と自然災害が立ち直る前におき気分的にも体力的にも限界を超えました。放射能も半年も経っても収束が見えず線量も低くならず少しづつ上がって来てるのは「何故?」なんでしょうか。東京電力は綺麗な福島県を放射能と云う恐ろしい物で汚染させ『今』『補償』をなるべくしたくない態度をとっている。危険だからと自主避難をした人達の中には補償の対象外も有りこれからの生活の補償、自宅、土地の補償も含まれず莫大な資料を送り少ない金額で済ませようとしてる態度に怒りが込み上げて来る。我々福島県民全員に謝罪もなく汚染され住めなくし今でも不安な気持ちで生活してる我々は生きて行かなければとこの地に留まっているが気が休まる『日』が何時になるか分からない。実家の小学二年生の女の子も今回の影響で『血尿』がストレスと疲れからだそうです。小さなお子達、お歳を取った方々が犠牲を多く受けて私達はまだどうにか現実を受け止めながらの生活をしてますが『何時まで』持つか不安な毎日です。
2011年09月21日
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今回の地震で実家が半壊の認定を受けました。古い木造住宅で土壁だったので何回もの余震で見事にはがれてしまい各部屋は見るも無残に組んである竹が見えていた状態でしたが弟は『市』に申請をしてなかったので『駄目もと』だと思い私が『市』に電話をし審査に来てもらったら先の様な結果が出たので義兄に頼み大工さんが早々と来てくれて修理をしてるので母は無理なので『お茶出し』に毎日通っています。土壁は温かく、夏も涼しく過ごしやすかったのですが今回の様な大きな地震には耐えられなかったようです。外観は屋根瓦が少し落ちた位でそんなに中が壊れてる様には見えないのですが土壁なので畳、廊下と至る所が掃除機をかけてもかけてもザラザラで靴下などは外を歩いてる見たいに真っ黒になり母はスリッパを履かないので洗濯しても落ちません。今の時期なので早々の大工さんに感謝で中はすっかり変わって大喜びです。まだ完全には終わってませんが日に日に変わる家の中はまるで自分家ではない様な感じで気分も変わり新しい気分で過ごせそうです。母は新しく変わる家を見ながら『サッシ』も全部交換すると言い出し、次は天井も交換すると言い出し大工さんも高齢の母の云う事なので次の現場もあるのに心良く聞いて直してくれてるので感謝です。土壁の上の京壁は薄く一ミリ位なので殆どが土だらけの状態でした。
2011年07月24日
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福島の原発が水素爆発をし福島県だけではなく世界中に放射能をばら撒き日本の国土を汚染しまだ収束もせず未だに危険にさらされ続けているし完全に収束するには数十年がかかると政府が発表しましたが放射能に汚染された土壌で作られる作物を我々は食べ続けなければならないし今まで娘の所にお米を送ってましたが今年はどうしたら良いか考えています。孫達の将来を考えるとこのまま後何年送られるか分かりませんが食べさせても良いのか?と不安もあるし果物大好きな孫に福島の果物を送る事も躊躇ってしまいます。安全、安心と云ってますが生産農家の方々の事を考えるととても辛い事ですが実際には福島の土壌は三月十一日の水素爆発で汚染された事は事実なので国の発表が信用出来ない事も我々を不安にしてる原因の一つなのです。この所あまり発言しない知事にも怒りを感じますがそれだけ福島の現実が深刻なのだと思いますが我々は本当の事を知りたいですが最初から本当の発表はしないで今回の相馬の牛の様に現実となりこれからの作物の収穫も多分隠すと思うが消費者は安全を求めるのでどれだけ汚染されてるかが心配です。
2011年07月12日
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先日娘と一緒に来た時にお米が無くなると云ってたので千葉に行けない埋め合わせと気分転換を兼ねて夕方仙台へと来ました。今回は『被災証明書』なる物を市役所で発行して貰い高速道路が『無料』なんです。我が家は食器類が全滅状態になったのも被災に該当するそうで項目には断水も有りました。あまり有り難くない被災支援ですが一年間岩手、宮城、福島の三県に東北道(白河ー青森間)と常磐道の一部が被災証明を取れば無料化だそうです。料金所で被災証明書と免許書を提示し免除になるので料金所はどこも一キロ以上の渋滞になってました。考えれば変わりに国が負担するので我々国民の負担になり増税に繋がるんだと思うと喜んでばかりはいられないのだと複雑な気分で素直に喜べない気分です。放射能を撒き散らしてる『東京電力』からは特定の地域だけに謝罪で本当は福島県民全部に謝罪をするべきなのではと割り切れない思いがあります。汚染水処理に掛かる費用も出し渋りしてる企業に謝罪を求める方が無理なのかと無念さと悔しさでいっぱいです。自分達は責任逃れで国におんぶと抱っこなのに何も云えないのは相当なお金をばら撒いていたのだと改めて思い知らされ今恐ろしいのは放射能より『お金』なんだと感じています。毎日新聞に東電社員の子供(小学生)が投稿した文章が話題になってますが内容が小学生ではないのではと疑問も感じられますが自分の所の不始末(では片付けられない)を責任転換して生き残る事では福島県民は浮かばれないと思う。
2011年06月24日
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十一日の朝娘より電話で『これから行くね』『エーーどこに?』半年も孫達に逢わないのと今回の地震と原発で不安になってるじじ、ばばに元気を上げたいと思いたって直ぐ行動に出たらしい嬉しい反面孫達に放射能の影響がと心配したが出発してしまったので待つ事にした。方向音痴な娘は十二年も通っているが時々間違えて七時間の所を大分かけて行き来するが今回は日中なので間違えずにスムーズに珍しく来たので夕方の四時前に到着した。月曜日もお子達を休ませると言ったが自分も勤めも有るので滞在時間十八時間、移動時間十五時間の慌ただしい帰郷だったが私達には何よりの嬉しいプレゼントだった。一番夫が嬉しそうで三ヶ月間の重苦しい生活の中に心が明るくなり娘に感謝です。孫達も半年の間に大分大人になり私達を気遣う気持ちにじじ、ばばは有り難く夏休みになったら行く約束をし暫く孫達と過ごして来ようと思う。今回は息子も来ていたので婿殿だけが来なかったが賑やかな時間を過ごさせてもらい娘の思いやりに感謝をしながらも息子も娘も思いたったら直ぐ行動に移すのは誰に似たのかと一人考えています。お子達を乗せての運転なので着いたとの電話が有るまで心配ですが無事に帰ったのが何よりです。
2011年06月15日
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我が家の息子は五月で三十代最後の年齢になり今、転職を考えている。大学事務職で待遇が国家公務員から国立大学法人になったので公務員待遇でなくなったが五十代の方々はまだ公務員扱いから切り替えが出来ず息子の年齢では上が支えて昇級試験に受かっても空きがなく係長から上になれない状態なので転職すると言われ親としては今の勤めを続けてほしいが息子の人生なのだからと夫は言うが今就職難の時期に何故と思うが私の性格に似たのか嫌だと思うと即実行に移すので『良く考えて』と云ってるが明日茨城の会社の面接を受けるために今晩は我が家に来ている。最初の職場で八年間事務一般を全部覚えたのと一人身なので鳴子に二年、大洗に四年と行きその間に待遇が変わり仙台に戻って来て最初に『退職願い』を書いたが説得され落ち着くと安心してたがやはり自分の中で納得出来ない何かがあって今回の面接となってしまったが世の中の厳しさがまだ分かっていないと心配だがこれから先何十年も嫌な所で働くのもと複雑な親心です。気風がある息子ですが人間関係には恵まれていて財産なんだからと教えても子供でもなく良い大人なのだから本人の自由にさせるしかないかと自分に言い聞かせて複雑な思いで書いてます。安定した職場なんだからと思いは親のエゴなのかとも思いが少しあり息子の人生息子の自由にさせるのが良いのかとも思い結果はどうなるか分からないが明日面接に送りだそうと思う。まだ今の職場はやめてないので少し望みを残している親心です。
2011年06月09日
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昨年の十二月の短い滞在から半年が過ぎ地震の時もおいでコールが有っても行かず今日五月の全国柔道大会の写真が送られて来た。保育園の頃から始めた柔道も最初は行くのがイヤで仕方なく泣きながら行っていたが六年生まで続け『講道館』で全国大会まで出場する様になり自分自身も自信がつき何回選かは勝ち進む様になり明日の大会では『選手宣誓』をやるそうだ。五月は学校行事で鎌倉、箱根に一泊旅行が有り小遣いを送ったのでお土産も送って来た。身長も百五十センチ近くになり足は二十五センチで体格的には柔道の体格ではないが欲が出てきてそれなりに頑張っているそうだ。部活は陸上とサッカーと忙しいが何かをやり遂げる事は将来の自分の為になるので結果より続ける事を学んで欲しい。夫は今月行こうと云ってるが行く時は内緒でビックリさせようとまだ孫達には言ってない。
2011年06月04日
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東北大震災からもう直ぐ三ヶ月になろうとしてますが余震は相変わらず続いています。被害を受けた人々は自分達で復興に向けて一生懸命になってますが肝心の政府の今の姿には希望も何も望めず国民を何と考えてるのか一度聞いてみたいです。故郷を追われ知らない土地で不自由な生活を強いられてる人達は置き去りにして自分達の権力争い見ていて怒りを通り越し諦めの心境です。我々が選んだ国会議員ですがある方のブログの『マハトラガンジー』の『理念なき政治』本当に今はその状態で原発も収束どころか何時また水素爆発が起きてもおかしくない状態で汚染水の処理も十分な状態ではなく今まで嘘をついて来た東電なので海に流してる可能性が有るのではと思うのは私だけではないはずです。今まで何の心配もなく美味しいお米、沢山の種類の野菜を食べて来ましたが三月十一日の午後からは放射能と云う恐ろしい物のせいで我が福島県だけではなく近隣の県遠くは静岡その他の県遠くは和歌山の梅にまで被害が及んでいますが文部科学省の云う事はオウムノの如く『きわめて少ない量で健康に影響は無い』となにを基準にしてるのか分かりませんがお子達の二十シーベクレルだって決して安全な数字ではないのですがその様な意見や会合は絶対にテレビ中継、全国版の新聞で取り扱わない事に疑問を感じます。国民は今の現状を知る権利はあるはずなんですが『どこ』が止めてしまうのか『民主国家』はどこに行ってしまったのでしょうか?マトハガンジーの『道徳なき商業』これは東京電力に当てはまる言葉その物だと思います。綺麗な台地を放射能で汚染させ我々人間にも危害を加えておいて補償の為に自分達の報酬は減らせないと言い切り離れた所で安全な生活を送っていて最初の補償以来その後は何の音沙汰も有りません。自分達は安泰に暮らし後の補償は国にとはあまりにも理不尽ではないでしょうか?すべて国民の負担にし消費税引き上げ、電気代値上げと次から次へと出て来ますが補償がイヤなら元の綺麗な福島県に戻しその他の県も元通りにして返して欲しいです。我々だけに押し付けるのではなく誠意のある態度を示しても良いのではないでしょうか?
2011年06月03日
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モッコウバラが沢山枝を伸ばしいっぱい花を咲かせました。 ハナミズキも沢山咲きました。病院の帰り道によって撮って来ました。水汲みの途中に山吹が咲いてました。くりん草も咲いてました。オダマキも今年はポポの花が沢山咲いてました。
2011年05月23日
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この所原発の話題ばかりでしが今年も花々は綺麗に咲いています。牡丹円は入園料を無料にして大勢の方々に開放しています。私は時間が有ったので寄りましたが早かったので牡丹の花は残念ながら少しだったのでチュウリップ、うこん桜、もち桜を撮って来ました。どんな時も花は心を穏やかにしてくれます。
2011年05月23日
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今日母の退院の後私は真っ直ぐ自分家に帰り自宅に入る前に髪を切りに床屋さんへ気分を変えたいし暑くなって来たのでスッキリさせたいし私は癖毛なので長く出来ず刈り上げにしてるのでまだ一ヶ月過ぎてないがとても気になったので行ったら混んでて三十分待って居たら市長さんが終わって来たので須賀川の現状や放射能の数値などを聞きもっと『須賀川』の為に県知事や国に働きかけて欲しいとお願いをしたがどこまで頑張ってくれるか心配だ。放射能の測定も須賀川独自でやってほしいともお願いしたがどこまで聞き入れてやってくれるか今後の市長の力量を見させてほしい。須賀川は町の中も建物崩壊が多く今回市役所も崩壊し建て直しと小学校が一校と体育館も建て直しが有るし藤沼湖が決壊し十二人の犠牲者を出しまだ一人が行方不明で市の湖だったので崩壊した家と犠牲者の補償の問題で頭が痛いらしい。早く町の活気を取り戻し明るい須賀川になって色んな行事を行える様になる事を市民は待ち望んでいます。
2011年05月21日
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先月十六日に入院し連休に無理やり退院し五月七日に再入院し四月二週間、今回二週間で無事今日退院になった。先月は息子の所(仙台)に来て何時間も過ぎないうちに電話が来て一晩しか泊まらないで急きょ帰る事になって二十八日毎日行き三十分、帰り三十分通って今回は私が少し疲れてしまい今日夕方仙台に又来ました。今回も少しゆっくりしようと思ったらオットトが明日の朝早く帰るからと云い始め来る前に言って欲しかったが今更仕方がないので今回も一晩だけのお泊りで帰ります。母も今回で四回目の入院で間隔が狭まって来てるので千葉(片道七時間)には行ってられないし孫達を連れて来るのも放射能が恐ろしいし当分は無理で私の元気の元孫達とは等分毎日の電話で声を聞くの楽しみにする事で我慢します。今回は息子が今日山菜(たらの芽、ふきのとうこごみ)を取って来たので夕食は山菜の天ぷら(これは夫)ハンバーグ、キュウリチャンプル(息子)に作ってもらい私(食べるだけ)だったので最後の後片付けをしました。今まで野菜嫌いの息子が持って来た(しぼりトマト)を美味しいと褒めたのでびっくりやはり歳のせいかな?小さい時から果物全部ダメでお肉大好き人間で保育園の先生を困らせて幼稚園のお弁当のおかずも気を使っていたが三十過ぎたので健康を考え始めたのかふきのとうの天ぷらも香りが良い等と云って食べてたので可笑しかった。鳴子温泉の近くまで採りに行ったらしくまだ雪が残っていたらしい。自然の恵みは最高でした(^0^)。
2011年05月21日
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わが福島県のシンボル的な磐梯国立公園の中の『猪苗代湖』の水利権が東京電力で持っているんです。毎秒六十七トンの水を使用しお隣の郡山は水道水を得る為に東京電力に二億六千八百万円を支払っているんです。その為に郡山は全国でも有数の水道料金の高い地域になっています。自分の所の水に高いお金を払い市民の方々に負担を強いられてる事事態がおかしい事だし今回の様に被害を受け県民全体が不安に怯える生活が私には理解不可能です。調べたら福島県には東京電力の水力発電が沢山有って原子力発電所を造る時の社長が福島県出身の方だったのですんなりと出来たそうです。でも一企業が国立公園の水利権を独占しても良いのでしょうか?猪苗代だけではなく桧原湖、秋元湖、尾瀬の水利権もだそうです。昭和四十五年に建設大臣が許可をしたそうです。東京電力はどこまで福島県からむしりとるのでしょうか?福島県民全部に謝罪をするべきではないでしょうか?補償でも企業年金もと云われたら従業員の将来の生活がと答えましたが福島県民の将来の生活はどうすれば良いのでしょうか?今置かれている福島県民の生活が先ではないのでしょうか?仕事を奪われ故郷を追われて将来より今日の生活の方が大事ではないのではと思うのは私だけでしょうか?もう一度福島県民を考えて下さい。東京電力の今の態度を見てると地震、津波が想定外だから責任なしって事ですか?ウソをつき続けた結果なのだから自分達の生活を守る事だけでなく自分達も犠牲を払い誠意を示すべきだと思います。国にばかり頼らず自分の所で出来る事をするのが福島県民への一番の謝罪だと思います。今回の事故を機会に水利権を福島に返して下さいお願いします。
2011年05月19日
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暫くお休みしてましたが現在の福島県の現状を知ってほしいので書きます、東日本大震災から二ヶ月が過ぎ福島県には地震、津波それに原子力の爆発と云う一番厄介で恐ろしい事がおき未だに収束の見通しすら付かず毎日東電の『ウソ』が次から次へと小出しに出て来ています。今回の爆発で放射能が飛び散り毎日被爆量を量って発表してますが、第一原発では今までにも福島県内に放射能を少しずつばら撒いていたのです地震の日から一号機は炉心溶融が始まっていたのに冷やすのだと海水、水を注入しその結果が汚染された水を海に垂れ流し状態で地上のみならず海水汚染も引き起こし日に日に状況悪化を辿っています。水素爆発も東電社員は知っていて社員の奥さんが磐城の友達に水素爆発が起きるから早く逃げる様にと電話をしたそうです。最初から東京電力では今回の事態を知っていながら『想定外』だとか『未曾有』の出来事などと云っているが今回の原発事故は『天災』ではなく『人災』なのです。どこで決めたのか『福島県放射能健康リスクアドバイザー』なるものが出来何と『長崎大大学院歯学科薬学総合研究所科長』と肩書きの長い『山下俊一』と言う方が就任し福島の各地で『安全講座』を開き『安全です』『安心です』と公演を続けていますが何を『基準』に安心なのか分かりません、安心で安全なら『計画避難』など必要ないと思いますが県内五町村が住み慣れた故郷を捨てて避難を余儀なくされています畑、田、家畜見慣れた風景までも捨てなければならない方々の心中を考えた事が有りますか?戻れる保障もなく避難する費用も出ずこれからの生活の補償もなく人々の生活はどうしたらよいのでしょうか?自主避難と言われてもどこに避難すれば良いのかそれも期限を勝手に決めて国は何もせず各市町村任せで無責任過ぎるののではないでしょうか?今生活していて『はい、避難して下さい』では我々県民を何と思っているのかお聞きしたいです。山下先生には『良心』と言う物がおありなのでしょうか?一つ不思議なのは『県知事』が県民を思うのならそんなものは『要らない』と一言云えないのは『何故?』なんでしょうか?やはり『核燃料サイクル交付金』『六十億』毎年の『核燃料費』『五十億』が影響してるのでしょうか?我々須賀川もその内『計画避難区域』になってしまうのでしょうか?福島の青い空、綺麗な景色は何時になったら元の姿になるのかそれとも全域避難区域になってしまうのか不安です。
2011年05月17日
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東日本大地震から早二ヶ月が経とうとしてますが我が福島県は原発の爆発で深刻さは岩手、宮城等とは復興の度合いが違い今、故郷を捨てて避難をしなければならない方達が大勢います。私達ももしかすると『明日はわが身』になりかねない状況です。とにかく『原発』が早く収束しなければ福島県だけではなく『日本』全体が『六十五年前』の広島、長崎の様になる可能性が残っているのです。日本は唯一の『被爆国』で未だに『白血病』に苦しんでいる方々がいて『終戦記念日』に新たに亡くなった方々が記入されているなかで世の中が便利になり電気の需要が増え資源のない日本は原子力発電に頼らざるを得なくて日本各地に原子力発電所を設置し今回の様な大惨事を招き電力会社は『想定外』とか『未曾有の事故』と云っているが最初は反対してた住民を騙し『安心』『安全』と未だに云っているが反対=もう少し考えてと云ってた方々の少数意見は『無視』し建設をし国民に『次の建設費用』を上乗せした『電気料金』を徴収しプール金を莫大に作りイザ今回の様な事故が起きれば『想定外』とか『未曾有』とかの言葉で片付けられて被災者への『補償金』も我々国民の税金を当てるし原発の現場でろくな食事も出来ず『レトルト食品』で防御服のまま頑張っている人達の所にも東電の偉い方々は一度も労いにも来てないしその方々には毎日被爆量を測りノートに付けても居ないそうです。この記録がなければ今、不眠不休で頑張ってる方々が将来白血病、甲状腺がんになってもきちんとした治療が受けられ無い事になってしまうそうです。人間も極限状態で恐怖感の中で働いていると幾ら使命感の為とは云えしなくても済むミスなどを引き起こす可能性があるはずだと思います。どうか現場に来て作業員の方々を労って欲しいです、トップの方々の有るべき姿ではないでしょうか?それと福島県各地に避難場所を駆け足で回ってましたが一日でも一週間でもそこに泊まり皆さんと同じ生活をしてみては如何でしょうか私達、被災地から離れていても見えない放射能に脅かされて新聞に放射能物質の測定結果の数値が載せられただけで数値が高いからと名指しをされ頑張ってる気持ちが揺らいでしまいます。県、市に電話をし確認を取りながら一箇所だけの数値で全体だと決め付けれる悔しさはどこにも当たられない気持ち、確かに風向きで被爆してるのは確かな事と諦めるしかないのかと自分に云い聞かせているが納得出来ない自分もいてどうして良いか答えが出て来ません。
2011年04月25日
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東北地方は昨日から花冷えか気温が下がり雪が降った所も有る昨日病院に向かっていたらフロントガラスにヒョウが当たって来た。桜も綺麗に咲いたがどこもお花見をする状態ではなく桜も何となく寂しげに見える。余震も未だに収まらず気象庁の予想では大きな余震が来るので注意を呼びかけているが『何時』来るかは分からないので余震の度に『今回か?』と恐怖との戦いで普段の生活に戻ろうとしても中々戻れないもどかしさが恨めしい。避難生活をしてる方々は寒さの中お風呂、着替えもままならずに『何時、又』そこを移動しなければ分からないし県外に避難してる方々に受け入れを承諾しておきながら『スクリーニング』を求めたり『証明書要求』をしたりで傷ついた心と体に負担をかけているのは『何故?』なんでしょうか?放射能汚染は恐ろしい事かもしれませんが『受け入れる』と云う事は全部を含めて受け入れる事ではないのでしょうかそれとも『仕方がないから受け入れる』のでしょうか。とても悲しい事です。住む所、仕事、学校、誰も好きで『故郷』を出て行きたくはないはずです出て行かなくてはならない状況をもう少し『自分』に置き換えてみたらどうでしょうか?同じ日本人として温かい気持ちで受け入れて接して下さる事を願います。避難する場所、場所で次から次へと聞こえて来る『証明書要求』に対して政府はきちんと対応をするべきではないでしょうか今日は体と心がとても寒く感じます。
2011年04月20日
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仙台で少しゆっくりして行こうと思っていたらPM六時半に弟から電話が来て母が又入院になったらしい。PM五時頃胸が苦しくなり今回は救急車ではなく自分家の車で病院へ担当医がいたのでとりあえず救急外来で応急手当をしてまだ病室が決まらないとの事。今朝母に仙台に行って来るからと電話をし体調を聞いたばかりで『大丈夫だから』の返事を聞き安心して来たが悪くなる間隔が狭まって来ている。やはり大動脈狭窄症の治療が出来ず『ワファリン』が体質的に効かないので発作が前は退院して四ヶ月で今回は二ヶ月ちょっとで来てしまった。段々発作の間隔が狭まって最後は病院で過す様になってしまうのかと心配だが今回は肺に水が溜まってないらしいのでほっとしてる。これから帰っても面会時間には間に合わないので明日の朝に帰る事にした。今回息子の所に引っ越して来ようと相談をしてたがやはりまだ私は須賀川に留まるしかないんだと諦めた。
2011年04月16日
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一ヶ月間毎日の余震で家に引きこもりでしたが花粉症の薬も貰い娘の所に行こうかと思いましたが途中の旭が津波の被害を受けて住宅が被害を受けている所を見るのは偲びないので息子が米が無くなったと云うので今回は仙台に来ました。今朝八時に家を出てクロネコに寄り荷物を受け取り一路仙台へ東北道も地震の影響で所どころ隆起してスピードを出せません。上下線とも混んでます。途中まで相馬や浜通りに行く自衛隊の車や被災地物資と書かれた車が何台も会い嬉しくなり車の中から『ご苦労様』と頭を下げました。息子の所は須賀川より余震が来てもそんなに不安を感じなく少し気分的にも楽になり少し居ようかと思います。テレビも原発のニュースが流れないので福島の方々には申し訳ないが今まで張り詰めていた気持ちが楽になりました。昨日鏡を見たら一ヶ月の間に白髪が増えていたのには驚きです、精神的に参ってたんだと思いました。一晩で髪の毛が真っ白になると聞いてましたがウソではなかったんだと思いました。自分ではO型でマイペースだからそんな事は無いと思ってましたが今回の地震、放射能が知らず知らずに心にダメージを与えていたんだと思い現地の方、被災者の方、避難してる方がたの気持ちを考えたら本当に心が張り裂けそうです。避難してるお子達が福島と云うだけで放射能と云われ地元に戻ったと聞いたら怒りが込み上げて来て東京電力と政府の対応と誠意の無さにも悲しくなって来ました。今は補償を出来るだけ少なく抑え様とする態度が見えて来て人間として最低だと思います。
2011年04月16日
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病院に行く前に我が家の花が咲いたか見に行ったら手入れもして貰えないのに季節が来たので綺麗に咲いてました。バイモはまだ開いてませんでした残念。姫コブシの木の根の所に最初は二本だったのがこんなに増えました。ショウジョウバカマは少し遅かったがまだ咲いてました。花が少し散り加減でした。エビネの葉の間でチョット窮屈そうでした。 火事の火で木は焼かれて真ん中が割れていますが二年目から沢山の花を付けてくれます。コブシも咲いてました。梅も満開に咲いてました、白かがで早く実を付けてくれる様に。 タンポポとつくしが出てました。モッコウバラの枝が沢山増えて今年は花が楽しみです。
2011年04月15日
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今日花粉症の薬を貰いに外出したら外はすっかり春になってました。今日は須賀川も気温が上がり車の中も冷房にしないと汗だくになるほどでした。暫くぶりの外の景色は桜も咲き始めて壊れた家などを見なければ本当に地震があったのかと思うほど穏やかな元の景色でした。予約が四時半だったが日が延びたので須賀川のお花見名勝に足を延ばしお花見をして来ました。何時もは堤燈が飾られて賑やかな場所ですが今回は何も無く静かに桜だけが何時もの年と同じく咲いてました。博物館の下の花畑で季節によって花が変わるんですよ。 次はジャーマンアイリスが沢山咲きます。高台に博物館があり市民の憩いの場所になっていて一山が公園になっていて道路を挟んだ向こう側は三大火祭りの松明明かしの五郎山があってとても素敵な場所なんです。
2011年04月15日
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三月十一日の東日本大地震から一ヶ月が経ちガソリン、食料品がどうにか手に入る様になって来て各地で復興に向かっていた昨日夕方の五時十六分に又震度5強の余震が来ました、今回は一回で終わらずに震度5弱が何回も今朝までに二十回を超える余震が続き着の身着のままで布団に入っても揺れが続くので恐怖で横になる事が出来ずに朝を迎えても余震は一向に収まる気配は無く夕方までに五十回以上の余震が続いています。放射能の放出量はチェルノブの一割だと発表が有りましたがレベル7と最悪の結果で避難区域がどんどん広がり二十キロ圏外は計画的避難区域に指定され一ヶ月をメドに避難開始すると発表が有りましたが同じ区域でも避難区域でない所もあり何を基準にしてるのか安全委員会、政府の放射能レベルを信じる事が出来ず我が町須賀川も本当はもっと高い放射能汚染になっているのではと疑いたくなって来てるがここで騒いでみても結果的には良い事ではないと思い東京電力が早い段階から本当の事を発表してくれて入ればと思うが今更で東京電力の対応の無さと我々福島県民を何と思っているのかと怒りとなって来るが原発の収束も余震の度に中止になり不眠不休で修理に当たってる孫会社の方々の健康が心配です。東電の会見などは我々の怒りを買うだけで今では顔も見たくなく言い逃ればかりで現地と東京なので事態も良く把握してない内容ばかりで記者の方々に突っ込んだ質問をされると返答が出来ない状態なので到底信用などは出来ない。余震も横揺れから下から突き上げる直下型になって来てるので全て破壊しないと収まらないのかと不安は募るばかりです。娘もお義母さんも千葉に来ればと云ってくれるが今の状況では引越しもままならない状況なのでこの地でどこまで行くか見届けるしかないと思う。今までは弱音を吐かなかった夫が昨日は『避難するか』とぽつりと呟いた言葉が何とも切なく聞こえ返す言葉が有りませんでした。
2011年04月12日
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今回の東日本大地震で我が福島県に東京電力第一原発が有った為に放射能汚染と目に見えない物に苦しめられています。日本国民全部では有りませんが神奈川県と静岡県の一部の方に福島県のナンバープレートと見ただけで静岡県の給油所では『お断り』の看板がコンビニエンス、レストランでは『入店』を断られる事態が起きました。運送業の方なので駐車してた車に『落書き』が宿泊拒否もされてしまいました。我々は何か悪い事をあなた方にしましたか?むしろあなた方の所に電気を供給してたのではないでしょうか、そのお陰で便利な生活も出来ていたのではないんでしょうか?ある方は私の須賀川の『はたけんぼ』から野菜を取り寄せようと考えているからと云ってくださる方と有り難い言葉をかけて下さる方々もいる中仕事で県外に行かなければならない人にどんな気持ちでそんな態度が取れるのでしょうか?福島県民も『生きて』行かなければならないのです、それには辛い気持ちを抑えて『家族の為』に働かなければならないのです。私達『福島県民』に接触すればあなた方は『死んでしまうのですか?』それとも『被爆』するんですか?私達も生きてく為には県内だけで仕事は出来ないのです、もし反対にあなた方が同じ対応をされた時の事を考えて見て下さい。後『原子力』を自分で勉強してみて下さい。地震後一ヶ月になりますが毎日の『余震』と『風評被害』に苦しめられても生きて行く為に『皆』頑張っているんです。お願いですからその様な『態度』は取らない様にお願い致します。政府の方々もハッキリした態度を取って福島県民を助けて下さい。我々も同じ国民で皆さんと同じく生きる権利はあるんです。原発の事故は我々福島県民の責任ではなく我々は『被害者』なんです。もう少し暖かい態度で接する事が出来ないのでしょか?住んで生活してる我々の方が毎日毎日どれだけ不安な気持ちでいるか考えたらその様な態度を取る事は今直ぐにやめて下さい。
2011年04月09日
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ようやくガソリンや食料品が何とか不自由なくなって来た所に大きな地震が今回は夜中に来た。最初の地震から余震のない日が無かったが人間も恐怖はあるが『あっ又余震だ』と馴れて来た所に大きな地震で私の所は幸いに電気は大丈夫だが宮城青森、岩手では停電になった所が有るらしい。復興に向けて地元の方々が頑張って来た所に本当に東日本と原発被害で日本はどうなってしまうのだろう。韓国、中国、台湾、アメリカとその他の国々でも放射能の影響だと騒いでいるし日本の品物の輸入スットプが出てきてるし政府の対応も我々からみれば歯がゆいし国民不在の感じがますます強くなって来た。前に載せた所からは少し離れてる所の被災場所を機動隊などの応援を受け捜索してる所を初めてテレビカメラが映しだしたがそこではないんじゃないかと思ったが本当の姿は映せないのかとがっかりした。言論統制が出てきたが本当の姿、原子力の怖さを知らなければ風評被害と恐怖感だけが一人歩きをしてしまう気がする。やはりこの様な状況になってしまったのだから国民は本当の事を知る権利は有ると思う。これから先どれ位恐怖と戦って行かなければならないかと怒りが込み上げて来る。
2011年04月07日
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日付が変わろうとした時に又大きな地震が来ました。私の所は震度五弱です、息子が住んでる宮城県は今テレビで停電と場所によってガス漏れ、火事も起きていると報道されてますが連絡は取れません。最初の地震から一ヶ月が経とうとしてるのに余震が毎日の様に続き原発もどうなるかメドも経ってないのに避難勧告地域の方々が自宅に戻って来てると日中テレビの映像で見たばかりなのにお気のどくです。私の住む須賀川も市内を初めて見て来ましたがとても凄い打撃で再建出来るのか分からない状態でショックを受けました。市役所、病院、商店街片付けもまだ済んでない所も多く古い町並みで木造住宅が多かったのでキケンの赤張り紙が殆どで避難してる方々も多く場所によっては仮設住宅を建てていると夫が言ってましたがどうなるか予想がつきません。
2011年04月07日
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今回の東日本大地震で私も悲観的な事ばかりを載せて来たが『人間は一人ではない』とテレビで放送しているが本当に今回は各県の警察、自衛隊、外国の方、芸能人その他いろんな方々の助けを受けて少しづつ復興に向かっている事も確かな事です。わが町には愛知県警の方々が避難して留守になっているお宅を巡回している。やはり世の中でこんな時に留守宅に入っていろんな物を盗って行く人間もいるし市民を助けて殉職した警察官、自衛隊員の方々も居て家族の方々を思うと職務(任務)とは云え本当に頭が下がります。息子の住む仙台は都市ガスなので市内のあちこちでガス管が被害を受けたので静岡ガスの方々が応援に来て下さり昨日からガスが使用出来る様になったそうです。原発の所もハイパーレスキュウの方々、神奈川県の方々その他の消防所の方々が危険と放射線との中で一生懸命の作業には福島県民として何とお礼を云ったら良いか分かりません。一般人がこんなに助けてくれている中政府と国会議員は本当に国民を考えているのかと疑問を感じます。被害を受けた所はテレビ、新聞で報道されない事が山ほど有ります、それに地元に来なければ見えない事も沢山あります。お願いは被害を受けてこれからの生活のメドも立たない所自分達で復興させようと頑張っている方々を助けて欲しいのです。今回は地震、津波、放射能汚染と三重苦に作物、海産物の出荷停止と生活をするのに出来ない現状に続き米の作付け準備も出来ない状況をどの様に考えているのか疑問に思います。一日も早い国民の為の政治にして下さる様を願うばかりです。風評被害を吹き飛ばす様に作物を使用してるお店の方々には本当にありがたくこれからも宜しくお願いいたします。
2011年04月06日
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今回の大地震で東北各地、茨城、千葉その他の県でも津波と地震の被害が大きく被害に遭った方々の事を思うとこれからが大変だと人事とは思えません。我が福島県は地震、津波に一番厄介な原発=放射能と日にちが発つにつれ次から次に全ての物に被害が広がり農家、漁業会社と止まる事がない様に出てきてます。あまりの多さに国も放射能の基準値は発表して作物の出荷を自粛する様にと云いながら今更福島県に任せると云った。補償がどれだけになるか分からないので今、困っている福島県に任せると言われても出荷は出来ず田んぼも耕すな、次の野菜の作付けをするなと海には放射能を含んだ汚染水を流すはでは何もしないで居ろと云うのと同じで生きて行けないのではないでしょうか?我々も毎日の生活が有り皆前向きに頑張っている時に何故?そんな事を義援金、支援金が沢山集まって来ているのに受け皿が無く分配が出来ないらしいが今、そんな事を言っている時ではなく人々が生きる為に集まった物を何故?有意義に使わないのかと疑問が残るが未曾有の出来事に戸惑っていないで誰か政治家の方が立ち上がって一日でも早い復興を願うのは私だけではないと思います。原発の収束も数十年かかると気の遠くなる話ばかりでその間に放射能汚染が福島県をダメにしてしまうのではないかと不安なニュースばかりで将来に希望を見出せない生活を少しでも安心出来る福島県に戻して欲しいです。原発の現場で危険にさらされて頑張ってる皆様には感謝の気持ちでいっぱいです。どうかお体を大切に被爆の中で本当にご苦労さまです。
2011年04月04日
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テレビ、新聞と毎日東日本大地震と東京電力第一原発の事を報道しない日はないがその影に多分福島の地方紙でしか伝えて無い事が有る。原発の地元の浪江、双葉、大熊、楢葉、富岡で未だに収容されてない数百ー千体の遺体が収容されずにあると推定される事が三十一日に警察の取材で分かったらしい二十七日に原発から五キロの大熊町で男性の遺体が見つかったが放射線量が蓄積されていて搬送者の被爆の懸念のため収容は断念し近くの建物に一時安置されたらしい。家族は避難していて身元確認も出来ないし原発近くでは届ける人が居ない為に不明者に数えられない犠牲者も大勢いて確かな不明者は分かっていない状態です。もし身元が分かっても家族に引き渡されても火葬をすれば放射性物質が煙と共に拡散する恐れがあり、土葬の場合も土中や周辺に広がる状況の為に遺体の収容が遅れているのが現実です。幼子の遺体も収容されたが父母の元に戻れたかも不明で早く父母の元に戻れる事を願うばかりです。何時までもそのままにはしておけないので昨日からは収容した遺体を水で洗い除染して仮安置し線量の値を下げて収容するらしい。場所によっては放射能が捜査活動事態を妨げているのも事実ですが県警の機動隊の方々が『みとれるのは俺達だけ』と危険な中頑張っている姿には任務とは云え本当に頭が下がります。行方不明者全員の早い収容が出来て家族の方に引き渡される事を願いご冥福を祈るばかりです。義援金を早くこの様な所で役立てて欲しいです。
2011年04月03日
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昨日娘より電話が有り孫達が春休みとこちらの現状が気になるから来ると云うが、来ないで欲しいと断りの返事をしたが複雑な気分です。本来は私達が行っていたのだがこんな状況で行かれないのでじじ、ばばに孫達の顔を見せれば少しは気が紛れて元気が出るだろうと娘の心遣いを断るのは辛かったが今福島に来ても外で遊ぶ事も出来ず大好きな温泉にも行けないのと正直な所私達も今は自分達の事で孫達まで気が回らないのが本当の気持ちなのだ。毎年春休みは私達が行って世話をしていたので可哀想だが出歩く気分でないし途中の千葉の旭市も津波の被害で道路も通れなくなっているだろうし東北が話題になってる分報道が少ないが家を津波に襲われてる所が沢山有るし後片付けもまだまだ済んでない時期だから今は家にいるのが一番で余震が収まらない時期は家が心配でどこにも行きたくない。
2011年03月31日
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今日はお天気も良く閉じこもりばかりではこれからどの位かかるか分からない状況で体を少し動かさないとイザと云う時に動けなくなっても困るので飲み水を汲みに出かけて来ました。何時もだと込み合っているのに私達だけで少し不安な状況で汲んでいたら浜通りの湯元からだと言う方と那須の方が来たので少し安心しました。那須の方は遊びがてらだと言ったので湯元の方と顔を見合わせました。ここに来る途中には道路の脇に季節の花々が綺麗に咲いていてお花が好きな方々が多いのだと何時も楽しませてもらっています。土手に水仙が咲いてました。これは桜草でしょうか? ヒヤシンスがブルーの方は花が少なかった。 クロッカスが色違いで綺麗に咲いてました。家の中ばかりにいてもこれからは風向きを見ながら花々を見に出かけようと思いまいした。綺麗な物を見てどうなるかは分からないけれど現実を受け止めて自分で状況を判断し悲観的にばかりなっていても仕方がないので前向きに生きて行って自分なりの楽しみ方を見つければ必ず道は開けて行くだろうと思う。
2011年03月30日
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