秋も一段と深まり、木々の葉も緑から赤や黄色に、彩られてきました。
紅葉や黄葉
など色付き始めるには、日中の最低気温が8度以下が必要で、
5度
以下に
なると一気に進みます。
日本における紅葉は、 9月北海道の 大雪山
から始まって徐々に南下。
見頃は北海道・
東北で10月、関東から九州では11月から12月初めまで。
紅葉の季節になると、 紅葉狩り
に
出か
ける人が多く、紅葉の名所と言われる
処は
(全国的には 奥入瀬
(青森県)や 日光
(栃木県)、 京都
の社寺
な
どが
有名)行楽客で
あふれかえります。
紅葉をめでる習慣は、 平安
の頃の風流
か
ら始まったとされ、
この場合の「狩り」というのは「 草花を 眺めること
」の意味。平安時代には
実際に
紅葉した木の枝を 手折り(狩り)、
手のひらにのせて鑑賞したそうです。
日本では 春の桜、秋の紅葉
と対比的に言われますが、 心にしみいるのは
どちらか?
とのアンケートの結果は、
桜が51%・紅葉が49%
と、ほぼ拮抗して
いました。
桜を挙げた方の理由は、
第一位 日本的情緒がある
第二位 春の再生感と重なる
第三位 1年の巡りを感じる
一方、紅葉は
第一位 赤・黄など色が豊富
第二位 燃えるように美しい
第三位 寂寥感がいい
皇子も若い頃は秋の紅葉の方が好きでした。しかし、年齢と共に自分の残された
人生に秋の紅葉を重ね、むしろ 生命の喜びを感じ躍動感溢れる
、春の桜のほうを
愛でるようになったのです。
日本人の国民性は、 短視的、
楽観的、現世的
だと思うのです。
死後の世界
など、誰も
気にしていません。キリスト教の 最後の審判
などがあるとは
思わず、誰もが 天国
に
行けると考えているのですから。
紅葉のような、 派手ではあるが冷ややかで滅び行く美しさ
を、愛ではするが
心酔する
ことはないのでしょう。その証拠に、 西行
や
本居宣長
のような
サクラ狂いの日本人は
いますが、紅葉狂いの日本人は聞いたことがありません。
サクラにはその華やかさと共に、パッと散ってしまう花期の短さも、日本人の
感性に
合っているのでしょうね。
良寛
の辞世の句と言われている「 散る桜 残る桜も
散る桜
」と
いう句も、散って行く
桜の花を眺めながら、「ああ、残る桜も、やがて
散って
しまうのだなぁ~‥‥」と、同じ
ように人は桜のように散って行くが、残って
いる
人もやがていつか散って逝くのだ‥‥と、
人生の悲哀
を詠ったのでした。
また、この良寛の句から 親鸞聖人
が、得度をされる時に詠んだと伝えられる、
「 明日もあ
りと思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは
」という歌を連想
させられます。
「明日があると思い込んでいる気持ちは、いつ散るかもしれない 儚い桜
の
ようです。
夜に嵐が吹こうものならもう見ることはできません。」とそのような
心境で、親鸞聖人は
慈鎮和尚
に得度を願われたのです。
この二つから伺えることは、 今あるこの時間、時を大切にして生きましょう との
意味と思います。歳老いれば明日何があるかわからない、そしてどうなるかも
わから
ないのですから・・・・
うん・・・なんか文句あるのう~~?!
今日の記事は皇子らしからぬ、真面目な内容ではないかとな。
まあ~~いいじゃん、たまには・・・・
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