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タイのサメット島。大好きな島である。何度か訪れている。6/16の日記の続編である。今日は,画像が中心だ。 最近,連日帰宅が深夜になり,非常に疲れている。今日は,緊急の出勤で帰宅は夜11時頃になった。 船着き場から,サイケーオビーチまでの通りだ。7-11や高速ネットショップができている。便利になったもんだ。 泊まったバンガローだ。1つの建物に2部屋ある。トイレの水は,水道からバケツに汲んで流す。偶然だが,以前に泊まった部屋と全く同じだった。 以前は,ふつうのテーブルやイスが置かれていたビーチ上にあるレストラン。ゴザのような敷物に座椅子だ。周りのレストランも同じようになっていた。流行があるのか??このレストランは,夕方から開店だ。 横で飲んでいた米国人。手前の兄ちゃんは,むかし横須賀に住んでいたことがあるとか。米軍か??と思って聞こうとしたが,横から米国人?の姉ちゃんたちが現れ,そっちと話し始めたので,聞けなかった。兄ちゃんは,若い。日本人のおっさんよりも,若い姉ちゃんの方がいいに決まってる。 サメットの夜は,平和に暮れていった… この様子は,本サイトのタイ編に掲載している。↓本サイトです。ぜひ!アジアを旅しよう!
2006/10/29
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カンボジアのバッタンバンの北東約14kmにある寺院の遺跡「プラサット・バサット」。11世紀頃に建てられたそうだ。しかし,保護修復されているアンコールワットと違い,崩壊している上にポル・ポト時代に破壊され,今は見る影もない。 周りには民家があり,このように牛が居座っている。なんとも,のんびりした感じだ。私が近づくと,警戒したようにずっと見ている。別段,威嚇するようなこともなかったが。 このように,無惨に崩れ去っている。もとの形がわからない状態だ。全く修復された気配もなく,ほったらかしだ…これでは,ますます崩壊が進むだろう。上に乗って歩いてみたが,いつ崩れるかわからないので恐かった。(じゃあ,なぜ乗った??)飛び移った瞬間に崩れてしまうと,何トンもある石の下敷きで一貫の終わりだ。上から見ると,さらに崩壊の様子がよくわかった。 端々に,レリーフや色を塗った後が見られる。昔は,派手に塗られていたと思う。このままいけば,やがてこの色も剥げてしまうだろう。おそらく,このような遺跡があちこちに存在すると思う。政府も手が回らないものと思われる。 近所の子が,ふつうに遊び回っている。おそらく,遺跡などという意識は全くないと思う。その辺の公園のような感覚だろう。もし,遺跡に登って崩れたりでもしたら,どうするのだろう?命も危ないし,遺跡もさらに原形をとどめなくなる… 遺跡は,住宅街にある公園のように,ふつうに民家の間にポンとある。誰でも自由に出入りできる。もちろん柵もなにもない。この先,さらに崩壊が進み,ほったらかしのままになるのか?? ↓本サイトです。ぜひ!アジアを旅しよう!
2006/10/28
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アジア各国には,ご存じの通り屋台が多くある。どこの国でも,示し合わせたようにイスはプラスチック製だ。このイスは,他の店やバスの中でも多く見かける。バスの場合は,即席の補助席だ。車内は,次々と並べてスシ詰め状態だ。 ミャンマーでは,食事の屋台のほかに喫茶店のような店も多い。多くの人々で賑わっている。 このように,たいへん低いテーブルとイスだ。人々は,ゆっくりとお茶などを飲みながらくつろぐのだ。 木のテーブルとイスもある。これも低い。座るとしんどそうに見えるが,意外とそうでもない。 お茶だけでなく,簡単な食事もできる。気楽に長くいれるのだ。あちこちで楽しそうに話している姿が見られた。 これは,マーケット内の食堂。ここはふつうの高さのテーブルとイスだ。非常に簡素なものだが,これがふつうである。 日本のようなきれいなレストランも,もちろんある。しかし,このような気楽な店の方が私は好きである。これからも,あちこちで行くことだろう。↓本サイトです。ぜひ!アジアを旅しよう!
2006/10/26
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カンボジアのバッタンバン最終日。シソポン行きのバスは正午だった。それまでの間,例のガイド,スウィニー君が町から14kmの崩れた遺跡,プラサット・バサットを案内してくれた。その途中に小さな寂れた?寺へ寄った。どう見ても観光客が来るような寺に見えない。その辺のふつうの寺だ。 「ちょっと電話をするから,先に見ておいて…」と言う。1人で見て回ったが,すぐに終わる。建物の中には大きな仏像がある。その建物は結構古びている。華やかでもない。最初は誰もいなかったが,数名の僧侶が建物の周りに出だした。めずらしそうに,こっちを見ている。せっかくだから撮影しておこうと思った。何枚か撮った。 帰国するまで気づかなかったが,よく見ると右端にスウィニー君がちゃんと写っている。いつの間にか,ちゃっかりと入っていたのだ。全く気づかなかった… 裏に回ると,僧侶が寝泊まりする施設があった。高床式の感じで,広い床下は物置になっているようだ。中には多くの僧がいた。みなめずらしそうにこっちを見ている。若い僧が多かった。 このように,ハンモックで寝ている。のんびりとした雰囲気だった。旅行者が来たと言って,起き上がったりするわけでもないが,視線はこちらだ。 さらに奥では,何やら多くの女性や子どもが忙しく動いている。寺に女性がたくさんいるのか?「何やろ??」見に行く。ご飯がいっぱい並んでいる。「昼ご飯か!」このとき11時前だった。聞くと,昼ご飯は11時に食べるそうだ。 ここにいた人たちも,突然やって来た見知らぬ外国の旅行者にもイヤな顔一つせず笑顔で迎えてくれた。もう少しゆっくりと見ていたかったが,催促され去ることにした。 その後,崩壊した遺跡へと向かった。↓本サイトです。カンボジアの画像UP,まだです…アジアを旅しよう!
2006/10/24
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タイのメーソット~ミャンマーのミャワディの国境に架かる橋。橋の上にいるだけでも,おもしろい。雨季でかなりの雨の中,立ち止まって通行する人々を観察していた。 物売りの女の子が休んでいた。雨の中なのだが… 頭上に荷物を置くのは,世界各国で見られる。どうやってバランスをとっているのかと思うが,頭の上には乗せる台がちゃんとある。安定はするが,重さに耐える首は幼少の頃から鍛えているのだろう。それでも,支えなしで歩いている姿を見ると,なんとなく冷や冷やする。 ドリアンを運んでいる。結構重たいはずだが平気である。この首なら,レスリングのブリッジが楽にできるなあ~なんて勝手なことを考える。 この若者は,なんなんだろう??手に何か持っているが,物乞いではなさそうだった。私が通っても特に何も言わなかったし,他の人が通っても何も言わなかった。じゃあ,雨の中,大きな荷物を頭で支え,しかも裸足で何をしていたのだろう?修行??いや,そんな風には見えなかった。 橋の上からミャンマー側の川岸を見た。洗濯をしている。雨の中だが,全く気にする様子がない。川の水も泥色だが,これも全く問題なくやっている。でも,白い服は茶色くなるはずだ。 ただ橋の上にいるだけでも,いろいろな世界が広がっている。 ※ 間違って,前日(10/22)の日記になってました…↓本サイトです。ぜひ!アジアを旅しよう!
2006/10/22
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ラオス北部のシェンクアン県。謎の巨大石壺が存在するジャール平原があるところである。この前,空港のことを書いた。 県都ポーンサワンから車でかなりの距離を走った別の平原には,無数のボール爆弾の投下後が残っている。私がブログを始めた5月の日記でも2回書いている。そこへ行くには,デコボコ道が続く。途中に時折民家がある。 私が泊まったポーンサワンの町に電気は夜間しか来ないが,ここは町から遠く離れており,1日中電気が来ないらしい。このときは,泊まったゲストハウスが主催するツアーに参加していた。西洋人とともにゲストハウスの車でまわった。 平原を小川が流れていた。画像の向こう側が高くなっていて,流れは少し速い。川の中の数カ所に何かが置かれている。 近くで見た。「お~発電機や!」水の流れを利用して回しているのだ。ガイドの兄ちゃんが,中を開けてくれた。コイルがある簡単な仕組みだ。そこから細い線が出ている。 その細い線が,これまた細い電柱?に上っている。電柱といっても,ただの細い木だが…アンテナが見えるということは,その電力でテレビを見ているのだ。行ったのは乾季だったが水は結構あったので枯れて発電不能ということはなさそうだったが,不安定だと思う。 家の周りには,有刺鉄線が…治安が悪いためか??または外国人が多く来るためか?家は,この辺りにはほとんどない。数件ずつ集まっているのが何カ所かあるだけだ。 この随所に見られる,人々の“生きる力”は,すばらしいと思う。↓本サイトです。ぜひ!アジアを旅しよう!
2006/10/22
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ビルマ…先の大戦で,日本軍が侵攻し,多くの人々が命を落とした。大戦中に命を落とした日本兵の慰霊碑は,あちこちの国にあるが,ここミャンマーのバゴーにもあった。 バゴー滞在の最後の日,列車が来るまではまだ時間があった。荷物をバゴー駅に預けて,サイカーのドライバーが連れて行ってくれたのは,バゴーで有名な全長55mあるシュエターリャウン寝仏がある寺院を超え,しばらく進んだところにあるごくふつうの寺院。 「なんで,ここに??」と思った。「ジャパニーズ!」サイカーのドライバーは,僧侶からカギを借りてきてさっさと奥へ進む。「何があるんやろ?」…と,ある施設の前でカギを開ける。 「あれ?日本語や!」…『鎮魂』と書いてある。横には,日本語とビルマ語で説明が書いてあった。読むと,ビルマ戦線に散った戦友の慰霊碑を,徳島県人の方々が四国四県の人々を中心に祀って建立されたようである。寺院の片隅でひっそりとあるのだ。ドライバーは,日本人である私に紹介してくれたのだ。手を合わせた。 寺院そのものにも,日本人関係者の心づけがあるようだった。 建物の中では,子どもたちが朝のお祈りをしていた。たくさんの子どもたちがいた。お祈り中だが,私の姿を見つけると,みんながこっちを見てくる。「先生の方を向き!」とばかりに前を指さす私。しかし,撮った写真には,しっかりと私を見ている子どもたちの姿が… ここでは,多くの子どもたちが寝泊まりして生活しているようだ。別の建物では,食事中だった。質素な食事だが,少なくとも毎日の食事は保証される。ここで,勉強などもしていると思われる。 寺院の僧侶と。1番偉い人のようだった。(たぶん…)この方が指示を出したり,カギを出したりしていた。何か,一緒に並ぶと神妙になってしまう。 戦争のことと,寺院に預けられる子どもたちについて,2つのことを同時に考えさせられた瞬間だった。↓本サイトです。ぜひ!アジアを旅しよう!
2006/10/21
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アジア各国で働く子どもたち。昨日の続きを少し書いてみる。引き続きカンボジア編だ。 プノンペンで。欧米人が多く滞在するところである。絵はがきなどを売っている。欧米人は,意外とよく相手をしている。なぜか女の子が多い。私が,スコールを避けて立ち寄った店にも別の子が来た。欧米人だけでなく,もちろん日本人などの東洋人も相手にするのだ。マーケットと同じ値段だったので,はがきを買った。ただ,気をつけないと,売れなくてずっと持ち歩いていて古くなっていることがある。 シソポンで。2人で屋台を引っ張っていた。そこら中にいる子どもたちを見るたびに大きな呼びかけるような声を上げていたが,なんの合図かはわからなかった。何かの拍子になっているようだった。 コンポンチャムの対岸の小さな町トンレバット。ここにもごみを集めている子たちがいた。ごみ収集については,8/30の日記「ごみを集める子どもたち」で書いている。 かなりの量を集めている。1日中歩き回っていると思うが,子どもたちの表情に暗さはない。顔を見ると笑顔だ。ごく普通の生活の一部になっていると思われる。もちろん,やみくもに集めているのではなく,空き缶などお金になりそうなものを選んでいる。 田で作業をしている。大人に混じって子どもがいる。家族の手伝いだと思う。これも,ごく普通の日常だろう。ぶれていて載せられなかったが,黙々と作業をする大人たちと対照的に,カメラに気づくとニッコリとしていた。 大人より,よく働くと思われる子どもたち。国によっては,大人とグルになり,スリもはたらいてしまうこともある。実際,ベトナムへ行ったときに,すられそうになった。私が気づき未遂に終わったが,振り返ると,大人が子どもを叱っていた。すろうとしたことを怒ったのではない。失敗したことを怒っているのだ。複雑な思いで見た。 これからも,働く子どもたちをあちこちの国々で見かけることだろう。↓本サイトです。ぜひ!アジアを旅しよう!
2006/10/20
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アジア各国では,大人以上に働いている子どもたちが多い。あちこちで,ふつうに見かける。夏に行ったカンボジアでは,女の子が肉体労働している姿も多く見た。 これは定番の食べ物売りの子である。どこに行ってもたくさんいる。物売りは,大人も多い。この子は,バッタンバンの民営バスの乗り場にいた。たいていは,「買って!」と強引に言ってくるのだが,この子たちはただニコニコと写真に写っていた。 ほかの乗客には,バスが来るたびに走っていって声をかけていた。 バッタンバン郊外の調味料の工場。結構大きかった。小魚を塩漬けにして発酵させたプラホックを作っている(と思う…)。10代中盤に見える子や小学生も働いていた。みんな女の子である。大人もいる。黙々と仕事をしているが,カメラを向けると,みな笑顔になる。手を振ってくる子もいた。 これも,バッタンバン郊外。ライスペーパーの工場である。工場といっても,個人の家でやっている。大量の米を研いでいるが,全てこの少年が一人でしているようだ。よく働いている。奥には,母親らしき人が見える。 これは,コンポンチャムで。女の子が,番線を曲げたり切ったりしている。画像には写っていないが,左横の工場の前なのだ。カメラを向けると,やはり笑顔になった。仕事中なので,イヤな顔をするかと思ったのだが。 上の画像のすぐ近くだ。工事現場で休憩している少年たち。この子たちも,たいへん若い。やはり笑顔だ。重労働で疲れているはずなのだが… このように,あちこちで働いている少年少女を見かける。また,小さい兄弟の子守をしている子も多く見る。どちらにしても,よく働いている。大人よりも子どもたちの方が,よっぽど一生懸命に働いているように見える。 日本の子どもたちや仕事をしない若者に見せたいものだ。↓本サイトです。ぜひ!アジアを旅しよう!
2006/10/18
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ラオス北部の町,ポーンサワン。シェンクアン県の県都だ。巨大な石壺のあるジャール平原への玄関口だ。ここに多数の爆弾が投下され,不発弾として今も人々を苦しめていることを,以前も書いた。 そのポーンサワンへはヴィエンチャンから飛行機で行った。シェンクアン空港は,たいへん小さな空港だ。日に2,3便ぐらいしか離着陸していない。 ラオス航空のプロペラ機ATR-72機(フランス+イタリア製)だ。画像は,到着時のもの。滑走路は,舗装(コンクリート?)されているが,止まるところはバラスだ。 荷物は,ふつうのトラックに積み込まれる。雨が降ったら,シートでもかけるのだろうか? ここからは,離陸前のもの。左にある軍?のトラックは給油車だ。真ん中に止まっているのは救急車。病人を乗せているのだ。なぜか,傾いたところに止まっている。外から簡単に入ってきた。外とは金網の柵1つで仕切られているだけなのだ。点滴か何かをしている患者をそのまま機内に乗せてしまった。このままヴィエンチャンに行くのだ。機内で急変しないのか?? 乗客は後ろから乗る。機体まで歩いていく。空港内を歩いて乗るのは,別にめずらしいことではない。でも,なんとものんびりとした雰囲気だ。 後輪のタイヤだ。外側は結構減っている。しかし,バラスがタイヤに付いて何か悪影響がないのだろうか?変なところが気になった… 中国製のYN7機(外務省が,危険な機体だと警告していたが…)に乗ってみたかったが,少し前に引退したようだ。 ラオス航空は,国内線が以前よりかなり縮小されている。経営状態が心配だ…↓本サイトです。ラオス航空やポーンサワン関係はここです。アジアを旅しよう!
2006/10/16
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東南アジアを旅して,町歩きをするのが大好きだが,やはり食べることも楽しみの1つだ。もちろん飲むことも… 観光客が利用することの多い高級レストランへは,まず行かない。(たまにホテルのレストランへは行くが…)屋台~その辺の食堂が多い。外国人客が多い店でも,安めのところへ行く。だから,食堂でツアー客は見たことがない。 ここは,プノンペンのトゥール・スレン刑務所から少し歩いたところにあったレストラン。午後2時近くになっていた。昼食をとっていなかったので,入ってみた。結構大きい。テーブルはたくさんあるが,客は地元人の兄ちゃんが2人だけ。ジュースを飲みながら,壁にあるテレビを見ていた。 メニューがあったので見ていたが,従業員はすぐに来ない。よく見ると,テーブルにかけてあるクロスも外してある。拭いていないのか,どのテーブルにも食べたものが散らかったままである。ということは,クロスは最初から使っていないのか?しかも,従業員は全くやる気なしだ。だらっとテーブルに寝そべりながらテレビを見ているか,しゃべっている。 やっと,オーダーを取りに来た。なんとなくこっちまで面倒くさくなったので,上の方に書いてあったフライドヌードルを頼んだ。クメール語と英語が併記してあったのだ。 客は私1人しかいないが,結構待った。従業員も全く愛想なしだ。しかし,味はおいしかった。日本と違って,野菜が比較的多めに入っているのがうれしい。私は,野菜を食べないと体調が悪くなるのだ。場合によっては,野菜炒めだけを食べることもある。 会計するときに来た兄ちゃんは笑顔だった。ちょっと,ホッとした。11500リエル(約450円)だった。 次に,シソポンの屋台。8/30の日記「ごみを集める子どもたち」 でも,少し触れている。 ここに並んでいる屋台は,飲み物が中心のようだ。ジュースやビールの缶がたくさん並んでいる。食べるものはなさそうだった。1日目に行ったときは,ビールだけにした。缶を指さすと,たいていはクーラーボックスから氷で冷やしたのを出してくれるのだが,ここは違った。未舗装の道路から飛んできた赤い砂埃を大量にかぶった缶を拭き,そのままコップとともにテーブルに置いた。どう見ても水道水から作ったと思われる氷も持ってきた。「まあ,いいや!」と飲んだ。 ここは,屋台が多数連なっている。3日目には,別の店に入った。お腹が空いていたので,何か食べるものがあるのか聞いてみた。鍋が置いてあるのが目についたからだ。すると,前に洗濯ばさみで吊してある袋を指さす。「え?なに??」…よく見ると,即席麺の袋。緑色のやつだ。これは気がつかなかった。店の姉さんは愛想が悪かった。 しかし,何を作るのだろう?とりあえず頼んでみた。横のボックスから,おもむろに豚肉を取り出す。野菜もちゃんとある。「なんや,あるんや!」ビールを飲みながら待った。麺を湯で戻す。そして,肉や野菜と炒め出した。 フライドヌードルになった。「どんな味やろう??」食べてみる。「お~,うまいやん!」ほんまにうまかった! 姉さんは無愛想だが,そこにいた少年とおじいさんは,愛想がよかった。ビールの氷がなくなると,すぐに代わりを持ってきてくれたり,あれこれ気を遣ってくれた。 そのときに,例の少年少女軍団に襲撃??されたのである。 今日より,画像のサイズを少し小さくした。画像の登録の全容量が,すでに半分を超えてしまい,フルになってしまうと,更新できないと思ったので…この場合画像は削除しないと,新しいのはUPできないのだろうか??↓本サイトです。ぜひ!!アジアを旅しよう!
2006/10/15
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スリランカの古都キャンディ。中部の高原地帯にある。ここには,伝統的な芸能キャンディダンスがある。スリランカを代表する芸能らしい。舞台もいくつかある。 このダンスは有名なので,ここに載せなくても,あちこちに紹介されているが… 公演は晩にあった。ダンスは何部かで構成されており,それぞれにストーリーがあるらしい。男性は楽器を演奏したり力強く踊り,女性は優雅に舞っていた。 小さなホールの客席は照明が落とされ,私の席はやや後ろだったこともあり,フラッシュを焚いてもデジカメではうまく撮影できなかった。欧米人の客が多数いた。ここは,観光客がかなり来るのだ。 舞台での演技が終わった。それで終演ではない。客は表に出る。表の広場には,なにか用意がしてある。役者が出てきた。まわりで演奏も始まった。…と,火が焚かれる。火をつけた松明を持った男性が踊り出す。その火を,なんと体につける!さらに,口に入れだした。見るからに熱そうだが,全く平気だ。フラッシュの嵐だ。みんな拍手喝采! 次に,ファイアーウォーキングだ!火の上を歩いていく。それも,何人もが続く。もちろん裸足だ。客は大喜びだ。 私は,ダンスそのものは,さほど興味があるわけでなかったが,ファイアーウォーキングを見たかったのだ。これは盛り上がった!↓本サイトです。ぜひ,おいでを!アジアを旅しよう!
2006/10/14
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スリランカのシーギリヤ。ジャングルの中に,突然大きな岩山がある。シーギリヤ・ロックと呼ばれている。まあ,岩山自体はめずらしくない。しかし,今から1500年前,この岩山の頂上,つまり地上195mの高さに王宮があった。 こんな岩山の頂上にあったのだ。首が痛くなるような高さ。この上に,登るだけでもたいへんだ。ましてや資材を運ぶとなると… 岩肌にへばりつくように階段がつけてある。人の大きさから規模を想像していただきたい。断崖につけてある通路を歩くのはスリルがある。場所によっては螺旋階段もある。しかし,鉄製だ。昔はこんな階段などなかったはずだ。岩を削った急な階段があるのみであったようだ。 しかも,強風が吹き付けてくる。かなり疲れる。中腹は,少し広くなっている。ちゃんと飲み物も売っている。運ぶのもたいへんだろう。猿もいた。途中の岩肌には壁画もある。 頂上の宮殿跡だ。風化して,建物は残っていない。こんなところに住んでいたのだ。身を守るためとは言え,ふつうでは考えられない王だったのだ。しかし,大きな水場があり,ちゃんと水があった。 頂上から見たところ。ジャングルの中に整備された道が見える。急な階段の連続,どこへ行っても強い風。かなり疲れた…でも,めずらしいものを見られて,よかった! この模様は,本サイトのここに多く載せている。↓本サイトです。アジアを旅しよう!
2006/10/12
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タイは,ちょい寄りを含めると,16回行っている。町には,トゥクトゥクが走り回っている。タイへ行く人は誰でも知っていることだ。知らない人のために書くと,3輪のタクシーだ。ラオスや他の国でも形を変えて走っている。 この型は,片側昇降の標準型?と両サイド昇降のチェンマイ型などがある。詳しい方には,釈迦に説法だろうが… もともとは,日本のダイハツミゼットの前期型だ。しかし,何十年もの間に修理などを重ねたりして変化し,現在はタイ国産だ。形も今の独特の形に変わった。正確には,サムロータクシーだったかな?あまり多く書くと,浅知恵のボロが出そうだ…(^_^;) アユタヤやピッサヌロークなどでは,昔そのままの型で走っている。こちらは後期型ミゼットだ。6/27の日記参照。この進化の違いは,なんなんだろう??詳しい方は多いと思うが… 昨年,パタヤーでトゥクトゥクを見た。パタヤーは,ソンテウが中心でトゥクトゥクは見たことがない。しかも,見たことのない新型だ。 めずらしいので,じっと見ていると,中からおじさんが「乗るかい?」。気がつかなかった。しかし,ホテルは近くだった。 運転席だ。ほんまに新しい。その後,何回か行ったが,見たことがない。バンコクでも,この型は走っているのだろうか?バンコクは,旧国際空港(ドンムアン空港)周辺は何回も泊まっている。しかし,市内へはバスなどで通ることはあるが,もう何年も泊まったり歩いていない。 パタヤーへは,11月にまた行く。今度も探そうと思う。今度は,スワンナプーム新国際空港からだ。↓本サイトです。アジアを旅しよう!
2006/10/11
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台湾の台北市内には,MRTがあちこちを走っている。端は郊外まで行っている路線もある。たいへん便利な乗り物だ。私も,いろいろな路線に乗っている。 '96年に最初に開通した路線,木柵線だ。運転手はいない。この線だけが完全自動運転なのだ。他の路線の車両に比べてやや小さく感じる。MRTは高架を走ったり地下を走ったりする。 木柵線の駅舎だ。ここは大安駅。他の駅も似たようなもんである。しかし,一目見て気になったことがある。 駅舎は道路に覆い被さるように建っている。それはいいが,この形って,ほんまにちゃんと安定しているのだろうか??支柱は,真ん中に1列あるのみである。反対側は,高架上から改札を出て下に降りる階段とつながっているので一応片方では支えられていることになるのだが,たったの1カ所だ… 下に来てみた。なんとなく頼りない支柱だ。台湾は,地震の多い国だが,こんなので地震の強烈な振動から守れるのだろうか?こんな駅舎が降ってきたらひとたまりもない!場合によったら,駅舎+人間たち+MRTになるのだ。 ちゃんと計算はしてあるのだろうが,見ていて冷や冷やした。 自動改札機である。切符を入れ,真ん中のバーを押して回しながら通るのだ。ふつうの切符だけでなく,Easy Cardと言って,JRのICOCAと同じようなチャージ式プリペイドカードもある。この場合は,改札機にかざすだけで通れる。 1度だけ困ったことがあった。なぜか,何回通ってもエラーが出て改札を通れない。チャージしてあるのにしてないことになってしまっている。駅員に見てもらった。駅員室の機械で見ると,ちゃんとチャージされている。「問題ない!」と駅員。しかし,改札ではまたエラー…また駅員に言う,「またアカン!」。駅員は,邪魔臭くなったのか,「ここから入って!」と横から入れてくれた。 ホームに入れたのはいいが,今度は降りるときにまた通れなかったらどうするんや??…気になっていた。しかも,途中で違う路線に乗り換えるのだ。機械は,ちゃんと読んでくれるだろうか? いよいよ駅に着いた。改札機にかざす。バーを押した。回った!通れたのだ。何かわからんが,問題は解決したのだ。よかった!次の日も乗ったが問題なく使えた。 本サイトのコラムでも書いているのだが,日本では,なぜか自動改札でよく引っかかるのだ。降りるときに10回に1回は,ちゃんと切符を入れているのに閉まってしまうのだ。面倒くさいので,強行突破している。もちろん利用区間の代金は払っている。詳しくは,ここをクリックで,このコラムに! 海外に行ってまで,引っかかるとは夢にも思わなかった…予想外だ…↓本サイトです。アジアを旅しよう!
2006/10/10
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台湾は,いろいろなおいしい料理がある。まあ,好きずきなので嫌いな人もいるが,私は大好きだ。 MRT木柵線の大安~科技大樓駅周辺だ。ウロウロしている間に夜になり,お腹が空いてきた。大通り沿いには,粥屋街があるが,そこを通過し,路地へ入った。大勢の人がやってくる大きな店より,その辺の小さな店や屋台の方が好きなのだ。 排骨飯が食べたかった。歩き回る。暗い通りで小さな店を見つけた。しかし,この日は8時前なのに店を閉めようとしていた。残念… 仕方なしに,また歩く。通りを2つほど歩くと,今度は牛肉麺屋だ。まわりには,ほかに食堂は見あたらないし,屋台も1つもない。この辺りはなんとなく店じまいが早そうだ。だがこのときは,ご飯ものが食べたかった。でも,お腹空いた…入った。 家族連れが1組いるだけだ。たまに近所の人が買いに来ていた。牛肉麺は,しばらく食べていなかった。今までに何回か食べているのだが,4年前に食べたときに,イマイチだったのを最後に食べていなかったのだ。でも,ここは牛肉麺屋。ほかにもメニューはいろいろあったが,久しぶりに食べてみることにした。 店には,最初は女性しかいなかったが,会話集などを見ながら話していると,日本人と気づき,奥から主人を呼んできた。主人は,あれこれ片言の日本語と英語を駆使しながら話してくる。おもしろいおっさんだ!メニューの説明をしてくれる。 まずは,ビールだ。のども渇いていたのだ。さあ,運ばれてきた。食べる。「おっ,うまい!」ここのは,おいしかった。 横にも豆腐やおかずの皿があるが,これは全てサービスしてくれた。写ってないが,パイで挟んだ肉も出してくれた。これらも,あれこれ説明をしながら出してくれた。(画像は,ちょっとピンぼけしてしまった…) これが,その夫婦だ。一見,恐そうに見えるが全く違う。このときは,再び行く機会がなかったが,いつかまた行ってみたいと思う。料理が特別おいしいと言うよりも,気さくに話ができるのがいいのだ。↓本サイトです。アジアを旅しよう!
2006/10/09
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先日,日本の定期路線で引退したYS-11。日本の誇る唯一の飛行機である。7/19の日記でも紹介した。 引退を機にもう一度紹介する。日本では引退したが,この前に話題になった機は,フィリピンで余生を現役で活躍するようだ。まだまだ海外では活躍できるのだ。 以前に紹介した画像の10秒後である。プーケットエア,バンコク~メーソット便であった。しかし,この機はその後,離陸か着陸時に事故を起こしてしまった。さらに,この会社は今,倒産状態で動いていない…どっかの国で,離陸前に差し押さえられたこともあると聞く。 メーソット空港。今,この空港に離着陸するのは,いったい何便あるのだろうか?? 技術が世界トップレベルで進んでいるニッポン。航空機のパーツやロケットも造れるのだ。B777も,日本の技術が生きていると聞く。航空機ぐらい,自前で造ってはいかがか!!?↓本サイトです。アジアを旅しよう!
2006/10/09
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アジア各国の路上。マーケットや屋台があったり,物売りはたくさんいる。まあ,よくある光景だ。その中には,本来は室内でしているはずの仕事を屋外でしているものもある。日本人が見れば,??だろう。 タイのコンケーンの歩道。歩いていると,突如いた。後ろは塀だ。屋根は,ほんのわずかにシートがかけられているが,完全な外だ。後ろでは,扇風機が回っている。どっかから線を引いているらしい。 本サイトでは,間違ってナコーン・ラーチャシーマーのところに載せてしまっている…(同ページには,個性的な理容師さんも載せているので,見てください。) 路上でミシンをしているのは,あちこちで結構よく見かける。もちろん,タイだけではない。周辺国でも多く見る。しかも,昔懐かしい足踏みミシンだ。今の日本では,めったに見ることがないだろうが,こちらでは当たり前にある。 カンボジアのプノンペンにある,ミシンの小売店。何件もあった。たくさん並んでいるが,足踏みばかりだ。昔ながらの黒だけでなく,違う色もある。いまだに進化しているのか??ちょっとビックリした。 今度は,散髪屋。これは,同じくプノンペンの歩道上だ。屋根は一応かけてある。即席の屋根ではなさそうだ。鏡や棚も取り付けてある感じだ。ということは,塀の向こうの住人の許可を得ているのか? もちろん屋内の散髪屋もたくさんある,念のため… これは,バングラデシュのダッカで。完全な即席だ。塀の向こうは川岸だ。つまり,向こう側には住人はいない。この場所は,数日前まで洪水で水に浸かっていたらしい。屋根や設備?を見ると,上のプノンペンの店より数段質素だ。同じ路上の散髪屋でも,こんなに違いがある。スコールが来たら,どうするんだろう?散髪は途中で放ることはできない,放ったりしたらえらいことだ!周辺の様子 この屋外の散髪屋も,結構あちこちで見る。歩き回っていると,いろいろなものが見えてくる。だから楽しい!↓本サイトです。アジアを旅しよう!
2006/10/08
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アジア諸国の過積載。昨日の続編にしてみた。しかし,昨日のようなおもしろい?画像ではない…ネタが豊富ならおもしろいのだが,少ないストックの中からの二番煎じは難しい。期待されてる方,ごめんなさいです…(^^;) 実際はたくさんおもしろいものを見ているが,撮影となると,とっさの判断とタイミングの問題で,満足いく画像はかなり少ないのだ。 バングラデシュのチッタゴンで。穀物でも積んでいるのだろうか?重すぎて運転できないのだ。これは,自転車に似たリキシャの客席シートを外したものと思う。こんな姿は,そこら中でふつうに見た。本サイトには,さらに画像を載せている。 これは,かなり多い荷物だ。この画像は,本サイトに載せていない。こちらは,ちゃんと運転している。しかも,こっちを見て手を振ってきた! ミャンマーで,モウラミャイン~ヤンゴンへ行く途中のドライブインに入ってきた車。何か適当に積み上げてくくってあるが,落ちないのか?さらに,下ろすときはどうするのだろう??人ごとながら,心配になる。ここにも画像がある。 これは,ラオスの長距離バス。拡大して見づらいかも知れないが,バスの屋根に乗っているヤギである。もちろん,自分で乗るわけがない。人が屋根の上から首をひっつかんで無理矢理引き上げるのだ。痛いのか,メーメー鳴いていた。この状態でバスは走る。上でくくられているのかは確認できなかった。他にも画像がある。 これは,タイで。まあ,こんな姿はごく普通だ。大人の5人乗りも結構見かける。バイクは,日本では多い50ccではなく,110CCや125CCといった排気量が多い。つまり,シートは2人乗り用だ。国によって規則は違うが,子どもが乗っている国も多くある。まあ,交通規則なんて,あって,ないようなもんだが… 観光地へ行かなくても,その辺で十分おもしろい光景が広がっているのだ。それも,ふつうに!↓本サイトです。ぜひ!アジアを旅しよう!
2006/10/07
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アジア諸国では,超過積載な車をしばしば見かける。日本では考えられないぐらい,とんでもない量や人を積んでいる。いろいろな荷物も積んでいる。また,妙な仕様になっている。今日も,カンボジア編だ。昨日の続編もどきである。まあ,諸外国でも似たようなもんだが… 昨日は自転車で,今日はバイクだ。走行中のバスの車内から撮った。これまた,昨日以上に強烈だ!バイクに直接ではなく,牽引している台車に乗せているが,もし崩れたらえらいことだ。運転も技術が要りそうだ。 ピックアップトラック。これは,よくある光景だ。もっと乗っていることも多い。時々,人が転落するらしい…そりゃそうだわ! 何を積んでいるのだろう??しかも,上には人が乗っている。大型のトラックの上にも人が多く乗っていることが多い。見ているだけでも冷や冷やする。しかし,みな平気で乗っている。 なんや,これ!?と,言いたくなるトラック。一応ちゃんとした車だが,なんか違う!!…と言いたくなるのは,私だけだろうか??乗っていた兄ちゃんたちは愛想がよく,みな手を振ってくれた。 これは,いったいどうやねん!?ってとこか。撮影した季節は雨季で雨が多いが,走ったら一緒やん!というか,風を受けて走行のジャマやん。しかし,この状態で走っている姿は見かけなかったが… 他にも撮影したもの,していないものがあるが,本当に数多く“ふつう”に走っている。もう,見慣れたが…↓本サイトです。カンボジアUPまで,まだまだ…アジアを旅しよう!
2006/10/06
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どこの国へ行っても,都会より田舎の方が好きだ。都会には都会のおもしろさがあるが,やはり田舎ののんびりとした雰囲気が好きだ。 カンボジアのバッタンバン郊外の道路である。この前10/2の日記で掲載したものと似たようなトラック。ちゃんと走っていた。雨が降っても,この状態で走っているのであろう。すごいトラックだ。ミャンマーでも,似たようなトラックは多数見ている。 バッタンバンから約35kmのダム,コンピン・プイ(8/28の日記=ダムの横で大騒ぎ)付近の道路で見た自転車である。なんぼつけてんねん!…と思う。ガイドくんも,「おもしろいから撮ったら?」なんて感じで言ってきた。すごい状態である。でも,これも似たようなのは見たことがある。 その近くの民家の子。後ろは,この子たちの家である。横のダム湖に蓮がたくさんなっていて,取って見せてくれた。蓮の種は食べられるのだが,ちょっと抵抗があって無理だった。 牛は何度か登場しているが,このように牛を連れている少年はあちこちで見られる。集団の時もあれば,このように1頭だけということもある。牛は,大切な“家族”なのである。もし,何かの拍子に姿を消してしまったら,一晩中でもみんなで探す。 田舎は,いい!!↓本サイトです。カンボジア画像,まだ先になりそうです…アジアを旅しよう!
2006/10/05
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昆虫や生き物は,小さい頃から結構好きだ。今でも,虫を殺すことは少ない。ゴキブリやハエ,蚊などは容赦なく殺してしまうが…道路に虫などが歩いていると,急いで端に連れて行く。轢かれでもしたら…と思うと気になって仕方ない。ただし,別にマニアではないし,集めたりもしていない。 カンボジアのシソポン山中にいたバッタ。やけにきれいな色をしている。派手すぎて,毒を持っているのでは??と思い,さわれなかった…撮影できなかったが,きれいな色のチョウも飛んでいた。 バングラデシュのコックスバザールで見たカタツムリ。こんな形もあるのだ。日本にも,いるのかな? タイのチャンタブリで見たトカゲ。25cmぐらいはあった。かわいらしい顔をしている。ゲストハウスのレストランだったが,誰も驚く様子もなく,追い払いこともしてなかった。ふつうにいるのだ。 カンボジアのコンポンチャム,絆橋を渡った道路の歩道の端っこにいた。こちらにゆっくりと向かってくる。しばらく眺める。すぐ近くまで来た。指ではじいてみる。 ひっくり返る。そのまま固まってしまった。得意の?死んだふり作戦か??ずっと動かない。仕方なしに,元に戻す。しかし,表返っても固まったままだ。再びはじく。まだ動かない。ずっと見ていた。どうせヒマだ…かなり時間が経った。動かない…しぶとい奴だ!根負けして,その場を去った。 およそ1時間後…対岸の町を見た後,再びその場へ戻ってきた。すでに姿はなかった。ちゃんと逃げていた!(たぶん…)↓本サイトです。よろしくです!アジアを旅しよう!
2006/10/04
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アジアの多くの国で感じることだが,本当に町中にごみが多い。そこらじゅうに捨ててある。対照的にシンガポールなどでは,厳しい法律のおかげでごみはない。町中に分別ごみ箱がある。 町を歩くと,広場や空き地にごみが散乱していることなど,めずらしくない…特に,ビニール袋(スーパーの袋)が多い。さらに,ペットボトルやお菓子などの袋などである。大きなごみもある。 今回は,カンボジアを例にしよう。他の国でも,ほとんど同じ現状である。これは,道ばたのごみ。道沿いに延々と放ってある。スコールで全て流れていくのか?? 空き地に散乱するごみ。緑色と土以外の色は全てごみである。みんな平気で放っている。ビニールなので,風化も土に回帰もせず,何年もそのままである。 これは,通行人を撮ったのではない。市場のまわりにもごみが散乱している。ふつうに放ってある。みな気にする様子もない。 すごいごみの山である。ここは,勝手に放られたのではなく,収集場のようだ。かと言って,日本の清掃工場のようにも見えない。粗大ごみもある。よく見ると,赤い服の男が何かを探している。 奥には,分別をしているのだろうか?数人の人がいる。さらに,いろいろな人が来ていて,受付のようなところもある。ごみを持ってくる人,取っていく人,どちらもいた。このごみは,どうやって処理しているのだろう?? そういえば,フィリピンでは,ごみの山「スモーキーマウンテン」で,生活している子どもたちがいた。 また,タイでバスに乗ったとき,1等エアコンでジュースとお菓子が出た。食後に係員が袋などのごみを回収した。大きなごみ袋2つ分はあり,前の運転席脇に置いたが,なんとなく気になった。バスは走行中だ。住宅が途切れ,空き地に差しかかった。…と,おもむろにドアを開けた。イヤな予感…座席からは,前の様子がよく見えない。 次の瞬間,外の風景に大きなごみ袋が飛び込んできた!宙を舞って落下。続いてもう1つ。ありゃ~やっぱり…しかし,誰も気にしていない。 人々の意識はかなり稀薄である。ふつうに,そこら中にごみを捨てている。何とかならぬものかと思うが,厳しい情勢だ…ちなみに,日本では,小学4年生が社会科でごみ処理の学習をする。↓本サイトです。ぜひ!アジアを旅しよう!
2006/10/03
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カンボジアのバッタンバン郊外にあるレンガ工場。場所は,9/5の日記の「バンブートレインは走る!」に書いている。レンガ工場は,各地にある。 覚えているだろうか?バッタンバンで世話になったスウィニー君。彼のバイタクで寺院を見た後,バンブートレインの乗り場へ行く途中に立ち寄ってくれた。 工場の前には,このトラックだ。いろいろと積んであるが,動くのだろうか?? レンガだ。日本のものとは違う。これが,家やビルの壁などに使われている。数多く積まれている。作業員が,忙しそうに歩き回っている。 これは,粘土からレンガの型を機械で取っている。ある程度たまったら,別の場所に運ぶのだ。手前は,まだ10代後半~20代前半と思われる女性である。女性は,他にも多数いた。この国では,女性が数多く力仕事をしていた。しかし,最近の日本の男女雇用均等とは全く違う意味だと思う。 この釜で,何日か焼いていく。よく見ると,釜自体がレンガでできている。作業員が,うれしそうに話しかけてくる。ここにも女性がいる。作業のジャマになり,嫌がられると思ったが,みんな愛想がよかった。まあ,スウィニー君が顔見知りなので,気さくにしてくれたかも知れない。 このスウィニー君,学生だが,なかなか顔が広い。仕事熱心だ。いろいろな所へ行ってくれたが,どこでもみんな気さくに見せてくれた。↓本サイトです。カンボジアの新画像,まだなんです…アジアを旅しよう!
2006/10/02
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インドネシアのロンボク島。有名なバリ島の隣にある。7/10の日記でも書いている。'03年8月なので,少し前になる。 この島の南部には,古くから住んでいるササッ人の伝統的な村「サデ」がある。 なんとなく懐かしい感じがするのは私だけだろうか? 土壁に藁葺きのような屋根。何か,日本の原風景を思い出すような雰囲気だ。しかし,ヤギがいるのは,少し違うか… 弥生時代の高床式家屋のような建物。ネズミ返しなども,ちゃんとついていた。古代にタイムスリップしたかのような感覚だ。なんとなく,ワクワクした。 この村は,観光用に公開されている一面があるが,プライバシーもなにもあったもんじゃない。しかし,住民はふつうに過ごしていた。 マタラムの近郊には,陶器の工場がたくさんあった。そこで,いくつかを土産に買った。重い上にかさばるので,初めて船便で送ってもらうことにした。 帰国後,2週間で書類が送られてきた。通関用の書類で,荷物はまもなく着くとのこと。しかしその後,待てど暮らせど届かない…書類に書いてある日本の港の取り扱い業者に問い合わせても不明だった。さては,詐欺にあったか?? 1ヶ月半以上経ったある日,やっと連絡があった。日本の輸入の取り扱い会社からだった。しかし,記載されていた会社とは別の会社で,荷物は一部しかなく,ほとんどが行方不明とのこと。どいういことや?? そして2ヶ月も後に,全く知らない会社から電話があった。聞くと,海外から輸入した機械の中に私の荷物が紛れ込んでいたとのこと。「え~!??」 整理すると,インドネシアからの私の荷物は壺と陶器の2つに分けられていて,2つともシンガポールで違う船に積み替えられたらしい。そのとき,それと同時にヨーロッパ方面から来た大型の産業用機械が,同じくシンガポールで積み替えられていた。ところが,なんの拍子か,その全く縁のない2つの荷物が,いつの間にか1つになったらしい。しかも,陶器だけが機械の中に入っていたらしく,日本に上陸後も,しばらく気づかれなかった。壺の方は,ちゃんと運ばれて正式に上陸したのだが… しかし,海外からの荷物は日本の当局で通関する必要がある。つまり,正式には密輸と言われても仕方ない。ただの陶器だが…手数料はすでに払ってあったが,そのものは検査を受けていない。 そのときの書類は今はないし,陶器も全て人にあげた。通関する必要があると知ったのは,全て人にあげてからだった。手元に残っているのは,正式に通関した壺だけだ。こんなこともあるのだ。あとで,ちゃんと連絡はした。 私の場合は,全く知らぬ間に起こっていたし悪意もないが,怪しい物を密輸をしようと企んで行われたら,どうなるのだろう??ちょっと心配になった… ここには,さらにロンボク島やバリ島などの画像がある。 バリ島も魅力的だが,素朴な雰囲気が残っているロンボク島へも立ち寄ってはいかが?↓本サイトですよ!アジアを旅しよう!
2006/10/01
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