2006年12月13日
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「産む」という選択について、一切といっていいほど考えなかった。だから妊娠がわかった瞬間から、悲しかった。 「産む」という選択をしておけばよかったとは、今でも思っていない。だからこそ生きていかなくてはならないのだけど、途方に暮れてしまう。 たとえば授業で触れる映画の断片だとか、何気ない景色だとか、とりとめもない会話だとかに触れているとき、閉塞感に押し潰されそうになる。頭の中には殺意、セックスに対する後悔、自分が「傷物」であることへの不快感、これからのセックスに対する恐怖と不安、手術の光景、赤ちゃんを殺してしまったこと、罪悪感、ずっと続くであろう罪悪感への不快感、それらが延々と廻る。 悲しみよりもおそらく、不快感が大きい。その不快感が殺意を誘う。 毎日の23時台、特にその殺意に駆られ、「死ね」という一言をメールで気違いに送ることを想像する。殺意とは、思っていたよりも辛いものだ。自らの殺意に、とても苦しんでいる。 本日の夜、ふと気違いが既にこの世から居なくなっているような気がした。一瞬。そんなのきっと口実だが、気違いに電話をかけたいという気持ちを抑えることができなかった。私は、あまりにも気違いを許せないのだ。四六時中、殺意に苦しんでいるのだ。それから逃れたかった。 電話をして、普通の会話をして、なぜ中絶後の私の心境について触れないんだという怒りを我慢して、だけどその会話の隙間を縫って自分の心境を話した。中絶後の日々が辛いという心境。殺意についてはもちろん言わなかったが。 「俺そういうこと言われるとさ、死ねって言われてるようにしか聞こえないんだよ。いわゆる普通の人みたいに上辺だけで慰めたりできないんだよ。悪いけど。だからいくらでも命あげるって言ってんじゃん。」。 気違い曰く、私に対してできることは死ぬことのみ。私の精神状態に対する配慮は、全て嘘になるからしない。変わってあげることはできないから、全て嘘。 もう何度も何度も聞いた気違いの言い分である。私は気違いに、土下座をして謝れと思っている。私の現在を永遠に潰す代償として、謝り続けろと思っている。 しかし気違いは、そういうことが絶対にできない。そういうことが世間では「まとも」だということがわかっていながら、できない。 私は心の中で、ここで、奴を無意味に気違いと呼んでいるわけではない。奴の人格を精一杯に全否定するため、気違いと呼んでいる。だって気違いとしか言い様がないではないか。 しかし気違いが「死ねばいいんだろ」という言葉を発するたび、私も狂う。軸が瞬時に転換され、「違うよ」とか「嫌だよ」とか言っているうちに心が楽になっていることに気付く。あまりにも哀れなのだ。気違いが。 私は昔から、「哀れ」なものにとても弱かった。偏見が人一倍強く、たとえば身体障害者に対して「『かわいそう』だと思っちゃいけない」と、物心ついたときからずっと思っていた。「智ちゃんは偏見が無いね」とか「優しいね」とか度々言われてきたが、本当に偏見があって優しくないのは私の方なのだ。私の優しさは、卑劣なのである。 他人に対する哀れみと自分の優しさが紙一重だという卑しさは、いまだに直らない。しかし卑劣であっても、自分の優しさを自覚すると心が安らぐ。この安らぎを得るために私は、電話をするというタブーを犯したのだと思う。 哀れな気違いは、とてつもなく正直な人間だと思う。嘘を付くのが嫌なのだろう。だけどそれしていいの17歳までだよ。この人見てると、かつての自分を思い出す。真実という言葉と意味にやたら固執していたあの頃の。だけど真実が残酷だということもわかっていた。真実は人を殺しかねないとかなんとか書いたことも覚えている。 嘘覚えなきゃなんないんだよ。嘘も方便っていうでしょ。 真実が残酷なんて当たり前なんだよ。お前はそれを越えろよ。残酷だってわかったんなら、もっと残酷な嘘付けよ。自分に対して罪深くあれよ。 あなたの真実がそれこそ道徳の教科書のようなものならいいよ。「一般的」であるならいいよ。でもそうじゃないんだから、嘘くらい付けよ。 かつての自分を否定するわけでは全くないが、今の私は残酷な真実よりも、嘘の優しさのほうがいい。意味なんてそこから見出せばいい。 だけど気違いの頭の悪い真実を聞いていて、一つ思うことがあった。あくまでも「正常」な自分は、気違いに殺意を持っている。「死ねばいいんだろ」という言葉に対し、「じゃあほんとに死ねよ」とか、「今すぐ死ねよ」とか、狂った優しさに導かれる前に死ぬほど思っている。「土下座して謝れ」と思っている。 だけど、そんなことして何になるんだ。気違いが本当に死んだら、土下座をしたら、私は気違いを許すのか。許さないだろう。気違いに誠意や常識的な謝罪があるかないかの問題ではないのだ。ごめんで済むなら警察はいらないという言葉があるが、それが象徴するように、謝られても死なれても何の意味もないのだ。だからといって謝らない気違いを正常だとは決して思わないが。 事実は、他人が揺るがしてもびくともしない。殺意などオマケだ。本質には付随しない。それに気付いた。あくまでも今晩。このまま殺意を取り払うことができたらいいのだが。 中絶を選択してしまった私は、生きていかなくてはならない。そうでなければ中絶した意味がなくなってしまう。 中絶を他人に話すと、それはそれはデリケートな問題として扱ってくれる。数人のその配慮に対して、とても感謝している。しかしその反面、恐ろしくなる。配慮が大きければ大きいほど、自分がそんなにも恐ろしいことをしてしまったのだと気付かされる。 しかしどうしても、生きていかなくてはならない。私はこの事実を一生見据えていかなければならないのだろうか。ならないのだろう。 本当は、忘れてしまいたい。忘れる方向に持っていきたい。忘れることを肯定したい。だって生きていかなくてはならないのだから。辛いのも苦しいのも不快感も長く持っていきたくはないし、それでは生きていかれない。 全ては残酷なのである。私の存在は、私が生きていくということは、それだけで残酷なのである。 忘れることはできない。





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最終更新日  2006年12月14日 02時31分23秒
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