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2025.01.19
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カテゴリ: 歴史箱
ミサイル危機の表面上の決着とは裏腹に、実はかなり大きな問題が残っていたことが後になってからわかってきます。
そもそも合意があってからソ連のミサイルがすぐさま撤去されたわけでもなければ、ケネディ政権が出した三つの条件(キューバのミサイル基地建設の中止、攻撃型ミサイルの撤去、国連の査察団受け入れ)のうち、三番目の査察団受け入れはカストロが抵抗して最後まで認められなかったからです。

確かに表向きは、ミサイルは撤去されたことになっていますが、撤去したミサイルを積んだとされる船の重さが計算上軽すぎると思われるなど怪しい点も多々あり、かなりの数のミサイルが取り除かれないままキューバに残っていた可能性があるわけです。
まあ、査察が認められなかった以上、キューバとしてはなんでもできるわけです。

そもそもキューバにとっては、ソ連と米国がキューバ抜きで、その場の思い付きで勝手に決めた「政治的な口約束の合意」だったことになりますからね。
完全な言いなりになったとは思えません。
検証ができない、あいまいな合意だったということもできます。

ミサイル危機に際してカストロは、慎重に交渉を進めるフルシチョフを叱咤激励する意味で、アメリカを核攻撃するように迫っているとも解釈できる書簡を送っていたことが知られていますし、事前の通告もなく決定された米ソの合意にもかなり憤っていました。
フルシチョフはカストロに、「ケネディによるキューバ不侵攻の確約は大きな勝利である」ことや、「これ以上アメリカの要求に応じることはない」と伝え、なだめなければならなかったこともわかっています。


カーチス・ルメイ空軍参謀やジョージ・アンダーソン海軍参謀らは合意内容に不服で、最後までミサイル基地の空爆や即時侵攻が必要であると主張していたそうです。

当然、そのように考えていた人たちが、CIAの内部にもいたわけです。
とくにミサイル危機が起きる1年半前に、「ケネディは、キューバにミサイル基地が存在する事実を隠して、(62年11月の)中間選挙に利用しようとしている」と考えるバーンズのような幹部がCIAにすでにいたことは注目すべきポイントだと思います。

実際ケネディがそのように考えたかどうかは別にして、結果的にミサイル危機を解決したケネディ大統領は、勇敢な決断力によって核戦争という地球の危機を救ったとして一躍ヒーローとなり、中間選挙を有利に戦うことができたわけです。

確かに中間選挙一か月前からの駆け込み的な盛り上げ方は尋常ではありませんでした。
これが本当に盛り上げ作戦だったとしたら、すごい演出であり大した役者であるとしかほかに言いようがありません。

これに対して、カスロトやソ連軍の内部からは、米国に大幅譲歩したとして激しい非難の声がフルシチョフに浴びせられました。
米国に弱腰であるとみなされたフルシチョフは、二年後の1964年10月14日に失脚します。

ある意味、ニクソンもミサイル危機のトバッチリを受けた一人だったのかもしれません。
実績を買われて62年11月、生まれ故郷であるカリフォルニア州知事選挙に出馬しますが、対立候補のパット・ブラウンに大差で敗れ落選します。

選挙翌日の11月7日にビバリーヒルズのヒルトンホテルで行われた記者会見で、失意のどん底にあるニクソンは、詰め掛けたマスコミの記者団を批判しながら「君たちがニクソンを虐待するのはこれで終わりだ。何故なら、これが私の最後の記者会見だからだ」と捨て台詞を吐く始末。


しかし、人間万事塞翁が馬。
若くして副大統領にまでなった人物をメディアがこき下ろしたせいで、逆にニクソンへの同情票が集まり始めるんですね。

ニクソンは不死鳥のようによみがえり、1968年と72年の米大統領選挙に勝利。
CIAのハワード・ハントや工作員フランク・スタージス、それに反カストロの亡命キューバ人のグループが起こしたウォーターゲート事件によって辞任に追い込まれるまでの5年半、大統領の職に君臨し続けました。
(続く)





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最終更新日  2025.01.19 10:28:38
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