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いっぽさんへのレスの返事が長すぎて、自分のブログながら文字制限で書き込めないのでこちらに。私も人との関わり方について書いてある本だと思うよ。私だって自由万歳主義者じゃないですよ。「ハラスメント」を気にしているのでそういう風に読んだら、人を縛るハラスメント的形を書いたように見えるな・・・とそのぐらいです。新説を書いたつもりでもなく、読むたびに色々現実世界について考えさせられるそんな本ですよ。上手いと思う。時々で考える箇所がちがう。読んでみてwネット上にも色々星の王子様のいろいろな解釈、感想が書かれていてそれを読んでみて、それぞれに、なるほどなーって思っています。自由というのは「無制限に自己責任を負うこと」ではないと思うよ。無制限の自己責任が、どこまで広いのかがちょっとわからないけれど、例えば私が私に好意のある誰かが来るたびに、あれしろこれしろ言ったら、私の家に、いくら好意があったとしても来なくなるだろうなと、人は寄り付かなくなるだろうなと思わない?それでも、その「やって欲しい」といわれるものはそれが必要なことで、それを不快ながらもやってあげることがいい関係なのかな。そのときに、私の家に行かないって思う選択は無責任かな。私はバラ(奉仕したい素敵な相手)ではないので、基本的にそれでも来ることはないだろうw犯罪をしたり、悪いことをして無責任に逃げたらいいって言っているのではないの。そんな話じゃないのよ。一方的に冷遇されながらバラのご機嫌をとらなくてもよくその関係を維持する必要もなくバラにその冷遇は「嫌だ」と言るような関係なら、コミュニケーションは破綻しなかったのではないかな。王子様はバラを束縛したのではないし悪いことをして知らん顔して逃げたわけではない。バラは自分が地面に縛られる存在だからといって親切な人に構われないといけないわけではない。バラは別れ際に言っていたように「もっと優しくしたらよかった」のではないかな。一人にされるときは、自分だけでもやっていけるとつよがれるなら、王子様との生活の中でもされるのが当たり前な態度はよくないんではないか?バラが女子心を物語るのであったとしてか弱いから不快に相手を使っていいとは思えないし不快なら去ったり不快だと言っていいんじゃないかという程度。王子様がバラを常に気に掛けているほど愛していたのだろうと思う。でも、愛していたら世話を焼き続けないといけないわけではないでしょう。愛していても去りたくなるような、理不尽さがバラにはあったのではないかな。愛して構ったら、常に構い続けないといけない責任はない。構われてた方は、それがなくなればとても不自由になるかもしれないけれどそれは彼が必要であったのでなくて自分の自由のために、彼を自分に拘束していないか?まぁ、王子様も嫌だと小出しにして、溜め込まなければもしかしたらバラも、もっと以前に反省したのかもしれないからね。「大切なものは目に見えない」バラもまた、王子様が去る間際でないと「大切だとは思わなかった」。バラは取り返しの付かないことをしていると思う。**************************************追加王子様がバラに責任があり、バラの元を離れてはいけないなら王子様は、パイロットの「僕」の元を離れるのはいいの?「僕」に対する責任はないのか?「僕」はバラのようにやはり、去られることはバラに対してやったことをさらに繰り返していないか?バラはか弱く「僕」はか弱くないから?かけた時間が短いから?恋人と友人の違いなのかな。「僕」だってやっと見つけた、帽子の絵だといわない同じ視線を持つ王子様との別れは、つらいと思う。
June 29, 2007
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子供の頃に『星の王子様』を読んだことのある人は多いかな?読んでない人も、読んだ人も、大人になって一度読むことをお薦めしたい。子供の頃に読んで、「変な話だな」って思った人は多いかもしれない。童話にしてはちょっと変な話なのです。大人に向けて書かれているからだとは思いますが。星の王子様の話は、銀河鉄道999のように「惑星=個人の性格」のような話に思うかもしれない。しかし、星の王子様に出てくる星とそこに住む住民はハラスメントの被害者の典型的な形を描いているように思う。ないように出てくるいろんな形も、全てといっていいほどその話をしている。ハラスメントの被害についてを、わかり易く説明しているように思う。そして、話し手になっている私は、そのハラスメントの形に嵌らなかった人として描かれているように思う。周りがハラスメントであふれていると気がついているけれど自分の感情を大事にしている。王子様は、バラとの関係について色々いつも考えている。そして、バラから受けたハラスメントでがんじがらめになったときに王子様は不快に思い、バラから去るという選択をして旅に出る。王子様はバラに搾取される状態を素直に「矛盾していておかしい」と思いその関係から離れとても前向きに心に思うように物を感じながら星をめぐり(おかしいものをおかしいと思いながら)居心地が悪くなると去る。というとても自分に素直に生きている。王子様は、もともと自由でない心を持っていないわけではない。しかし、行く先々で王子様は「バラから離れてはいけなかったのではないか」という後ろめたさと罪悪感にさいなまれる。極め付けに、キツネに王子様が、バラに飼いならされたと思うことを告げるとキツネは「飼いならされた=仲良くなった=なついた」と同じだといわれる。と変換されて「王子様を飼いならしたバラ」は「王子様と仲良くなったバラ」でバラと仲良くなったのだから、バラを飼いならしたことと立場が逆転しても同じということになる。「バラは王子様によってハラスメントに掛けられていた」と上手いぐあいに、バラとの関係に王子様こそが責任があることにされてしまう。王子様は相談相手を間違えてしまったことがひとめでわかりにくいしよく日常使われる「相談したときの返答」にも似ている。王子様の悲劇は結局、「バラの行動は王子様に責任がある」と「バラとの約束を守らないといけないと」ハラスメントから脱出しようとしている王子様を「悪意のないキツネ」が追い詰めたことによっておこっていると言っていいと思う。王子様のようになってはいけない。でも、その形に嵌ることが往々にしてある。それに嵌った場合でも、自分の感覚を信じて、そしてキツネには注意しないといけない。キツネは「呪縛」と「規範」の違いがわからなくなった者で多分既に何かによって「呪縛」された存在であると思う。とても不愉快な関係でも、「自分に非がありお互い様」「今の状態の上にのみ存在しえる」と思うことで自分の感覚にで不愉快でも、その不愉快な状態あっての自分とその不愉快な状態を維持または欲してしまう。まるで愛されなかった子供のように。この「星の王子様」は悲劇であるのだけど、その不快な関係から離脱するためには自分の気持ちに素直になることと、その本は言っているように思う。嫌なところにいる必要はない。そして誰かの顔色をうかがい続けないといけないという偏った力関係は、人を追い詰めてしまうか脳波停止を促すように思う。で、王子様のようにハラスメントをかけてきた相手に対して「責任」をとても感じているケースが多いと思う。お互いに掛け合っているなら、責任はあるかもしれないでも、その場合でも「離れること」が必要だと思う。ただのわけのわからない(相手を呪縛する)儚いバラとわけのわからない衝動の王子様から、「自分の感覚」が、いかに大事かを感じ取って、王子様の悲劇を増やしてはいけないと思う。DVでもよく逃げたほうが、「あの人を一人にしていいのだろうか」と暴力の中に戻っていくことも多い。そんなに責任感強くなくていいと思う。暴力を振るうと人は離れる。それは当たり前の人間関係。誰かから搾取されたり、謂われなく貶められたりふみじにられたとかんじらたら、離れて当然だと思う。離れられて考えることも多いと思う。そして、自分以外の人の「感覚」ももちろん大事にしないとね。自分の自由と誰かの自由がお互いに邪魔しないようにバランスをとるのもお互いの「感覚」であって、「抑圧」で決まった形にはめない、自由を制限する形で対立を回避しない事が、一人ひとりをちゃんとした一人ひとりとして見れると思う。・・・かなり脱線したのですが星の王子様をもう一度読むことをお薦め!それは自由を取り戻すために。
June 27, 2007
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でんきを消して、スローな夜を。100万人のキャンドルナイト 2007年夏至http://www.candle-night.org/2007年6月22~24日 20:00~22:00いつキャンドルナイトをしてもいいのだけど合わせてみるのも面白いかもしれない。友達の日記に、昨日キャンドルナイトをしたとあって、いろんなキャンドルナイトが各地で起こっているけどどれもこれもやってみていいものね。私もついこの間、いいにおいのする ろうそくを買って夜な夜なムーディーに食事でもしようと目論んで一度やってみたら、一個じゃ暗かったのよね。もう一個ぐらい必要かな。間接照明とかキャンドルライトは、ちょっと美男・美女度UPするよね。水疱瘡の痕も60%減(当社比)になったけれどまだまだ、水玉模様なので、少し暗いぐらいがいいな。今晩 キャンドルナイトにしようと思ってます。ご一緒にどうですか?
June 23, 2007
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はしかが大学で流行しているんです。最近よく聞くとおもいます。小学校では水疱瘡がはやっています。うちの6歳の娘も6/2~水疱瘡になり、もうすっかり良くなり今週月曜日から、小学校に復学(?)しています。あまり痒くなかったみたいだし、顔にもあまりできなかったのでホット一安心でした。私は猛烈仕事詰めから開放され、気が抜けたのかおとといからちょっと調子が良くなくて、昨日今日は高熱でふらふらしておったのですが今日のお昼ぐらいに、あやしい発疹が・・・いままで汗をかけなかったのだけど、最近汗をかけるようになった吉雄。あせも???と怪訝におもいつつもしかしたらと、病院へ行ってみたら水疱瘡でした。大学生ははしか・小学生は水疱瘡・吉雄は・・・水疱瘡wがーーーーん。熱はさがんないし、痒いし、かゆいーーー。妊娠中に免疫を調べるでしょ。そのときには、水疱瘡、かかっているはずという数値だったように思うので母とは、発病しなかったけど掛かってたのねって話していたのに。病院の先生には、免疫を保持できない体質とか言われたことないですか?と心配され水疱瘡の予防接種と、水疱瘡がまだじゃないかと母が以前言っていたのをあわせると、やはり「かかってなかった」というほうが正しいとおもう。娘のこの前の経緯と比べて、たぶん明日には熱はさがりただ「外に出れない」だけになるはず。娘の水疱瘡末期のカサブタだらけの体と同じようになるのかーとちょっと大人の吉雄は怖いです。というわけで、今日はこの辺でまた倒れます。皆さんお体にはくれぐれも気をつけて。元気でお会いしましょ~w
June 15, 2007
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どういういきさつで入ったのか忘れたけど中学生の頃演劇をやっていた。クラブ活動で、部活ではなかったのだけど顧問の先生(国語)が猛烈に力を入れていたようにおもう。私は「アンドロイド」だったので「感情の表現の練習」として演劇は楽しいなとおもっていた。その顧問の先生は、私に授業中もそうでないときも「貴方、漫画みたい」といい続けドーランで白く下地を塗ったとき、「絵みたい」と大喜びしていた。中学生の吉雄はどうも、漫画みたいだったらしい。(どんなだ!?)喜怒哀楽や声を大きく出す練習等は、自分の感情が何処にあるのか分からない当時の脳波の停止した中学生の私には、非日常を体験できる面白い経験でした。戯曲を大人数で寄ってたかって演技するとき当たり前のことだけど、台詞に意味があり応答する相手は「必ず」台詞を返してくる。丸暗記して、喜怒哀楽の表現と決まった身振りとともに台詞を言えば、決まった反応が「必ず」返ってくる。それはとても楽しい。物語をつむぐ一員として、一糸乱れない「決まった形」を演技する。私が居るも貴方が居るのも「この物語に必要だから」という一体感。感情移入すればするほど、劇は楽しく、一体化は増してアドリブもその「役」としての言葉になって、自分が自分でなくなる経験をする。演劇をやったことある人は、多いと思うから(文化祭とか色々で)そんなに説明しなくても、分かるかな。高校生になって、中学の演劇仲間と一緒に演劇部があったので入って、もっと劇の演出について図書館で戯曲や演技指導などの本を読み漁るようになっていた。『ガラスの仮面』の天才役者ではないから、どうやったら効果のある伝わる演技ができるのか、ドラマチックに話を見せるために凝った道具は作れないので、最小限のセットでどうするかなんてこだわればこだわるほど面白く、演劇部はもっと部員がいてもいいのにねって思っていた。演劇部の部員の難しいところは、舞台意外はあまり演出しないってことや戯曲を通しての一体感があるので、他の部活に比べて部員同士が親密になりすぎる点であったのかもしれない。しかし、その劇をする友達の個性を信用して台本を書かないで、役どころと必ず言わないといけない台詞オチも決めずに即席劇などができるようになる。台詞を指示されてなくても、役どころが分かる。また楽しさと一体感が増す。演劇のような、団体の一体感は嵌ると楽しい。その団体でキャラが確立すると存在意義があると実感できる。こう言われたら、こう返すというセオリーができれば行動の解が見えくよくよ悩まなくてすむようになる。その頃には戯曲を書いて演技をしてもらうのも楽しくなって舞台とその周りだけでで、物もなく、2~3人の少人数でできる物語をノートに書きつづっていた。でも、高校の演劇部は、途中であまり参加しなくなっていった。人は成長するし、同じ形を続けていくことには狭苦しさを感じ始める。そして、セオリーにない行動をしたときに「そんな人だとは思わなかった」と、制裁を受ける。そのときに、作られた幻覚である存在意義のある私とセオリーを打ち破る、存在価値のない「セオリー通りに動かない裏切り者の私」とが、どちらが本物かの戦いが始まり、私の場合後者が勝った。後者が勝っても、戯曲を演じることを楽しみたいのだけど、高校生の部活、戯曲をする本数は少ない。プロじゃないので、締め切りはほとんどない。なりきるための練習も面白いと思うけどめんどくさいから練習はしないという感じもあった。(そう見えただけかもしれないけどw)演技のほうが実生活を侵食しはじめた部員の演技掛かった会話にも、居心地の悪さを感じ始めてどんどん楽しくないものになっていった。退部したんじゃないかな。覚えていないwもしかしたら、退部するともいわないで、行かなくなったのかも。高校総合文化祭で舞台のスタッフ募集にあたり役者で参加しようと思ったけれど、配役的にぴったりする役がなかったのと「舞台監督」で「作っていい」という役どころも楽しそうでそのときは「舞台監督」というものになってみた。それは、高校生のといいつつ「高校の職員」の作る舞台であったので物足りなさ過ぎた。そのときに知り合った「演出の君」との会話の日々がなければ「舞台監督」もすぐに降りていたんじゃないかとおもうw高文祭の側、中学の頃から仲良くしてもらっていた団長の方の「いつでもおいで」という言葉に甘えてプロの団体のところへ出入りし(劇団ではなくてタレント集団・興行として劇もやる)自分達で自分達を演出するというものや、新しい企画も、魔法のように短期間で、ダンスや劇を見せられるレベルにまで引き上げ「マスターするのは3日もあれば十分」という「商業ベースのすごさ」を見せ付けられて、私は劇をずっとやっていきたいなとそのときも思っていた。結局は、高校を卒業したら、沖縄を出て演劇をする機会が途絶えすぐにバイトで入った「舞台もあるクラブ」の「アイドルアイドルした見世物」に、ちょっと引いてしまった。役者の友達ができたりしたけれど、団員同士の修羅場などを聞くと、今さら入る気にもなれずたぶん、また劇をやるときには、現在ある劇団ではなくて立ち上げようってことにならないと、無理だなっていまだに思うけれど劇団員一人ひとりが、団員でなく、一個性として活動をしている強い個性の集まりであれば、もしかしたら居心地はいいのかもしれない。といいつつ、劇は今やり続けている人には負ける。私ではなくてもいいと思える。劇をしていた頃の経験は、「人間を学ぶ」のにとても有効だったと思う。自分で演出することの大事さ、見せるときには「一発でできているような自然さ」やそうでないと思わせる自然さなどの、営業に必要な体験も疑似体験として体験できた。凄くいい経験だったとおもう。
June 10, 2007
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と、言うわけで、前回の雑記のいっぽさんさんのレスの返事を長く書いてみました。『日本では、1年に約30,000人の自殺者が出ているんだそうだ。 ベトナム戦争での米軍の戦死者は15年間で58,000人だって』日本人1年の自殺者とヴェトナム戦争15年でのアメリカ軍戦死者を比べて比較してみる。私がは、そこから導かれるのは“アメリカ軍戦死者数より少ない”ということではないかな。数字の妙?いいとこついているかもしれない。こういう議論は結構多いので、私もちょっと長々と書こうかとおもう。日本の一年間の自殺者が多いことは、とても問題視されるべきこと。これは、自殺者を増やさないようにするにはどうしたらいいのかもちろん考えないといけない。そして、個人の精神を抑圧して、精神的には殺されているけど自殺者数が減っているなんて、気持ちの悪い状態にもなってはいけない。さらに、戦争が全員の不幸でないから戦争はおこる。戦争中に幸せを感じる人もいるでしょう。戦争で感情がいきなり消えてなくなるわけではないからね。利益や一体感などももちろんあり、このときに生きていることを実感する人だっているでしょう。戦争がはじまったら、戦争で幸福を感じる立場でなく戦争の頃の写真のように道端に転がっている「ただの1死体」に私はなるだろうと思う。強姦されるとかリンチにあうというのもあり、その後ただの死体。または、反戦を叫べない状態、戦争を止められなかったことでかなり悩みつつ、日々殺戮の手助けを間接的にやりながらただ淡々と行き、殺されるときには殺され、奪われるときには奪われる存在。そんな状態が私は平和だと思えない。そこに幸福を感じる人がいたとしても。ベトナム戦争を語るなら、アメリカ軍の死者数と日本の自殺者を比べてもあまり意味がないと思う。そして、そこから戦争はそんなに人が死なないと思うわけにはいかない。ベトナム戦争であるなら、アメリカは攻撃する側であり日本の自殺者はその「自殺者」の総死者数だから、自殺者することに加担した、後押しした人たちにむかって、反撃されて無くなった攻撃する側の数なら、並べて比べるのもわかるような気がする。とてもわかりにくい数字だけど。ひとまず人数の話に戻ってみて、ベトナム国内での戦死者数は1,774,500人そのうちベトナム国の民間人は 560,000人15年で割って、1年で総数、118,300人民間人 37,333人*もちろん死者数は文献によって上下します。自殺の多い国(?)日本人の一年間に自殺でなくなる方 約30,000人一年間にその4倍もなくなるのだから、多いのではないでしょうか?民間人だけでも、日本の自殺者を越えていますね。死者数だけで計算するのもどうかともおおもう。戦争は、当たり前のことだけど、略奪、強姦、重症軽症ともに身体の傷精神的な傷、民族間の亀裂、人権の粉砕、環境汚染と沢山の犠牲を孕むよね。誰かを殺すことで得られる幸せを求めているのか?それによって、幸せを感じられる人が沢山いると思っているのか。その状況下で沢山いると、、、思いたいのか。その状況下で幸せをを感じたいのか。戦争状態でないときに幸せを感じられたほうがいいんじゃないのか。目標はそこではないのか?ちなみに、第二次世界大戦では(1939年から1945年にかけての6年間)軍人戦死者2700万人、民間人死者2500万人ちょっと脱線して東京大空襲では、約10万人広島原爆では 約14万人長崎原爆では 約7万人沖縄戦(米軍・日本軍・住民あわせて)全戦没者約20万人ヴェトナム戦争15年間の米軍の戦没者数を出すなら、同じ戦争の戦没者、ニュージーランド軍 200人は日本の1年の自殺者数より少ないから、、、という変なとこ計算して、答えを出すのと同じではないだろうか。 *****自殺を選んだ方に対して、「そいつが弱いから悪い」と思うとしたら人の痛さが分からない人ではないかな。それと、社会生活の中で今はクリアできていないハラスメントの問題も無視することはできない。ハラスメントの話「04: 中学生の兄貴とのなんだか気が滅入る日常 」「05:ひとまず終わり。 」の雑記にもかいたけれど、「自分の存在自体が「あってはならないものなのかな」と感じたりする。」ことは、意外と簡単に嵌る。壊せない壁を感じ、閉塞感・無力感を感じることも。死ぬ意外に道はないと思うことも。人はそんなものだから、だから、その(肉体を・精神を)殺してしまえる力をできるだけ使わないように、使われないように人権を叫ぶし人権が尊く「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、 平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と前文にある憲法は素敵だなとおもう。そんなに幸せが簡単で無いから、できるだけ身近な大きな権力からの人権侵害が無いように、願う。
June 5, 2007
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英国の調査機関「エコノミスト・インテリジェンス・ユニット」などは30日、世界の「平和な国ランキング」を発表、日本が5位に入り、イラク戦争後に爆弾テロなど治安の泥沼化が著しいイラクが調査対象の121カ国中で最下位となった。1位はノルウェー。ランキングでは、政治の安定性やテロの危険性、人口に占める軍人の割合のほか、犯罪の発生率や自殺者の割合など、24の要素を独自に点数化。経済力があり、欧州連合(EU)に属する小さな国が上位に入る傾向が出た。上位10カ国は、北欧諸国をはじめ7カ国が欧州の国。2位はニュージーランドで、5位の日本は主要国(G8)の中ではトップだった。G8で日本に続いたカナダは8位で、ドイツは12位。米国は、ランキングで考慮される軍事費が突出しているため96位で、核開発問題などで欧米と対立するイランが97位。ほかに中国が60位、ロシアは118位だった。(共同)******************************************************************「エコノミスト・インテリジェンス・ユニット」世界各国の政治・経済・ビジネスに関するレポート、データベース、委託調査※欧米諸国のみならず、アジア、中近東、アフリカ、南米、東欧諸国など世界中の最新政治情勢の分析、経済データ、物価情報、リスク分析、などの情報・データを提供他、海外の調査会社の様々な情報・データベースを提供(自動車、政治・経済、建設機械、輸出入動向、繊維、小売業)*これは日本代理店の求人から******************************************************************ちょっとつらいランキングの上位っていうのばかり見ていたので、「平和な国ランキング」で上位にっていうのは、嬉しいなとおもう。ただ、24の要素だけでいいのか。「地球幸福度指標」では、先進国は軒並み順位が下で、日本は対象178カ国中95位、英国180位、米国150位。地球幸福度指標とは「the Happy planet index (HPI ) 」のことで、HPI = ( Life satisfaction x Life expectancy) / Ecological FootprintLife satisfaction【生活の満足度】Life expectancy【健康期待度(健康度、寿命など)】Ecological footprint【環境負荷度】地球に負担をかけずに、心身ともに幸福な人生を送ることができるかという指標で、先進国は下位。幸福指標の上位は地球幸福度指標 1位から9位まで。バヌアツコロンビアコスタリカドミニカパナマキューバホンジュラスグアテマラエルサルバドル一番最初の記事の、平和な国ランキングではノルウェーニュージーランドデンマークアイルランド日本・・・・って、幸福指標と平和な国って、イコールじゃないのね。幸福指標も平和な国ランクも、アメリカより上。それでも、アメリカにと同じに、なりたいの?
June 3, 2007
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