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カラオケに行くと皆が知っているだろう歌を選ぼうとするよね。常に連れ立って歌いに行っちゃうような友達の場合は知らなくてもいいやー。覚えちゃって~♪っておもうんですが珍しい曲じゃない場合、ちょっと歌いにくい。笑える歌、珍しい歌、テンポのいい軽快な歌ならともかく、なんだかしみじみしちゃう歌は、とかく歌いにくい。とってもすきだし、大体カラオケでも無いことは無いのに中島みゆきの「糸」という歌が、歌いたいけど歌いにくい。なので、ここにまた書く。知ってる人が増えたらいいんだもんね。実のところ、2年前にもこの歌詞をこのブログに書いたのでした。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・糸作詞・作曲 中島みゆき なぜ めぐり逢うのかを 私たちは なにも知らない いつ めぐり逢うのかを 私たちは いつも知らない どこにいたの 生きてきたの 遠い空の下 ふたつの物語 縦の糸はあなた 横の糸は私 織りなす布は いつか誰かを 暖めうるかもしれない なぜ 生きてゆくのかを 迷った日の跡の ささくれ 夢追いかけ走って ころんだ日の跡の ささくれ こんな糸が なんになるの 心許なくて ふるえてた風の中 縦の糸はあなた 横の糸は私 織りなす布は いつか誰かの 傷をかばうかもしれない 縦の糸はあなた 横の糸は私 逢うべき糸に 出逢えることを 人は 仕合わせと呼びます ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・上手いか上手くないかは別として、歌を歌うのはとてもすき。上手いか上手くないかは別として、歌を歌って暮らせたらいい。幼稚園のころに、「歌って踊れる絵描き」になろうとアホな夢を描いて、歌ったり踊ったりしたけど、結局「絵描き」だけ残った;一人で舞台で歌うとか、そういうのじゃなくて皆で歌を歌うのってすき。合唱も楽しいかな。でも、学生のころ以来合唱はしてない。娘とは良く歌を歌う。彼女のレパートリーに、(アニメもあるけど)・時には昔の話を(加藤 登紀子:紅の豚)・白い小鳩(椎名林檎バージョン)・月光(鬼塚ちひろ:トリック)・地上の星(中島みゆき:プロジェクトX)・太陽の花(島谷ひとみ:ブラックジャック)などなど、ちょっと7歳で歌うか?ってのを結構な数一緒に歌ってマスターしてもらった。今はマリリンモンローの「i wanna be loved by you 」をマスターしてもらおうかともくろんでいる。・・・「i wanna be loved by you 」は有名だと勝手に思ってるけど、、、どうなのかな。
November 28, 2007
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娘が外の木をみながら、「植物が人間が出した二酸化炭素を吸って酸素を出してくれてるんだよね?」と、いった。環境問題なんかを話題にしている大人の中にいるだけにそういう風に思ったらしい。なんだか当たり前のことだけどいい質問だなーとおもい、学校でまだ習う歳じゃないので習う時に必ず合わせて教える内容を、伝えた。「植物は、朝昼の明るいときは「光合成」をしていて二酸化炭素を吸って酸素を吐く。夜は「呼吸」をしていて酸素を吸って二酸化炭素を吐くんだよ。」昼間酸素を出すけど、夜は酸素を吸っちゃう。もし、出す量と数量が同じだったら、木自分の分の酸素を二酸化炭素に変えたり二酸化炭素を酸素に変えてるだけで、酸素は増えないのでは・・・?と、質問された。(もっと子供っぽい言葉でだけどね;)そこで、家で飼っているコッパーフィンというサカナの話にしてみた。コンビニとかスーパーにビンに入って売っている。水草と水とコッパーフィンが、きっちり蓋されたビンの中で、小さな生態系を維持している。地球はそのビンの中なんだよね。植物は明るいとき、「育つために」二酸化炭素が必要でコッパーフィンが二酸化炭素を出し、水草が吸う。もちろん、暗い時間に水草が出した二酸化炭素も、明るい時間に吸う。暗くなったら、水草が出した酸素を吸って、二酸化炭素を吐く。二酸化炭素がたりなかったり、酸素が足りなかったら水草が死んでしまう。そうすると、酸素を出すものがいなくなるので、コッパーフィンも死んじゃう。だから、二酸化炭素も大切。*********************************たぶん、植物が出す酸素は、二酸化炭素より多い。炭素は何処に行くのか。植物の体になっている。植物の体になった炭素は、その植物が死んだときにかれたときに、燃えたときに、また空中に吐き出される。植物は、±0なんじゃないかな、と思う。そうじゃないと困る、質量保存の法則。とても当たり前のことなんだけど、酸素だけになってしまうと、彼らは困る。自分生まれてから死んで消えるまでに出す酸素と二酸化炭素が、トントンになっていたら、僕達が出した二酸化炭素は、誰も減らさないということにならない?トントンという仮定にすると緑は「増やさないと」あまり意味が無い、ということになる。環境問題の話のときに、植物があればいいという方向であったりする。枯れ木は酸素を出さない。育てて、増やさないといけない。今ある森林を伐採して、新たな木を植えるのも話は違う。日本の森林面積は約2500万ヘクタールで日本の国土の約67%。人口で割るとそんなに沢山の森林じゃないのだけど、それでも国土の67%。・・・フィンランドと同じぐらいの国土面積比。植物が炭素を抱え込んでる状態といえるので、森林が「ある」だけでも意味があると思う。一生のうちに出す量と吸う量が同じでも、形になっていたり地中に埋まった場合に、ちょっと先送りにすることができる。ネットで調べると、森林面積は1990年と2000年との推移が多い。10年おきに調べているのかな・・・。オチを考えないで書き出したので、ちょっと今悩んでますがうーん。緑はあるに越したこと無い。ただ、夜は二酸化炭素を吐く呼吸をしていることも思い出してね・・・・。という感じかな。
November 25, 2007
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ひまじんさろん「新婚老夫婦と… 」のページのりんごの写真がとても綺麗。そして、さらに日記に掲載されている風景がとても素敵なのでつい、行ってきました。信州へ~。中央アルプス!msk222さんの山荘へ我侭言って3日間お邪魔しました。msk222さんは、編集・印刷も生業としているので仕事あるかも~という口実で、仕事の合間をぬって逃避行のように、娘とバスに乗り込みました。高速バスでの長距離移動って初めてなので、心配でしたが安いわ楽だわ、意外と快適でまた名古屋に行くときとかバスもいいなーと思った。楽天ブログで書いてて最初のリアル対面。ブログの文章から想像する(似顔絵もあるのですが)感じとやっぱりちょっと違ってて面白い。まぁ、私も全然ちがうんだろう。山荘は囲炉裏があって、とっても素敵でした。次は誰か誘って沢山で泊りたいなーーーという感じ。初日の夜は、msk222夫妻と一緒にお夕飯を食べて、あとは娘と二人っきりで山荘にお泊り。msk222さんが置いていかれた、「硫黄島からの手紙」のDVDをつい、娘が寝た後に一人で見てしまった。次の日は秋晴れで、紅葉もとっても綺麗で空と、黄色とオレンジと赤と、日本の秋でした。(表現が;)表現豊かじゃないので、写真を今回ははろうかなと。mixiのコミュニティにも貼ったけどこちらにも。紅葉と娘。こんな感じでした。温泉にはいったり、ちょっとお手伝いさせてもらったりしてとても穏やかな感じでした。色々書きたいこともありますが、今日はここまで。msk222さんと奥様、ありがとうございましたwまたお邪魔させてくださいね。
November 20, 2007
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何か飲み物とかがちょっとこぼれて、目の前にティッシュと布巾があると、どっちで拭いたほうがいいのかなって、たまに思う。布巾がすでに使用済みなら、どの道洗われる運命にあるのでまぁこの場合ふきんで拭くのだけどこれから使うところだったりすると、これを拭くことでふきんに起こるこれからの事(汚染とエネルギー)を考えてしまう。ふきんで拭いちゃったら、洗われなければいけなくなる。まずはふきんのコスト。何回も使うけれどタダってわけじゃない。水を使い洗剤をつかう。汚れが取れなかったら漂白剤を使うかもしれない。さらに彼はいつか捨てられ、燃やされる。かなりコストがかかっている気がする。ティッシュ一枚とり、拭く。ティッシュの場合、その一枚のコストとその後ゴミ箱へ直行で燃やされるコスト。そう思うとコストがかからない気がする。でも、ふきんだよね。ふきん、ついでに他のとこも拭いちゃう。で、毎度のように適度にあらう。付け置きしたり、できるだけ洗剤を使わない形で。ティッシュも意外と買う。ふきんはそんなコンスタントに買わない。ティッシュもちょっと使ったら、ポイポイでなくて、ついでになにか拭いて欲しい。ペットボトルは、リサイクルの代名詞になりつつあるような気がする。でも、ペットボトルって、リサイクルしたほうがいいの?自動販売機の横に、リサイクルボックスがあって「環境に優しい」って書いてあったのを見てとても疑問に思う。リサイクルすることが環境に優しい。それってどうなのだろう。ビンなら、洗ってまた使うんだろうって思える。家のグラスを使うみたいに、喫茶店のグラスを使うみたいに誰かが使っても凄い劣化しない。洗えばいいじゃんっておもう。プラスチックは、柔らかいから、簡単に傷がつく。新しいものか古いものかすぐ分かるぐらい。自動販売機の横のリサイクルボックスの中のペットボトル。それらは、そのリサイクルボックスから回収されたらビンと同じように、洗われて同じ飲み物が入れられ、販売されることはない。凄い種類のペットボトルたち。売ったメーカーがまた使うと思えない。必ず、砕き、溶かし、また別の形のプラスチックになる。しかし、元の飲料用の透明なボトルには戻らない。劣化するわけだ。もちろん、現状でペットボトルのリサイクル、結構優秀と聞くけれど本当のところ、リサイクルするよと、リサイクル業者に渡ってしまえばリサイクル業者で廃棄処分にしても(企業ごみとして出しても)、リサイクルされた物として計算されるので、その「優秀」という評価がそもそもとてもいい加減。もし、ペットボトルのリサイクルが本当に優秀ならもっともっとペットボトルからのリサイクル商品が世の中にあふれてなきゃいけない。気がつかないところで、いっぱいある。そういうこともあるかもしれない。でも、分別して、リサイクルボックスにいれたら環境に優しいのか?本当にコストかかってないのか?リサイクルのための費用も、リサイクルのための石油も凄くかかる。リサイクルするから、買いやすくなったって思わない?後ろめたくなく買えるようになってないかな?実際小さいペットボトルは便利。缶ほどの威圧感がなく、気軽に買えて、分別してすてればいい。それってホント?これ、燃えるごみとして捨てたほうがいいんじゃないの?そして、その消費したプラスチックを思い、ちょっと後ろめたく買い控えたほうがよくないかな。で、買ってしまったペットボトルは、大事に使おうよ。捨てるってもったいなくない?と、思う。でね、リサイクルっていうけどまず、捨てない・・・・じゃないのかな。なんだか、リサイクルするから捨てていいって、本末転倒になってないですか?って、最近思います。母は子に言う。物は大切に使いなさい・・・と。
November 9, 2007
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