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昨年の6月の日記にブルゴーニュの葡萄畑を見た後にオルセー美術館で「ミレーの晩鐘(1857
-59年)」を見たのでなければ、ここまでこの絵に感動することは無かったと書きました。そして「晩鐘」に描かれている畑が
ミレーが愛したパリの片田舎バルビゾンの「馬鈴薯畑」であることを知った時、何か意外な感じがしました。
「週刊美術館 ゴッホ」の中で「16世紀末頃にメキシコからスペインにもたらされたジャガイモは救荒作物として
瞬く間に
ヨーロッパ中に広まった」と説明があり、ゴッホのオランダ時代の作品で貧しい食事に代表される「馬鈴薯を食べる人々(1885年)」の絵も紹介されています。
驚いたのはミレーやゴッホが生きていた19世紀でも「馬鈴薯」がその石ころのような外見、伝染病をもたらすという迷信、そしてパンやワインと違って「聖書に登場しない食べ物」として忌み嫌われ「晩鐘」だけでなく「馬鈴薯植え(1861-62年)」を描いたミレーは「卑しいテーマ」を描いたことで激しい批判を受けたようです。
それでは「晩鐘」の前にミレーが描いた「種をまく人(1850年)」の「種」が「神(キリスト)の言葉」の寓意であれば、勿論ミレーが批判を受けることはなかったのかとかこの絵が発表された当時の評価はどうだったのかと気になるところです。
ミレーを賛美するゴッホはミレーが「穏やかにひっそりと神の言葉」を伝え「太陽」を描いていない「種まく人」に対して鮮やかな太陽を描いています。それはまるでゴッホが「神の言葉をまく人に僕はなりたい」と弟テオに切々と手紙に記した気持ちの反映のように映ります。
左:
「クレラー=ミュラー美術館蔵」 右「ファン・ゴッホ美術館蔵」
週刊美術館ゴッホからの画像
左が1888年アルルにやって来て初めての夏(ゴーギャンが来る前)に描いた3枚のうち一番最初の作品で、まるでゴッホの「心の開放」を象徴するように画面全体が鮮やかな色使いで描かれています。
右が1888年の秋から冬頃(ゴーギャンとの共同生活中)に描かれた作品で、色彩が失われゴッホ自身の心を描いたような苦悶の表現へと変化しているのがとても興味深いです。
「弟テオへの手紙に描かれたスケッチ」
余談ですが、インドネシアから日本へジャガイモがもたらされたのは17世紀初めで、勿論キリスト教国家ではなかった日本では「忌み嫌われる~」ということもなく、特に江戸時代の飢饉では多くの人の命を救ったそうです。「所変われば~」を実感します。
画家「
ゴッホ」は知れば知るほど興味が沸々と沸き起こって来て、ゴッホを訪ねる「オランダ旅行」は是非実現させたいと思っています。
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