星の国から星の街へ(旧 ヴァン・ノアール)

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2024.07.03
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カテゴリ: 読書 原田マハ
 芸術新潮4月号に掲載の 「原田マハのポスト印象派物語」 ​​で画家ゴーギャンが一時期住んでいたフランス北西部ブルターニュ地方にある「ポン=タヴェン」について詳細がありました。ブルターニュと言えばクレープのような伝統料理「ガレット」とりんごを原料にしたシードル酒のイメージしかなかったのですが、この地方は元々は南イングランドから主にケルト民族(ブルトン人)が異文化と共に移り住んだ場所で商売上交流のあったナントやボルドーから来た人達からフランス語を学んだそうです。ほとんどがやせた土地と日照時間の短さから小麦や葡萄は育たず替わりに「そば」と「りんご」を栽培し、そば粉が原料の「ガレット(小石の意味)」が郷土料理となったという事に納得です。     

 ポン=タヴェンに話を戻すと1864年に画家としては最初にやって来たアメリカ人によってパリにいた画家たちにも知られるようになり、ゴーギャンは1886年にパリの物価高から逃れるようにこの街に移り住んでいます。この年には既に​​
村人1000人に対して画家の数は100人ほどで、この地で活動した画家たちの総称「ポン=タヴェン派」にもこの町の名前が使われています。
​​​
 ゴーギャンの求心力もあったのかモネやルノワール等の「印象派」の絵画に行き詰まりを感じていた若い画家が異文化に新たなインスピレーションを求めて更に集まり、ポン=タヴェン派から枝分かれするように「ポスト印象派」を代表する「総合主義」や「ナビ派」が生み出されていきます。


ポール・セリュジュが描いたアヴァン川  原田マハ氏が執筆のために訪れた実際のアヴァン川

 ゴーギャンが生み出した「総合主義」は​​​
見た風景や人物をそのまま描くだけでなく 絵画にもっと精神的なものを織り込ませる事を唱えたもので、ゴーギャンの絵の長いタイトル、添えられた宗教的、哲学的な言葉にもそれが表れています。もう一つの「ナビ派(ナビは預言者の意味)」の祖と言われる「ポール・セリュジュ」にゴーギャンが与えたアドバイスは「川の色でも木の色でも自分に見えた通りの色で絵を描いたら良い」だったそうで、その教えのままに描いた絵がパリでも大評判となったそうです。

 ポン=タヴェンの観光名所としてゴーギャンの絵画を彷彿させる「ゴーギャンの道」や後に黄色いキリストを描くヒントを得た「トレマロ礼拝堂」が挙げられていました。ゴーギャンはこの地に移り住んで2年後にゴッホとの共同生活のためアルルに移ったものの、例の「耳切事件」の後またポン=タヴェンに戻り、そこからタヒチへと向かいこの地で生み出した総合主義の絵画を更に昇華させる事になります。





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最終更新日  2024.07.03 11:28:46
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