3 50 年間立ち続けた教壇を降りた。一つは、気力、体力ともに「教える」という事、そして自分なりに「これが私の授業」と言えるレベルが保てなくなったということが大きい。
それから一か月が過ぎた。今は、「毎日が日曜日」にならないようにしている。
一つはバスで通える大学の聴講生になった事。春と秋の二期制で、講義は一コマだけ、百分。春学期のテーマの中から選択したのは、「ウクライナとバルト三国」この二つの地域、国家のロシアとの関係。
二次大戦の時にソ連軍とたたかったドイツ兵を英雄としてたたえる人たちが現在も存在している。それは、「ドイツ兵は自分たちをスターリンの暴虐から守ってくれたから」という理由に依っている。
ある時期までは、ナチスドイツがユダヤ人に対してくわえた計画的虐殺は「ホロコースト」と呼ばれ、「何物にも比肩できぬ歴史的悲劇」とされてきた。
しかし、それに対して異論が提出される。スターリンによる「粛清」である。
当然のことながら、「どちらがよりひどかったか」という比較の問題ではない。ただ、西欧を中心としてそれまで確固たるものとされてきた「ホロコースト」唯一論が揺らぎ始めたのは事実で、現在では、同等の悲劇として認定されつつある。
そして、ロシアのウクライナ侵攻以後、様々な「ウクライナ本」が出版されてきたが、その中にみられる「ウクライナ千年の歴史」という記述はただしいのかという問題。
この場合の「ウクライナの歴史」というのは、「ウクライナ人の歴史」なのか、「ウクライナ国の歴史」なのか、「ウクライナ地域の歴史」なのか ?
ウクライナという国が最終的に独立したのは、ソ連が崩壊した 1991 年。しかし、例えば中公新書の『物語 ウクライナの歴史』では、確か、スキタイ民族にさかのぼって「ウクライナの歴史」と認定している。その後の黒海沿岸のギリシャ人の植民市も「ウクライナ」に含まれている。
これに対する批判としては、「プーチンの大国主義的言辞への義憤とともに、往古の「ウクライナ人」国家の存在を所与としたうえで、周辺大国 ( ポーランド = リトアニア、ロシア帝国 / ソ連 ) による多年の支配に抗して民族精神と文化を育み、近世以来の幾度もの闘争を経て独立を達成したという、ロマンティックな歴史像も盛んに流布されている」というものがある。ただ、この現象に対しては「擁護の余地もないような侵略に対して抗するためにはこのような「物語」も必要ではないか」という指摘もある。
ウクライナについても、バルト三国についても表面的にしか調べていなかったので、目からウロコの日である。
二つ目は家事。夕食担当。献立を考えて冷蔵庫の中の食品の在庫を調べて必要な食材の買い出し。製作から片付けまで。
三つめは地域の「九条の会」。企画を考えて、一緒に活動してくださる方を募りたい。
四つ目はやはり読書。放っておくとやはり社会科学系のものに偏りますから、図書室の司書の先生にお薦めの本を訊ねています。
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