ウチの家は昔からずーっと犬を飼っているのですが、その中に阪神大震災のときに家のあちこちにヒビがいったりしたのでその改修とついでに改築をした時にその大工さん?が連れてきた犬で『ドナ』という名前の犬がいました。今までうちにいた犬は私が覚えている範囲ではすべてメスだったのですが、はじめてのオス犬であるドナのやんちゃなことやんちゃなこと。家の塀に並べてある瓦は落とすわ植木鉢はひっくり返すわ、落ちてる洗濯物を噛みまくってビリビリにするわ、どんなに厳重にバリケード作ってもありえない奇跡の大脱走するわ、本当に大変な犬でした。
でも私はそんなドナを一番かわいがってました。
ドナは今までの犬で一番、私たち家族に愛着を示してくれたような気がするのです。もう、私たちの顔を見ようものなら尻尾をひきちぎれんばかりにふってとびついてくる。少しでも声をかけようものならひっくり返って喜ぶ。特に私はよく散歩に連れていっていたので私を見るといつも期待するように尻尾をふってワンワン言っていたのでそれをいつも微笑ましく見て、たまに本当に散歩に連れていくときは驚かせてやろうと意味もなく散歩用の紐を後ろに隠して急に見せる、みたいなことをやっていたのですが、それをやるといつも狂ったかのように走り出して喜ぶドナをみていつも笑ってました。
私が島根に来てからもそれは変わりませんでした。私は当時していたアルバイトの都合で長期休暇でも2~3日しか帰らず年間でも1週間帰ることはなかったぐらい実家にいることはなかったのですが、それでも私のことを忘れず、久しぶりに見た顔をおおはしゃぎで迎えいれてくれるドナに嬉しくて島根に来た後もたまに散歩につれていってました。
そんなドナの雲行きが変わったのは、うちの親が新しい犬を飼いはじめた時から。どこからかもらってきたという新しい犬「キャシー」はコリー?というのか私はくわしくないのでよくわからないのですが足が短くて胴が長く、チョコチョコ歩く毛並みのいい、まぁそういうのに興味がない私に言わせても見た目のよい犬です。しかも名前からわかるようにメスで、さらに室内犬として育てられたせいか、性格がとても大人しくて大変飼いやすい。そんなこともあって両親ともにあきらかにキャシーの方をかわいがりはじめました。両親だけではなく近所の人も弟もブラシをあててやったり散歩につれてやったり、キャシーのみにかまうようになってました。
一方ドナはというと、今まで共働きで日中家を空ける両親の変わりに私たち子どもの世話と犬の世話を一手にひきうけてくれていたおばあちゃんが体を悪くして東京の叔父のもとへ言ってからというもの「家においておくと吼えたり逃げ出したりして近所に迷惑がかかる」という理由からかあの尼崎の父の会社に連れられていき、しかも夜も週末もたったひとりぼっちで大量のドッグフードだけを置かれて置き去りにされるという扱い。それでも私たちが会社にいくといつも嬉しそうに尻尾をふって迎えてくれるのは相変わらずでした。
そのドナが死んだのは去年の春先だったと思います。
帰ったとき、親父が「ドナが調子悪そうだ。」と言いました。私たちが会社に行った時はもう尻尾をふって飛びついてくることもなく、へたり込むだけ。体も痩せてました。その日は金曜日だったので週末二日間、このドナをここに放っておけない、家に連れて帰ろう、そう親父に主張したのですが聞き入れられませんでした。
月曜日の朝。倉庫の中で汚い布切れに身を包んだドナは目を覚ましませんでした。寒かったのでしょう。機械を拭くための油まみれの布切れの入った箱に入ってちっちゃくなって死んでいました。長年過ごした宝塚も新参に奪われて帰れず、あんなに散歩が好きだったのに鎖につながれほとんど身動きがとれず、こんな暗い倉庫の中で寒さに震えながら誰にも看取られず、ひとりぼっちで死んだドナが私は、不憫で、可哀想でなりませんでした。そんな私を横目に「死んだか。仕方ないな。」というようなそぶりの親父にさすがにムカついたのでこう言いました。
「こんなひどいことをする人間は、いつか同じようにひどい死に方をすることを覚悟しておくことだな。」
ドナを宝塚で飼えなかったのは確かに私が信条とする「合理的」理由だったのかもしれません。しかし、10年以上、私たちにただひたすら愛着をむけてくれたドナの最後をかくも無残なものにしたのは未だに親父のせいだと思っています。これは未だに、これから何年経っても許せそうにありません。去年の12月、「お前はもっと優しい人間かと思っていた。」と言われたとき、どれだけ「アンタ達にだけは言われたくない!」と怒鳴りたかったか。ドナはその日のうちに宝塚に連れて帰り、庭の端に私の手で埋めてやりました。死んでようやく宝塚の家に帰れたなんてのはやはり今考えてもおかしい気がします。
キャシーは今でも近所のアイドルです。エサも世話もいろんな人からしてもらい、親も旅行の時はいつも連れてまわってます。この前は島根にも連れて来ました。私が怒って泊まらせなかったら親父は怒ってましたが、まったく予告なしだった以上に私がキャシーがキライなのもあります。
そして、私が実家に帰った時のキャシーは相変わらず愛想のない犬で、もうさすがに家族だと知っているので吼えることはありませんが「ああ、いたの。」みたいな素っ気無い猫みたいなそぶりはどうしても好きになれません。親や他の人間がどうしてあんなに可愛がるのか、それが見た目のせいだとすればみんなマジで最低だと思います。
だから私はいつもキャシーを見ると思います。
「お前はいいな。愛さなくても、みんなが愛してくれる。
ただ、俺はお前みたいな奴が大嫌いだ。」
ドナは私の顔を見ただけで本当に喜んでくれた。それが本当に嬉しかった。そんなドナが私は大好きだった。人でも同じように私の存在を喜び、愛してくれる人がいてくれることを本当に嬉しいと思う。だから誰に何を言われようが私は私なりのやり方で大切に扱う。でも何かの理由で離れなくてはならなくなったとき、私は「仕方ない」の一言で済ませない。できること最後までして、悲しむ。
そして、キャシーのように、愛されることをさも当然、と考える人間は大嫌い。
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