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『人事の三国志』 渡邉義浩 著今日からこの本の感想を少しづつ書いていきたいと思います。【はじめに 3~4 ページ】人間関係という言葉が目に付く。渡邉先生といえば一部では「名士先生」と呼ばれるお人である。はじめにの文章内では出てこないが、目次ではお題に出ているので名士というものに着目した記事が本書に出てくることは想像に難くない。名士という言葉は出てくるものの、「豪族」「名族」「士大夫」などとの区切りが曖昧な「名士」は、それが名士すべてにつながるものかといえばそうではないので、名士という言葉一つで片付けられないと思っています。【第一章 人脈の作り方 1情義 6~10 ページ】いくら三国志だからと言ってフィクションである「桃園の誓い」から語り始めるのはいかがなものかと思う。それに劉備は草鞋(わらじ)や蓆(むしろ)を売って生計を立てていた下層部の出身といているけれど、先主伝を読むと代々郡の役人となった一族で祖父は孝廉に推挙され県令にまでなった人物である。とても下層部の一族とは思えない。本書の劉備に関するこの記事は少し先入観が強くないかな?人事の三国志 変革期の人脈・人材登用・立身出世 (朝日選書) [ 渡邉義浩 ]
2019年10月26日
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【111ページ ~ 】朱然墓の出土品漆器の中に皇帝とされる人の宴会の図案があるということで単純に孫権だろうと考えていたのだけれど、これを読んで単純に孫権を題材にしてるとは限らないと気付かされた。ただ「○○氏の言う顎がしっかりしているから皇帝である孫権であろうというのは、顎がしっかりしているとかしていないとか言われても判断に苦しむばかりだが」というくだりには笑ったw【172ページ ~ 】長沙走馬楼呉簡軍隊への食糧貯蔵や配分だけではなく、民間への配慮も考えられた食糧貯蔵計画がなされていたことがよくわかりました。この発見された長沙呉簡の時期といえば諸葛恪が節度の官を拝命していた時期と重なるわけで、諸葛恪がこういった文書に目を通していたと思うと感慨深いです。あとは涼州と諸葛亮の北伐の関係についての項目が残るだけですが、これにて「三国志の考古学」の感想を終わります。また後日、別の本や何かの感想を書いていきたいと思います。
2019年10月13日
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【64 ~ 68ページ】「魯潜墓誌」という五胡十六国時代の後趙における石碑に曹操高陵の位置が記されていたというのは初めて知った。近年見つかった曹操高陵は位置的な裏付けもあったわけだ。戟や矛があったから有力となったというだけではなかったのだね。【69 ~ 86ページ】曹操高陵の否定論。理由は色々あるね。曹操常用の戟や矛は名を借りた魔除けの副葬品だとか”魯潜墓誌”が偽作なんて説もあるんだ。そこまで言うときりがないんじゃないかなって思うよ。そういえば曹操常用で思い出したんだけれど三国志の中の朱霊の記述で「常」を ”つねに” ではなくて ”かつて” と読むという話を聞いた。もしかして曹操常用の戟や矛も ”つねに用いていた” ではなくて ”かつて用いていた” と読むのかもしれないなんて思ったよ。結局はどちらでもいいような気もするけれどw三国志の考古学 出土資料からみた三国志と三国時代 (東方選書 52) [ 関尾史郎 ]
2019年10月12日
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【27ページ】刻字塼の説明”粘土を固めて乾燥させたもの”を読んで思い出すのが漫画『乙嫁語り』8巻にあるこのシーンおそらく作り方は同じじゃないかなって思う。三国志展でも最初の方で展示されていた曹操の一族の墓の埋葬品でも刻字塼が展示されているし、一番短い三国志のアレもそうだった。東京国立博物館の三国志展が行われていた同じ館内の常設展日本の古代遺跡の展示にも日本の刻字塼が展示されていて、そこには”粘土を固めて乾燥させて作られた煉瓦や瓦”と説明されていたと思った。三国志展では《塼をは何か》というのを説明していなかったと思うので塼の意味の説明をしてあったほうがいいなと思った記憶がある。三国志の考古学 出土資料からみた三国志と三国時代 (東方選書 52) [ 関尾史郎 ]
2019年10月09日
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三国志の考古学 出土資料からみた三国志と三国時代 (東方選書 52) [ 関尾史郎 ]【25ページ】紹介されている袁牌坊村二号墓出土の石碑の形を見て思い出すのは三国志展で展示されていた石碑「毋丘倹紀功碑」を思い出すんだけど、写真を引っ張り出してみたらそんなに似てなかった。「毋丘倹紀功碑」
2019年10月08日
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【6~8ページ】曹操の曽祖父の曹節の逸話にある豚を盗まれた話。たしかに曹節自身が豚を盗んだ犯人である隣人に対応したというのであれば地域の名士と呼ばれるほどの豪族ではなく一般市民とそうかわらない家庭であったかもしれないというのはうなずける。【9ページ】曹操の祖父から親の代の兄弟系図が載ってるのは有用曹操の祖父である曹騰の兄弟はほぼ知らなかった。系図を見てそんなにいたんだと驚いたくらいだった。三国志の考古学 出土資料からみた三国志と三国時代 (東方選書 52) [ 関尾史郎 ]
2019年10月08日
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