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久々、Weinland氏のサイトから、 MAY 27, 2012Written on April 29, 2012 As readers of this site know, May 27, 2012, is the time that I have stated as being the date Jesus Christ will return as King of kings over all government on this earth. For such an event to come to pass, the Trumpets of Revelation must all sound, the United States and dollar collapse, the ten nations of Europe arise to fulfill the final revival of the Holy Roman Empire, and Russia with China must unite against Europe in WWIII. (長いんで、興味のある人は、Web翻訳で見てチョ、)要は、間もなく(5/27)、キリストが再臨する、但し、その前にWIIIがあるから、気をつけよう、ということらしい、*氏はこれを、あらゆるバッシングを受けながら、4年前から言い続けているところがスゴイ!?いつもなら、アッソー、で終わるのだが、(しかも、5/27って、今月ジャン!?)何気に、このWIII(第三次世界大戦)、最近、ドーも、キナ臭い匂いがするので厄介だ、KFC横浜の唐沢さんとこの4/30の記事見ると、 CLIP:Rumors of War III (4/25)*(余談だが)ちなみに唐沢さん、世の中の教会の教職者制度は似非制度だと喝破、ある意味、内村鑑三と同じ教会観(無教会)をお持ちの方、これはいまや、世界の潮流となりつつあり、J.P.JacksonやG.Edwardなどが啓発を重ねてきている、氏は国内では、既存(教職者制度の)教会から、スゲー、バッシングを受けているが、ひるまない、毎日、ジムで泳いでいるところに、好感が持てる!? GBTVの75分番組で特集を組んで、先週放映されたが、 米国では、WIIIの準備が整いつつあるのだとか、これと、上のWeinlandの記事が重なる、氏いわく、WWII lasted nearly six years with a death toll that is estimated to have reached 60,000,000 people. It is a horrifying truth that a 5 megaton weapon contains more explosive power than all the explosives used during WWII. What massive death could follow such an explosion in any large city of the world from simply one such nuclear device? The truth is, in one day humanity can erase itself from the earth. (5/27までアト4週間しかないと言うなかれ!)現在の世界の核保有量5メガトンを考慮するなら、世界が吹き飛ぶのは一日で充分、 今の時代、戦争と言うのは、WIIのような長期戦じゃなく、一瞬の出来事だと言うんだが、それは納得ではある、核の爆発力のみならず、インターネットや、電力/金融/輸送システムの崩壊で、あっと言う間の希ガス さて、どーなるやら??ところで、気になったのが、5/27、この一週間前の5/21、日本では、例の金冠日食が観測される、東京を通るのは137年ぶりだとか、これで、個人的に感じたのは、 島原の乱で3万人以上が玉砕、 多くの血が流されたのが1638年、その冬の凍える(冬至の)日、真っ赤な皆既月食が観測された、*2000年間で、この年だけしか冬至の皆既月食はない、それと、同じ冬至の(赤い)皆既月食が現れたのが、2年前の12月22日のこと、(372年ぶり)そして昨年は、12/10に皆既月食が現れている、ここで、(ヨエル2 :31)を見ると、 「主の大いなる恐るべき日が来る前に、 太陽はやみとなり、月は血に変わる。」 これって、今回、スケジュール的に合っていないだろうか? 太陽はやみとなり-->(今月の金冠日食)2012/5/21月は血に変わる-->(昨年末の皆既月食)2011/12/10 -->及び一昨年の冬至の皆既月食2010/12/22この後、主の恐るべき日が来る!?仮にその恐るべき日が5/27だったら、スゲー合致しているんだけど、 アト、もう一つ、今回の金冠日食だが、日本の首都の真上を通ると言うこと、2012年5月21日 日本各地で金環食(金環日食)が見られます! 時期的に、これって、ひょっとして、 日本に対する神様のProtectionじゃないかって、前回の2つの赤い皆既月食が、2011/3/11で流された血の、弔いの予表(2010/12/22(冬至))及び、実際の弔いの象徴(2011/12/10)、今回の首都直上を通る日食は、災いの炎(太陽転じてWIII)から守られる予表ではないかと、拡大出エジプト記で、イスラエルの民が、家の門前に羊の血を塗ったカモイをつけて、神の災いを避けたと同じく、 参考) (過去ブログを新しい順で、)赤い月、地震、殉教者 原の城に(2000年に一回の)冬至の皆既月食が現れる冬至と皆既月食(赤い月) 続)皆既月食、日本だけじゃなかった皆既月食、1:400の奇跡
2012年04月30日
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今朝起きたら、腰が軽くなっていたので、オッ、治ったか!?が、イスに座って、しばらくしたら、又、痛くなり、仕方なく、十字式大船へ、メチャクチャ混んでいて、待つこと80分、施術は2分ほどで終わったが、その時は取れた痛みが、部屋を出る頃には、もう再発してた、で、帰りがけに思った、これは、普通の痛みではないな、おそらく、座り方が悪かったから、とか言う理由ではなさソー、上からの”警告”ではないかって、思い当たるのは、スイム、毎日2kで、今月、40k以上の距離を泳いだことになる、力が抜けているため、泳げてしまうのだが、やはり、ナント言うか、コー、過ぎたるは及ばざるが如し、疲労も、知らないうちに、かなり体に溜まっていたのではと思う、で、今日はもう、1kペースに戻した、 痛い目に会わないと、わからないのは、相変わらずの話、
2012年04月30日
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一昨日から、右腰の後部に違和感がある、ドーモ、例のマンネリズム何たらを、背もたれつきのPCチェアーで、仰向けになって、寝転んで読んでいたのが原因では、と勝手推測、目下の問題は、前屈がしにくくて、靴下/靴がはきにくいこと、これはほんとに困る、(とは言っても、ジムにはしっかり行っていて、2kスイムのペースは変わらないのだが、)で先ほど、昔の骨盤の歪みをチェックしていて、ここがポイントではないかと、後ろから見る仙骨と腸骨の継ぎ目の仙腸関節、 前から見るこのように、くっついている、 ここは、以前もよく、ずれて、痛んだ箇所で、そのつど、十字式で治してもらっていた、最近は調子がよくて、ほとんど痛みがなかったのだが、 やはり、悪い座り姿勢は、 骨盤を後傾させてしまい(右図)、 仙腸関節に負荷をかけ、ずれの原因となると思われ、 ここは、昨年11月に、自分でミニストリーしたのを思い出し、寝静まり、フトンに入ったあと、 早速、骨盤の左右のバランスを修復すべく、 自分の左右骨盤に両手を当て、そっと命令してみた、「左右均一になれ!」 ーー>何も起こらず、「治れ!」 ーー>何も起こらず、「伸びよ!」 ーー>何も起こらず、 「まっすぐになれ!」 ーー>ピクピク動き始める、オッ来た、とばかり、 続けざまに、同じ命令を数回繰り返す、これから、寝ながら、やってみようと思っている、だめだったら、月曜は大船会場に村井先生が来るので、お邪魔しようかと、
2012年04月29日
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Update2(礼拝(賛美)の極意、追記) 芦屋教会の週報で、ちょっと気になった、理由は、今週、先週と、テーマがラテン語賛美だったから、もう少し、付け加えると、ラテン語賛美の擁護だったから、先週(4/22)は、主をさんびすることは私のよろこびです。しかし、ラテン語さんびはそれままったく縁のなかった言葉だったので戸惑うばかりでした。英語の時も少し戸惑いましたが、それでも英語はまだ馴染みがあり、なんとか遅ればせながらもついていきました。ラテン語のさんびが歌われ始めた頃、夫が亡くなり、一人で高齢の義母を介護しなければならなくなったため礼拝にもあまり出られなくなりました。そんな状況の中、たまに礼拝に出席すると、私の知らないラテン語のさんびが次々と歌われていて、礼拝のよろこびは半減、まるで字幕スーパーの映画を見るようで疎外感さえ感じました。(中略)ピーター先生や美津子さんは、「分かっても、分からなくても良いから歌いなさい」と何度も言われますが、私がこんなに苦しんでいるのに何を言っておられるのだろう、と少し横目でいじけて聞いていました。しかし、ほんとうにその通りだったのです。今主から与えられているさんびには、私たちの小さな頭では計り知れないほどの力があると思うようになりました。分かろうが分かるまいが、ラテン語であろうが何語であろうが、私は歌います。今、この時だから、遅ればせながらさんびします。させて下さい。そう祈れることを主に感謝します。 (by 信徒リーダー)今週(4/29)は、ラテン語のさんびが分からないと嘆く人がおられると聞きましたが、さんびは言葉の理解がなければならないというものではありません。さんびの心をうたう─ひびきに心を合わせることによって、主にさんびを捧げることができるのですから。 (by 教会賛美リーダー) ”外国語の賛美を外国語で”、 このテーマ、古くて新しい、かつて、Vineyard教会の礼拝賛美が流行った時期がある、原曲は、もちろん英語、で、これを一般の礼拝で使う時は、すべて、日本語に訳出した、賛美は現地の国の言葉で、これが(福音)土着化の基本原則だったから、但し、英語を理解する日本人は別に構わない、ホントはこれがベスト、霊のメロディーに、(理解できる)歌詞が伴うなら、外国語だろうと母国語だろうとOKだろう、自分も、聴くのは、もっぱら英語の賛美曲ばっかりだったし、 問題は、一般礼拝では、老人、子供、新来者など、外国語を理解しない人が多いということ、しかし、仮に、訳しても、英語の微妙なニュアンスを、日本語で表現するのは、至難の業とも言える、 そこで、当時の賛美リーダーの、会衆への決まり文句は、 「歌詞を歌うこと以上に、心を主に向けてください、」 <ーー(ココンとこ、ヒジョーに大事!) (この案内に救われ、) 礼拝賛美が乏しかった当時、日本語訳が少々まずくても、Worshipのメロディーが良くて、よく日本語訳賛美が歌われたものだ、*それで、歌詞が良いと、尚、良かったわけだが、 さて、今回、期せずして、2週連続で、このテーマが出てきたのは面白い、私個人の見解は、賛美は現地の言葉で、の基本原則が生きている、*但し、個人的に賛美する時は全く別、何語でも、もちろん異言でも構わないわけで、 そもそも、信徒リーダーでさえ、ラテン語賛美に悶々としているのに、一般信徒が悶々としないわけがない、Vineyardの礼拝賛美曲を日本に紹介した時、向こうのWorship Leaderいわく、「今は、まだ、礼拝賛美が紹介されたばかりなので、Vineyardの曲の日本語訳でいいですが、最善は、日本人が、メロディーを聖霊に導かれ、それに日本語の歌詞が付けられ、主に向かうことです、」 この想いは今も変わらない、”賛美曲のメロディーも歌詞も日本人”、”外資系賛美ではなく、民族系賛美”、 これこそ、礼拝賛美土着化の大原則だと思っている、 (余談)芦屋教会の場合、賛美曲はオリジナルで、主から賛美リーダーに(メロディーが)与えられるらしいのだが、如何せん、代表者がラテン語に堪能なところが悩ましい、参考:Vineyard賛美(英語) *サンプル:You're Worthy Of My Praise - David Ruis & Indigika Change My Heart Oh God by Eddie Espinosa (Vineyard日本語ワーシップ) 芦屋教会賛美 *サンプル:Pater Noster-The Lord's Prayer追記)この日記を書いたら、ノートPC(Dell-510)がご臨終になってしまった、ナンカあるのかなー? 更新日時 2012年4月29日 1時38分24秒 追記2) Worship(礼拝)で、当時のイロイロな思いがやって来た、何よりも、自分にとって、(当時)新鮮だったのは、歌詞を歌うこと以上に、口で歌うこと以上に、心を主に向けて、心で主に歌っていたこと、それ故、うまい、へたは全く関係ない、 このコツを会得してから、もはや、賛美の曲は何でも良くなってしまった、聖歌、賛美歌、何でもござれ、 だから、今朝の週報の、(由紀さおりの例で、)歌の心が伝わるということでしょう。言葉の理解を越えた世界のことです。 ここでアナウンサーが問いました。 「これまでも、たくさんの日本人の歌手が、アメリカで歌ってきましたが、ほとんど受けなかったのは、どうしてでしょう?」「人を見ているからですよ」 これだけでは通じないと思ったのでしょう。彼は言葉を足しました。 「アメリカ人に受けるために歌うからです。よろこばれるにはどう歌ったらいいだろうと、アメリカ人ばかり見てきたんですよ」 は良く理解できる、由紀さおりは、人に聞かせるために歌っていない、自分の心(思い)を歌っている、これは、礼拝賛美とヒジョーに良く似ている、 歌詞を歌うのではなく、人に聞かせるために歌うのではなく、上手に歌うのでもなく、誰に歌うかにのみ焦点を当てる、これこそ、礼拝(賛美)の極意である、
2012年04月28日
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羽鳥操さんの日記を見ながら、 深読み!「原初生命体としての人間」 5 大地との一体感の話(戦後の話) そして新宿の焼け野が原に立ったのだという。 その経験によって、「大地と自分が一体」になる実感を、先生は得たのだ。 その後、時間をかけて先生のなかではその思いが熟成していった。 「生命を遡ると地球ができるところまでいってしまうんです。岩石・鉱物から原初の生命体を考えざるを得ないわけです」と。 人(野口氏)の感性はすごい、生命を遡ると地球ができるところまで行ってしまう!? 岩石・鉱物から原初の生命体を考える!? インスピレーションで、人類の起源にまで遡ることができてしまう?神は人の体を土のチリから造られ、その鼻に命の息(=霊、Spirit)を吹き込まれると、人は生きた魂(Soul)となった。(創世記2:7の直訳)更新日時 2012年4月28日 11時35分16秒追記)生命の起源が鉱物というのを見て、昨年亡くなった父母の、斎場での収骨を思い出した、 そこには、ただ骨(Ca)が残っているだけだった、
2012年04月28日
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スッカリ、重力にはまっている、特に重力を意識したウォークでは、自分のウォークの総仕上げが、いよいよ来ているのではないかと思えるほど、が、以前(半年前だが)、この重力お任せウォークは、今の自分に満足する、Zero Gravity Walkで、少しだけ体験済み、 骨盤で足を引き上げて歩くため、 足自身の重さをまるで感じない、 このZero Gravityの軽快さから来る満足感を、 他で見出すのは、今のところチョッと難しい、骨盤で引き上げる、と言う動作は、筋肉を使わないと言う意味で今回と同じ、今回、それに加えて、Gravity/重力が、動作(動力)の源泉として、意識にハッキリと入ってくる、先日、力を抜くヒントで、「だから、体を動かす時は、 重さを地球の中心に流し込むような感覚が必要になる、」 とあったが、これが、今回、深く心にきた、そこから、歩きのリズムが地球の鼓動と合致して、ユッタリとしたウォークへ変わる、 *実際、地球に鼓動があるかどうかわからないが、そう思えた、そしてこの時、(同時に、)自分と地球との一体感も出来上がり、重力が、(あるいは地球が、)自分の味方、自分の一部と思えた瞬間、何がしかの呪力からの解放も、フト感じてしまった、
2012年04月27日
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重力をチェックすると、 重さとは「重力」のこと。「質量×重力加速度」で決まる力である(キログラム重kgw=9,8Nと言う単位を用いることもある)。すなわち、質量が同じでも、【重さは】重力加速度が変われば変わる。たとえば、月の表面の重力加速度は、地上の重力加速度の約1/6であるから、地上の地中が60kgw=588Nの月での体重は98Nとなる。月面を歩く宇宙飛行士が、軽々と飛び跳ねるような動きをするのはこのせいである。 重力加速度の例、 天体の重力加速度 ナルホド、 天体の大きさで、重力加速度も変わるので、重力は、何処も同じわけではないと、ココで、 地球の誕生(久保有政氏サイト)を見ると、 ところで、地球が大気を持っていることは、 当たり前のように考える人もいるかもしれませんが、 必ずしもそうではありません。 大気を持っていない星はたくさんあります。 例えば、地球の衛星である月は、大気を持っていません。 月の直径は質量も小さく、地球の一七%の重力しか持っていません。 そのため月がもし大気を持っても、 弱い重力のために大気を引きつけておくことができず、 すぐ散ってしまうのです。 地球が大気を持つことができたのは、地球が充分な質量を持っていて、 大気をとらえておくだけの重力を持ち合わせていたからです。拡大 ですから、もし地球がもっと小さいものとして創造されていたら、 地球は大気を持つことができなかったでしょう。 米国バークレー校の生化学教授デュアン・T・ギッシュ博士は、 こう言っています。 「地球の大きさを見る時、その質量や大きさは、 実に理にかなったものであることがわかる。 もし、地球の直径が一万二八〇〇キロでなくて、 一万一五〇〇キロだったとすれば、 大気圏の減少によって、ほとんど地球全体が、 雪や氷の荒野と化していただろう。」 すなわち、地球がほんの一〇%小さくなるだけで、 この地球上に生命が生息することは、まずできなくなるのです。 大気の存在条件から考えても、地球の重力(引力)って、すごく影響力大、ある意味、(引力をつけるために)大変な確率で、地球の大きさは決められている!? で、さらに重力を見ていったら、これがあった、重力と恩寵―シモーヌ・ヴェイユ 「重力」に似たものから、どうして免れればよいのか。ただ「恩寵」によって、である。「恩寵は満たすものである。だが、恩寵をむかえ入れる、真空のあるところにしか入って行けない」「そのまえに、すべてをもぎ取られることが必要である。何かしら絶望的なことが生じなければならない」。真空状態にまで、すべてをはぎ取られて神を待つ。苛烈な自己無化への志意に貫かれた独自の思索と、自らに妥協をゆるさぬ実践行為で知られる著者が、1940年から42年、大戦下に、流浪の地マルセイユで書きとめた断想集。重力と(神の)恩寵ーー、こんなとこに、重力が出てくるとは?? その書評コメント欄(amazon)に、こんなのが出てた、神に真に出会うためには、「神」を否定しなければならない。それこそがリアルな神秘への道だ。重力って、 普段感じないだけに、とっつきにくい、 そこで、シモーヌヴェーユ(上のコメント)にあやかって、(神を重力に置き換え、)重力に真に出会うためには、「重力」を否定しなければならない、としてみる(といいかもしれない)、さっき、スーパーへ買い物に行った際、もし、重力がなかったら、ドーなるんだろう? とズット考えながら、歩いた、するとそれは、普段の歩きとは一線を画したものとなる、なぜなら、ナント、重力を否定すると、逆に、重力が出てきてしまったからだ!? 結果、重力によって、いや、重力だけによって、足を動かしていた、ヒジョーにユックリとした足取り、 (重力を否定したにもかかわらず、)かつて、これほど重力を考えながら、且つ、重力によって、歩いたことはない、脱力(力を抜くこと)のコツを少しだけ体感、 更新日時 2012年4月26日 18時30分28秒
2012年04月26日
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動きの源泉は重力にある、というのは、まさに、目からうろこ、コロンブスの卵、ひょうたんからこま、動きとは、 意識によらず、筋肉によらず、ただ、重力による、 *ゼカリア(4-6)も言っている!?能力によらず、権力によらず、ただ、私の霊による、で、重力がない場合、そう、無重力ではドーなるか?を考えると、いいかも、 おそらくあらゆる動作は、存在しなくなるのではないか、 あるいは、動作不能か、 ってことは、重力が人の動作の源泉と言うのは、まんざらでもない、希ガス、 いや、もっと深いかも、重力が動作を作っている、とか、ところで、重力の起源について、こちら、学研キッズの質問コーナーを見ると、質問:「引力,重力はなぜあるの?」 答え:引力がなぜあるのかということは、地球上のだれに聞いても満足な答えが返ってこないでしょう。しかも、この問題は当分は解明(かいめい)できないような大問題です。わかっているのは、引力という力がこの宇宙には存在するということだけなのです。この宇宙には引力という力があるということを、あたりまえのこととして、受け入れるしかありません。 (ハッキリと、神が創った、って言えばよさそうなものだが、)改めて、神さまはスゲーわ!!今まで、重力なんて考えても見なかったけど、重力なかったら、人は活動そのものができないジャン!? 追記)それと、無重力で気づいたけど、水中って、 ほぼ無重力だよね、 これは、泳ぎのヒントになりそうな、
2012年04月25日
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Update3(ステップが中心に届く、追記)先日、 力を抜くヒント、「地球を踏む」から考えるで、 地球の中心から出ている手によって、 自分の足をつかまれ、 右足、左足の順で、 歩かせてもらっているようなイメージが来た、と言う体験をしたが、 さっき、これで実際、下から支えられて、歩かせてもらう感覚になった、 ナント言ったらいいか、一人じゃないよ~ ♪歩く時は~ ♪ 野口氏も言っていた、・人間が人間であることの基礎感覚は、 地球の中心との「繋がり感覚」である。 これまでの一人ウォークとは異なる、 この安心感、安堵感、気楽さ、力のかけ方が、これまでと、まるで異なる、 いや、異質である、 自分は、支えに合わせて、足を前に動かすだけ、 名付けて、”二人ウォーク”、 で思った、ナルホド、ウォークの脱力とは、歩き方の物理的テクニック(*)以上に、*アウターエッジ、あおり足、踵荷重、etc etc、 (任せる)相方がいる時、その安堵感(安心感)から実現するのかと、 追記)さらに、地球の中心から伸びる手によって支えられるため、地球と一体になっている感覚も来た、 更新日時 2012年4月24日 16時38分6秒 追記2) その下からの支えの手だが、さっき、ジムから帰ってくるとき、地球の中心から、まっすぐ、オレの足裏に届く、竿(竹馬の足)のような感じがした、結果、地球の半径を、自分の足にしているような錯覚に陥ってしまった、 気分、極めてよし、 更新日時 2012年4月24日 21時3分53秒 追記3) 自分が踏むたんびに、地球の中心に、一歩一歩のステップの響きが届くような感覚、でもある、
2012年04月24日
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敵を知り、 己を知れば、 百戦危うからず、
2012年04月24日
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(落ち込んでいる)自分救済のため、2つのイメージが浮かぶ、 まず、これ、 「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、 まず、この女に石を投げなさい。」(ヨハネ8:3-7)自分のことを指摘され、一旦、沈む、 <-- (ココ、とても大事、)次、 ふにゃふにゃジェルのアイスノンソーだ、オレは、元々、(腑抜けの)アイスノンだったんだ!!で、光がさしこみ始める、
2012年04月23日
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先ほどの動きとは重力なりの続き、武術でも外国語学習でも、私たちは意識を使ってうまく身体を動かそうとしますが、「意識は身体の直接の主人ではない」と野口氏は考えます。神経科学や神経倫理学(neuroethics)でも、意識(自由意志)と身体の関係を「象の上に乗っている少年と乗られている象」や、「飼い主と犬」の関係にたとえたりします。少年が本当にぎこちなく間接的にしか象を操れないように、あるいは飼い主が犬の行動を、完全にはコントロールできないように、(しかし飼い主は犬の行動に対して責任を負わなければならないように)、意識(自由意志)は身体の動きを、間接的できわめて拙いやり方でしか制御できませんが、とりあえずはagency(力、作用)のありかとされています。というより、むしろ意識(自由意志)が身体に対してできることは、身体が活動しやすい環境を整えることだけ、のようにも思えてきます。 意識的にやるとうまくいかない、ということは当然のことで、「人間はもともと意識で思うようにコントロールできるようには出来ていないのだ」ということであり、「どのような状態を準備すれば、好ましい適切な自動制御能力が発揮されるか」というところに、問題の鍵がひそんでいるのである。(野口 2003, 255) 体は、意識でコントロールできない、 実際、意識的にやるとうまくいかない、
2012年04月22日
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野口氏いわく、「すべてのことば(抽象言語をふくむ)は、その発生をたどると、必ずからだの直接体験にたどりつく。」(野口 2003, 5) 野口三千三氏の身体論・意識論・言語論・近代批判 運動の主動力は、筋肉でなく重力。筋肉の働きは、受容・調整・伝達。 空手では、新垣清先生の、『沖縄武道空手の極意―今よみがえる沖縄古伝空手の極意』の四冊シリーズが、空手の力は重力を主とするものであることを、理論的にも具体的にも詳しく示していますが、 野口氏も「動き」とはまさに「重」さの「力」、(「重」+「力」=「動」)であることを明確に述べています。 地球上でからだの動きの原動力は、からだの重さが、筋肉の収縮力よりも、より基礎的で重要なものである。 重さは意識しようがしまいが、望もうが望むまいが、たえず地球の中心の方向へ働きつづけている。重さがあってはじめて動きが成り立つのである。 (野口 2003, 270) 動 = 重 + 力 ナルホド、 さらに、野口氏は、筋肉の働きとは、重力(と身体構造との関係)によって生じる力を、受容・調整・伝達することだと述べます。意識と筋肉とをもった人間が、からだの動きにおいて犯す最大の誤りは、動きの主動力が筋肉の緊張収縮だと思いこんでいることだ。筋肉の収縮力の主な役割は、動きの主動力をつくり出すことではなく、動きのきっかけをつくり出すこと(平衡関係を崩すこと)、動きを収めること(新しい平衡関係へと導くこと)、増幅・調整することなのだ。更に大切なことは、他の部分から伝えられてきた情報(エネルギー・重さ)を受け取り、筋肉自体を導管・導線として次の部分に伝える。その間に適切な増幅・調整をするという仕事なのだ。この情報(重さ・エネルギー)の受容・伝導の能力の重大さを気づいていないこと、したがって、その能力の訓練をしていないことが大変重大な問題なのだ。(野口 1977, 224)
2012年04月22日
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先日、地球を踏む 、と言う表現があった、これ、 が、野口氏によると、 ここんとこ、 ・人間が人間であることの基礎感覚は、 地球の中心との「繋がり感覚」である。・からだの動きにおいて、 力を抜けば抜くほど力が出る。・骨は車台(車体)であり、 からだの重さがエンジンであり、 筋肉は操縦者である。・事実として筋肉の緊張が必要であるということは、 意識的に筋肉を緊張させる必要がある、 ということではない。 それと、再度、丘沢さんの表現、「つまり、体の主体は、皮膚と言う皮袋の中に入った、体液である、」「だから、体を動かす時は、重さを地球の中心に流し込むような感覚が必要になる、」「階段を昇るときは、昇るのではなく、足の下の声を聞く、と言う意識で歩く、」 あと、出典忘れたが、「歩くとは、下からの反発で支えられている動作、」 地球を踏む(歩く)を手がかりに、脱力(力を抜くこと)のヒントを探るなら、1)踏むとは、(あるいは歩くとは、) 地球とのコミュニケーションであること、 2)力作業ではないこと、3)体(足)に関わる力は、既に、 重力、反発力と言った形で存在していること、4)体重そのものが、力の元となっていること、 (力に変換されうる、の方がいいか、)5)筋肉は力の源泉ではなく、司令塔、且つ、体液に浮かぶ一パーツ、 と言った風に、浮かび上がって来て、”踏む”という動作だけ見ても、今まで、なんとなくだが、誤作業(?)をしてきたような気がする、特に、大きな誤解は、+筋肉/骨格で動かそうとしていたこと、+動きを無機的にとらえていたこと、 かな、”踏む”を、自分なりに、少しまとめると、 地面の下からの声を聞く作業、(踏むのではなくて、)下から支えられている、あるいは、(反発で)持ち上げられる、歩く(交互に踏む)のではなくて、体液(体重)の移動、 と言ったところか、現在、脱力に向け、奮闘中、 更新日時 2012年4月22日 21時54分55秒 追記)なにやら、踏む(歩く)とは、 地球の中心から出ている手によって、自分の足をつかまれ、右足、左足の順で、歩かせてもらっているようなイメージが来た、
2012年04月22日
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先ほどダラダラと、「マンネリズムのすすめ」を読んでいたら、余計な事に気づいた、著者は高校・大学でヨット部だったらしい、(自分と共通点が続いて、ちょっとこわいくらい、) マッ、それはさておき、本書は23のエッセーからなっていて、お互いは、まるで関係がない、ドイツ文学者なので、その関係が多く、”マンネリズムのすすめ”はそのうちのひとつ、で、自分的には、本の中で、(文学・音楽関係のエッセーには、あまり興味をひかれなく、)なぜか、スポーツ論だけに引かれた、今回のキーワードは、体重移動、(あるいは重心移動)なにやら、体とは、体液の塊なのだとか、(皮膚は体液が入った皮袋みたいなもの、) この表現、三軸修正/池上六朗氏を思い出す、そして体とは、実は、骨とか筋肉というよりも、空間の中で、粒子の濃度の濃い部分と言うとらえ方をするといい、普段、これらを意識することはない、しかし、いったんこれらに目覚め、粒子の塊(カタマリ)の体が、重力/自転力/回転力などに反応して、アライメントする性質を知るなら、体のメンテナンスは激変する、アッ、もうひとつ、思い出した、高岡英夫は語るで、1) 全身をゆるめる、 コレがすべてだという、 体、筋肉、関節、そしてココロもゆるめる、 徹底的にゆるめる、 考えたり準備したりしてはダメ、2) ゆるんだ状態で、指でも手でも相手に触れているところに 瞬時に重心移動がなされる、 相手はたまらず、転げる、合気道の動きも、突き詰めていくと、ここに来る(らしい)、 体が粒子だとか、液体だとか言うと、当然、体の動かし方も変わってくる、筋肉や関節を使って動かすと言うより、著者いわく、「だから、体を動かす時は、重さを地球の中心に流し込むような感覚が必要になる、」これはアースウォーク(踵重心)の歩き方に似る、 Earth Walk、地球(大地)と一体になる 画して、からだの動かし方に、体重移動/重心移動と言う言葉が登場するわけだが、 まだ、認識し始めたばかりなので、自分には経験が伴わない、著者は、これを、早速、バタフライに応用している、「筋力で泳ぐと疲れるが、液体の詰まった皮袋のイメージで、頭ー首ー胸ー腰の順に重心を移動させてうねりながら泳ぐ、」*ここんとこ、自分的解釈は、「重心を常に前に保ちながら、」の方がいいかも、(頭が決まれば、アトは勝手について来る、と思うので、)サイクリングの時の坂道のペダリングも、「液体の詰まった皮袋を右に左にローリングさせながら、体の重心をペダルに預けて踏み込む、」この要領で、「クロールのかきも、サイクリングのペダルと同じで、左右に重心移動させながら泳ぐと楽に泳げる、」 著者いわく、「人間は元々、意識によって、ひとつひとつの筋肉を動かせるようにはできていない、」「体全体は、丸ごと全体なのだから、全体のイメージに頼るのが大事、」 著者の体のイメージ、ふにゃふにゃジェルのアイスノン
2012年04月21日
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昨日の日常生活における運動の位置づけの続きで、 「運動が日常生活を営む上で、 なくてはならないものという考え方、」 になるとドーなるか、以前、急く心をユックリにする方法、メメントモリ作戦で、 (均整筋肉体操30秒静止の場面、)30秒数えるのが苦痛な時の回避テクニックを書いた、 こちら、 急ぐ先に待ち受けるのは、 断崖絶壁ならぬ死の世界、だったらユックリ行こう(数えよう)、と、 名付けて、メメントモリ作戦、しかし、今回、この効果を大幅に上回る、と言うか、メメントモリ作戦のような心理効果とは、取組み姿勢が全く異なる、 運動が体に必須、(あるいは、いいもの、)と言う感覚(あるいは理解)が入ってくると、(*この感覚はうまく説明できない、一方的なもの、)ナント、喜んで、あるいはすすんで、取組もうとするのだ、気持/意志で取組むのではなく、体が自主的に取組もうとする、と言ったらいいだろうか、結果、ユックリと、且つ、わくわくしながら、30秒を数えるようになった、おそらく、読者は、自分が書いている内容が理解できないのではと思う、「運動が体にいいって、そんな当たり前のこと言うんじゃねーよ!」と言う声が聞こえてきそう、 この感覚は、実は、先日のギフトとしての”結果の受け入れ”と同じ、 ”結果を受け入れる” どんな結果でも受け入れる、 ホントに、この気持ちになってしまった、(中略)”すべては相働きて益となる”、 と言う捉え方は、 自分の信仰や思い込みではできない、ただ、上からのギフトによるのだな、 と今、思っているところ、 俗に言うところの、「腑に落ちる、」が該当するかな、なぜ、腑に落ちたのか、やっぱり、わからない、
2012年04月21日
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運動とは、体内の空気、細胞の、入れ替え促進作業である、それは体の各部をリフレッシュし、毎日の生命活動を維持、促す、という思いがやってきた、 これは多分、ドイツ文学者で、2000mスイマーでもある、丘沢さんの影響かしら、 今、運動という概念が、自分の中で、変わりつつある、 本来の運動の位置付け、定義付けとでも言おうか、 それはやったほうがいい、とか言うものではなくて、日常生活を営む上で、なくてはならないものという考え方、
2012年04月20日
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先日、メールを頂いた友人、> 5年ほど前に切れた膝の靱帯を繋げるため、 > 入院・手術をすることにしましたので、 > 一年近くリハビリの毎日になると思います。今日、朝9時から手術とのこと、 で、祈りの言葉を捜していたら、浮かんできたのが、(靭帯ではなく、) 天にまします我らの父よ、願わくは御名を崇めさせたまえ、御国を来らせたまえ、みこころの天に成るごとく地にもなさせたまえ、我らの日用の糧を今日も与えたまえ、我らに罪を犯す者を我らが赦すごとく我らの罪をも赦したまえ、我らを試みに会わせず、悪しき者より救い出したまえ、御国と力と栄光とは限りなく汝のものなればなり、朝一に祈ると言うのはめったにしないのだが、今朝、このフレーズを唱えていて、何気に気持ちがスッキリした自分を覚えている、他者のために祈るとは、他でもない、自分のための祈りであることを、再度、思う、参考)主の祈り
2012年04月20日
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今日はジムは定休日、 朝からかったるくて、ダラーーっとしていた、普段、泳いでいると、 俄然、調子が狂ってしまうのだ、例のスーパーフロートバタフライの影響で、 脱力スイムがスッカリ定着、なんせ3月までは、試運転程度の2kだったけど、今月に入って、ほぼ連日の2kコース、(1k、休憩、又1kのペースで、)浮かんで、泳いでいること自体が、楽しい感覚になっている、が、今日のだるさは、その反動かもなーー、やっぱ、2kはやりすぎか? とくたびれた反省をしながら、 机の上に読みかけでおいてあった、 マンネリズムのすすめの続きを読むべく、パラパラめくってみると、またまた発見、(例の4種の泳ぎをされている丘沢さんいわく)、「毎日30分、数キロのジョギングと、週に5-6日、約一時間、2000mのスイム、」とあった、 肝心のマンネリズムのほうは、自分的に、ソー言う生活をしているので、特に目新しくないのだが、丘沢さんの日常スポーツの視点は大変示唆的、 競技、スピードものは脇へ置いておいて、スロースポーツを日常生活の要とする、確かに、体を動かした後の方が、頭がスッキリしていて、多少疲れていても、文筆活動が冴えたりするのは、自分でも体験済み、 が、スロースポーツとは言え、ここまで、スローを徹底させ、マンネリズムで取り組むと、やおらタイムを目指す巷のアスリートに、引けをとらなくなってくる、何よりも、ドイツ文学者である丘沢さんの、文筆生活の一部になってるところがスゴイ! と言うことで、やりすぎではないかと、やや、悩み気味であった2kスイム、氏の”2000m”を自分へのメッセージととらえ、(勝手にメッセージにしているのだが、)明日から、心置きなく、(マンネリズムに徹して、)再開することに、この分だと、彼の最新刊、下り坂では後ろ向きにも買ってしまうかも、
2012年04月19日
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Update理屈はわかっていても、”理解”、”納得”が追いつかない、と言うのは、日常茶飯事なこと、先日、有害なことが、思いがけなく身に迫ってきたならば、で貼った、人間万事塞翁が馬 (じんかんばんじさいおうがうま)すべてのこと相働きて益となる (ローマ8:28)なんかも、 ”結果にこだわらない”、”結果を受け入れる”、 ことへの警鐘なわけだが、実際は、ものすごく結果にこだわるし、 結果をコントロールしようとして、必死になる、画して、眠れぬ夜が続くーー、(わけだが、)しかし、これが時として、理解が追いつく、あるいは、理解がやってくる時がある、理由はわからない、で実際、先ほど、ジムからの帰り、これが来た、”結果を受け入れる”どんな結果でも受け入れる、 ホントに、この気持ちになってしまった、 そこで、アンナスミスの話を思い出す、 ハンナは、ある日、 光の層を目の前に見る、「あっ、すべては神が支配しておられる、 この瞬間瞬間は神が支配している、」これを知ったとき、ハンナは至福に満ちる、”すべては相働きて益となる”、と言う捉え方は、自分の信仰や思い込みではできない、ただ、上からのギフトによるのだな、と今、思っているところ、 そして、ソー言う意味で、無理に理解しようとしない態度は大事だと思った、実際、自分にはわからないし、 (アッ、この理解もギフトか、)”ワカラナイ”は、最強の最適の言葉ではないだろうか、 更新日時 2012年4月18日 22時12分55秒追記)今日の氏の日記「その時」歴史は動くで、 ●聖書は神が心を開いて下さらなければわからない書物だ。神の側から、つまり人間の外側から力が臨まないと悟れない宗教だ。ここが他の宗教と違いキリスト教の難しいところだ。 ●机上で沈思黙考、あらゆる宗教哲学思想を渉猟しても神の存在はわからない。神の力がその人に働いてはじめて解る。 聖書の理解、信仰、神の存在、etc etc、これらはいずれも、神の側からアプローチがないと、人にはなすすべがない、と、アーメン、 参考)結果を受け入れる、あるいはこだわらないことの大切さ
2012年04月18日
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遺産相続ゲーム最初に、忙しい人は、この本を読む必要はないだろう、ドイツ名の演劇形式で、とってもかったるい本だし、しかし、それでも尚、読んでみようと思う方のために、ヒントを記しておきたい、 1)まず、ヨハネ8-7、「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、 まず、この女に石を投げなさい。」を頭に入れておくこと、*登場人物はすべて、この原則を知らない、 2)本の巻頭言、”はじめに”は冗長なので読まない、 *そうでなくとも、かったるいのに、これでつまずいたら元もコーもない、 3)登場人物のドイツ名にひるまないこと、これを克服するために、本から一覧をコピーして、 常に、本の上に挿しておく、*これで、ドイツ名のフラストレーション対策となる、4)上の続きだが、巻末付録の登場人物(12人)の解説を先に読んでおく、*劇がよりイキイキしくる、さて、これで準備ができた、アトは一気に、(あるいは3日くらいかけて、)読破すればいいだろう、 充分、元は取れると思う、 タイトルは「遺産相続ゲーム」となっているが、自分的につけるなら、「自分のことは棚に上げて、自己中心的、且つ他者を批判する者たちが、10人集まって開く会議の結末、」 と言ったところか、 相続を扱ってるが、普遍的なテーマ(ヨハネ8:7、人の罪性)であり、 結末は悲惨ながら、はたで読んでいると、喜劇にも見えたりする、参考) 付録「作者ノート」から;(少し意訳して、)例えば仮に、ある船に乗り合わせた人達(船と積荷の関係者)が、その船と積荷が誰のものか口論を始めたとします、口論の成り行き上、船に火災(放火?)が発生し、自分達、船、積荷もろとも沈んでしまったーー、ココで(上の寓話と)共通しているのは、口論の対象(船、積荷)を救わない限り、又、自分自身を救わない限り、なにも得られないという事実、(後半部)彼らはわかっていないのです、自分達が立つことの土台(船や積荷)は、まず自分達が協力してしか守れないことを、
2012年04月18日
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律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、イエスに言った。「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」イエスは身を起こして言われた。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」(ヨハネ8:3-7)これって、今まで、他人行儀で読んでいたんだけど、今朝の高橋氏日記、罪なき者まず石を投げ打てで、 ●これは今日、クリスチャンと自認している人間に向けられている。自戒。 ●私は技術者だ。福島原発を知ってすぐ「人災だ」と叫んだ人間の信仰を信用しない。自分を棚に上げている。 と指摘されているように、確かに、この聖句は自分自身に向けられている、(希ガス、)”石”とは、他者への怒り、批判、中傷、そして、一発かまそうとする気持ち、etc etc自分を棚に上げてーー、耳が痛いわ、
2012年04月17日
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下り坂では後ろ向きに、丘沢静也の書評だけ見て、スッカリ気に入る、が、当該本は(高いので)買わずに、 他の中古本を購入、それが、一昨日、昨日と、順に届いた、 遺産相続ゲーム マンネリズムのすすめ両方届いて、どちらから読もうかと悩みながら、最初だけ、両方読むことに、と、各々のワンフレーズに感動、 遺産相続ゲーム:「この家(遺産)は相続人(12人)の心を写す鏡なのです、」オオ、これは、相場と同じ、 マンネリズムのすすめ:「バタフライ、バック、ブレスト、クロール、と順に泳いでいく、」なんと、丘沢さん、のんびりスイマーで、しかも、メドレーで泳いでいらっしゃる、 オレと一緒ジャン!と言うことで、最初読んだだけで、 これ以上、読むのがもったいない気持ちになり、今、机の上に、そのまま置いてある、
2012年04月17日
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先日、芭蕉の奥の細道の心境などを書いていたら、なにやら、うちのヨット部のOBが会社を辞め、自前ヨットで出航したとの報を、昨日、メールで受けた、で、早速チェック、こちら、 TSUYOTAKA 航海日記簡単に自己紹介します。現在61歳です。昨年末で仕事をやめて、永年の夢でした、国内のんびりヨットの旅へ出発することにしました。ヨットはニュージャパンヨット(株)で建造されたエスプリ・デュ・バン(30フィート)で1998年に進水しました。船名は『TSUYOTAKA』(つよたか)といいます。 3/26に、清水、折戸マリーナを、南へ向け、シングルハンドで出航、今日現在、和歌山マリーナだと、 航海日記を見ると、ホント、のんびりだ、松尾芭蕉は陸路だったが、奥の細道紀行彼は風まかせの水路となる、何と言ったらいいか、人が旅に出るというのは、(特に晩年、)何か、先天的なものがあるのかしら、人は誰もただ一人旅に出て、人は誰もふるさとを振り返る、ちょっぴりさびしくて、振り返っても、 「風」 しばらく、ネットを見ながら、疑似航海体験をさせて頂こう、
2012年04月16日
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中日の山本昌投手、 円熟の103球=46歳8カ月、最年長先発勝利、(2012/04/15 - 20:39)右足をゆったりと上げる独特のフォーム。直球は130キロ台だが、低めに集めてフルスイングをさせず、バットの芯を外す。中日の46歳山本昌が円熟の投球で、阪神打線を手玉に取った。8回をわずか2安打。スライダー、シンカーで打者の内角を攻め、二回から七回まで一人も走者を出さなかった。八回には2死一、二塁のピンチを招いたが、代打関本を左飛に仕留めて103球で降板。九回は岩瀬に任せた。2年ぶりの白星は球団記録に並ぶ通算211勝目。先発勝利は従来の記録をわずかに超える最年長記録となった。 体はメンテナンス次第、と言うことだな、大いに励まされてしまった、
2012年04月15日
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Update昨日の有害なことが、思いがけなく身に迫ってきたならば、 の自分的主旨は、最後の、 それがすんだら、 ふたたび安らかな気持で日々の仕事にかえり、 いたずらに無益な心労にかまけないがよい。 にあった、そこで、自分を励ます意味で、駒野のPKのシーンなどを貼り、 万事相働きて益となる、で締めたわけだが、 今朝、別の思いがやってきた、これ(駒野)は、自分ではないのだと、(実際は違うかもしれないが、)*プライベートなことなのでこれ以上は書かない、面白いのは、上からのメッセージは、イロイロなチャンネルでやってくると言うこと、 とにかく、ストーリーの結末に対し、(さまざまな場面が準備されているのだろうが、)ますます、こだわりが少なくなってきているのを感じている、いや、むしろ、(言葉があれだが、)楽しみでさえあるような、実際、気持ちとしても、今、随分、晴れてきているし、この態度、”結果にこだわらない”、を醸成するために、自分の人生はあるのだろうか、 更新日時 2012年4月15日 10時15分0秒 追記)上の、それがすんだら、 ふたたび安らかな気持で日々の仕事にかえり、 いたずらに無益な心労にかまけないがよい。 は人にはできない、と知る、(と悟る、)そして、 ”結果にこだわらない”、これも又、人にはできないと知る、大事なのは、(人事を尽くして天命を待つ心で、)すべての結果を受け入れることができるように、祈り求めることにある、と思った、
2012年04月15日
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ヒルティーで検索すると、興味深い記事が、多々ある、 有害なことが身に迫ってきたときなにかあなたにとって有害なことが、思いがけなく身に迫ってきたならば、これを防ぐために、まず常識の原則にしたがって、直接できるだけのことをするがよい。つぎには、しかし精神的に、あるいは、それで心が落着くというのなら、肉体的にも、われらの主のみまえに身を投げて、ヨハネによる福音書15の7※か、16の24※※を唱えながら、※「あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたにとどまっているならば、なんでも望むものを求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。」 ※※「今までは、あなたがたは、わたしの名によって求めたことはなかった。求めなさい、そうすれば与えられるであろう。」 まず正しい洞察が与えられるように祈り、次にはあなたのために、いずれが本当に必要であるかに応じて、忍耐力か、神の助力か、を祈り求めるがよい。それがすんだら、ふたたび安らかな気持で日々の仕事にかえり、いたずらに無益な心労にかまけないがよい。(『眠られぬ夜のために 第一部』 ヒルティ 岩波文庫) 実践的なアドバイスに感謝、 でこれを、自分なりに書き換えてみる、 1)トラブルに合ったら、とにかく大声で愚痴を言い、文句を言い、徹底的に、うなだれる、 2)少し時間を置き、(気休めに、膝立ちなどして)祈ったりしてみる、 この時、必ず、彼がお邪魔にやってくるが、 彼には、感謝(「よく来てくれたね」)と、(十字架による)勝利のピースサインを送りつけておく、 3)アトはただ結果を受け入れることに全力を注ぐ、 人間万事塞翁が馬(じんかんばんじさいおうがうま、の解説) すべてのこと相働きて益となる(ローマ8:28)
2012年04月14日
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今朝の氏の日記から、子供にメール(以下の短文)を送った、●結婚と職業選択と職場決定と住処決定などの人生の分かれ道には、絶対に神の導きがないとその後がうまくいかない。しかし多くの場合それは偶然によって決まる。●パスカルは言う、「男にとって職業の選択は最大の難題だが、それはほとんどの場合偶然によって決まる。」これ至言。またこれは女性にとっての結婚にも言えることだ。出会いは偶然。 まもなく卒業を迎える子供、周りが就活でざわめいているらしい、で、何気に、自分の就職を思い出す、確かに、偶然だった、 更新日時 2012年4月14日 10時36分0秒追記)これも送る、仕事の種類ではなくひとを幸福にするのは仕事の種類ではなく、創造と成功のよろこびである。(『幸福論 第一部』 ヒルティ 岩波文庫 p.16)
2012年04月14日
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先日来、メメントモリ(死を想え)が、日常の中で、錯綜しているのだが、 自分の財布には、こちらのメモ(紙切れ)が入っている、 一昨年、「奥の細道」的心境を体験してから、ズット、入れっぱなし、最近は、見るたんびに、ますます心に沁みて来る、そしてもう一つ、財布に入っているのが、 国民健康保険証、日常の生活スタイルで、出歩くことが多いことから、 これで、いつ、どこで倒れても、(奥の細道的)精神的心構え、そして肉体的支援体制(保険証で病院搬送)、 で準備万端!?そうして、今日も、心置きなく、泳いできた、
2012年04月13日
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氏の昨日の日記の中で、●高層マンションの上層部に住む人間ほど教養が低いのと同じだ。動物でも高いところに登るのは頭が悪い。 ●亀は自分の甲羅に会わせて穴を掘る。家の広さも収入の程度に合わせた大きさにすべきである。バカデカイ家を望む人間は人間が小さい。 自分は、かつて、広めのマンションの10Fに住んでいたが、その当時の自分の考え方を振り返ると、上の言葉は納得、●世の中、金もないのに、広告に釣られてバカな旅行をする人間がいる。スイス人のヒルティは言う、「世界中からスイスの景色を見に来るが彼らは決して心が癒されない」と。(中略)スイスには以前、行ったが、確かに2日目からは、景色は飽きてくる、 ●ヒルティは言う、「『寄らば大樹の陰』という精神が人間を小さくし堕落させる」と。有名校、一流企業、高位高官、東大卒財務省勤務、大金持ちの息子、良い家柄、などはこれみな「異教人の欲しがるもの」である。これらは決して人を真底から満足させない。また人間を高めない。 ●ヒルティがその思想を尊敬していたローマ時代の奴隷、エピクテトス(哲学者)の財産は小さな椅子一つであった。●人生、質素なる生活の中で心豊かな生活を目指すべきである。 効くなー、で、そのエピクテトスの言葉を少しチェック、「自分に欠けているものを嘆くのではなく、自分の手元にあるもので、大いに楽しむ者こそ賢者である。」ウムウム、「金銭・快楽、あるいは名誉を愛するものは、人を愛し得ず。」二心はあり得ないという事だな、「己の敵に何を持って復仇すべきか?できる限り多くの善を行うべく努力せよ。」なんとか、これを習慣化したい、何よりも自分自身のために、
2012年04月12日
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今朝の高橋氏日記、●世代は否応なしに変わって行く。そのとき新人が何をするかにその人間の家庭の企業の都市の国家の命運がかかっている●この時の理念がただ「経済効果の最大」をのみ目標とすると神に嫌われるので不思議にうまくいかない。「経済効果で立つ者は経済で倒れる」からである。●人生は今持っている財産(能力、資源)を如何に「自分」が天国にいけるようにうまく利用することに目標をあわせると、「意外な事が起こって」(桝本華子)、不思議にすべてがうまくいく。なぜか。「神がついている」からである。●土地や資産を有効利用してうまく行った例を示そう。総て「何をすれば一番儲かるか」などという低級な発想ではなかった。 経済効果で立つ者は経済で倒れる、何をすれば一番儲かるか、などという低級な発想ではない、ウウーン、心に沁みるね、かつてNK先物をやっていた頃の自分を思い起こす、如何に儲けるかーー、それしかなかった、さらに続けて、●もう一つの事実は「文化文明の接点」にいいものが生み出されるということである。その接点をフロントという。異分野の接点に思いもかけない新分野が誕生する。天体物理は物理学と天文学の接点。生化学は生物学と化学の接点から誕生 した。私の専門である建築経済学は建築と経済の接点。こういう新分野の誕生は人間の小さい頭で考えていては思いつかないものである。その異分野の接触は人間には偶然に思えるが、背後に神の導きがある。 ●これからは何か一本の商売ではうまくいかない。衰退する。これをモノトーン的発想という。エクレシアの構成員も雑多がよい。それぞれ異なる人間の接触による接点に目を見張るものが誕生する。これ家庭内のイザコザにも言える。異分野の異人(偉人?)同士の接触激突において新物質(?)が誕生する。この家庭、社会にその勢いがなくなったらおしまいである。 ●エクレシア、芸術、農業、食文化、公共施設、商業施設、学習施設、宿泊施設などなど社会が細分化すればするほどフロントの数は多くなる。何をすればよいかは神が企画すれば成功する。人間のちっぽけな頭では発想に限界がある。 フムフム、フロントの数を増やすか、ナルホド、
2012年04月12日
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一軒家住まいも、今日で一年、夜寝るときなども、いろいろ、寒さ対策で苦労したが、 そろそろ暖かくなってきてたので、昨夜は寝具の布団を一枚省略してみた、結果、一晩中、なんとなく、寒気がしていて、且つ、翌日は体が硬くなっていた!! 寝具をおろそかにしてはいけない、もうひとつ、例の左足の後遺症は、左右の土踏まずのアーチの大きさが違う かかとの痛みとして残っている、 足底筋膜が伸びきってしまい、踵骨に悪さをする、 毎日のストレッチで、 かなり回復した、 ところが、冬の室内で、薄手の靴下履きでいると、すぐに踵が痛み出す、 冷えで、血流が止まってしまうからだろう、 対策はほかでもない、厚手の室内防寒シューズをはいていること、 これだけで、痛みは消える、 足の冷えは万病の元、 この、冷えが体に対して悪い、と言うのを認識したのは、ここ1-2年のこと、*単なる知識と、納得は異なる、若いときは、無理が利くのだろうが、それでも、体にいいわけがない、結局、最終的には、痛い目に会わないとわからない、 寝具と室内防寒靴、来年の冬に備えて、
2012年04月11日
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丘沢さんの「下り坂では後ろ向きに」をチェックしてたら、 ホントに、下り坂では後ろ向きに(pdf)があった、 その名もスローピング、 「スローピング」とは、坂道や階段などの傾斜(スロープ)を使い、前向き、後ろ向きに、上り下りを繰り返すという運動法です。(下りでは、まず5分くらい下り、次に後ろ向きで上る、) (上りでは、まず5分くらい上り、次に後ろ向きで下る、)これは実に身体に良い健康法なのです。坂道の多い国や地域では、日常的に斜面を上り下りするため、おおむね長寿の人が多いようです。また、平地でのウォーキングより2~3倍多くのカロリーを消費します。その他、1)心肺機能と下半身の筋肉を同時に鍛え、 基礎代謝を高められる、2)高血圧や高脂血症、肥満などに特に効果あり、3)後ろ向きで行なえば、普段使わない神経系が刺激され、 脳の老化予防にもなる、4) いつでも、どこでも行なえる、などのメリットがあります。 だそうで、早速、取り入れることに決定、
2012年04月10日
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Update3日前のこと、夜、寝ていたら、家の庭で、人の気配を感じた、誰かが、かがんで庭の手入れしている、そんなイメージ、が、具体的に浮かんできたその後姿は、他でもない、父だった、 手入れがされた庭の中、特に、この2本の花桃は、 今が盛り(満開)で、ひときわ輝いており、 ちょうど、昨年、昇天した際の父母の姿が重なった、 父母の正装を読み解く更新日時 2012年4月10日 15時39分53秒 追記)今しがた、気が付いた、3日前って、土曜日の夜(日曜日未明)だったわけだけど、巷は復活祭、ナルホド、現れるタイミングが、ちゃんとカレンダー(イースター)と合っている??
2012年04月10日
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昨日の朝刊の書評欄、 こちら、 目 次「静かなスポーツ」には文体や文法などと呼べるほどのものはない.小さなポイントがいくつかあるだけ. ・ひとりで・ゆっくり・静かに・目標をもたず,結果を求めず・距離や回数でなく,時間を区切って だらだら走ったり,のんびり泳いだりするだけの話だ.(私は個人主義者なので,「ひとりで」を最初にあげたが,「ひとりで」は,かならずしも必要条件ではない).自分のライフスタイルとよく似ている著者の丘沢静也さん、 どんな人かと思ったら、こちらの本の翻訳者、 へぇーと思い、他を見ると、商品の説明ミヒャエルエンデとの関係が深かったり、これはこれは、面白そうな方、 ”目標をもたず,結果を求めず”、”距離や回数でなく,時間を区切って”、早速、拝借、
2012年04月09日
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以前、トライしたアユールチェア、 結構なお値段で購入したが、自分のうちで、消化しきれず、売却してしまった、 コンセプトは、要約するとこんな感じ、 が、今なら、このコンセプト、受け入れられる、立ち姿勢と要領は同じ、ーー>骨で立つ、(座る、)問題となるのは、(専用チェアの有無以上に、)足を広げられるほどの大きめの机の存在、 そこで、(チェアは既存のままで、)机を変えてみた、いや、正確に言うと、机は変えていない、机の上の配置を変えた、これで、めでたく、足を(左側に)広げられて、坐骨で座ることができた、*アト、片方に低い足台があると、姿勢維持が楽になる、 正直なところ、坐骨で座るのに、アユールチェアである必要は特にない、
2012年04月08日
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どんがらの土の器、 こんなんで、生きようとしたら、孤立、疲労、閉塞、果ては、絶望が待ち受けるのみ、さっさと、やめなければ、
2012年04月08日
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苦は不幸ではない、貧乏も不幸ではない、不幸とは、(内面的な)孤立であり、孤独である、実際、(土の器たる)外見的な自分を見ると、 年老いて、それは力がなく、且つ、希望も見出せず、寂しさが漂う、しかし、もし、器の中に宝があるとするなら、状況は一変する、少々、器が壊れていようが、汚かろうが、みすぼらしかろうが、関係ない、幸福の源泉は、自分の状況とは関係ないところに存在する、
2012年04月08日
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わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、
2012年04月07日
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昨日、過去を振り返っていて、朝方、改めて気づく、骨盤の後傾、 これは、 長年の悪い姿勢から来たのだろう、が、首、背骨にも影響を与えてきた、骨盤の左右の歪は、 何処から来たのか?浮かんだのはこれ、土踏まずを考える体の土台は、腰ではなく、足である、これを考えなおさせてくれたのが、(自分には、天の啓示かと思える、)インソール販促案内での足圧測定、 ここから、左足の圧が強いことがわかり、左右の足の長さが違う(左足短い)ことが判明、 では、なぜ、左右の長さが崩れたのか?左右の土踏まずのアーチの大きさが違う左足の土踏まずのアーチが大きくなって、固化していた、 参考)アーチの違いは戻るのか、対策を調べるそして、この原因は、長年にわたり履いていた、土踏まずのあるスポーツシューズ、健康サンダルであろう、 土踏まず再考、さらばエアプレスト 体に不具合を感じていらっしゃる方、体の土台は、実は足である、という観点から、再考してみてはいかがだろうか、上の足圧測定は、それのいい機会になると思われ、
2012年04月06日
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朝方、7-8年前の自分がよみがえる、 まだ、会社勤めしていた頃、が、翌年はやめようと思っていた頃、自分の背中は、もうアトがなかった、 夜寝ていると、急激に背中の引きつりに襲われる、呼吸が困難となる、(ホント、生きた心地がしなかった、)それまでも、年2-3回は腰痛がらみで、会社を2-3日休まざるを得ない年が続いた、 原因がいまいち不明だっただけに、余計、不安と焦りが増していた、そして、早期退職後、6年経った今の自分のコンディションを見ながら、よくぞここまで回復したものだとつくづく思う、恵み以外の何ものでもない、 最初の劇的な変化は、2007年の十字式健康法での尾てい骨のズレの修正、これは効いた、今までの引きつりが消えたのには感動の一言、次に、2010年、この年は当たり年だった、呼吸整体(体操)と出会い、(しばらく受けていたハード整体を卒業、)何よりも、体のメンテはやってもらうのではなく、自分でやるものだとの認識に変わる、同年、血の道療法の室谷さんに、血液の流れの各種回復の術を教わる、 (爪の切り方も教わった、)立て続けに、三軸修正(三宅接骨院)から、自分の一番自然な姿勢を知って、ショックを受ける、 そこからゴリラウォークが生まれた、10月、左右の足の長さが違うことが判明、 ー> インソール販促案内で知る自分の左右足圧の違い、さらに、左右の土踏まずのアーチの大きさが違うことが判明、ー>左足の引き攣りの原因だった、これを機に、12月、底面フラットな靴に全面切り替え、ーー>土踏まず再考、さらばエアプレストそして、2011年、進化は止まらない、父母が3月に相次いで召天、 2月から4月に渡り、西宮から引越し、葬儀、実家の整理で、体重は53kgへ、(6-7kgの減少、体脂肪率3%台へ)*この体重は結局、今も変わらない、(体脂肪率然り、) リハビリのため、4月からジム通いを始める、当初のスイムの距離は300-500m止まり、 が10月、(ブログのコメントで)気功整体をやってらっしゃる方から、自分の骨盤の歪具合(骨盤の後傾)を知らされる、 tt555さんの現状では、ゴリラウォークは、間違っていないと思います、現状の骨盤の角度では、その姿勢が背骨に負担がかからないのです。 骨盤の角度の直さずに背筋を伸ばしても腰痛になるので、 骨盤の角度整体ー>背骨(軟骨)の出っ張りが引っ込むー>背筋が伸びる それまでは、ゴリラウォークがBESTですね、 骨盤の角度をミニストリーで直せば、背骨下部の出っ張り気味の部分も治ると思いますよ、 私の場合は気ですが、骨盤のような大きい骨は、なかなか動いてくれませんので、ミニストリーで治れば凄いですね。 (2011年10月10日 00時30分47秒) 骨盤の後傾、 これを矯正体操とミニストリーしたところ、腰まわりが楽になってきて、以降、スイムの距離が出始め、 10/19、この日、ついに、1000mをクリア加えて、首周りが、ミニストリーで大幅に改善し始めた、 (-->日常的な首のズレを日常的に治す) が、ここでまたコメントを頂く、しかし頸椎がずれるのは、骨盤がずれてるからなので 何度直してもまた再発しますよ、 まず骨盤を治しましょう、 前にのせていた三軸の図で楽な姿勢がtt555さんの場合 前後に反転しています、 右の骨盤が前に左が後ろに反転してると思いますよ、(2011年11月01日 18時48分48秒) 骨盤の問題は、後傾だけではなかった!と言うことで、早速、骨盤の歪みをミニストリーする、そのときの状況、寝静まり、フトンに入ったあと、 早速、骨盤の左右のバランスを修復すべく、 自分の左右骨盤に両手を当て、そっと命令してみた、「左右均一になれ!」 ーー>何も起こらず、「治れ!」 ーー>何も起こらず、「伸びよ!」 ーー>何も起こらず、 「まっすぐになれ!」 ーー>ピクピク動き始める、オッ来た、とばかり、 続けざまに、同じ命令を数回繰り返す、*ここでの命令は、(説明しにくいが、)天上経由の命令、 自分を一旦、上に移動させて、そこから命ずるといったニュアンス、 自分の力みで命じてもナンセンスなので、アシカラズ、 命令のたびに、ピクピク動く、特に右の骨盤の反応が敏感、 左右とも動いたが、8割くらいは右が動いていた、やがて命令しても動きが出なくなる、 (軽くなった感じがあったが、そのまま寝る、)今朝方、起きて、 左肩がやけに軽い、結局、骨盤は、後傾問題と左右の歪、が修正、おまけに、日常的に重かった左肩も修正された、*ご指摘下さった風生さん、ありがとうございました、 それ以降、ジムでは、骨盤周りの緩めに主体を置きつつ、最近では、均整体操も加わり、今に至る、今日、ジムは定休日だったが、昨日のメドレーでは2.2k、また記録更新だった、
2012年04月05日
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毎日やっている、これ、均整筋肉体操各動作、30秒の静止タイムを自分でカウントしながら、キープするのだが、たかが30秒、されど30秒、 せっかちな自分には、とてつもなく長く感じられる、 そこで、考えたのが、メメントモリ作戦、 急ぐ先に待ち受けているのは、 死でしかない、ならば、できるだけ、ユックリしたほうがよい、となる、 かくして、ユッタリとカウントができるようになった、 で、これ、他にも、応用が効くと思われ、
2012年04月04日
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日本海低気圧の、 ド強風が吹き荒れる中、先ほど、夕刊の記事に目が留まる、 17歳大塚、初の五輪切符=競泳日本選手権 高校生の大塚が女子400メートル個人メドレーで積極的な泳ぎを見せ、初の五輪切符を手にした。 「今までにないハードな練習をしてきたから」と日焼けした顔をほころばせた。 冬場は中国で1カ月、グアム島で10日間の合宿を行い、一日に1万メートルを超えることも。 特に苦手の平泳ぎと最後の自由形を徹底して泳ぎ込んだ成果が表れ、高橋の猛追を振り切った。(上の記事で、)競技種目が、個人メドレー、そして、一日一万メートル、と言うフレーズ、さて、今日は、夕方からの荒天を見込み、早々と、昼にジムへ、すでに、荒れ模様だったこともあり、プールもスキスキ状態、いつものメドレーだったが、ちょっと変わってたのは、スーパーフロートバタフライがすっかり板についてきたこと、 浮力で泳ぐことを覚えると、力みそのものがいやになってくる、ちょっとでも、力むと、嫌悪感を感じるとでも言おうか、 結果、浮力と上下運動だけのバタフライが出来上がる、そして、これ、他の3種にも波及、気がつけば、今日は、いつの間にか1.5k、(今日のスゲーところは、ほぼ連続的に泳いでいたこと、) まだいけそうだったが、後の疲労が心配になってやめる、(実際は、こうした今も大して疲れてはいないのだが、)ところで、大塚選手の練習量、一日、1万mと聞いて、ピンときた、今まで、500とか1kとか2kとか、一人で騒いでいたが、実は、勝手に自分で壁を作っていたのでは、と、実際、力みのない泳ぎには、精神的、体力的にストレスが少ない、(今日は1.5kだったが、)あまり距離にこだわる必要はないかもしれない、 とは言うものの、この距離の領域は、やはり、Stranger In Paradise、祈らずにはいられない!?Won't you answer the fervent prayer of a stranger in paradise、 Don't send me in dark despair from all that I hunger for、 But open your angel's arms to the stranger in paradise、 And tell him that he need be a stranger no more、
2012年04月03日
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古ーーいノートPCのメモリーをアップグレードする、対応メモリー検索:-->対応製品検索システムPIO互換性のチェック:-->DIMM DDRとDDR2とDDR3の違い 原則は 刺さればとりあえず動く (ことが多い)、 できれば書いてある規格を買ったほうが若干良い、・DIMM:デスクトップ用メモリ ・SODIMM:ノート用メモリ ・microDIMM:レッツノート用メモリ。 -->SODIMMの半分ぐらいの大きさ。くそ高い! DDR2とDDR3はピン数が一緒だが切欠きの場所が違うので、DDR1,2,3の互換性は無い。(写真はデスクトップ用だが、ノート用も同じ、)速度について、DDR1→2→3で速度が2倍2倍になっている。 ○DDR ・DDR266(PC2100) ・DDR333(PC2700) ・DDR400(PC3200) ○DDR2 ・DDR2-400(PC2-3200) ・DDR2-533(PC2-4300) ・DDR2-600(PC2-5300) ・DDR2-800(PC2-6400) ○DDR3 ・DDR3-1066(PC3-8500 ) ・DDR3-1333(PC3-10600) ・DDR3-1600(PC3-12800) ・DDR3-2000(PC3-16000) フムフム、これだけわかれば、とりあえずOK、 (余談)*ヨメさんのノートは、2003年製日立フローラ、メモリーはDDRの256MBx2、自分のDell D510のDDR2、512MBのメモリー2枚が余るので、フローラに取り替えようとしたら、切り欠きが合わない、で、切り欠きを削って広げて使おうとしたが、ネット見ると、圧倒的に、「やめておけ!」言う意見が大勢を占める、やってみたい衝動を抑えて、ヤフオクで探している、
2012年04月02日
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踵から、地球の中心に向かって、 一歩を踏み込む、 それは、地球を踏む感覚、 それは、(静かに歩いているにも関わらず、)ドシン、ドシンと、地球の裏側まで、その振動が、届くかのよう、それは、丁度、あの(形相を変えた)大魔神が、ノッシノッシと歩くにも似る、 更新日時 2012年4月2日 0時39分47秒
2012年04月01日
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