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朝起きたら、石川さゆりこれはチャンスとばかり、即、迷うことなく、向かった先は、ジム、降りしきる雪で、一面、雪原の中、半分凍りついた道路は、歩くには少々きつい、 途中、ジムに着くまでの気分は、ちょっとした孤独と(転倒の)不安が入り混じって、まさに、Stranger in Paradise、 が着いたら、そこは、ホントに、Paradise!案の定、ガラガラ、(一コース、一人専用だぜ!! )ここぞとばかり、思いっきりユックリ泳いでやった、で、コー言うときは、 ドー言うわけか、不思議に疲れない、ユックリなので、チョッとしたMeditation Timeになっているのも事実、 あっと言う間に1k、 昼過ぎに、ジムを出たのだが、帰りは、特に疲労感もない、で、夕方、いつもの時間に、(何の躊躇もなく、)再び、Stranger in Paradise気分で、凍りついた暗めの道をジムへ向かう自分がいる、ジムに着くと、またしても、ガラガラ、(以下、昼の繰り返し、)同じく、あっと言う間に1.1k、面白いもので、普段、込み合っている中で泳ぐと、200-300mで、疲労感が出て来るくせに、すいている中で、ユックリ、リラックスして泳ぐと、疲れないと言うのは、これって、(リラックスのおかげで、)Meditationが効果的になるのかしら、マタイ11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。 11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。 それと、自分的体験でもある、例の十字架効果が、いつの間にか現れているせい?? 「だれでもわたしについて来たいと思うなら、 自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」(ルカ9:23)ナーンテ、思ったり、と言うことで、今日は都合、2.1k達成、(これ、自己記録更新ネ、) そして、書いている今も、Good Condition!でも、そろそろ、眠くなってきた、
2012年02月29日
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話題のAIJ(加入54万人・1852億)、 約2000億円の企業年金資産の大半が消失していた問題で、AIJ投資顧問の2011年3月末の顧客構成がわかった。企業年金は80を超えており、同一の業種や地域の中小企業が集まる「総合型」の厚生年金基金がーー. 今朝の天声人語でも、そのAIJを取り上げていたが、最後のくだり、少子高齢化の下で、年金をもくろみ通りもらえる確証は、官民ともに見当たらない、老後が土台から溶けていく、 表現そのものが少しおかしい、 *「もらえる確証」?? ->「受け取る確証」だと思うけど、*「官民ともに見当たらない」?? ->AIJは民間なのに、官も加えるの、週間朝日も、 あー、これは始まったなと、官民上げてのプロパガンダ大作戦、今回、比較的小さな基金だったが、 厚生年金は100兆円単位!?イザ、本丸へ、「年金はもうありません、」大キャンペーン、幕は切って落とされた、 (参考)その1)戦費調達目的で始まった年金制度? 日本の社会保険制度が始まった経緯について「今日の厚生年金は昭和16年法律60号労働者年金保険法による労働者年金保険が始まりである」と書いてある。強制加入で、10人以上の労働者を使用する工場・鉱山・交通運輸などの男性筋肉労働者が対象だったが、昭和19年、その労働者年金保険は厚生年金と改称され、対象は女性と事務職員にも拡大された。 (中略)ともあれ、年金制度の拡充によって被保険者は倍増し、保険料収入は激増した。一方、この年金は積み立て方式だったため給付はほとんどなく、積立金は膨れ上がった。問題はその積立金の行方である。『事典・昭和戦前期の日本』によれば、太平洋戦争の「戦費に費やされた」というのだ。(中略)問題は年金の本格的な給付が始まる前に戦争が終わり、戦後の空前のインフレによって積立金は紙切れと化したことである。戦費に使われて"なくなってしまった"と批判されてもしかたないのかもしれない。戦後の年金の積立金の運用は第二の予算といわれる財政投融資計画を通じて高速道路建設など公共事業につぎ込まれているのはご存じの通り。財投資金は7年で返済することになっているが、多分多くの場合、借り換えが続いているはずだ。高速道路がいい例で40年償還などというとてつもない借金地獄にはまり込んでいるのだから、140兆円あるといわれる厚生年金の積立金が不良債権化していることは確実である。その2)公的年金は不安がない!?「積立金は200兆もあるから大丈夫!」って、細野さんは言っている、が、データは古いけど、こちらの公的年金への疑問を見ると、 国民年金と厚生年金の積立金は1999年度末であわせて144.0兆円になります。(中略)そして「研究」によれば資金運用部からこれら3つに対する融資のうち249.8兆円が不良債権と見込まれ、そのうち年金積立金分は81.1兆円に上るのではないか、ということです。144.0兆円のうち現時点で半分以上の回収が危ぶまれているのです。 焦げ付き先の融資額はネット上で以下の通り、 (2002年の未確認情報だが総額はほぼあっている、)回収見込みがない積立金 87兆8857億円(以下内訳) 1)住宅金融公庫 23兆4518億円 2)地方自治体 17兆5000億円 3)年金資金運用基金 10兆6150億円 4)特別会計(裏国家予算) 10兆6000億円 5)日本政策投資銀行 4兆3490億円 6)国際協力銀行 3兆9683億円 7)都市基盤整備公団 3兆9017億円 8)日本道路公団 3兆5212億円 9)国民生活金融公庫 2兆7982億円 10)農林漁業金融公庫 1兆 823億円 11)福祉医療機構 9800億円 12)中小企業金融公庫 8478億円 13)首都高速道路公団 6196億円 14)阪神高速道路公団 5292億円 15)沖縄振興開発金融公庫 4660億円 16)鉄道建設運輸整備機構 3158億円 17)本州四国連絡橋公団 3052億円 18)日本育英会 2871億円 19)電源開発 2795億円 20)石油公団 1431億円 残っている年金積立金:56兆1001億円(これ10年前だから、今は推して知るべし、) その3)「年金運用の怖い実態」 2009年4月21日 豊島氏年金問題に関しては一般メディアで不正の話ばかりが報道されているが、実は最もヤバイことは、その運用である。 不正による損失は億円単位であるが、運用による損失は兆円単位だ。*”運用”は聖域なので、クレームがつけられない!ーー> 運用損失こそ高効率年金搾取方法、その4) Tokyo Based Hedge Fund AIJ May Have Lost/Stolen All Customer Pension Fund MoneyIt will be interesting to see which European bank received the customer money once it hit Hong Kong via the Cayman Islands. It is not a good sign for customers that a European or American bank was involved. That smells more like theft than loss. Jesseいわく、ケイマン/香港経由(といういわく付き)の金を、どこの欧州銀行が引き受けたのか、そもそも、欧州銀、あるいは米銀が運用に絡んだ時点で怪しい、これは損失と言うより、窃盗だろう、 追記)エルピーダ破綻、こちらも官民一体型プロジェクト、 エルピーダ:会社更生法の適用申請 負債4480億円 --> 枝野幸男経済産業相は27日、破綻によって公的資金が返済されず、最大280億円の国民負担が生じる可能性があると明らかにした。 これで、倒産宣言出すなよ! 信用倍率95倍!? とどめは、-->ゴールドマン・サックス証券が大量空売り中Jesseのご推薦、欧米銀が絡んでいたら、窃盗と思え!と言うことでOK? 更新日時 2012年2月28日 14時34分41秒
2012年02月28日
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歯間フロスで、毎晩、メンテしている、で先ほど、このように思いながら、メンテした、「あの世に行くまで、(アト20年ちょっと??)このままの状況が続きますように、」歯に限ったことではないのだが、 永遠に続くわけではないので、体のコンディションは、期限付きで考えればOK、 アト10年、イヤ20年、うまくすれば30年、ドーにか、やり過ごせばいい、と言う発想、歯も含め、この体は、お金や不動産と同じく、この世に置いていかねばならぬ、なるべく、使い切りで、この世に置いていけたら最高!だが、そこまではコントロールできないので、せめて、最低機能は維持しつつ、(下手な出費はせず、)残せたらと思っている、
2012年02月27日
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先日、「自分の十字架を負う」とは、実はそのままって知ってた?の中で、以下を記した、XーーーーーーーーーーーーーーーーーーーXナント、泳いでいる最中に、又、父母が現れ、 2人して、昨日と同じことを言った、 父:「XX、十字架だ、」 (XXはオレの名前) 母:「XX、十字架よ、」この瞬間、 自分に十字架が浮かび上がってきて、 何か、それを背負って、泳いでいる感覚になった、 その時のスイムの軽いこと、一気に、余計なものが削がれてしまった感じ、1k泳いで、疲れ方が昨日とは違った、 ゼンゼンまだいけそうだったが、人が来たので終了、 これで、開眼、日々、自分の十字架を負い、とは、 「既に死んでいることを日々確認せよ、」と言うことだろう、 ではない、 日々、自分の十字架を負い、とは、 日々、自分の十字架を負い、だ、そのままだ、 一見、重そうに見える十字架だが、 負ってみて分かるのは、スゲー軽い、いや、軽いどころではない、 自分を引き上げて、軽くさえしてくれる、XーーーーーーーーーーーーーーーーーーーXと興奮気味に書いたわけだが、その後、忘れる、 で、今日、東京マラソン2012のキリストまた思い出す、そうだ、十字架だ、と、 ルカ9:23-24イエスは、みなの者に言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。自分のいのちを救おうと思う者は、それを失い、わたしのために自分のいのちを失う者は、それを救うのです。 」 で、十字架の彼は、完走したんだろうか、そして是非、一言、コメント感想が聞きたいところだ、十字架は軽かったのか、ドーか?願わくは、あの十字架、オレも欲しい、
2012年02月26日
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高橋氏、贖罪の事実から、 神は人の姿になって人間に近づく新改訳 ピリ 2:7ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。キリストは「人の姿で世に現われた」とは、実に深い意味が込められている。それは「仕える者」「僕の身分」とあるが、具体的には「お手伝いさん」や「部下」や「主婦」や「子供」や、「病人」や「ぼけ老人」や「旅人」になって近づくのだ。われわれはそれに気がつかず、彼らを「めった打ち」にしてしまう。正義のためといって。しかしそれは「主を打っている」のである。 新共同 ルカ10:30-37より、10:30 イエスはお答えになった。「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。10:31 ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。10:32 同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。10:33 ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、10:34 近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。10:35 そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』10:36 さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」10:37 律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」 この「良きサマリヤ人」の物語について、神学者バルトは興味ある解説をしているという(出典不明伝聞)。ここで強盗にあって痛めつけられた人はキリストであり、そこで譬えの最後にユダヤの律法学者にむかって、「あなたも救い主に対してこのサマリヤ人のようにしなさい」と言ったのが譬えの主旨であると言う。つまりこの譬えは「愛とは何か」という、隣人愛の一般ヒューマニズムの道徳を教えたのでなく、「救い主(私)は、強盗にあって瀕死の重傷を負った人生の旅人」、としてあなた達の目の前にあらわれている。だからあなた達(ユダヤ人)は(私に対して)「このサマリヤ人のように(私に親切に)しなさい」というのである。異論があろうが、実に深い読み。さすがバルト。私達の目の前にも「この人が」と思われる人が、実は「主が姿を変えて」いましたもうのだ。この箇所は一般的に、 良きサマリア人のように、困っている人を見たら、慈愛を持って、その人を助けましょう、あるいは、この良きサマリア人こそ、真の隣人イエス様です、のような解釈が大多数だったと思う、 が、バルト的解釈は、あなたの前の困窮者こそ、(あるいは、敬遠したい人こそ、)あなた方の主、キリストだと、 主に仕える、とは、まさに、そのような人に仕えることであると、これは、マタイ25:40にも、 『あなたがたによく言っておく。 わたしの兄弟である これらの最も小さい者のひとりにしたのは、 すなわち、わたしにしたのである。』とある通り、 ココでのもう一つのポイントは、イエスが話した相手が律法学者達というところか、良きサマリヤ人この譬えで、従来は「隣人」としての「善きサマリヤ人」に焦点が当てられていますが、私はむしろ、最も神を愛しているはずの聖職者である「祭司とレビ人」を取り上げたイエスのお考えに注目します。”講釈ばっかり言ってんじゃねーよ、 お前たち!”と言うことだな、 自分の目の前にいる人、こと都合の悪い人、触れたくない人が、実は、キリスト自身、というのは、えっ!だが、 妙に納得、神は人の姿になって、人間に近づく、
2012年02月26日
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高橋氏、贖罪の事実から、復活の家 人間はみな、家を求める。物理的な家屋(ハウス)や、中味としての結婚による家庭(ホーム)も、その目的は心が落ち着くところ、安らぐところを求めているのである。しかし家屋(ハウス)を得ても、結婚して家庭(ホーム)を得ても、真の満足は得られない。聖書で家の概念には、物理的家屋の他に、神の胸に安らい憩うという思想がある。イエスは自分のことを神殿と言った。人間は神の胸に憩う時に、真の家に住むことになる。
2012年02月25日
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先日、聴いた、トニーベネットの、 Stranger in ParadiseTake my hand I’m a stranger in paradise All lost in a wonderland A stranger in paradise If I stand starry-eyed That’s the danger in paradise For mortals who stand beside an angel like you I saw your face and I ascended Out of the commonplace into the rare Somewhere in space I hang suspended Until I know there’s a chance that you care Won’t you answer this fervent prayer Of a stranger in paradise Don’t send me in dark despair From all that I hunger for But open your angel’s arms To this stranger in paradise And tell him that he need be A stranger no moreここで、デュエットした相手、 Andrea Bocelli(右)が、思い出される、盲目の方かと思われるが、自分には、全く、なじみもなくて、響き渡る声だけが、とても印象的だった、チェックしてみると、プロフィールトスカーナ地方の村に生まれる。6歳でピアノを始め音楽の道に進むものの、12歳の時にサッカーボールを頭に受け脳内出血を起こし失明する。障害を乗り越えて法学博士号を取得し弁護士として活躍。その後、世界的なテノール歌手であるルチアーノ・パヴァロッティとイタリアを代表するロック&ポップス歌手のズッケロ(Zucchero)に見出され1994年にデビューした。現在のイタリアを代表するテノール歌手の1人として高く評価されており、2006年に行われたトリノオリンピックの閉会式で「Because We Believe」を歌う他、2007年7月にロンドンで行われたダイアナ妃追悼コンサートでミュージカル「オペラ座の怪人」を歌うなど幅広い活動を行っている。 ナルホド、イタリアを代表するテノール歌手、道理でーー、 が、思うに、彼もまた、「まさか」の人生だったわけだ、12才のとき、サーカーボールで失明、 その後の彼の人生は、どれほど大変だったのだろう、 自分には、想像もできないのだが、 Andrea Bocelli - The Lord's PrayerOur Father Which art in HeavenHallowed be Thy nameThy Kingdom comeThy will be done on Earth As it is in HeavenGive us this day our daily breadAnd forgive us our debtsAs we forgive our debtorsAnd lead us not into temptationBut deliver us from evilFor Thine is the Kingdom And the Power and the GloryForever.Amen. 更新日時 2012年2月25日 1時32分0秒
2012年02月24日
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これは、個人的メモで、 信仰告白なくして、何ゆえ救われるのかの補完、 高橋氏、感話(2003.6.25の日記)より、 ●その生涯。神も、キリストも、救いも、何らかの事情で信じなかった人でも、キリストの身代りの愛で、救われると思うようになった。●人間、死の恐怖と断罪される恐怖、これ最大の恐怖。そのとき「イエスの贖罪死と復活がある」と駆け寄って慰める。そういう人に私はなりたい。 ●人類は、その生前に神を信じなかったとしても救われる。その聖書的根拠は。「99匹の羊」(マタイ18章、ルカ15章)「放蕩息子の譬え話」(ルカ15章)「姦淫の女」(ヨハネ8章)「十字架の上の強盗」(ルカ23章)「ロマ書全体・・・異邦人の救い」●このように同類思想を集めるのが、BbB(バイブルバイバイブル)作成の目的、ライフワーク。急いでやらねばならない。「行ッテコハガラナクテモイヽト」言うために●万人救済論は頭だけの理論だけでは心の安息がない。「胸が熱くなる」体験で、復活を信ずるに至る時、霊肉の安息を得る。史実的根拠を聞いて理性も安息を得る。
2012年02月24日
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高橋氏、感話より、 人生において「まさか」と思うとき人生には「まさか」と思うことが起こる。まさか、私の家が全焼しようとは。まさか、何の前ぶれもなく、脳出血で突然に意識不明になろうとは。まさか、ウチの子に限ってそんなことが起ころうとは。などなど、理想の人生に反して、「まさか」という出来事が起こる。しかしその「まさか」と思う出来事の中に、神の秘められた大なる知恵が隠されているらしい。それは「まさか」の苦難の渦中には分からないことだが、あとになってわかる。そこに人智では計りがたい神のご計画があるらしい。イエスの復活ということも、「まさか」の出来事、事実であった。しかし、ここに神の深いご計画があり、人類の最大の悩み悲しみである、罪と死から救う道を開かれた。だから、まさか、この私の罪が赦されるとは、まさか、来世への希望が湧くとは、という人知では計り知れないことが起こるのである。 人生で遭遇する3つの坂の最後のヤツ、上り坂、下り坂、まさか、中身は、イロイロあるだろうが、「まさか」を肯定していく人生というのも、悪くないかもしれない、 彼は私達を生かさんとして殺し、殺して生かし給う
2012年02月24日
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高橋氏、感話より、 建物の鍵にマスターキーというものがある。ホテルやマンションなどでよく設計する。そのキー一本ですべてのドアが開けられる。だからそれを紛失したら、すべてのドアの鍵を取り替えなければならない。かって外国のホテルでそのキーが紛失した時,一晩で客室の鍵を全部取り替えた事件があったと聞く。またマスターキーはフロアごとのマスターキーと、建物全体のグランドマスターキーというものがある。新約聖書にもマスターキーがある。それは三本。 その第一は、「神による絶対恩恵による無条件の罪の赦し」(主としてイエスの言動)その第二は、「神によって新しい霊の着物を着せられる」(主としてパウロの思想)その第三は、「救いの出来事はこの歴史内で確実に起こった」(福音書の編集方針) この三本である。まだあるかもしれないが、まずこの三本で新約聖書のすべてのドアーは開くと思う。このうち第一のものがグランドマスターキーである。単純明解である。目があればこの三本のキーでどこでも開けられる。新約聖書の結集と編集も、この三つの方針に基づいていると考えられる。この三本のキーの中でも、第三番目は、特に日本において、重要である。これは、新約聖書を結集する時に、最大の難敵であった「グノーシス」に対抗するものであった。日本人はギリシャ哲学や仏教の霊魂不滅思想に、馴染みやすいから、当時と共通の問題を抱えている。キリストは肉体をとってこの世に来られて、神のお心を分かりやすく見せまた聞かせたのである。ただし、この三つのキー操作は、霊の目が開いていなければができない。ここがむずかしいところである。しかし目が開けばこの三本のキーで、どこもかしこも簡単に開けられる。新約聖書は単純明快である。むずかしいことはない。赦されていること、 聖霊が着せられていること、 歴史的事実としての救い、 これまで、聖書について、あまり、マスターキー的な発想をしたことがなかったので、この指摘は、ナルホドと思った、これを自分なりに言い換えて、歴史的事実としての十字架(贖罪)を根拠に、過去、現在、未来に至って赦された身に、聖霊を帯びながら、天国に向かう、
2012年02月24日
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一昨日、Stranger in Pradaiseから出てきた、ダッタン人の北方からの渡来で、思い出した、 もう十数年前になるかなー、夏休みを利用した、ヨメさん&子連れのミッションツアーで、シベリアのブラーツク市を訪れた時のこと、唖然とした、道行く女性の容貌が、まるで日本人だったからである、 (ネットから転載)案内役の日本人ミッショナリーいわく、「大阪医科大学の松本教授を知っていますか?彼は犯罪血液学の大家です、一滴の血液から、前日の行動がわかるとまで言われています、その彼が出した本、 『日本人は何処から来たか』に、日本人の起源が、ここブリヤート共和国近辺と書かれていますよ、」 その松本先生の研究成果、「免疫グロブリンGの標識遺伝子に基づく日本民族の起源」は今ではWeb上でも公開されている、 そこには、日本人の遺伝子パターンが、シベリア北方系とほとんど同じ事を示すデータがある、図1 最初、これを聞いた当時は、失われたユダヤ十支族やダッタン人のことなど、全く知らなかった故に、「フーーン、」程度でしかなかった、が、今、思い起こすと、 ナルホドナー、と思えてくる、草原の道
2012年02月23日
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金融危機対策と、子供のNZ留学に合わせて、3年前に神戸で開設、日本HSBCとNZ-HSBCに口座があって、送金では結構、重宝していたのにーー、 <HSBCプレミア> 重要なお知らせ2012年2月22日 20:33拝啓 時下ますますご清栄のこととお慶び申し上げます。平素は、格別のご高配を賜り、厚く御礼申し上げます。 この度、全世界におけるHSBCグループならびに香港上海銀行の事業再編の一環として、たいへん残念ではございますが、私どもは、日本におけるHSBCプレミアサービスのご提供を中止することを決定しましたことをお知らせいたします。 マッ、子供もそろそろ卒業だし、 タイミング的にはちょうどいいのかも、で、金融危機が叫ばれる中で、HSBC(日本)が撤退というのは、資金海外逃避を嫌う当局のお達しかしら?当方としては、残るNZ口座で、預金防衛を図る??さて、この場面では、Financial Advice From Christを参考にしてみるか、 It's just an explanation why I don't feel I'm in the position to recommend any wealth preservation strategies. 私が(この金融危機下でも、)貴金属/他商品類の保有等を勧める気にはならないのは、ひとえにこのイエスの言葉(*)が理由だよ、*マタイ6:25-32(塚本訳)6:25 だから、わたしは言う、何を食べようかと命のことを心配したり、また何を着ようかと体のことを心配したりするな。命は食べ物以上、体は着物以上(の賜物)ではないか。(命と体とを下さった天の父上が、それ以下のものを下さらないわけはない。)6:26 空の鳥を見てごらん。まかず、刈らず、倉にしまいこむこともしないのに、天の父上はそれを養ってくださるのである。あなた達は鳥よりも、はるかに大切ではないのだろうか。6:27 (だいいち、)あなた達のうちのだれかが、心配して寿命を一寸でも延ばすことが出来るのか。6:28 また、なぜ着物のことを心配するのか、野の花の育つのを、よく見てごらん、苦労をせず、紡ぐこともしない。6:29 しかし、わたしは言う、栄華を極めたソロモン(王)でさえも、この花の一つほどに着飾ってはいなかった。6:30 きょうは花咲き、あすは炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこんなに装ってくださるからには、ましてあなた達はなおさらのことではないか。信仰の小さい人たちよ!6:31 だから、『何を食べよう』とか、『何を飲もう』とか、『何を着よう』とか言って、心配するな。6:32 それは皆異教人のほしがるもの。あなた達の天の父上は、それが皆あなた達に必要なことをよく御承知である。6:33 あなた達は何よりも、御国と、神に義とされることとを求めよ。そうすれば(食べ物や着物など)こんなものは皆、(求めずとも)つけたして与えられるであろう。6:34 だから、あしたのことを心配するな。あしたはあしたが自分で心配する。一日の苦労はその日の分で沢山である。
2012年02月22日
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ピンホールメガネを使い始め、2ヶ月が経った、結果、(視力こそ測ってないが、)使用感がよく、PCの疲れ目がほとんどでなくなった、(そんなに見てないのもあるけど、)基本、外出時は、夜間を除いて、極力つけている、(時々、夜間もつけるけど、)天気のいい日は、サングラス代わりで、これがなくては歩けない(?)くらい、で思った、メガネとは何だったのか?考えてみれば、本来、自然治癒が基本の医療で、メガネとは、(整形外科と同じで、)対処療法の極みではなかったのかって、学生時代、黒板の字が見えにくくなって、即、メガネをつけ始めたわけだが、この年になって、目覚め始める、時間はかかるかも知れないが、5分で視力回復トレーニングなども参考に、目指せ、自然治癒!だな、
2012年02月22日
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Stranger In Paradiseなる言葉が出てきて、早速チェック、 オリジナルは、ダッタン人の踊りからだとか、 ダッタン人の踊りは、ロシアの作曲家アレクサンドル・ボロディンが作曲したオペラ『イーゴリ公』の第2幕の曲で、ボロディンの最も有名な曲のひとつ、「イーゴリ公」のポロヴェッツ人の踊りの場面特にこの部分、ダッタン人の踊り(30秒抜粋)この箇所だけが、(何ゆえか)Stranger in Paradiseとして有名になり、トニーベネットらが大ヒットさせている、 歌詞、(一部抜粋)Won't you answer the fervent prayer of a stranger in paradise、 Don't send me in dark despair from all that I hunger for、 But open your angel's arms to the stranger in paradise、 And tell him that he need be a stranger no more、 一般訳は、この天国で迷える旅人の熱き願いにこたえてくれないだろうか? 私の求めに応えずに暗い絶望に突き落としたりしないでおくれ、 この旅人にその天使の腕を開いてさしのべ、 彼にもう迷える旅人ではないと言ってやっておくれ、 ちょっと、ピンと来ないかーー、 このStranger in Pradaiseの日本語訳は、高橋氏によると、「天国での見知らぬ人」、(以下、抜粋で)●こういうところを見ると、どうやら天国では肉にまつわるべたべたな関係はなさそうだ。結婚もないという。家庭も子供も無いという。その方が天国的だ。霊の関係なのだ●死んだらあとからすぐ妻が来てくれるとか、先に逝った妻や子に会えるとかいうのは間違いらしい。●天国では妻や夫や子の面影のある人に出会うかもしれないが、それはもはや妻ではない、夫ではない、子ではない。だから「声を かけられない」!!。皆天使なのだから。「おーい。お昼は何を食べてればいいんだ」などということで妻を束縛することはいけないのかもしれない。(逆にだから今の内に十分に面倒をみてもらっておこうという考えもいけないのかもしれない。笑) ●天国では地上の家族はバラバラ。「見知らぬ人」になる。天国では各自が天使になる。 有体的復活は人は人でなくなるのだ。天の身体(パウロ)になるのだ。●こういう来世観を持つと地上で家庭的に恵まれなかった人、離婚した人、片親の人、親の顔を知らない人、子供に恵まれなかった人達を慰める力が湧いてくる、(翌日の日記で、)これが歌となったのが「ストレンジャー・イン・パラダイス」である。歌詞の内容は「天国での見知らぬ人」である。そのことを昨夜からずっと考えていて、朝の啓示になった。天国ではおそらくというか多分と言うか確実に家庭はない。したがって家庭の悩みというものはない。(中略)天国では家庭の存在はないと思う。地上の家庭の延長は無いと思われる。全員天使で「見知らぬ人」なのだ。 コー言う視点「天国では全員見知らぬ人」を持つと、上の歌詞のイメージがなんとなくわいてくる、察するに、この歌は、 天国とは見ず知らずの人ばかりで、孤独なのではないかと不安がる信仰者に、心配に及ばず、と励ます内容かと、(勝手解釈で失礼!)で、(とりなしの)祈りの視点から、上の歌詞を、このように訳してみた、 神よ、この天国で迷える者の”祈り” 「私が望んでいる状況から、 暗い絶望に突き落としたりしないで下さい、」に応えてあげてくれませんか? ドーか、彼のためにあなたの天使を送り、 彼がもはや一人っきりではないことを教えてあげて下さい、ちなみに、この曲のオリジナルタイトル、「ダッタン人の踊り」の”ダッタン人”だが、久保有政氏の「仏教の中のユダヤ文化」(P275)によれば、「ダッタン人とは、中央アジアのモンゴル系遊牧民族タタール人のことで、彼らは昔、ほとんどが景教徒だった、」 「彼らも日本に来ていたと思われ、樺太とアジアの間の海峡は、タタール海峡(ダッタン海峡)の名がつけられている、」 「東大寺の修二会では達陀(ダッタン)と呼ばれる行があって、その衣装や踊りを見ると、ダッタン人景教徒由来かと思わせる、実際、その仏教音楽の声明(ショウミョウ)を聞くと、東方キリスト教会の礼拝音楽にそっくりだ、」 ウウーン、こうして見ると、Stranger In Paradiseとは、実は、DattannJin In Japanのことではないかと思えてくる、悠久の昔、北方ルートで、(天国ならぬ)日本にやってきたダッタン人、 その時の心情(見知らぬ地での不安)を、現していたのでは、(ナーンテネ、)日本語の合唱曲、だったん人の踊り(日本語合唱付、12分)更新日時 2012年2月21日 12時44分36秒
2012年02月21日
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昨年3月、父母は天に召された、このとき、自分なりに、なぜ、父母は信仰告白もないのに、天国に行けたのか(救われたのか)、下記のように分析している、 父母が天に行けた理由、1) 今は聖霊の時代だから、キリストが昇天して10日後、全世界に聖霊が降臨する、(ペンテコステ)、よって今は、未信者でも聖霊が与えられ、救われる、2) 家族ゆえ、”主イエスを信じなさい、そうすればあなたもあなたの家族も救われます、”(使徒16章30)3) とりなしの祈りのゆえ、”父よ、彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。”(ルカ23:34)4) 天皇家の末裔ゆえ、父は毎朝、先祖(清和天皇に遡る)を拝んでいた、それが、神の目に留まった(のかも)、 で、高橋氏も数年前、お母様を、(信仰告白なく、)天国に送った、 母の死と神の慰め20040315(月)・・・母召天3日前・・・ ●13:30に 妻が来て母に呼びかけると、母は昏睡状態でありながら「照男さんは、照男さんは」と見えない目で手を探る。妻が手を握りながら「照男さんはそばにいますよ。安心してお休みください」と言う。「母さんさようなら。また会う日まで」●この悲しみの底で私の胸にドット神の慰めが下る。母が昨日「テルオちゃん、 テルオちゃん」とうつろな目で私を4回ぐらい立て続けに呼んだ。これだ!。これでよいのだ!。私は小中学校以来「テルちゃん」とは言われてきたが、「テルオちゃん」と呼ばれたことは無かった。それを昏睡状態の母の口から聞いた。これはきっと母が私を赤ん坊の時にこう呼びかけていたのかも知れない。母はこのとき60年も前のことが夢うつつの中で頭に去来していたのかも知れない。●昨日私を「テルオちゃん」と4回も呼んだことで、母はキリストと 神と永遠の生命を受け入れたのだ。母はついに教会の型どおりの「信仰告白」をしなかったが、キリストを信じている息子の名前を呼ぶことによって神とキリス トを受け入れたのだ。そしてこのとき「永遠の生命」をいただけたのだ。神に覚えられた。これでよかったのだ。このような不思議な確信を与えられ、私の心は安んじ、感謝の涙が溢れた。大河の流れのような平安が与えられた。不思議な経験。そしてこの時に、すべてが「成就した」、「母さん」もう早く神のもとに逝ってほしいと思うようになった。●これで40年間の祈りは成就した。母に対して私は「使徒」の働きができた。私はいつ死んでもよいと思うようになった。 これが転換点であった。霧雨のように下った神の「慰めの霊」が私に「母は神に覚えられた」という確信を与えてくれた。平安になった私の心の変化で傍にいる妻も楽になった。 高橋氏の確信は、ここ、福音というのは、キリストを信じている人を、信じて受け入れることによって伝わっていくのだ。頭や口での華々しい伝道によるのではないのだ。塚本訳 ヨハ 13:20アーメン、アーメン、わたしは言う、わたしが遣わす者を受けいれる者は、わたしを受けいれるのであり、わたしを受けいれる者は、わたしを遣わされた方を受けいれるのである。」 ナルホド、これは新鮮な見方!自分の父母に置き換えるなら、信仰者としての自分を受け入れてくれたがゆえに、父母は救われた、となる、確かに、振り返ると、昨年の段階(父母の召天前)で、父母は信仰告白こそなかったが、かつての私への反駁の態度はなかった、父は、浄土宗の檀家に疑問を持ち始めており、直近2年間の寺への護寺費を収めていない、母は、うちの息子(NZ留学中)がえらい気にいっており、うちのヨメさんにも、「教会行っているの?」と聞くなど、自分(および家族)に大変好意的になっていた、上の分析(父母が天に行けた理由)の、5番目に加えとこう、5) 自分が受け入れられたから、
2012年02月20日
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高橋氏サイトから、 (抜粋で)苦難の意義に関する説明で、「苦難と神の愛」と題する塚本先生の短い説明ほど、私を慰め、かつ納得させてくれたものはない。私はこれを忘れまいとして、この二〇年間日記帳の表紙に、必ずこの短文が載せられている聖書知識の号数を記した。五十七才の今日、再びこの文章を読み、深く慰められたのと同時に、その内容をまた少し分からせていただけたような気がする。 苦難と神の愛 塚本虎二 ヨブは神から財産を奪われ、その子女をことごとくもぎ取られ、全身恐ろしい腫れ物で苦しめられながらも、なお神を呪わず、エホバ与えエホバ取りたもうなり、エホバの御名は讃(ほむ)べきかなと言って、ついに罪を犯すことをしなかったという(ヨブ記一~二章)。 まことに義人ヨブなればこそである。 もし私達に彼だけの信仰と謙遜と覚悟とがあるならば、私達の生涯は如何ばかり明るくなることであろう。 しかしながら、ヨブのこの言の調子は高くない。 神から多くの幸福を戴いているから、どんな不幸でも苦難でも、甘受(かんじゅ)せねばならぬという消極的の諦めであって、まだこの鞭(むち)の中にこもっている神の深い愛の意味を、把握することが出来ずにいるからである。 彼は多分最後に、その財産を倍加され、幸福なる家庭を恵まれた時に、始めてその無知に気付き、神に懺悔(ざんげ)し、限り無き神の愛に対して、感謝の祈りを捧げたに違いない。 まことに神の愛は限りなく高く、深く、かつ広い。何人もこれを言葉にし筆にすることは出来ない。 ただ神の啓示たる聖書の中には、この広大無辺なる神の愛を、いみじくも書き記した個所が少なくない. 否、聖書全体が神の愛の大讃美歌である。 しかしその中においても最も美しくこれを描いたものの一つが、有名なるモーセの歌の中にある親鷲の比喩(ひゆ)である。 多分モーセ自身かかる神の愛を、たびたび経験したのであろう。 彼は神エホバがイスラエル民族を、愛撫し給たまうのを譬えて言う――― 鷲が巣を揺り動かし、雛の上を飛びかけり、羽を広げて捕らえ翼に乗せて運ぶように(申命記三十二章十一節) 親鷲がその雛に飛び方を教えようとする時は、まずその巣を騒がせて雛どもを巣の外に追出す。 しかし危険をおもんばかって、巣の上を舞いながらこれを監視し、もし雛が飛び得ないか、あるいは疲れて飛べなくなった時には、これを自分の翼の上に載せるという。エホバがイスラエルの民を守り導き、これを訓練し給たまうことが、あたかもこの親鷲のようであるというのである。 (中略) 神は愛にてあり給う。私達には愛以外の何ものも臨まない。不幸と見え、神の呪詛と見ゆることも、究極する所は愛である。否、最も愛ならずと見ゆる所に、かえって大なる愛が秘められている。真の愛は隠れるからである。神は掻き、裂き、また癒し給うという(ホセア六章一節、ヨブ記五章一八節参照)ホセア書六章一節「さあ、わたしたちは主に帰ろう。主はわたしたちをかき裂かれたが、またいやし、わたしたちを打たれたが、また包んでくださるからだ。ヨブ記五章一八節「彼は傷つけ、また包み、撃ち、またその手をもっていやされる。」矛盾である。しかし掻き裂き給うは愛し給うからである。然り、神は愛するが故に掻き裂き、愛するが故にまた包み給う。否、癒さんとして掻き裂き、包まんとして傷つけ給う。私達罪の人間は、この神の愛の矛盾の坩堝(るつぼ)において、精錬さるることなしには神の国に入ることが出来ない。ロマ書八章一八節「われ思うに、今の時の苦難くるしみは、われらの上に顯(あらわれ)んとする榮光にくらぶるに足らず。」(文語訳)とパウロはいった。キリストの光に照らされたクリスチャン・パウロの目には、ヨブに見えないものが見えたのである。彼はこの世の苦難と不幸とがすべて、神の深き愛に出づるものであり、それが、ただそれだけが、人を神の国に相応(ふさわし)い者にすることを知ったのである。 艱難(かんなん)なしには、何人も神の国に入ることをゆるされない。神は殺しまた生かし給うという(サムエル記上二章六節、申命記三二章三九節)。サムエル記上二章六節「主は殺し、また生かし、陰府にくだし、また上げられる。」申命記三十二章三九節「今見よ、わたしこそは彼である。わたしのほかに神はない。わたしは殺し、また生かし、傷つけ、またいやす。わたしの手から救い出しうるものはない。」然り、彼は私達を生かさんとして殺し、殺して生かし給う。 自分的に、励まされたのは、「この世の苦難と不幸とがすべて、神の深き愛に出づるものでありーーー、」の箇所、イロイロある今の(&今までの)不都合/不条理は、まさにこれではないかと思った、神様の性格を表すのに、(せっかく、親鷲のいい比喩が来ているのだけど、)個人的に思ったのは、 どこを切っても、愛、 *チョっと、軽すぎるかなー、(アトで消そうか、)
2012年02月19日
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引き続き、高橋氏サイトから、真の受容は罪の赦し宗教の本質は受容であるということも理解できました。マタイ21章31節イエスが言われる、「アーメン、わたしは言う、税金取りや遊女たちは、あなた達よりも先に神の国に入るであろう。」これほど崇高な言葉は無いと恩います。神の子にして初めて言える言葉です。これはエレミヤスの解説によりますと、税金取りや遊女たちが先に神の国に入って、あとから聖書学者やパリサイ人が来る、という後先の問題ではなく、税金取りや遊女たちが神の国の正客で、それで神の国は一杯になり、聖書学者やパリサイ人は入れないのだというのであります。これほど受容の崇高さを説いた言葉はないと思います。私たちの身内や親戚にもし滅びの人がいたら、このマタイの句を念ずれば我々は安心です。彼等のほうに神は気を配っている。それは迷い出た一匹の羊であるからです。 聖書学者(教職者も?) は、神の国に入る余地がない!?(きついねー、)理屈っぽくて、頭でっかちは、追い出されソーな雰囲気、 気をつけなければナー、 迷える子羊こそが、神の国では正客になるーー、 アッ、ソー言えば、昨年、父母はしっかり天に行ってしまった、およそ、キリスト教とは、無縁かと思っていたのに、 ウンーー、待てよ、逆か? キリスト教に無縁だったからこそ、受け入れられたのか、
2012年02月18日
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高橋氏の過去記事から、 科学(仕事)と宗教の一致、 私が次に知り得た真理は、仕事と職業の本質です。ルカ福音書16章9―13節を読みます。9それでわたしもあなた達に言う、あなた達も(この番頭に見習い、今のうちにこの世の)不正な富を利用して、天に友人(神)をつくっておけ。そうすれば富がなくなる時、その友人が永遠の住居に迎えてくださるであろう。10ごく小さなことに忠実な者は、大きなことにも忠実である。ごく小さなことに不忠実な者は、大きなことにも不忠実である。11だから、もし(この世の)不正な富に忠実でなかったならば、だれが(天の)まことの富をあなた達にまかせようか。12もし他人のもの(この世のこと)に忠実でなかったならば、だれがあなた達のもの(天のもの)をあなた達に与えようか。13しかし(この世のことはみな準備のためであるから、それに心を奪われてはならない。)いかなる僕も(同時に)二人の主人に仕えることは出来ない。こちらを憎んであちらを愛するか、こちらに親しんであちらを疎んじるか、どちらかである。あなた達は神と富とに仕えることは出来ない。 これは古今東西百千とある職業観の、どれにも勝るものとされています。しかし、これもいったん贖罪の経験で、新しく生まれ変わらないと解読不能な箇所です。問題の10節は、神に救われた人は、その時初めて、この世の小さい低い仕事に、意義を見出だすことができ、それに忠実になれるのだというのです。奴隷の仕事、一番下の仕事にも意味を見出だせるのです。人聞は救われなければ誰でも、大きな仕事のほうが価値があると思うのです。わたしは若いとぎから長い問、この10節を逆に読んでいました。つまり小事に忠実であれば、その褒美として大事を任せられると。そうではないのです。救われた人は、つまり大事に忠実な人は、小事にも忠実に生きる生き方をするものだ、というのです。つまりこのイエスの言葉も、救われてみて初めて理解できる部分であります。救いを頂くと、その時、この世の職業はどんな低い仕事でも、否、低い仕事であればあるほど、神の姿に似つかわしいものである事を知るのであります。 これ、ノーコメント、唯々、納得の一言、聖書の言葉(の意味)は、救われる前と救われたアトでは、解釈が異なってくると言うのはナルホドと思った、
2012年02月18日
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今朝方、昨夜の続きで、思い浮かぶ、昨年、こちらへ引っ越してくるときに、神戸の空港で、すべての財が入ったウェストポーチをなくしたこと、 引越しの際の移動のゆえに、すべてがはいっていた、すべてのクレジット/銀行カード、 免許類、各種保険書、キャッシュ、パスポート、等々、おまけに、ご丁寧に、カードのPWを書いたメモも入れてあった、*幸い、30分後、空港事務所にガードマンが届けてくれたが、「ああ、なくすのは一瞬なんだな、」と実感させられた出来事だった、で先ほど、厳寒の中、玄関で、ストーブの灯油缶をはずし、灯油を入れている最中、家の火災のことを思い浮かべていたら、ちょっと物思いにふけってしまった、瞬間、ハッとした、10-20秒のわずかな間だったが、灯油を入れていることをスッカリ忘れてしまっていたのだ、あっ、と思ってみると、オーバーフロー寸前!! イヤー、冷や汗ものだった、 (オイオイ、なんか、ことの起こりが、あまりにも、タイミングがよすぎるのだが!?) これで、急に、実家の火災がリアルなものになってきた、家も財も、なくなるのは、一瞬の出来事、決して架空のことではない、 リアルな現実、こんなものに、執着/固執していたら、えらい目に会いそう、 現在、体験をもって学習中、 箴言23:4-5 富を得ようと苦労してはならない。自分の悟りによって、これをやめよ。あなたがこれに目を留めると、それはもうないではないか。富は必ず翼をつけて、わしのように天へ飛んで行く。
2012年02月18日
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高橋さんの過去の日記を、いくつか拝見して、心に来たものがあった、まずこちら、 永遠の家に住む 2000年4月23日(復活節)午後、若者の「聖書勉強会」の第1回目を講師陣4名と若者たち6名で開いた。 夕方家に戻ると消防車が家の周りに何台も来ていて、鎮火寸前であった。 内外とも左官仕上げであったために外形は残り類焼は免れたものの内部は全損で使いものにならなくなっていた。 呆然、途方にくれていた時、ふと心に浮かんだこと、「天国の家は焼けない」。 (中略) 「聖書勉強会」では聖書の本質は「永遠の命」であることを第一回目当番の私が話した。 永遠の命を頂くためにはこの世のものに執着する心を捨て、一心に「救い」を求めなければならないことをマルコ10章17-25節「金持ちの青年」を通して力説した。 しかしそのことを話す人はまず自分がそれを実行しなければならなかったのである。けれどもこのことは人間にはなかなかできないことである。 家と財産を失ってみて初めて今回の事は、神に無理に火をつけられてこの世への「執着心」を焼かれたのだ思うようになった。 実際のところ聖書勉強会を開いている時刻に家が燃えはじめたのである。「家に帰って」見たら(塚本訳マルコ10章21節)財産がなくなっていた。 (中略) 今回の火災は、私の家族の者たち全員が「悔い改め」をすべきために天から「火」が下ったのだと各自が認識した。 そして不思議なことが起きた。今までになかった変化が皆の心に起こったり、また大切と思っていたものに対しすっかり興味を失ったのである。 この話を伺い、今、自分の住んでいる実家、これが一瞬にして、焼け崩れていく様が浮かぶ、 世の財はあっという間になくなる、世の財に執着すべからず、と言うメッセージを頂いた、(と思っている、) 次、こちら、 [脳出血の記録」 2000年7月6日執務中に急に目まいと吐き気がして立てなくなり、救急車で聖路加国際病院に運ばれました。(中略)さて、私は今回のことを通して「死の準備」をさせられました。救急車の中では「俺、死ぬのかよー」と叫んでいたそうであります。また救急外来処置室ではまともな祈りはできず、ただ「助けてくれー」と心に念ずるのみでした。しかしこのように死を目前にしたとき、私は「イエスの墓が空であったことと、復活の歴史的事実」を「罪の赦しと永遠の命へ」の最後の望みの綱としてますます強く信ずるに至らしめられました。そしてまた今回の病を通して、「来世実在の希望」と「再び生きることを赦された喜び」を与えられたことを深く感謝しております。救急車は2年前、自分にも経験がある、幸い、飲み屋で転んで、救急車で運ばれ、唇を5針縫ったぐらいで済んだけど、しかし、彼のように、死の淵をさまよったのはまだない、それが、突然、来るのだとしたら、生かされている身としては、文句は言えない、なんせ、年も年だし、覚悟だけはしておかねば、と、 いずれにせよ、この世に生きるとは、つくづくはかないことだ、(と思った、)生涯期間は短くて、その割には労苦が多い、詩篇90:10人生の年月は七十年程のものです。 健やかな人が八十年を数えても、 得るところは労苦と災いにすぎません。 瞬く間に時は過ぎ、わたしたちは飛び去ります。 また、例え、財があっても、あっという間になくなるし、 箴言23:4-5 あなたがこれに目を留めると、それはもうないではないか。 富は必ず翼をつけて、わしのように天へ飛んで行く。幸い、残ったとしても、持ち出し不可と来ている、1テモテ 6:7私たちは何一つこの世に持って来なかったし、 また何一つ持って出ることもできません。 ゆめゆめ、 希望的人生を、この先持つのは、ご法度かと、身軽で、ポックリ、且つ、そこにいたるまで健康なら、この世では、言うことなし!更新日時 2012年2月18日 1時25分17秒
2012年02月17日
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ピンボケの行動パターンを回避すべく、何か行動をとるかと言えば、取らない、これは、コアスイムの教訓でもある、 手足は、コアが動くので、動くのだ、コアから離れての手足の単独の動きは、疲れるだけ、(これ、今の自分には、嫌悪感さえ感じる、) ヨハネ15:5 文語訳"我は葡萄の樹、なんぢらは枝なり。人もし我にをり、我また彼にをらば、多くの果を結ぶべし。汝ら我を離るれば、何事をも爲し能はず。" 更新日時 2012年2月16日 23時13分59秒
2012年02月16日
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詩篇127:1、主が家を建てられるのでなければ、建てる者の勤労はむなしい。これの次の節、127:2、 口語訳あなたがたが早く起き、おそく休み、辛苦のかてを食べることは、むなしいことである。主はその愛する者に、眠っている時にも、なくてならぬものを与えられるからである。 新共同訳朝早く起き、夜おそく休み、焦慮してパンを食べる人よ、それは、むなしいことではないか、主は愛する者に眠りをお与えになるのだから。文語訳なんぢら早くおき遅くいねて辛苦の糧をくらふはむなしきなり 斯てヱホバその愛しみたまふものに寝をあたへたまふ KJVIt is vain for you to rise up early, to sit up late, to eat the bread of sorrows: for so he giveth his beloved sleep. NASBIt is vain for you to rise up early, To retire late, To eat the bread of painful labors; For He gives to His beloved even in his sleep.NETIt is vain for you to rise early, come home late, and work so hard for your food. Yes, he can provide for those whom he loves even when they sleep. 何やら、自分に、諭しが与えられているような箇所、夜討ち朝駆けではないが、朝早くから晩遅くまで、何のために働くのか、あるいは、あくせく生きるのか、生活のため(食べるため)だけに働くのは考えもの、となるわけだが、それ以上に、「あんたの振る舞いは、ピンボケだらけじゃない?」と言う方に、自分のフォーカスが当たる、そもそも、生活のために働くのは卒業しよう、と言うことで、早期退職した経緯がある、 マッ、その生活の糧を、投資で補おうとしたんだけど、躓いた、 (以下、粛々と質素な生活を継続中、)これまでの行動パターンを例えるなら、 「九州に行きたかったのに、ドーして、北海道にするの、」「洋室をリクエストしたのに、何で和室なの?」「ピザを注文したのに、何で、ラーメンがくるの?」さらに、「ユックリしなさい、と言っているのに、ドーして、そうセコセコ動き回ってるのよ?」 結局のところ、生きる原点に帰ってくる、(原点を問われる、)これまで、(早期退職後)セカセカから離れ、”ユックリ”はトライしてきたが、体の不調もあって、ピンボケの”行動パターン”はそのままだった、 詩篇127を見ると、参考聖句があった、(*この翻訳比較サイトはヒジョーに助かる、高橋さん、感謝!)マタ 6:31 だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。6:32 これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。6:33 まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。 もうひとつ、ヨハ15:5 わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。 ようやく体調が回復してきた中、ここら辺を参考にしながら、これまでのピンボケ行動パターンの、是正などが図れればいいなと思っているのだが、
2012年02月16日
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こちらにあった一言、口語訳 詩 127:1 主が家を建てられるのでなければ、建てる者の勤労はむなしい。主が町を守られるのでなければ、守る者のさめているのはむなしい。 ●「建つ建物は建つ」。これ50年の建築人生の結論。建築哲学。神が原発を造るのでなければ計画はむなしい。挫折する。 特に、「建つ建物は建つ」と言う言葉、ブログ主は建築家だが、ズバリ、言い切っている、 で、今日もジムで一泳ぎした後、露天スパで休憩し、その後、最後の25mをバタでユックリ締めた、一日の中で、最も幸せを感じる時でもある、この時、浮かんだ言葉が、「いいものは、いつだってラスト、」この幸福感は、残念ながら、1k泳いでいる最中には来ない、おそらく、泳ぎ切ることが頭にあるので、余裕がないのかもしれない、が、露天スパ後のカラダは、脱力の塊で、且つ、しなやかになっている、このリラックスしたカラダで、わずか25mを堪能するわけで、心的、身体的に、チョー余裕の世界の中で、 漂う幸福感、そして、ジムからの帰り道、この「いいものは、いつだってラスト」が、建築哲学の「建つ建物は建つ」と、自分の中で重なる、内容は(プライベートなことなので、)ここでは言わないが、なにか、励ましのように聞こえた、 「建つ建物は建つ」とは、 逆に言えば、 「建たない建物は建たない」となる、ナルホド、建たなければ建たないで、 それはそれで、いいと、マッ、その解釈はさておき、上の2つの言葉、相性が合うのか、自分の中で、いまだに響きあって聞こえる、更新日時 2012年2月16日 0時48分47秒
2012年02月15日
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姿勢は、ひとえに、ココにかかっている、 あごを出すな! 首が悲鳴をあげるぞ、あごを上げるな!背骨が湾曲するじゃないか、頭(あご)が前に出るとドーなるか?頭の重さを首/背中の筋肉が支え、体が悲鳴を上げる、 しかし、実際にコントロールすべきは、あごではない、後頭部を後ろに引け!(あごは自然に引ける、) この一点に集約される、 エグザイルを見ながら、 Last Christmas よい姿勢に想いを馳せる、アト、座姿勢、 改善方法はイロイロあって、知恵マットなどもいいのだが、後頭部を意識する、(意識しやすい)と言う観点から見ると、個人的には、やはり開脚座りがいいのかな、と思っている、 そのためには、(いすもさることながら、)まず、机を、足が開脚できるよう、幅広のものにする必要がある、のだがーー、
2012年02月14日
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家にあった小型電熱温風器、つけていると、カタカタ音がする、温風の出もいまいちで、おそらく十数年以上、一回もメンテしてないと思う、 で、さっき、天気もいいので、外に持ち出し、分解して開けたら、ホコリのかたまりがびっしり!?よくこれで、火災にもならず来たものだと感心、 あちこち掃除すること30分、 スイッチを入れると、静かに、且つ、いい感じで温風が出てくるではないか、で、フト、この温風器に、自分が重なる、これまで、忙しくばっかりして、体がボロボロになっているのにも気づかずにきた、早期退職を機に、 体と向き合い始め、ようやく、様々なホコリが除かれ、関節の動く音が聞こえるまでになってきた、よくココまで、回復したものだと、 Amazing Grace
2012年02月13日
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今朝方、現役時代のプロジェクト業務の夢を見る、事務所の中で、コントラクターを集め、コーディネーションプロシーデュアに基づき、書類を早急に提出するように、催促しているシーンだった、コーディネーションプロシーデュア、業務遂行要領、 *上の図で、プラント建設フェーズに該当、こまかな規定がビッシリと詰まっている、 各プロジェクト毎に出されるが、これが具体化する頃は、業務が本格化する時期でもある、会議、出張、書類の量、一気に増してくる、 もうプライベートな時間は、ほとんどない、 と、しばらく、忙しいシーンが続いた後、目が覚めて、昨日の5羽のツグミがよみがえる、そのGapに唖然、時間の過ぎ方がまるで異なっていた、そして今まで、何回も、この手の忙しかった会社時代の夢を見てきたのだが、思うに、忙しくなかったら、静けさのありがたさはわからない、と言うことで、それを悟らせるための夢だったのかなー、と思ったり、
2012年02月13日
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今日の昼過ぎ、サンサンと陽が降り注ぐ中、 天気図 庭に、ツグミが5羽、えさをついばみに降りてくる、 しばらく、ガラス窓越しに見ていたが、うちの庭にはスッカリ慣れているようで、庭中をまんべんなく歩き回っている、何か、ツグミと、一体感を感じてしまい、見ていて、飽きなかった、更新日時 2012年2月12日 23時37分24秒
2012年02月12日
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早期退職で始めた水泳、特にバタフライだが、今日はチョッとしたトピックスがあった、コースを一人で、ユックリ泳いで、700m位で一休みしてたら、隣のコースのご婦人二人から、声をかけられる、(明らかに自分より年上の方、)「あのー、すみませんが、ドーやったら、波を立てずに、泳げるんですか?」お二人とも、波が立たないバタフライが、 とても気になってたのだとか、 ウウーン、この質問には、正直参った、だいたい、水泳始めてこの方、人から、泳ぎ方を教えてくれなんて言われたのは、今日が初めて、マッ、簡単に、コアスイムとパワースイムの違いを説明して、少しだけデモも披露する、 内村さんのコアスイムのバタフライも紹介、 バタフライなんて簡単だ (クリックでプレー) ストレスフリーなクロール ユーザー名:swim 、 PW: monthly で視聴可マンタウェーブから、ドルフィンキックへ移行、腕はかくのではなく、まわすだけでOK、 バタフライはカンタンだ!最初は呼吸は意識しない、と言うところくらいまで解説、お二人とも、えらく熱心に聴いてくれて、おかげで、こちらが大変恐縮してしまった!?短時間だったので、うまく伝わったか疑問だが、驚いたのはその後、又、コースに戻って、バタフライを始めたら、これまで以上に、スゲー、軽く、水面上をいいウェーブで泳げているではないか、で、思ったね、人に教えていると、一番、利するのは教えている本人だと、
2012年02月11日
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微に入り、細に入り、気の利いたトレーニングを、1年365日、1日24時間、いつも、ありがとう、僕も、君のことは、1日24時間、片時も忘れないよ、
2012年02月11日
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これ、気に入った、 中村 仁一さん 自分の死 - 京都新聞2011年8月12日 僕自身は「死」を具体的に考えるために、古希を記念して、自分で組み立てられる段ボール製の棺おけを買いました。あの狭い空間に横になると執着心が多少は薄れるんです。あの世には何も持って行けないということを実感するんです。70歳を過ぎると根気がなくなり、何か新しいことを始めようという気にはもうならない。棺おけに入るとそういう現実も認められる。 で、早速、「ダンボール製棺桶」で調べたが、 ペット用はあるのだが、なぜかあまりない、かくなる上は自作か、 1テモテ 6:7新改訳私たちは何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ持って出ることもできません。口語訳わたしたちは、何ひとつ持たないでこの世にきた。また、何ひとつ持たないでこの世を去って行く。新共同訳なぜならば、わたしたちは、何も持たずに世に生まれ、世を去るときは何も持って行くことができないからです。文語訳我らは何をも携へて世に來らず、また何をも携へて世を去ること能はざればなり。KJV 1Tim 6:7For we brought nothing into this world, and it is certain we can carry nothing out.
2012年02月11日
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先日紹介した、こちら、 死ぬのはガンに限る Amazonの医療部門でTop、 (総合ランキングは今日6位、) 今日の朝刊には、さらに、内容の一覧が出てた、 ここまで出ちゃうと、買わなくてもよさそうな気もしないでもないんだけど、著者にすれば、拡販よりも、情報拡散が目的だろうから、これでいいんだろうね、 それにしても、よく出しました、中村先生、尊敬のまなざしです、いやホント、参考)上の目次の文字起こしサイト、ーー>『大往生したけりゃ 医療とかかわるな』
2012年02月10日
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一泳ぎ終わって、カラダを暖めるために、屋外の露天スパへ、 そこから上がって、最後の締めの25m、いつもバタフライで終わるのだが、 泳いだ後で、カラダができ上がっていて、且つ、温湯でカラダも柔らかくなっており、大抵、いつも絶好調、わずか20-30秒くらいだが、あの軽さに、幸せを感じるひと時がそこにある、 が、今日入った締めの最後のコースが、ぐるぐる廻りの一方コース、クロールで泳いでくる人を、すぐ目の前にして、(時間も差し迫っていたので、)すぐに、バタフライを始めてしまった、これ、大失敗、ユッタリ泳げばいいものを、クロールの人の追い上げが気になり、沈み込みが不十分で、頭を上げて、呼吸することばかりが先行、ギッタンバッタンの、最悪のフォームでの25mになってしまった、急(せ)くとは、結果を先取りしようとしての、プロセスを省略することに他ならない、 イワユル、ショートカット、これが、急いている状態だと、無意識のうちになされているところが怖い、 ユックリのパフォーマンスに勝るものはない、急いてはことを仕損じる、 今日の反省である、
2012年02月10日
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就寝前に、The Shadow of Your Smile
2012年02月09日
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君にはホント感心する、一日24時間勤務体制、 ”スキ”あらば、どこからともなく、現れ、 B2 stealth bomber任務遂行、 そして、音もなく、スーッと、立ち去る、 「風」 ”スキ”とは何か、誘惑に対抗しようとした瞬間、”スキ”は生じる、*誘惑の代表、思い煩い、うわさ話、物欲、色情、不満、恐れ、挫折感、誘惑に対抗しようとするとは、自力で何とかしようとすることに他ならない、 この自力本願が、スキとなり、B2-Stealth Bomberの一斉爆撃が始まる、誘惑自体には、自力では勝てない、 これら誘惑には、自力で立ち向かわないこと、 あるいは、勝手想像で、あること/ないことを自分で膨らませないこと、向かう相手は、Stealth Bomberならぬ、あいつ以外にない、エペソ6:12私たちの格闘は血肉に対するものではなく、
2012年02月09日
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先日あった新聞広告、 「金持ちになろうと、苦労してはならない」これの全文がWEBにあった、週現スペシャル 億の収入がある人間たちの「本当の姿」 大金を稼ぐ仕事は幸せか 2012年02月08日(水) 抜粋で+外資系証券会社でファンドマネジャーを務める太田淳氏(41歳・仮名)が言う。 私に言わせれば、お年寄りに投資信託を買わせて、『こっちのほうが率がいいですよ』と次々に乗り替えさせて、その都度2%の手数料を取るような証券マンや銀行員のほうがよっぽど悪質ですよ。あれこそ不労所得で、日本のガンだ。売る側が何のリスクも負ってないんだから」「何ていうのかな・・・・・・。言わば『異物』扱いなんですよね。たとえば高校大学の友人が有名企業の会社員になってて、それでも年収が僕の100分の1なんて事態が起きる。こっちに後ろめたさはないけど、相手は『すげえなぁ』と言いながら、明らかに複雑な感情を抱いているわけです。 ずっと一緒に過ごしてきて、能力的にそんなに差がないことはお互いわかっている。どう考えても100倍の差はない。そうすると、何が起きるか。少なくとも、カネを稼ぐというその一点で尊敬されることはないわけです。+そこまでは笑顔で語っていた河田氏だが、「カネがありすぎると子育てに苦労しないか」と問いかけると真剣な顔になった。「実はそこが一番キツいところじゃないですか。僕自身も失敗している。どんなに厳しく教育したつもりでも、子供は家にカネがあることを知っている。海外旅行に行くにしても、子供だけエコノミーに乗せるわけにはいかないから」 河田氏は「失敗」について詳細を語りたがらなかったが、わが子が贅沢な「ドラ息子」になることは、大金を稼ぐ人たちの共通の悩みであるようだ。+その証人が「母親塾」代表の桑野裕子氏。口コミのみで全国から子育ての相談を受けている。中でも多いのが引きこもりで、これまで1万件以上の相談を受けたが、ほとんどの家庭が富裕層だった。「母子家庭や生活保護を受けている家庭に不登校はまずいません。他人から一目置かれるような仕事を持たれていて、所得も上位5%に属するような親御さんが8割以上です。職業でいえば会社の経営者とドクターがほとんどを占めます。「『友達とご馳走が食べられるから』と喜び勇んで学校に行く母子家庭の子供がいる。本来は引き継いではいけない大金を背負わされた子供のほうが、外から見ると幸せそうでも、よほど苦しいはずなんです」
2012年02月09日
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こちら拝見したら、詩篇90:10があった、私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年。しかも、その誇りとするところは労苦とわざわいです。それは早く過ぎ去り、私たちも飛び去るのです。 そうか、70がいいところ、健やかでも80、なんだ、しかも、労苦とわざわいを、いっぱい体験するために!?これ以上生きている人って、どんな人生?? 各種訳から、 口語訳われらのよわいは七十年にすぎません。あるいは健やかであっても八十年でしょう。しかしその一生はただ、ほねおりと悩みであって、その過ぎゆくことは速く、われらは飛び去るのです。新共同訳人生の年月は七十年程のものです。健やかな人が八十年を数えても、得るところは労苦と災いにすぎません。瞬く間に時は過ぎ、わたしたちは飛び去ります。文語訳われらが年をふる日は七十歳にすぎず、あるひは壯やかにして八十歳にいたらん、 されどその誇るところはただ勤勞とかなしみとのみ、 その去ゆくこと速かにしてわれらもまた飛去れり、 KJV Ps 90:10The days of our years are threescore years and ten; and if by reason of strength they be fourscore years, yet is their strength labour and sorrow; for it is soon cut off, and we fly away. 口語訳では、骨折りと悩みの人生としている、それは、あっという間に過ぎていくと、 参考)上のブログ主は、複数の各種聖書訳をHPに掲載している、翻訳比較の意義は、一つの翻訳では意味がわかりにくい場合、複数の翻訳を読むと意味が通ずるところにある。旧約聖書に付された新約聖書の引照を編集する意義は、旧約聖書を新約聖書の光で読むべきところにある。初代教会のキリスト信徒達は旧約聖書はイエス・キリストの到来を予告していたのだと読んだ。引照も素読するとよい。旧約のベールが取り除かれたような感じがする。このような方法で個々人が直接聖書に接することにより、神の恩恵によっていつの日にか「罪の赦しによる永遠の生命と復活信仰の希望に生きる」幸福な人生になることを願うものである。 ー>そこから、詩篇90編を、更新日時 2012年2月8日 23時59分17秒
2012年02月08日
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初級は、うねりを入れて、深めに潜りながら、ゆったりと進む、中級は、手を水面上においたまま、浅めの潜りで、小刻みのピッチで進む、体は全体的にプクッと浮かんだまま、重心は、胸の辺りにあって、 (気持ち的には、)腰から上だけで泳ぐような感覚、下半身は勝手について来る、で、さっき、これがそのまま実現、Unbilievable !(スゲー、うれしい、)中級への昇格だ、(自己認定だけどね)泳ぎ方を具体的に書くと、せっかく覚えた感覚が崩れてしまうので、これ以上は書かない、なぜ、できたのかも書かない、ひとえに、All is Gift、だと思っている、いや、思うようになった、が正確なところか、
2012年02月08日
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ようやくわかったわ、誘惑には勝てない、と言うことが、
2012年02月08日
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H.Macow氏サイトから、Financial Advice From ChristJanuary 29, 2012 by Anthony Migchels 抜粋で、I often think of that scene in an Indiana Jones movie, where Harrison Ford is just about to get to the Holy Grail. But he's facing a great divide, a canyon that he must get across. There is no bridge, no rope, nothing. But Indiana Jones remembers the prophesies, just in time, imploring to make a leap of faith. He steps into the canyon and when he does a bridge materializes under his feet, allowing him safe passage.I believe that this is the key to walking with the One. 原文では、この金融危機の最中、我々の身の安全のために、金や銀、一体、何を保有すればいいのか、と疑問を投げかける、以降、キリストのアドバイスへと続き、例のマタイ6-33で落ち着くのだが、内容は、前にこちらで書いたのと、大体同じなのでパスして、 上のインディージョーンズの引用が気に入ったので、書き留めておこうと思う、ハリソンフォード演ずる主人公が、目の前で、深い峡谷に直面する、そこには橋がないが、何としても向こうへ行かなければならない、と彼は、以前聞いた預言を思い出す、(一歩踏み出せば、それはなんとかなる云々ーー)実際、一歩踏み出すと、 ナント、足元に、橋が現れ始めたではないかーー、ウウーン、いいよね、このシーン、目には見えないけど、実際、前に進んでみると、橋が現れてくる、 a leap of faithと言う表現が使われているけど、信仰による飛躍(一歩)とでも言おうか、そして、この”一歩踏み出す”と言う経験の積み重ねで、ますます見えないものへの信仰が強まっていく、 マッ、上の記事では、目に見えるマネーや金銀の商品ではなく、 見えざる神にこそ信頼を置くことを勧めるわけだが、読んでいて、自分的には、さまざまなミニストリーが思い浮かんできた、+病んだ人(あるいは自分)を目の前にして、 a leap of faithを計り、癒されるかドーかはわからないが、とにかく、祈ってみる、+また、特定の印象が、ある人に来ると、該当するかドーかわからないが、アプローチしてみる、 +迷っているときに、導きらしきものが来たら、とりあえず、その方向に進んでみる、 ーー等々、 実は、このブログのタイトル、Walk in the Spiritも、意味は似ている、KJV Gal 5:16This I say then, Walk in the Spirit, and ye shall not fulfil the lust of the flesh. 文語訳 ガラテヤ 5:16我いふ、御靈によりて歩め、さらば肉の慾を遂げざるべし。見えないがゆえに、こわいかも知れないが、一歩、まず最初の一歩を、踏み出してみる、(これがないと、何も始まらないし、) そして、このトライの積み重ねこそが、信仰者の内面的な成長を導くのだと思う、ちなみに、上の文章の記者は、It's just an explanation why I don't feel I'm in the position to recommend any wealth preservation strategies. マタイ6:25-32がゆえに、(この金融危機下でも、)貴金属/他商品類の保有を勧める気にはならないのだと、
2012年02月07日
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Update弱いときに強いのパラドックスは面白かった、 無の世界を調べてみる、 無能、無学、無力、無気力、無教養、無理解、 無芸、無才、無知、無責任、無担保、無感動、無慈悲、無分別、無情、無愛想、etc etc知識はない、 力もない、 愛情も、金もない、 責任もない、それらを認めた(悟った)上で、 そのまま、思いっきり開き直る、 頼るもの、誇るもの、持つもの、 これらの数が少なくなればなるほど、 いや、なくなってしまうと、 強くなれるとは、これ如何に? この信仰の世界は、ほんとパラドックスに満ちている、しかし、思った、 このような覚醒は、自分で気づこうとしてもできない、 丁度、信仰(Faith)が、上からの、Gift(贈り物)と言われる所以か、*自分には、信仰がない、と認めるところからのスタートと同じなわけだ、優しそうで、優しくない、自分を無力無知と認めるのは、 更新日 2012年02月07日 12時52分07秒 追記)さっき自分のブログの頭を見て、 如何に自分が、 付け焼刃的だったかがわかる、 (知ったかぶったような素振りで、)All is Giftなどと看板を掲げている、 ”All is Gift”、自分では到底理解などできないくせに、追記2)もう一つ、頼るもの、誇るもの、持つもの、 これらの数が少なくなればなるほど、 いや、なくなってしまうと、 強くなれるとは、これ如何に? これの答えが来た、 -->All is Giftだから、 本来何もなかった、この原点に戻ることが一番自然なのだろう、そして言った。「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」 (ヨブ1:21)And said, Naked came I out of my mother’s womb, and naked shall I return thither: the LORD gave, and the LORD hath taken away; blessed be the name of the LORD. KJV Job 1:21
2012年02月07日
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先ほど、ジムからの帰り、寒空の下を歩きながら、ブツブツ文句言っている自分に気づく、あわてて、オットット、とストップをかける、すると、頭のすぐ上に、あいつの気配がした、あのやろうメ、 で、あいつに、(半分冗談交じりで、実は本音だが、)コー言ってやった、「お前はたいしたやつだよ、オレはお前には勝てない、全く無力だよ、」そしたら、スゴーク、全身が落ち着いてきて、ドシッとしてきた、且つ、あいつが、上空へ、スーッと離れていくのが感じられた、 と、瞬間的にわかった、 2cor12:9-10しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。 これ、知ってるだけと、体験するのとでは大違い、 ナンカ、今日は、宝物を見つけたような感覚、
2012年02月06日
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随分前に、(12-3年前くらいかな、)WWJDとかいう、ムーブメントがあった、What would Jesus do?もし、(あなたが)イエスだったら、ドーする? これ、当時、結構流行った様で、ストラップとか、マグカップとか、 販促グッズもイロイロだった記憶がある、 当時、WWJDを知ってはいたが、なんかうざくて、「なんじゃこれは、新手の教会商法か?」ぐらいにしか思わなかったのだがーー、で、今日、何故か、このWWJDが久しぶりに浮かんでくる、そして、これは、今の自分に、必須ではと思えてきた、 この世のできごと/問題を、この世のレベル(普段の自分)で対応していたら、拉致が明かないのは明らかと言うか、前進がままならないと言うか、沈み込んでいくと言うのを、今まで、イヤと言うほど経験してきた、それ故、早速、試してみようと思っている、 基本は、エペソ6:12、 私たちの格闘は、血肉に対するものではなく、 主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、 また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです、 「血肉に対するものではなく、」って、しっかり書かれているんだけどね--、 そして、エペソ6章には、この闘いのための武具が紹介されているが、 1. Belt of Truth(真理の帯) 2. Breastplate of Righteousness(正義の胸当て) 3. Shoes to spread the Gospel of Peace(平和の靴) 4. Shield of Faith(信仰の盾) 5. Helmet of Salvation(救いのかぶと) 6. Sword of the Spirit (The Word of God)(御霊の剣)The following will also aid you in battle:(以下も追記)1. Praying in the Spirit on all occasions, with all kinds of prayers and requests.(御霊による祈り) 2. Being ALERT!(目を覚ましている) 3. Continuously praying for the saints.(聖徒のために祈る)たくさんありすぎて、覚えるのが大変(!?)、それよりは、WWJDなら、イエス一人でいいし、と思ってみたり、 とにかく、この世の問題を抱えたところの相手、(知人、親戚、上司、親、兄弟、恋人、)を、この世の問題を抱えたオレが、対応したら、(保証するが、)必ずや、事態は悪化する、追記)今、思ったんだが、WWJD(あなたがイエスだったら)ではなく、相手がイエスだったらドーする?もありではないかと思った、あるいは、相手の背後にイエスがいたらドーする?、とか、実験、実験、
2012年02月05日
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(今、ジムからだけど、)Redeeming the timeとは、本来の時の使い方に戻れ、プロセスを省略するな、と言うことだな、これ、さっき、バタフライで実感した、ゆっくり、体を動かして行ったら、今まで、いかに自分が先へ先へと言う意識に押されて、動作を省略していたかがわかった、Redeeming the time、Redeeming the butterfly、感謝、
2012年02月05日
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誤訳の典型と言われるエペソ5-16、機会を十分に生かして用いなさい。悪い時代だからです。 *この箇所は、教会関係のビジネス書でも、時間管理/スケジュール管理の大切さをアピールする時に、よく引き合いに出される聖句でもある、 各種訳から、口語訳今の時を生かして用いなさい。今は悪い時代なのである。新共同訳時をよく用いなさい。今は悪い時代なのです。文語訳また機會をうかがへ、そは時惡しければなり。和訳は全滅か??英訳で、ASVredeeming the time, because the days are evil.KJVRedeeming the time, because the days are evil.NETtaking advantage of every opportunity, because the days are evil.YLTredeeming the time, because the days are evil;英訳ではRedeemが一般的に使われており、実際、ギリシャ語の原義に近いのが、KJVのRedeeming the time, because the days are evil.と言われる、Redeemとは、贖うで、買い戻す、元の状態に戻す、の意、evilとは、悪で、霊的用語で悪霊の悪、即ち、意訳すれば、「この時を贖え(買い戻せ、元の状態にせよ)、この時代は悪が支配しているのだから、」となる、では、このRedeeming the time(時を贖う)とは、具体的に何か、->昨日のエレーベーターの閉のボタンにヒントがある、閉のボタンを押さない、(混んでいるときは文句言われるのでパスだが、)「早く」しようとしない、時の流れに身を委ねる、これが典型例だろう、*ここでフト思ったんだが、 エレベーターの閉のボタンが日本だけにあるというのは、 あいつの策略じゃないかと思えてきたわ、 ーー>日本人をせっかちにする大作戦、 ゆっくり取り組め、性急になるな、時を堪能せよ、時を楽しめ、「時」とは、本来、ゆっくり噛み締めるもの、楽しむもの、参考)時間には味がある、 時間泥棒の正体、 それがいつの間にか、「時」にこき使われるようになっている、人の「せっかち」と言う罪性と、あいつからの「早くしろ!」と火矢の如く放たれる催促、これのコラボで、最強の砦「急がなければ」が、人の心に出来上がっている、対抗しなければならない、 これの解説では、モモの時間泥棒が参考になるか、 モモであるエンデは 時間を、使うのではなくて生きよう、と言っているようだ。それは時間を効率的に使うことでは決してなくて、一瞬一瞬を深く味わったり、楽しい時間を誰かと共有して生きることなのだと。Time is moneyではない、Time is lifeだ、と、それ故、Redeeming the timeを実現すべく、なすべきことは、ーー>全力を尽くし、 ユックリ、生きる(取り組む/楽しむ/味わう、)これは、全力を尽くし、ユックリ、歩く、全力を尽くし、ユックリ、走る、全力を尽くし、ユックリ、泳ぐ、全力を尽くし、ユックリ、キーを打つ、全力を尽くし、ユックリ、出社する、全力を尽くし、ユックリ、話す、 etc etc、ちなみに、全力を尽くし、ユックリ走る、とは、100mを11秒で走る人が、15秒で走る、という意味ではない、ユックリがもたらすもの、それは、ベストパフォーマンスだ、時に対して、使われている者と、使う者の違いがここに現れる、(参考)リッチに生きるとはゆっくり丁寧に行動すること この世をリッチに生きるのに、難しいことはいらない、金も要らない、ただ、ゆっくり行動すればいいのだ、普段の何気ない動作がいい、箸の上げ下げ、歩き、呼吸、等々、特別なこと、刺激的なことは何一つ必要ない、ただゆっくり丁寧に、これぞ知足の生活の極意、
2012年02月04日
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ジムには、エレーベーターがあって、乗れば必ずといっていいほど、閉のボタンを押す、が、これ、押さないという選択肢がある、海外に行ったことのある人なら気がつくが、向こうでは「閉」ボタンはない、機械の開閉リズムがあるわけで、扉の自然クローズを待つのがデフォ、ひとえに、この「閉」ボタン、日本人の待てない性格ゆえに、つけられた特別ボタンなのだ、エレベータの閉のボタンを押さないとは、自らを時の流れにゆだねること、 且つ、(性急さという)自我に勝利することにもなる、 これの意味するところは、(意味深だが、)究極的に何をしていてもいいこと、に繋がる、一度、お試しあれ、
2012年02月03日
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先日の全豪オープン、Finalで、激戦を制したのは、昨年、錦織選手が室内オープンで破った、N.ジョコビッチだったわけだが、自分は、このトーナメント表を見ながら、再度、錦織選手のことが浮かんできた、彼のベスト8進出までの躍進振り、ではなくて、 錦織選手と当たった対戦相手のこと、 彼らは、(勝敗は別にして、)ことごとく、彼(錦織選手)を強くしたんだなと、ここで、自分を振り返り、 過去、自分に関わっていた人/状況を思い浮かべる、良くも悪くも、勝ったも負けたも、有利も不利も、健康も病も、さまざまな状況(特に逆境)が、ことごとく、自分を強くし、育んでくれたことに気付かされる、そして、今現在、自分に関わっている人/状況を思い浮かべる、 すると、(「自分が中心、自分の都合」と言う視点ではなくて、)「自分の成長」と言う視点で見ると、 相手や状況は、又、違って見えてくるから面白い、まるで、誰かが、鋏(相手や状況)を使って、枝木(私)の剪定をしているが如く、 わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。 (ヨハネ15:1-2)わたしは植え、アポロは水をそそいだ。しかし、成長させて下さるのは、神である。だから、植える者も水をそそぐ者も、ともに取るに足りない。大事なのは、成長させて下さる神のみである。 (1cor3:6-7)
2012年02月02日
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大阪の友人から、昨日、メールを頂いた、> 5年ほど前に切れた膝の靱帯を繋げるため、> 入院・手術をすることにしましたので、> 一年近くリハビリの毎日になると思います。ひざの靱帯のイメージ、 膝の内側と外側には内側側副靭帯と外側側副靭帯と呼ばれるバンドがありそれぞれ側方に対する動揺性を抑える役目を果たしています。また中央では大腿骨と脛 骨をつなぐ二つの十字靭帯(前十字靭帯と後十字靭帯)があります。これらはそれぞれ脛骨が大腿骨に対して前や後にずれないように働いています。 靱帯自体は切断すると、再生は難しいとか、 で、この友人の靱帯のことを考えていたら、この箇所が浮かんできた、私は、命じられたように預言した。私が預言していると、音がした。なんと、大きなとどろき。すると、骨と骨とが互いにつながった。私が見ていると、なんと、その上に筋がつき、肉が生じ、皮膚がその上をすっかりおおった。 【エゼキエル37章7-9】これは手ごたえがあるかも知れないと、友人には、再度コンタクトをするつもりだが、いかんせん、その友人は信仰者ではない、で、上記エゼキエル37の続き、 しかし、その中に息はなかった。そのとき、主は仰せられた。「息に預言せよ。人の子よ。預言してその息に言え。神である主はこう仰せられる。息よ。四方から吹いて来い。この殺された者たちに吹きつけて、彼らを生き返らせよ。 フムフム、 友人がドーのコーのと、自分が悩むことではないと言うことだな、
2012年02月01日
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全く同意です、 昨日の朝日新聞広告から、 大往生したけりゃ医療とかかわるな (幻冬舎新書) ガン細胞は免疫細胞であり、最前線で、血液の劣化を防御していると言われている、健康な人でも、常時、3000-4000のガン細胞があるとか、で、日本対がん協会(朝日新聞社設立<--ここがミソ、)によれば、 それはソーだろう、 ピンク色のキャンペーンと、重箱の隅をつつくような検診を展開すれば、そりゃ、増えるわな、
2012年02月01日
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