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昨晩は、日本に行った時に買ってきた最新の宇宙像に関する本を読んでいた。そして、今日は教会で、「バプテストの歴史」という題で、今日の聖書勉強会が行われた。もっとも、キリスト教会派の歴史ですから、何がどんな理由で何から分かれた、という説明なわけですが、こういうものを見ると(あるいは聞くと)いつも思うのだが、なんでそんな些細なことで分かれるのだろうか、と。多分、当の関係者の方々にとっては、とても「些細な」ことではないのだろうが、実際に、いろいろな考えや解釈の違いで、数百もの違った会派が存在し、中には他の会派の考えや解釈を頭から否定しているところもある。こういった時に私の頭の中には、「宇宙」の姿が浮かぶ。宇宙・・・・数千億の銀河団があり、個々の銀河団に数千億の銀河があり、そのそれぞれの銀河に数千億の恒星が含まれ、その中には多くの惑星を持つ恒星系があり、その中のたった一つの「太陽系」の、「地球」という惑星に生まれた人間で、数十億の人口の中で、そのまた数億、あるいは数千万がある宗教を信じていて、その中が、「些細な」違いにこだわり他者を認めないで多数の会派・宗派に分裂する、というのは、なんと滑稽なことだろうか、と。つまり、もし「神」なるものが居たとして、その神は万物を作ったもののはずだから、この宇宙全体も同じ神の手になるものだろう。そして、その「大宇宙」の中で、ほんの、ほんのチリにも等しい惑星の中で、その「神」の意思はああだ、こうだ、と勝手に解釈して互いに相譲らない、ということがいったいどういう道理の上に成り立つんだろう。こういったことを考えている人は、その時代時代でも知性において時代のトップレベルの人たちなんだろう、と思う。その人たちをして、こういったことに拘泥させるのは、なんなのだろう?いみじくも聖書の中でさえ、「神を愛し、神を愛するがごとく隣人を愛せよ」とか「おのれの敵を愛せよ」とかが、最大の戒律として述べられている事と、上記のような会派、宗派間の相違にもとづくいさかいが、どんな理屈で両立するのだろう?大同小異、という言葉があるが、それにもかかわらず、小異を捨て大同につく、という風にならないのは、なぜなのだろう?なんてことを考えてしまう、聖書勉強会でした。
2011.05.30
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匍匐前進、もう死語かな? 戦場で、敵の玉をよけながら、腹ばいになって前進する事・・・別に、戦場に行っているわけではありませんが、我がピアノ、遅々として進まず、ちょうどこの語感がぴったりするような状況・・・・前回、イマジンをアップしたのが4月の2週目。この頃から少しずつペースが落ち始めていたのだが、練習する曲、練習する曲が皆だんだん手ごわくなっているので、前のように一週間に一曲などという、「進んでいるなあ!!」という実感がなかなか得られない。しかし、それでも一つの曲をひつこく弾いていると、なんとは無しにだんだん繋がってくる、というのが人間の体の不思議なところ・・・でも、どうもこの「不思議な体」も、子供と大人では大分違うようで、今回ようやく一ヶ月半ぶりにアップした曲も、子供だったら1,2ヶ月で弾くのではないか、という有名な練習曲。これに約一ヶ月悪戦苦闘(というほど練習しているわけではありあませんが)して、やっとなんとか最初から最後まで繋がった、という状況です。繋がった、と言っても、最初から最後までまだノーミスで弾けた事がなく、そんなことを期待していると永久に終わらないようなので、諦めてビデオに撮っちゃいました。これです。 ⇒ 「57歳からのピアノ - 五ヶ月目」 一応、バッハのメヌエット、ということになっているけれども、本当の作曲者はバッハではないらしい。でもだいだい、「バッハのメヌエット」と書いてどの教則本にも載っている、非常にポピュラーな曲です。ポピュラーな曲だけに、YouTubeにもいろいろ出ていますが、だいたい5歳とか6歳の子が弾いているのを親が撮ったビデオ(笑)大人で、こんな曲をアップするのは少々気が引けるが、とにかくこれが現状だし、こんなところで背伸びしても仕方がないので、ありのまま。これが恥ずかしいんだったら、YouTubeなんて載せなきゃいいし、そもそもこの歳になってピアノを始める、なんてことがだいたい無謀だ、ということだろう。でも、まあ楽しみでやっているだけだし、少しでも弾ける曲が増えればそれだけで嬉しい。このメヌエットにしても、2ヶ月ほど前に一度弾きかけて挫折した経緯があるので、今回、とにもかくにも、最初から最後まで「繋がった」というだけで本人的には大満足している。
2011.05.29
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3月にちょっとした追突事故に会ってから、カイロプラクターに通い始めてすでに2ヶ月。初め、カイロプラクターというのは日本で言えば整体師かと思ったので、経験もないことから、足や手をばきばきやられたりするのかな、と思っていました(笑)実際にそういった治療をする人も居るようですが、私が通っているところは、拍子抜けするぐらいおだやかな(?)治療、というか施術です。その目指すところは、まっすぐに立つ、まっすぐに座る、正しい姿勢で歩く、というもので、そのために、骨のいろいろなところを調整する、という感じです。で、その「調整」のメインが、なんというか、頭蓋骨と背骨の接続部分でして、この施術というのが、横向きに横たわって、耳の下あたりを5分ほど断続的に押す、というものです。押す、と言ってもそれほど強い力をかけるわけでもなく、ただ触れているだけに少し毛が生えた程度なので、初めは、こんなので効果があるのかな?と怪しんだくらい。この施術前後で、初めに書いた「まっすぐに立つ」という姿勢をチェックするのですが、そのチェックの仕方は、升目状の線が入った壁に向かって立ち、目の前のポイントがどこに来るか、を見ます。施術前にまっすぐに立って(と言っても、本人はまっすぐのつもりでも傾いているらしい)見たときの壁のポイントと、施術後にまっすぐ立って、同じように壁を見た時では、私自身は同じようにまっすぐ立っていると思っているのですが、目の前のポイントが左右に2cmぐらい動くんですね、これが。つまり、普段は、まっすぐに立ったつもりでも、私の場合は垂直の線から2cmも傾いている、ということです。それが、このなんでもないような施術を受けるとちゃんと垂直になる、というか、垂直に近づく・・・・。なんであんななんでもないような施術で?と思うのですが、実際に2cmも施術前後で違うということから考えると、確かに上体が傾いているのがわかるわけです。これは座っていても同じで、頭部からくびにかけてのレントゲンを撮る時にも、頭をまっすぐにされるのですが、自分的には、そうされると傾いている気がする・・・、しかし、本当はその状態が垂直になっている、ということがあるわけです。この傾きが、肩こり、腰痛、その他の、体の不平衡から生じるいろいろな障害を生み出すもとになっているそうで、確かに言われればそんな気がしないことはない。せっかく、事故のために、という理由で、保険でカバーされるので、(多分)事故とは直接関係がない、こんなところをこの機会だから直してしまおう、というわけです。しかし、一週間経って、また行くと、これが元に戻っちゃっているんですよね(泣)これって、本当に安定するのかな?
2011.05.24
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昨日まで居た日本で、滞在中に感じた事のメモ書きです。いつも同じようなことを書いている気もしますが(笑)、ダブりは承知で・・・。1.道路事情 :大都市集中の弊害でしょうか。実家周辺でも、スピードを出せるようなところはなく、いつもノロノロ運転。せいぜい40kmか50kmが関の山。そのくらいのスピードが出せてもホンの一瞬で次の信号・・・。こんな道路事情だったら、やっぱり低速時の燃費重視のトヨタのプリウスが人気なのもうなづけます。アメリカだったら、もう少し、高速燃費を改善するほうに少し振って欲しいんですが・・。2.湾岸 :今回の東日本大震災のことを考えながら、湾岸道路を走っているときに周囲をずっと見ていました。日本という国は、やっぱり海岸から数キロのところにほとんどの建物・施設が集中しているなあ、と言うことと、それがために、もし10mとは言いませんが、5mぐらいの津波が来ただけで、この辺り一帯はほとんど壊滅状態になりそうだな、と思いながら見ていました。ことは、原発だけじゃないような・・・3.高齢化 : 街を歩くと、周りの人の平均年齢の高さが日本に帰るたびに上がっているような気がします。自分のことを差し置いてなんですが、子供の数が少なく、70歳以上ぐらいに見えるお年寄りが本当に多い。今回は、父の入院、退院、そして介護付老人ホームということでいろいろな場所に行きましたが、病院などは本当に大半がお年寄りですし。高齢者医療の問題、介護の問題、そしてそのための財源の問題・・・・。こんな状態で、いつまでも消費税5%で済むはずがない。ヨーロッパではすでに20%の声を聞く昨今、政府にとって消費税上げは政権失脚の理由とされてきましたが、もうそんなことを言っている状況ではないし、それが遅くなればなるほど、日本の財政は破綻に近づきそう。今でさえ、財政健全化には最低でも15%ぐらいの消費税にしなければ間に合いそうもない、というのに。4.デパート :あるお土産を買いに街へでて、いろいろなところを探し回りました。しかし結局見つからず・・・・。デパートも駅前を中心に6つほどあるのですが、小田急、東急、丸井、相鉄ジョルナ・・・・、どこに行っても同じような店ばかり。それもファッション、アクセサリー、そして宝飾品、などなど・・・。確かに売れ筋と利益から言ったらそうなるのでしょうけれど、もう少しそれぞれが個性を持ってくれないかな、と思った次第。そして、客の大半が若い女性を中心に、女性が圧倒的に多く、男が買い物を楽しむようなところはほとんどなし。これは仕方がないことなのか?5.食事 : やはり日本は食事がいい! 今居るアメリカの家の周囲は、やはり住居区域が大半で、そのため生活用品・食料品、そしてレストランなど、アメリカの平均的なレベルに比べても便利なほう。しかし、ちょっと昼食を、と思っても、食べるところはせいぜい10軒から20軒、それもファスト・フードが大半。本当に選択枝がない。その点、日本は駅前を中心に、数百軒の店・レストランがあり、それぞれが違った食事を提供している。このバラエティーの多さは、もう圧倒的。 やっぱり日本はいいなあ、と思う大きな理由の一つです。6.クレジットカード :日本は電子マネーでは世界の最先端を行っていると思う。しかし、その反面、クレジットカードが使えない店が多いのには閉口する。普段現金を持ち歩かず、かと言って日本の電子マネーを持たない私にとっては、クレジットカードが仕えないと不便この上ない。勢い、銀行に行って現金を下ろし、常時いくばくかの現金をもちあるいているのだが、それがあっと言う間になくなる・・・・。こちらでは$100もあれば二週間ぐらい持つというのに。 これは、やはりクレジットカードでの支払いに対しては、店側としてコストが高くつくからなのだろうか。 それと、クレジットカードで支払いが出来る、ということのメリットを比較すると、あまりそのコストをかけるだけの価値がない、ということなのだろう。以下、項目のみ。7.リムジンバスの英語によるアナウンス : ちょっとなあ・・・。私が聞いても変な英語・・・8.リムジンバスの乗客 :下手をすると、日本人より外国人の方が多い?周囲で日本人と見えた人たちは皆、中国人か韓国人だった・・・・9.「便利屋」という商売 :今の時代、とくに高齢者が多くなり、需要が多くなるとおもっているのだが、そうでもないのかな?10.日本の労働生産性 :これだけ勤勉な日本が、なぜ「労働生産性」で世界の中で低い位置づけにあるのか? やはりシステムの差か?
2011.05.22
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日本滞在最終日。明日帰米します。仕事にかこつけて来た今回の日本出張、実態は8割かた、両親のことで奔走する、プライベート部分が占めていました。居る間にしかできない、ということが、普段なかなか腰が重い私をして、課題解決に向けて後押ししてくれました。さて明日からは自分の「課題」に取りくまなければなりません。仕事面、家庭面、どちらも、やらなければいけない事が山積みです^^;先月、Tax Returnが片付いたのですが、そんな程度では「課題の山」の高さはほとんど変化していません。この日本滞在中の切迫感を持続して、あちらの課題も、ぱっぱっと片付けたいところですが・・・どうもアメリカン戻るといつもしばらく弛緩してしまいます・・・・今回は、少し、気を強く持って行きたいと思います。(ここで、やります!とスパッといえないところがまだ弱いのかな?笑)
2011.05.19
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すでに日本に来て8日。あと二日間だけになりました。というより、明後日にはアメリカへ帰ります。いつものことですが、時々日本に来ると、感じることがたくさんあります。仕事面でも、プライベート面でも。今回は、プライベート面では父の入院の件、そして退院、老人ホームへの帰還、そして母の不調と、それに対する対応、という面で忙しい時間を過ごしましたが、普段何も出来ないので、これはせめてもの罪滅ぼしにしか過ぎませんが。でも、その過程で、いろいろ考える材料が出てきました。父の入居する老人ホームのパンフレットに「私たちは、自分の祖父母や両親が入りたくなるようなホームを目指し、定期的に従業員にアンケートをとって、自分の身内に、このホームに入ってもらいたいか、を調べ、もしそうなっていなかったら、何が悪く、何を改善すべきなのか、を調べ追求し、自分達にとっても理想のホームになるように努力しています」というような内容のことが書かれていました。最初これを読んで、建前半分だとしても素晴らしいな、と思ったのですが、よく考えてみると、これはちょっと違うかなあ、と。何が違うか、と言うと、「自分の祖父母、両親を入れたいか」という視点ではなく、「自分が老後に入りたいか」ではないか、と思ったからです。「親に入ってもらいたい」というのと、「自分が入りたい」というのは、同じようでいて微妙に違う、という気がしたわけです。自分が入るとなると、俄然現実的になります。一番顕著に出るのが、「経済面」。入所費用を含めて考えて「入りたいか」だと思うのです。言ってみれば費用対効果でしょうか。老後に向けて何百万も貯めたとしても、それを旅行などに使わずに、この老人ホームへの入居に使う、その気になるだけの内容があるかどうか。また、全然違う話ですが、久しぶりに通勤の電車に乗りました。まあ慣れない満員電車ということもありますが、これもアメリカではほとんど経験しないことであり、日本では当たり前です。そして、街を歩くと目に付く、「老人」の多さ。逆に言えば、若い人の少なさ、というか、街行く人の平均年齢の高さ。日本のある面でも物価の高さ。その反対に、本当に趣味的とも言えるほどの、商品の多様性。これも圧倒的に日本の特徴として挙げられる「良い」点です。日本の住宅、日本の道路状況、物価、新聞の記事、TVの報道、それらのひとつひとつが、年に数度しか見ないせいで、いちいち意識にひっかかります。多分、ずっと居る人は感じなくなっていることを感じる・・・・。これはいいことでもあり、ある面では厄介なことかもしれませんが。
2011.05.18
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自分の人生、生きる事に対して、自分が主人公だ、と思っている人は多いと思いますが、実際に「主導権」を自分が握っているか、というと、そうはなっていないケースが大半だと思います。かくいう私自身も、自分が主人公とは思っていながら、何かあるとついつい他者のせいにしてしまうことはままあって、つまりは自分の人生でありながら他者に主導権をゆずっているわけです。本人は「主導権をゆずる」ということはけっして意識はしていないのですが、実際上は自分のコントロールが及ばない他者に責任を預けてしまっているわけですから主導権を明け渡した、と言ってもいいでしょう。また、この問題と、「他力で生きる」(五木寛之の著書もありましたね)の考え方は、ちょっと見、両立しないように見えますが、究極の「他力本願」と、自分が自分の人生の主導権を握る、ということは別に相反することではないはず。もしかすると、目的地は同じなのかもしれません。
2011.05.15
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リンロン@日本です。 日本に来て二日目。今日も仕事&飲み会^^;今、実家に「無事に」帰宅しました(笑)しかし、時々日本に来ると、「書きたいこと」が山積みです。昨日の地震のこと、東日本大震災のこと、昨日の世界卓球のこと、通勤のこと、ショーの会場のこと、日本人の喫煙について、そして現代のサラリーマン事情について・・・・。でも、今の酔っ払ってもうろうとした頭では、きちんと書くことも出来そうもないので止めます。代わりに、今朝、ちらっと実家にあるピアノを弾いた感想を。実家にあるのは、XXが嫁入り道具の一つとして持ってきたカ〇イのアップライトピアノです。以前はこれを弾いても「なかなかいい音がするなあ」と思った程度だったし、2月に日本に来たときに、このピアノで「ピアノ開始後2ヶ月」なんてビデオを撮ったときにも、そんな音のことは気になりませんでした。ところが、ところが、ピアノを始めて5ヶ月目の今日、ちょっと練習にと弾いてみて、アメリカの家にあるピアノとの、あまりの音の違いにびっくり。音も当然違うのですが、タッチが違う・・・・。以前は「タッチ」なんて気にもしておらず、音が出ればいい、という感じでしたが、今回はその違いが鮮明に分かります。これって「進歩」と呼ぶんでしょうか、それともグランドピアノに慣れてしまった弊害でしょうか・・・いずれにしても、音自体も弾きやすさも、やはりグランドピアノの方がいいなあ、と感じてしまいます。こんな初心者を一歩も出ないレベルで未だに低迷しているのに、耳だけは肥えてきているような気がして、非常に気がとがめるのですが・・・・。これって、いいことなのか、悪いことなのか・・・
2011.05.13
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リンロン@日本です。 昨晩、日本に到着。今日、明日は、東京ビッグサイトで開かれているある展示会への出品と出展者支援です。しかし、なんとか日本の経済も多少立ち上がってきたのかな、と感じたのが昨年後半から。その割には、今回の展示会は今ひとつ活気がないような感じがする。震災の影響もあるのだろうけれど、それよりも、日本の産業界の今後の展望に関して、出展している各社とも、明確な自信をもてるような状況になっていない、という感じ。それとも「ものづくり」という面でも、海外移転が進んでいるせいだろうか?あるいは、回復途中ではあるがまだまだ時間がかかるということなのか、それとも、このまま活気が戻る事がないのか。いずれにしても日本はいま瀬戸際に居るような気がする。
2011.05.12
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今日久しぶりに、ニューヨークのJFK国際空港で乗り継いだ。20数年ぶり?もしかすると30年ぶりかもしれない。ニューヨークにはよく行ったものだが、会社がニュージャージーだったので、いつもニューワーク空港。JFKにはほとんど行かない。初めて20代でアメリカ出張したときか、その後に30代前半でアメリカに出張したときか、その辺で一度か二度利用したことがあるくらいか。久しぶりだったので、乗り継ぎのターミナルを移動するのに、空港内のAirTrainというのを使ったのだが、乗った列車は目的のターミナルには行かず、あやうく空港から離れてしまうところだった。途中で気が付いて乗り換えたから良かったものの、乗り換えにあまり時間がなかったらアウトだったろう。それにしても、列車に乗るといろいろなインフォメーションが出ているのに、乗る前のホームとかには全然その手の情報がないのはどうしたものか?乗る前に、どの列車に乗ったらどこへ行く、ということが分からなくてはならないし、もっと言えば、どのターミナルに、どこの航空会社が入っている、という情報すら全然見当たらない。まあ、普通は乗り換えのターミナルやゲートは、あらかじめ確認しておくものなんでしょう。どうも最近は慣れてきたせいか、どうにかなる、と言う感じで、全然確認もしていなかった私が悪いのですが・・・。でも、これじゃ、初めてだったらまごつくなあ、と思いながら、今回は時間もあったので、列車にのって空港内をぐるっと一回りしてきました^^;空港の写真もとったけれど、携帯のマイクロSDカードなんで、アダプタがなくアップできず、残念。しかし、アトランタ空港と比較するとJFKはなにか空いていてノンビリしている感じ。いや、アトランタ空港の、あの朝のラッシュアワー並みの混雑が異常なのか・・・。
2011.05.11
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先の土曜日から、団地のプールがオープンした。オープンしたのだが、あいにく土、日、と二日間は少し肌寒いような気温で、プールが屋外プールであるため、誰も泳いでいなかった。今日は、気温も上がり、日中は暑いほどで、夕方になってもまだプールに入れる気温。日中の好天もあってプールの水も温まっていたのだろう、子供たちは、学校から帰ってひとしきり遊んだ後、皆でプールへ出かけていった。こちらはまだそんな気分になれないので、犬を散歩しがてら、プールを覗いて来た。やはり子供ばかり、中学生ぐらいから高校生ぐらいの子供が10人ほど来ていた。まあ、プールに入ると2時間ぐらいは帰ってこないので、たぶんくたくたに疲れて帰ってくるだろう。普段あまり運動していないから、一日置きぐらいに行くのも悪くない。こちらは犬の散歩をして、家に帰ろうとしたら、犬がうさぎを見つけ猛然と追いかけようとする。 それが一度や二度ならず三度も!! なんでこの季節、うさぎが多いんだろう? お尻のところだけ白い、体長2~30cmの茶色のウサギだ。だいたいうさぎの逃げ足は恐ろしく速いので、どうせ犬になんかつかまりっこないんだが、うちの犬は性懲りもなく、いつも庭でうさぎを見つけると猛然と庭中を追い掛け回している。こちらも子供同様、普段運動不足だから、ちょうどいい、と言えばちょうどいいのだが。
2011.05.10
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プロム。 別になにかのおまじないとか、マントラではありません^^;こちらの高校生の一大イベント、卒業前のダンスパーティーです。娘はジュニア(4年制ハイスクールの3年生)ですが、「運よく」卒業生の一人からご指名を受け、参加できることになりました。で、今日がその日。もう一週間も前からあわただしく準備していて、昨日もやれ髪型が、とか、やれイヤリングが、とか行っていましたが、明日が所属するオーケストラの最終コンサートなので、その最後の練習が午後からあって、その後にばたばたと出かけました。せっかくの娘の晴れ姿ですから、こちらも子供たちの集合する家に・・・先日購入したカメラで、120枚以上も写真を撮りまくってきました^^;いやいや、とにかく圧倒されます。 うん?何に? これに↓↓ です。 いやあ、若いっていいですねえ^^;集まって、写真を存分に撮り終わったあと、リムジンでご出発。 ある意味、人生の絶頂期かもしれませんね。 それにしても楽しそう・・・・
2011.05.08
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この世の中の現実は、すべて自分の心の反映だとよく言われます。良い事も悪いことも、すべては自分が作り出している・・・。別な言い方をすれば、現実には「よい事」も「悪い事」もなく、その「現実」を「良い」こと、あるいは「悪い」こと、として判別しているのは自分の心である、ということでしょう。「ゆるし」という本を読んでいて、やはり同じ考え方が書かれていました。曰く、自分を守ろうとするあまり、責任を自分以外のことに求め、時には責め、時には怒り、時には恨んだりすることが人間、往々にしてありますが、結果は自分を守ろう、という意図とは逆に自分が苦しむ結果になるのがオチです。人を責める・・・一見、相手の非が当然のように思える出来事があって、自分が「被害者」だと思えたら、どうしてもその相手を責めてしまいます。人を恨む・・・・・これも、やはり相手が悪く、自分が被害を蒙ったと思えたら、なんでそんなことをしたのか、と人を恨むこともままあります。人に怒る・・・・・この世は不条理に満ちていて、特に、「なんで私が」ということになった場合、その原因を他者に求めがちです。上の「責める」「恨む」を通り越して、「怒る」「憎む」というところまで言ってしまう事もよくある話です。これらのことも、初めに書いた「現実は自分の心の反映」と言うことに照らしてみると、実際の、あるいは本当の原因は自分にある、ということになります。「ゆるし」というのは、それを認める事でしょう。言葉で、「人をゆるす」というのは簡単そうですが、これは非常に難しい。もしこれが出来たら、その人は永遠の心の安定を得られるでしょうね。つまり、自分を守るため、という考えを徹底したら、「ゆるす」という方が、よっぽど自分のためになるわけですが、目に見えるもの、目前の損得にすぐに目が言ってしまう私たちにはなかなかそれを理解するのが難しい。そして、その「ゆるす」ということも含めて、全ての現実の「因」は自分にある、と考え、そこに立ってすべての事に当たる、ということが出来たら、その人の世界は、逆に平和に満ちたものとなるんでしょう。これは自己犠牲とか、反省とか、そういう次元の話ではないはずですから・・・・。これを実際にやるための方法として、「なぜ自分はそれ(またはその人)をゆるせないか?」ということを書き出して、その一つ一つをじっくり考え直してみる、という方法が紹介されていました。実際に自分でも、ある「ゆるせない人」の例で試してみましたが、これはなかなか効果的でした。自分が何にこだわっているか、自分が何に「価値」を置いているのか、そしてそれは本当に正しいのか、あるいは本当に自分が欲している事なのか、ということを考えるいい勉強になりました。
2011.05.07
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今は夜の9時半を過ぎたところ。 娘は二階で勉強している・・・月曜日にテストがあるから、ということだが、今日は半日以上勉強している。よく、勉強が子供の仕事、親は生活をするために働き、家の手入れをし、食事を作るのが仕事、という考え方をする人がいる。でも、そう言うことを言う時は、たいていの場合、子供に勉強しなさい、という場合が多い。つまり、それがお前達の仕事だから・・・というわけだ。でも果たしてそうか?いつも子供の勉強する姿を見ると、次々に新しい知識を身に付け、日々成長してゆく子供の有り方を感じ、子供がここまで育った間に、では自分がどれだけ成長してきたんだろう、と思ってしまう。だれかが言っていた。幼い頃、親を見て、この人はどれだけのものを勉強してきたんだろう?と疑問を持ったものだが、自分が親の年齢になったら、その時の親がどれだけの知識と智慧をもっていたのかが、ようやくわかった、と。親になって知る、親の偉大さ、みたいなものだろう。しかし、こう言えるような親を持つことは、それこそ幸いなことだろう。そして、立場を替えてみたら、子の親として、子供が将来そう言えるような、そういう親でありたいと思う。子供の成長は、本当に早い。そしてどこまでも伸びていく気がする。こちらも子供に負けないで、まだまだ成長してゆきたいものだ。
2011.05.06
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アメリカのTax Returnの申請資料が出来ました。毎年頼んでいる税理士に今年も作成してもらったわけですが、今年も実質所得は〇百万円のマイナス・・・・どういう計算なのか良くわかりませんが、税金が天引きされているサラリー収入に加え、まだ税金を支払っていない不動産収入や不動産屋としてのコミッション収入、それに日本の確定申告結果を付けて申請したわけですが・・・・・なんと、サラリーマン給与から天引きされていた所得税が全額戻ってきて、さらに〇十万円の上乗せが加えられた税が還付されます。つまり、実質所得がマイナス〇百万円という悲惨な計算結果から出てくる税額は超マイナス。このマイナス分だけでも普通のサラリーマンの年収以上になるのだから、これはもう極貧というしかない。それもこれも、皆、例のサブプライムとリーマンショックのダブルパンチで不動産投資が失敗したツケが続いている、ということだが・・・・。ということで、今年も、成績が良く無ければもらえない息子の奨学金はもちろんダメだが、もう一つの「極貧家庭向け」の、世帯収入の基準のみによって支給される奨学金の方は間違いなくもらえそうである。これを喜んでいいのか悲しむべきなのか・・・・はやくこの「極貧」生活から脱出しなければ・・・・。 あと2,3年かかるかな?
2011.05.04
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リンロンです。 もうすぐ夜12時。やっと家に帰りました。昼間のうちに「忙しい一日」みたいな日記を書いたにも関わらず、実際はさらに、とどめの一発を食らいました。夜9時過ぎ、「勉強会」の真っ最中に携帯に電話。4月の初めに、賃貸物件を世話したお客様からの電話。話をすると「泥棒に入られました!」だと!!すぐにその家に行き、状況を確認して警察に連絡。ポリスが来て現場確認するのに立会い、その後探偵もどきに、「どうやって侵入したか」をこのお客さんと一緒にいろいろ調べたにも関わらず、結局、侵入経路もその意図も不明。なにせ、盗まれたのはキッチンにあった2,3ドルの小銭だけ。すべての引き出しやキャビネットの扉などは開け放たれていたにもかかわらず、PCも、ワイヤレスルーターも,TVもサラウンドシステムも、値の張りそうなものは何一つ盗まれていない。さらに不可解なのは、このテナントさんが家に帰ったときには、すべての窓やドアはロックされていたこと。こんな内部を荒らしたままにしておく盗人が、なんで出るとき律儀に鍵をかけていったのか?それにもまして、すべてロックしてあるのに、どうやって家に入ったのか?警察も結局なんの答えも出さないままレポートを書いただけで帰っていった。いったいなんだったんだろう、この泥棒の目的は?それにしても、忙しい上に長い一日になってしまった。
2011.05.03
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どうも月曜日というのは忙しくなることが多いようだ。今日も、朝から不動産エージェント用のサイトにアクセスして、今日お客様を案内する物件の下調べをし、10時からカイロプラクターの予約が入っていたので、それに行ってきてから、その物件に駆けつけてお客さんに見せる。この物件が気に入った、ということなので、しばらく購入申し込みの条件について話をした後、家に取って返した・・・・と言いたい所だが、途中まで来て、今見た家の戸締りをせずに来てしまったことに気づいた。仕方がなく物件に戻って戸締りを確認したあと一旦家に帰る。もう一時半だ! すぐに会社へ行く。ついでにタイ/日本のミックスしたようなレストランで、昼食をテークアウト。会社についたのは2時過ぎで、PCの前でこのランチを掻き込みながら仕事。いくつかの重要な連絡を済ませ、必要な社内打ち合わせをしてから別のお客様へ返答を送る。もう4時だ!さて、午前中の不動産の購入申し込みをしなければ・・・今日は7時から週一回の「勉強会」なので、これはだいたい夜11時近くまでかかる。ということは、会社を出る6時半ぐらいまでに、この購入申し込みに必要な書類を作成して、クライアントに送付しなければ・・・・ということはあと2時間・・・・・と焦りながらも、こんな日記を書いているのはどうして?(笑)
2011.05.03
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アメリカの不動産市場、ある意味活気を呈している。私の家の周辺でも、売却物件が右から左へ動いていて、私のクライアントなど、すでに3度も購入申し込みをしているが、そのたびに数件の同時申し込みがあって、比較して蹴られたのだろう。結果的に購入できていない。しかし、これをもってアメリカの不動産市場が回復してきている、とはとても言えない。というのは、これらの盛んな売買の中身に問題があるからだ。その内容は?と見ると、すでにローン破産して銀行に抑えられているもの、不動産の税金を納められず政府所有となったもの、そして、売っても初めからローンの残額が返済できないと分かっているもの(ショート・セールという)の三つが大半だからだ。まともに市場に出て、まともな価格で販売されているものはほとんどない。というより、まともな価格付けをしても売れないから、まともでない、つまり相当に思い切った値付けをしないと、上記のような物件があふれている中ではなかなか売れないのだ。先週も一つオファーを出したが、すでに先客があり、交渉中だ、とのこと。こういう場合、ほとんど最初の客に行ってしまうので、こちらに回ってくるだろう、という期待は捨てて、すぐに別の物件を当たっていた。そして、今日、もう一軒の家を見て、その購入申し込み(オファー)を出す事に決定。これで4軒目だ。こうなると、もう売却希望価格など、あってもないようなもの。その価格の満額で申し込みをしても、ほとんど買える可能性はない。つまり、みな満額以上の価格でオファーを入れるのである。そうなると、問題は、どれだけ売却希望価格に上乗せすれば、たとえ何件もの同時オファーがあったとしても、その中で勝ち残っていけるか、ということになる。一種のオークションみたいになっていて、売却希望価格というのは実質、最低入札価格みたいな感じになっている。とにかく、「勝」たなければ意味がないし、同時に「高すぎる」値段で勝っても、これは本末転倒でもちろん意味がない。まだまだ「安い買い物だった!」といえる値段で、しかも、いくつか重なるであろうオファーの中で最高のオファーを出す、という、互いに相反する条件を満足する、ぎりぎりの価格を提示しなければならない。さて、今回はどうなるだろう? そろそろ決まって欲しいものだが・・・・。
2011.05.03
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「創世記」。聖書の初めに出てくる「旧約聖書」のはじめのやつ。読んだ事がなくても、名前だけは誰でも聞いたことが一度や二度ぐらいはある、有名なところです。教会では、礼拝前に30分ほど聖書の勉強会が毎日曜開かれていてそれに参加しているんですが、今日からはこの「創世記」が題材。この「創世記」、これほど読まれ、これほど引用され、同時にこれほどいろいろな議論を呼ぶ聖書の箇所も少ないでしょう。一部では、これも含めて聖書の記述は「すべて真実だ」と主張するキリスト教を、非科学的と言って切り捨てる根拠にするのがこの「創世記」でもあります。まあ、キリスト教だけではなく、この旧約聖書はユダヤ教、キリスト教、そしてイスラム教に共通するんで、今現在でも世界の人口の大半はこれを「信じて」いることになるわけですが・・・。思うに、これを書いたモーセが神の啓示を元に後述し、それを1000年ぐらい経ってから誰かが書物にした、という経緯があるわけですから、そのどこにでも内容の細部にわたって議論する意味があるのか、ということはあるわけです。「モーセが受けた神の啓示は、本当の神からのものか?」「それを口述した時に、内容はモーセが理解できる範囲に限られたのでは?」「そもそも神の啓示を言葉で表す事自体がおのずと限界があるのでは?」「それを口伝で1000年も伝えて、内容が変わったり、ゆがめられたりしていないか?」「それを書いた人は、その内容をどれほど理解していて書いたのか?」「古代ヘブライ語で書かれた言葉が、現代のいろいろな言語に訳された過程で、言語のもつ制約にどれだけ影響されているのか?」こういったことを考えると、モーセが神から実際に啓示を受け、それを口述したとしても、その実際の啓示と、今の旧約聖書にある「創世記」との間にどれだけの違いがあるのか、これは誰にもわからない。しかし、一旦書物になると、それはそれを読む人によって解釈が異なるものだから、幾百、幾千の読み方が可能になる。たぶん、これはそういう多様な読み方をすることを前提に書かれているんだろう、と思ったほうが良さそうだ。
2011.05.02
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