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最近、ロハスという言葉が蔓延していて、その一人歩き振りにちょっと気持ち悪くなることも多かったりして・・・・。最初は軽い気持ちでロハスを始めて、つきつめていくと土着な生活に行き着くのよね。土着という言葉はちょっと侮蔑感もあるので、ドチャックと呼ばせてもらおう。「ドチャック」という言い方はみうらじゅんさんのポッドキャストの中で聞き始めた言葉なんだけど、いい呼び方だな~っとかなり気に入っている。養老さんの都市と田舎、脳と体といった、表現は違うけどみんな同じところがとても気になっているような気がする。とにかく田舎と都会というのはかなり温度差がある・・・と痛感する。たとえば無農薬野菜。都会にいると、それはロハスな人たちをターゲットにしたビジネスとして存在する。だけど、ちょっと田舎だと今日とれた無農薬野菜は流通にものらず近所コミュニケーションのなかでたらいまわしにされていたりする。で、無農薬だからっておいしい野菜ばかりとは限らず、都会にいながらおいしい無農薬野菜を提供してくれるサービスは高くてもやっぱり便利だったな~と思う。ユーザーがおいしくないといえば無農薬野菜農家は必死でおいしい野菜を作ろうとする。それもすごい話。情報システムあってこその発展。でも、おいしくなれなかった無農薬野菜はどうなるの?田舎の生活をロハスといって紹介する番組があるが、ロハスっていうのはひとつ曲がり角があるように思うんだ。都会(近代?)の合理的システムに身をゆだねて石油製品化学薬品漬けに一度なっちゃた人たち(又はそれを知っている人たち)が回帰してるのがロハス?じゃあ、発展しないまんま昔からあたりまえのドチャックはやっぱりこれもロハス?意識してなくても?先日、宮元亜門さんが沖縄に住んでいる話をしていた。よーがんれーるさんも確か沖縄に住んでいるよね。こういう都会にも家や仕事があって住み分けができる人はいいよね。便利が懐かしければ都会で仕事すればいいし、不便が懐かしければ沖縄。でも、多くの人が犯す失敗は不便なところを便利にしてしまおうとすること。沖縄は子供のころ2年間住んでいたことがあるが、感覚がドチャック。「そんなことしたら草木がかわいそうさ~」なんて言葉を使って子供に説教する大人社会があった。便利とか、発展とかに出遅れた島に「東京は卒業だ~」って移り住み、森や山を切り崩して家を建てなければいいなと思う。でも、北海道のある地方ではウェルカム東京卒業組~って姿勢をとってるところもあって、田舎としては産業が欲しいし便利が欲しいし都会のお金が欲しいだろうし・・・・都会から移り住んできた人より田舎の人のほうが平気で自然の中にゴミを捨てちゃったりするのも見てきたし(田舎の人のほうが少々のゴミを捨てても自然のほうが浄化してくれると思ってる人多いかも)・・・なんだかむずかしいよ・・・沖縄でも便利のため自然が破壊されてて、そういう光景を目にしたとき沖縄の人(ジモッティ)は「あの木、あんな切られ方してかわいそうだねぇ、血流してるみたいさ」と言うらしい。それを聞いた宮元亜門さんは「そうだよね。実はみんなそう思ってるよね。それなら、そう行政に言って行こうよ」と活動をしているらしい。えらいなぁ・・・意識ってなんだろう?こんなこと考え始めるとする頭の悪い私はループにはまって抜け出せなくなる。書いてみたらちょっとはまとまるかなと思ったけどやっぱりまとまらない。なのでこの考想は結論を出せないまま次の機会へ・・・
2006年05月25日