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2003.11.27
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カテゴリ: 60年代米国音楽
[お詫びと訂正]

 『ボーイハント』の日本語訳は漣健児さんではなく奥山靉(おくやまあい)さんの手になるものでした。したがって、こちらのブログに書かれた「漣健児」は「奥山靉」に置き換えてお読みください。
 ちなみに、奥山靉さんのプロフィールなどについては、​ こちら ​に詳しいです。(穴沢ジョージ)

“Where the Boys Are”by Connie Francis 1961

 竹内まりやが歌う『ボーイハント』の PV (プロモーション・ビデオをこう書くようになったらしい。ビデオ・クリップはもはや死語か?) を見た。
 PV では、正直な話、映像がいまひとつ歌と合っていないと感じたのと、ロング・ドレスが似合わないなあという印象を受けた。
 もう少し明るいイメージなんだけどなあ、この曲だと...。少なくとも夜じゃなくて、昼なんだよね。つまり服も、黒ではなくて、もっと明るい色のプリーツ・スカートやフレアーのドレスが合いそうな気がする。しかしこれは仕方ない。きっと、本人が気に入っているんだろうし、コンセプトはそれなりに伝わってくるしね。


 これの入ったアルバム "Longtime Favorites" は、オリコン・チャート初登場1位ということもあって、楽天でもあちこちで書いている人がいるので、今さらいろいろ書いても仕方ないとは思うのだが、なにしろモノがモノだけに書かずにいられない。
 とは言っても、まだ CD を手に入れていないので、とりあえず今日は、 PV で見た『ボーイハント』のことを書こうと思った。この曲を選んだのはそういう理由からで、今回竹内まりやが採り上げた全曲について、1曲ずつ徐々に書いてゆくのも楽しいかと思っている。いや、ぜひやってみたい。

 『ボーイハント』、この曲はたぶん、どなたにもおなじみだろう。オリジナルはもちろんコニー・フランシス。この日記でも何度か登場している、オールディーズの大御所のひとりだ。
 この邦題は、気になる人は気になるところだろうが、僕らはこれを、小さい頃から固有名詞のように使っていて、あまり大した連想が働かない。つまり、ボーイハントされたり、ガールハントをするような年齢に達する前に流行った曲だったので、それがどういう行為なのかあまり気にもせずに、大声で歌ったのだ。「♪ あ~たしの~ 大好きな~ やさしいおも~かげ 夢見る瞳よ~...」ってね。
 因みに、当時は伊東ゆかりが歌って流行った。

 このバラードの、メロディーの素晴らしさはいうまでもないところだが、作曲はあのニール・セダカ。今回竹内まりやが歌っている日本語版の訳詞は、これまたおなじみの漣健児(さざなみけんじ)だ。「なんだ、またかよ」と、あきれている人も多いと思うが、この二人のコンビでハズレは見あたらないのだから仕方ない。

 オリジナルの原題は "Where the Boys Are" で、「男の子たちのいるところに 誰かが私を待っているのよ ほほえみと暖かい抱擁 優しく私を抱いてくれるその腕...」というような歌い出しで、まだ見ぬ恋人を捜し求めて、男がたくさんいるところへ出かけてゆくという、積極的な女の子の歌なのだ。
 2番は、「男の子たちのいるところで 私の本当の彼が私を待っているのよ 彼はどこかの通りを歩いてるのね そして私を捜してるんだわ...」と続く。
 サビは、ハワード・グリーンフィールドの真骨頂だ。
 ♪ In the crowd of a million people,

   And then I’ll climb to the highest steeple,
   And tell the world he’s mine
 前半「百万人の中から マイ・バレンタインを見つけるのよ」では、またまた登場「バレンタイン」です。ちょうどバレンタインデーの頃に、ニール・セダカの『カレンダー・ガール』と『素敵な16歳』に「バレンタイン」が出てくることを書いたけれど、ここにも登場です。
 後半では「そして一番高い塔に登って 彼は私のものって世界に告げるわ」で、最高潮を迎える。

 ここで、まだ見ぬ恋人を待つ、日米の待ち方の違いを、オリジナルと漣健児の日本語版の3番の詞を比較して、考察してみたい。

 ♪ Till he holds me, I’ll wait impatiently
   Where the boys are, where the boys are,
   Where the boys are, someone waits for me
 ♪ 待ちましょう 巡り逢える
   その日を 静かに 
   静かに 待ちましょう

 オリジナルで「彼が私を抱く日まで 私は待つわ」といっているのだが、"impatiently (我慢できずに;いらいらしながら)" を見落としてはならない。つまり、待ちきれずに男たちのいるところへ飛び出してゆくくらい、impatient な女の子の気持ちがよくわかる語だ。
 それに対して、日本語版では、「静かに」言い換えれば「我慢強く;いらいらせずに」「待ちましょう」というのだから、この違いはあまりにもすごい。
 でもこれは、60年代の初め、一般的に日本の女性は、まだまだ奥ゆかしく、男性に対しては控えめで、ひたすら待つ側だったことを証明しているのだ。

 ところで、今回この CD 発売に当たって「今、カヴァーはオリジナルを超える」というキャッチコピーが付いた。これは正直言って、やめてもらいたいと思った。
 まず、このキャッチコピーが一体どれだけ購買意欲を誘うだろうか。
 もちろん制作者側の意気込みはひしひしと伝わってくるが、オリジナルを知る人も知らない人も、これを聴く人たちは、それを越えるかどうかは、あまり関心がないと思う。聴いた人の感想としてなら、別にかまわないのだが。
 さらに、『ボーイハント』を聴く限り、オリジナルや伊東ゆかり版への限りない愛情が感じられ、とてもそれらを越えたいとか、「私の方がいいでしょう」というような気持ちで歌ったようには思えないのだ。
 むしろオリジナルを知らない若者たちには、この際ぜひ聴いてみて欲しいし、双方の良さを素直に感じ取ってもらいたいと思う。そして、このアルバムは十分にそうなるきっかけを与えてくれていると思うのだ。

 いやそれにしても、竹内まりやという人は、実にこういう歌に適した歌い手だということを再認識した。早く全曲聴いてみたいものだ。
                        (文中訳:穴沢)





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Last updated  2025.07.28 11:01:44
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