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世界は刺激しあって動いている地震・火山の爆発には、周期があるみたい。 数百年も大きな地震がない時もあり、同時期に大地震が多発する時もある。今は、地震・火山の爆発多発期に当たるかも。2010年オーストラリアの大地震2011年東日本大震災2013年小笠原西ノ島噴火2014年チリ大震災・御嶽山大噴火2015年グアテマラ・桜島・メキシコ・チリの火山噴火・ネパールの地震・くちのえらぶじま地震の時期は、100年以上続く。 これは熊本の地震から調べたこと。阿蘇山近辺は、地震の記録は少ない。近い歴史的事件も書いてみた。1596年豊後地震(大分) …1592年文永の役 1598年慶長の役1705年阿蘇近辺の地震 …1702年赤穂浪士討ち入り 1707年富士山宝永の大噴火 全然関係ないけど、同じ年表に日本外交の歴史も書きこんだ。みて、歴史的事件と地震の時期が近いかもと思った。 それと、日本人が何かあると一つ方向に突っ走る傾向があるよね。それって、火山と地震による磁力の増加のせいじゃないかと思った。これは妄想だけどね。 釘を下じきの上に置いて、下から磁石を近づける。普通の磁石の時は、磁石の上に落ちないレベルにまとまるだろう。ひっくり返せば落ちる。しかし、強い磁石を置いたら、釘の先、釘の先の先にもくっつく。下じきをひっくり返しても、釘は落ちないのではないだろうか?つまり、相当の磁力が、集中力と団結力なるのではという仮説。これは、日本人の素敵なところだとおもうよ。日本生まれ育ちの日本人はこうなるわけだ。だから、災害時にも大きな力を発揮して助け合うってわけなんじゃないかな? これが、磁力の違うところに育つと個性がまた違ってくる。そうだ、もう一つ思いついた。 火の国の戦士は強いな。火山が近い国の兵士は強い。 …大和朝廷の火君って誰?甲斐の武田軍は強かった。浅間山と冨士山のふもとだな。甲という字は、兜っていう意味だ。伊達軍も強かった。最初は、蔵王山のふもと米沢辺りで育ち、会津磐梯山で東北一体に広げ、移封で蔵王山東の宮城に移った。何時も火山それも活火山の近くだった。会津軍も強かった。…田母神俊雄さんの出身は会津。彼の事件も不思議です。熊本軍も強かった。熊襲は強かった。口も達者でまとまりにくい県民性だったとか?☆ひょっとして、このまとまりにくい男どもを束ねたのが卑弥呼だったりして。すると邪馬台国は、熊本あたりか、大分辺りがいいかな?どう考えても、地理的に南九州とは考えにくいからね。☆もう一つ思いついた。倭国の騒乱で、大国同士が争って疲弊した。南九州という周辺国だったゆえに、戦乱に巻きこまれず、漁夫の利を得たってことかも?これって、中原の争いの間に力をつけた秦や楚と似ているかも?島津軍も強かった。薩摩隼人。古代から宮廷の防備担当だった。いつの時代も世界を動かすものは、食料不足だわ。 ≪世界の波動は浅間山の噴火とラキ山の噴火で始まった?≫1782年異常気象による大飢饉 天明の大飢饉1783年浅間山噴火 アイスランドラキ山噴火1789年フランス革命 食糧不足も遠因 …暴動・革命・戦争頻発1808年佐賀藩フェートン号事件 …藩の軍備増強政策1809年蔵王山噴火1812年ナポレオンのロシア遠征 …欧州の疲弊混乱1815年ウィーン体制 …欧州の安定 …世界進出拡大1825年世界の動きを感じて異国船打ち払い令1831年蔵王山噴火1843年アヘン戦争1853年~1856年大地震多発 フランス・イギリス・オランダ・ペリー来航 桜田門外の変・禁門の変・第一次長州征伐・第二次長州征伐1867年大政奉還 蔵王山噴火 1868年鳥羽伏見の戦い 江戸城開城1869年戊辰戦争 1877年西南戦争1894年日清戦争1895年蔵王山噴火1904年日露戦争1891年~1948年も大地震多発 1914年第一次世界大戦参戦 …桜島大噴火1923年~1948年地震多発 関東大震災 三陸・東南海・南海・福井1929年ウォール街の大暴落1960年チリ地震世界で政変が起こる時、火山の爆発と地震が起こっているなぁ。
2016年04月16日
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日本の歴史を何度も振り返る!観た『歴史秘話ヒストリア』『知恵の泉』『高校日本史』『高校世界史』『歴史キラリ』各種歴史ドラマ。メモしてる。大好きな司馬遼太郎から、古代史の本、遺跡発掘の本のメモを書きなぐってたら、わかりにくかった。いったいいつなんじゃい!!歴史年表に書いたらわかりやすくなった。おいらのお忘れ防止ノート。『その時歴史は動いた』NHKの本を読んでたから、そこからパクった。 今日、フランス革命から、フェートン号事件、アヘン戦争などの動画を観た。フランス革命・ナポレオン戦争が終わりウィーン体制ができたので、各国の世界進出が本格化。なるほど~。年表に世界の動きを赤で書いてみた。世界は刺激しあって動いているのがよくわかるな。日本とお隣だけの歴史では、視野が狭いかも? アヘン戦争から、開国まで激動の27年だったな。27年で日本は変わったのだ。アヘン戦争が、日本人に変わらなくちゃと火をつけた。そして、どんどん変化した。なんてすごい国なんだと思う。変われなかった国は、大変なことになった。そうそう、大地震も調べていたから、緑色で書いている。火山の噴火も、ピンクで書いている。この27年間前後は、蔵王山の数度の噴火と安政の大地震など大地震が多発している。緑が多いのがわかるよね。 ≪世界の波動は浅間山の噴火とラキ山の噴火で始まった?≫1782年異常気象による大飢饉 天明の大飢饉1783年浅間山噴火 アイスランドラキ山噴火1789年フランス革命 食糧不足も遠因 …暴動・革命・戦争頻発1808年佐賀藩フェートン号事件 …藩の軍備増強政策1809年蔵王山噴火1812年ナポレオンのロシア遠征 …欧州の疲弊混乱1815年ウィーン体制 …欧州の安定 …世界進出拡大1825年世界の動きを感じて異国船打ち払い令1831年蔵王山噴火1843年アヘン戦争1853年~1856年大地震多発 フランス・イギリス・オランダ・ペリー来航 桜田門外の変・禁門の変・第一次長州征伐・第二次長州征伐1867年大政奉還 蔵王山噴火 1868年鳥羽伏見の戦い 江戸城開城1869年戊辰戦争 1877年西南戦争1894年日清戦争1895年蔵王山噴火1904年日露戦争1891年~1948年も大地震多発 1914年第一次世界大戦参戦 …桜島大噴火1923年~1948年地震多発 関東大震災 三陸・東南海・南海・福井1929年ウォール街の大暴落1960年チリ地震世界で政変が起こる時、火山の爆発と地震が起こっているなぁ。今地震と火山の爆発の時期にあるかも?ふと、熊本の地震で思ったことだけどね。
2016年04月15日
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お隣の歴史にハマってしまい一昨日から、日本古代を語る画像を観続けた。 …雨で、暇だからね。古代の認識が少し変わったわ。自分が生まれた日本に自信を持とうと思ったわ。今後は、素敵な日本というカテゴリを作ろう。 ネット上にはいろんな情報がいっぱいだな。正しいかどうかは、自分で判断しなくちゃいけないけどね。実に愉快。 その流れで観たお隣の国々の歴史にハマってしまった。ドラマでも観るし、何度も調べてるから知ってるこどだけどね。学者が言うと説得力があるね。ふむふむ。そうだったのか。 あの国民性は、あ~してできたのか?あの国もこの国も、大変だったんだなぁ…。日本に生まれてよかったなぁとつくづく思うよ。 次に歴史的な事件があった時は、日本はどうすればいい?そこも思案のしどころだわね。 近隣の株は止めておこう。投資をしている日本企業も、避けようと思った。利益に夢中になって出口戦略を間違えると、大変なことになるからね。ラジャァ!! 今日も、小さな畑を耕して、セコリながら、古代を妄想するお婆さんである。☆動画って、いろんな考えがあって実に面白いわ。
2016年04月15日
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たくさんの訪問が、消化録画の『精霊の守り人』を観てたら、どう見ても日本の古代史とダブって仕方がないわ。新ヨゴ国は、九州南部。神代の狗奴国じゃなかろうか?おいら狗奴国が後の大和を作ったんじゃないかと思ってるんだ。呉国から渡来した王を模してるよな。 青霧高原の向こう。九州北部。バルサの故郷カンバル国。卑弥呼の邪馬台国とか漢委奴国王の金印をもらった国とか、吉野ヶ里遺跡も磐井の反乱を起こした部族も青霧高原の向こうだったと考える。 …しかし、このドラマファンタジー?これすりこみで危険だよね。間違った史観を知らないうちにすりこまれる。 どうも日本の古代史に疑問があるのよね~。おいらたちって、日本の歴史を勘違いしてないかなぁ…。おいらの祖先はどんな人たちだったか?おいらの国は昔はどんなだったか? これってどうでもいいことじゃないよ。日本人のアイデンティティーにかかわることだわ。どう考えても、お隣の国々とは何か違う匂いを感じるんだな。 歴史韓ドラ大好きだからいっぱい観てるし、調べるし、古代中国史大好きだから読んでるけど、それぞれの国民性があるよね。日本人は、日本人である何かがあると思うんだ。 つまり、すべての人と文化が大陸からと考えるのは間違ってる!!間違いなく影響は受けているけどね。日本人のDNAが作り上げてきた物がいっぱいあるわけだ。その証拠に、紀元前1万年前後には、青森県の大平山元遺跡・長崎洞穴・茨城後野・東京前田耕地で土器が。紀元前5000年頃、菜畑遺跡には最古の高床式住居と水田の跡があり、紀元前4000年頃、岡山県朝寝塚貝塚の土器からは稲の化石がみつかり、紀元前3000年頃、青森県三内丸山遺跡では、集団住居があり、 巨大な柱を火で焦がして石の刃で削って建てている。メソポタミア文明・長江文明と同時代の 縄文人は、無知な原始人では無い!!その文化がすごいよ。むざむざと渡来系に占領されてはいかなかったと思うんだよね。 石の文化じゃないから、痕跡が残りにくい。今後の発掘を待つしかないけど。文字がなかったから、残らないんだよね~。もどかしい。 ここまで考えて…待てよ。本当に文字がなかったのかなぁ??調べてみると、どうも文字はあったらしいよ。今朝は、縄文人の文字にまで行きついた。 …漢字以前の文字がある。 朝っぱらから、紀元前の世界をうろついていたら、そろそろ畑の時間だ~。縄文ブログを観るとた~くさんの訪問が…。みなさんありがとう!!日本人は、すごい祖先を持っている。もっと自信を持って生きた方がいい。
2016年04月12日
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龍か蛇か?ジャガマイタ祭今日の歴史散歩。1300年の歴史を持つ栃木県小山市の間々田神社。日光街道にある。その祭りにすごく興味を持った。毎年5月5日に行われる『間々田のジャガマイタ』(通称『蛇まつり(じゃまつり)』)は、田植えの時期を前に五穀豊穣や疫病退散を祈願するお祭りです。 祭りの主役となるのは子供たちで、長さ15mを越える竜頭蛇体の巨大な蛇(ジャ)を担ぎ『ジャーガマイタ、ジャガマイタ。4月8日のジャガマイタ(*)。』のかけ声とともに町中を練り歩きます。 関東有数の奇祭としても知られるこの祭りは、我が国の農耕祭事・除災儀礼を考える上できわめて貴重であることから、平成23年に国の選択無形民俗文化財に指定されました。間々田神社HPより蛇といいますが、形は15mの龍です。緑色もすごいインパクトです。角も有ります。目が光って、煙を出しているものもあります。田植えを前にして、7つの地区から、7体のジャが出てからみあって戦うそうです。水に困らず豊作を祈る祭です。この神社の建物は朱です。朱は、海洋系の民族に多いような気がしてるんです。 …竜宮のイメージですよね。ここでは、耕作を祀ってるんです。祭の様子を見ていると、中華街の龍の祭りとよく似てますねぇ。日本中に龍神を祀り神社は多いです。古い神社が多いかも?和歌山県には、龍神村がありました。現在も龍神温泉があります。ここ辺りは、相当古いのかも?和歌山 紀国はそうとう古いと思ってるんです。神武以前です。周前期ではないでしょうか?つまり紀元前800年ごろと妄想してます。そして、スサノオは、彼らと近かったのではないかと?古事記の中で、大国主が兄弟のいじめから逃れて、紀の国と淡路島に行きますよね。ここの龍神も古いのではと思ってるんです。龍は中国の皇帝の印。う~ん、またどっかで見たら考えよう。 さっき妄想が出たんだけど、紀・阿波・出雲系は、姫氏系ってのはどうかな?そのほかに越系北陸・呉系瀬戸内海・楚系九州北部が入ってる。騎馬民族系は単独では入らないので、混血で来た。ベストオブキングになれるのは、黄帝に近い血筋。だれだ?
2016年04月07日
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紀元前3000年から歴史は始まった! 日本の始まりはどうだったか?知りたくて調べてるよ。韓国とも関係があるんだけど、中国とはもっと深いような気がしてる。多くの国からの渡来人が日本を作ったらしい。縄文人より、弥生人の方がう~~~んと多いんだよ。8倍以上だったと思う…自信ないけど。 それで、どこからどんな文化が来たか?古代中国の本をいろいろ読んでる。たとえば、龍顔というのはどんな顔か知りたいね。上の写真が、中国歴史紀行に載っていた黄帝画像。勿論、後世の人が書いたんだろうけど、キングオブキングの顔。 黄帝って、いつの時代の人かってよくわからないけど、紀元前2000年ぐらいと違うかなぁ?黄帝の前に、神農の時代が続いてるから、中国は紀元前3000年ぐらいから国がある。実は日本にも青森の三内丸山遺跡は、紀元前3000年から紀元前2200年頃まで続いたらしい。メソポタミア・エジプトが、紀元前3500年頃から、インダス文明が紀元前2500年頃から。ざっくり言って、人間の国としての歴史は、紀元前3000年頃から始まったと考えられる。中国のすごいところは、文字があったから記録が残ってる。春秋時代から各国が記録を残してるからね。だから、紀元前841年からのことが、ほぼ正確にわかる。魯の国で書かれたのが、この前まで読んでいた『春秋』なんだな。孔子が書いたって言われてる。こういう記録と聞き取りをもとに司馬遷が『史記』を書いた。紀元前91年ごろ。 殷墟で発見された銅製紀元前1600年~紀元前1028年ごろに殷が作られた。殷墟から発見された銅製品からは、すでに銅の加工が行われていたことが分かる。 『春秋戦国』洋泉社より紀元前1100年頃から紀元前471年まで続いた周の社会構造。既に支配体制が確立できてるのが分かるね。 史記の戦いより紀元前300年ごろ戦国時代。大国の侯は、1000の戦車を持っていた。 秦の始皇帝陵3人乗りの戦車は、馬4頭で走らせる。その前には数多くの歩兵が並ぶ。戦車による戦争が、紀元前800年には記録されている。この馬車って、アーリア人風ですよね。 こんなに写実的に作られていた。秦の始皇帝陵って、紀元前210年に死んでます。紀元前の馬ですよ。秦だけにあったのではありません。どこの国も600の戦車は持っていました。最近楚の跡でも戦車の発掘がされています。 こんな中国なのに、日本は、縄文??その日本の歴史本当なんでしょうかね? もう一つの不思議。商人は、なぜ身分が低いか?以下は全くの妄想。商人は、フェニキア系の発生じゃないかと思うんよね。ユダヤでは、東に島があるって知ってたのは、商人の情報。こんなに文化が早く伝わってるのは、商人の移動があったとしか思えない。商人は、支配体制に組み込まれず、自由に国を行き来していた。秦の始皇帝の補佐役で強権をふるった呂不偉も商人だった。趙で人質だった始皇帝の父親に援助して秦王にした。后は呂不偉の子を身ごもっていたらしい。それが始皇帝。始皇帝は、呂不偉を自殺させている。呂不偉も『呂氏春秋』という本を残している。商人って、宮廷に近いんだけど、国が破れそうになれば、逃げだし、国に忠誠をしないから??身分が低かった?あ、そんなことが言いたいんじゃなく。商人ていうのは、いろんな国の情報を持っていたってこと。そんな情報屋の商人が、世界の海を動いていても不思議はないと思う。 ≪思ったこと≫・大昔から完全なる支配体制ができている。・戦争の道具は、あっという間に世界に広がり、進化が早い。・古代人・縄文人だからと文化程度が低いわけじゃない。・渡来人は、自分の文化を持ってやってきた。 銅の文化…殷 漆器の文化…楚 鉄の文化…斉 稲作の文化…楚 牧畜…北夷など
2016年04月04日
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中国からの流れを感じるのよね!古代日本の成り立ちにかかわって、中国の流れを感じ、中国の盛衰にかかわって、中央アジアからの流れを感じるんだよね。アーリアデミックの影響って言うか…。井上靖さんも司馬遼太郎さんも、その風を感じたんだな。 だけど、中央アジアには砂漠があり、高い山がある。どこをどう辿ったかわからない人の歴史をたどるのは大変だわ。 まずは、お隣の韓国や中国との関係を知ることかなぁ~?韓国は韓ドラの歴史ものを観てるからね。かなり想像がつく。 そうそう、韓ドラ『王の顔』の観相学の本の名前『龍顔秘書』だってさ。韓国の王の顔は龍の顔。漢の劉邦も、龍の子だとか?父の子じゃない。それで、龍顔だったとか?日本でも、高貴な人の顔は龍顔ていうらしいよ。 王の顔は、龍の顔なんだ。中国の神話の黄帝は、龍の子だってさ。龍の顔って、当時の人にはなじみがない外人の顔だったんじゃないだろか?中央アジア系の?日本人にとって鬼と同じかもな??鼻が高くて、顔が長くて、髭が長い。 またまた脱線した。昨日、古代中国をもっと知りたいと図書館で本を借りてきた。やっぱり何かを調べるには図書館だわ。中国関連の本がたくさんあった。写真や絵が多くて、簡単そうな本を借りてきた。初めから難しい本だとギブしそうだからね。 しかし、勉強するにはいい時代だね。ブックオフで108円で本が買え、ネットでもたくさんの知識が得られ、図書館が充実。今の時代、勉強する気があれば、何でもできるな。ゆかいゆかい!!
2016年03月30日
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中国のはじまり 調べ中『春秋左氏伝』上を読んでる。脳が理解しないので、すぐ眠くなっちゃうからね。なかなか進まない。それでも、そろそろ終わりになっていた。気になったところだけ記録しておこうかと思ったが、眠くなったので今夜は止めだな。春秋左史伝の時代は、紀元前700年前ごろから。日本じゃ縄文時代真っただ中だからね。さぞかし原始的で牧歌的な国家って思うでしょ。それが違うんよ。国の組織・軍備・祭祀・国交とかについてメモしてるんだけどね。日本でいえば、2000年後の戦国時代さながらだわ。戦争・陰謀・間諜・同盟・和解・人質・同盟国に娘を嫁に出す・領地の奪い合い食料の奪い合い・神頼み・虐殺・女を奪う人間は、3000年前からあまり変わっていないってこと。しかも、各国記録を残している。すごい文化国家だな。はぁ~眠い。 …昨夜韓ドラを貫徹したからね。≪中国の歴史参考文献≫ …趣味の中国通史を参考に『竹書紀年』 (別名『汲冢紀年』)春秋時代・晋国と戦国時代・魏国の史官によって書かれた編年体通史。西晋時代に発掘。五帝から始まり、戦国時代・魏に至るまでの出来事が書かれている。 『春秋左氏伝』作者は左丘明。異説もある。戦国時代に書かれた春秋時代を扱う史書。『国語』作者は左丘明。諸説ある。西周から春秋時代にかけて主要国で記録された言論(諫言、風刺、弁論等)をまとめた書。周語・魯語・斉語・晋語・鄭語・楚語・呉語・越語の「国別体」。 『帝王世紀』東漢から三国魏を経て西晋時代まで生きた皇甫謐による史書。天地開闢から漢魏にいたる帝王の世系がまとめられ、三皇五帝に関して詳しい。 『資治通鑑』北宋・司馬光の監修によって編纂された編年体の史書。戦国時代から秦漢、魏晋南北朝、隋唐、五代を経て北宋が統一まで。『資治通鑑外紀』 (及び『目録』)北宋の劉恕によって書かれた編年体の史書。司馬光が編纂した『資治通鑑』の戦国時代以前を補うために書かれた。天地開闢から戦国時代初期までの歴史。『資治通鑑前編』 (及び『挙要』)宋末元初の金履祥によって書かれた編年体の史書。『国語』『資治通鑑』とともに『春秋左氏伝』も取り入れ前の時代を編纂した。帝堯から戦国時代初期に至る歴史。『挙要』は年表のような存在
2016年03月16日
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