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前回更新より、非常にご無沙汰となってしまいました。。コメント、メール等も返せず本当に申し訳ありません。不義理を働いてしまいました。。前回の日記はバンディングの手術をして、退院したところまででしたが、今はグレン手術を終え、退院して自宅で過ごしています。グレンの時に総肺静脈還流異常の手術も同時に行いました。5時間半の手術時間で終了し、輸血もなし。手術も無事に終了しました。術後の状態も良好で、酸素が0.5でもサチュレーションが90近くあり、怖いぐらいに順調です。ただ、感染症の危険もありますし、フォンタンが受けられるかどうかは先にならないとわからず、根治までの道のりはまだまだ長いです。退院の日は2月3日(日)の大雪の日でした。レンタカーを借りたのですが、チェーンもスタッドレスタイヤもないとのことでノーマル使用の車でおそるおそる病院に向かいました。病室に到着し、K先生に開口一番、「今日は来ないと思ってました」と言われた時はちょいとずっこけました。。それ先に言ってよ!!次の日でもいいなら、そう言ってくれれば良かったのに。。まぁ、何はともあれ無事に退院。しかし、凛の生まれた日は台風だったし、退院する日は大雪。嵐を呼ぶ男であります。↑見えずらいですが、窓の外は一面の銀世界です。↑最近は、ミルク自分で器用に飲んだり、ぐんぐん発達しています。↑表情も豊かです。そんなわけで、これからもなるべくマメに更新していきたいと思います。なにとぞ、よしなに。
2008年02月23日
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9月20日(木)~9月25日(月)木曜日に妻がICUにいったら、凛がHCU2に移ったと看護師さんに言われたそうですやった~~~手足についていた点滴やらなんやらも随分と取れたとのことでした。木、金は僕は病院に行けませんでしたが、土、日、月の3連休は病院にいて凛とたっぷり会うことができました。土曜日に行ったときは、鼻についてる酸素のチューブと、心拍数などの計器類ぐらいで、栄養剤のチューブやら、Aラインやらは外れていましたAラインは動脈に針を刺しているので、「抜けると血しぶきが飛びます」とか言われていてびくびくでした。抱っこも満足にできないし、沐浴もできませんでした身軽になったおかげで、抱っこし放題、沐浴もできるようになりました直接母乳もです。きゃっほーさっそく抱っこして授乳退院前にやっておいたほうがいいということだったので、看護師さんのレクチャーのもと、妻が沐浴の練習もやりました。いや、もー泣くこと泣くこと。この世の終わりのような声をあげて泣き叫んでましたよ風呂嫌いなのかただ、泣き声がか細い感じだったので、だいぶドスの効いた大きな声が出すようになったなぁと感慨深かったです。泣き止むのは早いですね。お風呂から上がって、体を拭いたらぴたっと泣き止みました。ぎぃやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ母乳の制限が取れて、とうとうフリーになりました今は、だいたい1回に40~50ccぐらいは飲んでます。手術後、体重が落ちていたのでたっぷり飲んで大きくなって欲しいですね酸素の値もよく、だいたいサチュレーションが80ちょいあたり。程よい数値みたいです。ただ、在宅酸素はやはりやらなければいけないとのことでした。キメ顔&変顔。落差が激しいです。こうなると、気になるのは退院時期。「退院時期はいつごろですか?」と聞いたところ、先生から「在宅酸素の準備ができたら退院できます」との返事がうれしいICU出てから、とんとん拍子ですね。ホント、退院っていきなりだなぁ。そして、今日Y先生から退院についての説明が・・・明日、退院できることになりました!!いよいよ、凛が我が家に初帰還ですやったー
2007年09月25日
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9月18~19日手術の次の日、仕事後に凛の面会に行きました。こども医療センターの面会時間は10:00~22:00です遅い時間まで面会可能なので、仕事後にも行けたりしてとても助かります人工呼吸器が外れてるといいな~、と思いながらICUに入り、一番奥にある凛のベッドに向かう。看護師さんに挨拶して、どきどきしながら凛の顔を覗き込むと・・・あっ、外れてる!!しゅこーん、しゅこーんの人工呼吸器が外れて、自発呼吸になっていました。これが外れるということは、ICU脱出の大きな一歩です鎮静剤も投与をやめており、実に5日ぶりに意識がはっきりとした状態になっていましたただ、まだ血中の酸素濃度を測るAライン、栄養剤やら何やら点滴、チューブ類はごてごてついてました。痰が絡んでいるのも心配要素で、呼吸が「ひっひっひっ」といった感じで苦しそう。様子をみに来たA先生に「痰がうまく自力で出せないと人工呼吸器に逆戻りになります」とさらりと言われ、ますます心配に泣き声をあげるでもなく、苦しそうに涙をためる凛。もうすぐ楽になるから、頑張れよ~よく見るとうるうるしてます翌、9月19日(水)。前日とほぼ変わらない様子でしたが、だいぶ痰が絡まなくなったようで呼吸も楽そうになってましたこの分だと、HCUへ移って退院する日も近いかA先生にも「順調です」と顔を見るなり開口一番言われましたICUの看護師さんがくまの絵を描いてくれました。上手!!
2007年09月22日
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9月17日(月)前回の日記の通り、朝電話がかかり再手術になりました前回のバンディング手術で肺動脈を縛って、血管を狭くなるように調整しました。それによって肺に流れる血液の量を減らし、肺への負担を軽減し、体の他の箇所にも血液が流れるようにするというのが手術の目的でした。前回のバンディングで血管を縛ったものの、少し締めすぎだったとのことで次は肺に流れる血液の量が減ってしまい、酸素の値が低く出てしまっていました。そのため、今回はバンディングを少し緩めて肺に流れる血液の量をほんの少し増やすということになりました。手術の所要時間は30分。前に切った場所の糸を抜いて胸を開けるとのこと。負担は前回より少ないものの、まだ小さい凛に何度も手術をするというのは心配だし、かわいそうだなと思いました。ただ、早い時期にバンディングを行う難しさ、再手術の可能性などはA先生から説明を受けており、手術することに抵抗を感じるというわけではありませんでした。A先生の実績については前から聞いていましたので、先生を信頼してお任せするほかないと思っていました。12時前には病院に到着し、13時ごろ手術スタート。準備時間も含めて予定通り14時過ぎには手術終了。15時前にはICUで面会できました。こんな状態でした。もう、チューブやら何やらがすごい状態に。。金曜日の手術からずっと鎮静剤を投与していて、ずっと意識がない状態でした。この時点で、もう4日も意識がない状態でしたなんだか心配。。A先生から説明があり、酸素の値もいいのでいい状態だと思うが、しばらくみてみないとやはりわからない。酸素濃度を徐々に減らして、人工呼吸器を取ることになる。ただ、痰がのどに詰まることがあるので、それを自力で出せないとまた人工呼吸器を付けることになるとのことでした。とにかく、人工呼吸器が取れて、意識が戻って欲しいの一心でした。がんばれ凛!!
2007年09月20日
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9月16日(日)昨日、「心臓病の子どもを守る会・神奈川県域支部」の支部総会があったので参加してきました。守る会は45年の歴史を持つ、心臓病を持つ子供の親の会です。キャンプ、交流会などの行事があったり、相談ができたりするということだったので、凛が生まれる直前に入会させていただきました。守る会を知ったのは、胎児診断で凛の疾患のことがわかり、K先生らから疾患の説明を受けた時でした。ソーシャルワーカーの方が、守る会が発行している「心臓病児者の幸せのために」という本を薦めてくださり、守る会のことも教えてくださいました。疾患のことを告知され、どん底に叩き落された僕達に光をくれたのは、先輩ママさんがたのブログ、ホームページ、そしてこの本「心臓病児者の幸せのために」でした。守る会入会に際しては、支部長のYさんには大変お世話になりました。障害者手帳、特児のことなどについて相談したのですが、すぐにメール、電話をいただき大変心強く、参考になりました。事務局のYさんにも会報「心臓をまもる」のバックナンバー等を送っていただきまして、本当にありがとうございました。支部総会では実際にお2人にもお会いして、守る会の活動等のことをお話いただきました。他の会員の方にも紹介していただき、妻が体調不良のために一人で参加したのですが、窮屈な思いもせずアットホームな雰囲気の中打ち解けることができました。「総会」というと、決算報告やら活動方針やらと固いイメージ(もちろん必要なことですが)もありますが、そういうことだけではなく、今後の守る会の活動や、行政との折衝の様子など様々な話が聞けました。今後は交流会等も予定しているとのことで、積極的に参加していきたいです。午後からはこども医療センターの先生の講演会もあるとのことでしたが、病院へ凛の面会に行くため失礼させていただき病院へ向かいました。この日も前日と変わらない様子で、ICUのベッドの上でした。外科医の先生(名前は?)から現在の凛の状態について説明が。曰く、手術当日はバンディングがキツすぎでサチュレーションの値が低めでバンディングをひとつ緩めたい(全部で6つ縛っているとのこと)と思っていたが、今はだいたいちょうどいい状態。このように、生後間もないということもあり状態がころころ変わっているので、しばらくは人工呼吸器をつけて様子をみたい。その上でもしかしたら、バンディングを緩める=再手術するかもしれない。とのことでした。そのあと、A先生から説明も説明がありました。先ほどの先生とは少し違った意見で、このままでも大丈夫だと思うが、やはりバンディングはすこしキツイ状態。このまま緩めずにいって、退院後も在宅酸素で過ごしてもらったほうが良いかもしれない、とのことでした。実はY先生からは在宅酸素をしなくても大丈夫かもしれないといわれていたので少し期待していたのですが・・・。うーん、ちょっとがっかり。ただ、A先生も再びバンディングを緩めるかもしれないと言っていました。凛の場合、肺動脈自体の狭窄はほとんどない状態なのですが、肺動脈の入り口あたりが少し狭くなっていてバンディングの調整が非常に微妙な状態らしいのです。もちろん、再手術は心配ですが仕方のない状況みたいです。どうやら、凛のICU生活は思ったよりは長くなりそうでが、焦らずにまずはICU脱出を目指して頑張って欲しいです~。とか、書いていたら病院から電話が。A先生から「バンディングを緩めることにしたので、今から来てください」と言われました。再手術みたいです。これから病院に行ってきます!!
2007年09月17日
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9月15日(土)手術翌日、この日はレンタカーを借りて凛の面会へ。せっかく車も借りるので、妻の慰労の意味もあり、ベイサイドマリーナまで行ってきました色がかわゆい。朝早く出かけて、まずはベイサイドマリーナへ。早めのランチを済ませてからショッピング。妻は、サザビーのバッグ。僕と凛もSHIPSで服を買いました。家族平等に買い物をしました。凛の服、めちゃかわいいのがありました!!今度、来てるとこをアップします!!ベイサイドマリーナから病院まで再びGOあー、車あるとお買い物も楽ですわ途中、凛のオムツをたんまり買ったり、ティッシュをがっつり買い込んだり、かなりフル活用しました。病院に到着し、ICUへ。ICUはHCUに比べ、より状態が深刻だったり、きめ細かなケアが必要な患者がいるので雰囲気もぴりぴりしたものがあります。凛も、人工呼吸器をつけた状態であるため、看護師さんがこまめに状態をチェックしていました。シュコーン、シュコーンという独特な人工呼吸器の音と、計器類の機械音だけが凛の部屋に響いてました。凛はこの日も薬で眠っていました。体中に付けられたチューブ、点滴の針が痛々しく、涙を堪えるのに必死でした。早く、退院して欲しいけど、まずはICUからHCU2に戻ってきて欲しいな~。それで、またミルクをあげたり、抱っこしたり、頬ずりしたりしてあげたいです。でも、今は焦らず我慢ですね。。
2007年09月16日
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9月14日(金)金曜日の朝、8時過ぎ頃。病院から、僕の携帯に着信が・・・前日の朝に妻と一緒にHCU2に面会に行った時には手術はまだ先ですかね~、なんて看護師さんと話していたのですが、「突然ですが、今日手術をしたいと思います。これから来られますか?」とY先生。「今日は無理です。今度にしてください」などとは当然言えず、妻への連絡、仕事を休むための調整に追われることに木、金は日勤→夜勤→日勤だったので職場にいたのですが、寝ていた妻を電話で叩き起こして、病院へ向かいましたこうして、凛と僕達の長い一日が幕を開けました。9時過ぎには病院に到着し、HCU2へ。オムツを替えたり、手術の説明を受けたりしてあっという間に時間が過ぎていきました。急なタイミングで手術を行うことにはなったが、特に容態が悪化したわけではないということ。今の状態でこれだけサチュレーションが高いということは、それだけ肺への血流が多く肺に負担がかかっている状態ということ。ただ、相変わらずサチュレーションの値が高く90以上の値をほぼキープしている。心不全が起きていないということでぎりぎりまで様子をみるつもりだったが、このタイミングで手術をやったほうがいいとのことでした。週末に入って先生たちがいない状態で何かあったら・・・、という懸念もあったのだと思います。そんなこんなで、10時半過ぎに妻到着。実はこの日は僕は仕事が遅くなるため、妻は疲労のため、面会に来ない予定でした。凛の容態が変化したわけではありませんでしたが、なんとなく凛に呼ばれた感じがありました。いつもは、けっこう長い時間いてもほとんど目を開けていない凛が、この日はばっちり目を開けて起きてました。珍しいこいつなりに、ただならぬ何かを察知しているのか・・・。手術前で胃をからっぽにするためにミルクを飲めず、単に腹が減っていたという説もありますがかん腸をして、腸もキレイに準備は万端。手術は13:30からとのことでしたが、前の子の手術が長引いていたようで、実際は15時ごろスタートでした。移動用のベッドのようなものに載せられて、ちっちゃなちっちゃな凛は手術室へと向かいました。手術を受けないと心不全が起こってすぐに死んでしまうし、根治するまでグレン、フォンタンと手術をしていかなければいけないことも理解している。もっとひどいことにもなり得たけど、生き延びるチャンスを持って生まれてこれた幸運にも感謝している。でも、こんなにちっちゃい凛の体にメスが入るのはとても辛い・・・。生まれてから、ずっと病院にいて辛い想いばかりばかりさせていて胸が痛みます。僕には何もできないのだけれど。2時間の予定だった手術はやや長引き、18時に終わりました。18時半から面会が可能になりICUへ。そこで、手術後の説明を少し受けました。手術は無事に終了したが、バンディングがうまくいったかどうかは様子をみないとわからないとのことでした。今は人工呼吸器で呼吸をしていて、薬で眠っている状態とのことでした。20時過ぎまで院内待機をして、病院を後にしました。何をしていたでもないのですが、僕も妻もくたくたでした。「早く家に帰ってきて欲しい」という言葉が、帰り道で何度も口をつきました。
2007年09月15日
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9月11日(火)この日は、妻が退院する日でした本来ならば、凛の手術があるので、1日休んでレンタカーで病院まで行って、手術を終えてから妻と一緒に車で帰るという予定でしたが、予定が変わったので仕事が休めず、仕事が終わってから夕方にレンタカーで迎えに行きました入院の荷物もたくさんありましたが、搾乳機等を借りていたのでその分の荷物も重く、車で送れてよかったです先週の土、日に義姉夫婦の車で家から病院までの道のりを車で来ていたので、道を覚えられていて楽に辿り着けました迷うとテンパる小心者なのでほっと安心でした。しばらくは、妻の体調も良くないと思うし、通院でレンタカーは重宝しそうです妻の体調は、お乳が張るらしくだいぶ辛そうでした入院中3時間おきの搾乳がとっても辛かったみたいですね。搾乳機はとっても重宝しそうです。でも、母乳の出がいいというのはいいことだし、じゃんじゃん出してストックしておきたいものですレンタカーを返したあと、妻の退院祝いに地元の創作和食料理屋「寅次郎」へ。初めて行きましたが、料理もおいしく、店員の対応もよく満足でした。この店、一杯目を乾杯して飲むときに、店員がいっせいに「お疲れ様でした!!」って言ってくれるんですよ。いいね、こういうサービス店員の質によって楽しく食事できるか左右されると思います。ああ、写真撮っておけばよかったなぁその後、義姉夫婦もいらっしゃって少しお話しましたこのブログを義姉さんの病院のK先生という方が見てくださっていて、凛の誕生祝いを頂いたということで持ってきてくださいました本当に、ありがとうございました何をもらったかは次回の日記のオタノシミ
2007年09月12日
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9月10日(月)今日は仕事を早く切り上げて、手術を前日に控えた凛を激励すべく病院に足を運びました。HCU2に入ると、ヘッドボックスをかぶって爆睡する凛の姿が点滴も手から足に替えてました。手の傷がちょっと痛々しいです手術の傷に比べるとたいしたことないのかもしれないけど、子供の体に傷ができるのは、親として耐え難いです。妻と一緒におっぱいをあげたりしていたら、Y先生がびょうしつにいらっしゃいました。なんでも、明日やる予定だった手術が延期になったとのことありゃま、昼までは明日ということになっていたのだが・・・。理由としては、確かにサチュレーションの値が高く、エコーでみても肺の血流が多い。でも、心不全の兆候はなく、本人はいたって元気である。それなら、もう少し待ってみたほうが体力もつくし、肺動脈も発達するのでは、ということでした。バンディングは、難易度は低い手術で2時間ほどで終わり、リスクも低い。しかし、血管が細いと縛る時の微調整が難しく、やり直しをしなければいけない可能性もあると言われていました。それなら、もう少し待ってもらってより有利な条件で手術してもらったほうがいいかなー、と思います。そんなわけで、次の手術時期は未定。たぶん1~2週間の間にやるみたいです。ミルクの量も増やして良いことになったし、手術までに少しでも大きくなって欲しいなぁ。
2007年09月10日
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9月8日(土)出生届はまだだけど、名前を決めましたフルネームで公表しようと思ったら妻に止められたので、このブログの中では「凛」と呼ぶことにします。凛として、凛々しく生き抜いて欲しいものであります快晴というにはあまりにも強い日差しが降り注ぐ残暑の厳しい一日でした。義姉夫婦が妻と凛のお見舞いに来てくださるとのことだったので、僕も車に乗っけてもらい一緒に病院へと向かいました妻と、凛の荷物をどっちゃり持っていたので本当に助かりましたNICUは、両親、おじいちゃん・おばあちゃんしか面会ができませんでしたが、HCU2では感染症のチェックをすれば義姉夫婦も面会がということだったので、さっそく凛とご対面~って、また寝てるしんまぁ、しょうがあんめぇお昼から、循環器のY先生が手術の説明をしてくださるとのことだったので、面談室でお話をしました。Y先生はとても物腰柔らかな方で、説明も非常にわかりやすく、心行くまで質問もさせてもらえましたK先生が印象が良かっただけに先生が替わるのが不安でしたが、安心しましたY先生曰く。凛がとてもいい状態で生まれてくることができた、十分フォンタンまで辿り着く可能性がある。ただ、肺静脈の狭窄が軽度で、肺動脈の狭窄があまりないことによって心臓から全身に血が巡らず、肺に入っていっている。そのことは、サチュレーションの値(酸素の血中濃度。通常の人は100)が非常に高いことから伺える。(なんと出生時は98)サチュレーションは80あたりが理想。そのため今後徐々に肺の血圧があがっていくので肺に負担がかかるようになる。今後、血液が全身を巡らないため、肺と心臓を血液が何度も行き来し、心臓に負担がかかり心不全を引き起こすようになる。そのため、肺動脈を縛り肺に流れる血液の量を減らすバンディング手術を当初の予定(2週間前後)より早くやらなければならないバンディング手術後、おそらく2週間程度で退院できるとのことでした。なるほど、サチュレーションは高けりゃいいってもんでもないんすねぇちなみに、上の写真のハコは二酸化炭素を吸わせるためのものです。二酸化炭素を吸うと、肺の血管が狭まって肺に流れる血液の量が減るそうですY先生の話のあと、手術を担当する外科のA先生からお話がありました。A先生の印象は・・・。なんか、変わった人だなって感じでした外科の先生って技術肌だから自分の世界を持っている人が多いらしいですね。ただ、A先生は年間200症例以上の手術をこなすスゴ腕の先生。この先生に手術してもらえるのは非常に幸運なことだと思っています。A先生曰く、手術の日は9月11日。あの痛ましいテロがあった日です。この日は妻の退院する日でもあります。ただ、今後心不全の進行との兼ね合いもあり、手術時期が変更になったりする場合もあるとのこと。生後まもなく手術を受けるのは体力的な意味ではキツイので、なるべく心不全が起こるぎりぎりのタイミングまで待って手術をするとのことでした。肺動脈の狭窄がこれから進行して、サチュレーションの値が下がった場合は手術を取りやめるケースもあるとのこと。でも、今日までサチュレーションがほぼ90台をキープしていること。凛が体力的にいい状態にあり、ミルクの飲みもいいことを考えるとなんとなくこの日にやりそうだなぁ。素人考えですがそんな、自分の運命も露知らずの愛息・凛。やっと、ミルクが飲めるようになったと思ったら、Y先生から腸の状態を考えてとの理由でミルクの制限がでましたその量、わずか5ccこの日は腹が減ったとよく泣きわめいてました。「ごめんな~。でも恨むならY先生を恨めよ~」と僕。「そうね~。パパとママは悪くないのよ~」と看護師さん。手術が終われば制限もなくなるはず。そんなわけで、明後日はバンディング手術です。比較的難易度は低い手術で、2時間ほどで終わるのですが、幼い彼にとってはまたしても試練になりそうです。嵐のような急展開ですが、これを乗り切って退院を目指して欲しいです。ガンバレ凛
2007年09月09日
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9月7日(金)台風9号が関東を直撃し、猛威を振るっていたこの日仕事はお休みさせてもらい、転棟、手術の準備のため病院へ手術時期が早くなりそうなので、通常はもう少しNICU(新生児・未熟児)にいるのだけれど、手術に備えてHCU2(ハイケア救急病棟2)に移るとのことでした。ってなわけで、11時からお引越し、婦長さん、K先生が循環器棟のHCU2までお見送りしに来てくれました丸一日と、短い間でしたが、NICUのスタッフの皆様にはとても良くして頂きました。いろいろと縁があった新生児科のK先生、M先生ともとりあえずはお別れで、これからは循環器科の先生に診て頂くことになります。転棟、あと母乳を巡りNICU・母性病棟(妻が入院している病棟)間であった方針の違いおよび齟齬によって気づいたのですが、同じ病院内でも科が違うとやり方がまったく違うし、あまり闊達な情報交換はなせれていないみたいですねこれは、批判の意味では決してないのですが、そういったことも頭に入れて親がうまく立ち回らなければいけない局面があるのだな、と感じました。先輩ママさん方のブログを読んでもよく思うのですが、やはり親が子供の疾患・状態を理解して病院とやり取りしていかないとうまくいかないことも出てくるのだと思います。もちろん信頼関係は大事だと思うし、感謝の気持ちもたくさん持っているので、基本的には笑顔で「よろしくお願いします」と言いたいのですが・・・。やはり、一言物申す場面も出てきますねなるべく棘がない言い方を心がけてはいますが、うるさい親だと思われているかもしれませんねとかなんとかで、ベッドをごろごろ押してHCU2に移動。物々しい場所をイメージしていましたが、入り口がオレンジ色のかわいい感じの病棟でしたHCUという場所の意味ですが、簡単に言うとICU(集中治療室)と、一般病室の真ん中の位置づけというところみたいです。僕もあまりよく理解していないのですが、集中治療室ほどは危険な状態ではないけど、常に状態をチェックする必要があり、感染症に弱い子なんかが入っているみたいです。NICUとは違って新生児だけではなく、もっと大きい子もいます。プレイルームなんてのもHCU2内にあったりしますね。HCU2内の新生児が5~6人集められた部屋の一角がうちの子の新しい棲家となりました。こんな感じですお昼からはお義父さん、お義母さんが来て下さり、孫と初対面でしたせっかく、おじいちゃん、おばあちゃんが来てくれたのにうちの子はずっと寝てましたまぁ、心臓病の子はぐったりしていて、寝てることが多いというからしょうがないかな~。そして、この日の夕方に初めて母乳を飲むことができました前日もトライしていたのですが、おっぱいをくわえるだけで飲むことはできず。この日も直母ではまだうまくいかず、窄乳した母乳を哺乳瓶で飲みましたやった無脾は感染症にかかる可能性が高いので、なんとしても免疫力を高める母乳を早いタイミングで飲んで欲しかった。手術も早めにやるみたいだし。すごい勢いで母乳を飲み干した我が子をめちゃめちゃ褒めてあげましたこの日は手術の説明がないとのことだったので、次の日に手術の説明をしてもらうことにして、病院を後にしました台風一過の夕焼け空がえも言われず美しくなんだか、すがすがしい気持ちになりました
2007年09月09日
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9月6日(木)~誕生~自然分娩で生まれたこと。安産で母子ともに負担がかからなかったこと。子供の体重が思ったよりあったこと。実は帝王切開の可能性もあると言われていたので、自然分娩で産むことができたのは僥倖でありました。妻も元気そうだし、子供も大きな声で産声をあげたとのことでしたただ・・・。いろいろと気になる点はありました。分娩室で妻と子供と対面できるようになるのを待っていたのですが、すぐにエコーで検査をしているとのこと。この子の生死を分かつ肺静脈狭窄の度合いはどうなのか?もしも、高度の狭窄があればほぼ救命不能。他に何らかの理由で緊急手術になったらどうしようなどなど。出産をよろこび、妻の労をねぎらいながらも、今にも誰か駆け込んできて「緊急手術をします」と言われるのではないかと気が気ではありませんでした。分娩室でしばらく待った後に、妻の病室が違う部屋になるとのことだったのでそちらに移動しました。11時頃になり、NICUで対面ができるとのことだったので妻を車椅子に乗せ、NICUへ向かいました。K先生がNICUの入り口で迎えてくれ、「まずは、エコーの結果をお知らせしたいのでこちらへ」と、面談室へ通されました。もう、頭の中が肺静脈でいっぱいでした。10分後には奈落の底に突き落とされているかもしれない・・・。そう思うと、まるで受験の結果発表の時のように(もちろんもっと切実ですが)どきどきしながら先生の言葉を待ちました。肺静脈の狭窄は非常に軽度。弁逆流も軽度でほとんど問題にならない。サチュレーションの値が高く、肺動脈の狭窄があまりない可能性があり、心不全のおそれがあるので、早期にバンディングの手術をする可能性がある。とのことでした。予想していたより、とてもポジティブな結果でした。体から力が抜け、ようやく誕生の喜びがこみ上げてきました。そして、いよいよNICUで対面。思っていたより、顔色もよく体に付けられているチューブなどもそれほど多くありませんでした。2300gはびっくりするほど小さいわけでなありません。500gとかで生まれてくる子供もいるぐらいなのでそれほどでもないのですが、小さく小さく感じました。「抱っこしますか?」と看護師さんが声をかけてくれて、妻と僕と交代で抱っこしました。触ったら骨が折れるんじゃないかってなぐらい小さくて、こわごわ抱きました。母乳をあげても大丈夫とのことだったので、妻がさっそく母乳に挑戦。なかなか、乳房をくわえようとせず泣いてばかりで結局授乳できませんでした。それでも、泣いたり、手足をばたばたさせたりする様子がなんとも愛おしく、かわいくて喜びがこみ上げてきました。この日は夜勤だったので、後ろ髪を引かれつつも病院を後にして、嵐の中職場へ向かいました。
2007年09月08日
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9月6日の6時48分。台風が近づく曇天の朝、第一子が誕生しましたまさに嵐のような3日間を喜びとともに綴ろうと思います。9月5日(水)~誕生前夜~この日は定期健診の日でした。仕事中に妻から携帯に電話が・・・何があったのかと出てみると、「急に入院することになった」とのことでした何やらNSTで赤ちゃんの心臓に除脈が見つかったとのこと。とりあえず、仕事が終わったらすぐに駆けつけると話して、電話を切りました。急ぎ、こども医療センターへ。急なことで何の用意もしていなかったので、とりあえず歯ブラシだけ買って持って行きました。除脈はあったものの、念のための管理入院という意味合いが強いとのことでした。赤ちゃんの心音に異常がとのことで、嫌な気持ちもしていましたが、いつも悲観的な妻がわりと楽観視していたので少し安心して明日は荷物の残りを持ってくることを確認して一人で家に帰りました。なんだか、このまま出産まで入院するんじゃないかな~、なんて思ってました。明日、明後日は病院日勤夜勤日勤のハードスケジュール。妻の荷物を用意するのは明日にすることにして、泥のように眠りました。9月6日(木)~誕生~携帯の振動音で目が覚めました。まだ薄暗く、時間は早朝のようでした。着信を見ると病院から・・・こんな時間にかかってくるということは何かあったということです嫌な予感を抑えつつ、通話ボタンを押しました。「こども医療センターですが、陣痛が始まったのですぐに来てください」「あっ、はい。えーと・・・。」ジンツウガハジマッタ?寝起きの定まらぬ頭で、言葉の意味を考えました。「奥さんは陣痛室にいらっしゃいますのでそちらに来てください」「えっと、急いだほうがいいですか?」当たり前やろ「もちろん、なるべく急いでください」「あの・・・」「は?」「何時ごろまでかかりますか?えっと・・・。その・・・」「は?」「いえ。なるべく急いで行きます」まだ、子宮口もそんなに開いてなかったし、心の準備ができてなかったんですよ寝起きだし。。初産の場合は最初の陣痛から6~10時間とかで生まれるケースが多いとのこと。慌ててはいたけど、妻のドライヤーをバッグに詰めたり、朝食のおにぎりを買う余裕はありました。電話があったのが6時過ぎ。家を出たのはなんだかんだで、6時半前でした。ラッシュアワーに揉まれてごとごと。ファミリークラスでもらった冊子を見ながら、立会い分娩に必要なことを復習してました。ひーひーふー。東戸塚の駅からタクシーに飛び乗り、おにぎりをかじり始めたところで携帯にメールが入った。もう産まれたよ。今どこ?・・・妻からのメールでしたもう、産まれたなんでメールできんのってか、もしかしてどっきり思わずタクシーの車内にカメラを探しましたよ今にも運転手さんが、「はーいどっきりでーす」とかいいだすんじゃないかと気が気じゃありませんでした。と、とにかく病院に到着。きっちりとおつりは貰い、分娩室へと急ぎました。分娩台に、駆けつけるといつも通りさばさばした妻の姿が。「もう産まれちゃったよ。赤ちゃんは運ばれて行っちゃった」とのこと。何を~月9並の展開に戸惑う僕に、妻が出産時の状況を話してくれました。2時過ぎに突然5分おきに陣痛が始まったらしく、とりあえず3時過ぎまでは様子をみていた。そしたら、ますますひどくなったので、看護師さんを呼び陣痛室に移動することに。5時ごろ(だっけかな?)に分娩室に移動して、いきむこと4~5回。気づいたら産まれてたそうで、「もう?」って感じだったみたいです。実は、一時期は帝王切開の可能性もあるといわれ、しかも赤ちゃんの心音に異常があると言われていたので、結果的に自然分娩で母子ともに負担がかからずお産を終えることができてホッとしました。体重は2316g、身長は48cm小さめではあるのですが、しっかりと産声あげ、元気に産まれてきたとのことでしたと、眠くなってきたので続きはまた次回
2007年09月07日
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最近、妻がいまいち元気がなくややふさぎがち体も痺れが出たりして辛いみたいですそんな妻を元気付けようと今日、仕事帰りに葉祥明さんの絵本を買ってプレゼントしました。この人の絵本の中に赤ちゃんと子供に関した絵本のシリーズがあります。何冊かは、ハンディキャップを持って生まれてくる子供の話があったので、その中の「育ててくれて、ありがとう」という絵本を買ってきました。内容はというと・・・人は誰もが人生のチャレンジャー、だからハンディキャップはそのための条件の一つ。ボクもママも勇気をもった、人生のチャレンジャー!ハンディキャップという言葉を通して、子どもを育てる意味を考える絵本。だそうです北鎌倉にある葉祥明の美術館にも2回ぐらい行ったことがありますとっても静かでかわいらしくて、落ち着く美術館ですよ。すごく優しい気持ちになれます「読んでみなよ」と妻に絵本を渡して数分後。鼻を啜る音が聞こえるので、ふと顔を見上げると・・・。あっ、泣いちゃったいやー、育ててくれてありがとうなんて言われちゃ泣いちゃいますよねうちの子もそんないい子に育って欲しいな~。余談ですが、絵本を買ったついでにケーキも買っていきました横浜そごうのB2Fにある「HENRI CHARPENTIER」というところのケーキで、めっちゃうまかったっす。今まで食べたケーキの中で一番おいしいかもっ味だけじゃなくてデザインもおっしゃれ~でした
2007年09月02日
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今日は、こども医療主催のファミリークラスに参加してきましたああ、ようやく日記が現在に追いついてホットなネタを書けるようになりました内容は、分娩の経過について、呼吸法の練習、分娩室の見学などでした。うちは立会い分娩(今は協力分娩というみたいですね)を希望していますが、希望者は夫婦でこの講習を受ける必要があるとのことでした。ファミリークラスは13:30~15:30だったので、東戸塚のオーロラモールで昼食のパンを買い込んで病院の食堂で食べました関係ないけど、この日買ったパンはおいしかったです食後に病院の屋上をちょっと散歩こども医療の屋上はとっても眺めがいいですね~みなとみらいが一望できました。天気がいい日は富士山も見えるとの噂が今日は天気が悪かったから眺めはイマイチだったけど晴れた日にまた来たいですね~屋上には霊安室もあるのですが、暗い地下に入るよりせめて明るいところで・・・、という願いが込められているみたいです。ファミリークラスはなかなか人数が多く、全部で15組ほどの夫婦がいました。お話をしてくれるのはよく病院で見かける助産婦さんで、僕らの姿を見かけて声をかけてくれました。「参加人数が多くて緊張してますよ~」と、苦笑いしてましたはじめに自己紹介なんかもあってなごやかにスタートなかなか気恥ずかしいもんですねぇ。隣の席に座っていたお母さんがうちと出産予定日が同じ日でびっくり奇遇ですねぇ~と笑いあってました。また、病院でお会いすることもあるかなこの病院は紹介制で、たぶん何らかの事情がある人達が来てるとこなので、なんだか色々と詮索しちゃいました。子供に疾患がある人、お母さんの具合が悪い人、早産の兆候がある人など色々なんだろな~。さすがに、「うちの子は無脾なんです。てへっ」などとは言いませんでしたが売店で買ったテキストをもとに1時間半の講習と分娩室の見学という内容で、実技はありませんでした。「動きやすい服装で来て下さい」との注意書きがあったので、生まれるときのシュミレーションなどやるのかなと思ったけどそれはやりませんでした。初産で、お産する病院が遠いということもあり、生まれるときの兆候などの話がとても興味深かったですね~。初産だと陣痛から10時間ほどかかることも多いと聞いて意外にゆっくりしてるんだなと思いました。これならうちからタクシーで行っても途中で生まれる心配とかはないかなと新米パパはちょっと安心それから、分娩室を見学。何やら出産直前の方がいらっしゃるらしく、出産準備室(だったかな?)のほうは見学できませんでした。今まさに、出産しようとしている方がいらっしゃるんだな、と思うとなんだかリアリティを感じました。う~、もうすぐなんだな~予定より早く終わりバス停に向かうと、ちょうどバスが出発するとこでした次のバスは・・・、なんと35分後思わずタクっちゃいましたぁ出産予定日まであと16日
2007年09月01日
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過去から遡って、疾患の発覚から書いているこのブログもう少しで現在に追いつきそうですもう臨月だから早く追いつかないと生まれちゃいますねさて、今回はNICU見学のことを書きます。8月15日(水)は妊婦健診の日で、僕が夏休みに入っていたため、夫婦2人でこども医療まで出かけました。いや、この日はめっちゃ暑かったですねぇこの夏一番の猛暑とか言われちゃって、37℃ぐらいいってたよーな・・・妊婦には堪える暑さのようで、妻は大変そうでした電車、バスを乗り継ぎえっちらおっちら病院へ早めに着いたためか、お盆だからか、わりと空いてましたソッコーで名前を呼ばれ、診察室へ。M先生が僕の顔を見て「あら」と少し驚いた顔。「お盆休みなんで付いてきちゃいました~」とへらへらしながら入室いつものようにエコーをして赤ちゃんの状態をチェック「あっ、あくびしてますね~。エコーするたびにあくびしてくれる赤ちゃんはあんまりいないですね~。サービス精神旺盛だな~」と、M先生。サービス精神旺盛なのは僕似かな。お調子者の子供が生まれるかもそして、体重は1850g程度。標準体重の下限ぎりぎりのうちの子ですが、前回の疾患説明の時に1800gを突破していてその後も順調にお腹が大きくなっていたので、今回は2000gも突破するではと期待していたのでちょっぴりがっかり心臓病の子供はどうしても発達が遅いらしく、小さめに生まれてくることが多いようですね。この後、体重が増えなくなりちょいと困った感じになってますせめて2500gは越えて欲しいなぁそれから昼食を食べてNICUの見学。NICUの看護士の方が付きっ切りで案内してくれました。まずは、手を綺麗に消毒してNICUにGOもっとマスク付けたり、ガウンを着たりと厳重な場所かと思ったけど、想像よりは物々しくありませんでした。面会は、10:00~22:00とのことで結構長い時間とのこと。この時間なら仕事帰りにも面会に来れそうですねお母さんが授乳させてあげることも可能とのことでした。ここの病院は母乳を推奨しているとのことで、NICUにも搾乳できる部屋&搾乳機がありました。あと、冷蔵庫があり、出産後お母さんが動きづらい場合は、お父さんが母乳を届けたりできるらしいです病室の中も見学させていただき、赤ちゃんが保育器に入ってる様子もちらりと見せてもらいました。NICUに入ると、親から隔離されるイメージがありましたが、そんなこともないらしく少し安心しましたまぁ、産後の状態次第だとは思うのですが。。病室はA,B,Cの3室あり、最もケアが必要なのがAで、その後ケアの必要がなくなってくるに伴ってABCと移動するとのことでした。僕達が中に入ることができた病室はこのC病室でした。うちの子は順調に行けば、1週間でNICUを出て循環器病棟のHCUに移るとのこと。順調にいって欲しい。。病室にはやはり小さめな赤ちゃんが多く、外から見たA病室にはチューブをたくさん付けてる赤ちゃんもいました。小さい命が頑張って生きている姿に、まだ見ぬわが子を照らし合わせて感じ入るものがありました。
2007年08月30日
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8月6日に第2回目の疾患の説明がありました。神奈川県立医療センターは、疾患の説明をするのに両親が揃った状態で、2度行うという決まりがあるようです。あと、35週目付近にならないと、肺静脈の狭窄具合がわかりずらいとのことだったので、この時期に2回目の説明をして頂くことになりました自分たちなりに色々と調べて浮かんできた疑問が山ほどあったので、ワードでデータを作って、紙にプリントアウトして持っていきました一番の心配事は肺静脈にどの程度の狭窄があるのかというところ。高度な狭窄があると生存率がかなり厳しいことになるとのことだったのでどきどきでした1回目と同じように、M先生、K先生、ソーシャルワーカー、助産婦の4人の方々と僕たち夫婦の6人が揃って疾患の説明が始まりました。そこで、K先生が1回目の疾患の説明だと間違えて説明を始めてしまうアクシデントが普通なら怒るとこかもしてませんが、K先生のキャラならなんだか許せてしまう気を取り直して再度説明開始。「もう大抵のことでは、驚かないぜ。矢でも鉄砲でも持ってこーい」などと、思ってたのですが2ページ目の資料をめくった時、再び凍り付いちゃいました高度な肺静脈狭窄の可能性があるとの文字が踊っていました。前回の資料では、肺静脈狭窄の可能性はあるが、おそらく高度なものはないとありましたが、今回の資料では、肺静脈の狭窄はあり、おそらく中-高度の狭窄があるとのことでした。そのほかはほぼ前回と変わらないものでしたが、もう頭の中は肺静脈の狭窄でいっぱいでした質問をまとめてきた紙はひとまず置いておいて、肺静脈の狭窄について確認と質問をしました。K先生の答えをまとめると、1,肺静脈の狭窄はある(血流を調べた。確実)2,中度から高度の範囲で肺静脈の狭窄がある3,はっきりとしたことは、生まれて呼吸を始めてみないとわからない。4,高度な狭窄があると救命不能なケースが多い。とのことでした。かなりショッキングな内容。あとは生まれてみてどうかということみたいです。余談ですがその日以来、「肺静脈が広がれ~」と、お腹に向かって呼びかけているのは言うまでもありません。M先生が僕たちが質問票を作ってきているのに気付いてくれて、続けて用意してきた質問タイムになりました。手術のこと、無脾症候群以外の合併症の可能性などのことを主に聞きました。けっこう時間がかかっていたので、K先生に「時間は大丈夫ですか?」と聞くと「大丈夫です」と即答。表情や、答えたタイミングなどを鑑みて、本当に時間を気にしないでいてくれているみたいです。この真摯な態度には非常に感動しましたいろいろと話していたところ、K先生が僕と同郷だということが発覚人口6万人程度の愛媛の小さな町です。なかなか同郷の人と会う機会がなかったので、縁を感じましたしばし、ローカルトークで談笑納得いくまで質問をさせて頂き、2回目の説明を終えました。M先生にエコーで診てもらって終了。この時点で1800g。小さめではあるけど、だいぶ育ってきました。そして、この日はラーメンを食べて帰宅。大和駅近くの「半蔵」です。なぜか、レゲエが流れてます。とんこつが好きな人はどうぞhttp://sotetsu.net/yamato/archives/005029.html肺静脈の狭窄はショックでしたが、色々と質問できて、すっきりした一日でもありました。
2007年08月27日
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今回は、うちの子の疾患について説明をしてみようと思います。先輩ママさん方も見て下さってるので、恐れ多いのですが・・・自分の勉強にもなるからいいかな。なるべく自分の言葉で書いてみます1,無脾症候群1万人に1人の疾患で、単に脾臓がないという意味だけではなく、様々な先天性の心疾患を伴う心臓・内臓の疾患の総称です。うちの子供は2番以下の疾患を併発しています。脾臓がないことにより、感染症への免疫力が非常に低く、肺炎球菌、MRSA、敗血症などの感染症にかかることが多いです。心臓の問題ではなく、感染症で命を落とす子供も多いです。2,単心房通常の心臓には右心房、右心室、左心房、左心室の4つの部屋があります。単心房の人の場合は心房の間の中隔が存在せず(または、大きい穴が空いている)、心房がきちんと分かれていない状態になります。3,単心室2の単心房と同じで心室の間の中隔が存在しないため、心室が1つになっている状態になっています。通常の心臓では、動脈血と静脈血が混じらないように中隔が存在しているのですが、単心房・単心室の場合、動脈血と静脈血が混じり合った状態になってしまい、チアノーゼや、心不全を起こしてしまうことが多いです。4,総肺静脈還流異常肺で酸素を受け取った綺麗な血が心臓へと流れる血管のことを肺静脈と言います。本来は肺から左心房へと繋がっている肺静脈が、左心房へ繋がらずに別のところに繋がってしまう疾患です。うちの子の場合は上心臓型といって、肺静脈が上大静脈に繋がっているものです。心臓のすぐ裏側を通って還流しているので、心臓へ繋ぐ手術は比較的容易とのこと。とはいえ、術後に血管が狭窄を起こしたり、肺高血圧症が起きたりすることもあります。他に、傍心臓型、下心臓型があります。5,肺静脈狭窄うちの子の生死をを分かつ一番の要因になりそうなのがこの肺静脈狭窄です。その名の通り肺静脈が狭くなっている疾患で、狭窄があることにより肺から流れる血流が悪くなり、肺に血が溜まってしまい肺高血圧症の原因となります。高度な狭窄がある場合、最悪手術ができず救命不能のケースがあるそうです。6,両大血管右室起始肺動脈、大動脈が両方とも右室から出ている疾患。7,共通房室弁心室と心房の間には弁があり、心房から心室へと血液が流れ、逆流を防止する働きを弁が担っています。通常の心臓には僧帽弁、三尖弁の2つの弁があるのだが、うちの子の場合には弁がくっついてひとつの形になっています。共通房室弁は形成が未成熟なことが多く、弁逆流を伴っていることが多いです。うちの子の場合は軽度の弁逆流を伴っており、今のところはそれほど心配はありません。ただ、生後呼吸が始まり肺が活発に動き出し、血流の流れが強まる影響で逆流が増えるケースもあるとのこと。。8,内臓錯位希に全ての内臓が全て通常と逆についている内臓逆位という疾患(状態?)を持って生まれてくる子供がいるそうです。疾患とは書きましたが、全ての内臓が逆にあっても特に悪い影響はないらしいです。これに対して錯位とは、ある内臓は逆についているけど、ある内臓は通常と同じ位置にあるというような状態を言います。うちの子の場合、心臓は通常通り左にあるのですが、本来左にあるはずの胃が右(真ん中より)にあります。最初に持ち上がった「胃が見えない事件」の原因はこの内臓錯位でした。通常の位置に胃が見えなかったので確認できなかったようです。9,右側大動脈弓通常は左側に弓なりになっている大動脈が右側になっている疾患。ってな感じです。わりとさっくりやっちゃってるのもありますが。。このページはもっと知識がついたらいずれ書き直したいですここ間違ってるよ、って気付かれた方ぜひ教えて下さい~
2007年08月23日
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7月15日(日)にいよいよ両家の両親に電話で疾患のことを伝えました僕の実家が愛媛で、妻の実家が茨城なのでなかなか直接いって話をするのも難しかったので電話にしました。まずは、嫁の実家のほうに僕から電話をしました。お義父さんが出られ、近況等を話した後、疾患のことを切り出しました。「大変なことになったな」と言われ、驚きを禁じえない様子でした。お父さんは、妻の不摂生や、不規則な生活が原因にあるのではないかと言われてました。「この疾患は、原因は不明とのことですが・・・」と、伝えておきました。そして、詳しく話をしたいからお義母さんと一緒に、明日茨城から僕達の家まで来てくださるとのことでした。次は、うちの実家に。おやじに先に伝えると、地獄の蓋を持ち上げたような大騒ぎになるような気がしたので、おふくろの携帯に電話することにしました。コールすると明るい声が返ってきました。「どう様子は?」と妻のことを聞いてきます。初孫の誕生を心待ちにした、暗い未来など微塵も予見していないような無防備な様子のおふくろをこれから奈落の底に突き落とすことを思うと胸が痛みました。「実は・・・」と切り出した僕の声色に尋常ならざるものを感じてかおふくろの声のトーンが少し落ちました。笑顔に翳りが見えたのが受話器の向こうからでもはっきりと見えるような気がしました。呆然。全てを聞き終えた後の彼女の様子はまさにそういった感じでした。「とにかく、お父さんと相談するから資料を送ってほしい・・・」辛うじて僕にそう伝えると、おふくろは電話を切りました。予想はしていたけど、呆けたようなおふくろの様子には少なからずショックを受けました。翌7月16日(月)に茨城からお義父さん、お義母さんがいらっしゃいました。昼食を食べながら、僕と妻とお義父さん、お義母さんの4人で話をしました。話の内容は、家庭の事情等が絡んでくるので詳しくは割愛させていただきます。大体の内容としては、そのような疾患を持った子供を2人が育てられるか非常に心配だ。並大抵のことじゃないから、決意の程を聞きたいとのことでした。お義父さん達が帰られた後、義姉夫婦が心配して訪ねて来て下さいましたお2人は比較的近所に住まれているので、時々ごはんを一緒に食べたりしていました。妻も義姉夫婦のマンションに1年間一緒に住んでいた(転がり込んだ?)ことがあり、なにかと頼りにしているようでした。今回の疾患のことでも、義姉さんが看護婦をしているということもあり、すぐに駆けつけてくださりいろいろと勇気付けてくださいました。以後も、色々と助けていただくことになるのですが、このときの励ましもとても心強かったです。力を得る思いでした。その後、病院からもらった疾患の説明についての資料を僕の実家に送り、父、母、祖母の3人で色々と話し合ったとのことでした。数日後、おやじから電話があり「授かった命だから大事に育てていこう」と言われました。おやじが、孫の疾患についてきちんと受け入れてくれたことがとてもうれしかったです。
2007年08月19日
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7月13日に病名の告知を受け、翌14日から3連休でした。この3日間、家からほとんど出ずに無脾症候群のことについて調べたり、妻といろいろなことを話し合ったりしました。この3連休には台風が日本列島を直撃し、新潟では大きな地震がありました子供の疾患告知、地震、台風と天災、人災のオンパレードでした14日の朝のことです。夢うつつになりながら、はっきとしない頭でぼんやり思いました。「ああ、昨日のことは夢だったんだ」「うちの子供が重い疾患で助からないかもしれないなんて嘘だ」胸のうちが安堵感でいっぱいでした。激しい雨音が徐々に僕の意識を覚醒へと導きました。しっかりと頭が働き始め、昨日起こったことを一つ一つ思い出しました。甘い夢が剥ぎ取られ、重い現実が僕の心を侵蝕しました。「昨日のことはすべて現実だ」世界の果てに取り残されたような気分でした。この時期、youkoalaさん、てんさん、PEARママさんのブログには大変お世話になりました。それぞれ、無脾症候群の子供がどのような手術、治療を受け、どのように日常生活を送っているかが綴られており、非常に参考になりました。また、みなさんが現実を受け入れ、お子さんとともに重い疾患と闘う姿に勇気付けられました。「本当に大変なのはこれからなんだから、生まれる前から落ち込んでちゃいけない」と、立ち上がり、前を向くことができました胎児診断で疾患がわかったのは幸運だった。子供が生まれてくる前に心の準備ができるし、疾患、医療、助成制度等について調べることができる。この時間は、神様からもらった時間だから大事に使わなければ。俺が折れるわけにはいかないまだまだ、どうして疾患を持つ子供が生まれてしまったのだろう?何が悪かったのだろう?俺達は何かの罰を受けているのだろうか?と、後ろ向きな気持ちが完全に消えたわけではありませんでしたが、妻と2人で少しずつ前向きになることができましたただ、親に電話することはまだできませんでした。なんと説明したらいいか、自分達に明確な知識がありませんでしたし、初孫の誕生をあれほど楽しみにしていた両親に、どんな言葉で伝えたらいいのか皆目見当がつきませんでした。「曾孫の顔が見たい」が口癖の祖母(母方のほう、父方は亡くなってます)に伝えたら倒れてしまうのではないか、と心配でした。祖母とは実家にいた頃から同居していて、僕が初孫だったということもあってすごくかわいがってくれました。僕も相当なおばあちゃん子でよく一緒に旅行に行ったりしてました。曾孫の顔を見せてあげるのが一番のおばあちゃん孝行だろうと思っていたので、子供が重い疾患を持っているということを伝えなければいけないことがとても申し訳なく、無念な気持ちでした。しかし、いつまでも黙っているわけにはいかない。土曜日いっぱいは、病院から頂いた資料、「心臓病児者の幸せを守る」という本、インターネットを駆使して無脾症候群についての情報を集め、いよいよ日曜日に、僕の実家と、嫁の実家に電話をかけました
2007年08月17日
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北海道から帰ってきた次の週から妻が検査入院で神奈川県立医療センターに入院しました入院中の5日間でじっくりお腹の中の赤ちゃんを診て、どういう疾患を持っているか診断するとの事でした。なかなかはっきりと子供の状態がわからないもどかしさに僕も妻ももやもやした感じでした。はっきりと検査結果が出るまで親にも知らせないほうがいいとのことだったので、親にも検査入院のことは言ってませんでした職場には休みを取る関係上話はしていましたが、友達にも言えず誰にも相談できずなかなかつらい時期でしたそして、いよいよ運命の7月13日がやってきました休みを取っていた僕は病院に向かい、妻の病室を訪れました。もっとナーバスになっているかと思ったけど、わりと落ち着いているようで少しほっとしたのを覚えています。待合室で待っていると看護士さんが呼びに来て疾患の説明を受けるため小部屋に通されました。部屋には僕と妻のほか、はじめに診て頂いた新生児科医のM先生、入院中エコーをしてくださったこの業界では権威のK先生、ソーシャルワーカー、助産婦の方々がずらり先生からは「すぐ終わりますからね~」とか言われていたのでその物々しさに驚きました。もしかしたら、大変な疾患なのでは・・・K先生から疾患説明と書かれた6~7Pの分厚い資料を渡されました。はじめは胎児診断とはという説明から入り、次のページをめくりました。そこにはずらりと並んだ耳慣れない疾患の数々がありました。胸のうちになにか黒くて重苦しい何かでいっぱいになりました。妻のほうを見やると体が痙攣するようにぐらりぐらりと揺れていて、失神して倒れてしまうのではないかと心配になりました。ともすると遠のきそうな意識をかろうじて集中させ、先生の説明を聞きました。疾患は、無脾症候群、単心房、単心室、総肺静脈還流異常(上心臓型)、肺静脈狭窄(この時点でははっきりとわからなかった)両大血管右室起始、右側大動脈弓、共通房室弁(軽度の弁逆流)、内臓錯位でした。「心臓のしきりがなくて・・・」「脾臓がまったくない・・・」「胃が通常と逆の位置についている・・・」先生の説明はかなり衝撃的な内容でした。「いつまでも呆然としてはいられない。この子の親は俺達だけなんだし。きちんと現実を受け入れなければ・・・」なにか質問はと、言われるK先生になんとか気持ちを落ち着かせいくつかの質問をしました。(が、内容は覚えてません)疾患の説明を終え、妻は退院の準備をしました。ソーシャルワーカーの方に勧められた「心臓病児者の幸せのために」という本を売店で購入し病院を後にしました。「なんか、とんでもないことになったね・・・」帰りのバスの中で妻と顔を見合わせて苦笑い。子供のために顔をあげて現実に向かい合って生きなければという前向きな気持ちと、なんで自分達だけがこんな目にあわなければというやりきれない気持ちが僕の中で激しく葛藤しました。「神様、俺、なんかしましたか?」なんども胸の中で思いました。考えても仕方がないことだとは思っても、何が悪かったんだろう、としか考えることができませんでした。こんな時にやるべきことはひとつ・・・ぐちゃぐちゃな頭で僕は妻に言いました。「肉食いに行こうぜ」いついかなる時もきちんと飯を食う。これがうちの実家の家訓ですどんな辛いことがあっても、飯さえ食えてればなんとかなるもんです。1時間後、地元の牛角でばくばくと肉をほおばる妻を見て、この人と結婚してよかったとしみじみ思いました
2007年08月14日
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ってなわけで、6/28~7/2の5日間で新婚旅行に行ってきました子供に疾患があるかもしれないっていう時に旅行に行っていいのかな~、って多少後ろめたい想いもありましたが、先生も勧めてくれたし、パックですでに予約をしてたので行くことにしました。レンタカー+飛行機+宿のパックで一人7~8万円ぐらいでした。んー、安い釧路→美瑛→富良野→札幌→小樽を4泊5日でのんびりと終始、妻に「危ない」とか言われながらハンドルを握り続けました。にしても、北海道はみんな飛ばしますね一般道路を70キロで走ってて、後ろからガンガン抜かれたのには衝撃を受けました。走り屋かよっそんなわけで、子供の疾患とは全く関係ありませんが、新婚旅行の写真をアップ天気は悪かったけど、すごく良かったです。また、子供と来たいな~釧路の炉辺焼きです。おばあちゃんがいい味出してます。お店の外観です。フツーの家っぽい。美瑛のお花畑です。美瑛のカフェで食べたチーズフォンデュ。くりぬいたパンにチーズがとろり・・・。激ウマ!!札幌の藻岩山ロープウェーからの夜景です小樽のオープンカフェにて。札幌のマイナーな動物園です。ワラビーがいました。なんだか食い物の写真ばっかりっすねどんだけ食い意地はってんだって話ですが新婚旅行中も子供のことは頭から離れず、悶々としていた部分もあったのですが、妻と長い時間一緒にいて子供についてあれやこれや話せたのは良かったと思います。旅行から帰ってきた次の週の7月9日(月)から5日間の検査入院が始まりました。最終日の7月13日(金)に子供がどういった疾患を持ってるかに対しての結果がはっきりわかるとのことでした。ん?13日の金曜日・・・??縁起をかつぐほうではありませんが、再びいや~な予感がしました
2007年08月12日
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6月25日(月)、検査のため、一路神奈川県立こども医療センターに向かう家から電車を2回乗り換え、さらに駅からバス15分約1時間半の道のり。愛育病院なら、家から徒歩30秒。まだ、この頃は何事もなくて愛育で産めればいいね~、なんて言ってましたあくまで、疾患の可能性があるということだったので。こども医療センターはなかなか不便な場所にあり、バスも1時間に3本ぐらいしか通ってませんでした。車でも持ってればよかったのですが、ええ甲斐性なしのパパですから初診ということもあり、手続きだのなんだので時間がかかる。やがて名前が呼ばれ、ドキドキしながら診察室へ。担当医のM先生は説明も簡潔でなかなか好感がもてる良い先生でしたエコー検査の結果、胃はなんとか確認できたし、羊水の量から考えても、胃が全くない、もしくは機能していないということはないとのことでした。実は心臓より、この時点では胃のことが気にかかっていたので胃のことを聞いてホッと一安心でした。ただ、やはり心臓にはなにかしらの疾患があるようで、1週間検査入院して詳しく診る必要があるとのことでした。心臓はおそらく心室中核欠損症(VSD)で心室に穴があくという先天性疾患ではないかとのこと。僕たちのほうでネット等で知り得た疾患で最もポピュラーのもので、なんとなくその疾患ではないかと見当をつけてました。穴の大きさによっては自然に治癒するケースもあるとの話だったので、まだ安心はできないけどなんとなく安堵してました入院の日取りは7/9~7/13。退院する7/13にはっきりとした結果をお伝えするとのことでした。(今思うと、M先生の頭の中には無比症候群のことがあったのだと思う)最後に先生にこわごわ質問。「あのー」「はい?」「新婚旅行、行ってきていいっすか?」そーなんです、1月に結婚したばかりで、結婚後すぐに妊娠が発覚したので落ち着いた6月になって遅めの新婚旅行に行くことになっていたのです「いいですよ。むしろ、リラックスしてきてください」と、先生は快く答えて下さりました。ここ数日は子供のことで頭がいっぱいで、新婚旅行もホントに行けるのか?って感じだったので全く準備をしておらず。急ピッチで準備に取りかかりました。3日後の6/28には一路初夏の北海道へ旅立ちました
2007年08月11日
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張り切ってブログを立ちあげたものの、まだ子供はお腹の中です当面は、子供が生まれる前のことを綴ろうと思います。さて、時は2007年6月20日の昼ごろのことでした。27週目の健診を受けた妻からの1通のメールが始まりでした「今日、病院で心臓、胃に疾患があるかもしれないと言われた・・・」メールの内容を見て、凍りついたのを覚えています。(今、考えるとなんだか遠い昔の出来事のようですが・・・)仕事が一段落ついて、急いで妻に電話を入れました。呆然とした様子でエコー検査で不審な点がいくつかみつかったと話してくれました。上司に相談してこの日は早めにあがらせてもらい、家路へ急ぎました。もちろん、子供が生まれるときにさまざまなリスクがあり、なんらかの疾患、障害を抱えて生まれてくるケースがあることを頭では理解してはいました。でも、まさかうちの子がという思いもあったのも事実で、まさに青天の霹靂でした。帰宅後、妻から詳しく事情を聞きました。エコーでみた心臓の様子に不審な点があること、胃の存在が確認できないこと、血管つき方が通常と違うこと。妻が通院していた愛育病院では、詳しいことはわからないので神奈川県立こども医療センターで来週の月曜日に診断を受けてほしいとのことでした。必ず疾患があると確定したわけではありませんでしたが、なにかとてもイヤな感じがしました。なにしろ、心臓に問題があるとか、胃が見当たらないとか言われたのです。この時点では、「かも」って感じでしたが、僕達を奈落の底に突き落とすには十分でした。翌日も仕事でした。平静を装って明るく振舞ったりするは精神的にキツイ部分もありましたが、話したり、体を動かしたりすることで気が紛れるということもありました。一人、家で悶々としている妻が気がかりでした。昨日まで光り輝いていた世界はまるで暗転したかのように、違って見えました。元気に走り回ってる子供を見るのがつらかったです。(今はへーきですけど)月曜日の子供医療センターでの検査には僕も立ち会うことにして、職場に月曜日にお休みをもらえるよう調整してもらいました。早く月曜日が来て事実を知りたい。でも、もし重い疾患だったら・・・。相反する二つの想いで揺れ動いてました。
2007年08月09日
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