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おおなんということだ、またやってしまった。気付いたら数ヶ月経ってしまった。先日は静岡県寸又峡の奥へと森林鉄道跡の探索に行ってきた。林道は山チャリで進み、いつもの廃線跡は歩いて、というスタイルで進んでいく、というものだ。これは私が計画したわけではなく、ある方の同行をした、というものだ。そして結果としては見事に敗退した。寸又峡の奥には、東京の営林局が管理する林鉄としては第一級の規模(規格も1級路線)を誇った路線が存在していた。まあ概要は以下を参照して下さい。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E9%A0%AD%E6%A3%AE%E6%9E%97%E9%89%84%E9%81%93奥秩父から一気に中部地方へと足を進めたのには訳があって、奥秩父ではもはや林鉄に関して新たな発見が見込めないからだった。あと、移動手段としてチャリというのも興味があった。これができるとクルマでは入れないところでも車輪のついた移動ができるからだ。そして私は、まずそのチャリに負けた。チャリ走行の延長は約18km、標高差は最大で500m程度ある道のりだ。この時点で私は大半の体力を消耗してしまった。まずオフロードなので運転が慎重になるのと、登りが延々と続く道で足がかなり参ってしまったのだ。歩きで登るのとはこんなにも違う筋肉を使うのか、ということを実感した。しかしこれはつまり、歩きで使うぶんの筋肉を保持するのも可能、ということでもある。だが初めての山チャリでこの行程差と距離を走るのは無理があった。チャリだけならまだしも、背中には2泊3日ぶんのシュラフ泊装備(いわゆる小屋泊装備、というヤツですね)のザックを背負っていたからだ。10kg以上は確実にあって、たぶん12kgくらいになっていたと思う。これがとても重い。この重量も初めてだった。こんなに重くなってしまったのは、あまりに奥地なため食料の確保が一切できないので、多めにザックに積んでいたからである。この状態で、いざ林鉄跡の探索を開始したら、案の定道は荒れまくっていた。そして奥秩父の林鉄跡と決定的に違うのは、沢をガーター橋などの「橋」で渡っている箇所がいくつも存在していた、という点だ。つまり重いザックを背負ったまま廃橋を渡るということで、カラダを護る手段がない高所を進んでいくというのは精神的にも体力的にもその多くを消費することになる。2つの橋を渡ったあと、「これ以上は、進んでも戻れなくなる可能性がある」と途中で私は判断した。整備された林道であれば、クルマなどの手段を用いて救助があるかもしれない。しかし私たちが進んでいたところは、完全に崩落している箇所もある林道を越えてきている。そして更に深い谷を歩いているのだ。もちろん通信手段などない。万が一肉離れでもおこしたら、それこそ数日間のビバークを覚悟しなければならない。山ではセルフレスキューが基本だ。そしてその状況判断力も必要である。何よりも優先するのは「自分自身で生きて戻ること」だ。これは大袈裟でも何でもない。まだきちんと体力が残っているうちに、間違いのない判断を下さないと衰弱してしまう。衰弱してしまったところで、同行者もこの私を抱えて何十kmも崩壊した道を進める訳がない。先日富士山で片山右京さんが遭遇した事態は、山に入る者なら誰でも起こり得る「状況」である。私は今回の探索を断念した。そして彼は無事に探索を成功させてきた。これでいいのだ。それにしても体力の衰えが著しい。3年山から離れていたが、まさかこれほどとは思わなかった。なので近いうちに体力づくりを兼ねて、日帰りではあるがテント泊装備で和名倉の軌道跡に行こうと思っている。標高差700m以上で急登しかない道のりであるが、過去に何度も通ったところだ。いいトレーニングになるだろう。負けてばかりはいられないのだ。
2010年05月15日
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