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SPのケースの為に、Fのケースから部品を取ることにしました。底板と止めネジです。止めネジなんか、ニコンSからF2の時代までまったくいっしょで、手抜きというか、いいものは変える必要がないというか。なんと1950年からF3が出て止めネジが必要なくなる1980年まで同じものです。パーツとしてはもっと後まで、恐らくは今でも作っているはず・・・・それから、Sの時代は鉄の補強板は入っていません。革とボール紙、ビロードの布だけでした。S2の時代には底板に鉄板の補強が、SPのケースには、底板とサイドに鉄板が入っています。この時代の昭和30年前後のカメラは、キャノンにも入っていますし、当然、ライカの方式を模倣したこともあるのでしょう。いままで、カメラケースをそんなに徹底的に分解したことはなかったのですが、今回、Fのケースを分解してびっくりしました。なんと、底ケースの形の鉄板を芯に、周囲を革、クッションにボール紙、ビロード布で覆い、形を整えているのです。当然、ストラップはこの鉄板を貫通した留め金につながっていますから、丈夫なことこの上もなし。止めネジは簡単に取れましたが、底板はサイドから切り離さなければならず、夜中にグラインダーをバンバン回しました。このグラインダーは水研と石もついていますから、包丁も研げます。切れなくなった包丁を持ってきてもらえれば、研いであげます。とりあえず素人ですから無料ですが・・・・ん?ケースの話は???
Jun 30, 2004
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国産レンジファインダーカメラの最高峰、ニコンSPブラックをずっと前に売却してしまって、寂しい思いをしていました。最近、SP本体には手が出ませんので、SPの革ケースを求めました。ボディに専用露出計をつけたまま収納できる、大きいケースです。稀少品ですので高価なケースですが、カメラを止めるネジがありません。また、こういった高級カメラのケースには、底に鉄板が入っているのですが、それも欠品でした。ケースの両肩にも鉄板が入っているのですが、片側が欠品です。こういった理由でかなり安かったのですが・・・・しかしF3の新品ケースの価格と同じくらいでした!!!このケースに入れるカメラもないのに・・・・
Jun 29, 2004
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本年は、兵庫連盟合同野営大会の年で、ハリマテクノパークで8月4日から8日にかけて実施されます。約1300人の参加者となります。三木1が、3名、三木2が14名の参加です。
Jun 28, 2004
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8月にキャンプ大会をする、ハリマテクノパークに行ってきました。山陽道、播磨道で約50分でした。姫路工大が兵庫県立理工学部に変わっていました。スプリングエイトはお休みでした。道路も何もかも、よく空いていました。播磨新宮インター近くのナガサワで昼食。三木に帰ってきて、三木のナガサワで夕食でした。ナガサワ三昧の一日でした!!???
Jun 27, 2004
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昨日、新神戸オリエンタルホテルで宴会の幹事役でした。ホテルの係員が、もうお酒がありません、追加しますか?と何度も聞いてきますので落ち着いて飲めませんでした。ビール2杯くらいしか・・・・完全に会費倒れでした。ぷんぷん!!お肉屋さんのココロさんに特別出演をしてもらいました。すばらしい踊りでしたが、カーペットの上ではシューズが滑らないので踊りにくいとか・・・
Jun 26, 2004
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最近は、国内メーカのカメラでも、メイドインマレーシアとかメイドインシンガポールとか外国の工場で製作しています。そうしないと世界市場で太刀打ち出来ないのです。仕方がないので、このメーカーは日本の○○ですが、世界の○○なんです、とお客さんに説明すると以外にあっさり納得してもらえます。○○にニコンとかキャノン、ソニーとかホンダを当てはめるとよく分かります。担き手の地下足袋なんか、国産品を履いている人はひとりもいません。全て力王、月星など全て中国製です。最近はナイキのエアークッションの地下足袋もあります。衣装が中国製で気に入らない人は、地下足袋も国産品を履いてほしいものです。昔から、物事をはじめるときは足元をしっかり固めてとかいいますよね・・・ん???大体、神社の神様も国ツ神は、元々日本のクニにおられた神様。天照大神など天ツ神、天孫降臨の神様は、大陸半島系といいますからそういう神社に奉納される屋台に、中国製の衣装があっても、当然で・・・・日本人の成り立ちからして、元々日本列島には人間はいなくて、大陸の北から南から、また、半島伝いに移住してきたものです。(明石原人はDNAが途絶えています)屋台に使われる、龍や獅子、四神、ボタンの花や唐草なども中国、またはギリシャなどからシルクロードを通ってはるばる日本に伝わったものです。逆に、屋台の中で日本的なものは、梅にうぐいす、竹にすずめの祇園囃子。しかし、祇園なんかも祇園精舎の鐘の音で分かるようにインドから伝わってきた言葉ですが・・・逆にこうやってみますと、日本の伝統文化というものがいかに国際的なものであるかよく分かってしまいます。
Jun 25, 2004
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飛行機メーカーが戦後、自動車メーカーに転進した話になってしまって・・・・いま、問題になっている三菱自動車も元は三菱重工です。なんか自動車メーカーの塞翁が馬のようになってきましたが・・・戦艦大和も三菱ですが・・・・長崎造船所だったかな?明治時代から政府の御用会社で、岩崎弥太郎が創始者と学校の教科書にも出てきますが・・・戦艦大和の15メータ測距儀は日本光学が作りました。当時世界一です。戦艦武蔵は10メーター測距儀でこれも日本光学製だと思いますが、性能は変わらなかったそうですから、2号艦の武蔵はそれだけ技術が進んでいるとか・・・?どちらも国家最高機密の仕事ですが、さすがに武蔵は、軍直轄の海軍呉工廠で作るので、さすがに窮屈だったと日本光学70周年誌にあります。又、日本光学に戻ってしまいました。
Jun 24, 2004
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機体は川西飛行機の製作ですが、現在は新明和と極東工業です。元々中島飛行機の経営陣に参加していたニッケの川西社長が、中島側との経営方針の違いから、川西飛行機を発足させたもので、97式大艇、二式大艇が有名です。戦後、新明和のPS-1と言う対潜哨戒機も有名です。鳴尾浜に工場があり、水上飛行機を得意としていました。紫電改は強風と言う水上戦闘機を陸上用に作り変えた紫電の改良機で正式には紫電21型です。中島飛行機では、同じ「誉」のエンジンを積んだ陸軍4式戦闘機「疾風」を作っていました。これもいい飛行機ですが、こんなところにも海陸の縄張り争いで、統一した機体に一致させていたらとおもいますが・・・ゼロ戦の三菱は当時、同じく「誉」のエンジンを積んだ雷電を作っていました。物資不足の中、初期の「誉」エンジンは設計どおりの性能を発揮しましたが戦争も後半になると、不良品の続出で、品質のいいエンジンは製作できなかったようです。
Jun 23, 2004
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旧中島飛行機(富士重工)製の2000馬力クラスの小直径・空冷星型18気筒エンジン「誉/ハ45」を搭載した日本海軍最強の局地戦闘機。昭和20年1月、源田実大佐により内外の基地から精鋭を結集した第343航空隊が愛媛県松山に編成された。そして「紫電改」が瀬戸内海上空でアメリカ空母のグラマン戦闘機群に打撃を与える事になる。
Jun 22, 2004
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wrote:台風が直撃しそうで、迎撃体制を整えていたら、海女も風邪もたいしたことなくて・・・・雨と風ですが・・・松山の迎撃部隊が追っ払ってくれたみたいで・・・???近所に、戦時中、松山の部隊で紫電改に乗っていたという人が今も元気でおられます。グラマンを5機、撃墜させてそうですが、自分も一回、落とされて、落下傘で無事生還したそうです。戦争と言うものは、殺るか殺られるかですからしょうがないといっておられました。このあたりは、台風も地震も避けますね!!
Jun 21, 2004
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姫路のミニ屋台展でもらってきたパネルのうち、浜の宮天満宮、須加屋台の狭間パネルに誤植があり、パネルには3代目松本義広と説明があるのですが、狭間には津利義幸と銘が入っていますので彫り師の名前が間違ったのだろうと。アレだけの展示ですから、裏方も大変だなと改めて感じました。3代目松本義広と津利義幸は同年代の彫り師で、作風もよく似ていますし、一つの屋台に二人の作品が収まったものもあります。合同で同じ屋台の仕事をしたのでしょうか?または同門なのでしょうか?
Jun 20, 2004
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いままで探していたのですが、見つからなかった摂津名所図絵が大阪市立図書館でDBとして公開されています。ヤフオクにも出品されていますが、全12冊で30万円です。とても手が出ないので、いろいろなDBを探していましたら、案外地元の図書館にはあるものです。摂津名所図絵http://www.oml.city.osaka.jp/image/themes/theme89.html第4巻、大阪の部、上巻、44ページに布団屋台が載っています。太鼓の音が雷鳴のようにとどろき、見ている中国人が周の国にも韓人が似たようなものを練りだすがこんなに大きいことはないといっているとか・・・ダンジリ、楽車のようなものも出てきます。一度ご覧下さい。
Jun 19, 2004
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今日、全高を実測したところ、3.89mだったそうです。まだ布団に赤布をつけていない状態ですので、赤布を付けたら充分3.9mはあるでしょう。全高に関しては、平屋根屋台としては実質、三木市内第2となりました。果たして、岩壷神社の鳥居をくぐれるのでしょうか?鳥居は、以前に滑原町屋台を新調するときに測った4mだったように記憶していますが・・・・手前の道路が高くなっていますので、大塚新屋台が鳥居をくぐるときでも10センチしか余裕がなかったのですが、その例をひくと、余裕は3センチです。計算上はくぐれることになりますが・・・????
Jun 18, 2004
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今日は近畿地区の総代会があり、大阪写真会館に行っていました。テナントで中古カメラ店が何店か入っているので少し見てきました。ニコンF用のモータードライブが新品で178000円でした。モードラプレートも付いています。S3-2000の新品同様の中古が21万円!!今日で2回目の探検ですが、なかなか面白いところです。帰りに心斎橋筋のつぼ八で、たらふく飲んで、食べて、ひとり2000円!!!うーーん、満足!!
Jun 17, 2004
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二台の故障カメラに部品を取っても、まだ軍艦部、底カバー、シャッターダイヤル、巻き上げレバー、巻戻しクランク、ミラーボックス、低速ガバナーなど使える部品がいっぱい残っています。こんなことをして、F2を生き返らせて喜んでいたら、お客さんがきれいなF2を売却にこられました・・・・・ボディNoは748万台です。昭和49年位か???これでF2は8台になってしまいました。うち1台はチタンボディです。その他に例のバラバラジャンクが1台あります。うーーーん!!何でもいいから買ってクレー!!!
Jun 16, 2004
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昨日はアクセス数261で今までの最高でした!!皆さんありがとうございました!!さて、F2一台、丸ごとジャンクと言うのは、なかなか使い道があって裏ブタ、貼り革、セルフタイマーを有効利用してもう一台F2を完成させました。このボディは712万台のボディNoでF2としてはかなりの初期型です。当然、マイナスネジでいわゆるFと同じ貼り革だったのでしょうが、既にはがされて無くなっていました。セルフタイマーも調子が悪く、レバーはFのものでした。内部機構の部品が、以後のF2と微妙に形が変わっています。
Jun 15, 2004
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このF2を分解するのに苦労したと思われることは、巻き上げレバーの化粧カバーにデバイザーを突っ込む穴が開けられていたことで分かります。こんなことをすれば、この後再組み立てをしても不細工なこと丸分かりです。教材用には便利でいいですが。この部分は専用のゴムの塊で開けます。それでも開かないときは、両面テープをゴム球に貼り付けて開けています。めったには開けないですが・・・その後、巻き上げプレートごと交換し、無事再生しました。再生したボディは728万台の初期型で、Fの番号と重複しています。Fの最終が745万台と言われていますから、かなり初期型です。その他に723万台のF2もありまして、これは化粧ビスがマイナスで、728万台のF2ではプラスネジになっています。内部の取り付けビスも初期型は、やはりマイナスでFの時代を彷彿とさせます。
Jun 14, 2004
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今日のお昼頃、芝町屋台が完成して、太鼓蔵に帰ってきます。大工さんも同行されるそうです。ちょっと偵察してこようかな・・・
Jun 13, 2004
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結局、F2ボディバラバラジャンク1台分と言うのを落札しました。ボディNoは780万台で後期型です。最後期は800万台まで行ったかな?F2チタンが790万台です。S型の時は、シャッターボタンはばらされていましたが、トップカバーがはずせなかったらしく、内部は手をつけていませんでした。こんなわけで再生できたのですが、今回のF2は本当にバラバラで全てのパーツは揃っているようですが、コード類は全て切られており、その上、ボディシャーシーに割れがあり、どうやらこのシャーシーを交換したようでした。
Jun 12, 2004
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ヤフオクでぴったり故障個所のT-Lリングが出品されていました。しかもブラックです。早速落札して、取り付けようとしましたが、肝心の基部が入っていません。基部はブラックでもホワイトでも関係ありませんが・・・やはり、巻き上げプレートそのものを探すしかありません。
Jun 11, 2004
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中々本題に入れなかったのですが、いよいよF2にはいります。壊れたF2を分解しますと、T-Lリングを支える基部が、巻き上げプレートにネジで止めてあり、その基部が途中から折れています。要はこの部品だけを交換すればいいことなんですが、Fと違い、F2は部品が枯渇していますから、部品交換を伴う修理は受け付けていません。
Jun 10, 2004
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私の持っている67年発行のニコンFパーツリストには両方のミラーボックスが載っています。又裏ブタを説明するページには、なんとSPのイラストで裏ブタを説明しているのです。裏ブタの構造は、サイズが違うだけでまったく同じですからいいようなものの、これはミスプリントなのか、稀少品なのか???ニコンFの最初の100台くらいはシャッターが布幕だったそうです!!これは伝説のようなもので誰も見たものがいないという、つちのこかネッシーのようなものですね。
Jun 9, 2004
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FでもF2でも、不思議なことにミラーボックスをいくらにらんでも、1個のラージスプリングでミラーが上昇下降する仕組みがよく分かりません。Fの発売直後は、これらの二つの仕事を2個のスプリングで担当させていたのですが、一眼レフカメラの先発メーカーである旭光学との特許論争となり、急遽、特許に抵触しない1個のスプリングに設計しなおしたということです。ですから、Fの最初期ボディは貴重品です。製造番号では見分けがつかなく、分解しないと2本スプリングかどうか分かりません。
Jun 8, 2004
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ニコンのシャッターは、草創期のS型ではライカの模倣で最高速度は500分の1秒でしたが、S2型で1000/1、ささやくシャッターといわれたSP型と発展しF2で2000分の1秒がつきました。シャッターボタンの位置も、ライカと同様のスプロケットの軸内を通る方式から、カメラを握ると自然に人差し指が載る、ボディ前方に位置し使いやすくなりました。ミラー駆動の方式は、Fと変わりませんが、フイルムを無駄にしないミラーアップ装置、ミラーが復帰したときのダンパー装置などが付加されました。反面、高機能になりつつ非常に軽量化されています。
Jun 7, 2004
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続いて、F2の分解修理物語です。永年使用していたF2が、シャッターボタンの根元からぽきりと折れて、使用できなくなりました。セルフタイマーと、モータードライブ用のピンではシャッターが切れます。つまりボタンの交換だけで復活しそうです。F2は昭和46年に発売しましたが、当時はニコンFの人気が高く、日本光学では、49年まで平行して製造していました。FとF2では、共通部品もありますが、ほとんどの部品を新設計した、まったくの新型カメラです。アクセサリーを共用するべく、ファインダスクリーン、アクセサリシューは共通です。しかしアクセサリーシューは結構複雑で、シューにストロボ等を差し込んこむとカムの作用で内部結線が連結するという、いかにもメカニックなつくりです。
Jun 6, 2004
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ところが、最後の組み立て方が悪かったのか、シャッター、ミラー単独では作動するのですが、一連の動作が出来ません。いわゆる、連携プレーですが・・・悪い部品は交換したスプリングだけと思っていましたが、他にも不良パーツがあったのか?とりあえず、バラした部品は全て組み込んで又、お蔵入りです。今回も修理完了とはなりませんでした。ウ~~ン・・残念でした。タイトルの修理の文字をなくしました・・・・?
Jun 5, 2004
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このスプリングは、髪の毛ほどの太さの小さなスプリングで、これを交換するには、シャッター機構まで分解せねばならず、再組み立てが大変困難になります。スプリングそのものは、部品取り用のボディから取り外し交換しまし、バラバラの部品を再組み立てしていきます。途中で各部の動きを確認しながら組み立てました。ミラーの動きも快調です。
Jun 4, 2004
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故障の原因は、ミラーをセットしたときに支えるクイックリターンレバーにテンションを掛けるスプリングが折れていました。このスプリングが利いていないと、フイルムとシャッターは巻き上がっているのに、ミラーのラージスプリングにテンションがかからないのでシャッターを押しても反応しない、巻き上げレバーはフイルムとシャッターが巻き上げ完了となっているのでびくともしない、という状態になっています。
Jun 3, 2004
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距離計連動カメラのSシリーズの場合は、シャッターを押すことにより、走り出そうとする先幕を抑えている爪をはじいてシャッターをスタートさせるのですが、一眼レフの場合、最初にミラーを跳ね上げる必要があり、フイルムを巻きあげ、シャッターチャージとともに、ミラーのラージスプリングにテンションをかけ準備完了状態にして係止しておくクイックリターンレバーがあります。シャッターを切ると、まずクインクリターンレバーをはじいて、ミラーを跳ね上げ、同時に自動絞りレバーが下り始め、ミラーが最頂部に差し掛かると、シャッター幕を駆動させるピンにつながっているカムを押し、先幕が走り始めます。中々巧妙な仕掛けになっています。
Jun 2, 2004
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日記を2週間、サボってしまいましたが、再回です。ニコンFをミラーッボックスまで分解したところですが、これはS型にはない、一眼レフ独特のものです。ニコンFのシャッター機構はニコンSPのシャッターの転用ですが、以前にSPの巻き上げ機構ををFの初期型で代用しようとしましたが微妙に合いませんでした。基本構造は同じでも、SPとFでは設計が違うのかもしれません。なんにせよ、シャッター機構はS型から発展したものですから構造はよく似ています。
Jun 1, 2004
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