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摂津名所図会にはダンジリも出てきます。しかしこの絵には大工方が乗っていません。ダンジリの上にも下にも囃子方が乗っていて、結構大きい形です。しかし前梃子はしっかり梃子を持っています。細かいところまで木版で表現してあります。絵描きもさることながら、彫り師、刷り師の技術もたいしたものです。これが昼間はともかく、蝋燭の灯でココまで細かく製作できたものと思います。うーん、夜は仕事をしないのですかねぇ・・・これくらいの仕事は3時間くらいで完成させないと手間賃が出てこないといいます。本文には「夏祭車楽囃子」とありふりがなが付いています「なつまつりだんじりばやし」となっています。
Jan 31, 2008
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先日紹介しました「絹常」の保証は、なんと20年保証です。天下の「トヨタ」でもこんなことは出来ませんね。ジッポーライターは永久保証ですが・・・この保証書の裏にこれまたすごいことが書いてあります。大正3年で100年が経過しているとあります。大正3年は西暦1914年で、100年前は1814年ということで文化11年です。つまり滑原町若者が大喧嘩をした3年前には「絹常」は開業していたわけです。まあ、これは当然なわけで、屋台が流行すると共に専門の業者が発達してきます。絹常も三代目の常三郎の時が全盛期と聞いています。刺繍の出来も非常に優れています。この頃に、京都の刺繍職人の間で「絹常」の飯を食ってくる、「絹常」での修行が職人の必須科目でもありました。京都において「絹常」の出ということが引く手あまただったそうです。現物を見てみると他を圧倒する迫力に納得してしまいます。
Jan 30, 2008
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この版画は200年ほど前の「摂津名所図会」の木版画です。堀光美術館にも展示していましたからごらんになった方もおいででしょうね。6段の布団屋根で「タイコ」の前方で「太鼓」と書いた提灯を竹の先に付けて先導しています。まさに「タイコ」です。文中にも「太鼓」とでてきます。その頃の三木の古文書に、滑原町が稲荷神社祭礼に「荷い太鼓」を奉納したところ滑原町若者とよその町の若者と争いになり祭礼禁止になったとあります。(文化14年・1817年)「荷い屋台」ではありません!!三木では3~40年前まではオオテの「タイコ」とかナメラの「タイコ」と呼ばれていました。鳴り太鼓との混同を避けるためか、または、ほかの理由があったのか分かりませんが今はすっかり「ヤタイ」が定着してしまいました。大阪では今でも「タイコ」と呼ぶようです。「ヤタイ」は夜店の「屋台」と紛らわしくていけません。何かのイベントで「屋台」が多数出ますと新聞記事で見て、せっかく出かけていったのに「タイコ」なんかまったく出ていなくて露天商の「ヤタイ」ばかりでした。
Jan 29, 2008
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三木では、昔、といっても私の厚顔(紅顔ではなく)の美少年の時代から熱き熱情の青春時代は「ヤタイ」のことを「タイコ」と言っていました。このたび発見された大手町の提灯箱には「屋臺」と表現してあります。臺は台の旧字です。この時代に加東郡には刺繍業者が「絹常」と「宮永」と二軒ありました。加東郡どころか播州ではこの二軒だけだったかも分かりません。御輿屋根屋台、反り屋根屋台は昔から「ヤタイ」と呼んでいたのでしょう。反り屋根屋台の分布圏の加東郡でも同様に「屋台」と呼ばれていたのでしょう。写真の「絹常」の品質保証書は、昭和3年に三木のある町が新調したときのものです。これにも「屋臺」とあり、この部分は印刷されています。その下のスペースが空けてありここに納品する品名を書くようです。提灯箱には「臺」の旧字が書いてあります。いずれにしても「ヤタイ」です。出水村が「絹常」か「宮永」に発注して納品されたものと思われます。出水村中の文字から、提灯箱も業者が製作した上で納品されたもののようです。明治32年には提灯といえども高価なものだったでしょう。
Jan 29, 2008
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大手町屋台提灯箱の反対側です。こちら側が表側でしょうか?「出水村中」とあります。この「中」は大村屋台の提灯に「若中」と描いてあるのと同じで「連中」「一同」とか云う意味です。杉板のようですが丁寧なつくりで痛みもなく、保存が良かったのでしょう。こういう、年代がはっきり分かる証拠ともなるものと、一緒に当時の提灯もあればコレは貴重でしょうね。大手町の古い水引が白地で4面共に合戦の場面だそうですから、今でも北条や、新町の旧水引幕は白地で合戦物と共通している屋台もあります。古くなってぼろぼろでも歴史の証人ですので、保存しておきたいものです。
Jan 28, 2008
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昨年10月に大手町屋台蔵から古い提灯箱が発見されました。現在も使用中の箱でしょうか?箱には「明治32年第4月新調とあり、反対側には出水村とあります。出水村は、あの「絹常」からも近くです。ただ、大手町屋台が現在使っている提灯はそんなに古くはありませんが・・・明治32年は109年前になりますが・・・しかしこの箱も作りがよくきれいに残っています。屋台本体も出水村で新調されたのでしょうか?昭和31年に、大手町屋台は口吉川町槙から来たと、私の子どもの頃は教えられていたのですが、今は槙の氏宮の吉川町細田神社から購入したことになっています。昭和3年の御大典に総額3200円の寄付芳名板が細田神社に残っています。この頃に屋台を購入したのでしょうか?提灯箱に書かれた明治32年には、出水村で屋台本体も新調されたのでしょうか?彫り師鎌田秀一の活躍した年代から言うと少し新しいようですが、無理でもない年代で可能性は残ります。屋台はもう少し古く、提灯だけ新調と言う可能性もありますが・・・今後の調査解明が待たれます。
Jan 27, 2008
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市制50周年屋台大集合のビデオをユーチューブにアップしました。「三木市制50周年記念屋台大集合記録ビデオ」クリックしてご覧ください。「その1」から「その18」まであります。ちょっと疲れました。
Jan 22, 2008
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ユーチューブに「三木市制50周年記念屋台大集合記録ビデオ」をアップしました。クリックしてみてください。
Jan 21, 2008
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市制50周年屋台大集合のビデオをユーチューブにアップしました。「三木市制50周年記念屋台大集合記録ビデオ」クリックしてご覧ください。「その1」から「その18」まであります。
Jan 20, 2008
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市制50周年屋台大集合のビデオをユーチューブにアップしました。「三木市制50周年記念屋台大集合記録ビデオ」クリックしてご覧ください。「その1」から「その18」まであります。
Jan 19, 2008
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ユーチュ-ブに動画をアップしました。また見てやってください。「三木の秋まつり記録ビデオ」クリックしてご覧ください。
Jan 19, 2008
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市制50周年屋台大集合のビデオをユーチューブにアップしました。「三木市制50周年記念屋台大集合記録ビデオ」クリックしてご覧ください。「その1」から「その18」まであります。
Jan 18, 2008
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市制50周年屋台大集合のビデオをユーチューブにアップしました。「三木市制50周年記念屋台大集合記録ビデオ」クリックしてご覧ください。「その1」から「その18」まであります。
Jan 17, 2008
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三木の秋祭り大宮八幡宮大村屋台の宮入です。命綱を使用しない石段のぼりをご覧ください。http://jp.youtube.com/watch?v=PrbERxZxIZ8
Jan 13, 2008
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“ユーチューブ”に平成19年岩壷神社宵宮の動画をアップしました。"http://www.youtube.com/v/zHK1V3qRlyM"岩壷神社で検索すると見えるはずです。その他、各町名で検索すると探せます。画像は小さくなっていますので悪いです。きれいな画面をご希望の方はDVDを買ってください。
Jan 12, 2008
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ユーチューブに滑原町屋台を乗せました。http://jp.youtube.com/watch?v=zeAbhgo4wRc見てやってください。
Jan 11, 2008
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中央公民館のビデオですhttp://www.youtube.com/v/f-iEIO-rEv4上記URLを検索窓にコピペしてみてください。
Jan 10, 2008
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上の丸駅前の滑原町屋台です。http://jp.youtube.com/watch?v=zeAbhgo4wRcご覧ください。
Jan 2, 2008
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平成20年元旦の岩壷神社です。初詣のついでといっては何ですが・・・仕事のついでに初詣というのもはばかりますが・・・まあ、氏神様にお参りした後、初仕事をしてきました。毎年、岩壷神社の歳旦祭の記念写真を撮影していますのでまあ、お参りもさせてもらうわけです。本年の宮年番は地元の岩宮町です。大きな焚き火で参拝者の暖を取っていただいています。早朝というか、夜中には三木市長もおまいりされたそうです。氏神様にお参りできなかった人には、特別サービスで、ネット上でお参りください。特別サービスというのは、お賽銭がいりません!!!
Jan 1, 2008
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