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十時神戸着上陸。諏訪山中常盤にて午餐を喫し、温泉に浴す。夜下痢す。晩餐を喫せず。(漱石日記 明治33年9月9日)
明治33(1900)年9月8日午後10時、漱石を乗せたドイツ船プロテイン号は横浜港を出航しました。船に弱い漱石は、初日から船酔いに罹り、夕食を取らずにベッドで過ごしています。
翌日の午前10時に船が神戸港に着くと、漱石たちは上陸して、神戸の山の手にある諏訪山の温泉料亭「常盤楼」で一風呂浴び、浴衣がけで日本料理を食べました。
料理と温泉を愉しんだ後、漱石たちは、当時湊川神社の宮司だった芳賀矢一の父親が主宰する晩餐に招かれ、灘の酒が振舞われていますが、下戸の漱石にとってはありがた迷惑だったかもしれません。
この日、鏡子の妹・時子と夫・鈴木禎次が見送りに来たのですが、行き違いで会えませんてした。時子は、選別の万年筆を漱石に贈っています。
諏訪山温泉は、明治5(1872)年ごろ、諏訪神社境内から湧き出した無色透明の炭酸泉です。この湯は「飲めば胃を治し、湯に浴すれば万病に効く」と評判を呼びました。花隈で料亭「常盤花壇」を経営していた前田又吉は、翌年に「常盤花壇」の支店を諏訪山に移して、温泉料亭「常盤楼」と名付けています。この年には諏訪神社境内の一部が公園の指定を受けて周辺が整備されて植樹され、休憩所や遊具施設が設けられました。
諏訪山は、神戸の中心部にも近く、温泉の周りには「常盤楼」以外にも多数の温泉宿が軒を連ねました。「常盤楼」は、明治15(1882)年頃になると、常盤中店・西店・南店の3店舗に増え、繁盛の様子がわかります。
昭和3(1928)年には「諏訪山動物園」が開園します。市内が一望できる景観と施設を楽しむため、多くの人が訪れるようになりますが、太平洋戦争のために神戸一帯は空襲で焼かれ、「常盤楼」も温泉街もなくなってしました。
小宮豊隆は『知られざる漱石』の「諏訪山温泉」で、次のように書いています。
漱石は明治三十三年九月八日にドイツ船プロイセン號に乗つて、横濱から留学の途についた。
漱石は船に弱く、初日の航海から気分が惡く、夕飯も食はずに寢てしまつたというが、そればかりでなく、自分たち四人づれの日本人以外はほとんど西洋人ばかりなので、出發の日からすでに洋行したような気がし、神戸で上陸し諏訪山温泉で一風呂浴び、日本の浴衣をきて日本の料理を食つて、やつと歸朝したような心持になつたのださうである。それはおそらく誇張ではなく、ほんとにさう感じたのだらうと思ふ。
(小宮豊隆 知られざる漱石 諏訪山温泉)
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