東京フリー・メソジスト教団付協力牧師 甲斐慎一郎 説教要約

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聖書預言@ Re:説教要約 1266(08/08) 『JDファラグ聖書預言』でネット検索すれ…
2006.09.23
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カテゴリ: カテゴリ未分類
「真の信仰(1) 信仰と人間」

                 コリント人への手紙、第一、15章

 「もしあなたがたがよく考えもしないで信じたのでないなら……
この福音によって救われるのです」(2節)。

 私たちが聖書に対して何の偏見も抵抗も持たずに、聖書を素直に読
むなら、世の初めから世の終わりまで詳細に記されている神の啓示に
驚くことでしょう。しかしもっと驚くべきことは、人間にとって最も
大切な永遠の運命、すなわち私たちが永遠に救われるか滅びるかとい
うことは、この神が備えてくださる救いを信じるかどうかにかかって
いるということです。

 それで、これほど大切な信仰について次のような4つの観点から考
えてみましょう。

◇真の信仰(1)……信仰と人間
◇真の信仰(2)……信仰と神
◇真の信仰(3)……信仰と罪
◇真の信仰(4)……信仰と救い

 まず信仰と人間についてですが、ここでは、一般的な信仰について
学んでみましょう。

一、一般的な信仰は、人間本来の性質です

 私たちは、毎日毎日、いや一瞬一瞬、何かを信じて生きているとい
うことを自覚しているでしょうか。

 1.私たちは、自然の法則または自然現象というものを信じて生き
ています。私たちは、自然の法則または自然現象というものが、決し
て気まぐれではないことを信じているからこそ、安心して食べたり、
飲んだりして、生活することができるのです。

 2.私たちは、科学や文明というものを信じて生きています。今や
科学文明というものは、第二の自然と呼ばれるほど、私たちの生存や
生活に密着しているものとなっているのです。

 3.政治や経済をはじめ、家庭とその集まりである社会というもの
は、人間同志の信頼や信用で成り立っています。ですからこの信頼や
信用が失われるなら、家庭も社会も崩壊してしまうのです。

二、信心よりも信仰の対象が大切です

 これらのことから一般的な信仰心というものは、だれでも必ず持っ
ているものであることが分かるでしょう。ですから人間にとって最も
大切なことは、いったい何を信じるかという信仰の対象です。私たち
の信仰の対象は、大別するなら、次のような2つのうちのどちらかで
す。

 1.偽りのもの、非現実的なもの、欺瞞的なもの、空虚なもの、無
価値なものを信じる。
 2.真実なもの、現実的なもの、不変の真理、実在するもの、価値
のあるものを信じる。

 私たちは、どちらのものを信じるでしょうか。もし私たちが前者を
選ぶなら、たとえどんなに熱心で、忠実に信じたとしても、その「信
仰はむなしく」、宣教も「信仰も実質のないものにな」り、その人は、
「すべての人の中で一番哀れな者です」(17、14、19節)。なぜなら
私たちは、自らの信じているものと運命をともにするからです。

三、真の信仰には必ず根拠が必要です

 パウロは、この復活の章において「もしあなたがたがよく考えもし
ないで信じたのでないなら」と述べています(2節)。この「よく考
えもしないで」という言葉は、原語において理由なしに、根拠なしに、
むだに、無益に、いたずらに、だてに、という意味があります。

 人間にとって最も大切なことは、何を信じるかという信仰の対象で
す。しかし、その時、心しなければならないことは、何を根拠にそれ
を信じるかという信仰の根拠です。

 もし私たちがよく考えもせず、何の根拠もなしに信じるなら、その
信仰の対象が確実な真理であったとしても、その信仰に確信を持つこ
とができず、疑いや迷いに悩まされることでしょう。しかし私たちが
根拠をもって信じるなら、その信仰は確信に満ち、疑いや迷いもなく、
不動のものとなっていくのです。





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Last updated  2006.11.15 16:51:50
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