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「不思議の霊的な教え」
甲斐慎一郎
詩篇139篇1~24節
「そのような知識は私にとって、あまりにも不思議、あまりにも
高くて、及びもつきません」(6節)。
「私は感謝します。あなたは私に、奇しいことをなさって恐ろし
いほどです」(14節)。
この詩篇においてダビデは、神の全知の不思議さと神の全能の奇
しさに驚嘆しています。良いことについても悪いことについても、
すぐ慣れて無感覚になりやすい人間にとって、不思議なものには不
思議に思い、驚嘆すべきことには素直に驚き、すばらしいことには
心から感動する気持ちが必要ではないでしょうか。
そこで不思議という観点から、聖書が教えている大切な真理と教
訓を学んでみましょう。
一、不思議の意味について
まず不思議ということの意味について考えてみましょう。
1.それは、知識の面からみるなら、文字通り不可思議というこ
と、すなわち人間の知識や理解を越えているということです。
2.それは、感情の面からみるなら、その不思議さのゆえに驚嘆
したり感動したりして、眠っている感情が呼び覚まされることです。
3.それは、意志の面からみるなら、人間の意志や力の及ばない
こと、すなわち人間の意志や力を越えているということです。
ですから私たちが不思議な宇宙や自然を見ても、何も不思議に思
わなかったならば、私たちは、人間の知識と力の限界を認めない高
慢な人であり、また木石のように無感覚で冷たい心の持ち主なので
す。
二、不思議の対象について
それでは私たちは、不思議なものには何でも不思議に思い、驚嘆
すればよいのでしょうか。決してそうではありません。
1.不思議なもの自体を恐れて礼拝する
これは、汎神論や偶像崇拝であり、まちがっています。
2.不思議なものの背後にある未知のものを恐れる
これは占いや呪い、また偶像崇拝であり、決して正しいことでは
ありません。
3.不思議な宇宙や自然の背後におられるる唯一の真の神を認め
て礼拝する
これこそ聖書が教えている正しいことです。
三、不思議の霊的な教えについて
聖書は私たちに次のような三つの不思議なものについて教えてい
ます。
1.神の不思議さ
神は、人間の知識と理解そして人間の意志と力を越えた全知、全
能、永遠、偏在の驚くべき方です。この世界に神ほど不思議な方は
おられません。
2.人間の不思議さ
三つの不思議があります。
(1)人間の存在の不思惑さ
人間のからだは最も精密で精巧にできた機械以上のものであり、
さらに驚くべきことには人間は、このからだに精神と霊を宿した不
思議な存在なのです。
(2)人間の反逆の不思議さ
しかしもっと驚くべきことは、このような神の傑作品である人間
が、不思議な宇宙と自然に囲まれながら、神に背いて、罪に陥って
いることです。
(3)人間の救いの不思議さ
きらに最も驚くべきことは、神に背いていた人間がキリストとそ
の十字架の贖いによる救いによって新しく造り変えられるというこ
とです。
3.キリストの不思議さ
キリストは、その名が「不思議」(イザヤ9章6節)であるだけ
でなく、永遠の神が有限な人となられたという不思議な方です。そ
してキリストは、その生涯において数々の不思議なわざを行われ、
最後は人類の罪を負って十字架につけられるという不思議な死を遂
げられました(第一ペテロ2章24節)。しかしこのキリストの不思
議な死によって、そのことを信じる者は罪から救われて、新しく造
り変えられるのです(第二コリント5章17節)。
甲斐慎一郎の著書→ 説教集