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宅間被告1分余で暴言退廷…異例、冒頭の死刑判決しかし、何だね。この宅間被告みたいのも、神様が必要だとして創り出したものなんかね。間違って出来ちゃったんだろうか、なんて思えたりさ。事件そのものもとんでもないものだったけど、逮捕された後もこの宅間被告は「今思えば幼稚園児を狙った方が良かった。もっと殺せたはずだから。」とか言ってたんだとよ。もう、とんでもねぇ奴だもの。ってかさ、某教祖の弁護団や和歌山カレー事件の弁護団なんかもそうだけど、こういう奴を弁護する人ってのもある意味カワイソウだよなぁ。普通の感覚を持ってたら、こんな奴に共感なんて出来ないでしょ。もっとも、弁護士としてのプロ意識や、動機なども含めた真実の究明に視点を置いてるんだろうけど・・それにしたってねぇ、だもの。特に、今回の件で言えば、本人が自分でやったって事を認めてる・・ってか、胸張ってるわけだから。普通はさ、本人が犯罪を犯したと認めてしまった場合でも、そのどこかに更正の糸口があるんじゃないかと探ることを弁護のモチベーションとしているわけだよね。接見していくうちに、犯行に至ったのは「やむを得なかった」という材料を導き出して酌量を求めたり、ワタクシ個人的には認められないけど、最終的には(精神鑑定を含めて)責任能力の有無を訴求していったり、とか。何で「責任能力の有無」をワタクシが認めないかって?例えば、クスリを使用しての犯罪とかは、以前にも書いたけど「クスリを使用する時点では責任(判断)能力があっただろう」と思うからでさ。心の病が原因の犯罪については、それならそれで病んでない人の防衛策を提示しろって思うんだよね。要するに、理不尽な殺人を起こすようなバカに、何らかの理由を以って免罪符になり得る要素なんてないだろうと思うわけさ。殺人を犯す時点で狂ってるわけだから。責任能力があったら殺人なんて犯さないって。そんなもの、争点にすること自体おかしいと思うんだよね。よく、検察にいた人が弁護士に転向するでしょ。そういう弁護士がこういう奴についたとしたらさ、擁護するはずの弁論でいつの間にか糾弾してたりしてね。検察側の指摘に、「うんうん」なんて腕組みながら頷いてたりさ。裁判員制度なんかが実施されると、こういう事件は瞬時に結論が出そうだよね。ってか、この「結論」がどっちに出るかというと、あながち極刑ばかりとは限らないんだな、これが。今回の裁判でも、本人はわからないけど、弁護側は宅間被告に控訴を勧めてるものね。楽天内を見回しても、無防備に「死刑制度反対」の雄叫びを上げてるのがやっぱりいるし。一度、死刑制度反対を唱えてる人の主張をじっくり聞いてみたいんだよね、ワタクシ。何で反対なのか、を。誰かBBSで「死刑制度反対」の主張を展開してくれないかな。死刑制度を反対してる人達って、大体が「人が人を裁いていいのか、死に追いやっていいのか」ってのが理由だと思うんだよね。ところがさ、よくよく考えてみると、こういうバカに殺されてしまった被害者は、何の言われもなく「死に追いやられてしまった」わけでね。例え、その後にいくら反省してても許せんだろうよ。やったもん勝ちかよって。もし加害者が反省していてさ、反省してるんだから許してあげれば?なんて人は、言い方悪いけどどうしたって「所詮、他人事」という感覚が無意識にでもあるんでさ。本音のところは、やっぱり大切な人を奪われた遺族の心理としては「極刑を」だと思うね。ってか、ワタクシは別に死刑制度賛成派というわけでもないんだな。無いなら無いで構わないんだよ。ただ、極刑が無期懲役というのは納得出来ないから死刑制度はあるべき、くらいのスタンスで。ま、言葉が適切かどうかわからないけど、終身刑みたいなものがあればこれでもいいんでさ。無期懲役だと、何年かすれば出てこられるでしょ。そうじゃなくて、何があっても出てこられない刑。要するに、こういうバカには最大の苦痛を与えたい、みたいな。そういう意味では、こうなると本人にとっては死刑の方が楽だったってことにもなるかもしれないんでさ。何の望みもないまま、ひたすら「生かされる」というね。ただ、生きてるだけ。黙々と刑務所の中で人生を送っていくというか。極論すれば、殺人犯に人権なんていらないと思うもの。ワタクシは法律に疎いから何とも言えないけど、他人の命を断つ犯罪が一番重いんだよね?そうだとするなら、そういう事しておいて何が人権だよって思っちゃうんだな。こういうこと言うと、「日本は法治国家なんだから」と正論をぶつけてくるんだけどさ。確かに、それくらいはワタクシもわかってるけどね。ただ、その罰する「法」が軽過ぎないやしないかと思うんでさ。他人の人生を奪っておいて、自分だけ人権に保護されるのはどうかって。ワタクシからすれば、日本の死刑制度そのものだって人権に配慮してると思うもの。おもしろいのはさ、普段「加害者の人権」を過剰に叫んでるお歴々の方々も、今回の判決について「当然だ」というスタンスをとってる人が多いんだよね。「死刑制度を肯定するわけではありませんが」という前置きはあるんだけど。ってかさ、結局のところ「当然だ」とした時点で肯定だろうって。時と場合と犯罪形態によって、「死刑制度賛成」と「死刑制度反対」を使い分けてどうするんだって。こういうのを「似非」というんだ。こういう輩に限って、普段人権派の仮面を被って気持ちよくなってるんだけど、いざ自分の身内とか大切な人が被害者になった時に「極刑を望みます」とかシャぁシャぁと言うんだろうなぁ。加害者に対して、「○○の死をムダにしないためにも、あなたの更正を願ってやみません」とか言えるくらいの度量を持った人だったら尊敬しちゃうけど。ワタクシ?ワタクシはとっても狭量だからね。そりゃ、同じ目に遭わせてやりたいと思いますよ。実際、その時になったら遭わせちゃうかもしれないね。それほど遺族の心境ってのは複雑なわけでさ。周囲の人には計り知れないほどに本能と理性の狭間で葛藤があると思うな。何せ、病死だって消沈しちゃうものなのに、ある日突然理不尽な状況で大切な人の人生をスパッと断たれて、しかもその首謀者本人はのほほ~んとしてるわけだからね。そういうのを無視して「人権人権」と叫べるのは、自分の身に置き換える想像力が著しく欠けてるか、恐ろしいほどに理性が形成されてて、大切な人の死についても「物質の消滅」くらいに冷静に受け止められる人なのかな、とか思えちゃうんだなワタクシは。あぁ、あと人権にぞっこん惚れてる方なのかな、とか。もっとも、その「人権」も自分が気持ちよくなるためだけのもので、その主張に一貫性なんて微塵もないんだけどさ。この宅間被告、退廷を狙って不規則発言をしたんだそうだよ。「判決をその耳で聞いてほしい」という遺族の気持ちを逆なでする行為というか。TVを観ていると、パネリストの中には「裁判官は宅間被告の発言を認めるべきだったのでは?」とか言ってたのもいたな。宅間被告は、「どうせ死刑なら最後に発言させてくれ」と異例の申請をしてたらしいんだよね。それを、裁判官は認めなかったんだけど、それが退廷時の暴言に繋がったんだ、としてるんだ、このパネリストは。しかも、言うに事欠いて、「どんなにヒドイ事件の犯罪者であっても、権利は認められて然るべき。そうでないと、なし崩し的に人権が蹂躙される」みたいな事をのたまってたよ。このパネリストはバカか。発言なんて認めたら、何言い出すかわからんだろうが。ってか、何でまたこういうバカのワガママを聞かなくちゃならんのだって。発言を認めればそこでとんでもない事を言うだろうし、認めなければ今回のように強制退廷になって遺族の「本人に直接死刑の宣告を」という希望が潰える・・裁判官としても苦渋の決断だったろうよ。ホントなら、口にガムテープ貼ってでもそこにいさせればいいと思うんだけどね。そうは出来ないわけでしょ。人権派がウルサイから。話によると、退廷間際の暴言はひとりの遺族を名指しして放たれたらしいんだけど、実際は4人くらいに対して言うつもりだったんだってさ。発言を認めてたら、この4人全部にしたり顔で悪態ついた可能性もあるわけでしょ。人数の問題じゃないけど、そういう事も考えて意見を言えって。バカパネリストが。
2003年08月29日
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