あま野球日記@大学野球

あま野球日記@大学野球

2009.03.01
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読売監督にしてWBC日本代表の監督でもある 原辰徳 氏(東海大相模高-東海大)、
そしてその父・ 氏(現・東海大系列高野球部総監督)のことが「父子鷹」と呼ばれる
ようになって久しい。


原親子がそう呼ばれ始めた頃、2人が出場していた1976年夏の甲子園で、まったく
無名校の無名投手だった男が優勝をさらって行った。その男が今、あらたに「父子鷹」
と呼ばれるようになったのだから、「巡る時代」は面白い。


その優勝をさらった無名投手が桜美林高の 松本吉啓。 啓二朗


松本吉啓 氏(桜美林高-明治大-明治生命-埼玉栄高監督-千葉経大付高監督)。


<桜美林高時代>

まだ夏の甲子園3度目の出場だった桜美林高。当時は「オウビリン」とまともに読める
人がいなかった1976年夏の甲子園で全国制覇を果たした。
2回戦   日大山形高に4-0 
3回戦   市神港高に3-2 
準々決勝 銚子商高に4-2
準決勝   星稜高に4-1

そして、決勝でPL学園高をスコア延長11回の熱戦の末、4-3でサヨナラ勝ちし、
優勝を決めた。桜美林が勝利するたび校歌が甲子園に流れた。その時、ボクは
「イエス、イエス、イエス」という歌詞を憶えた。そして、「校歌にカタカナ」があるなん



■東京都内のライバル■

一学年下に日大二高・ 五十嵐信一 (現・日本ハムスコアラー)、二学年上に城西高
高橋慶彦 (現・ロッテコーチ)がいた。




準々決勝で対戦した銚子商高のショートは 宇野勝 (元・中日)。また準決勝で対戦
した星稜高のエースは 小松辰雄 (元・中日)だった。直接対戦はしなかったが、
柳川商高の 久保康生 (現・阪神チーフコーチ)、「サッシー」こと海星高・ 酒井圭一
(現・ヤクルト九州担当チーフスカウト)らがいた。

また、息子・啓二朗がいた早稲田大監督の 應武篤良 氏も、広島・崇徳高の捕手と
してこの大会に出場していた。2回戦で東海大四高に勝利したものの、3回戦で
酒井のいる海星高にスコア0-1で惜敗した。

※應武さん、同年秋のドラフトで近鉄バファローズから3位指名を受けたが、これを
蹴って早稲田大に進学した。(⇒あま野球日記 「近鉄を蹴った男たち」 収録)



松本吉啓氏、高校を卒業し明治大に進学、そして明治生命に進むが、高校・大学・
社会人のすべてで「日本一」を経験した。現役の選手として「日本一」を経験していな
いのは「プロ野球」だけ。明治大入学以降のことは 次回 に。


<松本啓二朗の小中高時代> こちら
<松本啓二朗の大学時代> こちら
<松本啓二朗の父・吉啓氏の高校時代> こちら
<松本啓二朗の父・吉啓氏の大学時代?> こちら
<松本啓二朗の父・吉啓氏の高校監督時代> こちら





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Last updated  2009.03.08 11:46:13
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