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このところの昼間の気温は9月下旬並みで、本当に気持ちのよい気候です。でも、明日から11月、天気予報では明日の雨の後寒くなるようです。今年もあと2ヶ月ですが、年々前倒しになって行くことが多くて気ぜわしいと思いませんか。スーパーではもうクリスマス・ケーキの予約を受け付けているし、家の近くの会社では12月中頃のイルミネーション用の電球付けが始まりました。地元では結構有名で、点灯期間は会社の駐車場を開放していますが、それでも車が多くて長い列ができるぐらいです。12月になると、全国のいろんなイベント会場や商業施設で、また個人宅でもイルミネーションが花盛りになります。そんな季節があっと言う間に来そうで怖いです。
2007.10.31
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リタ・パヴォーネ主演の"Il giornalino di Gian Burrasca"がRai Clickで見られます。友達に聞いた話と微妙に違うところもありました。Rai Click→JUNIOR→TVDEIGRANDI→IL GIORNALINO DI GIAN BURRASCA→SESTO EPISODIO イタリアではDVDになって発売されていると思います。
2007.10.28
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朝から降り出した雨が止み夕方外へ出ると、空はまだ雨雲に覆われているものの、雲の間に虹が見えました。もう何年虹を見ていないでしょう。孤を描くような虹ではありませんでしたが、久し振りに見る虹はきれいで、どこかほっとするような、さわやかな気持ちにしてくれました。虹のつく歌と言えば、1972年サンレモ音楽祭優勝のニコラ・ディ・バリの「虹の日々」"I GIORNI DELL'ARCOBALENO"。ニコラ・ディ・バリは決して美声ではないですが、独特の魅力があり好きです。それから、ピーター、ポール&マリーの「虹と共に消えた恋」。フォーク全盛の頃、一番好きなグループでした。
2007.10.27
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先日トレビの泉の水が赤くなった画像を見ましたが、詳しいことは知りませんでした。saziaさんの書き込みを読むと、アニリンが投げ込まれたためということで、リタ・パヴォーネとアニリンとの関係についてイタリア人の友達に尋ねてみました。60年代にリタ・パヴォーネRita Pavone主演の"Il giornalino di Gian Burrasca"というテレビ番組がありましたが、その中のエピソードに出てきたのだそうです。寄宿学校に入れられた悪戯好きのジャン・ブラスカが、友達と一緒に"uno per tutti tutti per uno"という秘密結社を作り、学校で出されるお決まりの米入りスープの中にアニリンを入れ、そのスープをトマト入りのかゆPAPPA COL POMODOROに代えさせてしまいます。そしてその時リタ・パヴォーネが"VIVA LA PAPPA COL POMODORO"を歌った、ということです。日本では「トマト・ジュース乾杯」として知られていますが、pappaはパンがゆと考えて下さい。
2007.10.25
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1979年の春、友達とイタリアの主要都市を旅行した後、一か月だけペルージャ外人大学で勉強したことがあります。登録前に行った時、地下にバールがあったと記憶していますが、そこへ入るとウンベルト・トッツィUmberto Tozziの"Ti amo"が流れていたのが印象的でした。授業のことはあまり覚えていませんが、広場でギリシャ人の友達と話したり、また夕方になるとヴァンヌッチ通りをおしゃべりしながら行ったり来たり。日曜日にはトラジメーノ湖へピクニックへ行ったり。5月だったので外に出るのが気持ちよく、毎日の通学する道から見る町並や景色もきれいでした。下宿していた家の娘さんにジョルジョ・ガーベルGiorgio Gaberのコンサートへ連れていってもらったこともいい思い出です。ただ、彼のステージはイタリア語がわからないと楽しめませんから、当時の私の語学力では無理でした。いろんな年齢層の人が勉強に来ていましたから、またいつか行ってみたいです。
2007.10.24
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今日10月22日は京都の時代祭でした。1970年代の初めに一度見ただけです。当時は女性のミニスカート、男性の長髪が流行っていた頃で、行列に参加していたアルバイトの学生でしょうか、かつらの下から髪の毛が出ていて興ざめしたことが記憶に残っています。イタリアの祭はあまり見たことはありませんが、シエナのパリオを見たことがあります。7月2日と8月16日にカンポ広場で催され、競馬の前にルネサンス期の衣装をまとった人々の行列があり、豪華な衣装に身を包んだ貴族や小姓、旗手のパフォーマンスなどが素晴らしかったです。4時頃から行列が始まり、その後競馬があるのですが、昼から場所取りのために待っていた時間と行列を見た時間を考えると、実際に馬が広場を3周走るのが、ほんの一瞬に感じられました。シエナの町の地区対抗のため、各地区の住民の対抗意識が強く、馬が走る時に彼らの興奮も頂点に達し、終わった時に泣いている女の子もいました。何事もそうですが、その中に身を置かないと本当の感動を味わうことができないのかもしれません。
2007.10.22
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違う歌手をAB面にもってくることが普通だったとは思いませんが、珍しいことでもなかったのではないでしょうか。ウィルマ・ゴイク Wilma Goichの「花咲く丘に涙して」"LE COLLINE SONO IN FIORE"のB面は、オルネラ・ヴァノーニの「強く抱きしめて」"ABBRACCIARMI FORTE"で、「花のささやき」"IN UN FIORE"のB面は、同じくヴァノーニの「命をかけて」"IO TI DARO' DI PIU'"でした。Diaryの6月8日(カンツォーネとの出会い)、7月6日(私の好きなカンツォーネ)のレコード・ジャケットの画像を見て下さい。ただ、この2枚も、昨日書いたチンクェッティの「雨」/ラニエリの「愛の詩」も、同年のサンレモ入賞曲だからカップリングされたのでしょう。でも、どの歌手とどの歌手を組み合わせるかは、どのように決められたのでしょうか。興味がわいてきました。
2007.10.20
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今日は朝から雨が降り続いています。雨と言えば、1969年サンレモ音楽祭でジリオラ・チンクェッティが歌った"LA PIOGGIA"。大ヒットしたので皆さんもご存知でしょう。チンクェッティが歌う軽快な雨とは違って、今日の雨はどこかしつこい感じがします。シングル・レコード「雨」のB面がマッシモ・ラニエリの「愛の詩」で、今から思うと贅沢なレコードでした。
2007.10.19
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カンツォーネ・ロマーナで忘れてはいけないのが、ガブリエッラ・フェッリGabriella Ferriです。60年代初めにルイーザ・デ・サンティスとデュエットし、Luisa e Gabriellaとして、カンツォーネ・ロマーナを歌っていました。そして、「酔いどれ仲間」"LA SOCIETA' DEI MAGNACCIONI"でレコード・デビュー。この曲は、今ではカンツォーネ・ロマーナのスタンダード・ナンバーになっています。ルイーザは、映画「にがい米」の監督ジュゼッペ・デ・サンティスのお嬢さんだそうです。その後、ガブリエッラ・フェッリはソロ歌手の道を歩むことになり、1969年にはサンレモ音楽祭に出場し、スティーヴィー・ワンダーをパートナーに「恋人だったら」"SE TU RAGAZZO MIO"を歌いました。ファイナルには進めませんでしたが、この曲はヒットし多くの歌手がカバーしていて、ウィルマ・ゴイクもレコーディングしています。73年には、アルバム"SEMPRE"が、ヒット・チャート1位になっています。古いカンツォーネ・ロマーナから新しく作られた曲まで幅広くい歌っていたフェッリも、長年うつ病に悩まされていた後、またテレビなどに姿を現すようになっていたものの、2004年に自宅のバルコニーから転落して亡くなりました。当時のニュースでは自殺とは言わなかったと記憶していますが、後に自殺と断定されたようです。アルコール中毒にもなっていたと聞いたことがあります。ちょっといないタイプの歌手ですから61歳の死は残念です。
2007.10.16
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フィオレッラ・マンノイアは、80年代のサンレモ音楽祭に出場した頃に知った歌手ですが、私の好きな歌手の一人です。"COME SI CAMBIA" "QUELLE CHE LE DONNE NON DICONO"を歌った頃です。 彼女へのインタビューと歌で構成された、Speciale TG1の番組が、現在Rai Clickで見ることができます。デ・グレゴリやフィオレッロなどとのデュエットをはじめ、パヴァロッティとデュエットしている"CARUSO"も聴けます。1時間あまりの番組ですが、結構彼女の歌が聴けて満足のできる番組です。Rai Clickでは、すぐに消えてしまうものもありますので、興味のある方は早い目にどうぞ。Rai Clickにアクセスしてこの番組が出ていなかったら、notizie→archivio→Speciale Tg1→Fiorella Mannoiaと進んでください。 インタビューの中で知ったのですが、モニカ・ヴィッティのスタント・マンをしていたそうで、アルベルト・ソルディとの絡みシーンが映っていました。モニカ・ヴィッティの映画を見る機会があれば目を凝らして見てみましょう。
2007.10.14
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カンツォーネ・ロマーナCanzone Romanaと言うと、ランド・フィオリーニLando Fioriniやクラウディオ・ビルラClaudio Villaを思い浮かべる方も多いと思いますが、ニーノ・マンフレーディNino Mnafrediも忘れられません。 俳優であり監督でもあった彼は、歌手としても渋くていい味を出していました。80年代にはラヴァッツァ・コーヒーのテレビ・コマーシャルでよく見かけました。 そんな頃のある日、日本人の友達夫婦とカザマーリの修道院へ行った時にニーノ・マンフレーディに出会い、一緒に写真を撮ったことがあります。でも、残念ながら話しはしなかったように思います。今から思うと、もったいないことをしました。なかなかあんな大物に出会うことなんてないですから。今なら中年の厚かましさで話せるでしょうに。
2007.10.13
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最近ついてなかったり、やることやること空回りで、今日占いサイトで生年月日から占ってみると、今年は大殺界と出ました。うまく行っている時は占いなんて見ることもないのですが。占いにもいろいろありますが、イタリアでは星座占いが圧倒的に多いようです。また、血液型で人の性格を見たりすることがありますが、イタリア人の中には自分の血液型を知らない人が結構多いのに驚いたことがあります。
2007.10.11
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久し振りにクラウディオ・ビルラが歌うカンツォーネ・ロマーナを聴きました。ゆったりした歌に心が落ち着く反面、胸キュンになるんですよね。歳をとってくると、どうしても昔が懐かしくなってしまうからでしょう。ロマーナにはギターがよく似合います。CHITARRA VAGABONDAなんか本当に哀愁に満ちていいですよ。
2007.10.08
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明日10月7日ローマのTeatro OlimpicoでFestival della Canzone Romanaが催されます。 出演は、ランド・フィオリーニ、エドアルド・ヴィアネッロ、イ・クジーニ・ディ・カンパーニャ、 ウィルマ・ゴイク、ルチアーノ・ロッシ 他日本ではカンツォーネ・ナポレターナほどは知られていないと思いますが、カンツォーネ・ロマーナは、素朴で少し土臭い感じがするものの味があっていいですよ。
2007.10.06
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今日は、清々しい気持のいい日でした。金木犀の甘いほのかな香りが、爽やかな風にのって運ばれてきました。 私が、「秋になったな」と実感する時です。皆さんは、どんな時に秋を感じられますか。明日明後日は各地で運動会が催されると思います。 また、明日はイタリア語の検定試験があると聞きました。 運動会に参加される方、怪我のないように、検定試験を受験される方、落ち着いて悔いのないよう頑張って下さい。
2007.10.06
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美術史家の若桑みどりさんが亡くなられました。イタリアが好きな方は少なからず美術にも興味がおありだと思いますので、名前はご存知でしょう。昔、テレビ番組に出演された若桑みどりさんが、「本当は画家志望だったのですが、女が画家になるなんて、と父に猛反対されたので美学の方に進んだんです。」と話されていました。現代でも女だから、、、なんてことがあるのですね。そんな話から、アルテミジア・ジェンティレスキのことを思い出しました。美術史上初の女流画家とされていますが、1600年代のイタリアにあって大変な苦労があったと想像できます。映画にもなりましたね。 若桑みどりさんの著書「女流画家列伝」にアルテミジアの項があったので、再度読んでみようと思います。
2007.10.04
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9月29日の夜、ミルバのミラノの家に3人組の泥棒が入ったそうです。 先日のモランディの場合と違って、ミルバが家に居ました。寝入ったばかりの時に泥棒の物音で目が覚め、「金庫を開けろ!」と言われたミルバが「今まで金庫を持ったことはない。」と答えると、泥棒は部屋にあった宝石や現金を持って逃げました。被害総額は7万ユーロ。ミルバは頭を軽く殴られただけだったそうですが、怖かったでしょうね。でも、本当に大きな怪我でなくてよかったです。
2007.10.03
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先日書き込んだドメニコ・モドゥニーョの「今夜おごるぜ」については、1977年のラジオ放送のライブ録音を聴いて書きました。 今日、スタジオ録音の1962年のオリジナルを聴きましたが趣きが違います。ライブ録音の方がドラマチックに歌っています。生で聴くともっと違って聞こえるのでしょうね。歌手はいつもその時点で最高に仕上げているのでしょうが、観客のいるコンサートでは、歌手自身のモチベーションが上がって、一層心に響く歌を披露してくれるのでしょう。だからコンサートへ行きたいのですが、イタリアの歌手の来日コンサートがありません。もうイタリアへ行くしかないのでしょうか?
2007.10.02
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